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二度と呼ばれぬ名前/決して呼ばれぬ名前(和風)
二度と呼ばれぬ名前
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「017番、時間だ」
「……はい」
今日もまたこの時間がやってくる。
何よりも憂鬱で、けれどほんの少しだけ俺に夢を見せてくれる時間。
もう二度とあの時間が、あの人がやってくるはずもないのに少しだけ期待して、そして胸を抉られるように裏切られる。
そうなることがわかっていながらも、俺よりも頭2つほど大きな男からいつものように着物一式を受け取ると、彼から隠れるようにして着付けていく。
着付けの本を見ただけではよくわからなくて、初めのうちは手間取っていた。時間をかけても上手く着付けられずに贈り主の男に「誘っているのかい?」と笑われたこともあった。
彼はそのことで機嫌を良くしたようだったが、それ以来時間さえあれば与えられた部屋で着付けの練習をして……一週間もしないうちにある程度綺麗には着付けられるようにはあった。
専門の人から見ればまだまだかもしれないが、どうせこの姿を見るのは俺と長身の男、そして着物の贈り主しかいないのだ。
それに……もうこの着物を『見せる』相手などいないのだから。
「やぁ、017番。今日も綺麗だね」
男に連れられてやってきたのは、国民の大半を占めるβから巻き上げた多額の税金を余すことなく使って作られた遊館である。
俺を017番と呼ぶこの男に呼ばれる時はいつもこの部屋に連れて来られる。
俺と同じようにこの男に呼びつけられているのだろう他のオメガがどうかは知らないが、俺はこの部屋の前に立つたびに数秒足を止めてしまう。
物の価値というものに詳しくはない俺ですらも、襖や屏風に描かれる華や蝶は全て純金によって描かれていることくらいはわかる。
おそらくこの畳も、その上に一式だけ広げられた布団も、そして毎回会う前に着るようにと渡されるこの着物でさえも相当な価値のあるものなのだろう。
本の中でしか見たことのない美術館という建物のガラスケースの中に展示すれば、もしくは情緒を感じる茶室に飾れば、幾人もの人を魅了するだろうそれらは、この部屋に置かれているが故に品を失ってしまっているように感じる。
それでも高価なものであることに変わりはなく、オメガであることを除けばただの平民である俺はこの場にいるだけでも身を固めてしまう。
「早くこっちへおいで」
その言葉さえなければずっと部屋に踏み込まずに済むのに、男は急かすように俺には抗いようもない命令を口にする。
あの人が口にした言葉と全く同じなのに、意味は違うのだ。
そして声をかけられる俺の気持ちも、そして足取りさえも違うもの。
腹をくくって男の膝の上へと身を沈める。
男の機嫌を損ねないように。
媚びへつらうように。
絶対にそうはなるものかと決めていたのはもう遠い過去のこと。
あの人の手から男の元へと移されて数ヶ月もすれば、俺の生きるすべはこれしかないのだと理解せざるを得なかった。
俺は売られたのだ。
あの人の家の家財や宝石と同じように、多額の借金を返すために。
平民の俺を側においてくれていたことを愛されているのだと錯覚していた。
夜ごと耳元で囁かれるその言葉を真に受けて、求めて。
そしてもう何年経った今もまだあの人を求め続けている。
こんなこと他のオメガに話したら売られたくせにと笑われるだろうか?
自分でももう諦めろと思ってはいるのだ。
けれど無理なのだ。
男に服の隙間から覗く肌をなぞられるたびに、冷えた身体に熱を与えられるたびにあの人を思い出す。
あの人とは違って、男は俺をまるで大事なものみたいに遠慮がちに触るその手が何だか気持ち悪くて身体は男から逃げるように仰け反る。
けれどいつだって男は逃げることを許してはくれない。
「こんなに僕を求めてくれるなんて、君はいい子だね」
そして俺を追い詰めるように、そして責めるように言葉と唇を乱された俺へと落とす。
何度も、何度も、何度も。
入り込む男の熱はまるであの人との思い出を上書きするように熱く、俺の中を這いつくばる。
俺はそれを男が飽きるまで、彼に占拠されないように我慢し続けるしかない。
そして男を拒むように俺は過去のあの人へと縋り続ける。
あの人から与えられた熱量さえももう思い出すことも困難になっていても。
「愛しているよ、誰よりも……ね」
一夜のまやかしでしかないその言葉にから逃げるためにはそうするしかないのだ。
だって俺はこの男の前では『017番』という、彼が所有する何人ものオメガの一つでしかないのだから。
「……はい」
今日もまたこの時間がやってくる。
何よりも憂鬱で、けれどほんの少しだけ俺に夢を見せてくれる時間。
もう二度とあの時間が、あの人がやってくるはずもないのに少しだけ期待して、そして胸を抉られるように裏切られる。
そうなることがわかっていながらも、俺よりも頭2つほど大きな男からいつものように着物一式を受け取ると、彼から隠れるようにして着付けていく。
着付けの本を見ただけではよくわからなくて、初めのうちは手間取っていた。時間をかけても上手く着付けられずに贈り主の男に「誘っているのかい?」と笑われたこともあった。
彼はそのことで機嫌を良くしたようだったが、それ以来時間さえあれば与えられた部屋で着付けの練習をして……一週間もしないうちにある程度綺麗には着付けられるようにはあった。
専門の人から見ればまだまだかもしれないが、どうせこの姿を見るのは俺と長身の男、そして着物の贈り主しかいないのだ。
それに……もうこの着物を『見せる』相手などいないのだから。
「やぁ、017番。今日も綺麗だね」
男に連れられてやってきたのは、国民の大半を占めるβから巻き上げた多額の税金を余すことなく使って作られた遊館である。
俺を017番と呼ぶこの男に呼ばれる時はいつもこの部屋に連れて来られる。
俺と同じようにこの男に呼びつけられているのだろう他のオメガがどうかは知らないが、俺はこの部屋の前に立つたびに数秒足を止めてしまう。
物の価値というものに詳しくはない俺ですらも、襖や屏風に描かれる華や蝶は全て純金によって描かれていることくらいはわかる。
おそらくこの畳も、その上に一式だけ広げられた布団も、そして毎回会う前に着るようにと渡されるこの着物でさえも相当な価値のあるものなのだろう。
本の中でしか見たことのない美術館という建物のガラスケースの中に展示すれば、もしくは情緒を感じる茶室に飾れば、幾人もの人を魅了するだろうそれらは、この部屋に置かれているが故に品を失ってしまっているように感じる。
それでも高価なものであることに変わりはなく、オメガであることを除けばただの平民である俺はこの場にいるだけでも身を固めてしまう。
「早くこっちへおいで」
その言葉さえなければずっと部屋に踏み込まずに済むのに、男は急かすように俺には抗いようもない命令を口にする。
あの人が口にした言葉と全く同じなのに、意味は違うのだ。
そして声をかけられる俺の気持ちも、そして足取りさえも違うもの。
腹をくくって男の膝の上へと身を沈める。
男の機嫌を損ねないように。
媚びへつらうように。
絶対にそうはなるものかと決めていたのはもう遠い過去のこと。
あの人の手から男の元へと移されて数ヶ月もすれば、俺の生きるすべはこれしかないのだと理解せざるを得なかった。
俺は売られたのだ。
あの人の家の家財や宝石と同じように、多額の借金を返すために。
平民の俺を側においてくれていたことを愛されているのだと錯覚していた。
夜ごと耳元で囁かれるその言葉を真に受けて、求めて。
そしてもう何年経った今もまだあの人を求め続けている。
こんなこと他のオメガに話したら売られたくせにと笑われるだろうか?
自分でももう諦めろと思ってはいるのだ。
けれど無理なのだ。
男に服の隙間から覗く肌をなぞられるたびに、冷えた身体に熱を与えられるたびにあの人を思い出す。
あの人とは違って、男は俺をまるで大事なものみたいに遠慮がちに触るその手が何だか気持ち悪くて身体は男から逃げるように仰け反る。
けれどいつだって男は逃げることを許してはくれない。
「こんなに僕を求めてくれるなんて、君はいい子だね」
そして俺を追い詰めるように、そして責めるように言葉と唇を乱された俺へと落とす。
何度も、何度も、何度も。
入り込む男の熱はまるであの人との思い出を上書きするように熱く、俺の中を這いつくばる。
俺はそれを男が飽きるまで、彼に占拠されないように我慢し続けるしかない。
そして男を拒むように俺は過去のあの人へと縋り続ける。
あの人から与えられた熱量さえももう思い出すことも困難になっていても。
「愛しているよ、誰よりも……ね」
一夜のまやかしでしかないその言葉にから逃げるためにはそうするしかないのだ。
だって俺はこの男の前では『017番』という、彼が所有する何人ものオメガの一つでしかないのだから。
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