詐騎士外伝 薬草魔女のレシピ

かいとーこ

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2巻

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   第一話 フレーメの農園


 初夏の風が心地よい。少し動けば汗ばむ陽気は、この国の夏の暑さを予感させる。
 庭のハーブに水やりを終えたエルファは、帽子を深くかぶり直した。

「今日はお出かけ日和びよりでよかったわ。けど、日に焼けないようにしなきゃ」

 実家はグラーゼ王国にある片田舎で比較的高地にあったせいか、さほど暖かくはなかった。
 一方、今エルファがいるランネル王国の都、ルクラスは故郷より南、しかも平地に位置するため、気候は温暖だ。
 が、南北に長いこの国の北部には険しい山があり、それを越えるとグラーゼにも負けないぐらい冬の寒さが厳しいという。それでいて半島になっている南部は中央部にある都よりさらに暖かく、冬でも雪が降らないらしい。
 そんな風に気候に大きな違いがあるおかげで、この国の食材は実に多種多様だ。小麦はもちろん、寒冷な北部で育つ野菜や、温暖な南部に育つ果物類。大陸の東端に位置するこの国では、海の幸も容易に手に入る。ルクラスの都は、それらの食材が集まる場所であった。
 そのため都はいつも、美食を求める人々であふれ、名店と呼ばれるレストランも数多く並んでいる。
 中でも最近評判なのが、フレーメという茶問屋ちゃどんやが経営する、『レストラン・ラフーア』だ。メニューを考案しているのが〝薬草魔女〟であることを売りにしており、系列店である『ティールーム・フレーメ』とともに、毎日多くの客であふれている。その薬草魔女こそがエルファであった。
 薬草魔女というのは、グラーゼ王国発祥の職業で、食べ物の薬効を考慮した料理を作り、人々を健康に導くことを理念としている。美食だけを追求すれば身体に害が出ることもあるが、薬効などの知識をもって料理をすれば、美食と健康は両立するというわけだ。
 師である曾祖母そうそぼのもとで修業を積んだエルファは、元々故郷で独立して働く予定だった。が、色々あってフレーメの仕入れ人であるクライトに料理人としてスカウトされ、この国に来たのだった。

「さて、何か忘れてないかしら」

 料理用のハーブが植えられ、お客様の目を楽しませる効果もある小さな庭を見回す。まだ小さな林檎りんごの木は可愛らしくてエルファも好きだ。この枝に赤い果実がたわわに実るのはまだずっと先のことだろう。このラフーアで働いてしばらく経つが、今も一日一日が新鮮で楽しくて仕方がない。

「エルファ、用意できた?」
「あ、はい。ちょうど水やりも終わったところです」

 二階から声をかけられて、エルファは如雨露じょうろを物置に戻す。庭の手入れは、ハーブの専門家であるエルファの役目だ。

「女の子の支度は長いものだけど、普通は髪のセットとか化粧とかで長いものなのにね」

 と、二階の窓枠に頬杖ほおづえをついて笑っているのは、この店の若き料理長、ゼノンだ。のんびりとした見た目と性格だが、仕事の速さと正確さではエルファはとても敵わない。包丁を持たせれば計ったように均等に食材を切るし、盛りつければどの皿にも決められた量を正確に載せていく。独創性はあまりないが、安定した味を提供する、という点においては、他の料理人の追随ついずいを許さない。

「仕事で農園へ行くのに、格好で気張ってどうするんですか。必要な荷物は昨日まとめて、かばんの中に入れましたよ。完璧です」
「そうだけど、それでも気張るのが女の子だからさ。ま、面倒臭くなくていいけど。そろそろナジカが来る頃だし、切りをつけた方がいいよ。ナジカは時間に正確だから」
「時間に正確?」
「かなり正確な体内時計を持ってるな」
「腹時計でしょう、それ」

 これから合流する友人へ対するおかしな表現に、エルファは思わず笑った。

「それじゃ私もう行きます」
「ああ。今日は俺が留守番してるから、戸締まりとかは気にしなくていいからね」
「はぁい」

 エルファは厨房ちゅうぼうに置いた荷物を手に取ると、門の外にいる馬車へと走った。
 今日はレストランもティールームも休みだ。その休みを利用して、茶問屋ちゃどんやフレーメの代表であるカルパ自ら、郊外にあるフレーメ所有の農園を案内してくれる予定なのだ。


 仕入れの時にも使われる幌馬車ほろばしゃには、予想以上に多くの荷物が積んであった。これらはすべて農園で働く従業員への土産みやげらしい。エルファはその中の木箱に腰を下ろし、馬車の揺れに身を任せていた。明日の早朝には、この馬車にたっぷりの食材や加工品を積んで戻るのだ。

「今日は晴れてよかったな。ハニーも喜んでる」

 ナジカは馬車の脇で愛馬の背に揺られながら言う。ハニーとは彼の愛馬だ。名前の由来は蜂蜜はちみつみたいな色だったからだという。
 今回、エルファを農園に案内したらどうかと言ってくれたのは、このナジカである。
 いつも腹ぺこで、食べるのが好きで、特にお菓子を愛する十六歳の彼は、仕事以外の人生をほとんど食べ物のためについやしている。その食いしん坊ぶりは呆れを通り越して感心してしまうほどだ。
 警察機関である緑鎖りょくさに所属し、フレーメの従業員達とは子供の頃から親しくしているらしい。
 そしてエルファはその彼に、手作りの菓子を手ずから食べさせたという理由で、一目惚ひとめぼれならぬ一口惚ひとくちぼれされてしまった。以来ずっと口説くどかれているのだが、今はお友達としてお付き合いしている。
 エルファは彼が嫌いなわけではない。派手な装身具をたくさん身につけ、ややチャラそうな雰囲気があるとはいえ、顔立ちは整っているし、職業もしっかりしている。普通に考えればお付き合いする相手として問題ないのだろう。
 だが、エルファがクライトのスカウトを受け、遠路はるばるこの国にやってきたのは、婚約者に浮気されて結婚が破談になったからだ。まだそのショックから完全に立ち直っていないのに、口説かれたからさあ次の恋を、と割り切れるほどエルファは器用ではない。
 一方、お友達宣言されたナジカは、まったく落ち込むことなく、〝お友達〟として休みのたびに店にやってくる。仕事の休みもフレーメに合わせたらしくて、こうしてよくエルファを連れ出してくれるのだ。親切には感謝しているが、複雑な心境だ。
 そのナジカであるが、現在、やや崩し気味の私服を着て、大きなスカーフを巻き、すっと通った鼻筋や形の良い口元を隠している。以前はチャラチャラしているという印象だったが、最近ちょっとその印象が変わってきたことにエルファは気付いた。

「ナジカ、一つだけ忠告しておくが、その格好で夜歩いたら完全に強盗だからな」
「えっ!?」

 御者ぎょしゃをしている仕入れ担当のクライトが言うと、ナジカは驚いて声を上げた。
 そう、チャラい上に、なんだか犯罪者っぽいのだ。

「どこがっ!?」
「鏡を見ろ」

 クライトはやれやれと首を横に振った。
 ナジカの服装に関する感覚は、少しばかり周りとズレているらしい。装身具は、実は魔導具まどうぐとのことなので仕方ないのだろうが、その崩れた格好で口元を隠していると、本当に怪しい。
 実はスカーフは、彼がこの春から悩まされている枯草熱こそうねつ――牧草などの花粉によって風邪を引いた時のような症状が出るやまい――を抑えるための物なのだが、それを知っていても怪しく見える。

「そんな。イケてるって言われたのに」
「ベナンドさんの言葉を信じるな」

 クライトがナジカの上司の名を出して叱りつける。彼も格好よく緑鎖りょくさの制服を着崩していることが多いので、部下に近い趣味をしているのだろう。

「ベナンドさんじゃない、近所の子だよ」
「どうせベナンドさんみたいな奴だろ」

 そういえばナジカは近所の不良っぽい少年と、服装の件で意気投合していたことがある。ああいったことは日常茶飯事なのだろう。類は友を呼ぶと言うから。
 ナジカは何かぶつぶつ言っているが、スカーフでくぐもってよく聞こえない。

「今に始まったことじゃないから、エルファも気にしなくていい。そういう突っ込みはクライトやゼノンに任せとけばいいんだ」

 どう反応すべきかと迷うエルファに、一緒に馬車に乗っていたカルパが呆れ顔で言った。ちなみにゼノンは明日の仕込みのために店に残っている。日帰りするには厳しい距離なのだ。
 クライトはのんびりと景色を眺めながら言う。

「だけどよぉ、もし私服が原因で出世できないとかなったら笑うしかないな」
「はは。さすがに、私服が原因でってことはないだろ。全裸で街中まちなか歩いたとかならともかく。ああでも、本当に強盗と間違えられて問題を起こすとかはありそうだな」

 普段は経営者らしく落ち着きのあるカルパが、腹を抱えてゲラゲラと笑う。
 彼は他の従業員がいないせいか、普段よりも肩の力を抜いているようだ。いつもはかっちりしたスーツ姿だが、今日はシンプルなシャツ一枚とズボンである。それでも不思議と育ちが良さそうに見えるのは、整った顔立ちと姿勢の良さ、そしてどこか品のある振る舞いゆえだろう。彼やフレーメの仲間達は、財産をのこしてくれたフレーメという老紳士にマナーや教養をひと通り仕込まれたらしい。茶問屋ちゃどんややティールームの名はその老紳士からもらったのだという。
 ちなみに『ラフーア』は、エルファの名前であるエルファ・ラフア・レーネが元になっている。エルファはこの名を、ご先祖様の聖女ラファルタより継いだのだ。

「エルファ、うちの畑はもうすぐだ」

 カルパが声をかけてくる。馬車の中から見渡せば、豊かな農園風景が広がっていた。
 この辺りでは穀物ではなく、都で消費される日持ちしない野菜などが育てられているらしい。

「管理人をしている老夫婦はその畑の元々の持ち主で、俺達のじいさんの友人だったんだ」

 俺達のじいさん――つまりフレーメという老人の伝手つてなのだ。

「元々ってことは、そのご夫婦からカルパさんが土地を売ってもらったということですか?」
「ああ。そこの息子夫婦は畑には興味がないらしくて。老夫婦が言うには、自分達が死んだ後に売られるぐらいなら、今安く売ってやるって。その代わり管理は自分達に任せて従業員達はこっちの指示に従えってさ。うちの従業員は畑のことは何も知らないガキばっかだったから、使い物になるようにしてくれてありがたいよ」
「元気なご老人のお知り合いが多いんですね」
「元気すぎて周りは大変みたいだけどな。ま、このままずっと元気でいてもらわないと」

 カルパは風で乱れた髪を整えながら笑みを浮かべた。

「そうですね」

 お年寄りが生きがいを持って元気に暮らせるというのは素晴らしい。
 グラーゼで薬草魔女をしている曾祖母そうそぼを思い出して、少し故郷が恋しくなる。手紙が往復するのにも数週間かかる距離だし、届かないことだって多い。前にもらった手紙には、新しい弟子が出来そうだと書いてあったが、どうなっただろうか。
 妹弟子はどんな子で、何を贈ったら喜ぶだろうかと考える。この国のガラス製品はとても素敵だし実用的だが、割れ物は危険だ。それなら食べ物を贈りたいところだが、日持ちして珍しい食べ物というのもあまりない。

「どうした?」
「いえ、妹弟子に送るのに、うちの商品以外で日持ちして壊れない、気の利いた物はないかと」

 カルパは、食材の味を良くする不思議な魔力の持ち主だ。その魔力が染み込んで美味しくなったお茶が、フレーメの売りの一つである。ティールームで出すクッキーなどのお菓子も、確かな舌を持つ従業員によって作られ、安定の美味しさを誇っているので評判はいい。が、それらは既に、前回手紙と一緒に送ったのだ。もう妹弟子の口に入っている可能性がある。

「そりゃあ難しいな。大抵どれかに引っかかるしな」

 カルパはまたゲラゲラと笑った。

「うちの知り合いのじいさん達は食道楽が多いし、『フレーメ』の商品を送れば満足してくれるから楽だけどな」
「薬草魔女も大体そうなので、結局うちの商品しか思い付かないんですよね」
「喜ぶんならいいだろ」
「姉弟子からの荷物は見習い弟子の唯一の楽しみなんですよ。いつも似たり寄ったりだと、ねぇ」

 贈る物によって、姉弟子に対する印象はがらりと変わる。エルファも姉弟子は何人かいるが、一番好きだったのは、いつも違う種類の可愛らしいお菓子を手紙に添えていた姉弟子だ。そんな風に楽しみにしてくれていると思えば誇らしい気持ちになれる。
 妹弟子に素敵な姉弟子だと思われたいという見栄が、エルファの心の中で渦巻うずまいている。
 それを簡単に説明すると、聞いていた男達はまた笑った。

「女ってそういうの気にするよな」
「エルファちゃんも、そんな女の子同士の見栄の張り合いするんだ」
「そりゃあしますよ!」

 そう言ってクライトの背を軽く睨む。

「じゃあ、うちの商品の中でも特別な贈答品用のやつを送ったらどうだ?」
「贈答品用?」
「ゼルバ商会で、綺麗な食器とセットで高級品として売ってもらってるやつさ。直接送ってほしいと頼めば、割れ物でも大切に運んでくれる。見栄を張れて、実用的だ。エルファなら代金負けてもらえるだろうしな。夏の新作ですって一言添えて送れば、若い子は目を輝かせて喜ぶだろ」
「へぇ、それはいいですね」

『ラフーア』の出資者であり、内装から食器まで選んでくれたゼルバ商会の会長の娘、エノーラを思い出す。彼女のきらびやかな店で扱っているなら、食べるのがもったいないぐらい素敵な物に違いない。

「今度、エノーラさんに相談してみます」
「ああ。そういう見栄張りが大好きな人だから、きっといい提案をしてくれるさ。おっと、もうすぐ到着するぜ」

 クライトが振り返る。彼の指さした先には、塀に囲まれた大きな屋敷があった。


 屋敷の持ち主である老夫婦はエルファ達の馬車がやってくると、喜んで門の中に迎え入れてくれた。
 二人ともいかにも人が良さそうな風貌だった。それに、高齢のわりに背中はまっすぐ伸び、足取りもしっかりしていて、若々しく健勝な印象である。

「こんにちは、ジョズじいさん、ミゼルばあさん」

 馬車から降りたクライトが真っ先に走り寄って、夫人を抱擁ほうようした。

「まあまあ、よく来たわねぇ。相変わらずいい男だこと」
「ミゼルばあさんは相変わらず若々しいな。出会った頃とちっとも変わらねぇ」

 相変わらずクライトは調子のいいことを言う。しかしこれが彼の魅力だ。旅と美食が趣味だという彼は、仕入れに行く先々で生産者と親しく交流しながら商売をしているらしい。
 次にカルパが同じように挨拶して、ナジカも軽く会釈えしゃくをした。

「カルパまで来るなんて、珍しいわねぇ。狙われるからって、あまり遠出しないのに」

 カルパは大きな店の経営者で、しかも物の味を良くする能力を持っているため、得体の知れない連中によく狙われるのだそうだ。

「護衛としてナジカが付いてきてくれたからさ。それに今日は、薬草魔女を連れてきたんだ」
「そちらのお嬢さんね。噂通り、可愛らしいわねぇ」

 夫人が近づいてきたので、軽く抱き合う。彼女からは、果実のような甘い香りがした。

「初めまして、薬草魔女のエルファ・ラフア・レーネです」

 一歩離れてエルファは自己紹介をした。

「今日は畑を見せてもらいに来ました。よろしくお願いいたします」
「畑以外に何もないところですが、どうぞご覧ください。あと、うちの若い女の子が、相談があるみたいだから、後でよろしくお願いできるかしら」
「もちろん、喜んで」

 そういった子がいるというのは、前もってカルパから聞いていた。だから女性にありがちな悩みに効く薬草をいくつか持ってきている。大抵のことには対応できるはずだ。
 ほがらかにエルファ達と言葉を交わすミゼルに対し、夫のジョズは寡黙かもくたちなのか、無言で馬車をどこかに連れていった。ナジカの馬も、それに勝手についていく。

「……ナジカさんの馬、ずいぶんなついているんですね」
「そりゃ、育てたのがジョズじいさんだからな」
「ああ、それで」

 動物は素直だ。馬にとってはナジカよりも彼の方が上なのだろう。

「さて、見学は少し休憩してからにするか?」

 カルパの問いに、エルファは首を横に振った。

「私は座っていただけですので、いつでも構いませんよ」
「んじゃあ、案内ついでに農園の従業員を紹介していくな。ミゼルばあさん、エルファは勝手に俺が案内しておくからさ、今夜は何か美味い物作ってくれよぉ」

 クライトのおどけながらの懇願こんがんに、ミゼルは笑って答える。

「分かりましたよ。そう言われると思って、ちゃんと仕込んであるよ」
「そりゃあ楽しみだ」

 この中で最も舌が肥えているクライトが楽しみにするのだから、エルファも楽しみでならなかった。ナジカも今夜のごちそうを想像したのか、すっかり腑抜ふぬけた顔をしている。

「じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃい」

 ミゼルは首筋を左手できつつ、右手を振る。
 エルファはそんな彼女をわずかに振り返り、クライト達の後に続いた。


 ここの農園は、フレーメの系列店で使う野菜やハーブ、果物を扱っている。畑で作物を育てるだけでなく、屋敷の裏には他所よそから仕入れた茶葉や果物などを加工する作業場もあるそうだ。そうして出来た物を店で出したり、お菓子に使ったりするらしい。
 畑にはローズマリーにバジル、レモンバーム他、様々なハーブが茂っていた。隅には虫除けのワームウッドも植えられている。とても苦いが甘い香りがするため、リキュールの香り付けにも使われるハーブだ。

「あ、カルパさん」

 何かいていた麦藁帽子むぎわらぼうしの男性が、ふと顔を上げて手を振った。クライトよりも大柄で、ずいぶん日に焼けている。顔には傷があり、街中まちなかで見たら思わず避けてしまいそうな風貌の男性だった。

「何してるんだ?」
「ああ、虫除けの液を撒いてます。その子が、新しい料理人の子ですか?」
「ああ、そうだ。エルファだ。顔を覚えてくれ。覚えられるよな?」
「まあ、たぶん?」

 彼は草刈り用のかまを片手に、自信がなさそうに首を傾げた。

「努力はしてくれ。エルファ、あれはグローグ。この農園の従業員の代表。顔は怖いし、口は軽いし、マジで人の顔覚えないけど、土いじりは得意なんだ。だから忘れられても気にしないでくれ」

 クライトが念を押しつつ紹介する。よほど人の顔を覚えられないのだろう。次来た時に忘れられていても、気にしないように心がけようと思った。

「これからよろしくお願いします。エルファです。素晴らしい畑ですね」
「だろぉ」

 畑を褒めると、彼はでれっと笑った。子供におびえられるような顔をしているのだが、笑うと印象が変わる。顔はともかく、人は良さそうに見えた。

「でも、うねのところに雑草が生えてるぞ」

 カルパが畑を覗き込んで言う。エルファはくすりと笑って口を挟んだ。

「カルパさん、雑草という名の植物はありません。これはわざとですよ。作物が虫や病気に強くなるよう寄せ植えしてるんです」
「寄せ植え?」

 カルパは、畑に関してはグローグ達に任せっきりらしい。

共生きょうせい栽培さいばいって言って、相性の良い植物を配置を考えながら植えるんです。一緒に植えると病気になりにくくなったり、育ちが良くなったりするんですよ。作物にもよりますが、他にも、虫除けの効果がある植物を間に植える場合があります。例えばヒマワリで畑を囲むと、外から来る虫を引きつけてくれるのだとか」
「へぇ」

 カルパが感心したように頷いた。

「そうなんだ。畝のやつは育ちを良くするハーブ。ちなみに、これはニームの葉を煮出して作った虫除け。うちの商品、高級品として扱われがちだから虫食いとかには気を使ってるんだ」

 グローグはいている液についても教えてくれた。
 この農園には、薬草魔女が口を挟む余地は特にない。美味しい物を作る製造者カルパ達を支えるのは、それに相応ふさわしい作物を作る生産者ということだろう。

「へぇ。そんなのがあるんだな」
「ここの持ち主のカルパさんが感心してどうするんだよ」

 グローグは呆れたように言った。

「俺の持ち物じゃなくて、みんなの物だろ。俺は代表者なだけで、お前もうちの幹部の一人だってこと、忘れてるだろ」

 フレーメの幹部と呼ばれているのは、フレーメ氏に仕込まれて彼の遺産を相続し、最初に茶問屋ちゃどんや『フレーメ』を立ち上げた人達だ。

「だいたい、畑についてそんな細かいこと教えられたのは初めてなんだが」
「そりゃあ、カルパさんはれた作物にしか興味ねぇから、話したことねぇもん。クライトさんならともかくさ」
「べ、別に興味がないわけじゃ……」

 カルパは動揺を見せた。その様子を見て、クライトとナジカが腹を抱えて笑う。

「俺はまだこの作業が終わってないんで、また後で。これ以外の農作業はほとんど朝に片付けてるから、他の奴らはみんな作業場ですよ」

 収穫は朝にするものだ。特に夏なら、収穫以外の作業も涼しいうちに済ませてしまうのが望ましい。

「じゃあ、頑張ってくれ。土産みやげに菓子とか持ってきたから。エルファが作った新商品だ」
「おお」

 グローグは目を輝かせた。熊みたいな図体をしているが、フレーメの従業員らしく、菓子が好きなようだ。何故かナジカまで一緒に目を輝かせている。彼は店でちゃっかり試食済みなのに。

「今日のは余り物じゃなくて、お前らのために作ってくれた物だぜ」
「え、マジですか。珍しいこともあるもんだ」

 がははと笑うグローグに手を振って、奥の畑に移動した。


 この農園には、フレーメ用のハーブ園の他、果樹園に自家用の畑、牧場もあるようだ。
 果樹は柑橘類かんきつるい林檎りんごとプラムが植えられていた。これは昔からある木だそうだ。この木の花を使って、養蜂ようほうもしているという。フレーメの系列店では、料理によって数種類の蜂蜜はちみつを使い分けているが、ここの蜂蜜も使っているらしい。
 以前蜜蝋みつろうを購入しようとした時に、ここで作られた蜜蝋を分けてもらったことがある。普段は蝋燭ろうそくの材料にしているそうだが、蜜蝋は肌の保湿にもいいので、エルファはそれでクリームを作った。
 牧場ではナジカの馬が仲間達と走っていた。馬の他に山羊やぎなどもいる。

「馬を育てるのはじいさんの趣味なんだ。さすがにナジカの馬みたいなのは他にいないけどな」
「特別な子なんですか?」
「ナジカ、傀儡術かいらいじゅつだろ。あいつの場合それを応用して、遠く離れた相手でも心で呼びかけて連絡を取ったりできるんだ。同じようにして動物の心に呼びかけて、命令を聞かせやすくしてるらしい。それでハニーは他の馬よりも賢くなったんだ」
「へぇ」

 傀儡術とは、その名の通り、人や物を操る術の総称である。ナジカとゼノンは、手を触れずに物を動かすことが出来るとは聞いていたが、そんなことも可能なのか。
 エルファは感心して、馬を眺めるナジカを見た。彼は愛おしげな顔をしている。そしてスカーフの下でげほげほとき込んでいた。
 本来なら枯草熱こそうねつ持ちの彼は、牧草のある牧場に近寄るべきではない。今も辛いはずなのだが、それを忘れたかのように愛情のこもった穏やかな目をしていた。

「ナジカさん、本当に馬が好きなんですね。自分から牧草に近寄るなんて」

 街中まちなかでは草の多い場所を徹底的に避けている。馬の世話も、飼い葉をやるのは人に任せているらしい。それでもブラッシングは出来るだけ自分でしているんだとか。

「だって、馬は可愛いだろ。せっかく来たのに見ないなんて、俺には耐えられない」
「まあ、可愛いですが」

 ナジカの愛馬が彼を見つけて走り寄ってきた。彼にとっては我が子のように可愛いに違いない。

「そういやぁ、グラーゼのエルファん家は広いのに家畜はいなかったな」

 クライトが思い出したように言う。

「ええ、薬草園はそれほど家畜の力を必要としないんです。必要な時は、持っている人が貸してくれます。薬草魔女は地域の人に特に親切にしてもらえますから」

 少し離れたところに行く時は馬を借りたし、畑を耕す時には牛を借りた。

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