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1巻
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しおりを挟む「なるほど。それなら納得できます。そうと分かるほど強い魔力ってことですよね。珍しい。王室御用達どころか、王室付きの料理人にだってなれるでしょうに」
「孤児に仕事を与えるために店をやってるんだって。代表自身が、仲良くなった金持ちのおじいさんから遺産をもらっただけの孤児だったから」
そこから王室御用達になるなど、本当に色々な方面で素晴らしい才覚のある人物なのだろう。仕入れ人としてやって来たクライトの舌も確かだったから、嘘だと否定も出来ない。昨日はエルファが作った料理の材料も、的確に言い当てていた……ような覚えがある。
「でも、そんな珍しい力のことを人に話していいんですか?」
「国ではそういうのをまったく隠していないからねぇ。慈善家としても有名なんだよ。だから成金とか陰口を言う人はほとんどいないし、女性の心を掴んでるのは大きいよ。すごくいい男なんだ」
お菓子が好きという話から小太りな人を思い浮かべていたが、頭の中で細身に修正した。姿勢のいい初老の男性。シワを刻んだ目元が渋くて素敵。そんなイメージだ。クライトと商売を始めたのなら、初老ではなく中年かもしれない。しゅっとした体格の、渋みのある優しいおじさま。
「女の子の従業員も多いよ。むしろお店での接客や、裏方でお菓子を作っているのは女の子が多い。男は主に配達かな。郊外に農園も持ってるんだ」
「へぇ」
ゼノンの人の良さそうな笑みを見て、エルファは少し心が揺らいだ。
薬草魔女になって嫁ぎ先で働こうとしていたのだが、それが破談になった今、エルファの仕事は曾祖母の畑仕事の手伝いや雑用ばかりで、見習いの頃と変わらない。もちろんそれも楽しいのだが、こうして人に知識と技術を請われるのは悪い気がしなかった。しかも相手は味の違いがちゃんと分かる人達だ。
その時、玄関からカランカランとドアベルの鳴る音が聞こえた。少しして籠一杯のハーブを持った曾祖母とクライトが食堂に入ってくる。クライトは手だけでなく背中にも籠を背負わされていた。
「ゼノン、面白かったわぁ。初めて見るハーブとか、今まで知らなかった使い方とか教えてもらったぜ。すげぇ参考になった」
「良かったですねぇ」
クライトは土で顔を汚し、生き生きとしている。曾祖母は気に入った相手にしか仕事を手伝わせないが、こういう表情をされれば絆されるのも当然だ。彼は年寄りの扱いが上手い、仕入れ人に向いた性格なのだろう。
「エルファ、平気かい」
曾祖母が荷物を置きながらエルファに問いかける。
「平気ではないけど、起きられないほどではないです」
「そうかい。寝ててもいいんだよ」
曾祖母は湯を沸かし始めた。
「大丈夫です。吐き気は収まってきました」
けじめは大切だ。それに今寝るとまた嫌な夢を見そうだ。
「そうだエルファ、おまえフレーメに行くのかい?」
「おばあ様、フレーメを知っているんですか?」
「最近街でも人気だよ。何故か分からないけど美味しいって、大層な値段の茶が売られてる」
その何故かというのが、先ほど聞いた代表の力なのだろう。
「この人が仕入れてるなら確かな店だろうよ。雇用契約書もしっかりしたのを作ってくれたしね」
知らないうちに、そんな物を作っていたようだ。
「これこれ」
ゼノンは顔を輝かせて、流麗な筆跡で書かれた書類を見せてきた。給金についても詳しく書いてある。エルファは思ったよりも高い金額に驚いた。休日や勤務体制にも不安に思うような点はなく、条件が良すぎてかえって怪しく思えた。
「うちの新店は、ゼルバ商会が出資してくれているんだよ」
「ゼルバ商会って……宝石商の?」
宝石治療というものがある。力のある石を身につけることで、心を癒したり勇気をもらったりするのだ。これを始めたのもエルファの先祖だ。だから宝石商についても少しは知っているのだが、そうでない人が知っていてもおかしくないような、有名な高級ブランドである。
「この国では宝石を売ってるのかぁ。あそこは何でも売ってるよ。うちのお茶も卸してるし。美容関係、宝石関係に強いのは確かだけどねぇ」
曾祖母がゼノンの前にハーブティーを出し、彼は礼を言ってマグに口をつける。彼の幸せそうな表情を見ていると、エルファまで頬が緩みそうになる。それを横目に、クライトが話を続けた。
「俺達、あそこの創業者一族と親しくしてんだ。うちの代表が食材を美味しくする魔力持ちだってのは言ったっけ? ゼルバ商会の跡取りである奥様が、そういう特別なのが大好きなお人でさ」
「なるほど」
「ティールームもやってんだけど、そっちも安い店ではないし、客層は悪くない。いい学校に通ってる金持ちの学生とか、仕事の合間の勤め人とか、けっこう若い客が多いな。持ち帰りも出来るし。富裕層には茶と菓子を配達するサービスもしてんだ」
それは昨日聞いた気がする。飲み始めて大分経っていたけど、言われれば思い出せる。
「そんな金を持ってる人向けに、落ち着いた雰囲気で特別美味しい食事を提供する店を目指してんだ。だから出来るだけ知られていないような食材を使おうと思ってさ。外国人のエルファなら、俺達にとって珍しい食材も色々と知っているだろうし、昨日も初めての物がいくつかあったし。それにいつも食べてる物でも、効能を説明されながら食べるっていうのは、けっこう新鮮だった」
「なるほど」
薬草魔女はありふれた食材を日々の健康に役立てる。その説明をありがたがられているのは確かだ。
「それに現代料理の大本はこの国の料理だって聞いてる。それでいて、他国で美味しい料理があればどんどん取り入れていくって」
「ええ、そうですね。様々な料理があって、その調理法だけ、ソースの作り方だけという本もたくさんあります」
「うちの国にもあるぜ。というか、うちの国の料理は、グラーゼの影響を受けてるから、けっこう近いと思う。だから味覚の違いも少なそうだし、エルファの料理は俺の舌に合って美味かった」
国が違えば人々の味覚が違い、当然味の好みも違ってくる。そうなると自分が身につけた知識もそのままでは通用しなくなる。もちろん腕があるのだから、その国の味を学んで改良していけばいいのだが、味覚が合う国でならそれをする必要がない。
エルファはじっと契約書を見た。そしてちらりと曾祖母を見る。
「まあ、今日はゆっくり考えなさい。どうせ一日使い物にならなくなるのは分かっていたからね」
「うう」
エルファは痛む頭を抱えて、テーブルの上にあるフェンネルシードを口にする。これは口に入れるとすっとして、胃もたれにいいのだ。
「今日の仕事は、します。その前に、ビスケットを出さないと」
「んじゃあほら、準備はしたよ。やるんならおやり」
「ありがとう」
エルファは立ち上がり、煮出したハーブティーをマグに入れて、蓋のある木の器にビスケットを三枚入れる。それからパン粉を一つかみして勝手口から外に出た。ハーブティーと器を外のテーブルに載せて、パン粉は庭木の横に設置された台に置く。ついてきたゼノンが覗き込んで首を傾げた。
「それは?」
「妖精さんと鳥さんへ」
「おまえが出ていくとしたら、交換も終わりだねぇ」
曾祖母も勝手口のところからしみじみと言う。
「おばあさまは続けてくださらないの?」
「それが許されるのは無邪気な子供だけだよ。新しい弟子がこういうのを続けたい子とは限らないからねぇ」
エルファは置いたビスケットを見た。
グラーゼで妖精と呼ばれている存在はこのビスケットが好物で、見返りに珍しい薬草を置いていく。だが、新しい弟子が来たとしても、妖精が気を許すとは限らない。だから自分が出ていくまでの交流になるかもしれない。彼らは魔物の一種だから、本来なら関わらない方がいい存在だ。
まだ決めたわけではないが、もし出ていくなら、ビスケットをたっぷり焼いておこう。それを半分、ランネルへ持っていく。
料理はその地の水や素材で味が変わるため、同じ物を作ることは出来ない。だから、故郷の味を持っていくのだ。
第二話 初めての異国
カテロアを越えて、ランネルの都ルクラスまでやって来た。
エルファの住んでいた地方では、家は木の壁、萱葺き屋根が主だった。しかしここは、レンガを使った家が多い。ランネル国内でも途中までは萱葺き屋根の家があったし、地方によって様式が違うのが面白い。エルファは国を出るまでは恐る恐る、出てからは意外と開き直って旅を楽しんだ。
公園の横を通ると、噴水が見えて興奮した。グラーゼでは、都会でもこういった物は見られない。この国は水が豊かなようだ。水が豊かだと、育つ作物も美味しい。
公園近くの屋台でハムとチーズを包んだ平焼きパンを買ってもらい、小腹を満たす。パンが柔らかくて、甘さと塩加減が絶妙で美味しい。クライトが店主と知り合いのようだったから、よく買っているのだろう。彼がこうやって薦める物で、ハズレだった物は一つもない。ハズレを引いたのは、彼も初めて食べる場合だけだ。初めて見る食べ物は、とにかく一度食べてみるらしい。それだけ食べていてもよく動くから、ガッチリとした体型を維持していられるのだそうだ。
クライトの隣に座り、美味しい物を食べ、観光案内をしてもらいつつルクラスの街中を馬車でゆったり走るのは気持ちがよかった。
騙されているのではないかという不安もまだあったが、ここまでは二人とも紳士的に接してくれた。何かにつけて美味しい物を食べさせてもらえる、本当に楽しい旅だった。しかも道中の費用は全て出してもらえて、後で給料から引くようなこともないと言う。
「あら、クライトさん。お久し振りね。今回は何を仕入れていらしたの?」
馬車をゆっくり走らせていると、身なりのいい老婦人に声をかけられ、クライトは馬車を停めた。
「お久し振りです。今回はレストランの食材の仕入れと、料理人のスカウトをしてきました」
「ひょっとして、そちらの可愛らしいお嬢さん?」
「グラーゼの薬草魔女です。実りの聖女の子孫の」
「まあっ」
女性は驚いたように目を見開いた。
「詳しいことはまたそのうち。俺の独断で連れてきたんで、うちの代表はまだ知らないんですよ」
「あらまあ。じゃあ私はカルパさんよりも早く知ってしまったのね。ますます開店が楽しみだわ」
クライトは老婦人に手を振り、馬車を進める。
「今のはお茶のお得意さん。配達に行く従業員を可愛がってくれるし、いいお客さんなんだ」
「へぇ。上品で素敵な方ですね」
「配達のお得意様は上流か、中流階級でも上の方だから。横暴な客や若い子に手を出そうとする客は遠慮してもらってるしな。場末の酒場みたいに尻を触ってきたら、取引をお断りする。客を選ぶうちの店に断られるのって素行が悪いっていう証拠だから、けっこう恥なんだよ」
さすがは王室御用達だ。きっと接客する側にも品格が求められるのだろう。
しかしエルファは料理人として招かれたのだから、接客する機会は少ないはずだ。薬草魔女の役目は、相談を受けることであって接客とは少し違う。
だがそれでもドキドキしてしまう。初めての異国で、初めて師から離れて働くのだ。
馬車は再び動き出し、次第に通りから外れて裏の方に行く。その道程でも二人は知り合いと挨拶を交わす。裕福そうな人から、あまり裕福そうではない人まで幅広い交友があるようだ。
石の橋を渡り川沿いを進む。しばらく行くとさらに狭い路地に入り、馬車が速度を落とした。
「着いた、俺達の本社はここ!」
クライトは壁に落書きのある古いアパートを指差した。王室御用達という言葉の印象からはかけ離れた外観に、エルファは戸惑いを覚えた。心配するエルファにゼノンが言う。
「見た目はアレだけど、中は綺麗だよ。中にけっこう高い物が入ってるから、あんまり金持ちに見えないように外は汚くしてるんだって」
「た……高い物ですか?」
納得できるような、できないような理由に、エルファは首を傾げる。
「今はないけど超超高級ティーセットとかさぁ。確か君の国の一番有名なメーカーのアンティークのやつとかもあったよ。俺は怖くて触れないけどねぇ」
エルファは自国の高級食器の値段を思い起こし、頭を抱えた。
「そ、そんな物がこんな所に!?」
「今は安全なところに飾ってもらってるから大丈夫。家にあったら怖くて近寄れないもん」
ゼノンののんびりした様子を見て、エルファは胸を撫で下ろす。
そうこうしているうちに、アパートの前に馬車が停まった。すると二階の窓が開き、男性が顔を出す。
「あ、クライトさんが帰ってきたぞ!」
男性が声を上げると、すぐに中からわらわらと人が出てきて馬車を囲んだ。
「お酒仕入れられっ……誰っ!?」
彼らはエルファを見てクライトに問う。男性が多いが、中には女性もいてほっとする。全体的に若い人ばかりで、特に十代の少年少女が多かった。
「料理人としてスカウトしてきた、薬草魔女のエルファだ!」
「薬草魔女……って、え、なんでっ!?」
「詳しい話は後々。さっさと荷物を地下室に運べ。酒は無事に仕入れられたから安心しろ!」
「はーい」
皆は返事をすると、ゼノンの魔術で冷やされた荷馬車から、次々と荷物を運び出す。
「常温の所に苗があるけど、なんすか」
「こっちの方では珍しいハーブとか。仕入れに行くより増やした方が早いって、苗と種を色々分けてもらったんだ。植え替えするから、誰か鉢と土の手配を。枯らすなよ。あとトランクはエルファの私物だから開けんなよ」
皆、クライトの指示でテキパキと動く。子供達に仕事を与えていると言っていたが、本当だと分かって少しほっとした。
「エルファ、ここは任せて中に入ろうぜ。案内してやる」
クライトに手を貸してもらい、エルファは馬車から降りた。
アパートの中に入ると、思ったより──どころか思ったのとはまったく違って、驚くほど綺麗だった。壁は汚れていないし、床はワックスがかけられて艶がある。当然ゴミなどなく、埃も積もっていない。
「あ、おい、空き部屋ってどこだっけ?」
エルファのトランクを軽々と持ちながらクライトは近くの少年に問う。
「三階の三号室。結婚して出て行った奴の部屋」
「そか、ありがとよ」
クライトはトランクを担いで階段を上る。
「結婚したら出て行くんですか?」
エルファは後ろを歩いていたゼノンに尋ねた。
「うーん、決まりっていうか、狭いし壁が薄いからねぇ。大きな独り言だと隣に聞こえるぐらい。さすがに夫婦じゃねぇ……」
ゼノンが言いにくそうに説明する。エルファはそれ以上追及せずクライトを追った。
三階まで上り、南向きの部屋に通された。言うだけあり本当に狭い。ベッドにクローゼット、机と椅子が置いてあり、これ以上の家具は置けそうになかった。だけど一人ならこれで十分だ。
「素敵なお部屋ですね。家具もしっかりした物ですし」
「でも狭いだろ。もう一つ社員用の物件があんだが、あっちは二人部屋でもっと狭い。こっちは独身で、フレーメの中でもそれなりの要職にある人が多いな。地下には大切な倉庫もあるしよ。新店の二階が空く予定だから、そこを従業員用にする予定なんだ。最終的にエルファはそっちに移ってもらうけど、それまではここで仮住まいしてほしい」
クライトは荷物を置いて、窓を開けながら言った。
「そうですか。都会だと家賃も高そうなのでありがたいですね」
エルファのいた田舎とは比べものにならないぐらい高いのだろう。
「調理器具とかは調理場に置いてもいいぜ。これから色々試しに作ってもらわなきゃならんし。見慣れない他人の物は使わないって決まりがあるから勝手に使われることもないし、安心しろ」
「それはありがたいです」
クライトが部屋を出て行ったので、エルファは窓の外を見た。先ほど通った路地だ。建物の中は綺麗だが、外はやはり綺麗とは言えない。見ているとゼノンが声をかけてくる。
「外に出る時は誰かに声をかけてね。昼間はまず大丈夫だけど、夜は物盗りが多いんだって」
「そうなんですか。恐いですね」
「都会だからねぇ、変な奴が外から入ってくるんだよ。ちょっと前まではもう少し治安も良かったのに、迷惑な話だよ。友達に何人か緑鎖で働いてる奴がいるんだけど、夜警が増えて大変なんだって」
ゼノンはエルファの後ろから窓の外を見つつ、あまり大変そうではなさそうな口調で言う。
「緑鎖?」
「ああ。正式には『緑鎖の騎士団』っていって、この国の警察機関のことだよ。名前の通り昔は本当に騎士団だったけど、今は警察になってる。見かけたら教えるよ。制服だけでも知っておいた方がいいからね」
ゼノンは窓を離れて振り返った。入り口でクライトがバケツとモップを手にして立っている。
「簡単に掃除だけしちまおう。シーツはその後で運ばせる。荷物の整理はその後な」
「ありがとうございます」
エルファはモップを受け取って礼を言う。
「ゼノンは夕食の準備を。エルファに最高のランネル料理をご馳走してやれ」
「えぇ? 何の準備もしてないのに。いい食材あるかなぁ」
ゼノンは頭を掻きながら、ブツブツ言って部屋を出た。
「俺は仕入れた荷物の方を見てくるから。後で手伝いを寄越すよ」
「いえ、必要ありませんよ。荷物もそんなにないですし」
「そりゃそうか。じゃあ、シーツと毛布を持ってこさせるよ」
そう言ってクライトは部屋を出て行く。一人になったエルファは、もう一度外を見た。
身体を乗り出して見回せば、先ほど越えてきた川が見えた。川と言っても、あまり綺麗な川ではなかったから、あそこで洗濯をする気にはならない。下を見ると、エルファが乗ってきた馬車と騒ぐ若者達がいた。道ばたに茂っている雑草が風に揺れている。その中に咲く可憐な花に蝶が留まる。
向かいの家の屋根には、可愛らしい二羽の小鳥が留まっていた。古くなったビスケットをあげようかと思ったが、ここは田舎ではないから、下手に餌などやって鳥が集まるようになれば糞害が出るかもしれない。都会では田舎と同じことをすると迷惑をかける場合が多いと本で読んだ。田舎の常識は都会では非常識にもなりうるのだと、肝に銘じなければ。
「さて、お掃除お掃除」
とはいっても元々綺麗に片付けてあるので、簡単な掃き掃除と拭き掃除で十分だが。
夕食はご馳走らしいから楽しみだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
夜、食堂に案内されて少し驚いた。予告されていたので少しで済んだが、いきなり見たら狼狽えただろう。食堂の調度品はゼノンの言った通り、どれも高そうなアンティークだった。食器が飾られている重厚なカップボードに、繊細な彫刻が施された脚を持つテーブル。
その部屋にはクライトと、馬車を降りた時に見た若者数人を含む男女、全部で十名ほどが席に着いていた。その中でも上座に座っている青年は、整った顔立ちをしているが何とも言えない鋭い雰囲気があり、まるでどこかの組織の若頭といったところだ。
青年は立ち上がり笑みを浮かべる。そうすると直前の印象が和らいで優しそうに見えた。年の頃は二十代半ばくらいだろう。
「初めましてお嬢さん。俺がフレーメの代表、カルパだ」
エルファは驚いて変な声を上げそうになった。
彼はクライトよりも年下に見えるのだ。人は見た目では判断できないから、ひょっとしたら彼の方がずっと年上なのかもしれない。いや、そう考えても若すぎる。
「は……初めまして、薬草魔女のエルファ・ラフア・レーネともうします」
勝手に初老だの中年だのと想像していたエルファは、ドキドキしながら挨拶した。そんなエルファを見て、クライトはくすりと笑う。
「若くて驚いたろ? 王室御用達って言葉だけで想像してる人は、カルパを見ると驚くんだ。フレーメは俺達がまだエルファぐらいの歳から始めた商売だから、従業員も全体的に若い」
「そ、そうなんですか」
エルファぐらいの頃から始めたのなら、少なくとも十年は商売を続けているのだろう。
組織を急成長させるには、一人の天才がいれば可能だと聞いたことがある。重要なのは、その天才がいなくなった時に組織を維持できるかどうかだと言う。だから彼らは、天才である彼をあえて引っ込めたのだろう。
続いて、控えていた人達も紹介してもらった。皆それぞれ何らかの責任者で、新しい料理人となるエルファへの挨拶と、仕入れた商品の試食会をしに来たらしい。
「とにかく座ってくれ。食べながら話そうか。ついでに料理の感想を聞かせてくれると嬉しい」
カルパが席を勧めると、クライトが椅子を引いてくれた。
「エルファ、酒は飲むか? うちの国のワインだ」
「はい、いただきます」
クライトの誘いに、エルファは咄嗟に頷いた。同時に先日、彼らの前でみっともなく酔っ払い、身の上話までしてしまったのを思い出して、頬が赤くなった。今日は味を見る程度にとどめ、飲みすぎないようにしなければならない。
「前菜をお持ちいたしました」
黒いエプロンと白い三角巾を身につけた女性がテーブルに皿を置く。この料理を一緒に食べるのは、エルファの他はカルパとクライトだけのようだ。他の人達には違う料理が運ばれている。
皿には頭の付いたエビが盛られていた。飾りにハーブのディルが添えてある。
「エビ食べたいって言ってたろ。たまたまあったらしくて、ゼノンがこれは特別だとさ」
クライトは皿を示しながら言った。
「ゼノンさん、覚えていてくださったんですね。嬉しい!」
エルファはナイフとフォークを手に取った。
胴体の殻は剥いてあったので、頭を切り離して食べる。エビそのものも美味しいが、ソースが本当に美味しい。決して濃くはないのに、エビの出汁と柑橘類の酸味、そして程よい香辛料が利いている。
「おおお、おいしいっ! ぷりっとしてて、うま味が口の中に広がる!」
「でしょ。エルファちゃんとこは海産物なんてほとんど流通してないみたいだから、シンプルにしてみたんだ」
厨房から出てきたゼノンが、楽しげに言う。彼も三角巾と白いエプロンを身につけ、その下には昼間とは違う白いシャツを着ていた。
「はい、干しエビはありますが、こんな美味しいエビは入ってきません。ああ、これならいくらでも食べられますね」
ワインにも合う。こんな物を食べさせてもらえるなんて幸せだ。
「付け合わせのディルもいいですね。ディルは胃腸にいいんですよ」
「そうなの?」
「ええ。何気なく使っている食材だって、薬になるんです。だって毎日パンしか食べていなかったら、身体に必要な栄養が足りなくて、身体を壊すでしょう? レモンを食べると肌が綺麗になるとか、身近にあって身体にもいい食べ物は、誰だって一つぐらい知っていると思います」
「ああ、確かに。レモンは肌にいいって言うよね」
エルファは皿の上の物を綺麗に食べた。美味しくて美味しくて、まったく足りない。
「エルファちゃんは本当に美味しそうに食べるよね」
「美味しそうに食べるのは、美味しい物と、美味しい物を作ってくれた人に対する感謝ですから」
それを聞いたゼノンは笑いながら厨房に戻った。
次に出てきたのは、文句なしに美味しい空豆のポタージュ。
「ブイヨンがしっかりしてるから、空豆の甘味が引き立っていますね。空豆は世界最古の農作物の一つと言われていて、女性の多くの悩みを解決し、心臓などの臓器にもいいんですよ」
「空豆にまで効能があるのか」
クライトが驚いたように言う。
「当然です。何の効能もない食べ物の方が少ないんですから。何の変哲もないパンだって、身体を動かすための活力になりますし、特に全粒粉だと白いパンにはない効能があります。お金持ちの女性でも、お通じが悪ければ普段から全粒粉のパンを食べたりするものです」
「へぇ。そうなんだ」
クライトは頷いた。
グラーゼと似たような食文化の国では大抵、裕福な家庭ほど余計な物を取り除いた白い小麦のパンを食べる。ふすまの入った黒くて硬いパンは貧民のパンであると言い、裕福な人達は見栄のためにそれを避けるのだ。白いパンの方が柔らかくて美味しいのは事実だが、捨ててしまう部分にはとても良い効能がある。それを知っている人は、客には出さなくとも自らは身体のために食べていることもあるくらいだ。
だがこの国のように豊かなところに暮らし、かつ全粒粉のパンを食べる機会が少ない階級だと、そういう効能があることを知らない人も多い。ここでも、パンとはふっくらと柔らかい物がいいとされているようだから。グラーゼでも、薬草魔女のおかげで全粒粉の良さは知られるようになったが、それでも白いパンの方が美味しいからと好まれる。
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