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8巻
8-3
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グラもグラだ。婚約しているというのに、その自覚が全くない。そろそろ結婚しないと嫁き遅れだ。
だいたいグラは姫のくせに自由すぎるのだ。今だってニースがいるとはいえ、王族の姫が護衛もつけずに外に出るなど異様だ。いや、ニースがいなければ一人で出かけただろう。
腹違いの妹パレシアならありえない。僕も大概自由にしていると思うが、男だからまだいいのだ。変装すれば気付かれないしな。
現在、グラはひたすら展示品を眺めている。他国から集めた逸品揃いであるせいか、まるで菓子を前にした子どものような目をしている。ニースはそんな童心に返ったグラを眺めつつ、鼻の下を伸ばさないようにしかめっ面をして、時折頬を痙攣させていた。
これだけであんなに嬉しそうにするとは、だから女共に程度が低いと言われるのだ……
しかしニースの好意を知らなければ、ただただ不気味である。
幸いにもグラは熱心に展示品を見ているから、彼の表情に気付いていない。そしてその熱心さのおかげで、僕らも前に進めない。まあ他の客からは不審に思われても、前の二人に気付かれなければいいのだが。
「ねえ、私とセルって来る必要あったのかしら?」
少し離れたところで何かをじっと見ているふりをしているカリンが、隣に並ぶセルに尋ねた。
「僕は面白いから来たかいがあるよ」
そういえば、セルがルゼと友人になったのも、気が合う、面白い、というような理由だったな。
「私はつまらないわ。あの二人はあんな調子だし、ただの古い腕輪を見てもねぇ」
「まあ、歴史があるって物だけで、綺麗な物はあんまりないもんねぇ。グラ姉さんも趣味が偏ってるから、自分の好きな物だけ見て足が進まないし」
女傑然としたカリンでも、趣味は普通の女だ。見ていてつまらないだろう。
「というか、どうして私と一緒に来たのがセルなの? あなた、あそこにいるヘタレ男の友人に似てるし、この顔が二つあったら目立つでしょう。別の人が来た方が怪しまれなかったんじゃない?」
……ヘタレ男の友人とは僕のことか。
ルゼは今、傀儡術でニース達の動きを窺っているので愚痴れない。
ルゼの傀儡術は物を動かすだけでなく、探査にも応用できる。目に見えない糸を伸ばして探る感覚らしい。便利だが、集中力が必要なので邪魔できない。まあこいつの場合、雑談しながらでも出来るだろうが、わざわざ話しかけて妨害するような用でもない。
だが、何と言うか……暇だ。僕は魔術師だが研究者ではないから、こういうのを見ても心が動かない。使える道具なら欲しいと思うが、ただ見るだけというのは……。きっとカリンもこんな気持ちで愚痴ったのだろう。
「しかし、意外と人が来るな」
僕はこちらをちらちらと見てくる他の客を横目で見た。
魔術師でなくても、こういう物に興味がある者は多いらしく、そこそこ人が入っている。やはり微動だにしない客は珍しいのか、たまにじろじろ見られる。まさか、僕が王子でルゼが女聖騎士だとは気付いていないだろうが。
この気まずいデートはいつ終わるのだろうか……。グラは無言だわ、ニースはむっつりしているわで進展はないし、これではデートが成り立たない。
形だけなら僕らも立派にデートなのだが、出来ることなら僕はもう少し普通のデートがしたかったな……
双子の妹と友人はようやく美術館から出ると、どういうわけか公園にやってきた。
ニースが誘ったのだろう。やれば出来るじゃないか。てっきりそのまま帰ると思っていたから、大した進歩だ。これもウィシュニアのおかげだろうか。あのニースがここまで成長するとは……
既に日が傾いていて、公園内に人は少なかった。
二人は店じまいしようとしていた露店で何かを買い、そのままさらに人気のない場所に向かう。グラは人気のない場所の方が好きだから、何の疑いも持っていないだろう。木陰に隠れながら僕達も後を追う。
「告白でもする気でしょうか?」
ルゼが胡散臭そうに言う。
「あのヘタレに出来るのかしら?」
「その気があっても、実行力がなきゃねぇ……」
どうやら、女達は全く期待していないらしい。カリンなどずっと呼び方がヘタレになっている。
いつぞやと同じように、二人はベンチに腰掛けた。そしていつぞや見た時と同じように、ニースはグラの肩に手を置くのを躊躇って、先ほど買った物にかじりつく。
肩ぐらい抱け。いいから抱け! 諦めるな! ただその手を置くだけだ!
ああ、既に満足そうな顔をしている……。ただ並んで座っているだけなのに。
ルゼは今まで何度も繰り返されたヘタレな光景を眺め、ただただ呆れていた。僕が肩を抱くと身をよじるくせに。
「ギル様、ニース様って童貞ですか」
ふと、様子を見ていたルゼがぽつりと言った。その手の話題は口にするのすら躊躇う、どちらかと言えば奥手なルゼの口から、そんな下品な言葉が出ようとは。
「な……何でいきなりそんなことを……」
僕は動揺で声が震えた。
「ギル様がグレた時色んな経験をしたのは知ってますけど、ニース様の話は聞いたことがないので」
「そ……そんなことを聞いたって、答えると思うのか?」
肯定も否定もニースの擁護になる気がしなかった。
「殿下、ルゼにそのような話を? 馬鹿ですか?」
カリンが冷え冷えとした目で僕を見るので、声を抑えつつも言い返す。
「ルーフェスにだ、ルーフェス! 僕がこいつにそんな話をするはずがないだろう!?」
その当時のルーフェスが、変装していたルゼなのだが。
ああ、僕は何でそんな余計なことを話したんだ! だが、話したのは最低限だったはずだ。それでも変態のような扱いを受けている気がするが、あれぐらいなら普通だ。いや、待て、僕はどこまで話した? 覚えがない。
それはともかくどうするべきか。何か言い訳すべきか。
「兄さん、余計なことは言わない方がいいよ。言い訳すればするほど泥沼に嵌まり込むから」
セルが混乱する僕に忠告した。そう、昔の男女の話はしないのが一番だ。なのにセルは変な風に続けてくる。
「たまに言わないせいで拗れることもあるけど」
「たまに?」
「実は子供がいたとか」
「そんなのといっしょにするな」
いるはずがないだろう。もし子供がいたら隠すことなく溺愛している自信があるぞ。
「たまにいるんだよ。女性の選り好みが激しいギル兄さんには、心当たりがほとんどないだろうからいいけど」
「だから、少しはあるようなことを言うな」
しかも気難しい婚約者の前で。この女なら、僕に隠し子がいたとしても全く気にしそうにないが。そう思うとさすがに切ない……
「僕は浮気は絶対にしないからな。ああいうのは虫酸が走る」
「兄さん知ってる? こそこそ浮気をする男って、何故かそう宣言する人が多いんだよ」
「セル、僕に恨みでもあるのか?」
「事実を言ってるだけだよ。本当に多いんだ。犯罪者にも言えることだよ。ある犯罪を嫌悪感丸出しで排除しようとした人が、実はその犯罪に手を染めていたって。自分が疑われないように、自分以外の犯人を生贄にしているんだよ」
「お前、その歳で何を悟ったようなことを……」
「医者も学生も聖職者も、色々とドロドロが見られて面白いんだよ。女の子の前で話せるような内容じゃないけどね」
悪趣味な奴だとは知っていたが、本気で悪趣味な奴だった。
「声高に綺麗事を言う奴ほど怪しいのはよく分かるが、僕は違うだろう。親の轍を踏むつもりはないぞ」
「まあ、親が嫌だっていうのはよく分かるけどね」
母も嫌いだが、面食いで女癖の悪い父も嫌いなのだ。
僕は、腹違いの兄弟が今の倍ぐらいいても驚きはしない。あの性格のせいで、今や父の周囲には女性の使用人がほとんどおらず、いても父の好みではない女性だけなのだ。そのように仕向けた点だけは母を評価している。
そんな環境で育ったから、家族仲のいいオブゼーク家の人間や、一途な従騎士達を見ていると落ち着くのだ。
「でも、そういう人ほど親に似るんだ」
「お前はそんなに僕を浮気者に仕立て上げたいのか?」
「一般論だよ、一般論」
セルは僕の反応が楽しいのかケラケラと笑った。ああ、我が従弟ながら何て性格が悪いんだろう。
「むっ、静かに」
ルゼに叱られ、僕らは妹と友人に視線を戻した。
その瞬間、ずっと宙に浮いていたニースの手が、グラの肩に置かれた。
「ついにっ」
前回、これすら出来ず諦めたのを目の当たりにしていたルゼは、その精一杯の勇気ある行動に感極まり、拳を握りしめた。
「ニース様、成長なさいましたね」
「……あれで、成長ねぇ……」
呆れたように言うセルと、その隣で同じく呆れ顔をしているカリン。
「今まであれすら出来なかったの!」
本当に微々たる成長ではある。しかし、ニース的には大きな成長だ。ルゼの言う通り、あれすら出来なかったのだから。
「嫌がられているわよ」
カリンが指摘する。
本当だ。手を払われて揉め出した。
「何よ暑苦しい」
「う、うるさい。黙れっ」
これだからダメ男は、と言いたげな視線を向ける女二人。僕も同意せざるを得ない。
黙れはないだろう、黙れは。僕もルゼによく言うが、時と場合は選んで言っている。
「ニース、どうしたの。あなた変よ。いつも変だけど今日は余計に」
グラは不気味そうにニースを見上げた。まあ、不気味に思うのも仕方がない。
「ど、どこが変だと言うんだっ!?」
「急に教養がないのを自覚して美術館に行きたいなんて言ったりして、おかしいでしょう。それに誘うなら身近にいるカリンにすれば良かったんじゃないの?」
カリンの名が出たのは、彼女に特定の相手がいないからだろう。当のカリンはそれを聞いた瞬間、あからさまに顔を歪めた。そんなにニースが嫌なのか。
「カリンには、セルがいるだろう」
「え、あの二人、もうそんな仲なの?」
「そうではないが、よく一緒にいるぞ。カリンもセルの顔は好みだろうしな」
怒鳴り出さんばかりのカリンの口をルゼが塞いで押さえ込む。さらに近くにいた鳥に視線を向け、おそらく傀儡術を使って蹴散らしたのだろう、飛び立つ羽音でこちらの気配を誤魔化した。
いつもならこれでも誤魔化せないだろうが、注意散漫な今のニースには十分だった。何とか話を戻そうと必死になっている。
一方こちらではセルがふくれっ面をしていた。
「そんなに僕と噂されて嫌なんだ。傷つくな。繊細な年下の男の子に対してひどいよ」
「私、その顔はどちらかというと嫌いなのよ」
「へぇ、嫌いなんだ。てっきりこの手の顔は好きなんだと思ってたよ」
セルの顔が嫌い。それはつまり僕の顔が嫌いということだ。
好かれているとは思っていなかったが、まさか顔まで嫌われていようとは……
「ギル様、落ち込まないで下さい。本気で嫌われないだけマシだと思うんです」
まあ、そうなのだが……大嫌いと言われなかっただけ良しとするか。しかし女というのは……
「だいたい、お前は、お前は……そのっ」
ニースの方はまだ迷走している。思い切って告白してしまえばいいのに。
「私は?」
「お前は……いや私に、お前以外を誘うなんて選択肢はない!」
ん、少しはマシな発言をしたな。
「…………」
普通の女なら、どぎまぎする要素のある台詞なのだが、グラは哀れむような目をニースに向けた。
やはりグラには通じなかったか。相手の目を見て言ったなら通じたかもしれないが、それは仕方ないのかもしれない。ニースにそこまで求めるのは酷だろう。
「あなた、ギル以外に友達がいないの?」
「は!?」
どぎまぎするどころか、何か勘違いが発生していた。酷だが、目を合わせて言わなければならなかったようである。
「し、失礼な。友人はいるし、だいたい今は関係ないだろう!」
「友人って、ギルの手下達?」
グラは火矢の会をそんな風に思っていたのか。僕もあの連中以外でニースと親しくしている友達は知らないが。
「ほんと、ギルべったりねぇ」
「火矢の会の者達は彼らが祖父に師事していた頃からの私の友人だ! ギルの交友関係と被っているのは、あいつも祖父に師事したからであって、先に友人になったのは私だ! それに職場も同じだから、交友関係が被るのは仕方がないだろう!」
その通りだ。僕は魔術も習っていた分ニースよりは交友範囲が広いが、それでも本当に気が置けないのは、火矢の会の皆だ。彼らには幼い頃から可愛がってもらっていた。実の兄よりもよほど兄のように接してくれた、尊敬できる人々だ。
などと思い出に浸っていると、二人の口論は白熱していた。
「お前はどうしてここまで言っても分からないんだ!?」
ニースが一方的に白熱していると言うのが正しいのか。
「ニース様、いつ分かるようなことを言ったつもりなのかしら?」
当然の疑問を口にするカリン。
「心の叫びと、口にしたことが曖昧になっているのかも?」
セルがずいぶんとひどい、しかし納得できる理由を挙げた。
「アレで察することが出来る恋愛脳を持ってたら、姫様はとっくに女の幸せを手に入れてるよね。私なら、何か裏があるんじゃないかって疑うな」
ルゼもまた辛辣なことを言う。ウィシュニアの乙女心を少しは見習え。
「確かに。姫様はエディアニース様に嫌われてると思い込んでるから、裏があると思っているに違いないわ」
ルゼとカリンは頷き合う。相変わらず容赦のない。
「君らはもう少し、その恋愛脳とやらを発達させた方がいいよ」
さすがに呆れてセルが言う。
「その必要性は感じないわ」
カリンはほんの少しぐらい、昔の自分を取り戻してもいいと思う。ルゼも色々とひどいが、それなりに可愛いところがあるからいい。だがカリンの可愛げはどこに行ってしまったのやら。
「いいから、分かれ!」
またニースが無理難題をグラに押し付けている。
ニースはまず、グラに対して穏やかに話しかけるところから始めるべきだろう。だが、それが出来れば苦労はしていない。
そう思った瞬間、ニースが動いた。
グラの顔をがしりとわし掴みにしたのだ。
「な、何よ!?」
「言っても分からないなら――」
ニースはグラの顔に唇を寄せ――
ごっ!
頭突きをされたグラは昏倒した。
一瞬でもキスをするんじゃないかと期待した僕が馬鹿だった。
ルゼが頭を抱えたかと思うと木陰から飛び出していく。
もうなるようになれ。ここまで来ると、僕にはどうしようもない。
僕とルゼが、グラを部屋まで送り届けて聖騎士の宿舎に戻ってくると、ニースは食堂でヤケ酒を飲んでいた。
「あ、ルゼ。姉さんはどうだった?」
一緒に飲んでいたセルが、顔を上げて尋ねた。ニースと一緒に飲んでいた非番の聖騎士達も、こちらを見てもの言いたげな顔をした。珍しくエリネ様も侍女達を連れてこちらにいらした。慰めてくれているようだ。
「混乱されていました。なので、ニース様は最近風邪ぎみで、早く治すために飲んだ薬が体質に合わず錯乱していたんだろうと誤魔化しておきました」
「なるほど、それなら奇行を誤魔化せる!」
ルゼの答えにハワーズが手を打って大袈裟に感心した。
ルゼが咄嗟に口から出任せを言うと、グラは疑いもしなかった。それだけの奇行だったから仕方がない。
「セルがニース様に人体実験なんてしていないか心配だって言ってたけど」
「僕っ!?」
他人事のようにへらへらしていたセルが、さすがに跳び上がるように立ち上がった。
「あれだけの奇行だから仕方がないわ」
つまみを運んでいたカリンも言う。それにウィシュニアが続いた。
「私もいきなり頭突きをされたら、嫌がらせか変な薬を飲んだのだと思いますわ。まさかキスをしようとして、うっかり頭突きする方がいらっしゃるなんて……」
まあ、嫌がらせか薬かで言えば、薬説の方を信じるだろう。
「ルゼさんよりひでぇよな。キスしようとした側が暴走するなんて」
ハワーズがけらけらと笑う。
「ほんとです。ニース様、このままじゃハワーズ並みですよ」
「なっ!?」
ルゼが言うと、ニースは驚いたように声を上げた。だが、ニースが反論する前にハワーズが立ち上がる。
「俺は頭突きなんてしないから、それに関しては上だろ! 女の子には優しくするぜ!」
「なっ!?」
ニースはさらに驚いている。自覚がないらしい。その様子を見て、皆はため息をついた。
「……ニース様、これに関してだけは、ハワーズの方がまだ信頼できます。この人は可愛い子なら見境がないというのはありますが、素直に自分の気持ちを押し付けますから。もちろん頭突きもしません」
「くっ……」
残念だが、その通りだ。
「とにかく、次は頃合いを見て、今回のお詫びと称して美味しい物を食べに行くっていうのはどうでしょうか」
「なるほど。それなら自然だ!」
ハワーズがまた手を打った。
「う、上手くいくだろうか?」
「殊勝に、本当に悪かったと。薬などに負けた自分が恥ずかしいって感じで、少し弱味を見せるんです。心から反省していると態度で示して下さい」
不安そうなニースに、ルゼは指を突きつけて言った。
「弱味を見せる……?」
「ニース様の弱った姿なんて姫様は見たことがないでしょうから、優しくしてくれると思います」
今現在珍しく心配しているぐらいだし、優しくはしてくれるだろう。色んな意味で。
「コツは優しさに付け入ることです」
「それが出来れば頭突きしないと思うんだけど」
セルが冷静に指摘すると、ルゼはため息をついて僕を見る。
「ギル様、どうしてニース様をこんなに嘘のつけない人に育てたんです?」
「僕は育てた覚えはない! それに、ここまでひどいのはグラ限定だ。人並みに嘘はつけるぞ」
ルゼは考え込むように目を伏せ、やがて顔を上げた。
「いっそ、傀儡術師達に素直になる暗示をかけてもらうとか」
「出来るのかそんなの」
「好きな物をもっと好きにさせることは出来るらしいので、可能性はあるかと。少なくとも、暴言を吐いたり、頭突きをしたりしなければいいんですから、それぐらいなら大丈夫でしょう。ニース様はそういうのがかかりやすそうですし」
そんな低い志か……
「だが、反省を見せるにはちょうどいいかもしれないな。また傀儡術師達の所に行くか」
ついでに僕とルゼはその帰り道で普通のデートをすればいい。そうと悟らせないように連れ出せばルゼも抵抗しないだろうし。我ながら名案だな。
最近食い意地の権化になりつつあるナジカが、食い物目当てに付いてこないかだけが心配だが。
余談だが、ニースの件は傀儡術師達にも匙を投げられた。
ヘタレは傀儡術でも治せないらしい。
第三話 家族? 会議
私は今、俗に言うマリッジブルーを患っている。
今さらではあるが、ギル様のことはけっこう好きなのだと思う。嫌じゃないし、一緒にいると楽しいし、たまにドキドキするし、そんな風に感じるのは悪くない傾向なんだろう。
なのに何故こんなに憂鬱なのかと言えば、やはり式のせいだ。
私達は二回、式をすることになる。いずれも来年の春。用意をする時間はたっぷり設けてある。それはギル様の私に対する配慮だったのだが、結果的に二回目の式の後に行う披露宴の規模がどんどん大きくなってしまった。今思うと軽率な判断だったと思う。
でもまあ、それはどうでもいい。身内や友人に祝福してもらうのは、恥ずかしいが悪い気はしない。
本当に嫌なのは、一回目の都で行う大神殿での式だ。二回目が大々的な分、規模は小さくなるが、私達が一番関わり合いになりたくないギル様のお母様、エーメルアデア様を呼ばなければならないからだ。それどころか、式の準備のために彼女と会う機会も増える。憂鬱だ。
だが、その式は二回目の本番にエーメルアデア様を呼ばなくてもいいようにするためのものなのだ。エーメルアデア様が来たら、私とギル様がストレスで疲労するのは間違いない。だから本当に幸せな結婚式を挙げるには、憂鬱でも何でも一回目の式は必要だ。
頭では分かっているが、心がそれについていかないのである。
「ああ、嫌だ嫌だ。結婚式が嫌だ。もうエーメルアデア様と目も合わせたくない」
「そういうのは、マリッジブルーって言わないから」
聖騎士用の食堂で駄々をこねていると、セルに指摘された。
「気持ちは分からなくもないけどさ、少しぐらい相手してあげなよ。面と向かっていたら嫌味以外は言われないよ。だからアーハイハイって聞き流せばいいと思うんだ」
セルは長年あの人と仲良く出来ているから簡単に言う。だが誰しもセルのように要領がいいわけではないし、親戚の子と息子の嫁とでは立場が違いすぎる。
「それだけでも胃に来るでしょ」
「気にしないのが一番だよ。痩せすぎだの何だの言われるのは事実だから仕方がないし、少し太る努力をした方がいいのは本当だしさ。医者として言わせてもらうと、君は長生き出来ない体形だよ。子供が産めるかどうかも心配なんだ」
「え、そこまで?」
そういえばこいつ医者だった。
昔はともかく今はかなり太ったし、月の物にも不順はないのに。さすがにそういう話はセルとはしないから、心配されてしまうんだろうか?
「見た目だけなら心配しちゃうよ。健康のためにも標準体形を目指しなよ。兄さんが細めの人が好きって言っても、君なら一回りぐらい太っても平気だよ」
「でも花嫁衣装があるから、体形は変えるなって言われてる」
「それもそうか。披露宴までは仕方ないね」
納得してくれてほっとした。
「まあともかく、本当にあの方の話は適当に流しなよ。あの方は褒めておけば気を良くするから」
「んーでも、美人に嫌味を言われっぱなしって、悔しいし」
つい言い返したくなる。それをすると、泥沼になりそうだから耐えるしかない。
「…………やっぱり、それはマリッジブルーじゃないから安心しなよ」
「そうなの?」
「色々不安で結婚したくないって言うならともかく、ルゼのは違うよ」
「そうなのか……」
てっきりマリッジブルーかと。
「でも結婚したくないなんて言い出したら、兄さんまたグレちゃうからやめてね」
「言わないよ。さすがにギル様が可哀想だし。そういえば午後からエーメルアデア様とのお茶会なんだよねえ。ギル様も行きたくなさそうだけど、国王陛下のお誘いだから行かなきゃならないし」
気分はどんより沈んで、胃がしくしくする。
「陛下からのお誘いなら、僕は付いていけないな。ま、頑張れ。一時の我慢だよ」
うん。ちょっと我慢すればいいだけだ。
「よし……気合いを入れるためにこれからラントちゃんをもふりまくろう!」
「それで入るんだ」
「私の唯一の娯楽だもん。二回目の式でまた獣族達に会えると思えば、私は頑張れる!」
ぐっと拳を握りしめ、私は可愛い動物達を思って気合いを入れた。
だいたいグラは姫のくせに自由すぎるのだ。今だってニースがいるとはいえ、王族の姫が護衛もつけずに外に出るなど異様だ。いや、ニースがいなければ一人で出かけただろう。
腹違いの妹パレシアならありえない。僕も大概自由にしていると思うが、男だからまだいいのだ。変装すれば気付かれないしな。
現在、グラはひたすら展示品を眺めている。他国から集めた逸品揃いであるせいか、まるで菓子を前にした子どものような目をしている。ニースはそんな童心に返ったグラを眺めつつ、鼻の下を伸ばさないようにしかめっ面をして、時折頬を痙攣させていた。
これだけであんなに嬉しそうにするとは、だから女共に程度が低いと言われるのだ……
しかしニースの好意を知らなければ、ただただ不気味である。
幸いにもグラは熱心に展示品を見ているから、彼の表情に気付いていない。そしてその熱心さのおかげで、僕らも前に進めない。まあ他の客からは不審に思われても、前の二人に気付かれなければいいのだが。
「ねえ、私とセルって来る必要あったのかしら?」
少し離れたところで何かをじっと見ているふりをしているカリンが、隣に並ぶセルに尋ねた。
「僕は面白いから来たかいがあるよ」
そういえば、セルがルゼと友人になったのも、気が合う、面白い、というような理由だったな。
「私はつまらないわ。あの二人はあんな調子だし、ただの古い腕輪を見てもねぇ」
「まあ、歴史があるって物だけで、綺麗な物はあんまりないもんねぇ。グラ姉さんも趣味が偏ってるから、自分の好きな物だけ見て足が進まないし」
女傑然としたカリンでも、趣味は普通の女だ。見ていてつまらないだろう。
「というか、どうして私と一緒に来たのがセルなの? あなた、あそこにいるヘタレ男の友人に似てるし、この顔が二つあったら目立つでしょう。別の人が来た方が怪しまれなかったんじゃない?」
……ヘタレ男の友人とは僕のことか。
ルゼは今、傀儡術でニース達の動きを窺っているので愚痴れない。
ルゼの傀儡術は物を動かすだけでなく、探査にも応用できる。目に見えない糸を伸ばして探る感覚らしい。便利だが、集中力が必要なので邪魔できない。まあこいつの場合、雑談しながらでも出来るだろうが、わざわざ話しかけて妨害するような用でもない。
だが、何と言うか……暇だ。僕は魔術師だが研究者ではないから、こういうのを見ても心が動かない。使える道具なら欲しいと思うが、ただ見るだけというのは……。きっとカリンもこんな気持ちで愚痴ったのだろう。
「しかし、意外と人が来るな」
僕はこちらをちらちらと見てくる他の客を横目で見た。
魔術師でなくても、こういう物に興味がある者は多いらしく、そこそこ人が入っている。やはり微動だにしない客は珍しいのか、たまにじろじろ見られる。まさか、僕が王子でルゼが女聖騎士だとは気付いていないだろうが。
この気まずいデートはいつ終わるのだろうか……。グラは無言だわ、ニースはむっつりしているわで進展はないし、これではデートが成り立たない。
形だけなら僕らも立派にデートなのだが、出来ることなら僕はもう少し普通のデートがしたかったな……
双子の妹と友人はようやく美術館から出ると、どういうわけか公園にやってきた。
ニースが誘ったのだろう。やれば出来るじゃないか。てっきりそのまま帰ると思っていたから、大した進歩だ。これもウィシュニアのおかげだろうか。あのニースがここまで成長するとは……
既に日が傾いていて、公園内に人は少なかった。
二人は店じまいしようとしていた露店で何かを買い、そのままさらに人気のない場所に向かう。グラは人気のない場所の方が好きだから、何の疑いも持っていないだろう。木陰に隠れながら僕達も後を追う。
「告白でもする気でしょうか?」
ルゼが胡散臭そうに言う。
「あのヘタレに出来るのかしら?」
「その気があっても、実行力がなきゃねぇ……」
どうやら、女達は全く期待していないらしい。カリンなどずっと呼び方がヘタレになっている。
いつぞやと同じように、二人はベンチに腰掛けた。そしていつぞや見た時と同じように、ニースはグラの肩に手を置くのを躊躇って、先ほど買った物にかじりつく。
肩ぐらい抱け。いいから抱け! 諦めるな! ただその手を置くだけだ!
ああ、既に満足そうな顔をしている……。ただ並んで座っているだけなのに。
ルゼは今まで何度も繰り返されたヘタレな光景を眺め、ただただ呆れていた。僕が肩を抱くと身をよじるくせに。
「ギル様、ニース様って童貞ですか」
ふと、様子を見ていたルゼがぽつりと言った。その手の話題は口にするのすら躊躇う、どちらかと言えば奥手なルゼの口から、そんな下品な言葉が出ようとは。
「な……何でいきなりそんなことを……」
僕は動揺で声が震えた。
「ギル様がグレた時色んな経験をしたのは知ってますけど、ニース様の話は聞いたことがないので」
「そ……そんなことを聞いたって、答えると思うのか?」
肯定も否定もニースの擁護になる気がしなかった。
「殿下、ルゼにそのような話を? 馬鹿ですか?」
カリンが冷え冷えとした目で僕を見るので、声を抑えつつも言い返す。
「ルーフェスにだ、ルーフェス! 僕がこいつにそんな話をするはずがないだろう!?」
その当時のルーフェスが、変装していたルゼなのだが。
ああ、僕は何でそんな余計なことを話したんだ! だが、話したのは最低限だったはずだ。それでも変態のような扱いを受けている気がするが、あれぐらいなら普通だ。いや、待て、僕はどこまで話した? 覚えがない。
それはともかくどうするべきか。何か言い訳すべきか。
「兄さん、余計なことは言わない方がいいよ。言い訳すればするほど泥沼に嵌まり込むから」
セルが混乱する僕に忠告した。そう、昔の男女の話はしないのが一番だ。なのにセルは変な風に続けてくる。
「たまに言わないせいで拗れることもあるけど」
「たまに?」
「実は子供がいたとか」
「そんなのといっしょにするな」
いるはずがないだろう。もし子供がいたら隠すことなく溺愛している自信があるぞ。
「たまにいるんだよ。女性の選り好みが激しいギル兄さんには、心当たりがほとんどないだろうからいいけど」
「だから、少しはあるようなことを言うな」
しかも気難しい婚約者の前で。この女なら、僕に隠し子がいたとしても全く気にしそうにないが。そう思うとさすがに切ない……
「僕は浮気は絶対にしないからな。ああいうのは虫酸が走る」
「兄さん知ってる? こそこそ浮気をする男って、何故かそう宣言する人が多いんだよ」
「セル、僕に恨みでもあるのか?」
「事実を言ってるだけだよ。本当に多いんだ。犯罪者にも言えることだよ。ある犯罪を嫌悪感丸出しで排除しようとした人が、実はその犯罪に手を染めていたって。自分が疑われないように、自分以外の犯人を生贄にしているんだよ」
「お前、その歳で何を悟ったようなことを……」
「医者も学生も聖職者も、色々とドロドロが見られて面白いんだよ。女の子の前で話せるような内容じゃないけどね」
悪趣味な奴だとは知っていたが、本気で悪趣味な奴だった。
「声高に綺麗事を言う奴ほど怪しいのはよく分かるが、僕は違うだろう。親の轍を踏むつもりはないぞ」
「まあ、親が嫌だっていうのはよく分かるけどね」
母も嫌いだが、面食いで女癖の悪い父も嫌いなのだ。
僕は、腹違いの兄弟が今の倍ぐらいいても驚きはしない。あの性格のせいで、今や父の周囲には女性の使用人がほとんどおらず、いても父の好みではない女性だけなのだ。そのように仕向けた点だけは母を評価している。
そんな環境で育ったから、家族仲のいいオブゼーク家の人間や、一途な従騎士達を見ていると落ち着くのだ。
「でも、そういう人ほど親に似るんだ」
「お前はそんなに僕を浮気者に仕立て上げたいのか?」
「一般論だよ、一般論」
セルは僕の反応が楽しいのかケラケラと笑った。ああ、我が従弟ながら何て性格が悪いんだろう。
「むっ、静かに」
ルゼに叱られ、僕らは妹と友人に視線を戻した。
その瞬間、ずっと宙に浮いていたニースの手が、グラの肩に置かれた。
「ついにっ」
前回、これすら出来ず諦めたのを目の当たりにしていたルゼは、その精一杯の勇気ある行動に感極まり、拳を握りしめた。
「ニース様、成長なさいましたね」
「……あれで、成長ねぇ……」
呆れたように言うセルと、その隣で同じく呆れ顔をしているカリン。
「今まであれすら出来なかったの!」
本当に微々たる成長ではある。しかし、ニース的には大きな成長だ。ルゼの言う通り、あれすら出来なかったのだから。
「嫌がられているわよ」
カリンが指摘する。
本当だ。手を払われて揉め出した。
「何よ暑苦しい」
「う、うるさい。黙れっ」
これだからダメ男は、と言いたげな視線を向ける女二人。僕も同意せざるを得ない。
黙れはないだろう、黙れは。僕もルゼによく言うが、時と場合は選んで言っている。
「ニース、どうしたの。あなた変よ。いつも変だけど今日は余計に」
グラは不気味そうにニースを見上げた。まあ、不気味に思うのも仕方がない。
「ど、どこが変だと言うんだっ!?」
「急に教養がないのを自覚して美術館に行きたいなんて言ったりして、おかしいでしょう。それに誘うなら身近にいるカリンにすれば良かったんじゃないの?」
カリンの名が出たのは、彼女に特定の相手がいないからだろう。当のカリンはそれを聞いた瞬間、あからさまに顔を歪めた。そんなにニースが嫌なのか。
「カリンには、セルがいるだろう」
「え、あの二人、もうそんな仲なの?」
「そうではないが、よく一緒にいるぞ。カリンもセルの顔は好みだろうしな」
怒鳴り出さんばかりのカリンの口をルゼが塞いで押さえ込む。さらに近くにいた鳥に視線を向け、おそらく傀儡術を使って蹴散らしたのだろう、飛び立つ羽音でこちらの気配を誤魔化した。
いつもならこれでも誤魔化せないだろうが、注意散漫な今のニースには十分だった。何とか話を戻そうと必死になっている。
一方こちらではセルがふくれっ面をしていた。
「そんなに僕と噂されて嫌なんだ。傷つくな。繊細な年下の男の子に対してひどいよ」
「私、その顔はどちらかというと嫌いなのよ」
「へぇ、嫌いなんだ。てっきりこの手の顔は好きなんだと思ってたよ」
セルの顔が嫌い。それはつまり僕の顔が嫌いということだ。
好かれているとは思っていなかったが、まさか顔まで嫌われていようとは……
「ギル様、落ち込まないで下さい。本気で嫌われないだけマシだと思うんです」
まあ、そうなのだが……大嫌いと言われなかっただけ良しとするか。しかし女というのは……
「だいたい、お前は、お前は……そのっ」
ニースの方はまだ迷走している。思い切って告白してしまえばいいのに。
「私は?」
「お前は……いや私に、お前以外を誘うなんて選択肢はない!」
ん、少しはマシな発言をしたな。
「…………」
普通の女なら、どぎまぎする要素のある台詞なのだが、グラは哀れむような目をニースに向けた。
やはりグラには通じなかったか。相手の目を見て言ったなら通じたかもしれないが、それは仕方ないのかもしれない。ニースにそこまで求めるのは酷だろう。
「あなた、ギル以外に友達がいないの?」
「は!?」
どぎまぎするどころか、何か勘違いが発生していた。酷だが、目を合わせて言わなければならなかったようである。
「し、失礼な。友人はいるし、だいたい今は関係ないだろう!」
「友人って、ギルの手下達?」
グラは火矢の会をそんな風に思っていたのか。僕もあの連中以外でニースと親しくしている友達は知らないが。
「ほんと、ギルべったりねぇ」
「火矢の会の者達は彼らが祖父に師事していた頃からの私の友人だ! ギルの交友関係と被っているのは、あいつも祖父に師事したからであって、先に友人になったのは私だ! それに職場も同じだから、交友関係が被るのは仕方がないだろう!」
その通りだ。僕は魔術も習っていた分ニースよりは交友範囲が広いが、それでも本当に気が置けないのは、火矢の会の皆だ。彼らには幼い頃から可愛がってもらっていた。実の兄よりもよほど兄のように接してくれた、尊敬できる人々だ。
などと思い出に浸っていると、二人の口論は白熱していた。
「お前はどうしてここまで言っても分からないんだ!?」
ニースが一方的に白熱していると言うのが正しいのか。
「ニース様、いつ分かるようなことを言ったつもりなのかしら?」
当然の疑問を口にするカリン。
「心の叫びと、口にしたことが曖昧になっているのかも?」
セルがずいぶんとひどい、しかし納得できる理由を挙げた。
「アレで察することが出来る恋愛脳を持ってたら、姫様はとっくに女の幸せを手に入れてるよね。私なら、何か裏があるんじゃないかって疑うな」
ルゼもまた辛辣なことを言う。ウィシュニアの乙女心を少しは見習え。
「確かに。姫様はエディアニース様に嫌われてると思い込んでるから、裏があると思っているに違いないわ」
ルゼとカリンは頷き合う。相変わらず容赦のない。
「君らはもう少し、その恋愛脳とやらを発達させた方がいいよ」
さすがに呆れてセルが言う。
「その必要性は感じないわ」
カリンはほんの少しぐらい、昔の自分を取り戻してもいいと思う。ルゼも色々とひどいが、それなりに可愛いところがあるからいい。だがカリンの可愛げはどこに行ってしまったのやら。
「いいから、分かれ!」
またニースが無理難題をグラに押し付けている。
ニースはまず、グラに対して穏やかに話しかけるところから始めるべきだろう。だが、それが出来れば苦労はしていない。
そう思った瞬間、ニースが動いた。
グラの顔をがしりとわし掴みにしたのだ。
「な、何よ!?」
「言っても分からないなら――」
ニースはグラの顔に唇を寄せ――
ごっ!
頭突きをされたグラは昏倒した。
一瞬でもキスをするんじゃないかと期待した僕が馬鹿だった。
ルゼが頭を抱えたかと思うと木陰から飛び出していく。
もうなるようになれ。ここまで来ると、僕にはどうしようもない。
僕とルゼが、グラを部屋まで送り届けて聖騎士の宿舎に戻ってくると、ニースは食堂でヤケ酒を飲んでいた。
「あ、ルゼ。姉さんはどうだった?」
一緒に飲んでいたセルが、顔を上げて尋ねた。ニースと一緒に飲んでいた非番の聖騎士達も、こちらを見てもの言いたげな顔をした。珍しくエリネ様も侍女達を連れてこちらにいらした。慰めてくれているようだ。
「混乱されていました。なので、ニース様は最近風邪ぎみで、早く治すために飲んだ薬が体質に合わず錯乱していたんだろうと誤魔化しておきました」
「なるほど、それなら奇行を誤魔化せる!」
ルゼの答えにハワーズが手を打って大袈裟に感心した。
ルゼが咄嗟に口から出任せを言うと、グラは疑いもしなかった。それだけの奇行だったから仕方がない。
「セルがニース様に人体実験なんてしていないか心配だって言ってたけど」
「僕っ!?」
他人事のようにへらへらしていたセルが、さすがに跳び上がるように立ち上がった。
「あれだけの奇行だから仕方がないわ」
つまみを運んでいたカリンも言う。それにウィシュニアが続いた。
「私もいきなり頭突きをされたら、嫌がらせか変な薬を飲んだのだと思いますわ。まさかキスをしようとして、うっかり頭突きする方がいらっしゃるなんて……」
まあ、嫌がらせか薬かで言えば、薬説の方を信じるだろう。
「ルゼさんよりひでぇよな。キスしようとした側が暴走するなんて」
ハワーズがけらけらと笑う。
「ほんとです。ニース様、このままじゃハワーズ並みですよ」
「なっ!?」
ルゼが言うと、ニースは驚いたように声を上げた。だが、ニースが反論する前にハワーズが立ち上がる。
「俺は頭突きなんてしないから、それに関しては上だろ! 女の子には優しくするぜ!」
「なっ!?」
ニースはさらに驚いている。自覚がないらしい。その様子を見て、皆はため息をついた。
「……ニース様、これに関してだけは、ハワーズの方がまだ信頼できます。この人は可愛い子なら見境がないというのはありますが、素直に自分の気持ちを押し付けますから。もちろん頭突きもしません」
「くっ……」
残念だが、その通りだ。
「とにかく、次は頃合いを見て、今回のお詫びと称して美味しい物を食べに行くっていうのはどうでしょうか」
「なるほど。それなら自然だ!」
ハワーズがまた手を打った。
「う、上手くいくだろうか?」
「殊勝に、本当に悪かったと。薬などに負けた自分が恥ずかしいって感じで、少し弱味を見せるんです。心から反省していると態度で示して下さい」
不安そうなニースに、ルゼは指を突きつけて言った。
「弱味を見せる……?」
「ニース様の弱った姿なんて姫様は見たことがないでしょうから、優しくしてくれると思います」
今現在珍しく心配しているぐらいだし、優しくはしてくれるだろう。色んな意味で。
「コツは優しさに付け入ることです」
「それが出来れば頭突きしないと思うんだけど」
セルが冷静に指摘すると、ルゼはため息をついて僕を見る。
「ギル様、どうしてニース様をこんなに嘘のつけない人に育てたんです?」
「僕は育てた覚えはない! それに、ここまでひどいのはグラ限定だ。人並みに嘘はつけるぞ」
ルゼは考え込むように目を伏せ、やがて顔を上げた。
「いっそ、傀儡術師達に素直になる暗示をかけてもらうとか」
「出来るのかそんなの」
「好きな物をもっと好きにさせることは出来るらしいので、可能性はあるかと。少なくとも、暴言を吐いたり、頭突きをしたりしなければいいんですから、それぐらいなら大丈夫でしょう。ニース様はそういうのがかかりやすそうですし」
そんな低い志か……
「だが、反省を見せるにはちょうどいいかもしれないな。また傀儡術師達の所に行くか」
ついでに僕とルゼはその帰り道で普通のデートをすればいい。そうと悟らせないように連れ出せばルゼも抵抗しないだろうし。我ながら名案だな。
最近食い意地の権化になりつつあるナジカが、食い物目当てに付いてこないかだけが心配だが。
余談だが、ニースの件は傀儡術師達にも匙を投げられた。
ヘタレは傀儡術でも治せないらしい。
第三話 家族? 会議
私は今、俗に言うマリッジブルーを患っている。
今さらではあるが、ギル様のことはけっこう好きなのだと思う。嫌じゃないし、一緒にいると楽しいし、たまにドキドキするし、そんな風に感じるのは悪くない傾向なんだろう。
なのに何故こんなに憂鬱なのかと言えば、やはり式のせいだ。
私達は二回、式をすることになる。いずれも来年の春。用意をする時間はたっぷり設けてある。それはギル様の私に対する配慮だったのだが、結果的に二回目の式の後に行う披露宴の規模がどんどん大きくなってしまった。今思うと軽率な判断だったと思う。
でもまあ、それはどうでもいい。身内や友人に祝福してもらうのは、恥ずかしいが悪い気はしない。
本当に嫌なのは、一回目の都で行う大神殿での式だ。二回目が大々的な分、規模は小さくなるが、私達が一番関わり合いになりたくないギル様のお母様、エーメルアデア様を呼ばなければならないからだ。それどころか、式の準備のために彼女と会う機会も増える。憂鬱だ。
だが、その式は二回目の本番にエーメルアデア様を呼ばなくてもいいようにするためのものなのだ。エーメルアデア様が来たら、私とギル様がストレスで疲労するのは間違いない。だから本当に幸せな結婚式を挙げるには、憂鬱でも何でも一回目の式は必要だ。
頭では分かっているが、心がそれについていかないのである。
「ああ、嫌だ嫌だ。結婚式が嫌だ。もうエーメルアデア様と目も合わせたくない」
「そういうのは、マリッジブルーって言わないから」
聖騎士用の食堂で駄々をこねていると、セルに指摘された。
「気持ちは分からなくもないけどさ、少しぐらい相手してあげなよ。面と向かっていたら嫌味以外は言われないよ。だからアーハイハイって聞き流せばいいと思うんだ」
セルは長年あの人と仲良く出来ているから簡単に言う。だが誰しもセルのように要領がいいわけではないし、親戚の子と息子の嫁とでは立場が違いすぎる。
「それだけでも胃に来るでしょ」
「気にしないのが一番だよ。痩せすぎだの何だの言われるのは事実だから仕方がないし、少し太る努力をした方がいいのは本当だしさ。医者として言わせてもらうと、君は長生き出来ない体形だよ。子供が産めるかどうかも心配なんだ」
「え、そこまで?」
そういえばこいつ医者だった。
昔はともかく今はかなり太ったし、月の物にも不順はないのに。さすがにそういう話はセルとはしないから、心配されてしまうんだろうか?
「見た目だけなら心配しちゃうよ。健康のためにも標準体形を目指しなよ。兄さんが細めの人が好きって言っても、君なら一回りぐらい太っても平気だよ」
「でも花嫁衣装があるから、体形は変えるなって言われてる」
「それもそうか。披露宴までは仕方ないね」
納得してくれてほっとした。
「まあともかく、本当にあの方の話は適当に流しなよ。あの方は褒めておけば気を良くするから」
「んーでも、美人に嫌味を言われっぱなしって、悔しいし」
つい言い返したくなる。それをすると、泥沼になりそうだから耐えるしかない。
「…………やっぱり、それはマリッジブルーじゃないから安心しなよ」
「そうなの?」
「色々不安で結婚したくないって言うならともかく、ルゼのは違うよ」
「そうなのか……」
てっきりマリッジブルーかと。
「でも結婚したくないなんて言い出したら、兄さんまたグレちゃうからやめてね」
「言わないよ。さすがにギル様が可哀想だし。そういえば午後からエーメルアデア様とのお茶会なんだよねえ。ギル様も行きたくなさそうだけど、国王陛下のお誘いだから行かなきゃならないし」
気分はどんより沈んで、胃がしくしくする。
「陛下からのお誘いなら、僕は付いていけないな。ま、頑張れ。一時の我慢だよ」
うん。ちょっと我慢すればいいだけだ。
「よし……気合いを入れるためにこれからラントちゃんをもふりまくろう!」
「それで入るんだ」
「私の唯一の娯楽だもん。二回目の式でまた獣族達に会えると思えば、私は頑張れる!」
ぐっと拳を握りしめ、私は可愛い動物達を思って気合いを入れた。
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