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8巻
8-1
しおりを挟む第一話 愛とは何ぞ
愛とは何だろう。恋とは何だろう。家庭とは何だろう。
私、ルゼ・デュサ・オブゼークは、聖女を守る聖騎士という立派な職業に就く一方、今までそのどれにも恵まれなかった。だから、大抵の人が当たり前のように知っているそれがよく分からない。今でこそ色々あって貴族の娘に仕立てられ、親兄妹も出来たが、それまでの私には親も家庭もなかった。
私は傀儡術師だったから、親に捨てられて孤児院で育ったのだ。傀儡術師とは、物や人を操る特殊な力を持つ者達の総称だ。その上、人の心を読んだり、洗脳して意のままに操ったり、身体を乗っ取ったりすることも出来るため、とても忌み嫌われている。
私は物を操ることを得意とする傀儡術師だが、それでも我を忘れると、力を暴走させて物を壊したりする。赤ん坊の時など実の親はきっと大変だっただろう。捨てられてしまうのも仕方のないことだ。
だがそんな普通ではない私に、お貴族様の家族が出来て、おまけにこの国の第四王子、ギルネスト殿下との結婚が現実的になってきた。現実的というかプロポーズされて、指輪をもらって、式の準備も着々と進んでいるから、よほどのことがない限りは結婚することになるだろう。
だから私は今、とても幸せだ。幸せすぎてこれが現実なのかと、少し怖くなるほどだ。
いや、考えてみれば、子供の頃から人との出会いには恵まれていた。物心ついた頃には、癒しの聖女ノイリに出会い、彼女の世話をするという穏やかな暮らしが得られた。私はノイリを姉のように慕っていたし、あの頃彼女と一緒にいなければ聖騎士などにもなれなかっただろう。
彼女は程なく魔物達に誘拐されてしまったが、その後私を引き取ってくれた孤児院では、リゼンダおばあちゃんや何人もの『兄』や『姉』が心配して構ってくれ、魔術と戦闘方法を教えてくれた。以来ノイリを探すのに必死で、自分の無力さは恨んでも、実の親を恨む暇などない日々だった。まさに激動の人生である。
やがてノイリとも再会できたが、それもギル様と出会ったおかげだ。彼は美貌の王子様なのに、全てを知って私なんかと結婚してくれると言うし、本当に私は幸せ者である。
私達の結婚式は、ギル様の腹違いの長兄、パラスト様の結婚式から半年は間を空けようと最初に決めていた。その長兄の式は、この夏に終わった。だから式は、来春の早い時期から半ばくらいまでにすることにした。ちょうど半年後に当たる冬は寒さで式どころではないし、少し遅れると春の祭りがあって、私の主である実りの聖女エリネ様がお忙しくなるからだ。
式は二回する予定だ。一回目は都でささやかに。そして一月ぐらい間を空けて、私の故郷で大々的な本番を。ちなみに故郷での式は、妹のエフィニアと、ギル様の従騎士をしているゼクセンの結婚式と合同で行う。
今は秋。一回目の式があと半年に迫っているため、私の周りの人達は色々と忙しくしている。私はたまにドレスの試着をするぐらいだ。特にゼクセンの姉で、式を仕切っているエノーラお姉様は忙しい。
「さっきからボケッとしているけど、どうした?」
神殿の玄関前でボケッと庭を眺めていた私に、ティタンが声をかけてきた。
このティタニスことティタンは私と同じ孤児院で育ち、私が兄と慕っていた人だ。とても有能な増幅術師で、魔術師と組ませると大変便利なことから、凄腕の魔術師であるギル様の従騎士に抜擢された。まさしくうちの地方の出世頭である。何せギル様は、将来軍のトップに立つのが間違いないお方だ。その側近なのだから、昔の私達からすると目の回りそうな話である。私なんか、側近どころか妻になるんだけど。
「いや、愛って何だろうって」
「…………それは、ちょっと……」
私の返事を聞いたティタンは視線を逸らした。彼も親に捨てられ、彼女いない歴が年齢と同じという、私以上に愛に縁のない男だ。女性と縁がないわけではない。出世しているため人よりモテているのに、相手がどんなに美人であろうと尻込みしてお断りする奥手な男なのだ。こんな相談に乗るなど無理だろう。私だって逃げ出したい気持ちなのに。
私はため息をついた。
「で、何だっけ」
そう尋ねるとティタンは、
「だから、ホーンがこれをエリネ様の近くに置くよう言ってたって話だよ」
と、箱を見せてきた。
そう。彼が預かったという新しい魔力測定器のことだった。大切な話なのに聞いていないのはまずい。色ボケ厳禁! 頭の中のお花畑は撤去! 意識ははっきりと!
自らを心の中で叱咤していたその時、視線を感じて顔を上げた。
視線の主はすぐに分かった。ティタンの肩越しに私を見つめているのは、じょうろを手にしたうら若き赤毛の女性。エリネ様の侍女のウィシュニアだ。国内の貴族の中でも有数の名家に生まれた、生粋のご令嬢である。
彼女は現在、恋をしている。恋する相手は、私の目の前にいる孤児院出のティタニスだ。
身分違いにも程があるこの恋は、私が勤めるここリザンド神殿では一人を除いて知らない者はいない。その一人が、このティタン本人である。
ウィシュニアはそんなニブニブな彼を、いつも陰から見つめているのだ。今のように私のことをじっと見てくる場合もあるのだが、嫉妬心丸出しではなく、何と言うかこう、切なげな目だから、何とも言えなくなる。私に婚約者がいると分かっていても、彼が異性と話をしているだけで切なくなるのだろう。普通なら諦めろと言うところだが、彼女もそうすべきと分かっているから言いにくいのだ。
「じゃあ、俺はこれで」
ティタンはそれだけ言うと、振り返ってウィシュニアに笑みを向けた。
「ルゼに何か用だったのかな。邪魔してごめんな」
視線には気付いてたか。さすがだ。その意味を理解できたら完璧なのに。
「そんな、わけでは……」
ウィシュニアも気付かれていたとは思っていなかったらしく、視線を揺らした。
「あ、入り口塞いでいたか。ごめん。じゃあ、俺はこれで」
玄関前にいたティタンは、そう謝罪して色々と勘違いしたまま外に出る。恋する乙女の視線がそれを追う。ティタンは途中でバルロードに声をかけられて足を止め、談笑を始める。その様子を切なげに見つめるウィシュニア。
これが愛。これが恋。そう、これこそ私の思い描く愛で、恋!
「…………私には、出来んな」
私がこんな感じに見つめたら、たぶん何かあったとギル様に思われる。もしくは何か悪巧みしているとか疑われるのだ。
私は何か用事がなければギル様をじっと見たりしない。恥ずかしいし。つまり、私達には切ない恋心など無縁なのである。愛とは何かと問えば、何だろうなと首を傾げ合うような仲。何かあったらズバズバ言い合い、何もなくてもズバズバ言い合う仲である。なんと色気のない関係なのだろう。
まあ、ギル様が何か変なことに目覚めても嫌だから、このままでいいんだが。
やがてティタンは今度こそ去っていき、ウィシュニアは切なげな吐息と共に神殿の中に戻った。
「なんで気付かないんだろうなぁ……」
神殿の前で警備をしていた聖騎士のスルヤが、不思議そうに呟いた。
「仕方ないよ。ティタンにとってウィシュニアは住む世界が違う人だから。今でこそギル様にお仕えしてるけど、都に出てこなかったらまだ狩りとか子守とかする生活してただろうし」
「ああ、そっか」
私達、孤児院の子供達は、自分がどこの誰かも知らない。少なくともギル様のような高貴なお方が、あっさり信頼していいような人間ではない。だけどギル様はかつて白鎧の騎士団にいた私と知り合い、友達として、上司部下として付き合ううち、『詐騎士』などと呼ばれていた私の中に信じられる部分を見つけた。だから私と親しくしているティタンとの間にも信用が生まれた。
まあその信用は、私がオブゼーク家の次男ルーフェスであるという嘘を信じた上でのことだから、ギル様には人を見る目がなかったということでもあるんだけど。
とはいえそれがきっかけで、私はルーフェス様の双子の妹ということにされて、今や王子様の婚約者だ。しかもギル様は全部知った上で、私にプロポーズした。本当に人を見る目がおかしい人だ。
そんな私がこんなことになっているから、ウィシュニアに対し諦めろとは私もギル様も言えない。だけど相手のティタンはきっと、ウィシュニアに名前を覚えてもらっているだけでもすごいことだと考えているに違いない。
「私ですら王子様と結婚するだなんてまだ実感ないし、ティタンが彼女の気持ちに気付くなんてよっぽどのことがなきゃ無理だよ」
「まだ実感ないのかよ。気持ちは分からんでもないけど……ティタンが気付くはずもないか」
スルヤは壁にもたれて頬を掻いた。
「ウィシュニアさんって、俺達を同じ人間として見てなさそうな雰囲気さえあるもんなぁ」
それを聞いて、近くにいた他の聖騎士達も自虐的に笑う。交替の時間が近いため、いつの間にか人が集まっていた。
「むしろティタンの方が、ウィシュニアさんを同じ人間だと思ってないんじゃないか?」
今度はシフノスが言う。確かに人間と獣族ぐらい違う感覚だろう。ウサギ獣族のラントちゃんが人間の女にどれだけ可愛がられても、それが恋心だとは思わないのと同じだ。それぐらいありえない話、と本人は思っているのだ。
「そうそう。私もギル様のことは、王子様っていう別の生き物として見てたし」
「…………それは、ひどいな」
「いや、だって女の子にとって王子様っていうのは、男というより王子様なんだよ」
「……その割に扱いがひどくね?」
「だってギル様、あんまり王子様らしくないんだもん」
美形だけど、私が求めてる方向と違うというか。ギル様もとびっきりの美女と恋に落ちればいいのに、母親の嫁イジメの激しさと、自分の趣味の特殊さから、消去法で私なんかを選んだのだ。
「まあ、ティタンのことについては、私達じゃどうしようもないことだけは確かだし」
「身分が釣り合ってれば、協力も出来るんだけどなぁ」
もしもの時は協力するが、現状では積極的に協力できない。ギル様も、いざとなったらティタンを貴族の隠し子として仕立てるつもりでうちのお父様とよく手紙のやり取りをしているようだけど、肝心の二人が進展しそうにないから、親候補になった人には打診もしていないらしい。そもそもあの気が小さいティタンじゃ、元々身分違いなことを気にしすぎてそう簡単に幸せになれるとは思えないし。
「頑張れー、って心の中で応援するしかないってことか」
シフノスはここにはいないティタンを憐れむように言った。
私もそうするしかないと思う。赤の他人ならまだしも、私にとってティタンは兄のような存在なのだ。ウィシュニアの恋心より彼の幸せを優先するのは当然だろう。ウィシュニアが普通の女の子なら良かったのに。
「せめて巫女さんだったらねぇ」
エリネ様付きの巫女に、ウィシュニアのように身分が高すぎる女の子はいない。ティタンと同じギル様の従騎士レイドは、巫女のモラセアが気になっているらしく、私もギル様も密かに応援している。モラセアは元気で気配り上手で可愛いし、レイドと同じ歳だし、それぞれ立派な肩書きを持ち生まれは平民と、立場的にも釣り合っている。結ばれれば皆迷わず祝福してくれるだろう。しかも二人とも素性を探られても痛くも痒くもない。身分を捏造している身としては羨ましい限りだ。
「さぁて、これを設置しなきゃね。お疲れ」
私はティタンから受け取った測定器を手に、休憩に入るシフノス達に挨拶して神殿内に入った。
その日の夜。エリネ様との夕食を終えた後、時間潰しに自分の婚礼衣装用のレースを作ろうと、道具を取りに席を立った時だった。
ウィシュニアに袖を掴まれた。眼鏡越しにじっと見上げられ、一瞬思考が停止する。
「えっと……なに?」
思い詰めたような、真剣な表情の彼女に恐る恐る尋ねた。
昼間のことで変な勘違いしていないといいんだが。世の中には恋をすると、たとえ身内だと分かっていても、相手の側に女がいるのが不安になる子がいるのだ。
「一つお願いがあります」
彼女が私にこんなことを言うのは初めてだ。
「私に……出来ることなら」
本当に、私に出来る範囲のお願いをしてくれることを祈って笑みを返した。
「その……ティタンさんの好きな物を教えて下さらないかしら」
出来る範囲内ではあるが、予想はしていなかった質問をぶつけられ、私は悩んだ。
「好きって言われても……」
私は目を伏せる。ティタンの好きな物……好きな物……
「基本的に好き嫌いはないと思うよ」
私はあまり人の好みとかに興味がないし、兄弟分も多いから、よっぽど好きだと表に出していなければそういうのは分からない。だからティタンには特別好きな物はないということだ。
「強いて言うなら、でもよろしいので、教えて下さらないかしら」
「趣味もないし、強いて言うなら……肉?」
具体性のない言葉に、ウィシュニアは肩を落とす。
「に、肉とは何の肉でしょう?」
縋るように聞かれた。何かご馳走したいんだろうか。
「えっと…………兎肉?」
「こっち見て言うなっ!」
近くにいた私のお友達、ウサギ獣族のラントちゃんが怒った。そんな姿も可愛い。
「鳥とか鹿とか? 言い方は悪いけど貧しい食生活だったから、味ついてればいいぐらいだよ。本当に何でも食べると思う」
そう言うと、彼女は唸る。人からもらった物なら、彼は多少不味くとも食べてくれるはずだ。
「あ……苦い物は苦手かも」
「それはルゼさんのお料理でしょう」
ええ、そうですよ。私は何を作っても死ぬほど苦くなる、呪われた力の持ち主ですよ。私が作ったなんて言ったら、死んでも食べてくれないですよ。
「でもさぁ、肉が好きなのはいいけど、ウィシュニアはティタンに差し入れしたいんだよね?」
夕食後から本を読んでいた神官医のセルことセルジアスが、顔を上げてウィシュニアに尋ねた。彼はギル様の従弟で、ギル様によく似た顔立ちの美少年だ。
「ええ、そのように出来たらと」
「いつも植物の世話をしているようなウィシュニアが、いきなり肉を贈ったら変な子だって思われるよ。もう少し不自然じゃないのはないの?」
私は首を捻る。野菜や果物はいつも当たり前のように神殿からお裾分けしているからなぁ。
「ハンカチとか必要な日用品は、不自由ないぐらいエノーラお姉様が支給して下さってるのよねぇ。さっきも言ったけど食べ物の好みはあまりないし、服にも趣味とか特にないし、派手じゃなきゃいいとか制服が便利とか思ってるし」
その場にいた他の聖騎士達も、ああ、とか、うんとか言っている。
「本当に何もいらないんじゃないかな。私と似たような価値観をしてるから、物があっても嬉しくないんだよね。みんなで分け合うのが好きかな」
贈り物をする側としては、とても難しい相手だろう。ギル様に言われるまで、それが欠点とは思いもしなかった。それぐらい、わざわざ物を買って贈るなんてこととは無縁な生活だったのだ。
「無欲は佳所ではありますが……ギル様も大変ですねぇ」
エリネ様が頬に手を当ててため息をつく。
食べ物も食べられればいいしね。奢りがいがない人間だよね。本当にギル様は大変だ。
「あ……そうだ。喜ぶ物は分からないけど、逆に嫌がられる物は分かるよ」
ふと思い付いて、私は忠告することにした。
「ほ、本当? ティタンさんはどのような物がお嫌いなの!?」
ウィシュニアは祈るような仕草をして、私を見つめてきた。
「一目見て分かるほど高い物。たぶんすっごく困らせるよ。くれた人に苦手意識を持つようになるからやめた方がいい」
「…………確かに、あの無欲な方に高価な物を贈ったら……」
「挙動不審になって、どうすればいいのかゼクセンに聞いて、お返しの品に悩んで発熱するところまで想像できる」
それを聞くと、ウィシュニアは涙目になった。
「そ、そこまで……」
「そこまでよ。染みついた博愛精神はなかなか頑固なの。ホーンがその最たる例ね」
私とティタンの兄貴分であるホーンは、とても優秀な魔術師として出世した人だけど、困ったほどの博愛主義者で、いつでも子供達に奉仕していなければ気が済まない。
「無欲というか、必要ない物を自分だけが持っている状態がストレスになるみたいなの。私と違って食べ物の好き嫌いはないけど、美味しい物を理由もなく一人だけもらったら困ると思う」
「そ、そんな」
ウィシュニアは贈り物自体否定されて動揺した。
私もギル様からの贈り物にはだいぶ慣れたけど、それでもすんなり受け取れるわけじゃない。婚約指輪もたまに取り出して眺めているだけで、自分の物というよりもギル様から預かっている物という感覚だ。私でさえこうなのだから、ティタンにはまだ早いだろう。
「だから何かあげるにしても、従騎士のみんなでどうぞって渡した方がいいと思うよ。それで印象が悪くなることはないはずだし、ギル様とゼクセンは結婚間近だから彼ら目当てだって勘違いされることもないと思うし」
もう一人の従騎士、レイドも勘違いはされないだろう。彼もとても優秀な男だが、ウィシュニアから比べればティタンと大差ない身分だ。
「ねえねえ、それってつまり、理由があれば贈り物も受け取るってこと?」
セルが首を傾げて尋ねた。
「まあ、何かのお礼とか。そういうので、常識の範囲内なら」
私だって、お礼として高すぎない物ならありがたくもらうだろう。
「つまり何かをさせて、お礼をするという形なら、自然にお近付きになれると」
セルの入れ知恵に、ウィシュニアは目を輝かせた。そんなことで、こんなに希望に満ちた目をするのか……。女の子は恋をすると綺麗になるというが、こういうのを見ると納得してしまう。
「そりゃそうだけど、何をさせるの? 自然な形で、ティタンだけに頼る流れって?」
そう言うと、セルは肩をすくめた。
「例えば……重い物を持って待ち伏せとか。ティタンなら女の子が大きな荷物を持ってたら、間違いなく持ってくれるだろうし」
なるほど。ティタンの人の良さにつけ込んで待ち伏せか。
「それで出合い頭にぶつかってみたりすると、お詫びにもなる」
「そっかぁ。待ち伏せって、誰かを嵌めるためにすることだと思っていたから、考えなかった」
私はセルのずる賢さに感心した。まあ悪い意味ではなくても、嵌めようとしているんだけど。
ウィシュニアも納得していたが、突然慌てたように自分の身体を見下ろす。
「そ、そうだわ。ティタンさんって、どういう服装とか髪型を好まれるのかしら」
「こ、好みの服装? 清潔なら何でもいいと思うけど。洗濯するの好きだったし」
だから汚い格好をしている人は嫌いだろう。
「そ、そんな……」
彼女の趣味は庭いじりだ。たまに泥で汚れた姿で歩いているのを思い出す。
「別に仕事の泥汚れを嫌ってるわけじゃないからね。饐えた匂いがするとか、そういうのだから。働く人は好きだと思うよ。土いじりする姿とかは、むしろ好印象だと思う」
「ほ、本当ですの? 良かった」
「髪は……長い髪が好きみたい」
ギル様と同じで、私の髪が伸びるのを喜んでいたから。
「胸は、小さく見える方がいいのかしら……」
ウィシュニアは胸を見下ろして言う。
「え、なんで? どうせなら大きく見せた方がいいんじゃない? あいつも男だから、女の人の胸元には興味があるみたいだよ」
カリンのような巨乳ならともかく、ウィシュニアは普通かやや大きいぐらいだ。悩む必要などあるまいに。
「そう。それならよかったわ」
彼女は拳を作り、うんうんと頷いた。
ウィシュニアはあまり感情を表に出さない子だ。美人だけど潔癖なところがあって、軽い男をひどく嫌う。そんな奴らには氷のように冷たい目を向けることさえある。
その一方で花が好きで、神殿の庭に植える花を選んだのは彼女だ。庭師と相談し、土で汚れるのも厭わずエリネ様に相応しい庭園を造った。品はあるがわざと野性味も加えて、四季を通して花を楽しめるようにしている。誤解を受けやすいが、真面目な女の子なのだ。
私達は彼女の気持ちを知っているから、彼女がティタンを前にして様子がおかしくなるのも、一生懸命話そうとしているからだと分かる。しかし知らなければ、何か別の理由があると考えるのは当然だろう。特にティタンは出世した後にモテるようになったから、自分自身の魅力でモテているとかは全く考えていない。なので余計に勘違いしないように自分を律しているはずだ。
私からも、王子様の従騎士なんて看板に釣られる女性には気を付けろ、と言ったことがある。もちろんその看板は、彼の実力を裏付ける魅力の一つなので、それを切っ掛けに興味を持つことを否定するわけではないけど。私だってギル様に王子様という看板がなければ、今とは違う関係になっていただろう。
などと、エリネ様の部屋の窓際であれこれ考えていると、建物の陰で待ち伏せていたウィシュニアが見えた。早速計画を実行しようとしているらしい。肥料の袋を抱えて、レイドと連れ立って歩くティタンの前に飛び出た。
「きゃっ」
「うわっ」
勢い余ってウィシュニアが足をもつれさせたので、ティタンは驚きながらも咄嗟に手を出した。
ウィシュニアの身体の前面に。具体的に言うとウィシュニアの胸の前に。
先ほどウィシュニアの相談を受け、窓からこっそり彼女の動向を見守っていた私達は、予想外の展開に目を丸くした。
「…………ず、ずるいっ」
一緒に見ていた誰かが口にした。恩を売らせて差し入れをする計画が、ティタンの痴漢行為で台無しである。親切にしたのに殴られても仕方のない展開だ。
「あちゃあ……どうするこれ」
近くにいたセルが呟いた。
一方、ティタンはウィシュニアを起こしたものの、狼狽のあまり土下座を始めた。
他の誰かならともかく、ティタンならウィシュニアもそう怒らないだろう。事故だし、むしろ自分から突っ込んでいったんだし、快く許してくれるはずだ。だがティタンはそんなこと知る由もないから、乙女の胸に触れてしまった以上、もう謝るしか道はないと思ったようだ。
好きな人の土下座を受けたウィシュニアは、胸を抱えながらおろおろしている。
「ルゼ様、これは、どう収めたらよろしいのでしょう……」
エリネ様が土下座するティタンを見つめて私に問う。
「エリネ様が外に出て仲裁するのも一つの手だけど、それじゃあティタンが引きずるだろうし……誰かが冗談っぽく一発殴っておくとか」
それなら、多少罪悪感も和らぐだろう。後でウィシュニアも謝罪がしやすい。
「では、マディさん……」
エリネ様は見習い神官騎士のマディさんに視線を向けた。彼は顔を引きつらせる。
「いや、マディさんは真面目すぎます。もう少し柔軟な対応の出来る……バルロード」
私はギル様にちょっと後ろ姿が似ていると評判の同僚に視線を向けた。
その時だ。
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