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3巻
3-2
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姫様がちらとゼクセンを見たけど、ゼクセンは気付いていない。姫様からしたら、彼は使え……いや頼りなさそうに見えるのだろう。
「使えないと女子供まで殴るのか……」
意外に熱い男のラントちゃんは、信じられないとギル様を見た。
「え、これ、ぬいぐるみじゃないの?」
姫様が初めてラントちゃんに気付いてじっと見つめた。
大きなウサギさんは、口元をひくひくさせて姫様を見上げる。
「やだ、可愛い!」
姫様は意外と可愛い物がお好きなようで、思わずといった様子でラントちゃんに手を伸ばす。火傷した手を。
「ちょ、手っ」
ラントちゃんは驚いてその手を握った。顔と違って化粧で誤魔化していないから、よく分かる。
「な、顔もっ!?」
ラントちゃんは間近で見てようやく顔の火傷に気付き、さらに驚いた。廊下は薄暗かったからちょっと怪我をしている程度に見えていたのだが、やはり明るい場所で改めて見ると隠し切れない。
「な、なんでそんなひどく残ってるんだ!?」
「治してないからよ」
「なんでだっ!?」
「まともな顔だと、母の嫌がらせのような政略結婚の道具にされるのよ」
「それにしたって……人間の女は皆こうなのか?」
皆の中には私も入っているのだろう。
「ラントちゃん、私は好き好んであんな格好をしていたわけじゃないよ。お金のためにやってたの。うち貧乏だから」
「ごめんねルゼ。君にそんなことまでさせてしまって。せっかく綺麗に伸びていた髪だったのに」
私の言葉を聞いてホーンが肩を落として謝罪する。私のカツラを見て、髪の長い頃を思い出したようだ。ホーンは何もかも気にしすぎる。金のことだけは、個人の力ではどうしようもないのに。
「別に髪なんてまた生えてくるし、伸びたら切って売ろうとしてたから、どのみち切ってたよ。それに久しぶりに長いとすごく重い」
地毛がもう少し伸びたら髪を切ったと言って、この長くて重いカツラを取ろう。あまり重いからカツラの髪を短くしようとしたら、今でも十分短い方だとゼクセンが泣いて止めてきた。だから地毛を伸ばしてカツラを外すしか道はない。
「ラント、この三人は特殊だからあまり気にするな」
ギル様は適当な場所に座りながら言った。
ラントちゃんはギル様によって、特殊な三人の中に入れられたセクさんを見た。彼女はギル様の言葉に首をかしげたが、自分が特殊である自覚がないんだろうか。
席に着くと、ホーンが給仕を始める。今日は使用人すら出入りさせないようだ。
「確か、医者なんだろ」
「そうだ。患者命、患者にしか興味のない月船所属のセクだ。月船は国仕えしている医者の部署だ。ラントは出入りすることになるかもしれない」
ギル様の説明で、私からセクさんのことを聞いていたテルゼが複雑そうな顔をした。人間に紛れて仕事をしていた魔族として、何か思うところがあるのだろう。一方ラントちゃんは興味深そうに口を開く。
「ふぅん。なら、地上にしかない薬とかあるだろ。分かりやすい本があったら貸してくれ」
「ウサギが薬に興味あるの?」
セクさんは驚いて彼を見る。
「ラントちゃんは毒薬大好きだもんね」
「人聞きの悪いことを言うな。おふくろが薬師だったんだよ」
だからラントちゃんも薬に詳しいようだ。
「なんでそんなしっかりした親がいて、自分も知識があるのにあんな所で落ちぶれてたんだ。五区では小型の獣族は優遇されてるだろ」
テルゼが不思議そうに尋ねた。何の技術も持たないならともかく、技術もあって優遇される種族なのに落ちぶれる理由が分からない。
「五区の治安がいいったって、施政者が皆エンダー様みたいな方とは限らないんですよ」
ラントちゃんは王族のテルゼには一応丁寧語で話す。同じ王族でも、人間の王族であるギル様にはタメ口だけど。
「優遇されてるって言っても、俺みたいなウサギは珍しくもないですし」
「そんなことはない。小型獣族も今はもうだいぶ数が減っている」
私は二人の会話を聞いて首をかしげた。
「減るの? なんかウサギとかって繁殖力強そうだけど」
「それは地上のウサギだろ。獣族は大きかろうが小さかろうが繁殖力にそれほど差がないんだ。なのに未だに力が全てって考えの奴が、奴隷狩りみたいなことをしててさ。だから六区から小型の獣族が竜族の住む五区に逃げ出して、都心部で手先の器用さとかを生かして竜族の苦手な仕事についてるんだ」
だから五区は竜族と小型獣族の多い都になっていたのか。テルゼの説明を補足するようにローレンが続ける。
「六区も今の王になってからはマシになったって聞くけど、やっぱり『力こそ正義』の傾向があるのは変わりないから、地上で略奪するのは六区出身の獣族が多いんだ」
ラントちゃんにも色々とあるらしい。でも私は過去を気にしない女だ。今のラントちゃんは、私にとって大切なお友達であり、ペットであり、駒である。
「ねぇ、地下の薬はやっぱり地上の薬とは違うの?」
セクさんが暗い話を打ち切るように尋ねた。ラントちゃんはセクさんの興味を引いたらしく、彼女の中で彼は愛玩用のどうでもいいウサギから、ちょっと話し合える相手へと格上げされたらしい。しかもセクさんのストーカーのセレイン様の嫉妬をあおるような外見でもないから気楽なのだろう。
「かなり違うと思うぞ。元々は地上から持ち込んだもんだが、地下のものは品種改良が進んでいたり、毒性が強かったり、地上の薬とは効能が変わってる物が多いんだよ」
「ああ、魔物の魔力が薬を変質させたんですね。面白い」
ラントちゃんの説明を聞き、今まで黙っていたホーンも口を挟んだ。
「変質? なんだぁ、そりゃ」
「魔力の中には、浴びせ続けると物を変質させる作用を持つものがあるんだよ。地下ではそういう研究はされていないのかい?」
ラントはテルゼを見たが、彼は首を横に振る。
「魔族ははっきりと変質させられないのかな。ルゼ、お茶を淹れてきなさい。そして砂糖とミルクを入れて、気合いを入れてよぉく混ぜなさい」
「…………えぇ」
嫌だなぁと思ったが、私はしぶしぶと部屋の隅でお茶を淹れ始めた。私はお茶を淹れる時、いつも細心の注意を払う。慎重に、手早く茶葉をポットにぶち込み、湯をぶち込み、可能な限り自分の魔力の干渉を与えないようにする。私の場合、これで美味しくなる。
しかし今回ホーンが望んでいるのは、干渉した結果だ。だから丁寧丁寧に、過剰なほど手を掛けてお茶を淹れる。一つのカップにお茶を注ぎ、砂糖も入れて、ミルクも入れて、魔力を通しやすそうな銀のスプーンでひたすら混ぜ混ぜして、頃合いになったら別のカップに四等分し、ポットの茶で薄めた。それをトレイに載せて運ぶ。
「それがどうかしたのか?」
「ギル様、これが私の全力です、試飲して下さい。ラントちゃんも試しに少しだけ飲んでみて」
彼らは素直にカップを手に取り、匂いを嗅いだ。人間だろうが魔物だろうが、こういう時は同じことを考えるらしい。
「匂いは普通だな」
「ただのお茶だろ。あのやり方じゃろくな味じゃないだろうけどな」
「味でもなくなるのか?」
二人はカップに口を付け、口に含んだ。
そして噴いた。勢いよく、盛大に、躊躇いもなく。
「に、苦っ」
「水、水っ」
二人とも苦しんでいる。ギル様が手近にあった水差しを掴んでそのまま飲む。
カップを手にして飲もうとしていたヘルちゃんが、その様子を見て涙目で固まった。
「ルゼは世にも珍しい、手を加えただけでどんな料理も苦くしてしまう魔力を持つ子なんですよ。普段は出来るだけ抑えているので、手でこね回すような料理でもしない限りは不自由しないのですが、気合いを入れるとここまで味が変わるんです。分かりやすいでしょう」
その間にも、ギル様は砂糖の塊を幾つも口に含んで口直しをしていた。
「いつもはもっと軽い変化で、砂糖を後に入れると飲める程度ですが、今回は変質をお見せするためだったので、思い切りやらせました」
「口で説明しろ、口でっ」
「ギルネスト殿下にまで勧めるとは思わず」
その隣でセクさんもお茶に小指を突っ込んで舐めた。それを見て姫様まで同じようにカップに指を突っ込んで舐め、苦い苦いと小さな子供のようにはしゃいだ。
そしてヘルちゃんは震えながら無言でカップをローレンに押しつけ、ローレンは無表情でそれをテーブルに置いた。
「けほっけほっ、もう、何なんだ、このバーテ草みたいな苦みはっ」
ラントちゃんも水をもらって一息つく。
「これじゃあ、嫁のもらい手もないな」
「万が一結婚なんてする時は、料理の出来る男の人にもらってもらうもん」
私はあんまり主婦には向いていない。稼いでくる方が向いている。私は大道芸も出来るし、どこでも生きていける。だから男なんていなくてもいいんだもん。
「馬鹿だなぁ、ルゼちゃん。料理なんてしなくていい、お金持ちのところにお嫁に行けばいいんだよ。ギル様とか」
まだ言ってるよ、ゼクセン。難を逃れて余裕の表情だ。
「あんまり馬鹿なことを言い続けてると怒るよ?」
「料理が苦手っぽいのは知ってたけど、ルゼちゃんが作ると全部苦くなるの? 野外訓練で確か芋の皮むきしてたけど」
ゼクセンは私の怒りを無視した。いつの間にこんな子になってしまったんだ……
「お茶を淹れるだけなら、ちょっとやり方が下手で苦みが出てしまったって誤魔化せるぐらいだよ。でも素手で食材をかき混ぜるとはっきり分かるかな。あと調理器具が金属だと、どうしても魔力が伝わって影響が出ちゃうみたい。滋養になるらしいけど、効能が出るような濃さだとなにぶん苦くて」
野営訓練の時は、傀儡術を使って手早く野菜を剥いて卑怯だとか言われたけど、仲間を全滅させるわけにはいかないし。
「でも実家の魔物狩りの時だって、携帯食かじってればよかったから、困ることなんてなかったよ」
「そっか。でもルゼちゃんはここにいても、実家にいても、料理なんてすることはもうないから大丈夫だよ」
ゼクセンが再び身分のことを強調する。改めて貴族になったのだと思うと気恥ずかしくて、転げ回って全力で否定したくなる。我慢するのが大変だ。
「そうか。俺、今まで料理なんて作ったことないけど、作らなくてもいい生活をしてれば大丈夫なのか!」
ヘルちゃんが何かを悟って力強くそう言いながら水を飲む。彼の場合は、ちょっと食事が偏っただけで死んでしまいかねないから、誰かに徹底管理してもらわなければならない。天族とは本来水だけで生きられる、謎の多い種族なのだ。下手に食べると逆に身体を壊してしまう。それでも美味しい物に惹かれるらしく、ヘルちゃんはいつも甘い菓子を見て指をくわえているのだ。
「ルゼの例はかなり極端で分かりやすかったでしょう。姫様の瞳が金色になっているのも魔力の影響です。他には四百年ほど前、ただの水を万病に効く聖水薬に変えた男性や、ただ存在するだけで植物を異常繁殖させた女性がいたそうです。彼らは聖人として歴史に名を残しています。このように、何かに影響を与える魔力というのは神聖視されることも多く、人間にとっては興味深い分野です。ただし、その力を分かりやすく表せる人があまりいないし、変化させる方向が千差万別ですから、研究は進んでいませんが」
「へぇ」
ホーンの解説を聞いて、テルゼは私を見た。
「ルゼちゃん、苦みさえなかったら、ノイリみたいな聖女になってたのか?」
「病を治すほどの力はないから無理。ちょっと元気になるだけみたいだから。こんな苦いの自分でも飲めないし、そのまま飲んでも元気になった分、苦みで気持ち悪くなって意味がないみたい。味っていうのは大切なんだよ。ダメージ受けるから」
ダメージを与えるほど不味くなければ、私だってこの『良薬口に苦し』な力を使ってとりあえず教祖になっていただろう。宗教は儲かるから。教祖ごっことかきっと楽しいし。
「まあ、不味い薬飲んで気分悪くなって吐くってよくあるもんな」
テルゼが遠い目をして呟いた。彼もそういう薬を飲まされたんだろう。
「かといって味を調えるために色々入れるとかなり薄まるから、効果が落ちて栄養ドリンクにしかならないみたい。それでも私は飲みたくないけど」
これで美味しいなら商売にもなっただろう。実際やってみたら味を我慢できる男性にはすごく人気だったらしい。売りに行ってたのは孤児院の兄達のうちの誰かだったから、本当のところはよく分からないけど。
「物を変化させること自体はそう特別なことではありません。地下にもいませんか? 何でもない材料で、不思議と美味しい料理を作る料理人など。ルゼとは逆の方向に力が働いて、そうなってる人がけっこういるのです。無意識のうちに肉体強化をしたり、物に影響を与えて加工しやすくしたり」
ホーンの説明に、テルゼとラントはなんとなく心当たりがあるようで、「ああ」と頷いた。
「ただ、ルゼが明らかにおかしくて分かりやすいだけなんですよ。美味しくなったらただお茶を淹れるのが上手い人ですが、この苦さは不可思議さ無限大ですからね」
無限大で悪かったな。本当は、もっと女の子らしくいられる魔力がよかったのに……
「そういえば、ラントちゃんの薬。私が傀儡術で作った結界を貫いたあの魔法薬」
私の言葉を聞いて、姫様とホーンが明らかに目の色を変えた。
「ああ、あれは魔力に反応するんだ。よくある魔法薬を改良して使ってる」
「魔力に? どんな魔法薬?」
姫様がラントちゃんの頭を撫でながら問う。
「え、いや、どんなって」
「地下の魔法薬って気になるわ。今度月弓棟にいらっしゃい」
私もあれをぜひ調べていただきたかったんだけど、何も言わずとも話が進みそうだ。
私は切り分けられた桃にフォークを刺して口に含む。甘味と酸味がほどよく、美味しい。
「……そういえば晩餐……憂鬱です。体調不良で欠席しちゃダメですか?」
「僕の両親との晩餐など滅多にないから我慢しろ。あと今後はお前には太ってもらわないと困るから、練習も兼ねて朝昼夜はきっちり食べるんだぞ。エノーラに使用人を借りたんだから、しっかり女らしくなれ。そんな縦だけにデカイ幼児体型だと、さすがに知り合いから本当に兄と別人なのかと疑われかねない」
幼……確かに、膨らみとか丸みはないけど。同年齢の子と比べてもないけどっ!
「な、何のために補整下着があると思ってるんですか」
「一生そのままでいいのか?」
「まあ、もう少し太らないといけないとは思いますけど……」
騎士の時は病弱設定のためにわざと痩せていた。今はその必要がなくなったとはいえ、簡単に食生活は変えられるものではない。
「お前、ひょっとして今まで軽い物しか食べなかったのは、その体質が原因か?」
「いえ。確かに筋だらけの硬い肉とかを切ったら不味くなりますけど、それ以前に元々脂っこい物が嫌いなんです」
「じゃあ、甘い物はなんで食べないんだ? スプーンで掬うだけなら味は変わらないだろ」
ギル様が我が儘な子供を叱るように言う。女扱いをやめたと思ったら、今度は子供扱いか。
「だから、この力と味覚は関係ありません。甘い物も嫌いなんです。甘すぎない物なら好きです」
「女のくせに甘い物が嫌いだと? 信じられない。何なら食べられるんだ?」
それは女性に対する偏見だ。ちなみにギル様はラグロアでも疲れた時に甘い物を食べたがっていた。命じればすぐに出てくる環境に慣れているから、思った時にすぐ出てこないと、余計にストレスになるようだった。ゼクセンは完全に甘党だ。私が一番甘い物を食べなかった。
「こういうさっぱりした果物とか……」
「果物。果物はいいぞ。果物」
ラントちゃんが反応した。目がキラキラして可愛い。
「もう、全部野菜でいいです」
「だから、少しは普通の食事に慣れる努力をしてくれ。ノイリとの思い出の清貧な食事は忘れろ。 病気で食べる気にならないというならともかく、好き嫌いで食べないというのは許さないからな」
ギル様は相変わらず短気だ。身体が資本の騎士だから、食事のことにも口うるさい。好き嫌いだとバラしてしまった今、もう大目に見てくれないだろう。ああ、言わなきゃよかった!
「ギルネスト殿下、落ちついて下さい。女の子なのですから、騎士基準の身体作りは必要ありません。甘い果物を与えて普通の食事をして、毎日散歩でもすれば十分女らしい身体になりますよ」
「そ、そうだな」
ホーンがギル様を落ち着かせてくれた。彼は前からこの手の怒りっぽい人の扱いが上手かった。私は神経を逆なでしてしまうタイプだから、こういうのを見習わなければ。
「ルゼもこれからは食事に招待されることもあるから、普通の食事の作法を習いなさい。柔らかい物を切るだけなら味も変わらないし、要は慣れだよ。もし硬い肉が出たら、そんな物を出す方が悪いんだから残しなさい。ギルネスト殿下と一緒なら、そのようなことはないと思うけど」
「……はい」
いつも食べ残しはダメだと言うホーンが、残していいと言うなんて……食事を出してくるのは金持ちだけと言っているようなもので、その括り方は妹として寂しい。
それに、この国のいい料理って、バターとかたくさん使ってあるから嫌いなのに。
騎士をやめた今、私はギル様お抱えの何でも屋である。あまり注目されすぎてもいけない。ほどほどに見られ、ほどほどに無関心でいてもらう必要がある。そのためには、出される食事にも慣れなければならない。下品だったり、おかしな振る舞いをしたりして注目されるのは最悪だ。
「でもギルと食事をすると、今度はうちの性悪な母に目を付けられるわよ。ギルが女と仲良くするだけで腹を立てるから。ちょっと鬱陶しいんじゃないかしら」
姫様がカップをソーサーに置いて言う。
覚悟はしていたが、改めて言われると再び恐怖が湧いてくる。
「ゼクセン、絶対に外では変な冗談言わないでね。私だって命は惜しいんだから」
「いくらなんでも殺すか」
怯える私に、ギル様は砂糖菓子を口に運んでいた手を止めて言う。
「でもやりかねない目をしてましたよ。あの女は絶対に何か悪さをしてます」
「何故初対面の相手にそこまで言い切れるんだ。否定はしないが」
否定して下さい。あなたの母親でしょう。
「私の心の恋人は今のところラントちゃんでいいです」
ラントちゃんも否定しなかった。彼もギル様と噂がある方が危ないと思うらしい。
「そうしておきなさい。動物に夢中な女の方が安全よ。ギル、この子に必要以上に干渉しちゃダメよ。食事を忘れなきゃいいんでしょ」
「こいつにそれが出来るか。使用人に任せていたら使用人が可哀相だろう」
双子の会話は突然喧嘩口調になった。この二人はいつも対立するように話す。協力し合うことも出来るのに、対面するとこうだ。なかなか長年の溝は埋まらないらしい。今回の言い争いの原因は私なので、どうしたものか。食べると言っても彼らは信用してくれないに違いない。
今まで黙っていたテルゼが笑みを浮かべて言う。
「でもさルゼちゃん、冗談抜きでもう少し太らないと、女らしくならないぞ。その絶壁の胸とか」
私は小さく呻いてテルゼを睨み上げた。
胸のことは言われると辛い。ここに来たのは一年近く前だったが、その頃と変わっていないことを思うと、さすがに焦燥感がじわじわと押し寄せてくる。
「普通、一番成長するのは今だろ。でも今は寄せて上げるための余分な脂肪すらない。ルゼちゃんは太ってもどうせ平均以下だから、気にせず太れよ。あ、地上ではミルクを飲むと胸の成長にもいいって言うよな。毎晩飲むといいらしいぜ」
「夜に?」
「ああ。ルゼちゃんの実家ではミルク飲まないのか?」
「あまり飲むとお腹を壊すって言われてたから。私はこれ以上背を伸ばす必要もないし」
「嫌いなのか?」
「味は好き」
「ミルク飲む方が嫌いな物を無理に食べるよりいいだろ。蜂蜜でも入れて少し甘くすると美味いし」
「な、なるほど」
それで胸が大きくなるなら、ミルクぐらい飲んでやるって気にもなる。温めればお腹を壊すこともないだろうし。
「ギル、女の子にはこうやって妥協できる点を提示しないと、へそを曲げるだけだぞ。押しつけは一番嫌がられる。顔だけじゃあ、いつか飽きられるからな」
さすがは色白美人を落としまくってきただけはある。こういう時は、押しつけるだけのギル様よりも、テルゼの言葉の方が素直に聞ける。誰彼構わず口説くのをやめれば欠点が無くなるのに、惜しい男だ。
「それでもダメだったら、俺が大きくなるように揉んでやるよ」
「揉むと大きくなるって本当なの?」
「ルゼちゃん、冗談なのにマジな顔で返されると、俺がすげぇ馬鹿みたいじゃねぇか」
「大きくならないの?」
「揉んでもらうと大きくなるとは言われてるな」
「自分じゃダメなの?」
じゃあ、と私はラントちゃんを見た。ラントちゃんは可愛くて無害だ。
「俺に何をさせる気だ!? 指をくわえて見るなっ! 俺は男だって何度言ったら分かる!? 揉むなら自分で揉めっ」
「だって……揉むほどないもんっ」
胸に触ると虚しいよ!
「自己完結してんじゃねぇかっ。ガキはミルク飲んで早く寝ればいいんだよっ」
「うん、わかった」
ラントちゃんを抱っこして、早く寝よう。早く寝た方が成長すると聞く。よく食べて、よく寝て、胸を育てるのだ。私はまだ成長期だから未来はあるはず。
「……面倒見のいいウサギね」
「見たくて見てるわけじゃねぇよ。それに俺をウサギって言うな!」
姫様が褒めて下さったのに、ラントちゃんは犬がほえるように反応する。ウサギはもっと、もそもそ動いて静かなものだ。ラントちゃんの中身はウサギとはかけ離れている。でも可愛いからいい。
「ごめんなさいね。ラントだったかしら。私はグランディナよ。よろしくね」
「お、おう」
姫様の純粋な微笑みにラントちゃんは少しばかり戸惑いながら頷いた。ひげがピクピク動いている。姫様は私達と違って心の綺麗な方だから、笑顔がとても眩しい。
「双子なのにえらい差だな。お前らエセ双子の方がまだ似てる」
ラントちゃんが戸惑った顔のまま話しかけてくる。
「ギル様はあの性格悪そうなお母様の過干渉を受けて育ったから」
「ああ、あの怖そうな女。そりゃ性格も歪む」
「おい」
ギル様が青筋が浮かびそうな表情で私達を睨んできた。
「ギル様が怒ってる」
「そりゃ、怒るだろ」
「やっぱり怒ったギル様の方がギル様らしくて安心するかも」
「お前、そりゃ変だろ」
「だって、優しいギル様って不気味だったんだもん」
そう言うとラントちゃんも納得したらしく「あぁ……」と同意してくれた。
胸ぐら掴んで持ち上げたり、髪を引っ張ったり、そういうのがギル様らしさだと思う。
「ちょっとギル、あんた部下をどんな風に扱ってるのよ。優しいのが不気味って、騎士の品位をこれ以上落とさないでちょうだい!」
「う、うるさい。こいつが特殊なんだ。女だと思って優しくしてやれば、怖いだの不気味だの」
「日頃の行いが悪いからでしょ。また誰かを半殺しになんてしたら、いい笑いものよ」
相変わらず仲の悪い二人だ。でも、喧嘩をするだけ仲がよくなったとも言える。前はせいぜい、姫様と仲良くしていた私をやっかんだニース様と一緒にギル様が絡んできたくらいで、二人の間にはもっと距離があった。
何にしても、これからはこの騒がしい環境で、ラントちゃんと一緒に間諜をする日々を送るのだ。頭の中だけは、引き締めていかないと。
この生活に慣れてきたら、やりたいこともあるしね!
「使えないと女子供まで殴るのか……」
意外に熱い男のラントちゃんは、信じられないとギル様を見た。
「え、これ、ぬいぐるみじゃないの?」
姫様が初めてラントちゃんに気付いてじっと見つめた。
大きなウサギさんは、口元をひくひくさせて姫様を見上げる。
「やだ、可愛い!」
姫様は意外と可愛い物がお好きなようで、思わずといった様子でラントちゃんに手を伸ばす。火傷した手を。
「ちょ、手っ」
ラントちゃんは驚いてその手を握った。顔と違って化粧で誤魔化していないから、よく分かる。
「な、顔もっ!?」
ラントちゃんは間近で見てようやく顔の火傷に気付き、さらに驚いた。廊下は薄暗かったからちょっと怪我をしている程度に見えていたのだが、やはり明るい場所で改めて見ると隠し切れない。
「な、なんでそんなひどく残ってるんだ!?」
「治してないからよ」
「なんでだっ!?」
「まともな顔だと、母の嫌がらせのような政略結婚の道具にされるのよ」
「それにしたって……人間の女は皆こうなのか?」
皆の中には私も入っているのだろう。
「ラントちゃん、私は好き好んであんな格好をしていたわけじゃないよ。お金のためにやってたの。うち貧乏だから」
「ごめんねルゼ。君にそんなことまでさせてしまって。せっかく綺麗に伸びていた髪だったのに」
私の言葉を聞いてホーンが肩を落として謝罪する。私のカツラを見て、髪の長い頃を思い出したようだ。ホーンは何もかも気にしすぎる。金のことだけは、個人の力ではどうしようもないのに。
「別に髪なんてまた生えてくるし、伸びたら切って売ろうとしてたから、どのみち切ってたよ。それに久しぶりに長いとすごく重い」
地毛がもう少し伸びたら髪を切ったと言って、この長くて重いカツラを取ろう。あまり重いからカツラの髪を短くしようとしたら、今でも十分短い方だとゼクセンが泣いて止めてきた。だから地毛を伸ばしてカツラを外すしか道はない。
「ラント、この三人は特殊だからあまり気にするな」
ギル様は適当な場所に座りながら言った。
ラントちゃんはギル様によって、特殊な三人の中に入れられたセクさんを見た。彼女はギル様の言葉に首をかしげたが、自分が特殊である自覚がないんだろうか。
席に着くと、ホーンが給仕を始める。今日は使用人すら出入りさせないようだ。
「確か、医者なんだろ」
「そうだ。患者命、患者にしか興味のない月船所属のセクだ。月船は国仕えしている医者の部署だ。ラントは出入りすることになるかもしれない」
ギル様の説明で、私からセクさんのことを聞いていたテルゼが複雑そうな顔をした。人間に紛れて仕事をしていた魔族として、何か思うところがあるのだろう。一方ラントちゃんは興味深そうに口を開く。
「ふぅん。なら、地上にしかない薬とかあるだろ。分かりやすい本があったら貸してくれ」
「ウサギが薬に興味あるの?」
セクさんは驚いて彼を見る。
「ラントちゃんは毒薬大好きだもんね」
「人聞きの悪いことを言うな。おふくろが薬師だったんだよ」
だからラントちゃんも薬に詳しいようだ。
「なんでそんなしっかりした親がいて、自分も知識があるのにあんな所で落ちぶれてたんだ。五区では小型の獣族は優遇されてるだろ」
テルゼが不思議そうに尋ねた。何の技術も持たないならともかく、技術もあって優遇される種族なのに落ちぶれる理由が分からない。
「五区の治安がいいったって、施政者が皆エンダー様みたいな方とは限らないんですよ」
ラントちゃんは王族のテルゼには一応丁寧語で話す。同じ王族でも、人間の王族であるギル様にはタメ口だけど。
「優遇されてるって言っても、俺みたいなウサギは珍しくもないですし」
「そんなことはない。小型獣族も今はもうだいぶ数が減っている」
私は二人の会話を聞いて首をかしげた。
「減るの? なんかウサギとかって繁殖力強そうだけど」
「それは地上のウサギだろ。獣族は大きかろうが小さかろうが繁殖力にそれほど差がないんだ。なのに未だに力が全てって考えの奴が、奴隷狩りみたいなことをしててさ。だから六区から小型の獣族が竜族の住む五区に逃げ出して、都心部で手先の器用さとかを生かして竜族の苦手な仕事についてるんだ」
だから五区は竜族と小型獣族の多い都になっていたのか。テルゼの説明を補足するようにローレンが続ける。
「六区も今の王になってからはマシになったって聞くけど、やっぱり『力こそ正義』の傾向があるのは変わりないから、地上で略奪するのは六区出身の獣族が多いんだ」
ラントちゃんにも色々とあるらしい。でも私は過去を気にしない女だ。今のラントちゃんは、私にとって大切なお友達であり、ペットであり、駒である。
「ねぇ、地下の薬はやっぱり地上の薬とは違うの?」
セクさんが暗い話を打ち切るように尋ねた。ラントちゃんはセクさんの興味を引いたらしく、彼女の中で彼は愛玩用のどうでもいいウサギから、ちょっと話し合える相手へと格上げされたらしい。しかもセクさんのストーカーのセレイン様の嫉妬をあおるような外見でもないから気楽なのだろう。
「かなり違うと思うぞ。元々は地上から持ち込んだもんだが、地下のものは品種改良が進んでいたり、毒性が強かったり、地上の薬とは効能が変わってる物が多いんだよ」
「ああ、魔物の魔力が薬を変質させたんですね。面白い」
ラントちゃんの説明を聞き、今まで黙っていたホーンも口を挟んだ。
「変質? なんだぁ、そりゃ」
「魔力の中には、浴びせ続けると物を変質させる作用を持つものがあるんだよ。地下ではそういう研究はされていないのかい?」
ラントはテルゼを見たが、彼は首を横に振る。
「魔族ははっきりと変質させられないのかな。ルゼ、お茶を淹れてきなさい。そして砂糖とミルクを入れて、気合いを入れてよぉく混ぜなさい」
「…………えぇ」
嫌だなぁと思ったが、私はしぶしぶと部屋の隅でお茶を淹れ始めた。私はお茶を淹れる時、いつも細心の注意を払う。慎重に、手早く茶葉をポットにぶち込み、湯をぶち込み、可能な限り自分の魔力の干渉を与えないようにする。私の場合、これで美味しくなる。
しかし今回ホーンが望んでいるのは、干渉した結果だ。だから丁寧丁寧に、過剰なほど手を掛けてお茶を淹れる。一つのカップにお茶を注ぎ、砂糖も入れて、ミルクも入れて、魔力を通しやすそうな銀のスプーンでひたすら混ぜ混ぜして、頃合いになったら別のカップに四等分し、ポットの茶で薄めた。それをトレイに載せて運ぶ。
「それがどうかしたのか?」
「ギル様、これが私の全力です、試飲して下さい。ラントちゃんも試しに少しだけ飲んでみて」
彼らは素直にカップを手に取り、匂いを嗅いだ。人間だろうが魔物だろうが、こういう時は同じことを考えるらしい。
「匂いは普通だな」
「ただのお茶だろ。あのやり方じゃろくな味じゃないだろうけどな」
「味でもなくなるのか?」
二人はカップに口を付け、口に含んだ。
そして噴いた。勢いよく、盛大に、躊躇いもなく。
「に、苦っ」
「水、水っ」
二人とも苦しんでいる。ギル様が手近にあった水差しを掴んでそのまま飲む。
カップを手にして飲もうとしていたヘルちゃんが、その様子を見て涙目で固まった。
「ルゼは世にも珍しい、手を加えただけでどんな料理も苦くしてしまう魔力を持つ子なんですよ。普段は出来るだけ抑えているので、手でこね回すような料理でもしない限りは不自由しないのですが、気合いを入れるとここまで味が変わるんです。分かりやすいでしょう」
その間にも、ギル様は砂糖の塊を幾つも口に含んで口直しをしていた。
「いつもはもっと軽い変化で、砂糖を後に入れると飲める程度ですが、今回は変質をお見せするためだったので、思い切りやらせました」
「口で説明しろ、口でっ」
「ギルネスト殿下にまで勧めるとは思わず」
その隣でセクさんもお茶に小指を突っ込んで舐めた。それを見て姫様まで同じようにカップに指を突っ込んで舐め、苦い苦いと小さな子供のようにはしゃいだ。
そしてヘルちゃんは震えながら無言でカップをローレンに押しつけ、ローレンは無表情でそれをテーブルに置いた。
「けほっけほっ、もう、何なんだ、このバーテ草みたいな苦みはっ」
ラントちゃんも水をもらって一息つく。
「これじゃあ、嫁のもらい手もないな」
「万が一結婚なんてする時は、料理の出来る男の人にもらってもらうもん」
私はあんまり主婦には向いていない。稼いでくる方が向いている。私は大道芸も出来るし、どこでも生きていける。だから男なんていなくてもいいんだもん。
「馬鹿だなぁ、ルゼちゃん。料理なんてしなくていい、お金持ちのところにお嫁に行けばいいんだよ。ギル様とか」
まだ言ってるよ、ゼクセン。難を逃れて余裕の表情だ。
「あんまり馬鹿なことを言い続けてると怒るよ?」
「料理が苦手っぽいのは知ってたけど、ルゼちゃんが作ると全部苦くなるの? 野外訓練で確か芋の皮むきしてたけど」
ゼクセンは私の怒りを無視した。いつの間にこんな子になってしまったんだ……
「お茶を淹れるだけなら、ちょっとやり方が下手で苦みが出てしまったって誤魔化せるぐらいだよ。でも素手で食材をかき混ぜるとはっきり分かるかな。あと調理器具が金属だと、どうしても魔力が伝わって影響が出ちゃうみたい。滋養になるらしいけど、効能が出るような濃さだとなにぶん苦くて」
野営訓練の時は、傀儡術を使って手早く野菜を剥いて卑怯だとか言われたけど、仲間を全滅させるわけにはいかないし。
「でも実家の魔物狩りの時だって、携帯食かじってればよかったから、困ることなんてなかったよ」
「そっか。でもルゼちゃんはここにいても、実家にいても、料理なんてすることはもうないから大丈夫だよ」
ゼクセンが再び身分のことを強調する。改めて貴族になったのだと思うと気恥ずかしくて、転げ回って全力で否定したくなる。我慢するのが大変だ。
「そうか。俺、今まで料理なんて作ったことないけど、作らなくてもいい生活をしてれば大丈夫なのか!」
ヘルちゃんが何かを悟って力強くそう言いながら水を飲む。彼の場合は、ちょっと食事が偏っただけで死んでしまいかねないから、誰かに徹底管理してもらわなければならない。天族とは本来水だけで生きられる、謎の多い種族なのだ。下手に食べると逆に身体を壊してしまう。それでも美味しい物に惹かれるらしく、ヘルちゃんはいつも甘い菓子を見て指をくわえているのだ。
「ルゼの例はかなり極端で分かりやすかったでしょう。姫様の瞳が金色になっているのも魔力の影響です。他には四百年ほど前、ただの水を万病に効く聖水薬に変えた男性や、ただ存在するだけで植物を異常繁殖させた女性がいたそうです。彼らは聖人として歴史に名を残しています。このように、何かに影響を与える魔力というのは神聖視されることも多く、人間にとっては興味深い分野です。ただし、その力を分かりやすく表せる人があまりいないし、変化させる方向が千差万別ですから、研究は進んでいませんが」
「へぇ」
ホーンの解説を聞いて、テルゼは私を見た。
「ルゼちゃん、苦みさえなかったら、ノイリみたいな聖女になってたのか?」
「病を治すほどの力はないから無理。ちょっと元気になるだけみたいだから。こんな苦いの自分でも飲めないし、そのまま飲んでも元気になった分、苦みで気持ち悪くなって意味がないみたい。味っていうのは大切なんだよ。ダメージ受けるから」
ダメージを与えるほど不味くなければ、私だってこの『良薬口に苦し』な力を使ってとりあえず教祖になっていただろう。宗教は儲かるから。教祖ごっことかきっと楽しいし。
「まあ、不味い薬飲んで気分悪くなって吐くってよくあるもんな」
テルゼが遠い目をして呟いた。彼もそういう薬を飲まされたんだろう。
「かといって味を調えるために色々入れるとかなり薄まるから、効果が落ちて栄養ドリンクにしかならないみたい。それでも私は飲みたくないけど」
これで美味しいなら商売にもなっただろう。実際やってみたら味を我慢できる男性にはすごく人気だったらしい。売りに行ってたのは孤児院の兄達のうちの誰かだったから、本当のところはよく分からないけど。
「物を変化させること自体はそう特別なことではありません。地下にもいませんか? 何でもない材料で、不思議と美味しい料理を作る料理人など。ルゼとは逆の方向に力が働いて、そうなってる人がけっこういるのです。無意識のうちに肉体強化をしたり、物に影響を与えて加工しやすくしたり」
ホーンの説明に、テルゼとラントはなんとなく心当たりがあるようで、「ああ」と頷いた。
「ただ、ルゼが明らかにおかしくて分かりやすいだけなんですよ。美味しくなったらただお茶を淹れるのが上手い人ですが、この苦さは不可思議さ無限大ですからね」
無限大で悪かったな。本当は、もっと女の子らしくいられる魔力がよかったのに……
「そういえば、ラントちゃんの薬。私が傀儡術で作った結界を貫いたあの魔法薬」
私の言葉を聞いて、姫様とホーンが明らかに目の色を変えた。
「ああ、あれは魔力に反応するんだ。よくある魔法薬を改良して使ってる」
「魔力に? どんな魔法薬?」
姫様がラントちゃんの頭を撫でながら問う。
「え、いや、どんなって」
「地下の魔法薬って気になるわ。今度月弓棟にいらっしゃい」
私もあれをぜひ調べていただきたかったんだけど、何も言わずとも話が進みそうだ。
私は切り分けられた桃にフォークを刺して口に含む。甘味と酸味がほどよく、美味しい。
「……そういえば晩餐……憂鬱です。体調不良で欠席しちゃダメですか?」
「僕の両親との晩餐など滅多にないから我慢しろ。あと今後はお前には太ってもらわないと困るから、練習も兼ねて朝昼夜はきっちり食べるんだぞ。エノーラに使用人を借りたんだから、しっかり女らしくなれ。そんな縦だけにデカイ幼児体型だと、さすがに知り合いから本当に兄と別人なのかと疑われかねない」
幼……確かに、膨らみとか丸みはないけど。同年齢の子と比べてもないけどっ!
「な、何のために補整下着があると思ってるんですか」
「一生そのままでいいのか?」
「まあ、もう少し太らないといけないとは思いますけど……」
騎士の時は病弱設定のためにわざと痩せていた。今はその必要がなくなったとはいえ、簡単に食生活は変えられるものではない。
「お前、ひょっとして今まで軽い物しか食べなかったのは、その体質が原因か?」
「いえ。確かに筋だらけの硬い肉とかを切ったら不味くなりますけど、それ以前に元々脂っこい物が嫌いなんです」
「じゃあ、甘い物はなんで食べないんだ? スプーンで掬うだけなら味は変わらないだろ」
ギル様が我が儘な子供を叱るように言う。女扱いをやめたと思ったら、今度は子供扱いか。
「だから、この力と味覚は関係ありません。甘い物も嫌いなんです。甘すぎない物なら好きです」
「女のくせに甘い物が嫌いだと? 信じられない。何なら食べられるんだ?」
それは女性に対する偏見だ。ちなみにギル様はラグロアでも疲れた時に甘い物を食べたがっていた。命じればすぐに出てくる環境に慣れているから、思った時にすぐ出てこないと、余計にストレスになるようだった。ゼクセンは完全に甘党だ。私が一番甘い物を食べなかった。
「こういうさっぱりした果物とか……」
「果物。果物はいいぞ。果物」
ラントちゃんが反応した。目がキラキラして可愛い。
「もう、全部野菜でいいです」
「だから、少しは普通の食事に慣れる努力をしてくれ。ノイリとの思い出の清貧な食事は忘れろ。 病気で食べる気にならないというならともかく、好き嫌いで食べないというのは許さないからな」
ギル様は相変わらず短気だ。身体が資本の騎士だから、食事のことにも口うるさい。好き嫌いだとバラしてしまった今、もう大目に見てくれないだろう。ああ、言わなきゃよかった!
「ギルネスト殿下、落ちついて下さい。女の子なのですから、騎士基準の身体作りは必要ありません。甘い果物を与えて普通の食事をして、毎日散歩でもすれば十分女らしい身体になりますよ」
「そ、そうだな」
ホーンがギル様を落ち着かせてくれた。彼は前からこの手の怒りっぽい人の扱いが上手かった。私は神経を逆なでしてしまうタイプだから、こういうのを見習わなければ。
「ルゼもこれからは食事に招待されることもあるから、普通の食事の作法を習いなさい。柔らかい物を切るだけなら味も変わらないし、要は慣れだよ。もし硬い肉が出たら、そんな物を出す方が悪いんだから残しなさい。ギルネスト殿下と一緒なら、そのようなことはないと思うけど」
「……はい」
いつも食べ残しはダメだと言うホーンが、残していいと言うなんて……食事を出してくるのは金持ちだけと言っているようなもので、その括り方は妹として寂しい。
それに、この国のいい料理って、バターとかたくさん使ってあるから嫌いなのに。
騎士をやめた今、私はギル様お抱えの何でも屋である。あまり注目されすぎてもいけない。ほどほどに見られ、ほどほどに無関心でいてもらう必要がある。そのためには、出される食事にも慣れなければならない。下品だったり、おかしな振る舞いをしたりして注目されるのは最悪だ。
「でもギルと食事をすると、今度はうちの性悪な母に目を付けられるわよ。ギルが女と仲良くするだけで腹を立てるから。ちょっと鬱陶しいんじゃないかしら」
姫様がカップをソーサーに置いて言う。
覚悟はしていたが、改めて言われると再び恐怖が湧いてくる。
「ゼクセン、絶対に外では変な冗談言わないでね。私だって命は惜しいんだから」
「いくらなんでも殺すか」
怯える私に、ギル様は砂糖菓子を口に運んでいた手を止めて言う。
「でもやりかねない目をしてましたよ。あの女は絶対に何か悪さをしてます」
「何故初対面の相手にそこまで言い切れるんだ。否定はしないが」
否定して下さい。あなたの母親でしょう。
「私の心の恋人は今のところラントちゃんでいいです」
ラントちゃんも否定しなかった。彼もギル様と噂がある方が危ないと思うらしい。
「そうしておきなさい。動物に夢中な女の方が安全よ。ギル、この子に必要以上に干渉しちゃダメよ。食事を忘れなきゃいいんでしょ」
「こいつにそれが出来るか。使用人に任せていたら使用人が可哀相だろう」
双子の会話は突然喧嘩口調になった。この二人はいつも対立するように話す。協力し合うことも出来るのに、対面するとこうだ。なかなか長年の溝は埋まらないらしい。今回の言い争いの原因は私なので、どうしたものか。食べると言っても彼らは信用してくれないに違いない。
今まで黙っていたテルゼが笑みを浮かべて言う。
「でもさルゼちゃん、冗談抜きでもう少し太らないと、女らしくならないぞ。その絶壁の胸とか」
私は小さく呻いてテルゼを睨み上げた。
胸のことは言われると辛い。ここに来たのは一年近く前だったが、その頃と変わっていないことを思うと、さすがに焦燥感がじわじわと押し寄せてくる。
「普通、一番成長するのは今だろ。でも今は寄せて上げるための余分な脂肪すらない。ルゼちゃんは太ってもどうせ平均以下だから、気にせず太れよ。あ、地上ではミルクを飲むと胸の成長にもいいって言うよな。毎晩飲むといいらしいぜ」
「夜に?」
「ああ。ルゼちゃんの実家ではミルク飲まないのか?」
「あまり飲むとお腹を壊すって言われてたから。私はこれ以上背を伸ばす必要もないし」
「嫌いなのか?」
「味は好き」
「ミルク飲む方が嫌いな物を無理に食べるよりいいだろ。蜂蜜でも入れて少し甘くすると美味いし」
「な、なるほど」
それで胸が大きくなるなら、ミルクぐらい飲んでやるって気にもなる。温めればお腹を壊すこともないだろうし。
「ギル、女の子にはこうやって妥協できる点を提示しないと、へそを曲げるだけだぞ。押しつけは一番嫌がられる。顔だけじゃあ、いつか飽きられるからな」
さすがは色白美人を落としまくってきただけはある。こういう時は、押しつけるだけのギル様よりも、テルゼの言葉の方が素直に聞ける。誰彼構わず口説くのをやめれば欠点が無くなるのに、惜しい男だ。
「それでもダメだったら、俺が大きくなるように揉んでやるよ」
「揉むと大きくなるって本当なの?」
「ルゼちゃん、冗談なのにマジな顔で返されると、俺がすげぇ馬鹿みたいじゃねぇか」
「大きくならないの?」
「揉んでもらうと大きくなるとは言われてるな」
「自分じゃダメなの?」
じゃあ、と私はラントちゃんを見た。ラントちゃんは可愛くて無害だ。
「俺に何をさせる気だ!? 指をくわえて見るなっ! 俺は男だって何度言ったら分かる!? 揉むなら自分で揉めっ」
「だって……揉むほどないもんっ」
胸に触ると虚しいよ!
「自己完結してんじゃねぇかっ。ガキはミルク飲んで早く寝ればいいんだよっ」
「うん、わかった」
ラントちゃんを抱っこして、早く寝よう。早く寝た方が成長すると聞く。よく食べて、よく寝て、胸を育てるのだ。私はまだ成長期だから未来はあるはず。
「……面倒見のいいウサギね」
「見たくて見てるわけじゃねぇよ。それに俺をウサギって言うな!」
姫様が褒めて下さったのに、ラントちゃんは犬がほえるように反応する。ウサギはもっと、もそもそ動いて静かなものだ。ラントちゃんの中身はウサギとはかけ離れている。でも可愛いからいい。
「ごめんなさいね。ラントだったかしら。私はグランディナよ。よろしくね」
「お、おう」
姫様の純粋な微笑みにラントちゃんは少しばかり戸惑いながら頷いた。ひげがピクピク動いている。姫様は私達と違って心の綺麗な方だから、笑顔がとても眩しい。
「双子なのにえらい差だな。お前らエセ双子の方がまだ似てる」
ラントちゃんが戸惑った顔のまま話しかけてくる。
「ギル様はあの性格悪そうなお母様の過干渉を受けて育ったから」
「ああ、あの怖そうな女。そりゃ性格も歪む」
「おい」
ギル様が青筋が浮かびそうな表情で私達を睨んできた。
「ギル様が怒ってる」
「そりゃ、怒るだろ」
「やっぱり怒ったギル様の方がギル様らしくて安心するかも」
「お前、そりゃ変だろ」
「だって、優しいギル様って不気味だったんだもん」
そう言うとラントちゃんも納得したらしく「あぁ……」と同意してくれた。
胸ぐら掴んで持ち上げたり、髪を引っ張ったり、そういうのがギル様らしさだと思う。
「ちょっとギル、あんた部下をどんな風に扱ってるのよ。優しいのが不気味って、騎士の品位をこれ以上落とさないでちょうだい!」
「う、うるさい。こいつが特殊なんだ。女だと思って優しくしてやれば、怖いだの不気味だの」
「日頃の行いが悪いからでしょ。また誰かを半殺しになんてしたら、いい笑いものよ」
相変わらず仲の悪い二人だ。でも、喧嘩をするだけ仲がよくなったとも言える。前はせいぜい、姫様と仲良くしていた私をやっかんだニース様と一緒にギル様が絡んできたくらいで、二人の間にはもっと距離があった。
何にしても、これからはこの騒がしい環境で、ラントちゃんと一緒に間諜をする日々を送るのだ。頭の中だけは、引き締めていかないと。
この生活に慣れてきたら、やりたいこともあるしね!
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