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1巻
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しおりを挟む第一話 騎士?
この世には、金で買えぬ物は少ない。
私は金で買われた。これも立派な身売りの一種だと思う。ここに来るまで幾度となく空しさを覚え、幾度となく帰りたいという思いが頭を過ぎった。だがそれでも、ここにいる可愛らしい少女のような顔をした少年と並んで、ここまで来てしまった。
秋麗、ここはランネル王国の都ルクラスにある宮殿。そしてその一角にある練兵場には、少年たちが緊張した面持ちで集まっていた。私たちはその一群に混じり、時が来るのを待っていた。
私はとある事情から騎士になった。騎士などと言えば聞こえはいいが、荒事専門のお役人でしかない。それでもやはり感慨深くはある。自分でなりたかったわけではないが、強くて格好いい騎士には憧れていたから。
「大丈夫だよ、るーちゃん」
隣に立つ少年、ゼクセンが私を見上げ、励ますように声を掛けてきた。
「だから、恥ずかしいから『るーちゃん』はやめて」
「るーちゃんはるーちゃんだよ。大丈夫。僕が守ってあげるからね!」
彼は私の言葉を訳の分からない理論で否定して、頼りのない、可愛らしさのあまり胸がときめきそうになる乙女の如き可憐な笑顔を浮かべた。金髪碧眼で、絵本の中のメルヘンチックな王子様のような顔立ち、それでいて元気で勇敢な血統書付きの小型犬のような雰囲気。思わずなで回したくなる紅顔の美少年である。
「るーちゃんは何も心配しなくていいからね」
なおも言いつのる、可愛らしくいじらしいゼクセン。心配しなくていいなどと、その口でよくも言う。男らしい台詞は立派だが、私は不安でならないよ。
「ゼクセン、君はとりあえず口を閉じて」
「大丈夫!」
大丈夫でないのはお前だと殴りつけたいがそこは我慢。この口の軽い少年は、私を守るんだと使命感に燃えているのだが、その様子が目立つ事目立つ事。容姿が華やかなため、地味な私と違い本当に目立つ。彼は生まれた時からこの容姿だから、自分がどれだけ目立つかあまり自覚がないのかも知れない。
「ははっ、お嬢ちゃんが守るってよ」
「おっ……」
通りすがりの少年に言われて、ゼクセンの顔色が変わる。
「る、るーちゃん……るーちゃんはこんなに凛々しいのにっ」
彼は、私を見ながら狼狽えた。
「一応言っておくけど、お嬢ちゃんとはゼクセンの事だよ」
「へ?」
他の連中が整然と並び始めたので、立ち尽くすゼクセンの手を引き、彼等に倣った。未だに悩み続けるゼクセンが余計な事を言わないように見張りつつ、列に加わり時を待つ。
集合時間十五分前、全員が等間隔に整列し終わった頃、誘導の係などとは毛色の違う方々がやって来た。私は新人なので、上官の役職は制服の襟元のラインと小さな階級章でしか見分けられないし、その上ここからでは遠すぎて、襟元などまったく分からない。
まだ時間が来ていないので、彼等は少しだけ気を抜いたように周囲を見回していたが、こちらに目を向けると固まった。
「なぜ女がいる!」
やはり言われてしまった。緊張を表に出さぬように気を引き締める。
「ええ!? るーちゃ、バレっ」
余計な事を口走ろうとするゼクセンの後頭部を叩く。この可愛い、形の良い頭を叩くなんて私の美意識的にも立場的にもとんでもない事だが、つい手が勝手に動いてしまった。
「あー、こうなると思っていた。もういっそ脱げ」
「ええっ? 何で!?」
ごちゃごちゃ言っている間に上官が近づいてくる。
この究極の女顔の天然ボケは、自分の容姿を自覚せず、なぜか私ばかりを心配する。自分が男らしいと思っていないとしても、少なくとも私よりは男らしいと思っているようだ。
私に関しては、まったくもって心配はないというのに。ゼクセンがいる限りは。
「何をしている!」
「男のくせに紛らわしい顔と体格をしていて申し訳ありません。皆に誤解のないよう、今から一度脱がせます」
私は狼狽えるゼクセンを叱り飛ばし、無理矢理鎧を脱がせようと試みるが、そのやり取りで女がここにいるはずがないと我に返った上官が、私の手を止めた。
「いや、すまない。私がどうかしていた。男ならそれでいい」
「よろしいので? 先程から似たような声ばかりが聞こえてくるので、一度脱がせてしまった方がいいのかと思ったのですが」
「いや、そこまでする必要はない。彼にとっても屈辱だろう」
私はゼクセンから手を離し、上官に一礼する。ボロを出しかけたゼクセンの方は、疑われた自分の女顔を理解していない様子で、目を白黒させていた。
実はここに来るまでもかなり冷や冷やしていた。しかし初日である本日、女と間違われたのはゼクセン。私は彼を守らなければいけないのに、彼の失言が余計な危険を作った。しかし、それ以上のメリットもあった。
おかげで誰も疑わない。
女であるのは私の方だとは。
ほんの少しだけ納得がいかないとも思うが、短く髪を切っただけで、背が高く、病的に痩せていて、ゼクセンよりは男のような顔をしている私は、まだ一度も疑われていなかった。
有り難いのか、屈辱なのか。
はっきりしないが、ともあれ私は一つの山場を乗り切った。
私は孤児だ。孤児のルゼ。捨て子だから、姓はない。名前は拾ってくれた巫女が、適当にありきたりな名前を付けたらしい。私はその人の名も顔も知らないから、名付けた理由さえ分からない。
性別は女。年齢はたぶん十二歳か十三歳。拾われた後は孤児院へ連れていかれ、ついこの前までは魔物退治をしていたただの魔術師で、今は騎士になった。
騎士になったといっても、女が騎士になれるわけではない。騎士になるはずだったのは『ルーフェス・デュサ・オブゼーク』という一人の貴族の少年だ。デュサは貴族の家位で、位は上から三番目、領土的にも中の上といったところか。オブゼークは私の住むエンベール地方の領主様の家名。
まあ、つまり私は身代わりだ。
なぜ私が他人の身代わりをしているかというと理由は色々と複雑なのだが、ルーフェス様本人が騎士になれなかった理由は単純明快だ。彼は先の短い病人なのだ。余命一、二年を宣告されている、貴族の二男坊。それが本来のルーフェスという少年である。
貴族には男児が複数いれば兵役義務が生じる。本来なら金でどうにかなるような家位なのだが、今は政治的な立場が弱く、一人でも出さない事にはどうにもならないらしい。しかしルーフェス様の兄は跡取りであり、おまけに以前遠目から見た限りでも頑丈そうとは言い難く、どちらかというと儚い文学青年であった。だから私は、そのか弱い少年たちの身代わりとして雇われたのだ。病弱な十五歳の少年を演じながら、ルーフェス様の親友で、一緒に騎士になるゼクセンの護衛をするのが仕事だ。他の貴族であれば後でバレる可能性もあり大変だが、ルーフェス様は社交界に出た事がないし、今後も出られないだろうから、孤児である私が身代わりになるのは問題ない。後は私が女であるとバレなきゃいい。それ以外に問題はない。
なのにゼクセンは、護衛である私を守ろうとしてくれる。立派な心がけだが、私にとっては無意味である。無意味だと言っても、病人に見えるこの容姿だから、理解してもらうのは難しいだろう。実際にルーフェス様程ではないが丈夫とは言いがたいし。
この身代わりは病弱に見え、且つ実力がなければならない。
他の、ちゃんとした男の候補者を押しのけて私に話が来たのは、背が高く、痩せた不健康そうな容姿もあるが、傀儡術という高等で便利な魔術の使い手であった事が大きい。名の通り、何かを操る魔術で、物を浮かせたり、身体を乗っ取ったり、精神を操ったりする術の総称である。適性がある人間が少ないから使い手も少ない術だが、その効果が人の恐怖をあおるのか、知名度は低くない。しかし、そういった優れた魔術師としてなら病弱を通しながら活躍できるし、病弱だからこそ魔術を磨いたのだと弁解出来る。
私を育てた孤児院の院長であるおばあちゃんは、かなりの腕の魔術師で、孤児たち全員に簡単な読み書き計算と魔術の基礎を教え、親がいなくても生きていけるようにしてくれた。魔術の腕を磨けば、女であっても戦えるようになるから、私は夜遅くまで勉強した。
大きくなってからは魔物を退治したり、魔物の巣穴を塞いだりして領主様から賞金をもらうようになり、扶養される側から扶養する側になった。
それでも魔物などは常にいるわけでもないし、巣穴も簡単に見つけられるわけではないので、大した収入にはならない。魔物たちに掛かる賞金は少なくはないが、多くもない。普通の一家族だけならそれなりに暮らしていけるが、孤児院に必要な金額は桁が違う。
この身代わり話が来た時は、正直なところ戸惑ったし、無理だと思った。しかし、やたらと長かった茶色の髪をたくし上げてみれば、扁平な胸と尻、男のように脂肪のない手足のおかげで、貧弱な男に見えた。
髪の長さって、意外と女らしさを示すには大切だったのだな、とその時初めて気付いた。
見た目だけなら無理でもないと分かったら、ぼろぼろの服を着て、壊れた玩具で遊ぶ孤児院のチビたちのために腹をくくった。これを引き受けたら、報酬の他に服や玩具がもっと寄付される。
本当は私だってもう少し女らしくなってみたいけど、数年は我慢すると誓った。同じ孤児院で育った同年代の女の子が、私よりも胸やら尻やら肉付いてくびれも出てきて、手作りのアクセサリーで飾って男の子と語り合う姿を見た時はちょっと心が揺らぎかけたけど、我慢だ。
私は与えられた寮のベッドから起き上がると、床に降りて身体を伸ばした。腰を左右にひねり、前屈する。今日も緊張の一日の始まりだ。
「おはよう、るーちゃん。よく眠れた? 昨日はドキドキしたねぇ」
同室のゼクセンがもう一つのベッドから身を乗り出し、ヘラヘラと笑いながら言う。脳天気な笑顔が今日も眩しい。
この少年、ゼクセン・エダ・ホライストと初めて顔を合わせたのは、一週間前の事だった。私がルーフェス様の身代わりになる事を決め、領主様のお屋敷で準備を始めた翌日、彼がやってきた。私より拳二つ分程背が低い、もうすぐ十六歳だというこの綺麗な少年の登場に、その時はあまりの愛らしさに見惚れ、胸を騒がせたが、この少年と一緒に行けと領主様に命令された時は心臓が凍り付くかと思った。私の任務に、この少年の護衛も含まれていると知っていれば、もう少し悩んでいただろう。その時は既に引き受けてしまったので、引くに引けなかった。
幸いというか、彼はこんなに可愛らしくても、私が身代わりになった少年たちよりもはるかに健康で、活発で、中身は男らしかった。そして私が演じる少年の妹の婚約者でもある。つまり、私が成り代わるルーフェス様と彼は、義理の兄弟になる予定なのだ。
そんな将来があるからこそ、彼には手柄が必要だ。彼の父は商売人として成功しており、財力だけは有り余る金持ち貴族だが、エダという家位は貴族としては最も低い。しかも、家督を継ぐのは彼だが、その商売を継ぐのはゼクセンよりも商売に向いた姉夫婦であるため、彼は騎士として手柄を立て、少しでも財力に見合う家位が欲しいらしい。一番低いエダから一つ上げてもらうのは、難しいが不可能ではない。家位が上がると、派手に商売をしても叩かれにくくなる。つまり私は両家によって雇われている身代わり兼護衛なのである。その報酬として、けっこうな額の支援を受けられるので、もうほとんどの事に文句はない。この天然の危なっかしさ以外は。
これで私が育った孤児院には恩を返せるだろう。たぶんそれでも将来的には足りなくなるけれど、その時はその時。何せ魔物の被害者の多くは村の外に出る親たちだ。孤児が減る事はないし、わざわざうちの孤児院に捨てにくる親も多い。気にしすぎていても、私一人ではどうしようもない。他の子が頑張るのを期待するだけだ。
「おはようございます。お願いですから、今日は挙動不審にならないで下さいね」
「ダメだよ、るーちゃん。僕らは親友なんだ。敬語はダメだよ」
ヘラヘラと笑っていたゼクセンは、急に真顔になって人差し指を立てた。
「ああ、分かってるよ。だから頼むから、もしも女と言われても一切口をきかないでね。すべて私がフォローするから」
もう一度身体をひねり、動きの悪い左の太ももを揉んだ。
「もう、大丈夫だよ。そりゃ僕は小柄だけど、きっとすぐに逞しくなるし! 問題はるーちゃんだよ」
「ゼクセンが逞しくなるのは嫌だな」
「僕は成長期なんだから、小柄のままでいるなんて期待してたらダメだよ」
女顔だから嫌だという意味だったんだけど。昨日の件でまだ自覚がないのか、現実から目を逸らしているのか。少なくとも、彼と同じぐらいの背丈の騎士は他にもいたという事実からは目を背けているだろう。彼のように多くが十代半ばの少年たちで、これからが成長期なのかまだ小柄な人もいた。しかしその中で女と間違われたのは彼だけだ。
「るーちゃんはまだ世の中の事を知らないから仕方がないけど、普通の男は小さな子たちとか、兄妹みたいに育った人たちとは違うんだからね! 女っ気がない所だと、本能で察してくるかもしれないよ。るーちゃんはとっても可愛いからね」
でも私、女というより子供だし。男の本能は、女なら子供でも良いのか? よく分からん。
確かにたくさんいる孤児院の『兄』たちは、ここの男たちとは別だろう。彼らの多くが私にとっては信頼出来る男たちだ。ここの男たちにも信頼していい男はいるだろうが、悪党もいる可能性がある。
「でも私は、ゼクセンよりは客観視出来ている自信はあるよ。そりゃあ貴族の事は分からないけど、ルーフェス様だって社交界には一度も出た事はないし、誰も顔を知らないし、もし知っている人がいたとしても顔が似ていなくもないでしょ。だからゼクセンさえ顔に出さなければ女だなんて怪しまれる事はないんだ」
本当に心配なのはこの少年の素直さ。個人的には好ましいと思うが、今は不安しか生まない。
「ほんと、るーちゃんってルーフェスに似てるんだよね」
「まあ、地域柄じゃない? うちの近所は皆こんな感じだよ」
「似てるのは印象の事もだよ。匂いも同じ花の香りだよね」
「今は君も同じ香りだよ」
どこか男臭い寮の中が耐え難く、昨夜は精油を焚いたのだ。私の実家である孤児院は香りの良い花を栽培している。子供たちにも育てられて、精油にすれば高価だからだ。女っぽいと思われるのは避けたかったが、私にここは臭すぎた。他にも香水をつけていた貴族出身の騎士がいたから、問題ないだろう。可愛くて良い匂いがしてもおかしくないゼクセンがいるし。
「そっかぁ、同じ匂いなんだ。この匂い、えっちゃんの所に遊びに行った時を思い出すんだ。るーちゃんは、ちょっとだけどえっちゃんにも似てるし、おそろいは嬉しいなぁ」
えっちゃんとは私が成り代わっているルーフェス様の妹であり、このお坊ちゃんの婚約者、エフィニア様の事だ。ちなみに私にはあまり似ていない十三歳の美少女だ。似ているとしたら、髪質とか、顔の輪郭ぐらいだろう。まあ、妹ですと言ったら、それ程疑われない程度には似ているとも言える。
「るーちゃん、そういえばルーフェスはどうしているかな」
ゼクセンはベッドから降りながら問うてきた。
「皆が並んでいる時に視界共有をしたから昨日の事だけど、ルーフェス様の体調はよろしいようだったよ」
私は本人に連絡して確認をとったり、書類に『ルーフェス・デュサ・オブゼーク』としてサインをする時のために、ルーフェス様と視界や身体を共有する術を使っている。私が最も得意とする傀儡術の応用だ。これによってルーフェス様の意識が私に乗り移り、私の身体を通して物を見たり、手を動かしたりする事が出来る。
本当なら距離的に遠すぎて大量の魔力を消費するため使用不可能な術だが、かなり高価な双子石を使った、一流の職人が手がけた魔導具を双方で使う事で可能になった。左手の指輪がそれだ。日に一度、十分程度が限界だが、それでもサインをするにはこと足りる。
他にも面白そうな物があった時、向こうの調子が良さそうなら見せる約束をしている。彼は身体が弱く、外にも出られないから、屋敷の外は珍しい物ばかりらしい。
「知らない場所を見られて、とても喜んでおいでだった」
「そっか。ここは珍しいよね。ルーフェスは喜んでるだろうな……あ、でもダメだよ、るーちゃん。自分に様付けしたら」
「今だけだよ」
自分の事を言う時はルーフェス。様付けをしたらルーフェス様本人の事。その方が分かりやすくていい。
「るーちゃん、今日の訓練、辛かったら言ってね。僕が出来る限りの事をするから」
たぶん、出来る限りの事をするのは私の方だと思う。このいかにも体力の無さそうな華奢な身体は、口とは逆の事を言っている。私に訴えてくるのだ。体力ありません、と。
多少は武術を習っていたらしいが、それもかなり怪しい。支給された剣を持った時は、ふらついていたから。
「私としては、出来るだけ隅の方で小さくなっててもらえればと」
「大丈夫だよ」
その自信はどこから出てくるのか教えて欲しい。本当に、頭が痛くてかなわない。これから数年はこの男と寝食を共にするかと思うと、それだけで疲れる。疲れるが、これが仕事である。
「さあ、着替えようか」
「るーちゃん、先に着替えて。絶対に見ないから安心してね」
ゼクセンが先程よりも小さな声で言う。
昨日も絶対に見ないよと何度も主張してくれた。壁の向こうで誰かが聞いているのではないかと不安になり、黙らせるために殴るという、もう護衛としては失格な態度をとってしまったから、少しは反省してくれたのだろう。だけど休みの日には、仕切りとして大きなカーテンを買ってこようと思う。
着替えて髪を整えると、食堂で朝食を取り、共用の鎧を身につけ昨日の練兵場に集まる。鎧は動きやすさ重視で軽いから有り難い。
新人は一ヶ月、いくつもの集団に別れてあちこちの施設で訓練することになっており、私たちはこの宮殿内の練兵場の一つに割り振られた。ここでの訓練の結果で適切な騎士団に配置されることになる。騎士団は全部で四つあり、一つは幹部だけが所属する紫杯の騎士団で、私たちにはまったく関係ない。その下に白鎧、青盾、赤剣の騎士団がある。
貴族連中は戦果を上げる気があれば、魔物の巣穴が多く活躍できる地域に行くらしいが、家に力のある、やる気のない連中は、大きな街で安全に過ごして、女の子を口説いて故郷に帰っていくらしい。望まずに第一線に行かされる貴族は有力者の不興を買っているか、力のない家の者だ。
私の領主様は昔色々とあって、そっち寄りだったりする。大きなミスをしてかなり落ち目なのだ。ゼクセンの家は金はあるが家位が低い。
だからそれなりに手柄がたてられる地方に行く事を目指す。今は戦がないので魔物退治が主な仕事だ。地方では、騎士とはお国が派遣してくれる、魔物を退治する訓練を受けた人たちという認識である。そのため真面目な騎士がいる土地では、子供たちが騎士に憧れるのだそうだ。実際に試験に受かる程度の学力があるなら、賞金ではなく毎月安定した給料ももらえて、仕留めた魔物によっては毛皮が高く売れる上、装備品も住む場所も用意してもらえるという、傭兵よりはずっと良い待遇のされる騎士を目指した方がいい。それに魔術が使えない者であればフリーで魔物退治をするよりも、騎士になって部隊を組んだ方がやりやすい。女の子にもてるし、貴族とも親しくなれる。戦闘時は貴族よりも前に立たされるが、それは元より覚悟の上だ。少人数で細々と魔物や巣穴を探している方がよほど危険ということは、一度でもそれをやった事があれば分かるので、よほどの扱いを受けなければ文句は言わない。
その金づるであり、憎むべき魔物は、大陸中の地下を網羅する規模の巣を作っていて、穴を掘って地上に出てくる。地上にいる知能の低い魔獣と呼ばれるバケモノとは違い、魔物たちは知能が高く独特の文明を持ち魔術を使う事もある、大変厄介な敵である。
この国に姿を見せる魔物は獣族、竜族、闇族が多い。獣族は名前の通り、獣の魔物。力が強く厄介だ。竜族はトカゲ人間で、力も強く、素早く、人に近い体型なのに人間には出来ない変則的な動きをするため、獣族よりも苦手だと言う騎士が多い。闇族は蝙蝠人間で、やや目つきは悪いが肌は白く、耳と翼を隠せば人と見分けにくいのが厄介だ。しかも素早い上に気配に敏感で、たまに魔術を使える奴がいて、暗殺者とすら言われ恐れられている。他には巧みに魔術を使いこなす者が多い、褐色肌と金の瞳が特徴の魔族と、地下の妖精と言われている妖族がいるのだが、彼等はこの周辺には滅多にいないらしく、私も見た事がない。
彼等が地下から出てくるために使われる、魔物の巣穴を塞ぐ事を封穴と呼んでいる。魔物たちにもルールがあるらしく、地上への穴を開けられる場所は限定されているため、有効な手段だ。
穴が人里から離れていれば、魔物たちは食料とする獣を狩るだけなので無害だが、運悪く人里に近ければ、地下では手に入りにくい物や、家畜や人間を容赦なくさらっていく。まあ、穴を開けて突然出てくる、強い盗賊たちと思えばいい。騎士は住民を守るのはもちろんだが、それらの魔物を退治したり、人里に近い穴を封じるのが本業と言っていい。
これらに関しては今までフリーでやっていた事なので慣れている。問題ない。パニックを起こした馬鹿が余計な事をする場合もあるが、もちろんそれも慣れているのでほとんどの場合はフォローできる。むしろ騎士の連中よりよほど優れている自信がある。半年に一度の異動の日までは都にいるだろうから感覚を忘れてしまう恐れもあるが、魔術師は基本的に先頭に立つわけでもないので大丈夫だ。
問題はゼクセンと離されてしまう可能性がある事。私たちはバラバラにされないために、何か理由を考えなければならなかった。そこで私が病弱である事と、魔術の補佐を理由にどうにか主張を通す事にした。幸いにも、ゼクセンは少なくはない魔力を持っている。勉強をして、訓練すればそれなりの魔術師になるだろう。その才能を有効に生かすために、出会ってから毎日一つの練習をしていた。
増幅術。
他者の魔術の威力を上げる、対魔術師用の術だ。仲間の魔術師がいなければまったく意味のない術で、素人相手にはこれで十分な言い訳になる。魔術を使える騎士というのはそこまで珍しくないが、本職が魔術師である、私程の使い手が騎士になるというのは珍しい。都だろうと地方だろうと引く手あまただろう。だから多少の融通は利くはずだ。
そのためにも、この一ヶ月でゼクセンと一緒に置いておいた方が実力を発揮すると思わせておかなければならない。ここに来る前に決意し、用意していた手立てを頭の中で再現する。
そうしている内に、いつの間にか昨日ゼクセンを女と間違えた上官が私たちの目の前に立っていた。確か白鎧のちょっと偉い人だ。年の頃は二十代半ば。日に焼けた、逞しい体躯の男だ。訓練中は厳しいが、オフの時は気さくないい人というのを噂で聞いた。
何の用だろうか。
「おはようございます、アスラル様」
隣で女のような笑みを浮かべたゼクセンが挨拶する。私はあえてそれに倣うように挨拶する。彼には、私一人では頼りないと思ってもらいたい。アスラル様の視線はゼクセンに向けられているけど。
「やはり脱がせますか?」
「いや、疑っているわけじゃない」
「彼の姉はすでに既婚者ですし、妹はまだ十歳ですが」
ルーフェス様の幼なじみなので、家族構成などは聞いてある。
「いや、そんな無心をするつもりなどは……」
そういう男は昨日の今日でもう何人もいたりする。女が趣味の男はこれでどうにかなるが、男が趣味の男はどう対処するか、頭が痛い。
「お前が魔術師か」
「はい。ルーフェス・デュサ・オブゼークと申します。こちらはゼクセン・エダ・ホライスト。脱がせるのでないとしたら、何のご用でしょうか」
私は彼を真っ直ぐ見つめて問う。真意を少しでも見るために、揺らぎを見逃さないように。
「いや、昨日は悪い事をしたと思い」
「問題ありません。想定内です」
「それならばいいが……ルーフェスといったか、もう少し肩の力を抜くといい。友人が心配なのは分かるが」
「はっ。申し訳ありません」
「気持ちも理解出来るが……ここはケダモノの巣窟ではないからな。そこまで肩肘を張る必要は無い」
端から見れば、可愛すぎる友人をケダモノたちから守ろうとする友人に見えるのだろう。疑っていないのであればそれでいい。
「問題ありません。守りは十分です」
ゼクセンには護身用に作った魔導具をいくつも身につけさせている。例えば彼が首からかけている魔導具は、本来女性が貞操を守るためのお守りだ。それが無くても近くにいれば傀儡術で彼の身体を操って守る事も出来るが、万が一離された時が心配なので、金銭で解決出来る部分は何とかしてもらっているのだ。
「私は君自身も心配だ。身体が弱いと聞いている」
「弱いからこその魔術です」
私は魔力がなければ、きっと、もっと病弱だったと言われている。魔力が高いと、身体が丈夫になると言われているからだ。だからすべてが嘘なのではない。
嘘は「偽者である」事、「女である」事、「余命一、二年ではない」事、この三つだけで十分だ。
「ま、困った事があれば相談しろ。滅多にないとは思うがな」
本当に、そう願う。
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