抱擁レインドロップ

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四話 心にそぼ降るにわか雨

03

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「……喧嘩、ですか? さすがにこういう場合は泉さんの肩を持ちますが」
「い、いえ。違います……大丈夫です。……わたしを妻にしたい理由とかいろいろ、聞きました。それでこう、いろいろあって」

 食堂に逃げに行くが、とおるは途中から消えていた。好都合だったが、露骨に泣いた後の顔を森田に見られたのは良くない。
 いつも通りの穏やかな笑みを浮かべたまま指の骨を鳴らす妙齢の女にはどうどうと制止をかけて、泉はざっくりとした説明をする。ていうか神様殴る気あるんだこの人。

「そう、でしたか……混乱させてしまった一因は私めにもございます。どうかお許しください」
「だ、大丈夫です! そんなに頭を下げなくても……とおるさんが良かれと思ってやったことで、森田さんもそれに合わせていただけなんですよね?」
「表向きは」
「表向き?」

 おうむ返しに尋ねると、森田はどこかばつの悪そうな顔をした。
 こんな顔をすることもあるのか、と少しだけ意外に思う。

「……年端も行かぬ少女が唐突に神から求婚され、見返りが金銭というのは……感性がどうにも昔のままでいらっしゃるなというのがひとつ。そして、とおる様の人となりだけを判断材料にさせようとするのも、心優しい泉さんにとっては重荷になるのではと申し上げはしたのです。ずっと愛していたと最初から告げていたほうが、まだ拗れが少なかったのでは……」

 拗れが『少なかった』と言うあたり、拗れることそのものは不可避だと解っていたようだ。
 確かに、求婚された時点で愛情について触れられていればもう少しは筋が通っていたかもしれない。配慮の方向性が若干間違っているのだろう。

「しかしそういう話題になったということは、今日のお出かけは楽しく終われたのですか?」
「……はい。とおるさんの優しいところをいくつも感じられたし、町を大切に思っていることも、あと、意外と可愛いところがあるんだなってのも」

 泉の言葉を受けて、女は満面の笑みになる。普段より三割増にツヤツヤで、頬に手を当ててすさまじく嬉しそうな顔をしていた。

「ふふ……初々しいですねぇ……あ、これは独り言ですが、男性に対して『可愛い』という感想を抱くのは相当の……っと、いけないいけない、焼き加減を見てまいります」
「あ、ちょっ……!」

 そんな。
 そんなことを言われたら。
 自分でも解るくらいに顔が熱を、いや、もう燃えているのかというくらいになって。
 
 やめればいいのに、『男性に対して可愛いと感じる』で検索なんてかけてしまったものだから。

 スマートフォンの画面に躍る、『可愛いと思うのは好きすぎる証拠』という文字列を見なかったことにしてブラウザのタブを閉じた。


 その後の食卓ではとおるも自分もそわそわしていて、目が合えばハッとなって逸らすの繰り返し。
 そもそも目が合うのは相手を見ているからなわけで、と考え始めるともう坩堝に入ってしまう。
 いつの間にか早食いの術を会得した森田が早々に食堂から消えて片付けに入ったのは空気を読んだのか読んでいないのかどっちなのかもはや解らなかった。今思うとこの人は最初からこうだった。

 気まずい。
 早く食べきって片付けようにも、ふたりきり。
 目が合うということはとおるはチラチラこちらを見てきていることになるがこちらからは気まずくて見られない。確かめられなかった。

「……泉さん」
「うぇ!? あ、はい」

 声をかけられて肩を跳ねさせ、顔を上げてとおるを見る。
 真剣な顔をした龍神は、真っ直ぐ見つめながらこう告げた。

「……私はあなたをずっと愛しています。あなたがこの屋敷に来てくださってからというもの、あなたのことばかり考えていました。神だからどうこうというのは一度小脇に置いて、ひとりの男として、私を好いているかそうでないか……お考えくださると嬉しいです。だって、私は……あなたと出来るだけ普通の夫婦になりたいのです。支え合う夫婦に。泉さんの人生を預かる気概でこちらは求婚しています。あなたの幸せの隣に、私が立てることを……夢見ています」

 熱く、想いのこもった眼差しで射抜かれて泉は呼吸を忘れそうになる。
 そういえば、ホームシックになりかけたときにも彼は似たようなことを言っていた。
 淡い微笑を残して、「ごちそうさまでした」と手を合わせると盆を持って台所へと向かってしまう。
 その背中に、泉は声をかけた。

「……じゃあ、やっぱり一緒に過ごす時間を増やしましょう。とおるさん、わたしに遠慮してたのかご飯のときくらいしか接点無かったし。……歩み寄りましょう、ふたりで」

 驚いて振り返ると同時に、盆の上から落ちた小鉢がカシャンと割れる。
 それは、なんの始まる音だろうか。
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