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一話 それは誰の為なのか
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夢を、見た。
何かがガラスを連続で強く叩き付けるようなひどい音がひっきりなしに鳴っている。
真っ暗闇の視界は急に明るく開けて、そして――。
「わ、これって駅前に出来たばっかりのパティスリー・シャトンのモンブランじゃないの!?」
10月17日。
風谷泉、16歳の誕生日。
母が目の前に置いてくれたのは大好物のモンブランで、しかも美味が保証されていると言っても過言ではない大人気店のものだ。
きっと無理をしたことだろう、その証拠に母と弟の分のケーキなんて無い。
ぱちぱちと拍手をする母に合わせて、3歳年下の弟、和也も手を叩いてくれた。
「うん、だって記念すべき16歳の誕生日だもん。おめでとう、泉。いつも苦労かけてごめんね」
「ありがとう……お母さん。いっぱい節約して頑張ってくれてるんだから、わたしに奮発なんてしなくて良かったのに。でも、目の前に置かれたからには美味しく頂かなきゃだよね!」
改めてモンブランを見やる。
頂点に乗ったマロングラッセはつやつやと輝いていて宝石のようだし、絞られたクリームも見ただけでキメの細かさが解った。
どれだけ丁寧に作られたものかなど一目瞭然のそれを、味が落ちる前にたっぷり楽しんで美味しく頂くのが母と店への礼儀だろう。
マロングラッセは一度保留して、周囲のクリームをフォークで掬い上げた。やわらかな手応えがフォーク越しに伝わってくる。
「……それでね、泉。大事な話があるんだけど」
「うん?」
「お父さんのお墓がある参龍寺、って、解るよね」
そりゃもちろん、と頷いてクリームを口に運ぶ。
とろけるような舌触りはもちろんのこと、ほっくりした栗の甘味を邪魔しない程度に調節された味付けとコクから、明らかに素材が良い物だと感じられた。
それがふんわりと咥内に広がる幸せを噛み締めながら、マロングラッセにフォークを伸ばす。
「そこに祀られている龍神様が、泉をお嫁さんにしたいって……」
「は?」
フォークに突かれようとしたマロングラッセが落ちた。
ああ、なんて勿体ない。
素晴らしい出来であろう秋の実は、儚くもテーブルから床へとゴム鞠の如く叩き付けられる。
「あの、あのね。お母さんもびっくりしたの。半年くらい前に急に住職さんから連絡があって、とにかく泉を嫁にくれって。いつ言えば良いのか、どうしたら良いのか、お母さん混乱しちゃって……だから、泉が16歳になって法的に結婚できる年齢になった今日、言うしかないって」
タイミングが悪すぎる。
せめてモンブランを食べ終えてからにしてくれないだろうか?
こんな話を聞かされながらでは、どんな絶品スイーツだって砂を噛むのと変わらない。
転がったマロングラッセを拾い上げ、これを口にするのはさすがに卑しいなと感じて皿の端に置いておく。
単体でも結構なお値段するんじゃなかろうかと思うと切なくて仕方ないが。
「……で、お母さんとしてはわたしにどうして欲しいの?」
「解らないから、相談してる」
話にならない。
とりあえず、詳細を聞くことにした。
およそ半年前、それは4月の曇った日のことだったという。
仕事に出ようと思った矢先に電話が鳴り、誰かと思えば参龍寺の住職からの連絡だった。
参龍寺には龍神の伝承があり、その龍神が嫁として泉を指名してきたというのだ。
ただし強制するつもりはなく、泉を嫁として寄越してくれるなら金銭的に風谷家をバックアップするとのこと。
いきなり結婚というわけではなく、まずは龍神様と会ってみて欲しいこと。
そのうえで泉が無理だと思うなら断ってくれて構わない、考慮して欲しいとだけ告げられて通話は切れた。
「……なるほどね、とすら言えない……」
確かに参龍寺にはそんな伝承があったかもしれないが、それだけだ、程度。
大昔に村を救ったのどうの、みたいな感じだった気がするものの記憶は曖昧も曖昧、うろ覚えである。
これだけ興味のない自分がなぜ龍神様なんぞに指名を受ける? 意味が解らないとしか言えなかった。
ただ、これだけは言える。
自分が嫁に行けば、母と弟はとても助かる、ということだけは。
――父は、去年に交通事故で亡くなっている。
しかもドライブレコーダーの記録などから過失は父にあるということになり、当然ながらこちらが加害者、あらゆる賠償やらなんやらを払う側になってしまった。
当時の母は憔悴しきっていたし、泉もあまり詳しいことを知りたくなかったので具体的なことは知らない。
父親が自分のミスで死んだ挙句誰かに被害を与えたという現実に上手く向き合えるほど大人ではなかった。
結果として、風谷家の3人は転落した。
家を売り、狭いアパートに引っ越し、母が昔取った資格をどうにか生かして非正規雇用で働いてどうにかなっている状態である。
合格したばかりの高校も諦めて貰うかもしれないと言われたときは、何のために頑張ったんだろうと強いショックを受けたものだ。
どうにかこうにか通えているが、それがいつまで続くかも解らない。
母が無理をしているのは明白で、ぼちぼち学校に申請して本来なら禁止のアルバイトを許可を貰おうかと思っていたほどである。
だから、自分が龍神様とやらに嫁げば母と弟の生活は楽になるし、平たく言えば口減らし。
このモンブランだってもしかして最後の晩餐のつもりなのだろうかと思うと、もう完全に砂の味しかしなくて泣きそうだった。いや、もはや口に運ぶ気にもなれないが。
参龍寺との関連性なんて『父の墓がある』くらいしか思いつかないし、本当に理解が追い付かないし出来るとっかかりも無い。
しかも今結婚なんてしたら喪中なのに結婚することになる、それはどうなのか。
「とにかく、断っても良いってことらしいから、会うだけ会ってみてくれない? お母さんも、泉の気持ちを尊重したいし」
「うん……」
母も悩み抜いたであろうことは解る。
父が亡くなってから殆ど落ち着けていない状態で求婚の話を持ってこられて、相手が金持ちならともかく神様ときたもんだ。
下手に断っても、頷いても、『母親』の立場からすれば苦しいであろうと察せるくらい、父の死よりは大人になれていた。
ただ、『気持ちを尊重したい』って言い方はズルいんじゃないかな、と思わなくもなかったが。
何かがガラスを連続で強く叩き付けるようなひどい音がひっきりなしに鳴っている。
真っ暗闇の視界は急に明るく開けて、そして――。
「わ、これって駅前に出来たばっかりのパティスリー・シャトンのモンブランじゃないの!?」
10月17日。
風谷泉、16歳の誕生日。
母が目の前に置いてくれたのは大好物のモンブランで、しかも美味が保証されていると言っても過言ではない大人気店のものだ。
きっと無理をしたことだろう、その証拠に母と弟の分のケーキなんて無い。
ぱちぱちと拍手をする母に合わせて、3歳年下の弟、和也も手を叩いてくれた。
「うん、だって記念すべき16歳の誕生日だもん。おめでとう、泉。いつも苦労かけてごめんね」
「ありがとう……お母さん。いっぱい節約して頑張ってくれてるんだから、わたしに奮発なんてしなくて良かったのに。でも、目の前に置かれたからには美味しく頂かなきゃだよね!」
改めてモンブランを見やる。
頂点に乗ったマロングラッセはつやつやと輝いていて宝石のようだし、絞られたクリームも見ただけでキメの細かさが解った。
どれだけ丁寧に作られたものかなど一目瞭然のそれを、味が落ちる前にたっぷり楽しんで美味しく頂くのが母と店への礼儀だろう。
マロングラッセは一度保留して、周囲のクリームをフォークで掬い上げた。やわらかな手応えがフォーク越しに伝わってくる。
「……それでね、泉。大事な話があるんだけど」
「うん?」
「お父さんのお墓がある参龍寺、って、解るよね」
そりゃもちろん、と頷いてクリームを口に運ぶ。
とろけるような舌触りはもちろんのこと、ほっくりした栗の甘味を邪魔しない程度に調節された味付けとコクから、明らかに素材が良い物だと感じられた。
それがふんわりと咥内に広がる幸せを噛み締めながら、マロングラッセにフォークを伸ばす。
「そこに祀られている龍神様が、泉をお嫁さんにしたいって……」
「は?」
フォークに突かれようとしたマロングラッセが落ちた。
ああ、なんて勿体ない。
素晴らしい出来であろう秋の実は、儚くもテーブルから床へとゴム鞠の如く叩き付けられる。
「あの、あのね。お母さんもびっくりしたの。半年くらい前に急に住職さんから連絡があって、とにかく泉を嫁にくれって。いつ言えば良いのか、どうしたら良いのか、お母さん混乱しちゃって……だから、泉が16歳になって法的に結婚できる年齢になった今日、言うしかないって」
タイミングが悪すぎる。
せめてモンブランを食べ終えてからにしてくれないだろうか?
こんな話を聞かされながらでは、どんな絶品スイーツだって砂を噛むのと変わらない。
転がったマロングラッセを拾い上げ、これを口にするのはさすがに卑しいなと感じて皿の端に置いておく。
単体でも結構なお値段するんじゃなかろうかと思うと切なくて仕方ないが。
「……で、お母さんとしてはわたしにどうして欲しいの?」
「解らないから、相談してる」
話にならない。
とりあえず、詳細を聞くことにした。
およそ半年前、それは4月の曇った日のことだったという。
仕事に出ようと思った矢先に電話が鳴り、誰かと思えば参龍寺の住職からの連絡だった。
参龍寺には龍神の伝承があり、その龍神が嫁として泉を指名してきたというのだ。
ただし強制するつもりはなく、泉を嫁として寄越してくれるなら金銭的に風谷家をバックアップするとのこと。
いきなり結婚というわけではなく、まずは龍神様と会ってみて欲しいこと。
そのうえで泉が無理だと思うなら断ってくれて構わない、考慮して欲しいとだけ告げられて通話は切れた。
「……なるほどね、とすら言えない……」
確かに参龍寺にはそんな伝承があったかもしれないが、それだけだ、程度。
大昔に村を救ったのどうの、みたいな感じだった気がするものの記憶は曖昧も曖昧、うろ覚えである。
これだけ興味のない自分がなぜ龍神様なんぞに指名を受ける? 意味が解らないとしか言えなかった。
ただ、これだけは言える。
自分が嫁に行けば、母と弟はとても助かる、ということだけは。
――父は、去年に交通事故で亡くなっている。
しかもドライブレコーダーの記録などから過失は父にあるということになり、当然ながらこちらが加害者、あらゆる賠償やらなんやらを払う側になってしまった。
当時の母は憔悴しきっていたし、泉もあまり詳しいことを知りたくなかったので具体的なことは知らない。
父親が自分のミスで死んだ挙句誰かに被害を与えたという現実に上手く向き合えるほど大人ではなかった。
結果として、風谷家の3人は転落した。
家を売り、狭いアパートに引っ越し、母が昔取った資格をどうにか生かして非正規雇用で働いてどうにかなっている状態である。
合格したばかりの高校も諦めて貰うかもしれないと言われたときは、何のために頑張ったんだろうと強いショックを受けたものだ。
どうにかこうにか通えているが、それがいつまで続くかも解らない。
母が無理をしているのは明白で、ぼちぼち学校に申請して本来なら禁止のアルバイトを許可を貰おうかと思っていたほどである。
だから、自分が龍神様とやらに嫁げば母と弟の生活は楽になるし、平たく言えば口減らし。
このモンブランだってもしかして最後の晩餐のつもりなのだろうかと思うと、もう完全に砂の味しかしなくて泣きそうだった。いや、もはや口に運ぶ気にもなれないが。
参龍寺との関連性なんて『父の墓がある』くらいしか思いつかないし、本当に理解が追い付かないし出来るとっかかりも無い。
しかも今結婚なんてしたら喪中なのに結婚することになる、それはどうなのか。
「とにかく、断っても良いってことらしいから、会うだけ会ってみてくれない? お母さんも、泉の気持ちを尊重したいし」
「うん……」
母も悩み抜いたであろうことは解る。
父が亡くなってから殆ど落ち着けていない状態で求婚の話を持ってこられて、相手が金持ちならともかく神様ときたもんだ。
下手に断っても、頷いても、『母親』の立場からすれば苦しいであろうと察せるくらい、父の死よりは大人になれていた。
ただ、『気持ちを尊重したい』って言い方はズルいんじゃないかな、と思わなくもなかったが。
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