抱擁レインドロップ

文字の大きさ
上 下
1 / 16
一話 それは誰の為なのか

01

しおりを挟む
 夢を、見た。
 何かがガラスを連続で強く叩き付けるようなひどい音がひっきりなしに鳴っている。
 真っ暗闇の視界は急に明るく開けて、そして――。



「わ、これって駅前に出来たばっかりのパティスリー・シャトンのモンブランじゃないの!?」

 10月17日。
 風谷泉かざたに いずみ、16歳の誕生日。
 母が目の前に置いてくれたのは大好物のモンブランで、しかも美味が保証されていると言っても過言ではない大人気店のものだ。
 きっと無理をしたことだろう、その証拠に母と弟の分のケーキなんて無い。
 ぱちぱちと拍手をする母に合わせて、3歳年下の弟、和也かずやも手を叩いてくれた。

「うん、だって記念すべき16歳の誕生日だもん。おめでとう、泉。いつも苦労かけてごめんね」
「ありがとう……お母さん。いっぱい節約して頑張ってくれてるんだから、わたしに奮発なんてしなくて良かったのに。でも、目の前に置かれたからには美味しく頂かなきゃだよね!」

 改めてモンブランを見やる。
 頂点に乗ったマロングラッセはつやつやと輝いていて宝石のようだし、絞られたクリームも見ただけでキメの細かさが解った。
 どれだけ丁寧に作られたものかなど一目瞭然のそれを、味が落ちる前にたっぷり楽しんで美味しく頂くのが母と店への礼儀だろう。
 マロングラッセは一度保留して、周囲のクリームをフォークで掬い上げた。やわらかな手応えがフォーク越しに伝わってくる。

「……それでね、泉。大事な話があるんだけど」
「うん?」
「お父さんのお墓がある参龍寺さんりゅうじ、って、解るよね」

 そりゃもちろん、と頷いてクリームを口に運ぶ。
 とろけるような舌触りはもちろんのこと、ほっくりした栗の甘味を邪魔しない程度に調節された味付けとコクから、明らかに素材が良い物だと感じられた。
 それがふんわりと咥内に広がる幸せを噛み締めながら、マロングラッセにフォークを伸ばす。

「そこに祀られている龍神様が、泉をお嫁さんにしたいって……」
「は?」

 フォークに突かれようとしたマロングラッセが落ちた。
 ああ、なんて勿体ない。
 素晴らしい出来であろう秋の実は、儚くもテーブルから床へとゴム鞠の如く叩き付けられる。

「あの、あのね。お母さんもびっくりしたの。半年くらい前に急に住職さんから連絡があって、とにかく泉を嫁にくれって。いつ言えば良いのか、どうしたら良いのか、お母さん混乱しちゃって……だから、泉が16歳になって法的に結婚できる年齢になった今日、言うしかないって」

 タイミングが悪すぎる。
 せめてモンブランを食べ終えてからにしてくれないだろうか?
 こんな話を聞かされながらでは、どんな絶品スイーツだって砂を噛むのと変わらない。
 転がったマロングラッセを拾い上げ、これを口にするのはさすがに卑しいなと感じて皿の端に置いておく。
 単体でも結構なお値段するんじゃなかろうかと思うと切なくて仕方ないが。

「……で、お母さんとしてはわたしにどうして欲しいの?」
「解らないから、相談してる」

 話にならない。
 とりあえず、詳細を聞くことにした。

 およそ半年前、それは4月の曇った日のことだったという。
 仕事に出ようと思った矢先に電話が鳴り、誰かと思えば参龍寺の住職からの連絡だった。
 参龍寺には龍神の伝承があり、その龍神が嫁として泉を指名してきたというのだ。
 ただし強制するつもりはなく、泉を嫁として寄越してくれるなら金銭的に風谷家をバックアップするとのこと。
 いきなり結婚というわけではなく、まずは龍神様と会ってみて欲しいこと。
 そのうえで泉が無理だと思うなら断ってくれて構わない、考慮して欲しいとだけ告げられて通話は切れた。

「……なるほどね、とすら言えない……」

 確かに参龍寺にはそんな伝承があったかもしれないが、それだけだ、程度。
 大昔に村を救ったのどうの、みたいな感じだった気がするものの記憶は曖昧も曖昧、うろ覚えである。
 これだけ興味のない自分がなぜ龍神様なんぞに指名を受ける? 意味が解らないとしか言えなかった。

 ただ、これだけは言える。
 自分が嫁に行けば、母と弟はとても助かる、ということだけは。

 ――父は、去年に交通事故で亡くなっている。
 しかもドライブレコーダーの記録などから過失は父にあるということになり、当然ながらこちらが加害者、あらゆる賠償やらなんやらを払う側になってしまった。
 当時の母は憔悴しきっていたし、泉もあまり詳しいことを知りたくなかったので具体的なことは知らない。
 父親が自分のミスで死んだ挙句誰かに被害を与えたという現実に上手く向き合えるほど大人ではなかった。

 結果として、風谷家の3人は転落した。
 家を売り、狭いアパートに引っ越し、母が昔取った資格をどうにか生かして非正規雇用で働いてどうにかなっている状態である。
 合格したばかりの高校も諦めて貰うかもしれないと言われたときは、何のために頑張ったんだろうと強いショックを受けたものだ。
 どうにかこうにか通えているが、それがいつまで続くかも解らない。
 母が無理をしているのは明白で、ぼちぼち学校に申請して本来なら禁止のアルバイトを許可を貰おうかと思っていたほどである。
 
 だから、自分が龍神様とやらに嫁げば母と弟の生活は楽になるし、平たく言えば口減らし。
 このモンブランだってもしかして最後の晩餐のつもりなのだろうかと思うと、もう完全に砂の味しかしなくて泣きそうだった。いや、もはや口に運ぶ気にもなれないが。
 参龍寺との関連性なんて『父の墓がある』くらいしか思いつかないし、本当に理解が追い付かないし出来るとっかかりも無い。
 しかも今結婚なんてしたら喪中なのに結婚することになる、それはどうなのか。

「とにかく、断っても良いってことらしいから、会うだけ会ってみてくれない? お母さんも、泉の気持ちを尊重したいし」
「うん……」

 母も悩み抜いたであろうことは解る。
 父が亡くなってから殆ど落ち着けていない状態で求婚の話を持ってこられて、相手が金持ちならともかく神様ときたもんだ。
 下手に断っても、頷いても、『母親』の立場からすれば苦しいであろうと察せるくらい、父の死よりは大人になれていた。
 ただ、『気持ちを尊重したい』って言い方はズルいんじゃないかな、と思わなくもなかったが。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18 大人女性向け】会社の飲み会帰りに年下イケメンにお持ち帰りされちゃいました

utsugi
恋愛
職場のイケメン後輩に飲み会帰りにお持ち帰りされちゃうお話です。 がっつりR18です。18歳未満の方は閲覧をご遠慮ください。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

【R18】黒髪メガネのサラリーマンに監禁された話。

猫足02
恋愛
ある日、大学の帰り道に誘拐された美琴は、そのまま犯人のマンションに監禁されてしまう。 『ずっと君を見てたんだ。君だけを愛してる』 一度コンビニで見かけただけの、端正な顔立ちの男。一見犯罪とは無縁そうな彼は、狂っていた。

My Doctor

west forest
恋愛
#病気#医者#喘息#心臓病#高校生 病気系ですので、苦手な方は引き返してください。 初めて書くので読みにくい部分、誤字脱字等あると思いますが、ささやかな目で見ていただけると嬉しいです! 主人公:篠崎 奈々 (しのざき なな) 妹:篠崎 夏愛(しのざき なつめ) 医者:斎藤 拓海 (さいとう たくみ)

初めてなら、本気で喘がせてあげる

ヘロディア
恋愛
美しい彼女の初めてを奪うことになった主人公。 初めての体験に喘いでいく彼女をみて興奮が抑えられず…

結構な性欲で

ヘロディア
恋愛
美人の二十代の人妻である会社の先輩の一晩を独占することになった主人公。 執拗に責めまくるのであった。 彼女の喘ぎ声は官能的で…

【R-18】金曜日は、 貴女を私の淫らな ペットにします

indi子/金色魚々子
恋愛
【昼】上司と部下→【金曜の夜】ご主人様×ペット の調教ラブ 木下はる、25歳。 男運ゼロ 仕事運ゼロ そして金運ゼロの三重苦 彼氏に貢ぎ続け貯金もすっかりなくなったはるは、生活が立ちいかなくなり……つてを頼って、会社に内緒でガールズバーでアルバイトを始める。 しかし、それが上司である副島課長にばれてしまって……! 口止め?それはもちろん…… ご主人様こと副島課長による甘々調教ライフ、はじまります。 --- 表紙画像:シルエットAC

【R18完結】エリートビジネスマンの裏の顔

白波瀬 綾音
恋愛
御社のエース、危険人物すぎます​─​──​。 私、高瀬緋莉(27)は、思いを寄せていた業界最大手の同業他社勤務のエリート営業マン檜垣瑤太(30)に執着され、軟禁されてしまう。 同じチームの後輩、石橋蓮(25)が異変に気付くが…… この生活に果たして救いはあるのか。 ※サムネにAI生成画像を使用しています

処理中です...