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1巻

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 ウェルナーを美しい顔だとは思っている。私は「えぇ」とうなずいた。

「……承知しました。これからも美しいと思っていただけるよう、がんばります」

 ウェルナーは突然明るく言葉を返してきたが、別に美しくあり続けてほしいとまでは思っていない。私が彼に騎士になってもらいたいのは、美しいからではなくて、もっと絶対的な理由からだ。
 しかしそれを、この場で説明することはできない。ウェルナーとともに、式典の開始を待つ。
 兄のディオンは騎士団副団長、私はルカの婚約者、エルビナと母はファタール公爵家として帰還式に参加する。ディオンは普段の朗らかで少し抜けた雰囲気と異なり真剣な眼差しで剣をたずさえ、警備にあたっていた。そんなディオンのそばにいるのは、国の要人たち──王妃、宰相、そしてディオンと同じように警備にあたる騎士団長……因縁の三人も、過去と同じように揃った。

「こうして、また何事もなく豊かな春を迎えられたことを、幸せに思う」

 前回と同じような王の言葉を聞きながら、私は王の側に控えているルカ、そして彼の隣に立つティラを眺める。咲いている花も、代わり映えしない。愛でる気にもなれない。
 以前の私は、帰還式の前に王子との謁見えっけんに許されなかったこと、そして始まった式で彼の隣に謎の女が立っていたことに動揺していた。
 王子の隣は、本来婚約者である私が立つべき場所。
 王の言葉を聞く貴族たちも皆、混乱した表情で時折私に視線をおくっている。前の私は彼らの視線に気づかず、ただただ取り乱していた。おそらくこの動揺が、「嫉妬に狂って嫌がらせした」と、ティラの狂言による噂に説得力を持たせてしまったのだろう。
 護衛にあたる騎士団のほか、役人たちも、貴族たち同様ちらちらと私をうかがい、ティラを見て怪訝けげんな顔をしていた。
 王にうながされたルカは、高らかに、過去と同じ言葉を繰り返す。

数多あまたの学びの先で、私はかけがえのない存在を見つけた。ティラだ。彼女は私の留学先で出会った。元々は遠い国の自然が豊かな村で生まれ育ち、私と同じく見聞を広めるために留学していた娘だ。そして、故郷の村で代々伝わる、どんな怪我でもたちまち治してしまう癒やしの力を持っている。ティラはこの国にかけがえのない存在となるだろう」

 前の私は、ルカが「かけがえのない」と言った所で愕然がくぜんとし、彼の顔を見ていなかった。しかし今回はいだ気持ちで眺めていたせいか、ルカとはっきり視線が合った。私は表情を変えない。
 今日帰還式に参加したのは、まだルカの婚約者であること、公爵家の令嬢という立場もあるけれど、一番の理由は「確認」だ。
 家族を守るため騎士団長、宰相、王妃を消したいが、相手は国の要人たち。簡単には手を出せないし、私の思惑が知られれば家族が危ない。だからこそ、私の持つ「記憶」が、本当に使えるものなのか、今日の帰還式で確認したかった。
 結果、王もルカも、前の帰還式と全く同じことを言った。ティラも現れた。
 確認が済んだ今、することといえば一方的な婚約解消を受け止めるだけ。団長を始末する準備に入るだけ。

「どうなさるのですか、ロエル様、こんな突然、あまりに一方的な婚約の破棄だなんて──!」

 なのに、私の側にひかえていたウェルナーが、愕然がくぜんとした表情で口を開いた。
 その大きく悲痛な声に、周囲の貴族たちのざわつきが大きくなった。
 ウェルナーに帰還式で何が起きるかは、当然知らせていない。だが、まさか式の途中にこんな粗相をするなんて。

「王家の繁栄のため、祝福します」

 偽りはない。
 二人が愛し合おうとどうでもいい。
 もう、ルカの存在自体はどうでもいいのだ。私が見ているのは、彼の隣で笑う自分ではなく、家族が笑っている景色だから。

「なんと寛大かんだいな……」

 そばにいた老齢の女性が呟いた。
 リタ夫人だ。夫は王の遠縁にあたる公爵で、いわば公爵夫人。規律を重んじる厳格な性格で、その幅広い人脈により国に貢献し、アグリ王妃の教育係を務めていたこともある。王妃が無視できない存在だ。
 ただ、リタ公爵は夫人とは異なり奔放ほんぽうな人で、公爵が若い頃はかなり女性関係に悩まされていたらしい。故に裏切りを嫌うが──前の人生では、ティラの嘘にだまされ、夏を過ぎたあたりから、ティラを健気でいい子、私を健気な子を虐める子とし、私を「国民の信頼を裏切った裏切り者」と扱っていた。夫の女性関係に悩まされたのなら、ルカを裏切り者と見なしてもいいはずだが、帰還式の後、夏のなかばに夫に先立たれたことで、男のルカを責めるのは死んだ夫を責めるよう……に思えたのだろうか。
 しかし、今のうちにリタ夫人からの敵意を阻止する布石が打てたのは大きい。私はウェルナーの方に振り向くが、その眼差しはさきほどの悲痛な声はどこから出ていたのか疑いたくなるほど、機械的で無感動だった。


 帰還式の後は、パーティーが始まる。そこでようやく私は、ルカから直接、ティラに対する想いを聞かされるのだ。
 そして予想通り、前に見た光景と寸分たがわぬ様相で、二人はやってきた。

「殿下、ご帰国を心よりお待ちしておりました。この度は帰還式にお招きいただき、誠にありがとうございます」

 私はウェルナーを連れたまま、うやうやしく二人を迎え入れた。
 ルカは、私のドレスをじっと見ている。
 今日、私は薄紫のドレスをまとっている。ティラと絶対重ならないよう、「耽美たんびさや蠱惑的こわくてきな雰囲気を出して欲しい」と、ドレスのデザイナーに伝え、出来上がったのがこのドレスだ。
 胸元から裾まで、沈丁花じんちょうげを模した銀細工と真珠が散りばめられ、チュールレースが幾層にも重なっている。装飾品は、今まで身につけたことがない、黒のチョーカー。
 今までドレスも装飾品も、ルカの好みを一番に考えてきたが、もうやめた。これからは、自分の好きなようにする。
 エルビナは「いい! 似合う!」ディオンからは「葡萄ぶどう酒を……白い服にこぼして、洗ったけど怒られるのは確実……みたいな色だな。綺麗だ」と判断が難しい反応を貰った。母は「せっかく綺麗な銀髪なんだから、まとめるのは勿体ないって思ってたのよ」なんてのんびり言ってくれた。
 相対あいたいしたルカは、私と私の着るドレスを見たあと、ティラの肩に触れる。

「彼女はティラだ。家名はないが、いずれエディンピアの名を持つ」

 ティラを正妻にするという意味の一方的な婚約の破棄。以前の私ならば胸が張り裂けそうになっていたが、今はもう、何も思うことがない。
 前の人生の私は、凄惨な記憶を思い出すまでの私は、ルカのことが好きだったはずだ。
 なのに今、どうして過去の私がルカのことが好きだったのか、全くわからない。
 心に感じるのは、不愉快な敵が二人、目の前に立っているということ。ただ、それだけだった。

「あっあの、わ、わたくしは、ティラと申します。ティラとお呼びくださいませ!」

 そして割って入るように、ティラが口を開いた。
 周囲は彼女のぎこちない礼を見て、怪訝けげんな顔をしている。私は彼女が話し終えるのを待って、あえてかしづいた。

「ティラ様、新しき国で慣れないこともあると思います。どうぞこのロエル・ファタールに何なりとお申し付けくださいませ。必ずやこの私が、貴女のお役に立って見せましょう」
「ティラ様だなんて……ティラと呼んでくださいませ、私はその……本当はこんなところに立っていて良い存在じゃないですから」

 誤魔化ごまかすようにティラがはにかむ。
 以前の私は健気なふりをする彼女へ、動揺しながら対応した。そのせいでおそらく早々に彼女に舐められたのだ。そうしてティラを虐めていると噂を流された。
 今はウェルナーが作ってくれたこの好機を活かすべきだ。

「いえ、ティラ様は次期王妃様なのですから」

 そう言って、私はティラのドレスの裾に唇を寄せた。
 古来より忠臣が主人にすべてを捧げると意思表示を行う儀礼だ。儀礼を知らぬティラは「え……」と戸惑い、周囲はざわつく。
 ──絶対に、誰の思い通りにもさせない。すべてを支配するのはこの私だ。
 誰にも見られぬよう、獲物のドレスの裾で隠しながら、私は口角を上げる。
 公爵令嬢の絶対的な忠誠。道ならぬ恋を進む二人には必要なはずなのに、ルカはおろかティラすらも驚き、時が止まったように私を見つめていた。


 帰還式の帰りの馬車では、兄のディオンも妹のエルビナも、母ですら声を発することなく、私の様子をうかがっていた。
 他でもない、ルカの一方的な婚約解消について気にしているのだろう。
 馬車の車窓から差し込む夕日が暗い影を落とし、車内の悲壮感を強めている。
 どう説明したものか、と私は気まずそうにする家族を前に考える。

『ルカのことはいずれ消そうと思っているから大丈夫』

 ──なんて言っても、言われたほうが大丈夫じゃなくなる。

「馬鹿で浅はかそうな女でしたね、ルカ王子の連れてきた村娘は。王族は女の趣味が悪い」

 ファタールの屋敷に到着し、暗い雰囲気で馬車から降りていくと同時に、ウェルナーが呟いた。
 それまでどことなく私に気を遣っていたエルビナやディオンが目を剥き、ウェルナーの口を押えにかかった。
 母も「ウェルナー!」と、たしなめた。「相手は王族よ」と珍しく声を荒げる。

「だってそうでしょう? あんな村娘に国母なんて務まりませんよ。この国はもう終わりです。滅びるしかない。次の王は帰還式で婚約の破棄をするような愚か者なのですから、お先真っ暗ですよ。そうだ、どこかと遠くに行きましょう。隣国にでも」

 悪びれもせず、ウェルナーは吐き捨てた。先程は声を発することすらはばかられる雰囲気だったが、ウェルナーの悪辣あくらつな言葉に、雰囲気が若干緩む。
 前の帰還式では、ディオンやエルビナ、母から注がれる視線に耐えきれず、心配するみんなを置いて部屋にこもった。
 それからずっと、家族に対して一方的な気まずさを抱えていた。
 今まで次期王妃として頑張ってきたのに、家族に顔向け出来ない。
 心配させられない。
 私は家族のためにと、王妃になることやルカを優先していたが、、家族をかえりみなかった。

「……私もそう思う。なんていうか、くだらないなって」

 ルカも――前の私も、くだらない人間だった。
 でも、これからは違う。同じ過ちは繰り返さない。

「……なんか、夢から覚めたというか……それと、ごめんなさい、みんな」
「え」

 突然の謝罪に、家族が戸惑う。ウェルナーだけが、私を静かに見えている。
 私は先程ルカを前にしていたときより緊張しながら話を続けた。

「王妃になることばかり考えて、家族のこと、ないがしろにしてたから。でも、これからは、ちゃんとするから」

 私の人生に、王妃になることも、ルカも、必要ない。
 私に必要なのは、もうあった。

「何言ってるのよ、姉さんはいつもちゃんとしてるじゃない、誰かさんと違って」

 妹のエルビナが、兄のディオンを見やる。

「なんだよ。俺だってちゃんとしてるだろ。今日だって騎士団副団長として立派に警備してただろ」
「小さい頃棒振り回してたのと何にも変わらなかったわよ」
「なんだと!」

 二人はまた口論を始めた。エルビナと言い争いながらも、ディオンはこちらを振り返る。

「でも、俺もエルビナに同意だ。お前はちゃんとしてる。俺と、同じで」

 にやり、と悪戯っぽくディオンが笑う。

「二人の言う通りよ。貴女はいつも頑張ってる……自分を追い詰めすぎているんじゃないか、もっと肩の力を抜いてほしいのにって、こちらが心配になるくらいにね」

 母が私の肩を叩いた。

「母様……」
「私は、貴女や、エルビナ、ディオンが幸せでいればそれでいい。その幸せは、私が決めることではない。でも、王妃になることが貴女の幸せだとは、思っていないわ」

 母はそっと私の背を押しながら、屋敷へ歩みを進める。
 強く、強く、守りたいと思った。
 家族の皆を、この時間を。


 帰還式の夜、前の私は部屋にこもり泣いていたけれど、今日は母、兄のディオン、妹のエルビナ、そしてウェルナーと四人で食事を取った。
 ウェルナーに一人で食事をさせて、後々ナイフでも無くなったら恐ろしい、なんて理由から一緒に食事を取っているけど、家族と──前世で私を殺した男との食事はずっと慣れなかった。けれど今日の食事は安らかで、私が王妃教育を受ける前に時間が巻き戻ったような錯覚を抱いた。
 このままずっと穏やかな時間が続けばいいのに。そう祈りたくなるものの、祈りなんて無価値で、何の役にも立たないことを私はよく知っている。
 だから夕食の後、私はウェルナーを私室に連れてきた。

「今日はありがとう。貴方のおかげで、今後有利に立ち回れるようになったし……家族とも、打ち解けられた」

 ずっと一緒にいたのに、打ち解けるというのもおかしな話だ。
 でも、そういう表現のほうが正しくて、私達家族の関係を顕すのにぴったりだと思う。

「俺はまだ何もしていませんよ」

 ウェルナーが軽く首を横に振った。
 窓の外には夜空が浮かび、星灯りが私達を照らしている。
 目的を告げるなら、今だと思う。

「……私の目的を、話していなかったけれど」
「はい」
「私は、五人の人間の命を奪って、おとしいれて……ひたすら、地獄を目指そうと思うの……どう? それでも私と一緒にいてくれる?」

 ずるい聞き方だった。
 ウェルナーは男娼だんしょうとして生きていくほかなかったところで、私が助け出した形になる。私は恩人となったのだ。そして彼に恩を着せた。断れるはずもない。

「俺は姫様の剣となる幸いを得たのです。貴女のご命令とあらば、どこまでも共に」

 けれどウェルナーは、葛藤するでもなく、嬉しそうに笑った。
 人を殺すと聞いてここまで恍惚こうこつとしているのは、やはりどこかおかしいのかもしれない。そしてまた、姫様呼びに戻っている。
 帰還式の途中では、思わずと言った形で私に話しかけてきたけど、その後はきちんとロエル様と、節度を保っていたのに。

「俺はもともと地獄行きのはずだったのです。生まれてくるべきではなかった。けれど、貴女が俺に会いに来てくださった。貴女が俺に許可をしてくださるのなら、どこまでも、どこまでもついていきます。貴女の望みを叶えましょう」
「なら、私が命令したとき、私を殺して」

 願いを口にすると、ウェルナーの表情が「え」と、愕然がくぜんとしたものに変わった。
 子供みたいな驚き方だった。
 人が絶望した顔というのは、こういう表情なのだろうか。
 彼はゆっくりと俯き、表情を見せぬまま口を開く。

「……理由をお聞きしてもよろしいですか」
「死にたいときに死にたいから。これから先、私は自分の命が狙われたりする危険にも、手を伸ばしていくの。その時、私は自分の意思で、望むように動けなくなる瞬間があるかもしれない」

 家族はきっと、私が生きることを望んでくれる。

「その時、私は絶対に死にたい」

 自分だけ生きていても意味がない。家族が幸せにならなければ。

「……では、姫様が死にたくならなかったら、どうなるのでしょうか」

 長い沈黙を経て、ウェルナーが顔を上げる。切実な声音だった。

「どういう意味?」
「俺は馬鹿な畜生なので、解釈が異なっているかもしれませんが、姫様は何か他の願いも抱えられている様子。その願いが果たせず道なかばで倒れられたとき、俺が姫様を殺すということですよね?」
「別に間違ってない。それで合ってる」
「では姫様の悲願が達成し、死ぬ必要が無くなった場合は」
「その時は、改めて報酬でも、なんでもあげる。私の家族の幸せを妨げないことなら」

 口には出さないけれど、私の命でも構わない。
 でも、いったいウェルナーは何を望むのだろう。

「ご家族のことは勿論もちろんお守りいたします。しかし、本当に、何でもよろしいのですか」
「できれば、その時私が持ってるもので」

 あまりにも念押しをしてくるため、私は思わず身構えた。
 この男は「女」に対し憎悪がある。殺してもいい女を三百人用意しろなどと、途方もないことを言われても困る。

「……姫様しかお持ちでないもの、ですね」
「そういう縛りはしてないけど」
「でも俺は、姫様しかお持ちでないものを、いただこうと思います」

 ウェルナーは勝手に納得して目を細めた。
 その笑顔はとても不気味でありながら、泣きそうで、私は視線を逸らす。
 逃れた視線の先では、月明かりに照らされた迷迭香ローズマリーが揺れていた。



    第二章 奈落の剣


 帰還式からたいして日も経たぬ間に、私へ登城の命令が下った。

「ルカの蛮行をなんとか止めてくれないかしら」

 謁見えっけんの間で、王妃が言う。
 そばには騎士団長と宰相が立ち、彼らの後ろの玉座には王が座っていた。
 前の帰還式のときも呼び出されたけれど、その時は宮廷内もルカとティラの関係を把握しておらず、調査をするから待って欲しいなんて、要領を得ぬことを言われただけだった。
 しかし今回、王妃が私に対してお願いをするのは影響力を持ち、王族に対しても発言権を持つ貴族たちが、ルカとティラの仲について異を唱えたからだ。
 その中心にいるのが、帰還式でそばにいたリタ夫人だ。
 裏切りを嫌うリタ夫人の夫であるリタ公爵は、王の遠縁にあたる。王も王妃も無視できない存在だ。
 前の人生ではそういった動きは見られなかったが、ウェルナーの発言で風向きが変わったことが、大きく影響しているのだろう。

「止める……? しかし王家のご意向ではないのですか? だから帰還式で、殿下は宣言を──」

 私は無垢むくよそおいながら、王族の管理不足を責める。
 王妃は「突然宣言の内容を変えてしまったのよ」と、ため息がちに返した。そんなこと知っている、と心の中で思う。

「ティラ様は神の手を持つ御方とお伺いしました。王家がその手を持つことになれば、我が王族は代々神の手を手にする可能性がある──故に今回の宣言だとばかり……」

 私は王妃と目を合わせた後で、その背後で座っている王に視線を移す。
 その立ち位置であるからこそ余計な言葉を発さないのか、ただ眺めているだけなのか。
 どちらであっても、王はおそらく、王族の血に他国の女の血が混ざることを避けたいと考えているだろう。だから前回は私を側妃にし、王位継承権をルカと私の子に持たせると言ったのだ。
 王からすれば、私がルカの子を生みさえすればと考えているのだろうが、私はルカの子供なんて産みたくない。

「そんなことあるわけないでしょう! そんな選択は、ファタール公爵家を捨てることと同然だわ」

 王妃が大げさに否定した。しかし王妃はファタール家当主、そしファタールのかなめともなっている母を毒殺したのだ。ファタール家を捨てる以上のことをしたのがお前だと、また心のなかで思う。私は王妃に微笑みながら、「そうなのですね」と複雑そうな表情を作った。

「……ともすれば、王妃様の反対を予見よけんした上での宣言とも考えられます。つまり、彼の心にあるのはティラ様です。私が殿下を引き止めても、気持ちは変わらない。むしろ殿下のティラ様への想いを強める可能性もございます。そして……王族に対し距離を置く家が出て来た以上、かねてより国の混乱を願う者たちや、反王家派閥がその隙を狙う可能性すらあります。それに、隣国エバーラストの介入も……」

 内乱……そして隣国エバーラストの動向についてふれると、それまで様子うかがいにとどまっていた宰相、の顔がわかりやすく変わった。
 今年、隣国エバーラストでは新たな皇帝が即位したばかりだ。
 エバーラストは人も土地もエディンピア王国より豊かな強国だが、争いを好まぬ風土柄、軍事力に欠点がある。皇帝はかねてより民からしたわれていた皇子が即位したらしいが、奇抜な政策を次々打ち出すことで、国民からの支持は絶対的な反面、政局はやや不安定らしい。そういった体制の隙を突き、奇襲をしかけられないかと宰相たちは水面下で動いている。
 宰相が妹を殺したあと、このエバーラストの皇帝が死にいたる。これを好機と奇襲を決行することとなるが、そんな未来を彼は知らない。いくさの準備中である現在、内乱に兵力を割かれるのは避けたいはずだ。

「確かに、殿下はお母様である王妃様にすら、自らの心のうちをお話されなかった。今は、あまり刺激なさらず、殿下とティラ嬢の動向を注視していく形がよろしいかと」

 宰相が私に同調を始めた。利用しない手はない。

「王妃様のご命令とはいえ、私の軽率な行動が国を揺るがすことにでもなれば、何度お詫びしても足りません。二人のご様子を伺いお伝えするだけで、どうかお許しいただけないでしょうか」

 私は切に願うふりをした。
 謁見えっけんの間にしばし沈黙がおとずれる。

「そうね、あなたの言うとおりだわ」

 くすっと、王妃が笑った。
 まるで子供が誕生日のプレゼントを貰ったみたいな顔だった。今まで見たことのない表情に若干戸惑うが、私には目的がある。

「それと、お話を拝聴し、一点ご相談が」
「なあに?」
「私に、次期王妃として護衛騎士をつけるお話がありましたが──その騎士をティラ様につけていただきたく存じます」
「どうして?」

 ティラが現れなければ、帰還式の一年後に私とルカは結婚する予定だった。
 そのため、王族を守る護衛騎士を私のそばに置く手筈てはずであったが、王族を守る護衛騎士は、結局の所、王族の手の者ということだ。家に入れたくない。
 私は真意を隠しながら言葉を続ける。

「ルカ様の宣言が王様、王妃様の本意と異なるならば、ティラ様の身に危険が及ぶ可能性があります」
「でも、貴女の護衛はどうするの? 危険じゃないかしら」


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