【完結】碧よりも蒼く

多田莉都

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第5章

冬の放課後 4

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「伊藤がオレに話してくれたみたいな感じでオレのことも話していいかな?」

 僕が尋ねると、伊藤は「もちろん」と言って体育館の床に座った。自然と僕の口元も綻ぶ。ちゃんと話を聞いてくれようとするこいつはやっぱりいい奴だなぁと。

「伊藤が小学校の頃からバスケをやってたみたいに、オレは昔から陸上競技をやってた」
「陸上……まぁ意外ではないね」
「ランニングスクールにも通ってて、地元じゃ負け知らず、って感じで。よーいどんで一斉に走って負けることなんて学校の中で経験したことなかった」
「相当だな、やっぱり」
「中学に入ったとき、迷わず陸上部に入った。自分がどこまで走ることができるのか知りたかったし、どこまででも行けるんじゃないかって思ってた。中学1年で県大会優勝、なのに北信越大会はフライングで失格」

 フライングという言葉に伊藤は「マジか、そんなのあるんだ」と苦笑した。

「それでも県内の中学1年記録は更新して、県内の中学記録の歴代何位だっけかな、一桁入りはしたんだ」
「すごいなぁ、歴代の一桁って」
「で、中2で県の中学記録を更新した」
「え……」

 伊藤が口を開けて驚いた顔をした。

「北信越大会も優勝して、全国に出て100mで優勝した」
「え、ちょっと待っ……」
「日本の歴代中学記録の第5位だかになった」
「え、なんか予想したレベルより遥かに高すぎるんだけど……? 相沢って全国で優勝したことあるの……?」
「まぁ、一回だけど」
「一回でもすごいことだよ!」

 珍しく伊藤が興奮気味なのがちょっと面白かった。

「そんな奴がなんでいまは帰宅部に……? 陸上推薦とかじゃなくて東谷ここに来てるんだよね? ウチの陸上部は強いなんて聞いたことないし」

 たしかにこの高校の陸上部で市大会を突破した選手がいるとは聞いたことはなかった。

「バスケ部も市大会で負けてるから人のことは言えないけどさ」

 自虐的に言うと伊藤は苦笑した。

「それでもこうやって練習しているのはエライと思うよ」
「これだけで勝てるほど甘くはないけどね……ってオレのことはいいんだ。いまは相沢の話だよ。中学で全国制覇してなんでいまココなわけ?」
「うーん…………中3のときも全中には出たんだ」
「だろうね。中2で全国制覇なんだから」
「その頃ってさ、オレはタイムが全然伸びなくなってて中2のベストを超えられずにいた。壁にぶつかってた。これ以上、先に進む方法が見つかりにくくなってた。それでも去年に近いレベルにまでは持ってきてたから、全中でまた勝てると思ってた。でも……」
「でも?」


 胸の奥に渦巻くような何かが蘇る。
 言いたくないが、ここを話さずに伊藤は納得してくれないだろう。

「全中の100m予選で、すごい奴と走ったんだ。なんていうのかな、オーラみたいのが違う。スタートにつくときに左横から寒気がするぐらい。それこそ『あ、こいつやばい』って思ったんだ。それでスタートした瞬間、横から風が突き抜けていった。完璧だった。オレが辿り着けないレベルに辿り着く、それどころかあっさり超えていったんだ。そいつはオレの記録どころか、中学の歴代記録1位を更新しちゃったよ」

「そんな奴がいたのか……」

「オレはレース中に立ち止まっちゃったんだ。100で怪我もしていないのに途中棄権なんてまず存在しない、とてつもなく恥ずかしい終わり方でさ、それまでオレに期待してた奴らも、見下しか憐れみのどっちかになっちゃった」


 全中の後、何度か再起を図るべく、グラウンドに行った。
 しかし、アップはできても、流しで走ることはできても、スタートブロックに足をかけると足がすくみ、吐き気がしてくる。膝から下に力が入らなくなった。


「周りの目が全部嫌になっちゃってさ……、もう環境自体を変えたくなった。それで……ばあちゃん家のある愛知に引っ越して、そこから高校に通うことにしたんだ。これがオレの東谷ここにいる理由。面白くもなんともないだろ?」

「いや、話してくれてありがとう」

 伊藤は座ったまま軽く頭だけを下げた。

「そんな相沢は……本当にもう走らないの?」

 伊藤の言葉に僕はどんな表情をすべきか考えた。考えている時点で僕はこの場を取り繕おうとしているんだと気づき、自分を情けなく思った。
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