27 / 27
第二話 ターブの魔鏡事件
第八章 図書室での会合
しおりを挟む
復活祭の当日、いつもお祭りみたいなターブ市域はいつも以上にお祭りそのものだった。
今日は地味な身なりではかえって浮いてしまう。エレンは初日と同じピンクのサッシュと帽子のリボンで華やかに装って、鉄人駕籠で鉱泉館へと向かった。
するとファサードの階段にすでにエドガーがいた。
「やあミス・ディグビー! 久々に見ると君はますます美しいな」
「ありがとうございます」
二人並んで待つうちに、右隣の社交会館の鐘が鳴り始めた。
正午だ。
そろそろ来るかと待つうちに、ようやくに人混みをぬってこちらへと来るアルフレッド・デールの大柄な姿が見えた。
「卿、彼ですわ」
「あれか。確かに全く似ていないな」
エドガーが小声で囁く。
「すみません、すみません、ちょっと通してください!」
人混みを抜けるなり、デールは全く迷わずにエレンたちの前へと駆け寄ってきた。
「ミス・ディグビー、お待たせしました! 今日はとても――」と、言いかけたところで、ようやくにエドガーの姿に気づく。
「あ、あの、そちらのお連れのお方は?」
「初めましてミスター・デール。私はスタンレー卿だ」お忍びのはずの貴公子はよく徹る声で堂々と名乗った。「レディ・アメリア・キャルスメインの長男――と言ったら分かりやすいか?」
「えええええ!」
画家は分かりやすく愕き、怯えた大きな獣みたいに左右を見回した。「え、あ、その、ええと――ここに一体何しに?」
「あなたの顔を確かめに来たのさ」と、エドガーは憮然として応えた。「見たところ、私とは全く似ていないな。おかげで安心したよ」
エドガーはおそらく、自らは群衆の一人として巧いこと埋没している――と、心から信じているのだろう。長身の洒落者の貴公子と大柄な中年男の意味ありげな会話に、道行く人々がわざわざ足を止めては聞き耳を立てている。エレンは慌てて口を挟んだ。
「お二人とも場所を変えません? 特別使用料を支払えば、ちょうどいい静かな部屋を借りられる気がしますから」
「今日のターブに静かな場所なんか存在するのか?」
「それが存在するんですよ」
エレンはにんまりと答えた。
この愉快なお祭り騒ぎの日に、わざわざ社交会館の図書館を訪れる奇特な保養客はまずもっていないだろう。
ロビーで顔なじみの従僕を捕まえてスタンレー卿の来訪を告げるなり、エレンたちは豪華な調度の特別室みたいな小部屋に通された。
「しばらくこちらでお待ちを。何か飲み物をお持ちいたしますか?」
「ああ、もしあればデライラ葡萄酒と葉巻を頼む。このご時世だからね、葉巻の銘柄は何でもいいよ」
貴公子がいかにも貴公子らしく鷹揚に贅沢な注文をする。「お嬢さんはアイスクリームかな?」
「――お茶をお願いいたします」
「あ、ではわたくしも」
頼んだ品がピカピカ輝く銀の盆にのせて運ばれてきてすぐ、今日は白い縦ロールの鬘を被った儀式長のフェイトンが息せき切って駆けこんできた。
「卿、お待たせいたしました! わたくしめが当館の儀式長のハロルド・フェイトンと申します!」
一息に告げてお辞儀をしてから、初めて気づいたようにデールを見やる。
「――アルフレッド?」
「ええ」と、デールが気まずそうに立ち上がってお辞儀をする。「お久しぶりです叔父さん」
「親族なのか?」と、エドガーが意外そうに訊ねる。エレンも愕いた。この二人は大きさが違いすぎる。
「畏れながら卿、姻族でございます」と、フェイトンが恭しく答える。「わたくしの姪がこの男に嫁いでいるのでございます」
「ほほう」と、エドガーが興味深そうに応じる。「ところで儀式長、君に頼みたいことがあるんだが」
「わたくしにできることであれば何なりとお申し付けください」
「図書室を貸してくれ」
エドガーが告げると、フェイトンは目をぱちくりさせた。「図書室――でございますか?」
「ああ。そして我々がいるあいだは人払いをしてほしい」
「――それは、何のために?」と、フェイトンがとても心配そうにエレンを横目で見やる。
「何って君、決まっているだろう?」と、エドガーは不本意そうに答えた。「君たちは知らないのかもしれないがね、貴族だってたまには本を読むんだ」
案じ顔のフェイトンに案内されて図書室へと向かう。
「どうぞ卿。こちらでございます」
フェイトンはまず恭しくエドガーを入室させてから、きっと眉を吊り上げて大柄な義理の甥を睨み上げた。「アルフレッド、どういう事情か知らんが、こちらのお嬢さんに何かあったらミリセントに密告するからな? 何があろうと必ず守ってさしあげるんだぞ?」
「ミスター・フェイトン、ご心配なく」と、エレンは慌てて囁いた。「スタンレー卿は依頼人ですの。純粋に魔術的な調べ物のためにおいでで、わたくしとミスター・デールは指南役です」
「そうですか。それならいいのですが――」
「おい二人とも、何をしているんだ?」
部屋の中からエドガーが焦れた声で呼ぶ。
フェイトンは渋々ながら二人を開放してくれた。
図書室に三人きりになると、まずエドガーが口を切った。
「さてミスター・デール、単刀直入に訊きたいんだが」
「……何でしょう?」
「見たところ絶対にないという気がしてきたが、君が私の父親である可能性は?」
訊ねられるなり、デールは全身をびくりとさせ、口を開き、また閉じてから、ものすごい勢いで首を横に振った。
「ありえません。完全にゼロです。彼女が聖母でないかぎりは」
「処女受胎だったら父親は君じゃなく天なる何かだろ?」と、エドガーが失笑する。「分かった。それを聞いて安心したよ。私の用件はこれで終わりだ」
「え、御血筋を証立てる証拠となる何かは必要ありませんの?」
「この男と母とのあいだに何もなかった証拠――か? 逆ならともかく、そんなもの誰にも証立てようがないだろ」と、エドガーは肩を竦めた。「私は真実が知りたかったんだ。知れればそれでいい。血筋に由来する権利を間違いなく自分が持っているなら、アーノルドが何を画策しようと正面から戦ってやる。七歳年下の小さい弟が相手だからって手加減なんかしてやらないんだからな? だってあいつが悪いんだから。そうだろ?」
エドガーは後半分を家庭教師に言い返す若い少年みたいな口ぶりで言い、晴やかに笑ってデールへと右手を差し出した。
「ありがとうミスター・デール。君のおかげで安心できたよ。いつか私がコーダー伯爵となったら、老いたる母を中心とした一族の肖像をお願いしよう」
そう告げて笑うエドガーの姿は堂々としていた。
デールはぽかんと見つめっていたが、じきに背筋を正して、恭しい仕草で握手に応じた。
「ええ卿。楽しみにしております。――ところで、わたくしも聞きたいのですが」
「なんだね?」
「卿はそもそもわたくしとお母君との関係をどうしてお知りに?」
「それはミス・ディグビーが説明するのがよさそうだな」
「ではわたくしから」
エレンが申し出ると、デールが青いあおい目をまっすぐに向けてきた。
その目には不安と怯えがあった。
エレンは違和感を覚えた。
――まだ何も告げていないのに、この人は何を怯えているのだろう?
もしかしたら、デール自身も三月二十五日に、鏡のなかに自らの死に顔を見ていたのだろうか?
それとも何か別の事情が?
あの鏡の制作者は目の前のデール自身なのだ。
一見全く善良で単純そうな男に見えるが、人は見た目にはよらない。
こちらの知らない複雑な事情を秘しているとも限らない。
諸々を考え合わせてから、エレンはまず、こちらの手札はすべて伏せたまま相手の状況を訊ねることにした。
「ミスター・デール、あなたは今年の三月二十五日には、約束通り〈合わせ鏡〉をご覧になりました?」
切り出した途端、デールは目に見えて安堵したようだった。
「いいえ、実は見ていません」
「見ていない?」エレンは愕いた。「それはまたなぜ?」
「実は、その――」と、デールは口ごもりぎみに応えた。「私は去年の夏頃にミリセントと――今の妻と結婚したのです」
「え、去年?」と、エドガーが愕く。「ずいぶん遅い結婚だな。何か事情があったのか?」
「ええまあ、いろいろと」と、デールは言葉を濁した。
エレンは混乱していた。
--ミスター・デールが今年は鏡を見ていなかったとしたら、レディ・アメリアが見たものは一体何だったの……?
「――あの、ミス・ディグビー?」
デールが怯えた声で訊ねる。「アメリアは何を見たのですか?」
「え?」
エレンは思わず問い返した。
エドガーが眉をあげ、ちらりとエレンを見やる。
話してもいいか――と、目だけで訊いているようだ。
エレンはわずかに首を振ると、職業的な笑顔を取り繕ってデールの顔をみあげた。
青いあおい眸が怯えている。
エレンは確信した。
――彼は何かを隠している。おそらくはあの〈鏡〉の本当の機能について。
そんな直観が脳裏をかすめた。
不安そうデールを見上げたまま、エレンは笑顔で首を横に振ってみせた。
「いいえミスター・デール。レディ・アメリアは何も見てはいません。あなたのお顔が映らないから、何かあったのかご案じになって、わたくしに確認をご依頼なさったのです」
「ああ、そうですか!」と、デールはありありと安堵した顔で笑った。「それなら彼女に伝えてください。私は幸福に生きていると。だから、あなたも幸福に生きて欲しいと」
そう告げるデールの表情はいかにも真摯にみえた。
「承りましたわ」
頷きながらも、エレンはどこか釈然としない思いを感じていた。
――三十年間あの方の心を縛り付けておいて、この男は今更何を言っているのかしら……?
そこまで考えたところでエレンははっとした。
――もしかしたら、ミスター・デールは何らかの必要があって、毎年必ずレディ・アメリアの顔を見ていたのでは? そして、その必要が今年からなくなったのでは?
そうと思い至ったとき、頭の中にひとつの仮定が閃いた。
レディ・アメリアの見たという鏡のなかの死に顔――あれが現在のデールでないなら、当然未来の彼だと思っていた。
しかし未来でもなかったとしたら?
「――なあミス・デシグビー」
ファサードでデールと別れたあと、ロビーで椅子駕籠を待つエレンに、エドガーが心配そうに訊ねてきた。
「あの男に何も警告しなくていいのか? つまり、未来に起こりうるかもしれない何かについてさ」
「外れない予知を警告する意味はありませんわ」と、エレンは笑ってはぐらかした。「もしも予知だとしたらね。それより卿、あなたにお願いしたいことが」
「なんだい?」
「あなたの荘園の五月祭にレディ・アメリアを招待してくださいません? わたくしはあの方の付添女性として伺いますから」
「おや、腕利きの諮問魔術どのが皆を集めて謎解きかい?」と、エドガーは面白そうに笑った。「いいよ。引き受けよう。君が来てくれるなら何だって大歓迎だ」
今日は地味な身なりではかえって浮いてしまう。エレンは初日と同じピンクのサッシュと帽子のリボンで華やかに装って、鉄人駕籠で鉱泉館へと向かった。
するとファサードの階段にすでにエドガーがいた。
「やあミス・ディグビー! 久々に見ると君はますます美しいな」
「ありがとうございます」
二人並んで待つうちに、右隣の社交会館の鐘が鳴り始めた。
正午だ。
そろそろ来るかと待つうちに、ようやくに人混みをぬってこちらへと来るアルフレッド・デールの大柄な姿が見えた。
「卿、彼ですわ」
「あれか。確かに全く似ていないな」
エドガーが小声で囁く。
「すみません、すみません、ちょっと通してください!」
人混みを抜けるなり、デールは全く迷わずにエレンたちの前へと駆け寄ってきた。
「ミス・ディグビー、お待たせしました! 今日はとても――」と、言いかけたところで、ようやくにエドガーの姿に気づく。
「あ、あの、そちらのお連れのお方は?」
「初めましてミスター・デール。私はスタンレー卿だ」お忍びのはずの貴公子はよく徹る声で堂々と名乗った。「レディ・アメリア・キャルスメインの長男――と言ったら分かりやすいか?」
「えええええ!」
画家は分かりやすく愕き、怯えた大きな獣みたいに左右を見回した。「え、あ、その、ええと――ここに一体何しに?」
「あなたの顔を確かめに来たのさ」と、エドガーは憮然として応えた。「見たところ、私とは全く似ていないな。おかげで安心したよ」
エドガーはおそらく、自らは群衆の一人として巧いこと埋没している――と、心から信じているのだろう。長身の洒落者の貴公子と大柄な中年男の意味ありげな会話に、道行く人々がわざわざ足を止めては聞き耳を立てている。エレンは慌てて口を挟んだ。
「お二人とも場所を変えません? 特別使用料を支払えば、ちょうどいい静かな部屋を借りられる気がしますから」
「今日のターブに静かな場所なんか存在するのか?」
「それが存在するんですよ」
エレンはにんまりと答えた。
この愉快なお祭り騒ぎの日に、わざわざ社交会館の図書館を訪れる奇特な保養客はまずもっていないだろう。
ロビーで顔なじみの従僕を捕まえてスタンレー卿の来訪を告げるなり、エレンたちは豪華な調度の特別室みたいな小部屋に通された。
「しばらくこちらでお待ちを。何か飲み物をお持ちいたしますか?」
「ああ、もしあればデライラ葡萄酒と葉巻を頼む。このご時世だからね、葉巻の銘柄は何でもいいよ」
貴公子がいかにも貴公子らしく鷹揚に贅沢な注文をする。「お嬢さんはアイスクリームかな?」
「――お茶をお願いいたします」
「あ、ではわたくしも」
頼んだ品がピカピカ輝く銀の盆にのせて運ばれてきてすぐ、今日は白い縦ロールの鬘を被った儀式長のフェイトンが息せき切って駆けこんできた。
「卿、お待たせいたしました! わたくしめが当館の儀式長のハロルド・フェイトンと申します!」
一息に告げてお辞儀をしてから、初めて気づいたようにデールを見やる。
「――アルフレッド?」
「ええ」と、デールが気まずそうに立ち上がってお辞儀をする。「お久しぶりです叔父さん」
「親族なのか?」と、エドガーが意外そうに訊ねる。エレンも愕いた。この二人は大きさが違いすぎる。
「畏れながら卿、姻族でございます」と、フェイトンが恭しく答える。「わたくしの姪がこの男に嫁いでいるのでございます」
「ほほう」と、エドガーが興味深そうに応じる。「ところで儀式長、君に頼みたいことがあるんだが」
「わたくしにできることであれば何なりとお申し付けください」
「図書室を貸してくれ」
エドガーが告げると、フェイトンは目をぱちくりさせた。「図書室――でございますか?」
「ああ。そして我々がいるあいだは人払いをしてほしい」
「――それは、何のために?」と、フェイトンがとても心配そうにエレンを横目で見やる。
「何って君、決まっているだろう?」と、エドガーは不本意そうに答えた。「君たちは知らないのかもしれないがね、貴族だってたまには本を読むんだ」
案じ顔のフェイトンに案内されて図書室へと向かう。
「どうぞ卿。こちらでございます」
フェイトンはまず恭しくエドガーを入室させてから、きっと眉を吊り上げて大柄な義理の甥を睨み上げた。「アルフレッド、どういう事情か知らんが、こちらのお嬢さんに何かあったらミリセントに密告するからな? 何があろうと必ず守ってさしあげるんだぞ?」
「ミスター・フェイトン、ご心配なく」と、エレンは慌てて囁いた。「スタンレー卿は依頼人ですの。純粋に魔術的な調べ物のためにおいでで、わたくしとミスター・デールは指南役です」
「そうですか。それならいいのですが――」
「おい二人とも、何をしているんだ?」
部屋の中からエドガーが焦れた声で呼ぶ。
フェイトンは渋々ながら二人を開放してくれた。
図書室に三人きりになると、まずエドガーが口を切った。
「さてミスター・デール、単刀直入に訊きたいんだが」
「……何でしょう?」
「見たところ絶対にないという気がしてきたが、君が私の父親である可能性は?」
訊ねられるなり、デールは全身をびくりとさせ、口を開き、また閉じてから、ものすごい勢いで首を横に振った。
「ありえません。完全にゼロです。彼女が聖母でないかぎりは」
「処女受胎だったら父親は君じゃなく天なる何かだろ?」と、エドガーが失笑する。「分かった。それを聞いて安心したよ。私の用件はこれで終わりだ」
「え、御血筋を証立てる証拠となる何かは必要ありませんの?」
「この男と母とのあいだに何もなかった証拠――か? 逆ならともかく、そんなもの誰にも証立てようがないだろ」と、エドガーは肩を竦めた。「私は真実が知りたかったんだ。知れればそれでいい。血筋に由来する権利を間違いなく自分が持っているなら、アーノルドが何を画策しようと正面から戦ってやる。七歳年下の小さい弟が相手だからって手加減なんかしてやらないんだからな? だってあいつが悪いんだから。そうだろ?」
エドガーは後半分を家庭教師に言い返す若い少年みたいな口ぶりで言い、晴やかに笑ってデールへと右手を差し出した。
「ありがとうミスター・デール。君のおかげで安心できたよ。いつか私がコーダー伯爵となったら、老いたる母を中心とした一族の肖像をお願いしよう」
そう告げて笑うエドガーの姿は堂々としていた。
デールはぽかんと見つめっていたが、じきに背筋を正して、恭しい仕草で握手に応じた。
「ええ卿。楽しみにしております。――ところで、わたくしも聞きたいのですが」
「なんだね?」
「卿はそもそもわたくしとお母君との関係をどうしてお知りに?」
「それはミス・ディグビーが説明するのがよさそうだな」
「ではわたくしから」
エレンが申し出ると、デールが青いあおい目をまっすぐに向けてきた。
その目には不安と怯えがあった。
エレンは違和感を覚えた。
――まだ何も告げていないのに、この人は何を怯えているのだろう?
もしかしたら、デール自身も三月二十五日に、鏡のなかに自らの死に顔を見ていたのだろうか?
それとも何か別の事情が?
あの鏡の制作者は目の前のデール自身なのだ。
一見全く善良で単純そうな男に見えるが、人は見た目にはよらない。
こちらの知らない複雑な事情を秘しているとも限らない。
諸々を考え合わせてから、エレンはまず、こちらの手札はすべて伏せたまま相手の状況を訊ねることにした。
「ミスター・デール、あなたは今年の三月二十五日には、約束通り〈合わせ鏡〉をご覧になりました?」
切り出した途端、デールは目に見えて安堵したようだった。
「いいえ、実は見ていません」
「見ていない?」エレンは愕いた。「それはまたなぜ?」
「実は、その――」と、デールは口ごもりぎみに応えた。「私は去年の夏頃にミリセントと――今の妻と結婚したのです」
「え、去年?」と、エドガーが愕く。「ずいぶん遅い結婚だな。何か事情があったのか?」
「ええまあ、いろいろと」と、デールは言葉を濁した。
エレンは混乱していた。
--ミスター・デールが今年は鏡を見ていなかったとしたら、レディ・アメリアが見たものは一体何だったの……?
「――あの、ミス・ディグビー?」
デールが怯えた声で訊ねる。「アメリアは何を見たのですか?」
「え?」
エレンは思わず問い返した。
エドガーが眉をあげ、ちらりとエレンを見やる。
話してもいいか――と、目だけで訊いているようだ。
エレンはわずかに首を振ると、職業的な笑顔を取り繕ってデールの顔をみあげた。
青いあおい眸が怯えている。
エレンは確信した。
――彼は何かを隠している。おそらくはあの〈鏡〉の本当の機能について。
そんな直観が脳裏をかすめた。
不安そうデールを見上げたまま、エレンは笑顔で首を横に振ってみせた。
「いいえミスター・デール。レディ・アメリアは何も見てはいません。あなたのお顔が映らないから、何かあったのかご案じになって、わたくしに確認をご依頼なさったのです」
「ああ、そうですか!」と、デールはありありと安堵した顔で笑った。「それなら彼女に伝えてください。私は幸福に生きていると。だから、あなたも幸福に生きて欲しいと」
そう告げるデールの表情はいかにも真摯にみえた。
「承りましたわ」
頷きながらも、エレンはどこか釈然としない思いを感じていた。
――三十年間あの方の心を縛り付けておいて、この男は今更何を言っているのかしら……?
そこまで考えたところでエレンははっとした。
――もしかしたら、ミスター・デールは何らかの必要があって、毎年必ずレディ・アメリアの顔を見ていたのでは? そして、その必要が今年からなくなったのでは?
そうと思い至ったとき、頭の中にひとつの仮定が閃いた。
レディ・アメリアの見たという鏡のなかの死に顔――あれが現在のデールでないなら、当然未来の彼だと思っていた。
しかし未来でもなかったとしたら?
「――なあミス・デシグビー」
ファサードでデールと別れたあと、ロビーで椅子駕籠を待つエレンに、エドガーが心配そうに訊ねてきた。
「あの男に何も警告しなくていいのか? つまり、未来に起こりうるかもしれない何かについてさ」
「外れない予知を警告する意味はありませんわ」と、エレンは笑ってはぐらかした。「もしも予知だとしたらね。それより卿、あなたにお願いしたいことが」
「なんだい?」
「あなたの荘園の五月祭にレディ・アメリアを招待してくださいません? わたくしはあの方の付添女性として伺いますから」
「おや、腕利きの諮問魔術どのが皆を集めて謎解きかい?」と、エドガーは面白そうに笑った。「いいよ。引き受けよう。君が来てくれるなら何だって大歓迎だ」
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【R-18】クリしつけ
蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
男友達を家に入れたら催眠術とおもちゃで責められ調教されちゃう話
mian
恋愛
気づいたら両手両足を固定されている。
クリトリスにはローター、膣には20センチ弱はある薄ピンクの鉤型が入っている。
友達だと思ってたのに、催眠術をかけられ体が敏感になって容赦なく何度もイかされる。気づけば彼なしではイけない体に作り変えられる。SM調教物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる