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第二話 ターブの魔鏡事件
第六章 謎の肖像画
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エドガーの地所であるスタンレー荘園はターブからはそれほど遠くないのだという。
「五日の猶予があるなら、私は一度荘園へ戻ることにしよう。ミス・ディグビー、もしよければ君も来ないか?」
鉱泉館のパーラーでヴァニラ風味のアイスクリームと赤いゼリーを挟んだスポンジケーキと鹿肉のパイとホットチョコレートという最新流行の軽食を楽しみながら、エドガーは本気とも揶揄いともつかない声音で言った。
エレンは、ええぜひ喜んで――と、答えたくなる衝動を必死で堪えた。
スタンレー卿は聞いていたよりはるかにまともな人物のようだが、爵位貴族の嫡男の田舎の邸にミドルクラスの未婚の娘が同じ身分の付添夫人(シャペロン)なしで赴くなど、人に知られたらそれだけでも大スキャンダルだ。
「残念ですけど連泊で宿をとってありますの。復活祭の正午にまた落ち合いましょう」
「分かった。君がそう言うなら」
エドガーは本気で残念そうに言った。
エドガーと別れて宿へと戻ったエレンは、着替えもそこそこにまた火蜥蜴を呼び出して訊ねた。
「ねえサラ、あなたタメシスまでは往復でどのくらいかかる?」
「昼間も飛んでいいなら丸一日じゃな」
「昼間はまずいわね。いくらなんでも目立ち過ぎちゃう。市街地を飛ぶのは朝焼けと夕焼けの時間だけにして」
「むう。すると二日、三日かのう。あの若造に伝令か?」
「ミスター・ニーダムのこと? いい勘しているわね!」薄綿織ドレスを脱いで、宿備え付けのパリッとした肌触りのリネンのローブに着替えながら、エレンは声を立てて笑った。「大正解。クリストファー・ニーダム警部補に、ディグビー諮問魔術師からの秘密の依頼よ。コーダー伯爵家の次男のアーノルド・キャルスメインについて、出来る限りのことを調べて欲しいと」
そこまで口にしたところで、エレンは慌てて部屋の一隅の小さな書き物机を見やった。
マディソンが三脚椅子に座って黙々と帳簿付けをしている。
「--ねえミセス・マディソン、今の話を聞いて気を悪くしないでね?」
定位置である右肩に火蜥蜴をとまらせたままエレンは恐る恐る告げた。
「あなたの調査に問題があるわけじゃないの。ただ、世間からの評判以外のことをもう少し詳しく知りたくなったの」
「ミス・ディグビー、お気になさらず」と、マディソンはいつもの平坦な声で応えた。「あなたは雇い主で私は雇用人です。どんな仕事を割り振るかということまで気になさることはありません」
「心がけるわ」と、エレンは所在なく答えた。
見た目が若いのに内面が成熟しているマディソンと話していると、自分が全く世間知らずの小娘に戻ってしまったような気後れを感じてしまう。
「それではエレン、行ってくるぞ。儂を呼び出したままにしているのだから、あまり無理をするなよ?」
「サー、どうかご心配なさらず」と、マディソンが丁重に口を挟む。「雇い主の健康については私も気にかけますから」
「うむ。頼んだぞご婦人」
火蜥蜴は重々しく応じると、赤い入日の射しこむ窓の外へと飛び立つなり、放たれた砲弾のような速度で新運河の上を東へと遠ざかっていった。
「夜に見たら深紅の流星のようでしょうね」と、マディソンが珍しくほれぼれとした口調で呟いた。
翌日の午前中、エレンは前の日と同じ多少は落ち着きのある服装で、再び画家組合の会館へと赴いた。デールが無事であることは確かめられたものの、万が一にも鏡に現れた何かが未来予知であってはまずい。念のため、ターブの魔術師が書き残した記録があれば目を通しておこうと思ったのだ。
――何しろこの町は偉大なるエスター女王時代に偉大なる祭典魔術師を輩出しているのですものね。わたくしの知らない古い技が伝わっていたっておかしくはないわ。
マディソンが手配した鉄人駕籠は相変わらずガタピシ揺れた。喋るだけの機械鳥を気にせず、ドアベルを鳴らして中へ入ると、右手の部屋から若い書記のソープが顔を出した。
ソープはエレンを目にするなり血色の良い丸顔を嬉しそうに綻ばせた。
「あれ、おはようございますミス・ディグビー! 風見鶏荘には無事お着きになりましたか?」
「ええ幸い」
「ミスター・デールはこの頃タメシスで人気高騰中なのですか? 一昨日あなたがいらっしゃったすぐ後にも、彼が今どこに住んでいるか尋ねにいらした方があったのですよ。それが何と貴族で! スタンレー卿ってご存じですか?」
「ええまあ。知らないこともないわね」
答えながらエレンはあきれ果てた。
母の昔の恋人の在所を訊ねるにあたって、あのお気楽な貴公子は堂々と自分の身分を明かしていたらしい。
――レディ・アメリアがあんなにも秘密厳守と念をおしていたのは、もしかしたらご嫡男の出生に疑いをもたれないためにという母心だったのかもしれないけれど……当のご本人がここまで目立っちゃっているなら、私も多少は素性を明かしたっていいような気がしてきたわ。
「……――ミス・ディグビー、すみません、何かお気に障りました?」
気づかないうちに黙り込んでしまったらしい。
ソープが首を竦ませてびくびくと訊ねてくる。
陽気そうな赤い頬をした少年みたいな若者だ。
どう見ても人畜無害――たまの祝日に居酒屋で羽目を外して仲間内で悪ふざけをすることがあったとしても、出生の疑惑をネタにコーダー伯爵の嫡男をゆすったり脅したりできるほどの度胸があるようには見えない。
エレンは腹を決めると、職業的な笑顔を取り繕って応えた。
「いいえミスター・ソープ。何も気に障ってなどいません。ただ少し考えごとを。――このターブ出身の著名な魔術師――たとえば、星の処女王治世下のかの〈祭典魔術師〉の書き残したものなどは、こちらの会館の蔵書室に残っていますの?」
「え、そんなこと気になるのですか?」と、ソープが意外そうに言う。
エレンは素の顔で頷いた。
「ええ。わたくしも魔術師ですから」
言いながら小銭入れから銀の印章指輪をつまみ出し、右手の薬指に嵌めて差し出す。
「え、え? ええ?」
ソープは狼狽え、何を思ったか片足を後ろに引いてぎこちない宮廷風のお辞儀をしながら、エレンの右手の下に自分の手を添えて、じつにぎこちなく唇を近づけようとしたが、エレンが危うく叫ぶ前に、ハッとしたように動きを止めた。
印章指輪の存在にようやく気付いたらしい。
「――C.Mエレン・ディグビー?」
「ええ」
「……って何ですか?」
「――諮問魔術師です」
エレンは憮然と教えた。
「わたくし、タメシス警視庁に任命された正式の諮問魔術師です」
「え、あ、はあ、そうなんですか」
ソープの反応は芳しくなかった。
どうもターブでは諮問魔術師という職業はそれほど知られていないらしい。
「つまり警察の方なんですか?」
若者が小声で疑わしそうに、同時に少しばかり怖ろしそうに訊ねてくる。
エレンはわざと真剣な顔で頷いてやった。
「関係者ですわ。仕事で内密の調査中です。さっきおお話した資料、もしこの会館に何かあるようでしたら閲覧させてください」
頼みながらエレンははっと気づいた。
そういえば、ミスター・デールはこの指輪が何を意味するのか一目で分かっていたようだった。
となると、もしかしたら彼は一時期なりとタメシスに住んでいたことがあるのかもしれない。
「ええと――諮問魔術師殿? こちらでしばらくお待ちください。書庫を確かめて参りますから」
若い書記は先ほどまでの人懐っこさをひっこめ、気後れと緊張の入り混じった丁重さで告げると、エレンを左手の居間に残して階上へあがっていった。入れ違いにメイドがお茶を運んでくる。エレンはまた手持無沙汰に三方の壁を埋め尽くす大小の肖像画を眺めた。
そしてハッと気づいた。
「――これだわ」
思わず呟いてしまう。
エレンがそこに発見したのは、服装からして半世紀ばかり前の作品に見える小型の肖像画だった。襟元にたっぷりと白いレースを飾り、ヴェルヴェットと思しき深緑の上衣を重ねたルテチア王政期風の華やかな衣装の中年男の画だ。
ふさふさとした赤褐色の巻き毛を肩に垂らした恰幅の良い地主貴族を思わせる男の顔――その眸は鮮やかな青だった。
深いふかい海のようなマリンブルーの眸。
――もし髭があったらミスター・デールそのものじゃない。
エレンは愕きとともに高揚感を覚えた。
アルフレッド・デールを見たときのあの奇妙な既視感――どこで見たのか全く思い出せないのに、確かに知っていると思った既視感は、前日にこの肖像画を目にしていただめだったのだ。
――ミスター・デールの御身内かしら?
蔓草模様の浮彫に金鍍金を施した額縁の下部に、画の主の名前と作者名、描かれた場所と年を記した金属板が嵌めてあった。
サー・リチャード・スキナーの肖像
グラディス・フェイトンによる
1763年 風見鶏館にて
「風見鶏館……」
エレンは思わずまた呟いた。
画の中の男――名はサー・リチャード・スキナーというらしい――は、石造りの邸の広間に立っているようだった。後の壁の大型の暖炉の上に鹿の頭が架かっている。
見るからに、どこか古風な領主邸の玄関広間といった風情だ。
あの洒落た現代風の煉瓦造りの風見鶏荘には見えない。
1763年というと41年前だ。
この人物は何者なのだろう?
年代からしてアルフレッド・デールの父親だろうか?
しかし名前はスキナーだ。
ターブのスキナーとなったら、やはり偉大なる〈祭典魔術師〉サー・チャールズ・スキナーの子孫なのだろうか?
画のなかに更なる手がかりはないかと、ぐっと顔を近づけて舐めるように見つめていたとき、
「あのうミス・ディグビーーー」
背後からソープが控えめな声で呼んだ。
「魔術師の手記のようなものはこの会館にはありませんでした。一冊だけ、サー・チャールズ・スキナーの家系について記してある本がありましたが」
「まあ、それは願ったりです! 閲覧できますか?」
「どうぞ。書庫は三階です」
埃っぽい狭い書庫で、エレンは「ターブの祭典魔術師」サー・チャールズ・スキナーの家系図を確かめた。
スキナー家の直系は1769年に死に絶えていた。
最後の直系の名はサー・リチャード・スキナー。
あの肖像画の主だ。
サー・リチャードにはエレノアという姉妹がいた。彼女はコンラッド・デールなる男に嫁いでいる。
--すると、ミスター・アルフレッド・デールは、年代からしてこのレディ・エレノアの息子――最後の直系スキナーたるサー・リチャードの甥にあたるのかしら?
そのあたりは当人に確かめるのがよさそうだ。
エレンはそれなりに満足しながら本を閉じた。
なんにせよ、謎の既視感の正体だけははっきりした。
それに、傍系とはいえ、「ターブの祭典魔術師」の子孫だったのなら、ミスター・デールが思いがけない技を知っていてもそうおかしくはない。
ともかくも、彼に詳しい話を聞いてから色々考えることにしよう。
「五日の猶予があるなら、私は一度荘園へ戻ることにしよう。ミス・ディグビー、もしよければ君も来ないか?」
鉱泉館のパーラーでヴァニラ風味のアイスクリームと赤いゼリーを挟んだスポンジケーキと鹿肉のパイとホットチョコレートという最新流行の軽食を楽しみながら、エドガーは本気とも揶揄いともつかない声音で言った。
エレンは、ええぜひ喜んで――と、答えたくなる衝動を必死で堪えた。
スタンレー卿は聞いていたよりはるかにまともな人物のようだが、爵位貴族の嫡男の田舎の邸にミドルクラスの未婚の娘が同じ身分の付添夫人(シャペロン)なしで赴くなど、人に知られたらそれだけでも大スキャンダルだ。
「残念ですけど連泊で宿をとってありますの。復活祭の正午にまた落ち合いましょう」
「分かった。君がそう言うなら」
エドガーは本気で残念そうに言った。
エドガーと別れて宿へと戻ったエレンは、着替えもそこそこにまた火蜥蜴を呼び出して訊ねた。
「ねえサラ、あなたタメシスまでは往復でどのくらいかかる?」
「昼間も飛んでいいなら丸一日じゃな」
「昼間はまずいわね。いくらなんでも目立ち過ぎちゃう。市街地を飛ぶのは朝焼けと夕焼けの時間だけにして」
「むう。すると二日、三日かのう。あの若造に伝令か?」
「ミスター・ニーダムのこと? いい勘しているわね!」薄綿織ドレスを脱いで、宿備え付けのパリッとした肌触りのリネンのローブに着替えながら、エレンは声を立てて笑った。「大正解。クリストファー・ニーダム警部補に、ディグビー諮問魔術師からの秘密の依頼よ。コーダー伯爵家の次男のアーノルド・キャルスメインについて、出来る限りのことを調べて欲しいと」
そこまで口にしたところで、エレンは慌てて部屋の一隅の小さな書き物机を見やった。
マディソンが三脚椅子に座って黙々と帳簿付けをしている。
「--ねえミセス・マディソン、今の話を聞いて気を悪くしないでね?」
定位置である右肩に火蜥蜴をとまらせたままエレンは恐る恐る告げた。
「あなたの調査に問題があるわけじゃないの。ただ、世間からの評判以外のことをもう少し詳しく知りたくなったの」
「ミス・ディグビー、お気になさらず」と、マディソンはいつもの平坦な声で応えた。「あなたは雇い主で私は雇用人です。どんな仕事を割り振るかということまで気になさることはありません」
「心がけるわ」と、エレンは所在なく答えた。
見た目が若いのに内面が成熟しているマディソンと話していると、自分が全く世間知らずの小娘に戻ってしまったような気後れを感じてしまう。
「それではエレン、行ってくるぞ。儂を呼び出したままにしているのだから、あまり無理をするなよ?」
「サー、どうかご心配なさらず」と、マディソンが丁重に口を挟む。「雇い主の健康については私も気にかけますから」
「うむ。頼んだぞご婦人」
火蜥蜴は重々しく応じると、赤い入日の射しこむ窓の外へと飛び立つなり、放たれた砲弾のような速度で新運河の上を東へと遠ざかっていった。
「夜に見たら深紅の流星のようでしょうね」と、マディソンが珍しくほれぼれとした口調で呟いた。
翌日の午前中、エレンは前の日と同じ多少は落ち着きのある服装で、再び画家組合の会館へと赴いた。デールが無事であることは確かめられたものの、万が一にも鏡に現れた何かが未来予知であってはまずい。念のため、ターブの魔術師が書き残した記録があれば目を通しておこうと思ったのだ。
――何しろこの町は偉大なるエスター女王時代に偉大なる祭典魔術師を輩出しているのですものね。わたくしの知らない古い技が伝わっていたっておかしくはないわ。
マディソンが手配した鉄人駕籠は相変わらずガタピシ揺れた。喋るだけの機械鳥を気にせず、ドアベルを鳴らして中へ入ると、右手の部屋から若い書記のソープが顔を出した。
ソープはエレンを目にするなり血色の良い丸顔を嬉しそうに綻ばせた。
「あれ、おはようございますミス・ディグビー! 風見鶏荘には無事お着きになりましたか?」
「ええ幸い」
「ミスター・デールはこの頃タメシスで人気高騰中なのですか? 一昨日あなたがいらっしゃったすぐ後にも、彼が今どこに住んでいるか尋ねにいらした方があったのですよ。それが何と貴族で! スタンレー卿ってご存じですか?」
「ええまあ。知らないこともないわね」
答えながらエレンはあきれ果てた。
母の昔の恋人の在所を訊ねるにあたって、あのお気楽な貴公子は堂々と自分の身分を明かしていたらしい。
――レディ・アメリアがあんなにも秘密厳守と念をおしていたのは、もしかしたらご嫡男の出生に疑いをもたれないためにという母心だったのかもしれないけれど……当のご本人がここまで目立っちゃっているなら、私も多少は素性を明かしたっていいような気がしてきたわ。
「……――ミス・ディグビー、すみません、何かお気に障りました?」
気づかないうちに黙り込んでしまったらしい。
ソープが首を竦ませてびくびくと訊ねてくる。
陽気そうな赤い頬をした少年みたいな若者だ。
どう見ても人畜無害――たまの祝日に居酒屋で羽目を外して仲間内で悪ふざけをすることがあったとしても、出生の疑惑をネタにコーダー伯爵の嫡男をゆすったり脅したりできるほどの度胸があるようには見えない。
エレンは腹を決めると、職業的な笑顔を取り繕って応えた。
「いいえミスター・ソープ。何も気に障ってなどいません。ただ少し考えごとを。――このターブ出身の著名な魔術師――たとえば、星の処女王治世下のかの〈祭典魔術師〉の書き残したものなどは、こちらの会館の蔵書室に残っていますの?」
「え、そんなこと気になるのですか?」と、ソープが意外そうに言う。
エレンは素の顔で頷いた。
「ええ。わたくしも魔術師ですから」
言いながら小銭入れから銀の印章指輪をつまみ出し、右手の薬指に嵌めて差し出す。
「え、え? ええ?」
ソープは狼狽え、何を思ったか片足を後ろに引いてぎこちない宮廷風のお辞儀をしながら、エレンの右手の下に自分の手を添えて、じつにぎこちなく唇を近づけようとしたが、エレンが危うく叫ぶ前に、ハッとしたように動きを止めた。
印章指輪の存在にようやく気付いたらしい。
「――C.Mエレン・ディグビー?」
「ええ」
「……って何ですか?」
「――諮問魔術師です」
エレンは憮然と教えた。
「わたくし、タメシス警視庁に任命された正式の諮問魔術師です」
「え、あ、はあ、そうなんですか」
ソープの反応は芳しくなかった。
どうもターブでは諮問魔術師という職業はそれほど知られていないらしい。
「つまり警察の方なんですか?」
若者が小声で疑わしそうに、同時に少しばかり怖ろしそうに訊ねてくる。
エレンはわざと真剣な顔で頷いてやった。
「関係者ですわ。仕事で内密の調査中です。さっきおお話した資料、もしこの会館に何かあるようでしたら閲覧させてください」
頼みながらエレンははっと気づいた。
そういえば、ミスター・デールはこの指輪が何を意味するのか一目で分かっていたようだった。
となると、もしかしたら彼は一時期なりとタメシスに住んでいたことがあるのかもしれない。
「ええと――諮問魔術師殿? こちらでしばらくお待ちください。書庫を確かめて参りますから」
若い書記は先ほどまでの人懐っこさをひっこめ、気後れと緊張の入り混じった丁重さで告げると、エレンを左手の居間に残して階上へあがっていった。入れ違いにメイドがお茶を運んでくる。エレンはまた手持無沙汰に三方の壁を埋め尽くす大小の肖像画を眺めた。
そしてハッと気づいた。
「――これだわ」
思わず呟いてしまう。
エレンがそこに発見したのは、服装からして半世紀ばかり前の作品に見える小型の肖像画だった。襟元にたっぷりと白いレースを飾り、ヴェルヴェットと思しき深緑の上衣を重ねたルテチア王政期風の華やかな衣装の中年男の画だ。
ふさふさとした赤褐色の巻き毛を肩に垂らした恰幅の良い地主貴族を思わせる男の顔――その眸は鮮やかな青だった。
深いふかい海のようなマリンブルーの眸。
――もし髭があったらミスター・デールそのものじゃない。
エレンは愕きとともに高揚感を覚えた。
アルフレッド・デールを見たときのあの奇妙な既視感――どこで見たのか全く思い出せないのに、確かに知っていると思った既視感は、前日にこの肖像画を目にしていただめだったのだ。
――ミスター・デールの御身内かしら?
蔓草模様の浮彫に金鍍金を施した額縁の下部に、画の主の名前と作者名、描かれた場所と年を記した金属板が嵌めてあった。
サー・リチャード・スキナーの肖像
グラディス・フェイトンによる
1763年 風見鶏館にて
「風見鶏館……」
エレンは思わずまた呟いた。
画の中の男――名はサー・リチャード・スキナーというらしい――は、石造りの邸の広間に立っているようだった。後の壁の大型の暖炉の上に鹿の頭が架かっている。
見るからに、どこか古風な領主邸の玄関広間といった風情だ。
あの洒落た現代風の煉瓦造りの風見鶏荘には見えない。
1763年というと41年前だ。
この人物は何者なのだろう?
年代からしてアルフレッド・デールの父親だろうか?
しかし名前はスキナーだ。
ターブのスキナーとなったら、やはり偉大なる〈祭典魔術師〉サー・チャールズ・スキナーの子孫なのだろうか?
画のなかに更なる手がかりはないかと、ぐっと顔を近づけて舐めるように見つめていたとき、
「あのうミス・ディグビーーー」
背後からソープが控えめな声で呼んだ。
「魔術師の手記のようなものはこの会館にはありませんでした。一冊だけ、サー・チャールズ・スキナーの家系について記してある本がありましたが」
「まあ、それは願ったりです! 閲覧できますか?」
「どうぞ。書庫は三階です」
埃っぽい狭い書庫で、エレンは「ターブの祭典魔術師」サー・チャールズ・スキナーの家系図を確かめた。
スキナー家の直系は1769年に死に絶えていた。
最後の直系の名はサー・リチャード・スキナー。
あの肖像画の主だ。
サー・リチャードにはエレノアという姉妹がいた。彼女はコンラッド・デールなる男に嫁いでいる。
--すると、ミスター・アルフレッド・デールは、年代からしてこのレディ・エレノアの息子――最後の直系スキナーたるサー・リチャードの甥にあたるのかしら?
そのあたりは当人に確かめるのがよさそうだ。
エレンはそれなりに満足しながら本を閉じた。
なんにせよ、謎の既視感の正体だけははっきりした。
それに、傍系とはいえ、「ターブの祭典魔術師」の子孫だったのなら、ミスター・デールが思いがけない技を知っていてもそうおかしくはない。
ともかくも、彼に詳しい話を聞いてから色々考えることにしよう。
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