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第二話 ターブの魔鏡事件
第四章 風見鶏荘
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画家組合の会館を訪ねた翌日、エレンは屋根付きの二輪馬車を雇ってストラトフォード川北岸のウッドサイド村へと向かった。
服装は前日と同じく水玉の薄綿織だが、サッシュと帽子のリボンは黒にして、これは日ごろから愛用している明るい紺色の薄地の絹外套を羽織っているため、昨日ほどは浮ついては見えない。
目的地の村はすぐ近くだった。
さすがにターブの近郊だけあって、村の入り口には立派な旅籠屋や居酒屋や食料品店が立ち並んで、ちょっとした市街地のようだ。その賑やかな一画を過ぎたあとにも、現代風の洒落た田舎家が道の左右に立ち並んでいる。
風見鶏荘はその大通りから東へ一本入った先の林の向こうにあった。赤レンガ造りの二階家で、右手に突き出す可愛らしい塔の円錐屋根の頂に真鍮製らしい風見鶏が飾られている。
「お客さん、着きましたよ!」
御者が外から声をかけてくれる。「お帰りはいつごろで?」
「ちょっとそのまま待っていて。もしお留守ならすぐに戻るから」
「了解で」と、御者が残念そうに応える。たぶん待ち時間を村の入り口にあった居酒屋で過ごすつもりだったのだろう。
ごめんなさいね、とエレンは内心で詫びた。
もし万が一にも、この邸のなかで腐乱死体を発見する羽目になったら、一人だといろいろ心許ない。
――もし本当にそうなった場合、ターブ市警はレディ・アメリアの名誉のために、わたくしの存在を口外しないでくれるかしら……?
コーダー伯爵夫人は若き日の恋人の存在を何としても世間に知られたくないのだ。
三十一年前の一冬の純愛にそこまで神経質にならなくても――と、正直エレンは思うが、きっといろいろ複雑な背景があるのだろう。
――お願いミスター・デール。元気で栄えていて。
内心密かに祈りながら呼び鈴の紐を引っ張る。
すると、内部で軽やかな鈴の音が鳴って、さほど待つ間もなく、内側からドアが開いた。
現れたのはごく普通にみえる中年のメイドだった。
エレンの姿を上から下まで胡乱そうに眺めまわし、
「どちら様ですか?」
と、つっけんどんに訊ねてくる。
エレンは職業的な笑顔を浮かべて名乗った。
「タメシスからきたディグビーと申します。ミスター・デールは御在宅?」
「失礼ながら、旦那様とはどのようなご関係で?」
「勿論肖像画を頼みに来たのよ。――レディ・アメリアの紹介です。そう伝えてください」
思い切って口にしても、メイドの胡散臭そうな表情に変化は見られなかった。いかにも渋々といった様子で、
「お待ちください」
と、言い置いて奥へと引っ込んでゆく。
エレンはほっとした。
ミスター・デールは少なくとも生きてはいるようだ。
「お嬢さん、お帰りはいつ頃で!?」
車寄せから貸し馬車の御者が大声で訊ねてくる。エレンは慌てて駆け寄りながら答えた。
「少しお話ができそうだから、どこかで食事でもしていて! ――私がここにきていることはあんまり他言しないでね? 確実に黙っていてくれたならこれと同額を払うから」
念のために釘を刺しつつ半クラウン銀貨を握らせると、御者はニヤッと笑って頷いた。
「こいつぁ御奮発を。ありがたく頂戴します。じゃ、御用が済みましたら〈薔薇と竪琴亭〉いらしてくださいや」
馬車が遠ざかるのと入れ違いのように邸の扉が再び開き、赤褐色の縮れ毛をした大柄な男がぬっと姿を現した。口のまわりに同色の髭を生やしたずんぐりした熊みたいな五十がらみの男だ。鼻にツンとくる松精油と煙草の入り混じった匂いをまとっている。その目は鮮やかなマリンブルーだった。
――意外な系統ね。
エレンは愕きを感じた。
あの貴婦人が十八の頃に恋した相手となると、もっと分かりやすく派手な美男子を思い浮かべていたのだが。
愕きと同時に感じたのは奇妙な既視感だった。
どうもこの画家はどこかで見たことがある――ような気がする。
「ミスター・デールですか?」
念のため訊ねてみる。
「ええ」
男が頷く。
「お名前はアルフレッド?」
「ええ」
エレンが戸惑っているのと同じほど、目の前の絵描きも戸惑っているようだった。
「ええと――あなたが、アメリアの?」
「ええ」
エレンは頷き、さっと背後を見回してから、絹外套の下にかけた小銭入から、身分の証である銀の印章指輪をつまみ出して示した。
「わたくし、セルカークのエレン・ディグビーと申します。タメシス警視庁任命の諮問魔術師です」
「諮問魔術師? あなたが?」
画家はまさしく深い海のように青いあおい瞳を見開いてから、ハッと口元を抑え、怯えたような小声で訊ねてきた。
「まさか、彼女の身になにか?」
その声からは心底からの懸念が感じられた。
エレンは感動した。
彼は今もって彼女を愛しているのだ。
たとえ太鼓腹の森のくまさんと厚化粧の狆であっても、ここには間違いなく永遠の純愛があるのだ――……!
エレンは若い娘らしい無自覚に失礼な感動に駆られつつ、指輪を仕舞いながら力強く首を横に振った。「ご心配いりません。レディ・アメリアはご無事です。わたくしは彼女の依頼であなたの安否を確かめにきたのです。よろしければお上がりしても?」
「あ、ああ、もちろんです!」と、デールが慌てて手を差し出してくる。「どうぞミス・ディグビー、お入りください」
通されたのは玄関ホールの右手の小さな居間だった。床には白地に青で蔓草模様を織り出した薄手の絨毯が敷かれ、桃花心木の低いセンターテーブルと、紺色の馬毛織の長椅子と肘掛椅子がきちんと並んでいる。燦燦と春の陽の射しこむ窓辺には碧いガラスのボールが据えられ、真っ白なスノーボールの花と青々とした羊歯とが形よく盛り上げられている。簡素ながらも実に趣味がよい居間だが、少々女性好みという気がする。
「どうぞおかけください。すぐにお茶の支度をさせますから」
デールに勧められるまま窓側の肘掛椅子に腰かけたとき、
「アル、お客様なの?」
玄関ホールのほうから高く澄んだ女性の声が響いた。
途端、デールがびくりと肩を竦める。
「あ、ああミリー、この方はミス・ディグビーと言ってね、僕の古い友人のお友達なんだ! タメシスからたまたまこっちに来たから、僕が元気にしているかって様子を見に来てくれたんだよ!」
デールが慌てふためいた声で説明する。
エレンも慌てて立ち上がった。
玄関ホールを背にして不機嫌そうに立っていたのは、すらりとした細身の黒髪の女性だった。膚は滑らかな小麦色で眸は明るい灰色。しなやかな体を部屋着みたいな白いドレスに包んでいる。
年頃はよく分からないが、デールよりはかなり年下に見える。
「初めまして。ミセス・デールーーで、よろしいかしら?」
「ええ。ミセス・ミリセント・デールよ」と、女性は無愛想に告げると、一転して剣呑な表情でデールを睨みつけた。「ずいぶん可愛らしいお友達ね?」
「いや、僕の友達じゃなくてだね!」と、デールが慌てきった様子で弁明する。
エレンは絶望的な気持ちになった。
永遠の愛は地上には滅多に存在しないものらしい。
この居間にミセス・デールが登場してしまった以上、彼女のアルと若き日のレディ・アメリアの純愛の仔細をこの場で説明するのは賢いやり方とは言えないだろう。
「ミセス・デール、どうぞご心配なく」と、エレンは職業的な愛想の良さでミリセントに笑いかけた。「ミスター・デールのお友達は、わたくしの知り合いのとある紳士です。古い友人が元気にしているか様子を見て欲しいと頼まれただけですから、今日はもうこれでお暇いたしますわ。わたくしはもうしばらくターブに滞在いたしますから、もし市街地にいらっしゃることがあったら、どうかお声がけくださいな。宿は新カナル通りの金雀枝館です」
と、かねて支度のカードを渡して早々に帰り支度にかかる。
「あらそう、もうお帰りなの」と、ミリセントが冷ややかな口調で言いながら玄関まで送ってくれた。
エレンはつくづく思った。
完全に服装選択を間違えたようだ。
--でもまあ、ミスター・デールに正体は打ち明けられたのだし。夕方になったらサラに伝令(メッセンジャー)を頼めばいいわ。
ミスター・デールが元気に栄えて幸福にやっていることだけは確認がとれた。
レディ・アメリアはさぞほっとするだろうが、ミセス・デールの存在は、やはり伏せておくべきかもしれない。
しかし、そうなると、三月二十五日に鏡に映った死に顔のようなものというのは、一体何だったのだろう?
――〈恋人同士の合わせ鏡〉に未来を映す機能なんてものはなかったわよね……?
それともターブの魔術師独特の特殊技術として開発されているのだろうか?
その場合、次には何を調べたものかと考えながら歩くうちに、いつのまにか林を抜けて大通りへ差し掛かっていた。
さすがに賑やかな村のことで、土のままの道に行く筋も轍の跡が刻まれている。まっすぐ歩いていくと、行きに見かけたあの賑やかな一画に出た。エレンの乗ってきた貸し馬車は左手の居酒屋の前に停まっていた。あそこが〈薔薇と竪琴亭〉だろう。
居酒屋の前にはもう何台か馬車が停まっていたが、そのなかにやたらとピカピカした上等そうな二頭立ての屋根なしの二輪馬車が混じっていた。
繋がれている馬のレベルが他の車とは段違いだ。
馬車馬に使うのが惜しいような脚の細い優美な栗毛で、わざわざ揃えてあるのか、どちらの額にも真っ白な星が入っている。暇な紳士のスポーツとして乗り手自身が御すタイプの馬車だから当然御者はいない。番を仰せつかったのだろう村の子供が、泥だらけの手でしきりと鏡板を突いている。
こんな場違いな上等の馬車で村の居酒屋に乗り付けてきた紳士はどんな人物なのだろう?
エレンが密かな好奇心に駆られつつ居酒屋の入口へ向かおうとしたとき、いきなりドアが内側から開いて、見覚えのあるやたら身なりのいい長身の男がつかつかと歩み出てきた。
「――もういい、君には訊かん! おい誰か、外で見ていたものはいないのか? 白地に黒い水玉模様のドレス姿の、赤みがかったブロンドの女神みたいな娘だ! 彼女はこの村の何処に行った!? 誰の家を訪ねている――」
怒りの籠ったバリトンでやたらと喚きながら出てきた男は、すぐ鼻先に立っているエレンの姿に気づくなり、整った顔に率直な驚きの表情を浮かべた。
エレンは一瞬ためらってから訊ねた。
「失礼ながらサー、わたくしをお捜しで?」
「ああ」
男がまだまじまじと目を瞠ったまま答える。「間違いなく君だ。改めて訊きたいんだが、一体何者なんだ?」
「そっくり同じ台詞をわたくしもお返ししますわ。その前に場所を移しません? 随分注目を浴びていますから」
「そうか? ここに人なんぞ――」
貴公子はそこまで口にしたところで、馬車の番をする村の子供や待機中の御者や、向かいの食料品店の前で足をとめてヒソヒソ言葉を交わしている白いボンネットの村のおかみさん連中の視線に初めて気づいたようだった。
「――失敬。いるな。確かに人はいる。君の言う通りだ。場所を移そう。私の二輪馬車でターブ市街へ戻って午後のお茶というのはどうかな? 鉱泉館のパーラーは素晴らしいアイスクリームを出す」
「悪くありませんね」
朝食抜きで空腹のエレンは喜んで同意した。「すぐ戻りますから待っていてください。雇の御者に支払いを済ませなければ」
「幾らだ?」と、貴公子が財布を取り出そうとする。
エレンは眉を吊り上げた。「お構いなく。わたくしの仕事ですから」
服装は前日と同じく水玉の薄綿織だが、サッシュと帽子のリボンは黒にして、これは日ごろから愛用している明るい紺色の薄地の絹外套を羽織っているため、昨日ほどは浮ついては見えない。
目的地の村はすぐ近くだった。
さすがにターブの近郊だけあって、村の入り口には立派な旅籠屋や居酒屋や食料品店が立ち並んで、ちょっとした市街地のようだ。その賑やかな一画を過ぎたあとにも、現代風の洒落た田舎家が道の左右に立ち並んでいる。
風見鶏荘はその大通りから東へ一本入った先の林の向こうにあった。赤レンガ造りの二階家で、右手に突き出す可愛らしい塔の円錐屋根の頂に真鍮製らしい風見鶏が飾られている。
「お客さん、着きましたよ!」
御者が外から声をかけてくれる。「お帰りはいつごろで?」
「ちょっとそのまま待っていて。もしお留守ならすぐに戻るから」
「了解で」と、御者が残念そうに応える。たぶん待ち時間を村の入り口にあった居酒屋で過ごすつもりだったのだろう。
ごめんなさいね、とエレンは内心で詫びた。
もし万が一にも、この邸のなかで腐乱死体を発見する羽目になったら、一人だといろいろ心許ない。
――もし本当にそうなった場合、ターブ市警はレディ・アメリアの名誉のために、わたくしの存在を口外しないでくれるかしら……?
コーダー伯爵夫人は若き日の恋人の存在を何としても世間に知られたくないのだ。
三十一年前の一冬の純愛にそこまで神経質にならなくても――と、正直エレンは思うが、きっといろいろ複雑な背景があるのだろう。
――お願いミスター・デール。元気で栄えていて。
内心密かに祈りながら呼び鈴の紐を引っ張る。
すると、内部で軽やかな鈴の音が鳴って、さほど待つ間もなく、内側からドアが開いた。
現れたのはごく普通にみえる中年のメイドだった。
エレンの姿を上から下まで胡乱そうに眺めまわし、
「どちら様ですか?」
と、つっけんどんに訊ねてくる。
エレンは職業的な笑顔を浮かべて名乗った。
「タメシスからきたディグビーと申します。ミスター・デールは御在宅?」
「失礼ながら、旦那様とはどのようなご関係で?」
「勿論肖像画を頼みに来たのよ。――レディ・アメリアの紹介です。そう伝えてください」
思い切って口にしても、メイドの胡散臭そうな表情に変化は見られなかった。いかにも渋々といった様子で、
「お待ちください」
と、言い置いて奥へと引っ込んでゆく。
エレンはほっとした。
ミスター・デールは少なくとも生きてはいるようだ。
「お嬢さん、お帰りはいつ頃で!?」
車寄せから貸し馬車の御者が大声で訊ねてくる。エレンは慌てて駆け寄りながら答えた。
「少しお話ができそうだから、どこかで食事でもしていて! ――私がここにきていることはあんまり他言しないでね? 確実に黙っていてくれたならこれと同額を払うから」
念のために釘を刺しつつ半クラウン銀貨を握らせると、御者はニヤッと笑って頷いた。
「こいつぁ御奮発を。ありがたく頂戴します。じゃ、御用が済みましたら〈薔薇と竪琴亭〉いらしてくださいや」
馬車が遠ざかるのと入れ違いのように邸の扉が再び開き、赤褐色の縮れ毛をした大柄な男がぬっと姿を現した。口のまわりに同色の髭を生やしたずんぐりした熊みたいな五十がらみの男だ。鼻にツンとくる松精油と煙草の入り混じった匂いをまとっている。その目は鮮やかなマリンブルーだった。
――意外な系統ね。
エレンは愕きを感じた。
あの貴婦人が十八の頃に恋した相手となると、もっと分かりやすく派手な美男子を思い浮かべていたのだが。
愕きと同時に感じたのは奇妙な既視感だった。
どうもこの画家はどこかで見たことがある――ような気がする。
「ミスター・デールですか?」
念のため訊ねてみる。
「ええ」
男が頷く。
「お名前はアルフレッド?」
「ええ」
エレンが戸惑っているのと同じほど、目の前の絵描きも戸惑っているようだった。
「ええと――あなたが、アメリアの?」
「ええ」
エレンは頷き、さっと背後を見回してから、絹外套の下にかけた小銭入から、身分の証である銀の印章指輪をつまみ出して示した。
「わたくし、セルカークのエレン・ディグビーと申します。タメシス警視庁任命の諮問魔術師です」
「諮問魔術師? あなたが?」
画家はまさしく深い海のように青いあおい瞳を見開いてから、ハッと口元を抑え、怯えたような小声で訊ねてきた。
「まさか、彼女の身になにか?」
その声からは心底からの懸念が感じられた。
エレンは感動した。
彼は今もって彼女を愛しているのだ。
たとえ太鼓腹の森のくまさんと厚化粧の狆であっても、ここには間違いなく永遠の純愛があるのだ――……!
エレンは若い娘らしい無自覚に失礼な感動に駆られつつ、指輪を仕舞いながら力強く首を横に振った。「ご心配いりません。レディ・アメリアはご無事です。わたくしは彼女の依頼であなたの安否を確かめにきたのです。よろしければお上がりしても?」
「あ、ああ、もちろんです!」と、デールが慌てて手を差し出してくる。「どうぞミス・ディグビー、お入りください」
通されたのは玄関ホールの右手の小さな居間だった。床には白地に青で蔓草模様を織り出した薄手の絨毯が敷かれ、桃花心木の低いセンターテーブルと、紺色の馬毛織の長椅子と肘掛椅子がきちんと並んでいる。燦燦と春の陽の射しこむ窓辺には碧いガラスのボールが据えられ、真っ白なスノーボールの花と青々とした羊歯とが形よく盛り上げられている。簡素ながらも実に趣味がよい居間だが、少々女性好みという気がする。
「どうぞおかけください。すぐにお茶の支度をさせますから」
デールに勧められるまま窓側の肘掛椅子に腰かけたとき、
「アル、お客様なの?」
玄関ホールのほうから高く澄んだ女性の声が響いた。
途端、デールがびくりと肩を竦める。
「あ、ああミリー、この方はミス・ディグビーと言ってね、僕の古い友人のお友達なんだ! タメシスからたまたまこっちに来たから、僕が元気にしているかって様子を見に来てくれたんだよ!」
デールが慌てふためいた声で説明する。
エレンも慌てて立ち上がった。
玄関ホールを背にして不機嫌そうに立っていたのは、すらりとした細身の黒髪の女性だった。膚は滑らかな小麦色で眸は明るい灰色。しなやかな体を部屋着みたいな白いドレスに包んでいる。
年頃はよく分からないが、デールよりはかなり年下に見える。
「初めまして。ミセス・デールーーで、よろしいかしら?」
「ええ。ミセス・ミリセント・デールよ」と、女性は無愛想に告げると、一転して剣呑な表情でデールを睨みつけた。「ずいぶん可愛らしいお友達ね?」
「いや、僕の友達じゃなくてだね!」と、デールが慌てきった様子で弁明する。
エレンは絶望的な気持ちになった。
永遠の愛は地上には滅多に存在しないものらしい。
この居間にミセス・デールが登場してしまった以上、彼女のアルと若き日のレディ・アメリアの純愛の仔細をこの場で説明するのは賢いやり方とは言えないだろう。
「ミセス・デール、どうぞご心配なく」と、エレンは職業的な愛想の良さでミリセントに笑いかけた。「ミスター・デールのお友達は、わたくしの知り合いのとある紳士です。古い友人が元気にしているか様子を見て欲しいと頼まれただけですから、今日はもうこれでお暇いたしますわ。わたくしはもうしばらくターブに滞在いたしますから、もし市街地にいらっしゃることがあったら、どうかお声がけくださいな。宿は新カナル通りの金雀枝館です」
と、かねて支度のカードを渡して早々に帰り支度にかかる。
「あらそう、もうお帰りなの」と、ミリセントが冷ややかな口調で言いながら玄関まで送ってくれた。
エレンはつくづく思った。
完全に服装選択を間違えたようだ。
--でもまあ、ミスター・デールに正体は打ち明けられたのだし。夕方になったらサラに伝令(メッセンジャー)を頼めばいいわ。
ミスター・デールが元気に栄えて幸福にやっていることだけは確認がとれた。
レディ・アメリアはさぞほっとするだろうが、ミセス・デールの存在は、やはり伏せておくべきかもしれない。
しかし、そうなると、三月二十五日に鏡に映った死に顔のようなものというのは、一体何だったのだろう?
――〈恋人同士の合わせ鏡〉に未来を映す機能なんてものはなかったわよね……?
それともターブの魔術師独特の特殊技術として開発されているのだろうか?
その場合、次には何を調べたものかと考えながら歩くうちに、いつのまにか林を抜けて大通りへ差し掛かっていた。
さすがに賑やかな村のことで、土のままの道に行く筋も轍の跡が刻まれている。まっすぐ歩いていくと、行きに見かけたあの賑やかな一画に出た。エレンの乗ってきた貸し馬車は左手の居酒屋の前に停まっていた。あそこが〈薔薇と竪琴亭〉だろう。
居酒屋の前にはもう何台か馬車が停まっていたが、そのなかにやたらとピカピカした上等そうな二頭立ての屋根なしの二輪馬車が混じっていた。
繋がれている馬のレベルが他の車とは段違いだ。
馬車馬に使うのが惜しいような脚の細い優美な栗毛で、わざわざ揃えてあるのか、どちらの額にも真っ白な星が入っている。暇な紳士のスポーツとして乗り手自身が御すタイプの馬車だから当然御者はいない。番を仰せつかったのだろう村の子供が、泥だらけの手でしきりと鏡板を突いている。
こんな場違いな上等の馬車で村の居酒屋に乗り付けてきた紳士はどんな人物なのだろう?
エレンが密かな好奇心に駆られつつ居酒屋の入口へ向かおうとしたとき、いきなりドアが内側から開いて、見覚えのあるやたら身なりのいい長身の男がつかつかと歩み出てきた。
「――もういい、君には訊かん! おい誰か、外で見ていたものはいないのか? 白地に黒い水玉模様のドレス姿の、赤みがかったブロンドの女神みたいな娘だ! 彼女はこの村の何処に行った!? 誰の家を訪ねている――」
怒りの籠ったバリトンでやたらと喚きながら出てきた男は、すぐ鼻先に立っているエレンの姿に気づくなり、整った顔に率直な驚きの表情を浮かべた。
エレンは一瞬ためらってから訊ねた。
「失礼ながらサー、わたくしをお捜しで?」
「ああ」
男がまだまじまじと目を瞠ったまま答える。「間違いなく君だ。改めて訊きたいんだが、一体何者なんだ?」
「そっくり同じ台詞をわたくしもお返ししますわ。その前に場所を移しません? 随分注目を浴びていますから」
「そうか? ここに人なんぞ――」
貴公子はそこまで口にしたところで、馬車の番をする村の子供や待機中の御者や、向かいの食料品店の前で足をとめてヒソヒソ言葉を交わしている白いボンネットの村のおかみさん連中の視線に初めて気づいたようだった。
「――失敬。いるな。確かに人はいる。君の言う通りだ。場所を移そう。私の二輪馬車でターブ市街へ戻って午後のお茶というのはどうかな? 鉱泉館のパーラーは素晴らしいアイスクリームを出す」
「悪くありませんね」
朝食抜きで空腹のエレンは喜んで同意した。「すぐ戻りますから待っていてください。雇の御者に支払いを済ませなければ」
「幾らだ?」と、貴公子が財布を取り出そうとする。
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