後宮生活困窮中

真魚

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第四章 身を持ち崩した娘たち 4

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さて、翌旬の初日――


 祖霊祭を二日後に控えて、夏の盛りの袋小路はうだるように暑くなっていた。
 どこかの庭先で蝉が鳴いている。

 その道を、長身痩躯と小柄で小太り、対照的な二人の宿駅の武官が肩を並べて歩いている。

 カジャール系の顔立ちをした長身の一方がマスケット銃を携えている。
 年のころは三十前後か、苦み走ったそれなりの男前だ。
 小柄なほうはポチャっとした色白で、額からだらだら垂れる汗をえくぼのある拳でしきりと拭っている。

「ああ暑いあつい、たまりませんね。駅長もあんまり横暴ですよ、この暑いのに毎日四回の臨時巡回なんて! ねえ火長、逃亡女官の主犯は中南門筋の趙家の出身なんでしょう? なら木場門の周りだけ見張っておけばいいでしょうに」
「まあそう言うな子明」と、長身の火長がくたびれた声で応じる。「材木商組合が本気で木場門を封じる気がサラサラないのは確かだが、あそこから出たって外には木場と浮街しかないだろうが」
「浮街に出りゃ国外へ密航できますよ?」
「常日頃土も踏まずにお暮しの主計判官さまが貧民街から密航ってのは幾らなんでも無理がある。逃げるとしたらおそらくは河東だ。こっちの警戒が緩むまで潜伏してから河東行きの船に乗り込む。それが一番ありそうな筋だ」
「それはそうかもしれませんけどね、例の壺売りに居ついている三人とやらは、噂通り単なる旅芸人ですって。逃亡中の武芸妓官がわざわざ羽矢を背負います? どう考えたって不自然すぎますよ」
「俺だって不自然だとは思うが、聞こえてくる背格好が似すぎているんだよ。逃亡女官三人の特徴、お前覚えているか?」
「もちろんですとも。主計判官さまは中背で地味な寡婦みたいな拵えだけど、結構目に付く年増の別嬪。妓官の頭領はカジャール系で男に見まがう長身痩躯だけど、これもよく見れば結構な器量よしの年増。もう一人の妓官はわりと可愛い十二、三の小柄な小娘でしょ? 年増の別嬪二人に可愛い小娘一人。一緒にいたら相当目立ちそうですよね」
「そうだ。まさにそういう三人連れが居ついているとなったら確かめないわけにもいかないだろうが」

 目的地は袋小路の突き当りだ。
 板壁の木戸は低いため、火長は伸びあがらなくても庭を覗けた。
 子明も爪先立てば何とか伺える。
 子明はしばらく必死で爪先立ってから、じきに失笑した。

「なんだ、やっぱり旅芸人ですよ」


 庭にいたのは女だった。
 大きすぎる白い衣に短すぎる白い袴で男装してはいるものの、曲線的な躰の線は何処からみても女だ。
 それが羽矢の箙を背負い、括れた腰に革帯を巻いて、刀ではなく箒を振り回しながら一生懸命拙い剣舞の練習をしている。
 大きな眸と長い睫、ふっくらした唇と、顔立ちはかなり華やかだ。
 その顔に施した化粧が汗で崩れている。
 踊りの練習をするのに何故ああこってり化粧をするのか?
 見るからに頭の悪そうな女だ。

 木戸から覗く武官たちに気づくと、女は動きを止め、はにかんだような笑みを浮かべて小首をかしげた。
「あれえお役人様方、またご詮議ですか?」
「あ、ああ、まあな」
 火長が狼狽えながら頷く。「よく詮議をされるのか?」
「そうなんですよう」と、女が眉をよせ、ふうっと息をついて額の汗を拭う。上衣の大きさが合っていないため、襟が大きく広がって汗ばんだ鎖骨が見える。女は気にも留めずに歩みよってきた。

「この頃ね、何処へ行っても止められちまうんですよう。その矢は本物かって」
「本物では、ないのだよな?」
「嫌ですようお役人様、これはアヒルの羽根ですよ。武芸妓官様の出てくるお芝居はどこでもよく当たりますからねえ」
 女は間延びした声で答えてコロコロと笑ったが、不意に真顔になると、睫をパチパチさせながら火長だけを見あげて訊ねた。
「ねえねえお役人様、武芸妓官様が西域の妖術師と諮ってお后様を殺そうとしたっていうのは本当なんですかあ?」
「いや、ちょっと違うな」と、子明が割り込んでくる。「あの女どもはね、怖ろしいことに、ハルサーバード在住のヴァイセンブルグ領事の密命で、リュザンベールご出身の正后様を殺そうとしたんだ」
「ハルサ? ヴァ? なんだか難しいお話ですねえ。それみんな西域のお国の名前なんですか?」
「西域なのはハルサーバードだけで、ヴァイセンブルグとリュザンベールはどっちも法狼機さ」
「へええ、お役人様よく知っていなさる。お若いのに学がありなさりますねえ」
「なあに大したことじゃないさ。なんでもね、新梨花宮からの訴えで兵衛が旧後宮を探索したら、ハルサーバード出身の薬師が調合していった正后様のお薬に混ざっていたのと同じ莨菪根ロートコンが見つかったらしいよ」
「おい子明、話し過ぎだ!」と、火長が焦って制止する。「大姐、忘れてくれ。念のため通行手形を――」
そのとき高床小屋の中から低くかすれた男の声が怒鳴った。


「麗明、酒がもう無えぞ!」


 途端、女が怯えた顔をする。
 一拍置いて役者みたいな色男が階を下りてきた。

 汚れた白い上衣に短すぎるほど短い色褪せた藍色の袴を履き、寝乱れた艶やかな黒髪を無造作に束ねている。鼻梁が細く眼窩の深い、息をのむほど美しい顔立ちをした男だ。火長と同じくカジャール系の顔立ちだが、系統以外何も似ていない。

 色男は木戸の武官たちに気付くなり、不機嫌そうに眼を細めた。
「あ、お前様、違うんだよ、このお人らはね」
 女が怯え切った声で言い、役人二人にお辞儀をしてから小屋へと駆け戻っていく。色男は僅かに顎をあげて眺めていたが、女が近づくなりグイと抱き寄せて階を登っていった。


「…………」
 残された武官二人は顔を見合わせた。

「ええと、今の色男はカジャール系、でしたよね?」
「見るからにな。俺と似ているだろう」
 子明はしばらく黙ってから気を取り直したように続けた。
「あの大姐は、中背ではありましたね。まあまあ別嬪ですし」
「もうちっと化粧が薄けりゃな」
「小娘も確かめますか?」
「いや」
 火長はため息をついた。「必要ないだろう。俺たちが捜しているのは女の、三人組だ」



「――いったよ」
 戸口から外の様子を窺っていた雪衣が告げると、隅の大きな壺から小蓮が現われ出た。

「ふう。いつ入っても壺の中は暑いですねえ」
「老李、いつも助かるよ」
「いえいえお気になさらず」
 声のみ出演の老李が皿のひび割れを繕う手を止めもしないで応えると、向かい合って膠を練っていた老婆が興味津々の顔で訊ねてくる。

「それで判官さんや、ずいぶんいろいろ聞いていたけど、結局敵は何なのか分かりそうかい?」
「や、そっちは思い当たる節が多すぎてはっきりとは分からないのだけれど」
「ええ、雪衣さまそんなに敵が多いの!?」
「私じゃなくて桃果殿様の敵だよ。もしくは紅梅殿様。我々は馬だよ。将を射んと欲されて射られる可哀そうな馬の脚当たり。でも幸い、冤罪の概要は大体分かった。月たちもざっと頭に入れておいて」
「できるかぎりは」
「頑張ります」

「まず、新梨花宮で正后様が飲んでいる薬の包から莨菪根ロートコンという毒が見つかったらしい。これは西域渡りの珍しい薬で、双樹下では滅多に手に入らない。まずいことに薬は胡文姫様が調えていったものだった。ここで桃梨花宮に疑いがかかった」
「なるほど。そのために竜騎兵が杏樹庭の探索を?」
「いや、捜したのは兵衛府らしい」
「すると、竜騎兵の策謀という線は」
「薄いね。私もそっちであってくれたらと願っていたんだけれど。ともかくも兵衛府が杏樹庭を探索して莨菪根を見つけた。西域渡りの珍しい毒をね。同じころ、我々が西域人の会所から桁違いの大金を引き出していたって流れだ」

「うわあ」
 小蓮が顔を引きつらせる。「それだけ聞くと滅茶苦茶疑わしいですね」
「そう。誰が聞いたって滅茶苦茶疑わしい。誰かがそう見えるように証拠をでっちあげたんだ」
「兵衛府が本当はなかった毒をあったと偽ったってことですか?」
「それが最悪の予想だね。もう少しましな予想は、探索の前に誰かが杏樹庭に毒物を仕込んでいたって線だ。その場合、誰か内部の者の手引きがあったのかもしれない」
 雪衣が沈鬱な声で告げる。

 言外に云わんとしていることが月牙にはよく分かった。

 柘榴庭の妓官は全員信じられるのか?
 そう訊ねているのだ。

 月牙は頭の中で忙しく出来事を時系列順に並べた。

 正后様の懐妊が判明して胡文姫様が新宮へ通いだしたのは年の初め。
 春先に胡文姫様の宿下がりがあって、初夏に翠玉の出奔があった。
 直後に外砦門の警備が一時廃止されて、杏樹庭はつねに閂をかけておくようになった。


 ――翠玉は出奔する夜にも外砦門の閂は掛けていったはずだ。


 閂をかけたうえで自分は露台から飛び降り、箙も弓もみな門前に残していったのだ。
 あの子はそこまで無責任な職務放棄をしたわけではない。

 しかし、もしその前に門を開けて男を導き入れていたら? 駆け落ちするほど思いつめる相手と忍び合っていたとしたら?


 ――もしかしたらあの子なのかもしれない。


 思い至ると息が苦しくなった。

 よほど酷い顔をしてしまったのか、間髪入れずに雪衣が訊ねてくる。
「何か心当たりが?」
「いや」
 月牙は打ち消しかけたが、すぐに思い直した。これほどの大事を前にしてまで他言無用の命令を厳守するのはどう考えても間違っている。

「呉翠玉を覚えている?」
「もちろんだよ。あの賑やかで綺麗な娘でしょう? つい先日生家に乞われて宿下がりをしたと聞いたけど。あの娘に何かあるの?」
「実は――」



 翠玉の出奔と呉家の偽装を打ち明けると、雪衣は長いため息をついた。
「なるほどね――。それは、もしかしたら何か関わりがあるかもしれないね。月の予想通り、もし娘たちが洛東河津から南へ下ったなら、行き先は十中八九この海都だろう。捜してみるのも悪くはなさそうだ」
「捜すとしたらどこだと思う?」
「翠玉たちを連れていたのはタゴール人だったんだよね? 後ろ暗いところのあるタゴール人がこの街で一番に頼りそうな筋といったら――老太婆、この頃はどこなのかな?」
 雪衣が訊ねるなり、老婆は待っていましたとばかりに即答した。
「浮街だね。間違いない。この頃の石竹団の大頭目はカピタンって呼ばれるタゴール人の
大男だそうだからね」

「その石竹団とは?」
「浮街の密航組織でございますよ」と、老李が答えてくれる。「なんでも、襟に石竹の花を飾って浮街へ赴きますと、どこからともなく見かけては声をかけてくるのとか」
「そうそう、お銭さえありゃ南や西へ行く船にこっそり乗せてくれるんだと」
「ほほう。興味深いね。そんな組織があるんだったら、場合によっちゃ本当に密航するのもありだな――小蓮、ちょっとひとっ走り行って木場門を見てきてくれないかな? 今は祭の飾りつけの真っただ中だからね。もしかしたら私の一族の誰かがいるかもしれないから」
「承りました」
 小蓮は答えるなり髪をほどいてバサバサと見出し、衣の裾を袴から引っ張り出し、「ちょっと借りますね」と老李に断って黒い顔料を頬や腕や額に擦り付けてから、
「よし!」
 と、満足そうに頷いて高床小屋を出て行った。
 何処からどう見ても単なる浮浪児である。

「あの子は実に小回りが利くね」と、雪衣が目を細めて笑った。
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