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第5話 絶望と葛藤と決断
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しおりを挟むなりふり構わず敷地内を走っていくジルベールにすれ違う騎士たちが目をまるくしていたが、かまう余裕はなかった。
医務室に飛び込むと受付の女性が目を丸くしながら「どうされました」と首を傾げた。
「グレース嬢が、倒れたと……!」
息を整えながら受付に近づいていく。
「は、はい。グレースさんでしたら、二階の五番休息室にいます」
「分かった。ありがとう」
ジルベールは急ぎ足で休息室に向かう。
事務室、待合室、診察室、処置室などがあり、二階に入院するほどではないが暫しの休息や手術が必要な場合の親族の待機室などがあり、三階から上が入院できる病室となっている。
階段を駆け上がり突き当りの五番休息室のドアをノックする。
ややあって男の声で「どうぞ」と返され、中へ入ると医者のジャンがそこにいた。
「彼女は? 何か大きな病気でも?」
開口一番、そう尋ねたジルベールにジャンは苦笑を零しながら口を開く。
「栄養失調と過労ですね。睡眠不足もあるでしょう。しっかりと休養すれば大事には至りません」
ジャンの言葉通り、ベッドの中、青白い顔で眠り込むグレースは出会った頃より確実にやつれて、風が吹けばあっけなく飛んで行ってしまいそうだった。
「こういう場合は薬というほどのものは出せません。必要なのは栄養と睡眠と休息ですからね。彼女が目覚めたら帰ってよろしいですし、心配であれば一晩、入院も可能です」
「そうか。すまないが、彼女の家に遣いを出すよう、頼んでもいいか? 帰れるかどうかは分からないが、いつもならすでに帰宅している時間で、家族が心配しているはずだ」
「分かりました。事務局に連絡を入れておきます」
ジャンが頷いたところで看護師が彼を呼びに来た。
「例の事件、薬物中毒者が大勢だとか」
ジャンが深刻そうな顔で言った。
「ああ。一部の娼婦は何も知らされずに使用されたんだそうだ。……とはいえ、うちはあくまで支援で、主要は第二だ。ここへ患者たちが来ることはないだろうが、一応は備えておいてくれ」
「分かりました。では失礼いたします」
ジャンが一礼して部屋を出て行く。
ジルベールは二人きりになった部屋でベッドのそばに近づいていく。
グレースもベッドも真っ白で、なんだか本当に消えてなくなってしまいそうな儚さがあって、思わず息をしているか確かめるためにその口元に手をかざした。確かにジルベールの手のひらを彼女のかすかな吐息が撫でた。
「グレースさーん、失礼しますねー」
女性の声がして振り返れば、看護師が点滴台とともにやってきた。
「し、師団長様、すみません、まさかいると思わず」
看護師は驚いた様子で頭を下げた。
「いや、かまわない。それは?」
「栄養補給薬です。ジャン先生の指示で、大体、一時間ほどで終わると思います」
「そうか。……すまないが少し席を外す。彼女が起きたら知らせてくれるか?」
本当は傍にいたいのだが、今は摘発直後で一番忙しい。師団長である自分の所在をはっきりとさせて部下たちが常時報告できる場所にいなければならない。
「はい。連絡は執務室でよろしいですか?」
「ああ。些細なことでも構わない。彼女に何かあればすぐに連絡を頼む」
そう告げてジルベールは、一度だけグレースを振り返り後ろ髪を引かれながらも休息室を後にしたのだった。
執務室のソファに並んで腰かけたジルベールとノエルの前にはリゼルがいた。
女将のではなく、『税理士の』と頭につくが。
「こんな夜遅くに呼び出しに応じてくれて、ありがとう」
「いえ」
そういってリゼルは硬い表情を崩さず、小さく首を横に振った。
彼女の隣には女将のリゼルを調査していたカーヤがいて、ノエルが出した予備の椅子にはサムが腰かけている。
サムとカーヤが、夕方、グレースが栄養失調と過労で倒れたという報告に予定を前倒しにし、急遽、税理士のリゼルに事情聴取を申し込み、何か心当たりがあったらしい彼女は素直に応じてくれたのだ。
「それで、やはり春の小鳥亭のリゼルは」
「妹のジゼルだと思います。私たち双子なんです。種族以外は、何もかもがそっくりで耳と尻尾を隠せば親でも見分けがつかないほどでした」
「確かに……俺も何度かリゼル、じゃなく、ジゼルとは会ったことがあるんだが、本当に良く似ている」
「それでどうしてジゼルは、貴女になりすましているんでしょうか」
「サムさんとカーヤさんに簡単に事態を説明された時、同席していた私の秘書が顔を青くしたんです。どうしたのかと聞くと以前、ジゼルが私を訪ねてきた時、私の伯母のドーナからの手紙を持ちだしたのかもしれない、と」
「ドーナさんは、確か春の小鳥亭の先代の女将さんですよね?」
ノエルが尋ねる。リゼルが、はい、と頷いて先を続ける。
「秘書が言うには、あの日、私が顧客の下に出かけている際に、伯母の息子が尋ねて来て、伯母からの手紙を預かったらしいんです。その時『母さんが高齢で店を続けるのが難しくなったんだ。経営に関してリゼルに任せたいって言ってるんだよ。店の運営自体は馴染みの従業員たちがいれば大丈夫だから、一考してほしい』と言っていた、と。それで私の書類入れに手紙を入れたらしいんですが、私はそれを読んでいなくて」
「では、ジゼルはそれを盗んだ、と?」
「おそらく。私が何も言いださなかったのと、これが顧客からの依頼ではなく身内間の個人的なことだったので、私が秘書を通さずやり取りしているのだと思っていたようで。……実際、身内に関する依頼はそうすることが多いんです」
「なるほど。そもそもどうしてジゼルは貴女の下に?」
「ジゼルは借金を抱えていて、私に金の無心に来たんです。会ったのは、あの子が家を出て以来だから、十五年ぶりぐらいになります」
「借金ですか?」
「調査したところ商業ギルドには記録がないので、おそらく真っ当ではないところから借りているのだと思われます」
そう言ってサムが紙を一枚、テーブルの上に取り出した。
それはジゼルの経歴書だった。商業ギルドの住民課で手続きをすれば、この経歴書をもらえる。そこには確かにジゼルの経歴が事細かに書き連ねてあるが、借金の欄には「なし」と記載があった。
金の貸し借りというのは、古来より数多の問題を起こす事案だ。ゆえに金貸しは国そのものに厳しい管理をされながら行われる事業でもあった。違法な金利や悪徳な催促を防ぐこと、それ以外にも悪意ある借入(踏み倒し、詐欺など)などを厳しく審査する。そのため、この国では金を借りるというのは、なかなか難しいことなのだ。返済計画を立て、そのための資料を揃え、ようやく借りられるのだ。もちろん、表向きは。
法外な利子を課しながらも、金を貸す業者というのはいくら取り締まってもいなくならない存在だ。
「ジゼルは一度、結婚したのですが自身の不貞で離縁されました。その時、相手に払う慰謝料を手切れ金として親には勘当されたんです。除籍届もその時に。それでその後は夜の酒場で働きながら、男性のところをふらふらしていると風の噂に聞きました。ジゼルは昔から楽なことばかりを選んで生きていましたから。おそらく借金はそんな荒れた生活の中でできたんだと思います。……あの日、私を訪ねてきた時に『取り立ての男が怖い、リゼル、どうにかして』と言っていましたから」
「それで貴女はどうされたんですか?」
「……私も縁を切ったつもりでいましたが、生まれる前から一緒にいる妹です。お金を貸すことも代わりに返済することも出来ないけれど、返済計画を立てて国の機関に助けを求めなさいと諭しましたが……」
リゼルは溜息交じりに首を横に振った。
おそらくなんの効果もなかったのだろう。楽をして生きたい人間が、真面目に返済をしたいわけがない。リゼルが代わりに借金を清算してもジゼルは性懲りもなく再び借金をこさえただろう。
「私は春の小鳥亭の税金関連のことはもともと税理士として引き受けていました。料理が美味しくて、値段も手ごろ。伯母さんの人柄もあって、店は黒字です。それに店のことは伯母の代からいる従業員たちが回してくれます。だからこそジゼルは、私に成り代わってリゼルとなることで、借金が簡単に返せると思ったのだと思います」
「ふむ。……ところで、貴女は正式に春の小鳥亭の経営者として登録されているんだが、商業ギルドの本人確認のための魔力検査などをどうやって掻い潜ったかは分かるか?」
「それは私にも……」
リゼルは首を横に振った。
「そこはまだ我々も。魔力検査に間違いはないの、一点張りで」
サムが困ったように眉を下げた。
「不都合を何か隠しているんだろうな。まあ、それはおいおい暴いていくとして、貴女は妹が極度の猫嫌いで、当時働いていた猫系獣人族の女性店員に嫌がらせをしていた理由などは分かりますか?」
その問いにリゼルは申し訳なさそうに溜息を吐き出し、額に手を当てた。カーヤが「大丈夫ですか」と気遣えば、リゼルは苦笑を返した。
「……私が原因です」
「あなたが?」
「はい。……私たち姉妹と私の夫は幼馴染なんですが、種族以外そっくりな私たちは好きな人も同じだったんです」
「つまりご主人に自分が選ばれなかったのに、姉の貴女が選ばれたことを逆恨みにしていると?」
ノエルの問いにリゼルが頷いた。
「そうです。でも、幼少期からジゼルはなにかにつけ『リゼルはずるい!』とばかり言っていました。『リゼルは勉強も運動もできてずるい!』と。そんなものは私の努力の結晶です。ジゼルだって努力すればいいと言っても聞く耳を持たず、度々、問題を起こして私も両親も手を焼いていました。私の夫も幼馴染として何度も諫めましたが効果はなくて、それで結局、結婚したかと思えば浮気をして離縁されて、先ほど話した通り勘当されてそれきりでした」
「貴女が猫だから、か。……実は被害に遭った女性は、店を解雇されて縁あって俺の下で働いているだが店を辞めてからもジゼルは彼女に接触しているようなんだ。そもそも俺が不注意で彼女に怪我させてしまい、見舞金をジゼルが着服したのがきっかけで、その捜査の課程で貴女にたどり着いたんだが……」
リゼルはいよいよ両手で頭を抱え「申し訳ありません」と絞り出すように言った。
「本当に、なんとお詫び申し上げればいいか、あの、その女性に謝罪を……!」
「まあ、それは後日、追々」
現状、グレースは現在治療中で会えないために言葉を濁す。
「本っ当に、どうしてあんなことばかり……」
リゼルが長々と溜息を吐き出す。
それからリゼルは、しばらく騎士が姿を隠しながらも護衛する旨を伝え、それを了承するという誓約書にサインをすると、ノエルが呼んだ別の女性騎士に付き添われて帰って行った。
「ジゼルが何をしでかす気か分からんが、早急にグレース嬢とそのご家族を保護したほうがいいだろうか」
「そうですね。あのグレースさんの憔悴ぶりからして、借金以外の何かもありそうです」
ノエルが頷く。すると残っていたサムが口を開いた。
「……お二人に耳に入れておいていただきたいのですが、最近、ジゼルがとある魔術師と連絡を取り合っているんです」
「魔術師と?」
「はい。その魔術師はいわゆる野良で、ギルドには所属していません。色々とあまりよくない噂の絶えない男です。グレースさんをずっと監視していたわけではないので、彼女と接触があったかどうかは分かりません。ですが、魔術師が出てきた以上、グレースさんに護衛をつけたほうがいいかもしれません」
「分かった。では、数人、使っていい」
「ありがとうございます。早速、明日の朝には配備できるよう、調整します!」
「お願いします。そういえば、グレースさん、容体はいかがですか?」
ノエルが心配そうに言った。サムとカーヤも気づかわしげだ。
その時、ノックの音がしてノエルが答えると見習い騎士のライリーが顔を出した。
「失礼します。先ほど、グレースさんのご家族に報せて参りました。お母様が取り乱しておいでで、もしよければ様子を見に来たいと……」
「そうか。心配するなという方が難しいだろうな」
「それか先生に許可をとって僕がグレースさんをお連れしましょうか。やはり過労なんかは病院にいるより、自宅にいた方がくつろげるでしょうし」
「ああ、そのほうがいいかもしれませんね」
ライリーの提案にノエルが頷いた。
「サムとカーヤも出来れば同行してあげてください。魔術師が接触しているなら護衛の手配は早い方がいいでしょう。明日の朝からの分は、僕が手配しておきます」
「分かりました。では、医務局に……」
そう言ってサムとカーヤが腰を浮かせるのにジルベールは「待った」と声をかける。
「グレースは俺が送り届ける。君たちは護衛の手配を先にしてくれ」
「お前が送り届ける必要はありません」
ノエルがすっぱりと言い切った。
冷たい眼差しが向けられて思わず背筋を正す。
「ジルベールは後処理があるんですから、彼らに任せてください」
「いや、俺が行く。後は頼んだ」
そう告げて立ち上がる。
「ジルベール」
静かに名前を呼ばれて顔を向ければ、ノエルはじっとこちらを見つめていた。
「ジルベールが、苦労してここまで来たことは幼馴染だから知っています。他人を遠ざけるわけも。でも、グレースさんがお前を遠ざけるわけを、知ろうとしない以上は、お前はここで仕事をすべきです。ただの雑用係に師団長であるお前が、付き添う必要はありません。女性騎士をつければいいんです」
「いや、それは……俺が彼女を雇ったわけだから、俺が責任を持つべきで」
「必要ありません。彼女の契約は騎士団との契約ですから。お前個人ではありません。どうしてそこまでグレースさんに固執するのですか」
「だから、俺が怪我をさせてしまって、だから」
「怪我は治っていますし、きちんと正規の給料を彼女には払っているのですから」
「ああもう! うるさい! 俺は彼女のところにいるから報告は全部、そちらだ!」
ジルベールはノエルから逃げるように未処理の書類の束をぐっと掴んで脇に抱えると執務室を飛び出したのだった。
「はぁ、あれでどうして自覚がないんでしょうか……馬鹿なんでしょうか」
ノエルがこぼしたぼやきに、サムとカーラ、そして、ライリーは、うんうん、と頷くのだった。
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明日は、幕間、第6話6-1をそれぞれ朝7時、夜7時に更新予定です。
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