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第2話 騎士団の雑用係
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しおりを挟むヴィグール騎士団第三師団の師団長・ジルベールは悩んでいた。
最近、芸術家が立て続けに失踪する事件が相次いでいる。
失踪しているのは、十八歳から三十八歳までの芸術家で、皆、無名の者たちだ。
最初は、家賃が払われないという苦情申し立てから始まった。
芸術で成功して飯を食えるようになるのはほんの一握り。生活するため、或いはその芸術そのものを続けるための費用による借金苦で夜逃げというのは珍しい話ではない。
だが、あまりに短期間で芸術家ばかりがいなくなっている上、中には借金もなく、別の仕事をしながら芸術は趣味にとどめて家族とともに穏やかに生きている人々もいた。
故に事件性有りと判断され、現在は捜査の真っただ中だ。
だが、この一週間、ずっと彼の頭を悩ませているのは、その芸術家連続失踪事件もなのだが、八割は見回りがてら寄った食堂で、よりもによって顔面に肘鉄を入れてしまった少女のことだ。
食事自体は美味しかったのだが、年かさの女将が食事中ずっと横でべらべらしゃべって不必要な世話までやいてくれて、うんざりしていた。
さっさと店を出ようと一緒に行った補佐官のノエルと共に食事を済ませ、店を出て間もなくのことだった。女将に呼ばれて振り返った際に、ジルベールが忘れた万年筆を届けてくれた少女の顔に運悪く、ジルベールの肘が入ってしまったのだ。
見た目はまだ十二歳くらいの少女だった。白猫の獣人族らしく、真っ白な髪に真っ白な猫の耳が生えていて、瞳の色は美しい紫色だった。
詳しく見られたわけではないが、おそらく鼻血が出てしまっていたか、口の中を盛大に切ってしまったのだと思われる。彼女の鼻と口を覆うように押えたスカーフは血まみれになっていて、手袋にも血がついていた。
しかも立ち上がるときにふらついていたから、本当に綺麗なまでに急所に入ってしまっていたのだろう。
「……はぁ」
「ジル、大丈夫ですか」
書類の合間に溜息を零したジルベールに壁際に置かれたデスクで仕事をしていたノエルが心配そうに尋ねて来る。
「いや、すまない。なんでもない」
「何でもないって顔じゃないですよ……。もしかして白猫のお嬢さんのことですか?」
「……ああ」
幼馴染でもある補佐官殿には、隠し事はできないようだ、と苦笑を零す。
「翌々日休んでいると言われて、家を尋ねたんだが教えてもらえなくてな」
ジルベールは、事件の翌日には謝罪のために開店より少し前時間に春の小鳥亭に行った。だが、その日はあいにく定休日で店は閉まっていた。さらに翌日同じ時間帯に訪ねた。
だが例の少女は体調不良で休んでいると女将に言われてしまった。自分の肘のせいかと顔を青くしたジルベールに「風邪ですわ」と女将は言っていたが、本当かどうかは怪しい。
お見舞いに行きたいので、住所を教えてほしいと言ったが、女将は「若い娘の一人暮らしだから」と教えてはくれなかったのだ。
若い娘の一人暮らしと言われては、ジルベールも追及しづらい。ジルベールができたのは、女将に「彼女に渡してくれ。見舞金だ」と見舞金と持参した菓子を預けることだけだった。
「彼女は一人暮らしだそうだ」
「ということは、成人はしているんですね。『特異成長』前ということですか」
ノエルが首をひねった。
この国では成人の十六歳にならないと原則賃貸は借りられないのだ。
「おそらくは。……謝りたいのだが、ずっと店を休んでいるようなんだ。よほどの怪我だったのかもしれん。あの女将の言うことなど無視して、医者に連れて行けばよかった」
後悔先に立たずとはいうが、ジルベールはそんなことばかり考えてしまう。
どうもあの女将は性格が悪いようで、あの娘を蹴り飛ばしていたのだ。それに怪我をした従業員を心配するでもなく、その上、あの娘がまるで自らジルベールにぶつかって迷惑をかけているかのような口ぶりだった。
「商業ギルドに問い合わせれば、おそらく分かるんだろうがな」
きちんと雇用契約を結んでいるなら、商業ギルドに登録しているはずなので問い合わせれば彼女のことは分かるだろう。
だが、騎士団からの問い合わせというのは、あまり心証がよろしくない。事件を起こしたか、あるいは巻き込まれたかと煙たがられるのだ。信用第一の商業ギルドにとっては、加害者だろうが、被害者だろうが厄介以外の何物でもないのだ。
怪我までさせて、商業ギルドに不信感まで抱かせるなんて、悪魔の所業だ。
だが、一週間も寝込んでいるなんて、本当に当たり所が悪かったのかもしれない。
「とはいえ、今日訪ねても出勤していないようだったら、商業ギルドに問い合わせようと思っているんだ。それほどまでの怪我をさせてしまったんだ、騎士云々の前に人として黙っているわけにはいかない」
「そうですね、確かに一週間も休みというのは心配ですね。彼女とても小柄でしたし」
ノエルも複雑そうな顔で頷いた。
「昨日は定休日だったが、今日は普通に開いているはずだ。また昼休みに行ってくる」
「分かりました。会えると良いですね」
ノエルが頷いたのとほぼ同時にノックの音がした。どうぞ、とノエルが返すと騎士見習いの少年・ライリーが顔を出す。彼はノエルと同じ梟系の獣人族の十五歳。特異成長前なので十一、二歳の姿をしている。現在、先輩騎士にくっついて門番業務をしていて、主に来客を報せるために騎士団内を走り回る仕事をしていたはずだ。
「師団長、お客様がいらっしゃっておりますが、一般の方でお約束はないとのことで……」
「誰だ?」
まったく心当たりがなく首を傾げる。
「グレースという名前の女性です」
「女か……追い返してくれ」
第三師団の師団長ながら三十歳独身。夫という獲物を探す女たちには格好の餌食のようで、時折、頼んでもないのに押しかけてくることがあるのだ。
「分かりました。一応確認ですが、その方は師団長の忘れ物を届けに来てくださって、スカーフをお預かりしている、と。いかが致しますか? 受け取りますか?」
「スカーフ!?」
その言葉に思わず勢いよく立ち上がる。
「おい、その女性の種族は!?」
「え、ええと、獣人族で、白い猫の耳と尻尾をお持ちです……!」
ライリーがジルベールの迫力にたじろぎながら答える。
「今すぐ! 今すぐここに通してくれ、丁重にな! 丁重にだぞ!」
「は、はい!」
ライリーが慌てて部屋を出て行く。
ノエルはすでに応接セットのテーブルの上の書類を片付け始めていた。ジルベールもソファの上に積みあがっていた書類をとりあえず隣の仮眠室に運び込んで隠す。
そうして体裁を取り繕い終えたところでまたノックの音がした。
「入れ」
「失礼いたします」
ジルベールが答えるとライリーがドアを開けて中に入って来る。
「お客様、どうぞ」
ライリーに促されて、少女が、いや、女性がおずおずと中へ入ってきた。
その瞬間、ジルベールは息の仕方を綺麗さっぱり忘れた。
真っ白な腰まで伸びた髪がさらさらと揺れている。あの日と同じ白い猫の耳と真っ直ぐな尻尾。
だが。あの日の少女とはまるで違うすらりと伸びた手足、きゅっとくびれた細い腰とそれゆえ強調される胸の豊かなふくらみ。
あどけない少女の面影はわずかに残っているが、間違いなく美しい大人の女性がそこにいた。
「あ、あの……」
困ったような彼女の声は、この間の少女のものより少し大人びていた。
けれど、美しい紫色の瞳だけは変わりなくて、間違いなくあの日、怪我をさせてしまった女性だと分かる。
だが、あまりの変貌ぶりにジルベールの脳みそと舌は驚きすぎて固まっている。
「ぐっ」
「すみません、お嬢さん。激務だったものでジルベールときたら立ったまま寝ていたようです。それよりそのお姿……『特異成長』を迎えられたのですね、おめでとうございます」
固まるジルベールに彼女から見えないように脇腹に肘をいれてきた補佐官はにこやかな笑みを浮かべた。
十数年前、ジルベールはこの補佐官の『特異成長』にとても驚かされた記憶がある。
前日まで、ジルベールより頭二つは小さなか弱いひな鳥だったのが、翌朝には、ほとんど背丈も変わらない立派な猛禽類になっていたのだから驚かないわけがない。
「あ、ありがとうございます。す、すみません、お忙しい時に……っ!」
慌てて頭を下げた彼女に「とんでもない」とノエルが首を横に振った。
「あの日、なにもできなくてずっと心配していたんです。ですよね、ジルベール」
「あ、ああ。その通りだ。本当にすまなかった」
ジルベールは潔く深々と頭を下げた。
「あの日、俺が貴女に気づかなかったばっかりに、あんな怪我をさせてしまって」
「か、顔を上げてくださいませ。もうなんともありませんから」
彼女の焦った声が上から聞こえる。
「ですが、一週間もお店を休まれていたのでしょう?」
ノエルが問いかける。
「いえ、本当にもう大丈夫なんです……。どうか、顔を上げてくださいませ」
弱り切った声に彼女を追い詰めるのは違うとジルベールは体を起こす。声の通り、グレースは泣きそうな顔をしていたが、ジルベールと目が合うとほっとしたような表情になった。なんだかその顔は、あどけなくて可愛らしい、いや違う、何を考えているんだ、と首を横に振る。
「どうぞ、大したもてなしはできないが、座ってくれ」
ノエルと共に大急ぎで片づけた応接セットを手で示すが、彼女は首を横に振った。
「スカーフをお返ししに来ただけですので……」
「美味しいお茶とお菓子を用意してあるんです。あの日、何もできなかった無力な僕らにせめてものお詫びをさせてください。どうぞ、おかけになってお待ちくださいね」
有無を言わさずそう告げて、ノエルが部屋を出て行った。給湯室へ行ったのだろう。
「どうぞ」
先にジルベールが座れば、グレースはおずおずと向かいのソファにちょこんと腰かけた。
「そういえば自己紹介がまだだったな。俺はジルベール。この第三師団の師団長だ。さっきまでいたのは、俺の補佐官でノエルだ」
「私はグレースと申します。あの、これ……ありがとうございました」
差し出された紙袋を受け取り、中身を確認する。きちんと畳まれたスカーフは、以前よりも真っ白になっている気がする。
「こんなに綺麗にしてくれて、なんだか申し訳ない」
「いえ、汚してしまったのは私ですから。ご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした」
グレースが深々と頭を下げると、真っ白な髪がさらりと落ちた。
「や、やめてくれ。悪いのは俺のほうだ。たとえ貴女が無理矢理ぶつかってきたって、俺が怪我をするなんてことはありえない。あの時、女将の呼びかけしか聞こえていなくて、少し苛立っていたのもあって勢いよく振り返ってしまった。常に冷静であるべき騎士としてあるまじき行為だ」
反省の弁を述べていると、グレースがおずおずと顔をあげてくれた、が。さっさと顔を上げ切ってほしいとジルベールは咄嗟に斜め下に視線をそらした。その中途半端な姿勢だとワンピースの襟から豊かな胸の谷間が見えてしまうのだ。
「だ、だから、今すぐ、顔を上げてくれ、グレース嬢」
上げ切ってくれ、と心の中での懇願したのも功を奏したのか、彼女はきちんと座りなおしてくれた。
ジルベールは改めて彼女に向き直る。
「一週間も休んでいたのだろう? 体は本当に大丈夫か?」
「……実は『特異成長』が起きたのが、あの日の夜で、そのおかげか怪我はすぐに治ったんです。怪我といっても、少し鼻筋が腫れていただけで……あの日の姿はできれば忘れてくださいませ」
恥ずかしそうに顔を伏せたグレースは肌や髪の白さも相まって、赤くなった頬が強調されている。
鼻筋が腫れていたということは、あの日の血はやはり鼻血だったのだろう。確かに鼻血を出した姿を人に見られるのは年頃の女性なら恥ずかしいのかもしれない、と思い直してジルベールは「ああ」と短く頷いた。
「では、『特異成長』のせいで休んでいたのか? ノエル……さっきの補佐官なんだが、俺とは幼馴染で、あいつも『特異成長』から三日は熱を出して寝込んでいたんだ」
「男性で、大型種の方はとくに急成長するので寝込みますが、私のような普通の猫種はほとんど寝込むことはありません。次の日、少し体がだるいくらいです」
「でも、店を休んでいただろう? やはりまだどこか具合が……」
「ち、違うんです」
身を乗り出したジルベールにグレースが首を横に振った。
「お店は辞めたんです」
想像していなかった言葉に目を瞠る。
「辞めた? まさか、俺のせいで?」
「い、いえ。代替わりしてから、女将さんとは相性が悪くて、遅かれ早かれ辞めることになっていたと思います。だから決して、師団長様のせいではありません」
あの女将はしきりにグレースがジルベールに迷惑をかけたと騒いでいたのだから、彼女をクビにした可能性のほうが高いような気がする。ということはつまり、あの女将は、この一週間、通い詰めるジルベールにずっと嘘を言っていたのだ。
「……一つ、確認したいんだが、君は一人暮らしか?」
いきなり何の脈絡もない質問に、グレースがきょとんとしている。
「いいえ。母と、年の離れた弟と妹の四人暮らしです」
あのクソアマ、とあまりお行儀のよくないジルベールの本性が口から出そうになるのをぐっとこらえる。この分だと、絶対にジルベールが渡した見舞金(と菓子)もちょろまかしたに違いなかった。見舞金を受け取っていたら、真面目そうな彼女の様子からしてお礼を言うか、スカーフと一緒に返していただろう。
「師団長様。このあと用事があるんです。補佐官様には申し訳ないのですが、この辺で……」
そういってグレースが立ち上がってしまった。
呼んでもないのに押しかける女たちは、何とか居座ろうと粘るのに彼女は真逆だ。
「待った。もう一つ聞きたいことがあるんだが!」
思わず身を乗り出し、テーブルに片手をついて、もう片方の手で彼女の腕を掴んでいた。
あまりの細さにびっくりしてすぐに離す。力を籠めたらあっけなく折れそうだった。
「すまない、勝手に触ってしまった……!」
「だ、大丈夫です」
再び頬を赤らめたグレースが目を伏せる。可愛い、とまた思考が脱線しそうになるのを頬の内側を噛んで引き戻す。
「仕事、その、次の仕事は決まったのか……っ?」
その話題に赤かったグレースの顔がだんだんと色を失っていく。真っ白で、ワンピースもグレーなので、瞳以外、モノクロの彼女はいやに儚く見えた。
「住み込みに、なりそうですが……選ばなければ次のお仕事は決まりそうなんです。用事というのはこの後、商業ギルドに行く予定でして」
彼女は微笑んだが、どこか虚ろな笑みだった。
おそらく、多分だが、いや違う、これは絶対に、あまりよくない仕事をしようとしているのだ。騎士として、貧しさに追い詰められた若い女性が仕事に何を選ぶのか、痛いほどに知っている。
「仕事はまだ決まってない、ということでいいな」
「……はい。本当は通いがいいんですが、紹介状がないのでなかなか見つからなくて」
弟妹は年が離れていると言っていた。彼女がいくつか知らないが、『特異成長』を迎えたのなら、十三から十八歳くらいだろうが、彼女は十七か八くらいに見える。そうなれば、年が離れているという弟妹は下手すればまだ一桁の年齢かもしれない。彼女の様子からあまり豊かな暮らしをしているようには見えないから、母親も働きに出ている可能性が高く、そうなれば家を離れるのは不安なのだろう。
そもそもジルベールが彼女に怪我をさせてしまったのだ。グレースは、ジルベールに責任はないというが、あのクソアマ、もとい、嘘つき女将がグレースをジルベールへの非礼を言い訳にクビにしたに違いなかった。
せめてもの責任を取らなければ、騎士としても人としても最低だとジルベールは気合を入れ直した。
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