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黒猫と収穫祭編
第四話
しおりを挟むレイは昨日と同じく収穫祭に来ていた。
昨日のメンバーに加えて、本日はアマーリアとレオンハルトとシルヴィア、そして、新たにマヒロが雇い入れたフットマンの青年とメイドの三人娘が来ている。そのためアマーリアの護衛騎士二人と侍女のリリー、そして、カイトも加わり、結構な大所帯だ。それ以外に近衛の連中が一般人に扮して護衛をしているそうだ。動き方や目線でどれが近衛かは、レイには分かるが、目の前で的当てを楽しむ彼女たちは気づいていないだろう。
「まあ、当たりましたわ!」
「すごいわ、アマーリア」
「お母さま、わたくしもできましたのよ!」
「ジョン、勝負だ!」
「手加減はしないよ!」
初めてのボール投げにアマーリア母娘は楽しそうで、レオンハルトはジョンに隣の輪投げで勝負を挑んでいる。
レオンハルトは、ミアの関心を引きたいのだろうが当の子ウサギは「ジョンくん、がんばれ~」と声援を送り、サヴィラが「レオンも頑張れ」苦笑いを零しながら歯噛みするレオンハルトに声援を送っていた。
「あの親馬鹿がいたら、ここであのジョンとレオンの輪投げに大人げなく参加してんだろうな」
「だろうな」
すぐそこの屋台に買い物に行ったジョシュアが戻って来て、レイの独り言を拾った。
ほれ、と差し出された串焼きを受け取る。ムートンの肉は、少しくせがあるが、香辛料をふんだんに使っていて、美味しく仕上がっている。がぶりと噛みつけば、肉汁がじわりと広がる。
この串焼きの屋台は、おなじみの市場通りの肉屋だ。毎年、収穫祭の時だけ、こうして特別にムートンの串焼きを出しているのだ。
「やっぱり、あそこの串焼きはうめぇな」
「サヴィ、ヴァイパーも食べるかー?」
ぐるん、と肉食系の有鱗族である二人が振り返った。
ジョシュアが持っていた二本の串焼きをそれぞれ渡すと、二人はお礼を言って、嬉しそうにがぶりと噛みついた。ヴァイパーは毒蛇の系統らしいので、牙も立派だ。サヴィラの牙はまだ小さいが、どちらも獣人族の肉食系の奴らの牙と違って細く鋭い。
「見てこれ、可愛い!」
「あ、こっちも!」
「カレンお姉ちゃん、こっちは?」
「待って、これも可愛い~!」
「ねえ、ヴァイパーはどれがいいと思う?」
リラ、マリー、ネネ、カレンは、少し離れたところにある屋台で髪飾りを選んでいる。布製の花のモチーフとリボンを選んで自分でバレッタを作れるらしい。毎年、女性に人気だ。
肉を食べながらヴァイパーが駆け寄り「そうだなぁ」と言いながら一緒に悩み始めた。
「大家族で揉まれたのもあって、女性の買い物にも付き合えるみたいだな」
「……だな」
これはどう?とリボンを指さすヴァイパーを見ながらジョシュアこぼした一言にレイは頷いた。
レイも両親やミモザが元気だったころに母や妹の買い物に、現在はソニアとローサの買い物に付き合わされるが、どうしてああも悩んで長いのか。いくら考えても分からないくらいに長いので、買い物の付き添いが一番面倒くさい。荷物持ちだけなら全然いいのだが、こっちのピンクとこっちのマゼンタ、どっちがいい?と聞かれても、何がどう違うのかレイには分からない。赤と青ぐらい違えば分かるかもしれない。
「俺もシラの買い物なら何時間でも付き合えるんだが、姉さんと母さんの買い物だけは本当に苦行だった……。どっちがいいって聞かれても、身内の服なんてどっちでもいいよな……」
「それな」
ジョシュアの言葉にレイは、深々と頷いた。
的当てと輪投げを終えて「わたくしもやってみたいわ」とアマーリアが言い出し、ミアとシルヴィアがそれに賛同し、一行はメイドたちの屋台のほうへと動き出した。レイとジョシュアもそちらに移動する。食べ終わった串は、二人とも火の魔法で一瞬で燃やして消してしまう。
「ねえ、それ、辛いのあった?」
そう言いながらカイトがレイの隣にやってきた。こいつは、爽やかな好青年を具現化したような男だが、どうにもこうにも味覚が狂っている。
「一応、あるにはあるぞ。辛いのも……でも、カイトが普段食べてるのに比べたら辛くないだろうけど」
「俺は辛さを感じないわけじゃないからさ、ピリ辛だって好きだよ。俺も買おうかな」
カイトが串焼きの屋台を振り返る。
「おい」
「ああ」
その時、前方から酔っぱらいがふらふらと近寄って来る。
プリシラが気づいて、ぶつからないように子どもたちを内側に移動させる。ジョシュアが一歩を踏み出したところで、酔っぱらいがプリシラにぶつかり、サヴィラとジョンが咄嗟にプリシラを支えた。ジョシュアが慌てて駆け寄る。
「おおっと、悪いねぇ、ひっく、へへっ、ごめんよ~、だいじょ、おわっ」
「ああ、ごめん! ほかに気を取られてたよ!」
今度は酔っぱらいによそ見をしていた海斗がぶつかった。海斗が「怪我はないかい?」と酔っぱらいの肩を掴んで体を見回す。酔っぱらいは「大丈夫だよ~」と言いながらふらふらと歩き出した。
「お酒の飲み過ぎには気をつけろよ~!」
そう言って酔っぱらいを見送ったカイトが、一瞬、どこかへ視線を走らせ、手で何かのサインを送ると少し離れたところで酔っぱらいに声をかける者がいた。私服姿だが第二小隊の騎士だ。その顔に見覚えがあった。酔っぱらいはそのまま両脇をがしっと抱えられて引きずられるように連れて行かれた。
「シラ、ぶつかった時にお財布落ちたよ」
「まあ、本当、ないわ……! ありがとう、カイトくん」
プリシラが財布を入れていたらしいスカートに手を突っ込み、目を丸くするも、すぐに安堵の笑みを浮かべた。
「どーいたしまして」
カイトはやっぱり爽やかな好青年の笑みを浮かべて、こちらに戻ってきた。プリシラの腰を抱いていたジョシュアが、目をぱちくりさせている。
それはそうだろう。ジョシュアもレイも、男が酔っぱらいを装ったスリだということに気づいていたのだ。
「……お前、本当に神父かよ」
「俺、真尋ほどじゃないけど手先は器用だよ。手品とか得意だし」
「だからって、スリをスリで返すか? その上、なんだよあれ」
「あれって、第二の子たちかな? 真尋が借りっぱなしなんだよ。それにカロリーナ小隊長も異を唱えないからねぇ。真尋が、使えるようにしたいって言ってかなり訓練にも力を入れてんだよ」
そう話をしている間にもカイトの手はひらひらと動いて、なんらの指示を出しているのがうかがえる。
レイの視線に気づいたのか、カイトがその手を止めた。
「これかい? あらかじめ決めておいて、手の動きだけで指示を出すんだ。覚えると便利だよ」
指示を出し終えたのか、カイトの手が降ろされる。
「今日は真尋がいないからね……アマーリア様もだけど、雪乃に何かあったら俺の首が物理的に飛ぶからさ。こっちだって護衛に必死だよ」
「あいつ、どこ行ったんだ?」
「ジークのとこの会議。一路はその補佐で、俺が居残りってわけ。ティナは今日から仕事だからね」
「ジークのとこって……」
人通りが多いこの場所で、これ以上のことは言えずに言葉を飲み込む。
「あいつも、ひとりでこの地に来て、例えばミアもサヴィラもいなかったとしたら、どっかの宿の部屋にでも引きこもって魔術学だっけ? それの研究でもしてただろうけど……あいつの大事なもんが全部、ここにあるなら好き勝手やるんだろうね」
「ねえ、海斗くん、これどうかしら?」
雪乃がバレッタを手に彼を呼べば、海斗は「いいんじゃないかな」と言いながらそちらへと歩き出す。
「発展するよ、ここは。王都以上にね」
一度だけ振り返った海斗は、至極楽しそうに笑っていたのだった。
領主の城館の一室、議会の間は議論を終えた後の緩んだ空気が部屋の中を満たしていた。
「マヒロのおかげで、当面、忙しくなりそうだ」
「俺のあれこれがなくても忙しいだろう、君は」
マヒロが隣に座るジークフリートの言葉に肩を竦めて返す。
リックは、会議に使われた資料をまとめて、アイテムボックスにしまいながら、辺りを見回す。
領内の重要人物が参加した今回の全体会議では、マヒロが識字率を上げること、そして、今後、アルゲンテウス辺境伯領各地にも冒険者ギルドが運営する孤児院の創設、そして、ブランレトゥの近くでの大規模農場計画など様々なことが提議された。
いつの間に根回しを済ませていたのか、ジークフリートは驚いた様子もなく、あらかじめ彼自身もマヒロが提議した事柄に関して精査し、疑問などをまとめていたのだと思う。
「俺も忙しいのは正直本意ではない。だが、このアルゲンテウス辺境伯領は、俺の愛する子どもたちと妻がこれから生きて行く場所だ。であるのなら、より良い環境にしていかなければいけない」
「私利私欲~」
マヒロの補佐を任されているイチロがケタケタ笑いながら言った。
イチロが来ているということは、もちろんエドワードも一緒だ。彼もリックと同じく資料をまとめてしまっている真っ最中だ。
「だが、教会の開院は未定でいいのか?」
「かまわん。俺と一路と海斗で話し合って決めたことだ。まずは、今後、永遠にティーンクトゥス教会がこの地で信仰されるための土台を作らないとな。それには実績が必要だと判断した。それに教会は常に開けっ放しにするつもりだ。祈りたい信者は好きに来て祈って構わんし、年明けくらいには二週間に一度くらいは集会も開くことを計画している。俺自身、子どもも増えたし、今、中央に目をつけられるわけにはいかんからな」
「収穫祭にもかなりの数が潜り込んでいるんだろうな……王家やらなにやら密偵が」
ジークフリートがいやだいやだと首を横に振りながらうめく。
「そりゃそうだろう。俺が王家の立場でも手先を放り込む。地方の領主が巨大な力を得ることは、王家にとっては脅威だからな。だが安心するとい い。こっちにはドラゴンが控えている。力でしかけてきたら、力で返す」
「心強いはずなんだがなぁ……」
心なしか彼の紅い瞳は遠くを見つめている。
「……うちもAランク冒険者は二人しかいないし、騎士団も人員不足。万が一、ゴブリントレープやすぐそこのダンジョンでスタンピードでも起こったら領存続の危機だろうに、この神父様、一人と一匹で解決しそうなんだよなぁ」
ジークフリートのぼやきにリックとエドワードは深々と頷いた。
問題発生の連絡を受けたら「ちょっと行ってくる」と一言告げて、ポチと一緒に出掛けて壊滅させてくる姿がリックにも容易く想像できる。
どうか王家が力業で押せばいける、と思わないように祈るしかない。
「そうだ……マヒロは星夜祭って知ってるか?」
「せいやさい?」
「星の夜の祭りと書くんだが、再来月にあるんだ。収穫祭と違って、一日だけというより、一夜だけのお祭りだがな」
「へぇ……星でも見るのか?」
「まあ、今はおおむねそうだな。冬は星空が綺麗に見えるだろう? 星夜祭は、我が領、固有の祭りだ。とはいえ、似たような祭りは王国各地で行われているだろうがな」
「二カ月先と言えば真冬じゃないか。そんな寒い中で星を見て何になるんだ」
「君、ほんっとうに雪ちゃんとかミアがからまないと、情緒ないよね……」
イチロが頬を引きつらせながら幼馴染に溜息を零す。
「気持ちは分からんでもないが、なかなかに発祥は歴史が絡んで大事な祭りなんだぞ」
ジークフリートが苦笑を零しながら口を開く。
「その昔、今から五百年ほど前だな。アルゲンテウス辺境伯領も今でこそ平和だが、当時は隣国とのいさかいが絶えなくてな。騎士はもちろんだが、健康な若い男性は皆、十八歳から二十八歳のどこかで三年間、徴兵されて辺境の、今のエルフ族の里を中心にあの国境の警備に駆り出された。いつ火ぶたが切って落とされるかも分からない日々だ。ひとたび、争いが起きれば命を落とすかもしれない、そんな時代の中で」
「待て。あのルドニーク山脈を越えて来るのか?」
主が気にかかったところは、あの標高の高い山々を隣国が行軍して越境してくることだった。
「ああ。我が領にはいないが、隣国には飛竜という種類のドラゴンがいる。ポチを馬ぐらいの大きさにして、もっと細っこいし、討伐ランクでいえばBらしいが賢い。それを調教して彼らはそれに騎乗し、空から襲撃してくるんだ」
「空中戦ってことですよね? こちら側はどのように応戦を?」
イチロが不思議そうに首を傾げる。
「私が弓の名手と呼ばれているのは、そこに起点があるのだ。空から来るものは、撃ち落とすしかない。我らは弓兵部隊を揃え、奴らを地に落とす。そして地上部隊がせん滅する。ゆえに和平が二百年前に結ばれるまで、弓兵部隊は我が領にとって重要な部隊だった。隣国は百年前に変革が起こり、他国に手を出すことをやめたからな、当時ほどの部隊はないが、辺境には弓兵部隊が今も残っている。そして、我がアルゲンテウス辺境伯家の男子も有事の際に共に戦うために弓を扱えるように鍛錬するんだ」
「それは領主ではなく、騎士団長になる者が鍛錬するのか」
「いや、基本、男児は全員だ。レオンハルトは剣術スキル持ちだから、そちらを先に延ばしてからになるから、まだあと二年か三年は先だがな。幸い、私は弓術のスキルを持って生まれた。健康な次男で弓術持ち、騎士団長にはぴったりだったわけだな。弓術は私の性にも合っていて、鍛錬は楽しかった」
「弓術、楽しいですよねぇ」
弓の名手であるイチロがにこにこしながら言った。
「ああ。あの弦を引く瞬間が私はとくに好きで……って、そうじゃない。私と弓術のことはいいんだ。話を戻すが、基本、徴兵の期間は三年。生きて戻る保証はない。だが、生きて戻って来るのが、星夜祭が開かれる冬の時期だった」
「収穫期以外が戦の本番だと思うんだが、それは冬が関係しているのか?」
「その通り。ルドニーク山脈は険しく、冬はより過酷な場所となる。有鱗族が暑さ寒さに弱いように、飛竜もまた寒さに弱くて、冬はあの山を越えられないので、我が領にとって冬が安寧の時間だったんだ。だから、冬の間に兵の入れ替えが行われる。戦地に行くのも、帰って来るのも冬だった。人々は星に家族や恋人や友の無事を願い、星の輝く冬に彼らは家族の下に戻った。出兵と帰還を激励し、祝う。それが星夜祭の始まりだ」
「なかなか歴史の長い祭りだということは分かったが、それで?」
「現在は、割と恋人たちの祭りになっているんだが」
「ほぉ」
ここでマヒロがもう少し真面目に聞こうという姿勢になった。
彼は妻子のことに関してだけは、実に人間らしい情緒を持っているのだ。
「当時の彼らは切実だっただろうが、やはり恋人の出兵、そして、無事の帰還というのは物語性が強いだろう? 領内が平和になっても、冬の星に祈る習慣は途絶えず、だんだんと星夜祭で星に祈るとその恋は何も引き裂かれることなく永遠に幸せになれると言う言い伝えが生まれたんだ。それに恋人以外でも家族の健康を祈ったりもするな。兵士の無事を願っていたのは、恋人だけではないからな」
「有意義そうな祭りだな」
「…………まあ、うん。……そうだな」
先ほどまで、冬に星を見る意義を見出せなかった人間の言葉とは思えない、見事な手の平返しだ。
リックはここで庶民にとっての星夜祭を説明しようと口を開く。
「庶民の間では、星夜祭の日に雪星草を意中の人や恋人に渡して、夜、町の各広場でダンスを踊るんです。私も恥ずかしながら、恋人と踊りました。とはいえ、その後、振られましたが」
「お前、護衛騎士に抜擢後、その元彼女に復縁を迫られていたじゃないか。どうなったんだ?」
何で知っているのかと問いただしたいが、問いただしたところで無意味なのでリックはその言葉は飲み込んだ。
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「エディさんも踊ったことあるんですか? 前に彼女がいたって言ってましたよね?」
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エドワードがイチロに問い返した。
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イチロがエドワードの手を取り言った。
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「いい主を持ったな、相棒」
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「そうだ。だが、我が領では冬は始まりと終わりでもあるんだ。君たちには水の月から始まって、エルフの里と世界樹の件でも多大な苦労をかけ、世話になった。その際ぜひ、君たちに褒章を授与したい。可能であれば夫人と参加してくれないか?」
「…………夜会か」
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「あるさ。妻も何度かは。だが……そう、俺にはまだ乳飲み子の息子が二人もいるし、ミアもいる」
「君、ナニー経験のある女性を雇っただろう? それに一晩というわけではない。ほんの三時間ほどでかまわない」
「……俺も妻も貴族ではないし、場違いでは」
「問題ない。君は私より貴族らしいと評判だ。それに、それにだ! 今年は……ア、アマーリアにも初参加を願いたく……!」
それが目的か、とマヒロが苦々しげにつぶやいた。
現在も引き続き我が家にいるアマーリアと子どもたちだが、アマーリアとユキノは、リックでも微笑ましくなるほど仲が良い。それにアマーリアは、ユキノに全幅の信頼を置いている。
「……分かった。まずは妻に相談しておこう。彼女が否と言ったら、否だ」
「あ、ありがとう! マヒロ!!」
我が領は、マヒロ夫妻なしでは安泰は望めないかもしれない。
ジークフリートが心底安心したように眉を下げ、彼の護衛騎士二人も胸を撫でおろしている。
「だが、夜会ならドレスが必要になって来るじゃないか……」
「す、すまない費用は私の……」
「馬鹿か貴様は? 問題は費用じゃない時間だ」
領主を馬鹿の一言で切り捨てた主は、どこからともなく手帳を取り出した。それと同時に小鳥と手紙一式も取り出し何かをしたためると、小鳥に咥えさせた。リックが会議室の窓を開ければ、小鳥はそこから飛び立っていく。
「二カ月弱しかないのなら、すぐにでもドレスの制作に取り掛からねば……リック、明日、マダムに一番早く我が家に来られる日を教えてほしいと伝えてくれ」
「は、はい」
リックは慌てて自分の小鳥を取り出して、伝言を託して窓の外に放つ。
マダム、というのは、マダム・カルロータ。紫地区の一等地に店を構えるこの町で一番人気のドレスデザイナーだ。偶然町で見かけた、ミアの着ていたマヒロがデザインしたワンピースにいたく感動し、それから親交がある。マヒロもマダムのセンスを信頼しており、デザインを自分でしたものを彼女のところで縫製を頼んだりもしているし、自分がデザインしたものを店頭に置くことを許可したりもしている。
「一路、お前、まるで無関係な顔をしているが、お前も行くんだぞ」
マヒロがスケジュール帳に目を落としながら言った。
帰り支度をしていたイチロが「え!」と驚きに声を上げて振り返る。
「ジークは『君たち』といったんだ」
「もちろん、イチロとカイトにも招待状を送るつもりだ。ぜひ、パートナー同伴で来てくれ」
ジークフリートの言葉にイチロもスケジュール帳を取り出した。
「え!? 二カ月弱で!? 嘘じゃん! ね、マヒロくん、そのマダムとの打ち合わせ、僕たちも入れて!」
「かまわん。おい、リック、もう一羽、アマーリアのところのリリーに飛ばせ。星夜祭のことについて、まずは彼女に周知してもらっておいたほうがいい。アマーリアにはこれが直接話すだろうから……そうだな、ジーク、今夜、アマーリアを誘いに来い」
「は、早くないか!?」
「馬鹿野郎!」
リックが再び伝言を吹き込んで小鳥を飛ばす背後で、マヒロにジークフリートが怒られている。
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「そ、そういうものなのか」
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イチロがどこかに手紙を託した小鳥を飛ばしながら言った。
「社交の場で隙を作らない、これも愛する人を守るために必要なことだ」
ジークフリートが何も言えなくなって押し黙っている。
リックは、今のマヒロとイチロの言葉を手帳にメモした。リックだけじゃない、会議室に残っていた者たちが聞き耳を立て、こそこそとメモしている。
「ジーク、君は流行のドレスどころか、そもそもドレスの部位の名称さえ分からないと思う。それは致し方ないが、せめて、アマーリアに似合う色の一つぐらいは彼女に伝えるんだ」
「分かった」
ジークフリートが力強く頷いた。
「マヒロさん、申し訳ありませんが次への移動時間です」
リックは懐中時計を取り出して時間を確認し、そう耳打ちする。マヒロも自分の腕時計を確認し、そうだな、と頷いて立ち上がった。これから騎士団へと移動して、収穫祭開催中の中途報告会議に出席するのだ。
「あ、やばっ、僕も急がなきゃ、行きますよ、エディさん! すみませんが失礼します」
「おう! 失礼します!」
イチロが慌ただしく会議室を出て行き、エドワードもそれに続く。彼らはこの後、治療院で打ち合わせがあると記憶している。
リックもジークフリートに挨拶をして、主の背を追いかけ会議室を後にする。歩きながらもマヒロは何羽も小鳥を飛ばしている。彼の予定を動かすには関係各所への連絡がすごい数になるのだ。現に会議室を出て間もなく、飛び立つ小鳥に交じって、彼に伝言や手紙を運んできた小鳥も混じり始める。
「リック」
「はい」
「騎士団で会議が終わったら、貧民街へ行くぞ」
「え、でもそのあとは、冒険者ギルドに呼び出されていたはずでは?」
「予定は動かした。ネネの父親の家を見に行く」
「分かりました。シグネさんたちはなんと?」
シグネは、リックを最初に受け入れてくれた貧民街の夫婦の妻のほうだ。サヴィラの恩人であったダビドは皆に頼りにされる優しい人で、シグネとトニー夫妻もそれは同じだった。だのに凶刃に見舞われたダビドに安らかな眠りを与え、葬儀までしてくれたマヒロに恩を感じ、今では夫と共に貧民街で住人たちのまとめ役のようなことを担いながら、情報などを提供してくれている。
「シグネが言うには、最近は近所の住人も姿を見ていないらしい。俺も小鳥で確認した限りはな。だが、とりあえず行ってみよう」
「そうですね、何か手掛かりがあるかもしれませんし。貧民街に行くなら、パンを持って行きますか?」
「ああ。頼んでおいてくれ」
「はい」
リックは、おおよその時間を割り出して、母宛てに小鳥を飛ばす。マヒロは、貧民街に行く時は必ずパンを大量に持って行く。孤児たちや年齢や体調を理由になかなか食い扶持を稼げない人たちに配る分だ。その際、融通が利くのでリックの実家のパン屋を利用してくれている。
「そう言えば、夜会にもお前はついてくるんだろう?」
「護衛なので、はい」
「ならお前の服も仕立てないとな」
「いえ、そこはご心配なく。夜会などは会場警備と個人の護衛として参加しているのを分かりやすく区別するために専用の騎士の制服があるので、事務局に貸与申請しておきます」
「へぇ、そんなものがあるのか」
マヒロが興味深そうに振り返る。
存外、リックの主人は服飾というものに熱心だ。彼の母親がデザイナーだったといのもあるだろうが、何より周りの人間を着飾るのが彼は好きなのではないかとリックは考察している。現に自分の服には無頓着で、今は神父服がポチとの戦いでぼろぼろになり着用できないため、雪乃が用意した貴族然とした格好をしているが、彼女が来る前の彼は神父服かスラックスにワイシャツ、というシンプル過ぎるいで立ちがほとんどだった。
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「では一週間前に借りて、一度、着て見せてくれ。さきほど一路も言っていたが、社交というのは戦と同じだ。隙を見せた瞬間、死ぬと思って挑め。お前もこの俺が隙のない完ぺきな護衛騎士に仕立て上げる。ついでにエディもな」
「は、はい! お願いします!」
マヒロは元の故郷でも夜会に出席経験はあるらしいので、しがないパン屋の息子であるリックは彼に従うことになんら異論はない。夜会なんて正直、近寄ったことも参加したこともない。リックが所属していた第三中隊は町の警邏が主な任務。夜会などの護衛は管轄外だったのでなおさらだ。
「私、夜会に参加経験はないのですが……やはり大変な場所なんですか?」
「夜会というか、社交界というのは基本的に見栄と意地の張り合いだ。相手に取り入ろうとする者、なんとか失墜させたい者、様々だ。もちろん人脈を広げようとしているだけの者や純粋に楽しむ者だっているだろうがな。俺の故郷での立場は、由緒あるとても大きな商会の本家の長男。なのに妻は病弱で子どもが産めない。これだけでもわかるだろう?」
「なんとなく、ですが」
リックの返しにマヒロは、唇の端にわずかな嘲りを乗せた。
「生まれながらにして持ちえた富と権力は、味方より多くの敵を作った。信じていい人間なんて、あの場にはいなかった。たとえ血がつながっていても、だ。だから俺は自分で見つけて、育てて、傍におくことにしている」
リックの脳裏にイチロとカイト、ミツルの姿が浮かんだ。
彼らは間違いなくマヒロが自ら見つけて、個々の能力を伸ばして、傍に置いていると言ってもいい。それに何より彼ら自身もマヒロのそばにいることを望んでいるのが分かる。だってそれはリックも同じだからだ。
「俺が目をかけてやっているんだ。お前も元気に育てよ」
「……私は子犬か何かですか?」
「似たようなもんだろ」
そう言ってマヒロは肩を竦め、エントランスホールを出て、既に横付けされていた馬車に乗り込み、リックも馬車を連れて来てくれた使用人に礼を言って御者席に座った。
手綱を握りなおし愛馬に声を掛ければ、馬車はゆっくりと動き出す。
「……まあ、正直、子犬でも、私は」
あのマヒロが選んで、傍においてくれているのなら、口ではなんと言おうとも嬉しい。リックはにやける頬を隠すように咳ばらいをして誤魔化すように手綱を握りなおしたのだった。
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13話目くらいから話が動きますので、気長にお付き合いください!
最初はとっつきにくいかもしれませんが、どうか続きを読んでみてくださいね^^
※お気に入り登録や感想がとても励みになっています。 ありがとうございます!
(なかなかお返事書けなくてごめんなさい)
※小説家になろう様にも投稿しています
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この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
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お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
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注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
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こんばんは!
真尋さんは人を育てるのが上手なので、ご安心ください!!第二小隊はより強く、賢く、精鋭部隊になっていくんじゃないでしょうか!
真尋さんが重い腰を上げたら大変なことですよ。バックにドラゴンいますからね、伝説級の(`・ω・´)b!!
妻子がいなかったら本当に全く一切情緒のない男だったと思います!
護衛騎士たちの将来はとりあえず安泰なので(目をそらす)
その満足感はお互いに得られるので……胃が強ければ、きっとついていける!! はず!!!
ありがとうございました(*'ω'*)
こんばんは。
鹿児島での地震、大丈夫でしたでしょうか?
心安らかに過ごせるよう願っております。
真尋さんを大変よくわかっていらっしゃる。
選ぶだけ選んで決められなかったら、最も似合う一着を自作し始めるのが真尋さんです!!
それは雪ちゃんも首をひねっていることなんですが、作者にも分からないです……(笑)
ありがとうございました(*'ω'*)