称号は神を土下座させた男。

春志乃

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番外編 2

僕と私の恋患い 弱虫な私の覚悟

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「あのね、ティナちゃん。僕のお話、聞いてくれる?」

 私はその言葉に、はい、とは言えずにあろうことか、咄嗟に両手でイチロさんの口を塞いでいました。
 イチロさんの琥珀に緑の混じる森色の瞳が驚いたように揺れました。こんな時でも優しい光を湛えたままの眼差しから私は顔を俯けて逃げ出しました。下を向いた拍子にまた零れそうになった涙をぐっと唇を噛み締めて留めようと試みましたが、無駄でした。私の頬を伝った涙がどこかへと落ちて行きます。
 自分の身勝手さが嫌になってしまいます。私がイチロさんを拒絶したのに、私は彼に嫌われるのが怖くて彼の口から決定的な言葉を聞きたくなくて、彼の口を塞いだのです。

「……嫌いにならないで……っ」

 顔も上げられないままの私は彼に向かって言いました。
 少しの間をおいて、イチロさんの手が優しく私の髪を撫でて、もう片方の手が彼の口を覆った私の手を外しました。そして離れていった二つの手は私の頬を包み込んで、ふわりと上を向かせてしまいました。
見上げた先にあったのは、やっぱり穏やかで優しい森色の瞳でした。

「ねえ、ティナちゃん。僕は君が思うよりもずっと君のことが好きだよ。だから、君にそんな悲しい顔をさせてしまう理由を教えて欲しい。もし、僕が君を庇って背中を打ち付けたことなら本当に大丈夫だよ、ちょっと痛かったのは本当だけど君に怪我がなかったことのほうが僕にとっては何倍も大事なことなんだ。もし君がキスを出来ないことに悩んでいるなら、その理由を教えて欲しい。僕に悪い部分があるなら、僕は全力で直すよ。僕だって君に嫌われたくはないんだもん。でももし、僕以外のことに原因があるなら教えてよ、一緒に悩んで、一緒に考えて、一緒に答えを見つけよう?」

 ね、と落とされた微笑みがあまりにも優しくて、私はぽろぽろと溢れ出した涙を止める術が分からなくなってしまいました。けれど、イチロさんがくれた思い遣りを無駄にしたくは無くて、何度も何度も頷きました。

「ここだと体が冷えるから、ちょっとごめんね」

 そう言ってイチロさんは、軽々と私を抱き上げると近くにあった椅子に私を膝に乗せたまま腰掛けました。そして私の涙と心が落ち着くまで、優しく抱き締めてぽんぽんとあやすように背中を撫で続けてくれました。

「あ、あの……イチロさん、私、あっちの椅子に……」

 落ち着いて来ると今の体勢がとても恥ずかしくなってきて、先ほどとは違った意味でイチロさんの顔が見られません。
 イチロさんは私を横抱きにしたまま座ったので、顔が近いのです。私の背中を支えてくれる腕は力強く安心しますが、恥ずかしいものは恥ずかしいのです。

「ロビン」

 すると何故かイチロさんはロビンを呼びました。視界の端っこでイチロさんの手がひらひらと動きます。それがいつもイチロさんがロビン親子に手で出す指示だと気付いた時には、お利口さんなロビンはもう一つの椅子の上できちんとお座りをしていました。ピオンとプリムがロビンの頭の上に並んで座っています。

「残念、座るところなくなっちゃったから僕のお膝で我慢してね」

 そう言ってイチロさんは、私の髪をひと房手に取って、指先に遊ぶように絡ませたり、さらさらと流れる髪の感触を楽しんだりし始めました。イチロさんはこうして私の髪に触れるのが好きなので、前より髪のお手入れに気合をいれるようになりました。
 でも、それだけじゃありません。毎日、どの服を着ようか、彼の好みはどんなのだろうと頭を悩ませて、少しでも可愛いと思って欲しいからお化粧だって毎日が研究です。お肌のお手入れだって、爪のお手入れだって、前からしてはいましたけど今ほど真剣じゃありませんでした。

「……私、イチロさんに恋をして、イチロさんに恋人してもらえてから、今までよりもずっと私を大切にするようになったんです」

 イチロさんは私の言葉が予想外だったのか、きょとんとして首を傾げています。私の髪がはらりと彼の手からするりと滑り落ちて、花びらがまたひひらと落ちました。そっと手を伸ばして、両手でイチロさんの手を握りしめて、抱き締めるように引き寄せました。私の手より大きくて男らしい手は、いつも私を大切に、大切にしてくれます。
 いつも私を大切にしてくれるイチロさんの手を縋るように抱き締めて、私は顔を伏せました。
 きっと優しい彼は、優しい眼差しを私に向けてくれているような気がして、今、その森色の瞳に自分の姿が映ってしまったら、私は甘ったれた子供みたいに泣いてしまいそうだったからです。

「イチロさんが私を大切にしてくれるから、私も私を大切にしようって思えるんです。イチロさんに悪いところなんかないんです。私、イチロさんに抱き締められるのもほっぺや髪にキスをしてもらうのも、ドキドキするけど凄く嬉しいんです。他の男の人は嫌だけとイチロさんは、イチロさんだから平気なんです。でも……キス、が……でき、ないのは……私が悪いんです……っ」

 早口に勢いだけで言い切ろうと思ったのに、どうしても最後の最後で言葉に詰まってしまいました。
 イチロさんは何も言いませんでした。でも、私の背中をそっと撫でてくれました。その手の温かさが私の弱虫な心に少しだけ勇気をくれました

「……わた、し……一年前に、男の人に路地裏に連れ込まれたんです……っ」

 ひゅっと息を飲む音が私の頭上から聞こえて来ました。

「あのっ、でも、掴まれた腕と手首に痣が出来たのと、転んで打った膝以外には、幸い怪我はなかったんです。その人は、ずっと私をつけ回していたみたいで、でも私、当時はお姉ちゃんやローサと一緒にいることが殆どで、一人になった時に捕まってしまってその時、無理矢理、押さえつけられてキスをされそうになったんです」

 震えないで、と懇願するのに私の両手はカタカタと細く震えだしてしまいました。これではイチロさんが心配してしまうから止めようと試みるのに全然うまくいきません。

「ピオンが、私の服から飛び出して男の人の顔を思いっきり引っ掻いてくれて、その隙に逃げ出したんです。飛び出した通りに偶然、ウォルフさんとカマラさんがいて、助けてくれて……っ、男の人は騎士団に連れていかれて、だから、私っ、イチロさんとあの人は全然違うのに、どうしても……あの時のことを思い出してしまうんですっ、ごめんなさい、わたしっ、わたし、ちがうのに、イチロさんとあの人は違うのに、ごめんなさい、ごめんなさい……っ」

 縋るように抱き締めていたイチロさんの手が、私の手からするりと逃げて行って、心が凍りそうになった瞬間、イチロさんの力強い両腕が私を抱き締めてくれました。

「ティナちゃんが悪いところなんて一つもないよ」

 イチロさんが紡いでくれた言葉は、なかなか私の中に納まりませんでした。

「ちがい、ます……っ、わたしが弱いから、イチロさんに悲しい思いを、嫌な思いをさせて……っ」

「馬鹿言うなよ。君に悪いところなんて、一つもない」

 少し怒気を孕んだ声を初めて向けられました。
 イチロさんは私を抱き締める腕にまた力を込めました。少し苦しいくらいでしたが、今はそれが私にとって必要な苦しさでした。だって、苦しいのに途方もない安心を私に与えてくれるのです。

「あの冷静沈着で常に無表情でキラーベアを素手で殴り飛ばして、インサニアの中にすら躊躇いなく突っ込んで行く真尋くんでさえ、若い女性が今だって苦手なままなんだよ? でもそれは真尋くんは男だし、女性なら力で勝てるから苦手で済んでいるだけだ。ティナに酷いことをしたのは、男で君はただの女の子だ。純粋な力だけじゃどうやったって敵わない相手を恐ろしく思うのは何も悪いことじゃないんだよ」

 イチロさんの言葉はとても力強く私の心を揺さぶりました。

「……ねえ、ティナ」

 イチロさんの腕の力が緩んで、たったそれだけのことなのに不安が嵐のように押し寄せて来て私は、イチロさんのシャツを握りしめる手に力を込めました。イチロさんが私の顔を覗き込んできます。

「君が本当に怖いのは、キスじゃないでしょう?」

 言葉の意味が分からずに私は首を傾げました。
 するとイチロさんの唇が私の瞼に落とされて、そこから、目じり、頬、額、そして、鼻先へと柔らかなキスが与えられます。

「だって、君は、こうやって頬や鼻先にキスをする時には怯えない。それにキスはされていないということは、キスが怖いんじゃない。キスにいたるその寸前、或は、後で何かが……もしかして、何かを言われたの?」

 私を見つめるその双眸は私の心の奥にあった隠したことも忘れてしまっていた、いいえ、無理矢理忘れた記憶を見つけ出してしまいました。

「…………ぐちゃぐちゃにしてやるって」

 精一杯震わせた喉から出たのは干からびた小さな声でした。
 脳裏にぎらつく目玉と悪魔みたいな形相が浮かび上がって、口から「ひっ」と小さな悲鳴がもれました。体がまるで自分のものでは無いみたいにガタガタと大きく震えだして、世界が真っ暗になってしまうかのような錯覚を起こして、でも、優しい森色の双眸だけは闇に全てを覆い隠されそうなっても絶対に消えませんでした。私は、それを見失うことだけは絶対にしたくないと、瞬きも忘れてその森色に縋りました。

「ぐちゃぐちゃにして、俺だけのものにするって。そのためには、わた、私を壊さなきゃいけないって……あの人、そう言って私にキスをしようとしたんです。私、逃げ出そうとして、めいっぱい暴れたけどびくともしなくて……、ピオンがいなかったら、ピオンがいてくれなかったら……」

 あの時、人見知りで私よりもずっと臆病だったピオンが、私の為に自分の何百倍もあるような大きな男に立ち向かってくれたのです。ブレットは争いごとを好みません。綺麗な花をどれだけ集められるかで争うような穏やかな気質のブレットであるピオンが男の目玉を引っ掻き、鼻先に噛みついたのです。そして、男に払いのけられる寸前でその手を避けて私の胸元に帰って来て、私の鎖骨の辺りを噛みました。それは甘噛みだったけれど、私を正気付かせるには十分で、私はピオンを抱き締めるようにして悶絶する男の脇を通り抜けて逃げ出しました。

「追いかけて来る時に、ずっと……逃がさないって、お前が悪いんだ、殺してやる、壊してやるって……っ、こわいの、私……っ、わたし、怖いの……っ」

「ティナ」

「……イチロさん、わたし……わたし…………こわさないでっ」

 最後の言葉が口から出た瞬間、私はイチロさんに強く強く抱き締められていました。
 息を吸えば、いつものイチロさんから香る紅茶の香りに煙草とお酒の匂いが混じっていました。でも、そこに混じるのは間違いなくイチロさんの匂いで震える心がその香りを吸い込む度に少しずつ落ち着きを取り戻すのです。

「……怖かったね。でも、大丈夫だよ、僕はティナを壊したりなんかしない」

 耳に唇が掠めるよな近さでイチロさんの声がしました。

「僕はティナを絶対に傷付けたりなんかしない。僕はこれからも僕の全てで君を守るよ。キスなんて出来なくても良いよ、その先だって出来なくたっていいよ。僕は、君が……ティナが僕の隣で笑っていてくれたら、それでいいんだよ」

「……イチロ、さん」

「そんな怖い思いをしたのに、今だって震えているのに、僕を……僕に恋をしてくれて、僕を好きになってくれて、僕を特別にしてくれて、ありがとう」

 少しだけ離れたイチロさんが私の顔を覗き込んで、笑っていました。
 それは、私の大好きなイチロさんの優しい笑顔でした。ずっとずっと見ていたいのにどうしてか視界がだんだんと潤んで見えなくなってしまうのです。

「ねえ、ティナ。僕は、君を壊すんじゃなくて、僕は君と未来を作っていきたいよ。楽しい思い出を溢れるくらいに、幸せな思い出に溺れてしまうくらいに一緒に生きていきたいよ。そうやってティナと未来を作っていきたいんだ」

 イチロさんの目からぽろぽろと綺麗な涙が落ちて、私の濡れた頬をまた少し濡らしました。私はその涙に触れたくて、彼の頬に手を伸ばしました。

「……恋なんて、出来ないって思ってたんです。男の人が怖くて、だから……でも、あの日、イチロさんは、とっても柔らかく笑っていたから……貴方の笑顔に私、恋してしまったの」

 両手で包み込んだイチロさんの頬は、温かくて涙に少しだけ濡れていました。

「君が好きだって言ってくれるなら、幾らでも僕は君だけに特別な笑顔を贈るよ」

 私の手の中でふわりと花開くように柔らかい笑みが咲きました。
 イチロさんは、私の右手を取って、手の甲にキスをしました。そして、冷たい何かが薬指に触れたかと思うと、そこに琥珀に緑の混じる小さな輝く石が嵌められた銀色の指輪がありました。

「右手の薬指の指輪は約束を意味するんだけどね。だからさ、うん……なんか、いざとなると照れるなぁ」

 イチロさんは、困ったように眉を下げてへにゃりと笑いました。彼のふわふわの淡い茶色の髪から覗く耳が赤くなっています。
 イチロさんは私を抱き上げて立ち上がったかと思うと私だけを椅子に座らせて、私の足元に片膝をつきました。そして、私の右手を手に取り、コホンと咳払いを一つしました。森色の瞳が真っ直ぐに私を見つめます。

「ティナさん。君が十八歳になったら僕と結婚してくれませんか?」

 今度は私が息を飲む番でした。びっくりし過ぎて涙が止まりました。呆けたみたいに私は、ただイチロさんを見つめ返しました。

「僕は見習い神父で、教会というものを背負っていく以上、君に迷惑をかけることも、心配させてしまいこともあると思う。正直、僕は僕が本当はどこから来たのか、僕はどうしてここにいるのか君に話せていないし、いくつかの秘密もある。……でも、それでも自分勝手で我が儘な僕はティナと一緒に歩む未来が欲しいんだ」

「そ、その、秘密は……婚約者がいたり?」

「いないよ、そんなもの! 前にも言ったけど僕には奥さんも婚約者も恋人だっていなかった。僕にとって正真正銘、君が初めての恋人だよ」

 イチロさんが慌てたように首を横に振りました。
 さっきまで心の中は嵐にあった後みたいに不安や恐怖が溢れて、色んな記憶が散らばっていたのに、何だか今は、イチロさんへの愛情だとかその言葉に感じる倖せだとか、そういう温かいものが溢れて、くすぐったくて心地よいのです。
 私は、薬指で輝く指輪を指先でそっと撫でました。楕円形でつるりと丸い小さな小さな小粒の石はイチロさんの瞳と同じ色をしていました。銀色のリングは細くシンプルですが私の指にぴったりです。月明かりの中で私の薬指に輝くそれはキラキラと月の光を反射してとても綺麗でした。

「……あ、の、初めて作ったから、その、凄くシンプルになっちゃってね、本当はもっと凝りたかったんだけど、二年後、本物を渡す時までには腕を上げておくから!」

「これ、イチロさんが作ってくれたんですか?」

 思わぬ事実に私は驚いて顔を上げました。イチロさんは、うん、とこそばゆそうに頬を掻いて視線を逸らしました。

「仕事の合間に職人さんとこにちょっと通ったんだ。その石は、魔石を加工したもので僕の魔力が込めてあるんだよ。ティナを護るお守り代わりにと思って……それに、ええっとね、真尋くんと雪ちゃんがお揃いの指輪をしてるの憧れだったんだよね。なんだかそこに愛があるみたいで、傍に居なくても君を感じられるような気がして、だ、だから……実は、僕の分もあったり、えへへっ」

 イチロさんはどこからともなく指輪を取り出しました。彼が親指と人差し指で摘まむその指輪は私のものと同じデザインでしたが石はまだ空っぽなのか透明でした。
 イチロさんは、照れくさそうに笑ってそっぽを向いてしまいました。青白い月明かりの中でも、イチロさんの白い頬が赤くなっているのがよく分か分かります。でも、指輪を持つ手は微かに震えていて、イチロさんだって私と同じで拒絶されるのが怖いのだと気付きました。
 私は、イチロさんの指輪を両手で包み込んで、小さな魔石に魔力を流し込みました。イチロさんの魔力には劣りますし、私の魔力ではインサニアは追い払えないし、魔獣だって倒せないでしょうけど、でも、イチロさんが悲しい時に寄り添っていられるように。イチロさんが幸せな時に隣で笑っていられるように願いを込めて、魔力を流し込みました。
 ゆっくりと手を離すと指輪に嵌められた魔石は私の瞳と同じ鮮やかな青に輝いていました。私は、信じられないものを見ているかのような顔をしているイチロさんが可笑しくて、ちょっと笑ってしまいましたが、彼の指からその指輪を抜き取りました。

「イチロさんも、右手の薬指でいいんですか?」

「う、うん……」

 呆然としたまま頷いたイチロさんが差し出してくれた右手を取ります。
 そして、薬指にそっと指輪を嵌めました。私の指輪よりも一回り大きな指輪は当たり前かもしれませんがイチロさんの指にぴったりでした。隣の小指にあるエメラルドの嵌められたくすんだ銀の指輪と並んで収まる指輪は元からそこにあったかのように馴染んでいます。私の指に飾られた指輪も彼の目にそう映ってくれたらいいなと思いました。
 私は、ふーっと息を吐きだしてまだ跪いたままのイチロさんを見下ろします。なんだか不思議と心がふわりと軽くなっているような気がしました。

「……イチロさん、あの、わ、我が儘を言ってもいいですか?」

 緊張に声が上ずってしまいました。
 イチロさんは、もはや反射的に「うん」と頷きました。

「わ、私もイチロさんのお嫁さんに、なりたいです。そ、それに……それにですね……っ、いつか、イチロさんにそっくりな子どもが欲しいです……っ」

 彼の赤かった顔がますます赤くなりました。でも、多分、私も同じだけ赤い顔をしていると思います。
 けれど私は意を決して、イチロさんの熱い頬を両手で包んで、体を屈めて触れるだけのキスを試みました。ただちょっと目を瞑るタイミングが早かったので、初めてのキスは唇の端っこになってしまい、大成功とは言えませんでしたが私にしては素晴らしい成長だと思います。
 イチロさんは私の手の中で真っ赤な顔のまま完全に固まってしまいました。

「ま、まだ……イチロさんからのキスは、こ、怖いので……でも、私からなら、頑張れば、こ、こうやってできるので……すごくすごく時間はかかってしまうかもしれませんし、イチロさんに迷惑をかけてしまうこともあると、思うのですが……キスも、その先も、二人で一緒に……一緒に悩んで、一緒に考えて、一緒に二人だけの答えを見つけてくれませんか?」

 ドキドキと心臓がうるさいです。きっとこんな大きな音はイチロさんの耳にだって届いているんじゃないかと思えるほどに激しく脈打っています。顔は熱くて火が出そうですし、正直、もう緊張と羞恥とほんの少しの不安で手も体も震えてしまって、溢れ出した花びらが足元に徐々に降り積もって行きます。
 何秒も何十秒もお互いに赤い顔で見つめ合ったまま固まっていたような気がするのですが、気付いた時には立ち上がったイチロさんに抱き締められていました。

「ティナ!」

「は、はい」

「僕、幸せ過ぎて泣きそう!」

 私の肩に顔を埋めたイチロさんが元気よく言いました。私はイチロさんの首に腕を回して抱き締め返しました。

「私もです、イチロさん」

「大好きだよ、ティナちゃん。ううん、愛してるよ、ティナちゃん」

 ちょっとだけ涙に上ずった幸せなそう声が愛の言葉をくれました。私はイチロさんをきつく抱き締め返して頷きました。

「私もイチロさんが大好きです。……愛して、ます」

 一瞬、強く強く息が詰まるほど抱き締められたかと思ったら、イチロさんは私の頬を右手で包み込みました。
 ふわりといつものように私の額にキスが落とされます。

「僕もこう見えて男だから、下心も欲もあるよ。キスもしたいし、その先もしたい。だって僕はティナを愛しているんだもの。だからさっきの言葉にだって嘘はないんだ。君の笑顔を曇らせるならそんなことは出来なくたっていい。……僕にとって一番大事なのはティナが笑っていてくれることだから。でも、君が同じように望んでくれるなら失敗しちゃうことも、焦っちゃうことも、あるかもしれないけど……僕も君と答えを見つけたいよ。たくさんお話ししよう? 不安なことはちゃんと教えて、怖かったら殴っても良いよ。僕も嫌だったら嫌だって言うし、不安だったらちゃんと言うから」

 そう言ってイチロさんは、私の大好きな柔らかで優しい笑顔を浮かべてくれました。私もつられて自然と笑顔になってしまいます。
 私とイチロさんの間にぽとり、ぽとりと私の髪色と同じ大ぶりの花が落ちました。私の感情が幸福で満たされて咲いたその花を一つだけ手に取るとイチロさんは、いつかのように私の髪に花を飾って、嬉しそうに目を細めました。

「可愛いよ――My lovely flowerfairy僕の愛しい花の妖精さん

「イ、イチロさん、今、何て言ったんですか?」

「内緒。僕の生まれ故郷の言葉だけど、そうだなぁ、ティナが上手にキスが出来るようになったら意味を教えてあげるよ」

 初めて見る意地悪な笑みでした。
 でも、どうしてかそんな笑顔にも私はドキドキしてしまうのです。キスはまだまだ当分、上手には出来そうにありません。そもそも上手の基準がよく分かりませんし、さっきのはとってもとっても勇気を出したのです。一晩に二回も三回も無理です。羞恥で寿命が縮まってしまいます。

「さあて、ティナ」

「は、はい」

「夜も遅いけどまだキスの練習をする? それとも寝る?」

「ね、寝ます!」

 即答した私にイチロさんは、くすくすと可笑しそうに笑いました。ちゅっと頬にキスをされて、ひょいと抱き上げられます。イチロさんは細身なのにいつも私を軽々と抱き上げてしまうのです。見た目に反したその男性らしい部分にトキメキを隠せません。

「なら、寝ようか。勿論、いつもどおり僕のベッドでね。ティナを抱き締めて寝ないと最近、眠れないんだよねぇ。ロビン、ピオン、プリム、おいで」

 イチロさんが声を掛けるとロビンが椅子から降りてこちらにやってきます。ピオンとプリムは、私から落ちた自分たちの頭よりも大きな花を一つずつ短い両腕で抱えて、しゃがんでくれたロビンの鼻先を階段代わりにその背中に乗っかりました。二匹とも食い意地を張り過ぎです。

「ティナ、寝る前にさ、ほっぺでいいからもう一度、キスをして欲しいなぁ」

「ほっぺなら、が、頑張ります」

 私が頷くとイチロさんは嬉しそうに顔を綻ばせました。
 なんだかイチロさんとの心の距離がぐっと縮まったような気がします。いえ、気では無くて本当に縮まったのです。私とイチロさんは、お互いを想う余りに大事な一歩が踏み込めなかったのです。でも今は、そうではありません。お互いに踏み込んだ一歩のお蔭で、私はイチロさんを前よりもっと好きになってしまいました。

「あー、これから毎日、ティナにキスしてもらえるかと思うと楽しみだなぁ。あ、ねえねえ、今度、定期便が来たらご両親とお姉さんに僕からもお手紙を出してもいいかな?」

「は、はい。勿論です」

 こくこくと私は頷いて返しますが、手紙云々の前になんだか聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がします。私はそんな約束をした覚えも言った覚えもありません。でも、イチロさんは何だかとてもご機嫌な様子です。

「ティナは大事な大事な娘さんだもんね、挨拶はしっかりしないと。挨拶より先に同棲しちゃったからお義父さん怒るかなぁ……でも結構、外堀は埋めてあるから大丈夫だと思うんだよね。クイリーンさんも僕の味方になってくれるって約束してくれてるし、ローサちゃんにソニアさんたち・・もね。それにさ二年は長いけど、その間の楽しみ方も色々とあるし、味見くらいなら許されるよね。ふふっ、頑張ろうね、ティナちゃん」

 色々と本当に色々となんだか聞き流してはいけない言葉が端々に散らばっていたような気がするのですがイチロさんは、相変わらず無邪気に笑っているので、もしかしたら私の聞き間違いかもしれません。そうです、きっと、そうです。だって彼は神様に仕える聖職者なのですから。

「ティナ」

「は、はい!」

「一緒に幸せになろうね」

 ふわりと笑ったイチロさんに私はやっぱり気のせいですね、とほっと胸を撫で下ろしながら、はい、という返事と共に笑顔を返しました。
 けれど、私はこの時、すっかり忘れていたのです。
 イチロさんはあのヴェルデウルフを三頭も従える方であのマヒロ神父さんの右腕だということを、幸せのあまりにすっかり忘れていたのです。
 それから毎晩、やけに楽しそうなイチロさんに翻弄されることになったのはまた別のお話です。






――――――――――――
ここまで読んで下さって、ありがとうございました!
いつも閲覧、感想、お気に入り登録、活力を頂いております><

最終的には甘々ハッピーエンド!で無事に終わらせられて良かったです♪
ちょっとだけオマケをご用意しましたので、そちらも楽しんで頂けたらなと思っております。
オマケの更新予定は、明日の朝です。朝ですが予定ですのでズレる可能性が80%くらいあります!!!!

次のお話も楽しんで頂ければ幸いです(*’ω’*)
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