称号は神を土下座させた男。

春志乃

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本編 2

第三話 頭を抱えた男

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「まあ、素敵なお部屋ね!」

 アマーリアが少女のように顔を輝かせ、急ごしらえで用意された客間を見渡している。
 カマルが貸してくれたのは、彼の家で女性の客人向けに用意されていた客間の家具だった。上品ながらも可愛らしさがある。
 ダブルサイズの天蓋付きベッド、生成りの糸で薔薇の緻密な刺繍が施された若草色のソファ、飴色のテーブルと他にドレッサーとクローゼット、チェストがあった。さりげなく花が飾られていたり、ベッドにはレースのカバーが掛けられていたりと可愛らしく整えられていた。先ぶれは出しておいたので多分、クレアとプリシラがしてくれたのだろう。

「何か入用のものがあれば、何なりとお申し付けください」

「いいえ、これで十分です。急なことだというのにこんなに素敵なお部屋をご用意くださって、ありがとうございます」

 アマーリアが丁寧に頭を下げるので「困った時はお互い様です」と返して顔を上げるように促した。
ほっとしたように表情を緩めたアマ―リアが「探検していいかしら?」と部屋の中をキョロキョロと見ながら言うので、どうぞ、と返すとシルヴィアの手を引き、部屋の中を探検し始めた。母子は、きゃっきゃっとはしゃぎながら楽しそうにしていて、侍女のリリーは、真尋にお礼を言うとその様子を微笑まし気に眺めていたが、エドワードが馬車から降ろした大きな鞄を持ってくるとお礼を言って、ドレスや小物類をクローゼットにしまい始めた。
 気に入って貰えたようで良かったとそれを眺めているとぐいっと服の裾を引っ張られて顔を向ける。

「おい、神父! 俺の部屋はどこだ?」

 レオンハルトが首を傾げていた。

「ここだ、クソガキ」

 屋敷や城では、レオンハルトとシルヴィアは自分の部屋で寝起きしているらしいが、警備上の関係で三人は当面、同じ部屋で寝起きをしてもらうことになっている。
 隣は侍女のリリーの部屋になっていて、反対隣は護衛騎士であるダフネとアイリスの部屋だ。

「なっ、こんな女みたいな部屋で過ごせっていうのか!」

 レオンハルトが紅い瞳をぱちりと瞬かせた。
 まあ、確かに女性向けの部屋であるのは間違いない。確かレオンハルトはミアと同い年、男と女は別だと認識しているし、丁度、男らしいものにこだわったり、女らしいものを嫌がり出す年齢でもあるから、その言い分も分からないでもない。

「俺にもちゃんと部屋を用意しろ!」

 領主様は夫婦の信頼関係の構築だけではなく子育てにも失敗し始めているのでは、と思いながら真尋は膝をついてレオンハルトと目線の高さを合わせる。

「レオンハルト様のお父上は文武に優れたお方だと聞いております。私も何度かお会いしておりますが、颯爽として博識で懐が深い素晴らしい領主様です」

「ああ! お父様は素晴らしいひとだ!」

 レオンハルトが父親によく似た顔に笑みを浮かべて、誇らしげに小さな胸を張った。
 領主様、今ならまだ子育ては修正が大いに効きますよ、と真尋は心の中で進言し、レオンハルトの耳に口を寄せ、こそこそと内緒話をするように言葉を紡ぐ。

「でしたら、その素晴らしいお父上ご自慢のレオンハルト様を一人の男と見込んでお願いがあります。ここは城館や屋敷と違い、警備をする近衛騎士を置くことが出来ません。なので、レオンハルト様がダフネやアイリスのようにアマーリア様とシルヴィア様を護る騎士となって下さい」

 レオンハルトの紅い瞳が見る見るうちに輝いていき、白い頬が紅潮する。

「神父、俺は将来、お父様のような強く素晴らしいひとになりたいんだ。だから、その任務、受けてやるぞ!」

「流石はレオンハルト様です。領民としてこれほど心強いことはありません、お母様とシルヴィア様をどうぞ、よろしくお願いしますね。では、部屋の様子をよく見て、ご自分で警備計画を立てられると宜しいかと思いますよ。後で参考にしたいので教えてくださいね」

「うん! そうだな! 任せておけ!」

 そう元気よく頷いて、レオンハルトはぱたぱたと部屋の様子を見に駆け出していく。その小さな背が微笑ましくて、くすくすと笑いながら真尋は立ち上がる。

「流石ですね、扱いがお上手です」

 エドワードと共に荷物を運び入れるリックが感心したように言った。視線の先でレオンハルトは、クローゼットの中を調べたり、カーテンの裏を確認したり、ベッドの下に不審者がいないか見回っている。

「あの手の性格は扱いやすいからな……まだ荷物はあるか?」

「いえ、これで最後です」

 リックは手に持った大きなカバンを軽く掲げて言った。

「なら、それが片付いたら下へ行こう」

「分かりました」

リックはその鞄をクローゼットの前で忙しなく仕事をしているリリーの下に運ぶ。リリーはエドワードが運んだ大きな革の鞄からドレスを取り出し、あれこれ確認しながら再びせっせとクローゼットにしまっていく。ここから見る限り、どのドレスも質素な色とデザインだ。
 実はまだ、子どもたちやジョシュアたちには彼らを紹介していない。プリシラとクレアには、客人を連れて帰ることと暫く滞在する旨は報せたが、仔細は報せていないのだ。

「どうなることやら」

 ため息交じりに呟いて、真尋は部屋を後にしたのだった。









アマーリアはマリアと名前を変えることになった。王都で宝石商を営む商家の若奥様で仕事ばかりで家庭を顧みない夫と喧嘩をし、遠縁のカマルを頼って世話係と子供たちを連れてこんなところまでやって来たという設定だ。ダフネとアイリスは護衛騎士ではなく、道中で雇った冒険者ということにした。護衛依頼も冒険者の仕事の一つだからだ。
 ウィルフレッドやカマルと仔細に決めたその設定を踏まえて、アマーリアを紹介したのだが、早くもその設定はボロを出し始めていた。

「初めまして、マリアと申します」

 アマーリアが完璧な淑女の礼を披露する姿に真尋と侍女のリリーとダフネは天井を仰ぎ、一路とリック、エディは苦笑を零し、ジョシュアとレイは頬を引き攣らせ、プリシラとティナ、クレア夫婦とジョンとミアはにこにこしている。サヴィラは、やけに冷めた目で真尋を見つめて「どういうこと?」と言わんばかりの顔をしていた。
 商家の若奥様としての挨拶でと言ったんだがなぁ、と思ったところで所詮は、箱入り娘だ。無理な話だったのだろう。仕事から帰ったばかりで事情を知らないジョシュアとレイがつかつかと此方にやって来る。

「何で、領主夫人がここにいるんだっ」

「アマーリア様だろ、どっからどう見ても!」

 小さな声で叫ぶ器用な二人に肩を掴まれる。

「……何だ、面識があるのか」

「あるに決まってるだろ。インサニアの時、砦から帰還する領主夫人と子どもたちを護衛したメンバーに俺とレイも入ってたんだからな」

「それがなんでここにいるんだ」

「後で詳しく説明してやるが、夫婦喧嘩の末に家出して来て、うちで預かることになった。マリアっていうのはここで暮らす時の偽名だな」

 呆気にとられる二人の腕を肩から退けて、真尋はアマーリアに顔を向ける。

「マリア、紹介します。こちらは冒険者をしている……」

真尋が紹介しようとするがそれより早くアマーリアが口を開く。

「まあ、お二人ともお久しぶ」

「若奥様っ、確かにお二人は若旦那様の従兄弟殿にそっくりですが、別人で御座いますよ!」

 リリーがアマーリアの口を塞いで大袈裟に言った。するとアマーリアは自分の設定を思い出したのか、はっとしたように顔になり、リリーの手を軽くたたいて外させる。

「そうだったわ、初めましてですわね、レイさん、ジョシュアさん」

 リリーとダフネが頭を抱え、ジョシュアとレイも頬を引き攣らせている。アマーリアは、初めましてなのに名乗ってもいない二人の名前を知っているという間違いに気付かずに、にこにこしている。アマ―リアがこの町の商家の若奥さんならジョシュアとレイを知っていてもいいが、設定上、彼女は王都の人間だ。知っていたらおかしい。

「一路を超えるド天然だな」

 真尋はしみじみと呟いた。リックとエドワードが、うんうん、と深く頷いている。
 すると何を思ったのかサヴィラがすっと前に出て来た。今日のサヴィラは、大事な客人が来るからと言づけてあったので真尋が仕立てた深い蒼を基調としたトラウザーズに同色のベストとジャケット、白のワイシャツにリボンタイ、というどこからどうみても良家の息子という出で立ちだ。淡い金色の髪も首の後ろでミアが選んだ彼の瞳と同じ色のリボンで緩く結ばれている。我が息子ながら、その姿は品があり、どこに出しても恥ずかしくない立派な佇まいだ。流石は我が息子。
 前に出て来たサヴィラにアマーリアがきょとんとしている。サヴィラは、女の子のように整った美貌にたおやかな笑みを乗せる。

、初めまして。マヒロ神父の息子、サヴィラと申します」

 サヴィラが完璧な貴族・・の令息としての挨拶をする。その上、きちんと領主夫人に対する最大限の敬意を払っているし、流石は勤勉で優秀な我が息子、きちんと領主夫人の名前を覚えていたようだ。
 するとアマーリアが反射的に左手を出してしまう。サヴィラはその手を取り、優雅に口づけるふりをしてから体を起す。何故かシルヴィアがサヴィラを見つめて、ぽーっとしている。レオンハルトは「お母様……」と困ったような顔をしていた。

「まあ、貴方が神父様ご自慢の御子息なのね。とても優秀だと聞いていますわ」

「勿体ないお言葉です、アマーリア様」

 はしゃぐアマーリアの背後でリリーとダフネは目が死んでいるし、真尋たちも天井を仰ぐ以外に現実逃避の方法が見つからなかった。
 鎌をかけた我が息子は「どういうこと」とやっぱりこっちを見て説明を求めている。
 暫し天井を見上げて、修復されたシャンデリアの見事な輝きを眺めた後、一度、目を閉じて全て思考を一新する。
 
「よし、作戦を変更しよう」

 真尋はそう宣言して顔を息子に向けた。
 もうこの作戦は、作戦になっていないので潔く捨てることにした。

「改めて紹介する。こちらは、アマーリア・アルゲンテウス様。アルゲンテウス辺境伯夫人だ」

 サヴィラが、やっぱり、と小さく呟くのが聞こえた。
 流石ににこにこから不思議そうな顔になっていたプリシラたちがぱちりと目を瞬かせて固まる。よく分かっていないジョンとミアだけは相変わらずにこにこしていた。人見知りを発動させたリースはプリシラのスカートの影に隠れている。

「夫婦喧嘩をして、家出をしてきたのは残念ながら事実だ。なので、当分、我が家で預かることになった。防犯上、先ほど説明した通り、表向きは王都の宝石商の若奥様のマリアだ。もしも外に出た際は、皆がその辺をフォローして隠し通すように」

 こうなったらもう皆を巻き込むしかない。そうでもしなければ、すぐにバレる。だって既に挨拶一つでバレている。

「アマーリア様、そういうことですので作戦は変更して町に出たらマリアになって下さい」

「あら、分かりましたわ。お家の中では、アマーリアで良いんですのね」

 のほほんと笑っているアマーリアに頭が痛くなってくる。リリーとダフネが、申し訳ありません、と頭を下げるのに軽く手を上げて大丈夫だと返す。

「それでは、紹介します。こちらはご存知の通り、Aランク冒険者のジョシュアとレイです」

 ジョシュアとレイが、お久しぶりです、と改めて頭を下げる。

「こちらはジョシュアの妻のプリシラ、スカートにくっついているのが二人の末の息子のリース。そちらは庭師のルーカスとその妻クレアです」

 三人が慌てて頭を下げて挨拶をする。
 一路がティナの隣へと移動し、彼女の腰に手を添えてアマーリアに紹介する。

「アマーリア様、僕の婚約者のティナです。冒険者ギルドで受付嬢をしています」

 婚約者、という言葉にティナが顔を赤くしながら「初めまして」と蚊の鳴くような声でスカートを摘まんで腰を折った。

「僕は、カロル村のジョシュアの息子のジョンです!」

 ジョンが元気よく挨拶をする。人懐こい無邪気な笑顔にアマーリアが「お父様にそっくりね」と微笑ましそうに目を細めた。

「先ほど自己紹介は済ませましたが、私の自慢の息子のサヴィラと可愛い娘のミアです」

 サヴィラがお辞儀をして、ミアがサヴィラの隣に立って、真尋が以前、教えた通りにスカートの裾を摘まんで挨拶をする。今日のミアは、サヴィラとお揃いの深い蒼に白いレースをあしらった清楚で可愛いワンピース姿だ。まるで妖精のように愛らしい。腕にはお揃いの服を着たラビちゃんをしっかりと抱えている。

「初めまして、マヒロ神父の娘のミアです」

 にこっと愛らしい笑顔を浮かべたミアに今度はレオンハルトが顔を赤くして固まった。アマーリアはそんなことには気付かず、ご挨拶なさい、と紅い顔で固まる息子と娘の背をそっと前に押し出す。

「レ、レオ、レオンハルトだ! な、なか、仲良くしてやってもいいぞ!」

 レオンハルトが盛大にどもって、まるでロボットのようなぎこちない動きで手を出した。きょとんとしたミアは、すぐに笑顔になってその手を握り返して握手を交わす。するとますますレオンハルトが赤くなった。まるで完熟のトマトのようだったが真尋は自分がいつにもまして無表情になっているのを感じていた。ジョンはジョンで、あわあわしている。

「と、特別に、レオンって呼んでいいぞ! お、俺もミアって呼ぶからな!」

「レオンくん、お顔真っ赤よ? お熱があるの?」

 ミアが心配そうに首を傾げる。

「お熱なんて一切ないから大丈夫だぞ、ミア」

 真尋は大人げなくひょいとミアを抱き上げる。

「パパ、でもレオンくん、あんなに真っ赤よ?」

「大丈夫。馬鹿は風邪を引かないからな」

「真尋くん、馬鹿呼ばわりしちゃだめだよ。一応、次期領主様だからね」

 一路の冷静なツッコミが入るが真尋は聞こえないふりをする。

「わた、わたくちは、シルヴィアですわ……っ」

「俺は、サヴィラです」

 真尋にした時とは打って変わって、シルヴィアがもじもじしながらサヴィラに挨拶をする。膝をついて挨拶を受けたサヴィラは、差し出されたシルヴィアの右手に口づけるふりをして、きちんと挨拶を返していた。シルヴィアも、ぼふんと赤くなると離された右手を大事そうに抱き締めながらアマーリアのスカートに顔を隠してしまった。サヴィラが不思議そうに首を傾げている。周りの大人は、微笑ましいものでも見るかのような温かい眼差しを向けていた。
 サヴィラは男だし、嫁は貰う立場なので真尋は寛大な心で見守ることにした。だがミアは別だ。絶対にやらん。相手が誰であろうが絶対にだ。ジョンは長男だが、ミアへの愛を貫く覚悟があるのならリースという次男がいるので婿入りもやぶさかではないと本人も言っているので大目にみているだけだ。レオンハルトは何がどうしてどうやってもミアの嫁入り一択になるので問答無用で却下だ。

「真尋くん、大人げなさが天元突破してるよ。相手は六歳児だよ、あと君は神父様だよ」

 勝手に人の心を読んだ一路が呆れたように言った。

「何のことかさっぱりと分からんな。あと俺はプライベートと仕事はきっちりと分ける主義だ。さあ、さっさと夕食にするぞ」

 真尋はそう告げて、場の空気を変えようと試みたのだった。






 自己紹介のあと、いつものように「いただきます」と真尋が食事の挨拶をしようとしたところでアマーリアに少し時間を下さいと言われ、そこで「領主夫人というのは変わらないかもしれないですが、この屋敷に居る間だけはただのアマーリアとして接して欲しい」と彼女は自ら皆に願った。それに最初に応えたのは朗らかに笑うプリシラで夕食の間に二人はあっという間に仲良くなった。リリーとダフネは主人と同じ席に着くのを渋ったが、それが当家の決まりだと諭すとエドワードとリックの向かいの席に腰を落ち着けてくれた。
 それからは、特に問題も無く和やかに夕食は過ぎていった。アマ―リアが「温かい食事は久しぶりだわ」と顔を綻ばせて、レオンハルトとシルヴィアが美味しそうにスープを飲む姿には何とも言えなかった。やはり毒見という工程を経るため、彼女たちの口に入る頃には冷めきっているのだろう。そんな彼らに他の面々は首を傾げていたが、サヴィラだけはその言葉の意味が痛いほど分かってしまったようで、一瞬、能面のような顔になったあと、いつもより少しだけ時間をかけて食事をしていた。
 とはいえ、デザートを食べ終わるころには、アマーリアたちも打ち解けていて食事自体は和やかに過ぎていった。
 子どもたちは子どもたちで、それなりに仲良くなったようだった。
同年代の子どもと接する機会のなかった兄妹は、なんだかんだレオンハルトはジョンに懐き、シルヴィアはミアに懐いた。リースはまだまだ人見知り中だがその内、慣れるだろう。サヴィラは弟妹を見る優しい兄の顔で彼らを見守っていた。サヴィラは貧民街でネネと共に子育てをしていただけはあって、とても面倒見が良いし、気が利く上にそこいらの大人よりしっかりしている。第三子を妊娠中のプリシラから「本当に助かっているの」とこの間、お礼を言われたほどだ。
 夕食を終えた今は、広いサロンのふかふかの絨毯の上でレオンハルトはジョンからカロル村の話を聞いて目を輝かせている。村の豊かな自然を利用した遊びは、活発なレオンハルトの好奇心を大いに刺激しているようだ。鬼ごっこもしたことがないというので早速明日、我が家の庭でする約束をしていた。
 ミアとシルヴィアは、ミアのラビちゃんで仲良く遊んでいる。シルヴィアがミアのラビちゃんをとても気に入っているようなので、今日、この後にある会議の間にシルヴィアの分も作ってあげる予定だ。ミアのウサギを作った時に使った白いふわふわの布がたっぷり余っているので同じものを作る予定だが、目の色を変えてお揃いにするのだ。ミアのは赤なので、シルヴィアは青にしよう。騎士団の執務室に置いてある裁縫箱には、青のガラスビーズがあったはずだと記憶している。
 自分で思い出しておいて嫌になるが、現実逃避したところでこの後の予定が流れるとは思えない。今日はこれからもう一度、騎士団に戻らなければならないのだ。アマーリア親子の警備計画についてと何やら視察に出かけた領主のほうでも色々あったらしい。夕食直後に使者が来て領主様から緊急連絡があったとかで一足先に一路とエドワードとリックが騎士団に行っていて、今はリックが今夜、庭で警備をしてくれる騎士たちを連れてくるのを待っているのだ。一応、今夜は裏庭にロボ、表にブランカとロビンを配しているが、細かい目配りは必要だろうというウィルフレッドの配慮だった。テディは寒いのが嫌だと暖炉から離れないので屋敷内の警備要員だ。
 サロンには子どもたちと子どもたちを見守るルーカスと真尋だけで、プリシラとクレアがアマーリアたちに屋敷の中を案内している。リリーとダフネは渋っているが、アマーリアは明日から洗濯や掃除も自分でする気らしく、夕食後、意気揚々と乗り出して行った。今日のプリシラは随分と体調が良いようで夕食も良く食べていたし、顔色も良かった。このままつわりが落ち着いてくれれば周りも安心なのだが、こればっかりはお腹の中の赤ん坊次第なので何とも言えないものだ。

「若奥さんのおかげで、明日も賑やかそうだなぁ」

 よっこいせと抱っこを強請ったリースを膝に乗せながらルーカスが言った。

「また洗濯室が泡だらけになったりしてなぁ」

「あわあわ、たのしかった」

 ルーカスの膝に乗ったリースが内緒話をするようにルーカスに言った。そうかそうかと笑ってルーカスがリースの小さな頭を撫でた。
 あの日はしこたま一路に叱られたなと遠い目になる。
たくさん入れたら綺麗になると確信した上で洗剤を投入したのだが洗濯室が泡まみれになって廊下にまで泡がはみだし、サヴィラとミアとリックにまで怒られた。プリシラとクレアには説教こそされなかったが、二人はにこにこ笑いながら洗濯室のドアに「マヒロ神父様立ち入り禁止」という紙を貼った。ルーカルとジョシュアは悪気はなかったんだもんなと真尋を慰めてくれたが、レイは腹を抱えて笑っていたので、翌朝の鍛錬で噴水のある池に投げ込んでやった。ぎゃあぎゃあ喚いていたがカギをかけて締め出して無視した。

「……そういえば、クレアももとは良い家の娘だったんだろう? 家事に不自由はなかったのか?」

 ふと投げた問いにルーカスが、昔を懐かしむように、ははっと笑った。

「神父様を笑えんくらいに新婚の頃は散々だったさ。実家じゃ何不自由なく育って家事全般は使用人がやってたからなぁ、オレもまだ若かったから収入なんてラスリの涙、誰かを雇うなんて無理だった。クレアは裁縫だけは趣味でやってたから出来たんだがそれ以外はさっぱりでな。だがクレアは真面目で努力家だったから近所の奥さんたちが可愛がってくれて、料理も掃除も洗濯も教えてくれたんだよ。最初の頃は料理もなんか黒かったり、しょっぱかったり、逆に甘かったり、異様に辛かったりしたけどな」

 カラカラとルーカスは可笑しそうに笑った。

「でも、実家にいた頃に比べれば天と地ほどもある貧乏暮らしだったのに、泣きごと一つ言わなくて、逆に毎日、にこにこ笑顔で迎えてくれて、この奥さんのためにもっと頑張ろうって思えた。あいつのお蔭で今のオレがいるんだろうなぁ」

 その顔に浮かぶ笑みには、懐かしさと一緒に愛しさが浮かんでいた。
 雪乃だって、最初から全てが上手だった訳ではない。生焼けだったり、薄味だったり、その逆だったりと色々あったし、アイロンに失敗してワイシャツに変な線が入っていたり、柔軟剤と漂白剤を間違えたりと色々とあったが、それでも真尋は嬉しかった。彼女が真尋のために何かをしようとしてくれるその気持ちがとても嬉しかったのだ。そして、そんな雪乃だからこそ真尋も彼女に相応しい男であろうと常に心掛けていた。生憎とどういう訳か家事の腕だけはどれほどの愛があっても上達しなかったが。

「神父様は結婚して長い……ん? まだ十九だからそんな訳はないか。神父様は大人びているから、つい間違えちまう」

 ルーカスが申し訳なさそうな顔をしたので、気にするなと肩を竦める。
 年齢を上に見られるのはいつものことだった。イチロとは逆の意味で年相応にみられたことがこれまで一度もない。

「結婚期間は一年ほどだが、妻が産まれて十七年、ずーっと一緒にいたからな。よく熟年夫婦のようだと友人たちに言われたよ」

 無意識の内に指輪を撫でながら、自然と唇に微笑みを浮かんだ。

「……なぁ、神父様、その指輪っていうのは……なにかこう特別な魔法がいるのか」

 ルーカスがもじもじしながら問いかけて来る。顔を上げて首を傾げるとルーカスは、何故かきょろきょろと辺りを見回したあと、身を乗り出して小声で話し始める。

「この間、ジョシュがプリシラに指輪をプレゼントしただろ? オ、オレも、その、今までのお礼も兼ねて、クレアにプレゼントなんて、どーかなぁと思ってよ……」

 赤くなりながらルーカスが言った。どうやら照れているらしい。微笑ましくて笑ってしまったのだが、ルーカスは拗ねたように鼻に皺を寄せた。
 事の発端は、一路がティナにお揃いの指輪を贈ったことなのだが、あの二人、いや主に一路がよくギルドのカウンターでイチャイチャしているのでお揃いの指輪はすぐに話題になり冒険者ギルドからじわじわと恋人たちの間でお互いの瞳の色の石を嵌めたお揃いの指輪が流行し始めているのだ。
 そして、既婚者の間では真尋の結婚指輪のようにシンプルな指輪が流行している。実は、ジョシュアから相談されて、ジルコンに職人を紹介してもらいデザインなども協力したのだ。指輪を贈られたプリシラは大喜びでそれから毎日、左手の薬指に指輪をつけている。ジョシュアは荒事も多い仕事中は失くしたくないと外しているが家に居る時と休みの日は絶対につけている。ジョシュアもまた有名人であるし、愛妻家でも有名なので結婚指輪もじわじわと流行している。クレアがそれに興味を持っていることにルーカスはちゃんと気付いたらしい。

「特別な魔法なんかいらないさ。ジョシュアが指輪を作った店を紹介しよう。こういうシンプルなものでもいいし、少しデザインを変えてもいいが」

「そういうのは分かんねえよ……」

「俺の指輪は、内側にメッセージが込めてある。結婚指輪は長く使うものだから大きな石を付けるのは勧めないが、小さな石を嵌めたり、メッセージを入れたり、指輪のこの側面に何かを彫っても良いと思うぞ」

「……神父様、デザインとか相談に乗ってくれねぇか?」

「俺で良ければいくらでも。クレアやルーカスの好きな花とか草木を意匠化して取り入れるのも良いと思うぞ」

「それなら、そうだな……オレがクレアにプロポーズしたのは、セレソの木の下なんだ。丁度、満開の季節だったからオレたち夫婦にとっては大事な想い出でな……何かするならセレソの花が良い」

「ルーカスじいじ、まっかか?」

 リースがルーカスの頬をぺちぺち撫でながら首を傾げた。真っ赤な顔のルーカスは、リースのぷにぷにほっぺをむぎゅーとして仕返しするが遊んでもらっているつもりのリースは楽しそうに笑う。
 セレソの花は、日本で言うところの桜によく似た植物だ。公園に行くと何本も植わっている。生憎と花期は春なので実物はまだ見たことはないが図鑑に載っていた。そして、屋敷の庭にもルーカスたちの家の傍に冒険者ギルドに採取依頼を出して運んでもらったセレソの木が植えられている。提案された時、お花見がしたかったので真尋も一路も一も二もなく賛成したのだが、そんな微笑ましい理由まであったとは知らなかった。だがそれを提案した時のルーカスは「綺麗な花だから」とか「夏は日陰になる」とか「庭が華やぐ」とかやけに色々と理由を連ねていて、今思えば、照れ隠しだったのだろう。

「なら、数日中にデザインを考えておこう。いくつかデザイン案を出したいんだが、予算は幾らぐらいが良い? 相場は一組で紫銀貨二枚、二十万Sくらいだな。素材にこだわらなければ安くもなるし、当然だが素材によっては高くもなる。それに応じて職人に打診しよう」

「もっと高いかと思ってたがそうでもねえんだなぁ。じゃあ、二十万Sから三十万Sくらいで頼んでもいいか?」

「分かった。その金額なら台はプラチナが良いだろう。手入れが楽だし、丈夫だからな」

 へぇ、とルーカスが感心したように声を漏らした。それから、少し結婚指輪の意味や左手薬指につける意味などを話していると遂に時間が来てしまった。

「マヒロさん、お待たせしました」

 開けっ放しだったドアからリックが顔を出した。
 戻ってきてしまったか、と真尋は渋々、ソファから立ち上がる。ルーカスが「お疲れ様」と労ってくれるのに手を上げて返す。

「サヴィ」

 くるりとサヴィラが振り返り、真尋が出かけるのだと気付いてこちらにやって来た。

「警備計画のことで会議があるから、レイも一緒に騎士団の方へ行って来る。何かあったら小鳥で呼んでくれ、多分、長引くから悪いが今夜はミアを頼めるか? 屋敷にはジョシュが居てくれるし、ロボ親子とテディも残して行くからな」

「分かった。あんまり無理しないでね」

 優しく頼りになる息子の頭をぽんと撫でる。サヴィラはむず痒そうな顔をした。

「パパ、またお仕事行っちゃうの?」

 駆け寄って来たミアが真尋の足にぽすんと抱き着いた。珊瑚色の大きな潤んだ瞳が悲しそうに真尋を見上げて良心が痛む。
 抱き上げると仕事に行けなくなると思ったが、次の瞬間には寧ろそれでいいのではないだろうかと考えを翻した。真尋が屋敷に居れば警備はそれで問題なしだ。そもそも夫婦喧嘩は犬も食わない代物だ。アマーリア滞在中は真尋は騎士団にいかず警備と称して屋敷にいるというのはどうだろうか。最高だ。これ以上に素晴らしい警備案は見つからないだろう。と数秒間で自己完結して手を伸ばす。
だが、愛娘に伸ばした手はリックに遮られ、愛娘はサヴィラが抱っこして真尋から離してしまった。
 ぎろりとリックを睨むが護衛騎士はどこ吹く風である。

「ミア、父様は大事な仕事なんだよ、だから父様が頑張れるようにちゃんと行ってらっしゃいしようね」

「……ぅん」

 ぺたんと兎の耳は伏せられて、ミアは泣きそうな顔で頷いた。
 領主家が憎い。と心の底から思いながらミアの頬を撫でて、背をかがめてその顔を覗き込む。

「出来るだけ早く帰って来るからな。パパのベッドでサヴィと寝ててくれ」

 小さな手が真尋の手に添えられる

「……朝起きたらパパちゃんといる?」

「もちろん」

 約束だ、と笑顔で言えばミアは、こくんと頷いて真尋の頬にいってらっしゃいのキスをしてくれた。真尋もミアとサヴィラに行ってきますのキスをして、後ろ髪を思いっきりひかれながらも仕方がないと自分に言い聞かせて廊下へと出た。行きたくないという意味を込めてため息を零してみたがリックにはスルーされた。
 エントランスにはジョシュアとレイが居て、どうやら真尋の馬の仕度をしてくれたらしく、外で愛馬がレイとリックの馬と一緒にいた。

「用意してくれたのか、ありがとう」

 アイテムボックスから神父服の上着を取り出して袖を通しながら礼を言った。

「なんで俺まで行かなきゃならねーんだよ」

 むすっとしているレイが面倒くさそうに言った。

「俺だって行きたくないのに行くんだから、我慢しろ。ジョシュ、後は頼んだぞ」

「分かった。気を付けてな」

 苦笑を零すジョシュアに見送られるようにして真尋は、レイとリックと共に騎士団へと馬を向けたのだった。










 騎士団に戻り、執務室での待機を命じられた真尋は、一路とレイと共に残っていた書類を片付け、ウサギのぬいぐるみを作りながら時間を潰したのだが真尋たちの代わりに連絡役をしているリックとエドワードは一向に戻って来ず、会議室に呼ばれたのは、シルヴィアに渡すウサギのぬいぐるみが本体とワンピースまで完成してからのことだった。
 一番広い会議室には、ウィルフレッドを始めとして、メイヤール副師団長、先日出世したラウラス大隊長、カロリーナ小隊長とフィリップ小隊長、キアラン小隊長と彼らの事務官が三人、他にナルキーサスとアルトゥロ、アンナの姿もそこにはあった。間違いなく信頼のおけるメンバーだけが集められていることから、領主様に余程のことがあったのだろうか、と目を僅かに細めた。
 真尋と一路はウィルフレッドの左斜め前、随分と高い席に案内されるがいつものことだった。インサニアを退けた真尋と一路は、アルゲンテウス領にとって何より大事な存在であるが故の待遇だ。レイはアンナの隣に席が用意されていた。
 真尋たちが席に着き、リックとエドワードが後ろの壁際に控えるとウィルフレッドの背後に控えていたレベリオが前に出て来た。

「緊急の呼び出しにも関わらず、御足労頂きまして……」

「あのねえ、リオちゃん。あたし達も多忙なの、夜更かしはお肌にも悪いし、ご丁寧なあいさつは良いからさっさと本題に入って頂戴」

 多分、寝る寸前だったのだろうすっぴんのアンナがレベリオの言葉を遮る。
 すっぴんのアンナは、口調だけはアンナのままだが見た目は随分と若々しい青年だった。いつもの分厚い化粧では分からなかったが、噂通りの美青年だった。それがどうしてあんな化け物になるのだろう。異世界は不思議に溢れていると真尋はしみじみと思った。
 レベリオがウィルフレッドに視線を向ける。ウィルフレッドが苦笑交じりに頷くと、では、と口を開く。

「今回の領主様は東のグラウに視察に出かけておられますが、急遽、グラウにてエルフ族の族長との会談が設けられました」

 グラウはブランレトゥの東にある小さな町だ。馬で駆ければ一日半、馬車や乗り合い馬車なら二日は掛かると前にリックが言っていた。ブランレトゥから程よい位置にあり、温泉があるのでなかなか活気のある町だそうだ。

「エルフ族の里って確か、東の国境近くにあるんですよね?」

 一路が首を傾げる。

「エルフ族の里は、東のルドニーク山脈の麓に広がる森を統治し、世界樹を守る役目も担っています。アルゲンテウス領内にはありますが、あそこは妖精族の里も含めて、自治地区になっている特殊な地域です。族長は、ブランレトゥに向かっていたそうですが、偶然、領主様がグラウに訪れていることを知り、今回の会談がもたれました」

「……感謝祭にはエルフ族も顔を出すけど、少々早いわねぇ?」

 アンナが不思議そうに首を傾げた。

「族長は感謝祭を楽しみに来たわけではありません。……神父殿の力を借りに来たのです」

 煙草に火をつけていた真尋は予想外の場面で名指しされたことに顔を上げる。一路はぱちりと目を瞬かせてレベリオを見ている。会議しにざわめきが広がり、真尋とレベリオを数多の視線が行ったり来たりしている。
 ふーっと紫煙を吐き出して、真尋はゆっくりとレベリオに顔を向けた。

「……神父の力、ということは、まさかインサニア関連ということですか?」

「いえ、確かなことはまだ分かりません」

「何せ、手紙を咥えたシャテンが飛んで来たのは神父殿が多分、夕食を食べていた時間だ。詳しいことは分かっていない。伝令が運んで来た兄上の手紙にはエルフ族の里に関する仔細は書かれていなかった。ところでイチロ神父の恋人のところに祖父殿から最近、連絡は?」

 ウィルフレッドが首を横に降り、一路に問いを投げた。
 妖精族の里は、エルフ族の森の中にある。ティナの母方の祖父は、妖精族の族長なのだ。定期的に溺愛する孫娘に手紙や珍しい植物を送って来ている。

「二週間くらい前に手紙が来ていましたが、ティナは何も。おじい様に何かあれば、ティナは取り乱すでしょうし、僕に相談するでしょうから彼女宛ての手紙には何も書かれていなかったと思います」

「そうねぇ、ティナは隠し事が出来ない素直な子だから、おじいちゃんに何かあれば仕事でミスを連発するはずだわ」

 アンナがうんうんと頷きながら言う。真尋もそう思う。

「それで、エルフ族と領主様は私と一路に何を求めているのですか?」

 真尋の問いにウィルフレッドが、そろーっと視線を外してレベリオを見上げた。レベリオはそんなウィルフレッドをじとりと睨み、ため息を零すとこちらに向き直った。

「……ジークフリート様は、とりあえずまずは神父殿にグラウに来ていただき、族長と会談の場を設け、その後、神父殿にエルフ族の里へ現地調査を、と……」

 真尋は、舌打ちをして盛大に顔を顰めた。多分、ウィルフレッドの顔が引きつり、レベリオが視線を逸らしたのでいつもの無表情は綺麗に崩れ去っていたに違いなかった。
 真尋が知る限り、エルフの里まで片道二週間だ。往復で約一か月かかる。
会議室は、しんと静まり返って緊張した空気が流れる。

「……私も一応、神父ですから万が一、エルフ族の里の異変とやらがインサニア関連だというのなら行かない訳には参りません。それがティーンクトゥス神より使命を与えられた私の役目ですから。ですが、私には可愛い可愛い娘と息子がいるんです。そんな危ない旅に二人を連れて行くわけにはいきませんし、そもそも、今日だってミアを泣かしてしまう寸前で、俺の良心がどれほど痛んだとっ! くそっ、やはりあの時、慈悲などかけずに八つ裂きにすれば良かったっ!」

 ぐっと拳を握りしめてテーブルに叩きつけて突っ伏す。

「真尋くん、本当にぶれないね……あと何度も言うけど、君は神父様だからね。八つ裂きとか言っちゃダメ」

 一路が乾いた声で言った。

「でもこれあれだよね、僕も当分、ティナと離れ離れになるあれだよね……」

 覇気のない声で一路がぼそりと呟いた。真尋は黙ったまま頷く。

「……い、行ってくれるのか、神父殿」

 ウィルフレッドの機嫌を窺うような声音に真尋はゆっくりと顔を上げた。目があった瞬間、ウィルフレッドの頬が盛大に引き攣った。

「準備に二日ほど下さい。グラウで族長の話を聞き、インサニア関連である可能性が僅かでもあればそのままエルフ族の里に発ちます」

「そ、そうか、行ってくれるか!! ありがとう、神父殿!!」

 ウィルフレッドが安堵に表情を緩めた。

「ただし明日からの二日間、私はミアとサヴィラの傍を離れませんからね。騎士団が爆発しようが閣下の胃が破裂しようがなにしようが絶対に」

「……はい」

 ウィルフレッドもレベリオも神妙な顔で頷いた。

「はいはーい! アンナさん、ティナに特別休暇を二日間下さい!」

 一路がここぞとばかりにアンナに強請る。アンナは「いいわよー」と軽い調子で許可を出した。アンナは見た目と趣味はアレだが奥さんのキャサリンを溺愛しているのでこういうことには寛大だ。

「レイ」

「あ?」

「この二日の間、三日後の早朝、俺が出立するまでに例の双子を捕まえて来い。族長に引き渡し、里に帰還させる」

 話を振られたレイは、重々しく紫煙を吐き出した。真尋も煙草を吸っていたのを思い出すが、持っていた筈の煙草は何時の間にか消えている。するとリックが「放り投げられたものは処分しました」と耳元でささやいた。そうか、と頷き新たな煙草に火を点ける。すると喫煙者たちが続々と煙草に火をつけ始める。騎士団は案外、喫煙者が多い。

「無理だろ……。この数日で分かったことは、男女の双子ってことだけだぞ? あいつらは行動に規則性がねえ。ウォルフの鼻をもってして追いかけられねぇんだ。あいつらに地の利はねぇがエルフ族で樹胎生であれば、森に入っちまえば、森は完全に向こうの味方だ」

「森ごと焼き払え」

「真尋くん、自重。君は解決の仕方が本当に雑だよねぇ」

「しょうがないわねぇ。あたしが同行してあげるわよ、キャシーがギルドに残ってれば特に問題は無いし、明日は神父さんは一日、屋敷にいるんでしょ? それならアマーリアちゃんの警備も問題ないし」

 アンナが言った。確かアンナは、ハーフエルフだからレイやウォルフたちに比べれば良いのかもしれないが、だがしかし、である。

「お前が行ったら、ガキが余計に怯えて出て来なくなるから、クイリーンを貸してくれ」

「まあ、レイちゃん! どういう意味よ!」

「そのままの意味だろうな」

 ウィルフレッドがぼそりと呟き、皆が一様に頷いた。今日みたいなまともな姿なら兎も角、あのフリフリレースたっぷりリボンもたっぷりドレスと分厚い化粧の化け物に遭遇したら、誰だって逃げ出したくなるし、真尋だっていまだに逃げ出したくなることがある。

「……そうだ、リック」

「はい」

「明日はお前もレイに同行しろ」

「申し訳有りませんが、あのいけ好かない女騎士があの屋敷に居る以上、私は護衛騎士としてマヒロさんの傍を離れる気は毛頭ありません」

 リックはにっこりと笑って小首を傾げて拒否の姿勢を見せる。エドワードがそんな相棒から少し距離を取った。
 この笑顔の時のリックは、絶対にいうことを聞かないことくらいは分かっているので早々に諦める。

「……レイ、しっかり捕まえてこいよ」

「それでは、もう一つの議題に移ってもよろしいですか? 領主夫人の警備計画について話し合いたいのですが」

 レベリオの言葉に真尋は頷き、皆が改めてレベリオに意識を向けた。それを確認するとレベリオが口を開いた。
 アマーリアの警備計画自体は、そもそもあの屋敷が不法侵入できるような代物では無いので、カロリーナ、フィリップ、キアランの隊の人間が日替わりで警備に立つということだった。真尋と一路が屋敷からいなくなるので、警備の名目自体は真尋神父の溺愛するミアとサヴィラの安全を守るためというもっともらしい大義名分が用意された。また真尋と一路の旅にはロボは同行させるが、ブランカとロビン、テディは留守番になるのでそこも戦力として数えることになった。
 日付を跨ぐ寸前に会議は終わり、お開きになる。小隊長たちが事務官を連れて足早に出て行くのを横目に見ながら真尋も帰ろうと一路たちに声を掛ける。レイはアンナと共に冒険者ギルドに行くらしい。

「神父殿、義姉上の様子は?」

 腰を上げたところでウィルフレッドに声を掛けられる。

「プリシラと気が合ったようで、屋敷を探検していましたよ。明日から掃除と洗濯に挑戦するそうです」

 返された言葉が予想外だったのか群青の瞳をぱちりと瞬かせた後、ウィルフレッドは可笑しそうに笑った。

「ははっ、リリーとダフネたちが大変そうだ。義姉上は言い出すと聞かないからな」

「シラちゃんとアマーリアちゃんは、同年代だしねぇ。子どもたちはどう?」

 アンナがうんうんと頷き、首を傾げた。

「レオンハルト様とシルヴィア様も特に年の近いジョンやミアと仲良くなったようですし、あそこはサヴィラがきちんと面倒を見てくれるでしょう。ただ……」

「ただ? 何かあったのか?」

 ウィルフレッドが不安そうに眉を寄せた。

「レオンハルト様が、私の可愛いミアを大層気に入って下さったようなので、領主様にお会いした時に改めてご挨拶とお礼を申し上げないとな、と思っております」

 にっこりと笑った真尋にどういう訳かウィルフレッドは、大袈裟に肩を揺らすと「羽根ペンが!」と叫んで机の下に姿を消した。テーブルの上にある羽根ペンは、彼の探し物ではないのだろう。レベリオが、はぁと重い溜息を吐き出した。

「神父殿、あまり閣下を胃薬漬けにしてくれるなよ?」

 ナルキーサスが可笑しそうに笑いながら言った言葉に真尋は肩を竦めて返し、一路と共に会議室を後にしたのだった。




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