称号は神を土下座させた男。

春志乃

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本編 2

第六十九話 面倒くさがる男

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 昼食後、家に戻ってきた一行は結婚式の話で持ち切りだった。
 ジークフリートたちは倉庫へ戻ったが、イチロとカイトは「俺たちの仕事も大体終わったから」と一緒に帰ってきていた。
 結婚式というのは、こちらで結婚した時に行われる披露パーティーとは全く違うものらしい。
 サヴィラは父の説明を聞いた後、へぇ、ぐらいしか感想は出てこなかったのだが、アマーリアは「なんて素敵!」と目をキラキラさせていた。リックやエドワードも「厳かなのがいいですね」「誓うっていうのが騎士心をくすぐるよな」と言い合っている。
 
「雪ちゃんと真尋君の結婚式かぁ。楽しみだなぁ」

「子どものころから、雪乃の夢だったもんな」

 幼馴染の二人は感慨深い様子で昔に想いを馳せている。

「神父様、ウェディングは結婚という意味なのですよね? どうして結婚式の時に着るウェディングドレスは白という決まりがあるのですか?」

 アマーリアがメモを片手に尋ねる。
 よほどアマーリアは結婚式に興味があるようだ。

「ウェディングドレス、というか、ドレスというのは俺たちの故郷である日本では外国から入ってきた文化なのです。俺たちの民族衣装は、着物と呼ばれるもので、今、俺たちが着ている服とは全く形状が異なります」

「キモノ……」

「それでウェディングドレスがなぜ白いかというと、実は二百年ほど前まで、ドレスは何色でもよかったのです。多く好まれていたのは赤だったようですが」

「では、何がきっかけで白に?」

「一路と海斗兄弟の母君の故郷、イギリスのとある有名な女王様が結婚式を挙げる際に白いウェディングドレスを着たのが始まりと言われています。その姿があまりにも美しかったため貴族の間で流行り、だんだんと庶民の間にも定着し、現在にいたるわけです。日本という国にもこの文化が取り入れられたのですが、日本には『白無垢』と呼ばれる婚礼衣装が元々あるんです。この婚礼衣装は日本では五百年以上も昔から存在していました。……ところで皆、白、という色にどんな言葉を連想する?」

 マヒロの問いかけに、そうだな、とサヴィラは首をひねる。

「あ! 僕はね、清潔! お洗濯ものとか!」

 ジョンが真っ先に手を挙げて答えた。

「俺はそうだな、無垢、かな」

 サヴィラはミアの白い兎の耳を見ながら答える。

「わたくしも、純粋とか純潔とか、そういった言葉が浮かびます」

 アマーリアが言った。

「やっぱり白という色に連想される言葉は、どこの国も共通で、我が国ではさらに邪気を払うという意味合いもありました。それに、白は何色にも染まるので、貴方の色に染まります、という意味もあり、日本でも白いウェディングドレスは定着していったのです」

 へぇ、と皆が感心する。母まで「あなた、本当に物知りねぇ」と父を褒めていた。

「神父様、ドレスのデザインはできているのですか?」

「おおむね。いくつか案があるので、最終的には妻に選んでもらおうかと思っています」

「ふふふっ、子どものころからずっと楽しみにしていたの。嬉しいわぁ」

 そう言って笑う母は、本当に嬉しそうで、なんだかこっちまで嬉しくなってくる。
 父も母も、年の割に随分と落ち着いていて、二十近く年上のジークフリートたちといても違和感がないぐらいに大人びている。イチロが「真尋君も雪ちゃんも子どものままじゃいられなかったからね」と言っていたように、大人にならざるを得ない状況で育ったのだろう。
 だが、今日の母はまるで幼い少女のようで、結婚式をどれほど楽しみにしているのかが伝わってくる。そんな母を父は砂糖と蜂蜜とチョコレートを鍋に放り込んで煮溶かしたような甘さを含んだ表情で見つめていた。

「胸やけしそうなほど甘い顔してるよね」

 イチロがこそっと耳打ちしてくる言葉にサヴィラは苦笑交じりに頷いた。

「ドレス本体は誰になんと言われようと俺が作ろうと思っているんですが、アマーリア様にはヴェールを作ってもらいたいと思っているんです」

「ヴェール? あのお葬式の際に顔に被る……」

「それもヴェールですが、結婚式用のヴェールは白のレースが基本です。本当は彼女と俺の母に用意してもらうつもりでした。そもそもこのヴェールというのは、降りかかる災難から花嫁を守るという意味があって、教会で入場する前に母親が娘の安寧を願ってヴェールを下ろすんです。ですが、俺たちに母はいないので、できればアマーリア様やティナ、プリシラと雪乃の友人たちに手を借りたくて」

「もちろんですわ、神父様!」

 アマーリアが顔を輝かせる。

「半年後までに完ぺきなドレスを仕上げるためにも、ブランレトゥに帰ったらすぐに取り掛かりましょう」

「俄然、燃えて来ましたわ!」

 アマーリアが拳を握りしめて気合を入れている。リリーとアイリスは、そんなアマーリアを嬉しそうに見つめていた。たぶん、サヴィラと同じような気持ちなのかもしれない。
 なんだか久々の和やかな時間にサヴィラがあくびを零した、その時だった。
 真っ先に気づいたのは、ミツルと母で二人の視線が庭のほうへと向けられ、次いでサヴィラと紅茶のお代わりを伺いに来たヴァイパーは鉄臭い臭いをかぎ取った。

「血の臭いです」

「剣のぶつかり合う音が」

 ヴァイパーの言葉に続いて、ミツルが言った。
 リックとエドワードが庭へと出られる窓まで駆け寄り外を見る。

「門番一名、負傷! 一名、戦闘!」

 エドワードの鋭い声に男性陣が窓へ駆け寄る。サヴィラも小さいほうの窓から庭を見る。
 門のところで何者かが剣を振りかぶり、それに門番の騎士が応戦している。一人がすでに倒れていて、それを庇うように戦っているのが見て取れた。
 ミアとシルヴィアが母の下へ駆け寄りおびえた様子で抱き着き、レオンハルトとジョンが彼女らを守るように前に立つ。

「あれは……」

「チェスターさんじゃない?」

 マヒロのつぶやきにイチロが続く。
 チェスターといえば、会ったことはないがこのグラウを治める大隊の大隊長の名前だと記憶している。
 大隊長と言えば、一級騎士以上が就ける役職だ。門番だった騎士がついに倒れた。応援に駆け付けたもう二名も応戦しているが、圧倒的にこちらが不利だった。

「今日、カロリーナ小隊長とウィルフレッド閣下がチェスターに話をしに行っている予定だったんだが」

「逆上しちゃったのかもねぇ。肝の小さそうな男だったし」

 カイトが目を鋭く尖らせ様子を伺いながら嘲笑を零す。
 チェスターは応援にきた二名もすでに倒していて、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

「真尋様、ここは私が行って参ります。ここは私の領域でございますし、リック様やエドワード様、ましてやテディ様やポチ様の手を煩わせるようなことではございません」

「それもそうだな。行ってこい。生け捕りで頼むぞ」

「かしこまりました」

 ミツルは優雅に一礼すると窓を開け放ち出て行く。

「マ、マヒロさん! 相手は一級騎士ですよ!? 大隊長ともなれば、正騎士にも近しい実力を……!」

 リックが顔を青くしているが父はどこ吹く風だ。

「サヴィ、勉強になるからよく見ておけ」

 そう言って父が外へ出たので、サヴィラもついていく。イチロとカイトは「兄ちゃんはあっちね」「りょーかい」と何かを言いながら、リビングを出て行った。家の中を振り返れば、母は「充さんが行ったなら大丈夫よ」とのんびりと紅茶を飲んでいて、アマーリアたちが目を白黒させていた。
 父の陰から様子を見る。リックとエドワードは剣に手をかけ、いつでも応戦できる態勢を取りながら横に並ぶ。

「お客様、当家になんの御用でしょうか」

 チェスターの目の前に立ったミツルは執事らしい穏やかな声で問いかける。
 だが、彼は背後で腕を組んでいるように見せかけているが、右手が燕尾服の下、腰のあたりにもぐりこんでいるのに気が付いた。

「神父を出せ」

 チェスターが唸るように言った。
 騎士服を着ておらず、目が血走って、興奮しているのか口端に泡がついている。

「主人とお約束はございますか?」

「神父を出せ、と言っている!」

「お約束はしておられないということですね」

「あいつのせいで俺の人生はめちゃくちゃだ!! 俺は真っ当に職務をこなしていたのに、なのに!!」

 チェスターの怒りに満ちた声が響く。
 門のほうにウィルフレッドとレベリオ、そして、カロリーナの姿が見えた。

「なるほど、逆恨みでございますね。ご自分の無能さを我が主人のせいにしないで頂きたいところでございます」

 ぎろりと殺気の籠った目がミツルをとらえた。チェスターの口が動いて右手に火の玉が生み出され、それはぽんぽん彼の頭上に打ち上げられた。

「『ファイアー・ダスト』!!」

 火球が一気に家に向かって降り注ぐ。

「『ウォーター・ウォール』」

 サヴィラは咄嗟に呪文を唱えようとするがそれより早く、目の前が一瞬でぼんやりとにじんだ。
 凛としたミツルの声が紡いだものが呪文だと気づき、目の前がぼんやりしたのは水の壁ができたからだと理解する。火球を全て鎮火させた水の壁は、解けるように消える。

「おや、放火は大罪でございますよ」

 ミツルはやはり物腰穏やかに、いけませんよ、とたしなめる。
 チェスターの向こうでイチロとカイトがこそこそと倒れている騎士たちを運んで行っているのに気づいた。カロリーナがそれを手伝う。

「クソっ! そこを退け!!」

 ついにチェスターがミツルに切りかかった。彼の右手が腰から何かを取り出した、それを振ればシュンと伸びて黒い棒になった。
 ミツルはひょいとチェスターの剣をよけると、彼の間合いに入り込み右手首を棒で打った。その衝撃でチェスターの剣が手から落ちる。ミツルはそのまま棒でチェスターの顎をついた。急所を突かれてチェスターがよろけると、黒い棒がぽんと上空へ放り投げられる。チェスターがそれを一瞬、目で追った次の瞬間、ミツルの掌底がチェスターの顎に完ぺきに決まった。
 チェスターが吹っ飛んで、無様に地面に転がり、ぴくりとも動かなくなる。
 くるくるっと降ってきた黒い棒をミツルは横に伸ばした手で受け取り、どういう仕組みなのか短くすると腰へと戻した。

「お客様、主人に面会を希望する場合は、必ず事前にお約束をお願いいたします。また……我が家を害そうとするのならば、一切の容赦は致しませんので、何卒よろしくお願い申し上げます」

 優雅に一礼したミツルに門のところでウィルフレッドたちが頬を引きつらせていた。
 あれでただの執事ですよと本人も父も言うのだから、信じられない。一級騎士を打ち負かす執事とは一体。

「サヴィ、家の中とユキノたちのことを頼んだぞ。様子を見てくるからな」

「あ、うん。気を付けてね」

そう言い置いて、父はリックとエドワードを連れてミツルのところに行ってしまったのだった。






 リックは、ぴくぴく痙攣し、口から泡を吹いて倒れているチェスターを横目に、汚れてしまったらしい手袋を交換しているミツルを見る。

「強いんだな、神父殿の執事は」

 ウィルフレッドが少し引き気味に言った。

「そういう躾をしているので」

 マヒロが何でもないように答える。
 そういえば、ブランレトゥに滞在中、鍛錬に参加していたらしいミツルはレイと互角だったとサヴィラから聞いた。だがレイは「あいつ、ぜってぇ本気出してねぇ」と苦々しそうに言っていたのも同時に思い出した。

「ところで、これはなんで我が家に?」

「私とウィルフレッドが事実確認に訪れ、あれこれ話をしまして、処罰は追って報せると告げたんです。……私たちが騎士団を出てすぐ、伝令が走ってきましてチェスターが事務官と監視を振り切り、逃げたと。それで、その際『神父のせいだ』というようなことを言っていたとのことで、ここに来たわけです」

 レベリオの説明にマヒロが、なるほど、と呆れたように溜息を零した。
 ただの逆恨み以外の何物でもない、と呆れ以外の感情が出てこない。

「真尋様、いかがいたしますか?」

 ミツルが問いかける。

「お前は家に戻ってろ。後を頼む」

「かしこまりました」

 一礼し、ミツルは去って行く。

「真尋君、とりあえず騎士の皆さんはキース先生のところに運んでおいたよ。んで、僕はこのまま手伝い入るね~!」

 庭先の馬車の入り口でイチロが叫ぶ。

「ああ、分かった。頼むぞ」

「はーい。あ、皆、意識もあるし、切られた人はいないから、大丈夫そうだよ!」

 そう告げてイチロが馬車の中に引っ込む。かわりにカイトが出てきてマヒロの隣に並ぶ。

「さてさて、どうしようか」

 カイトがマヒロの肩に肘をついて言った。マヒロは振り払うでもなく、二人して面倒くさそうにチェスターを見ていた。
 確かに面倒くさい以外の感情を持つのは難しい。
 誘拐事件自体は犯人たちが全員仲良く捕まり、人質も無事だ。騎士団の裏切り者も捕獲しているし、騎士ではないマヒロやカイトは、裏付けなんかをする必要はない。だがしかし、チェスターはご丁寧にマヒロの別宅で暴れて傷害事件(もしかすると殺人未遂事件)を起こしているのだから、面倒くさい以外の何物でもないだろう。

「カレンの回復がまだまだでな」

 おもむろにマヒロが口を開く。

「だから、カレンと新しく雇う予定のメイドたち、それとヴァイパーをここに残しておこうかと思ったんだ。俺もまだまだ事件のことでここに通うことにもなるから、ちょうどいいと思ってな。だが、これではこんな危ないところに、ヴァイパーはともかく、メイドたちは置いていけないじゃないか」
 
 ヴァイパーは、シケット村の自警団に入っていたので、まだまだ甘いがそれでも多少の護身術は心得ているのだ。

「あれ? メイドさん、雇うんですか?」

「……雪乃が気に入って居るし、まあ、真面目そうな女性たちだしな」

 マヒロはそう言って肩を竦めた。
 あれだけ若い女性を雇うことを拒否していたのに、妻が欲しいと言えば我慢するようなので、やはり彼は妻に甘い。

「とにかく、どうするんだ、これ」

 不機嫌にマヒロがチェスターをつま先で蹴る。
 完全に伸びているらしいチェスターは起きる気配がない。

「とりあえず、捕まえる。おい、頼む!」

 ウィルフレッドが騒ぎに宿から駆け付けてきた騎士たちに声をかければ、騎士たちは手際よくチェスターを縛り上げる。

「神父殿、ヴァイパーが出立する際、ブランレトゥに寄ってくれないか? それでラウラスを連れて来たいんだ。あいつをしばらく臨時の大隊長として据えておく」

「俺に面倒がなければかまわん。……ヴァイパー!!」

 マヒロが声を上げれば、まもなくヴァイパーが家からでてきて駆け寄って来る。

「はい、どうされました?」

「悪いが、出かけるのを早められるか?」

「僕はいつでも大丈夫です」

「なら今すぐでも?」

「はい。すでに買ってくるものは、手帳にメモしてありますので」

 そう言ってヴァイパーは上着の胸ポケットを軽くたたいた。

「だったら、すまないがすぐに発ってくれ。その際、騎士団に行って連れてきてほしい人がいる」

「私が同行します」

 レベリオが手を挙げる。

「分かりました。では、馬車は裏庭のほうに仕度ができていますので、ポチくんがあとはどこにいるか……」

 ヴァイパーがあたりを見回すが庭には出てきていないようだった。

「おい、ポチ!」

 マヒロが呼べば家の中から出てきた。

「ぎゃう?」

「仕事だ。ヴァイパーの言うことをよく聞くんだぞ」

「ぎゃーう!」

 はーいと手を挙げたポチは、ヴァイパーの頭の上に降り立った。

「ヴァイパー、気を付けて行ってこい。金は持ったか?」

「はい、ミツルさんから預かりました」

「そうか。……ああ、そうだ。ついでにこれを持って行くといい。買い出し用に作ったアイテムボックスだ。家一軒くらいは入るから今回も大丈夫だろう。複数人で使えるようになっているから、お前の魔力も登録しておけ」

 ベルトにつけるタイプの小さなポーチをヴァイパーに渡す。受け取ったヴァイパーは固まっていた。この主は、ほいほいアイテムボックスを量産し過ぎなのだ。こんな高価なものをいきなり渡されたら、困るに決まっている。現にウィルフレッドとレベリオが度肝を抜かれている。

「ヴァイパー、大丈夫ですよ。気兼ねなく使って下さい」

 リックは哀れな青年に優しく声をかける。あの日、サヴィラがそうしてくれたように、優しく、だ。

「だ、な、なく、なくしたら……!」

 ヴァイパーにしてみればこの手のひらサイズで家一軒はいるアイテムボックスの値段など想像もつかないだろうが(正直、リックもつかない)、脳裏にうっかり失くした際に一家どころか一族全員で路頭に迷う姿が浮かんだに違いなかった。

「大丈夫、失くしても怒りませんよ、この人は『また作るか』ぐらいで済ませます」

「そ、そんなに簡単に作れるのか? 魔獣の毛皮を使わないアイテムボックスは、ナルキーサスでさえ制作困難だと……」

 ウィルフレッドが恐る恐る尋ねる。
 マヒロは何を騒いでいるんだかという様子で口を開く。

「さすがに術式紋が複雑だが、作れるから作っている。閣下が欲しければ、材料を揃えてくれれば作るが? だが、ふむ……閣下には世話になっているし…………心労もかけているしな。むしろ今度、作ってやろう。楽しみにしていてくれ」

 ひとりで完結させた主にウィルフレッドは「……うん」と心細そうにうなずいた。規格外のものを渡されて胃を押さえるウィルフレッドの姿は想像に容易かった。カイトが「良かったね、団長」と笑っている。

「さて、話もまとまったし、ヴァイパー、頼むぞ」

「……はい」

 色々と諦めなければいけないということを、この敏い青年は悟ったのだろう。リックは心の中で「頑張れ」と声援を送った。

「では、行きましょう、ヴァイパー」

「はい。よろしくお願いします」

 ヴァイパーがレベリオに頭を下げ、二人は連れ立って家の裏手へと去って行った。

「しょうがいないから、こいつの聴取でもするか。倉庫でいいな」

 マヒロの確認にウィルフレッドが頷く。

「雪乃に出かけると行ってくるから、リック、馬の準備を頼む。馬車じゃなくて、俺とお前とこいつで行く。こいつの馬は、サヴィラのを借りる。エディはイチロに指示を仰げ」

「はい。分かりました」

「イチロのところに行ってきます!」

 リックは頷き、エドワードは庭先の馬車へと駆けて行く。
 その相棒の背を見送って、家の中に一度戻るという二人と別れてリックは、裏にある馬小屋へと向かったのだった。





「パパ、またおしごといっちゃった」

 しょんぼりする娘の頭をぽんぽんと撫でる。

「しょうがないわ。でも、夜には帰って来るって言っていたから、朝起きたら確実にいるはずよ」

 うん、と頷くが元気がない。
 久しぶりにパパと過ごせていたから、その反動もあるのだろう。

「さて、ミア、しょんぼりしている暇はないわよ? 荷物をまとめて、ブランレトゥに帰る準備をしないといけないわ」

「そうだった! おまつりにいくの!」

 はっとミアが顔を上げる。

「着替えをカバンに詰めないとね」

「はーい!」

「わたくしもいきますわ!」

 ぱたぱたと駆け出したミアの背をシルヴィアが追いかけて行く。

「サヴィラやジョンくんも大丈夫?」

「俺は全部、アイテムボックスに入れてあるから」

「僕も大丈夫! お土産はもうカバンにしまってあるんだ」

 ミアほど衣装持ちではない二人は、それほど荷物があるわけではないようだ。

「父様、本当に帰ってこられるのかな」

「本人は帰って来る気でいるけれど、どうかしらねぇ。さすがにここまで来ちゃったら問題よね」

 雪乃は苦笑を零す。
 今朝、夫が帰ってきた時は、あらかた片が付いていたのだろう。だが問題を我が家で起こされてしまうと少々厄介だ。

「はぁ……あの人、もっとちゃんと締め上げておくべきだったわね」

「言ってることが父様そっくりなんだよなぁ……」

 息子が何かつぶやいていたが、真智の「ああーうー」という声にかき消されてしまった。ゆりかごを覗くとご機嫌に手を口に入れようとしていた。真咲はその横でうとうとしている。
 よいしょと真智を抱き上げて、腕に抱える。

「おててを食べちゃうの? ふふっ困ったわぁ」

 あぐあぐしている真智に微笑みかける。

「日に日に重くなっていくわねぇ」

「そういえば、ちぃと咲は、母様が産んだことにできたの?」

「ええ、クロードさんに無茶を言ってそうしてもらったわ。まあ、日本の戸籍云々に比べたらここはそこまで複雑ではないようだし。そういえば一応、マヒロさんがジョシュアさんたちには手紙で説明したと言っていたけれど、大丈夫かしら」

「お父さんはお兄ちゃんのすることは『だってマヒロだからな』で片づけることにしてるから大丈夫だよ。きっとね、お父さんもお母さんもクレアおばあちゃんもルーカスおじいちゃんも、メロメロになっちゃうよ。だって、可愛いもん」

 ジョンが雪乃の隣に座って、真智の頬をつつきながら言った。

「ふふっ、そうだといいわねぇ」

 雪乃はくすくすと笑う。

「ユキノ様、今、よろしいですか?」

 リラがひょっこり顔を出す。

「いいわよ、どうしたの?」

「お皿やカトラリーは残していくのですよね? ティーカップ類はどうしましょうか」

「そうねえ、それは……ヴァイパーが帰ってきてから彼に任せましょう。そうだわ、食材の整理もしないといけないわね。サヴィ、真智と真咲を頼んでもいいかしら?」

「うん。いいよ」

「お姉ちゃん、僕、抱っこしたい!」

「ふふっ、じゃあお願いね、ジョン」

 隣に座っていたジョンに真智を預けて立ち上がる。
 待っていてくれたリラとともにキッチンに向かうとマリーがせっせと棚からあらゆるものを出してテーブルに並べていた。

「案外、色々とため込んじゃうものねえ」

 苦笑を零しながら置いていくものと持って行くものに分ける。

「ユキノ様……私たち、採用してもらえそうでしょうか?」

 マリーがおずおずと問いかけてくる。
 雪乃は何が入っていたかしら、と紙袋を開ける手を止める。

「実は、家族は歓迎してくれているんです。ブランレトゥなら近いので」

「あら、そうなの?」

「私もです。神父様のところなら安全だろうって。ブランレトゥはここより治安が良いですし」

「なら、あとは夫の許可だけね。今夜あたり、話をしようと思っていたのだけれど……一応、夜には帰って来ると言っていたのよ? でもねぇ、あの人の希望だから、帰って来られるかは正直分からないわ。でも、いきなりはよくないわよね。お手紙でも書こうかしら。そういえば充さんは……?」

「お呼びですか?」

 裏庭へ続く勝手口から充が顔を出す。

「真尋さんに二人の採用可否について何か聞いている?」

「いえ、でしたら私が手紙を出してお伺いしておきます。お二人もきちんと仕度をしたいですよね」

 充の言葉に二人はこくこくと頷いた。
 夫は自分で仕度をすることがないので(させても終わらないので)、合格してすぐに出発できると思っているのかもしれない。

「ご家族は説得済み、とのことですから、その旨も伝えさせて頂きます。早いほうがいいでしょうから、今、お時間いただいて書いてまいります」

 そう言って充は中へ入って来ると手を洗い、うがいを済ませてキッチンを出て行った。

「じゃあ、キッチンを片付けてしまいましょうか。ついでに夕ご飯の仕度もしないと……何がいいかしらねぇ」

「そういえば、まだお肉が残っていました。ボヴィーニのもも肉の塊がわりとたくさんあるんです」

 リラが言った。

「なら、それを煮込んでシチューにしましょうか。ジャガイモがたくさんあるから、これをゆでてマッシュポテトにしましょう。夫はこの組み合わせが好きなのよ」

「じゃあ、私、ジャガイモの仕度をしてしまいますね」

 リラがそう言って、キッチンに隣接する食糧庫へ入っていく。小さい部屋だがこの家で暮らす人数分ならば、十分な役割を果たしている。

「なら私はお肉の下ごしらえをするわね。煮込んでいる間に片づければいいし、マリーは悪いけれど、引き続き、お片づけをお願いできるかしら」

 マリーが「はい」と返事をして、また作へ戻る。
 雪乃はさてさてとシチューを作るために冷蔵庫を開けるのだった。




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