称号は神を土下座させた男。

春志乃

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本編 2

第六十八話 驚かせた男

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「あれ? 父様……?」

 あくびを零すミアの手を引いて、朝食の手伝いをしようとキッチンに向かうと、開けっ放しのダイニングの扉の向こうのいつもの席で父が新聞を広げていた。

「パパ!!」

 ミアがぱっと顔を輝かせてマヒロの下へ駆け寄れば、娘に気づいたマヒロも新聞を畳んでテーブルに置き、抱き着く娘を受け止める。

「おはよう、ミア」

「おはよう、パパ!」

 嬉しそうに抱き着くミアをマヒロも柔らかな笑みと共に抱きしめ返す。
 あたりを見回すがリックやイチロたちの姿はない。代わりにジョンとレオンハルトが起きてきて、マヒロがいることに気づくとこちらに駆け寄ってきた。

「お兄ちゃん、おはよう! おかえり!」

「おはよう、神父!」

 ジョンとレオンハルトも嬉しそうに駆け寄り、父に頭を撫でてもらっている。

「父様だけ? イチロたちは?」

「昨夜、大元を捕まえられたんだ。あとはまあ、取り調べと裏付け調査だから、俺は抜けてきた。ミアやお前と過ごす時間のほうが大事だからな。一路はティナがいないなら、仕事するって言うんで置いてき。海斗は言わなくても分かるだろ?」

「なるほど……捕まったんだ。これで全部?」

「ああ。とはいえ、事件そのものに決着がつくのはもっと先だ。水の月の事件がそうであるようにな。しばらくはグラウとここを行き来することになるだろうが、ポチがいれば日帰りで済むから問題はない」

「あなたー? これを運んでちょうだい」

「今行く」

 廊下の向こうから母の声がして父がミアを抱き上げたまま立ち上がる。
 サヴィラたちもぞろぞろとキッチンについて行く。

「あら、みんな起きたのね。おはよう」

 起きた時にはすでにベッドにいなかった母はキッチンで忙しそうに朝食を作っていた。

「「「おはようございます」」」

 ヴァイパーだけでなく、リラとマリーもすでに来ていて、忙しそうに手を動かしている。ヴァイパーは紅茶からミルク、水にジュースとあらゆる飲み物の仕度。リラはミソシィルの鍋の様子を見ていて、マリーは目玉焼きを量産していた。

「あれ? ミツルは?」

「充さんは朝市にお遣いに行ってもらっているの。果物がなくて、私たちも食べるけど、カレンはまだジュースが主食だから新鮮なものが欲しくてお願いしたのよ」

 そうなんだ、と頷きながらサヴィラは、人数分のカトラリーや皿を用意する。慣れたものでジョンもレオンハルトもどこに何があるか分かっているので仕度を手伝ってくれる。ミアも父に降ろしてもらうとサラダを作っていた母の手伝いを始めた。

「俺も……」

 手持無沙汰になった父が申し出ると母はキッチンの隅を指さした。

「真智と真咲をお願いね」

「分かった」

 父は母に言われた通り、双子の下へ行く。

「あ、そうだわ、あなた。ポチちゃん、いつなら借りられるかしら?」

「どこかへ行くのか?」

 ゆりかごをのぞき込んでいた父が顔を上げる。

「ヴァイパーにシケット村に買い付けに行ってもらおうかと思っているの。レーズンとハーブと、あれば果物や野菜もね。あそこは世界樹の魔力で野菜や果物が美味しいそうだから、カレンに食べさせてあげたいのよ」

「そういうことなら、今日から使ってもかまわんぞ。ヴァイパーが帰ってきたら、俺たちもブランレトゥに帰ろう」

「あら、急ね。でもよかったわ、早く帰らないと収穫祭が終わっちゃうものね」

「パパ、おまつりいけるの?」

 ミアが驚いたように顔を上げる。

「ああ。約束しただろう?」

「ヴィーちゃんは? ヴィーちゃんはいっしょ?」

「お兄ちゃん、レオンは!?」

 ジョンまで問いかける。レオンハルトが不安そうにマヒロを見上げる。
 マヒロはふっと笑うとこちらにやってきて二人の頭を順番に撫でた。
 
「どちらもパパとママと一緒ならな。子どもたちだけで行くのは危ないからダメだ。サヴィラくらい大きくなったら、友だちだけで行ってもよし」

 その言葉にミアとジョン、レオンハルトが「やったぁ!」と声を上げた。この後、起きてくるだろうシルヴィアもきっと喜ぶだろう。
 ユキノたちが微笑ましそうに目を細めている。

「ミア、おまつりはじめてなの」

「そうなの? なら、僕が案内してあげるね!」

「うん!」

 ジョンの申し出にミアは嬉しそうに頷く。

「あなたは、立派な大人。四児の父よ」

 ユキノがサラダに入れる玉ねぎを刻みながら先手を打つと、大人げない父はしぶしぶ開きかけた口を閉じた。
 収穫祭は去年もおととしも当たり前のように開催していたけれど、孤児たちお祭りの会場そのものに近寄ることはほとんどない。お祭りの屋台は、お祭りだからか普段よりも値段も高く、それによそ者も多く来る。事件や事故に巻き込まれる可能性が高くなるからだ。
 だが、人が多くなる分、花売りや靴磨きの仕事は客が増えるし、人が増えるのに比例してごみも増えるのでその面では恩恵を受けていた。

「皆、今日は何か用事があるか?」

 唐突な問いかけに皆は首を横に振った。

「では、町に帰る前に土産でも買いに行くか?」

「行く! 行きたい!」

 レオンハルトが真っ先に手を挙げた。

「ミアもー!」

「僕も!」

 子どもたちがはしゃぐと父は柔らかに目を細めて頷いた。

「では、朝ごはんを食べて、もろもろの仕度が整ったらな」

「ママ、はやく朝ごはん、つくりましょ!」

「ふふっ、はいはい」

 やる気をみなぎらせる娘にユキノがくすくすと笑いながら返事をする。
 サヴィラも急かされて、同じように頷きながら手を動かすのだった。






「パパ、みてみて!」

「おそろいですわ!」

 真尋が玄関先で待っているとミアとシルヴィアが駆け寄ってきた。
 ミアはピンク、シルヴィアは水色の色違いのワンピースを身にまとっている。

「可愛いな。アマーリア様か?」

「うん! ヴィーちゃんのママがつくってくれたのよ!」

「ほら、メロちゃんとラビちゃんもおそろいですの!」

 娘たちは小脇に抱えていた兎のぬいぐるみを掲げた。そちらも二人と同じワンピースを着ている。

「そうか。とてもよく似合っているぞ。ありがとうございます、アマーリア様」

 丁度、こちらにやってきたアマーリアにお礼を伝える。
 アマーリアの後ろにはリリーと護衛のアイリスがいる。リリーとアイリスはメイド服と騎士服ではなく私服姿だった。

「いえ、神父様にはお世話になっておりますもの。それより本当にわたくしたちもよろしいのですか?」

 アマーリアは出かけると言っても近くのカフェか手芸店に行くくらいで、そのどちらも護衛に迷惑をかけないようにと店の前に馬車を横付けし、異動は最低限。人の多い商店街や市場は歩いたことがないと雪乃が言っていたので朝食の席で誘ったのだ。

「もちろん。たまには息抜きも必要ですよ」

「ありがとうございます、神父様」

 アマーリアは嬉しそうに笑う。その顔は、シルヴィアそっくりだ。

「もう外で馬車の準備は整っています。息子たちが乗っているはずですから、どうぞ」

「分かりました。さあ、シルヴィア、ミアちゃん、行きましょう?」

「はーい!」

「いきましょ、ミアちゃん」

 ミアとシルヴィアが手を取り駆け出して、アマーリアとリリー、アイリスがその背を追って外へと出て行く。
 あとは雪乃だけだ。双子はマリーとリラ、ヴァイパーが子守をしてくれるというので、お留守番だ。ヴァイパーは今夜、買い出しに出かけることになっている。

「ごめんなさい、お待たせ」

 雪乃が寝室から出てくる。
 いつもより少し艶やかな化粧をしていて、紺色のワンピースに身を包んでいた。

「見たことない服だ。買ったのか?」

 さすがの雪乃も子どもたちの世話に加えて、自分の服を作っている余裕はないだろうと判断して問いかける。

「アマーリアが仕立ててくれたの。今日、初めて袖を通したのよ、似合ってる?」

 雪乃がその場で一回転すると、柔らかな素材のスカートは控えめにふわりと広がって上品さの中に可愛らしさもある。

「悔しいが、似合ってる」

「あらあら」

 雪乃が可笑しそうに笑いながらコートを羽織る。

「さ、行きましょう? 子どもたちが待っているわ」

「ああ」

 彼女に腕を差し出せば、細い手が添えられる。

「今日、手袋を買おう。これから寒くなるからな」

 腕に添えられた細い手をぽんぽんと叩くと雪乃は「子どもたちの分もね」と微笑んだ。
 それから馬車に乗り込む。大型の馬車は全員乗っても余裕がある。御者はキアランの隊の騎士が申し出てくれ、園田は御者席に一緒に乗っている。

「そういえば、領主様は?」

 雪乃が首を傾げる。

「兄弟で頭を抱えている」

「それは、まあ、そうねぇ。水の月の事件で大打撃を受けた騎士団が、またも不祥事ですものねぇ」

 雪乃がおっとりと告げる。

「ああ。中隊長が一人、事件に関与していてな。そいつは叩けば叩くだけ埃が出るだろうから、大変そうだ。それにチェスターは責任を取って降格だと言っていたので、大隊長クラスの人間を用意しなけりゃならんしな。」

「あらまあ。でもしょうがないわね、あの方じゃ」

 雪乃はそっけなく答えて、ママーと彼女を呼ぶミアに顔を向けた。
 どうしたの、と雪乃が声をかけ、毛糸がほしいと答えるミアを眺めながら、雪乃がこういうのだから、チェスターは本当にだめなのだろうな、とあきれる。
 しばらくして馬車が止まり、園田がドアを開けてくれる。真尋が先に降りる。次に子どもたちが降りてきて、雪乃とアマーリア、リリーに手を貸し、馬車から降りるのを手伝う。アイリスは騎士であるため、ズボンスタイルなので手は大丈夫ですと笑っていた。

「まあまあ、賑やかね」

 アマーリアが嬉しそうに辺りを見回す。
 ブランレトゥで収穫祭が始まっているのもあり、グラウも格段ににぎやかになっている。

「順番に回ろう」

 そう声をかけて、歩き出す。
 子どもたちは興味深そうにお店をのぞき込み、時にはここに行きたいと意見を主張して、真尋たちはのんびりと買い物をする。
 ミアは編み物にはまっているらしく、毛糸を買い込んで嬉しそうにしていて、サヴィラは大好きな小説を抱えてご満悦だ。ジョンは家族へのお土産を熱心に選んでいて納得のいくものを買えたらしい。ジョンはしっかりとお手伝いをしてくれるので、マヒロがジョシュアたちに許可をとったうえで、御駄賃をあげていたのだが、それをコツコツ貯めていたらしい。
 レオンハルトはサヴィラにおすすめされた小説と剣の玩具を買って、シルヴィアは花の図鑑とお人形用のおままごとセットを買ってもらい、嬉しそうだ。彼らの分のお金は倉庫を後にするときにジークフリートが渡してきたものだ。

「あら、それも素敵だわぁ」

「ねえ、ユキノ、これとさっきの生地で合わせるのはいかかがかしら?」

「待って、選択肢を絞ってるのに増えちゃってるじゃない」

 雪乃とアマーリアは、たくさんの生地が並ぶ棚の前で娘と息子に生地を当てて、あーでもないこーでもないと話し合っている。真尋も参加したいところだが、女同士楽しそうなので、今回は我慢だ。
 真尋は真尋で、この手芸店は飾りボタンが豊富だったので、今後、使いそうなものを選ぶ。ボタンを選んだあとは、男性向けの色の生地が並ぶ棚へと移動する。

「なあ、サヴィ。リックに一張羅を仕立てようと思うんだが、どの生地がいいと思う? あいつ、全部、騎士服で済ませようとするだろ」

 生地選びのマネキンの役目を終えたらしいサヴィラがこちらにやって来たので、問いかける。

「そりゃ、リックにとってはあれが一番便利だしね。父様だって、神父服ばっかり着てたじゃん。そういえば、最近、着てないね」

「ポチのおかげでボロボロでな……なんの生地かも分からんし、何でできているかも分からん服だから、直すに直せなくて、帰ったら祭壇にでも供えておくか」

「そういうもんなの? それで直るの?」

「知らん。それより、どっちがいいと思う? あいつの目の色に合わせるか、それとも雰囲気で選ぶか……」

 穏やかな深緑か爽やかな蒼もいい。柔和な雰囲気の男なので、暖色系も似合うかもしれない。

「俺はやっぱりこっちの深緑かな。目の色にあわせると外れないし、髪色にも合うと思う。リックって地の属性使いだから、緑って感じ。本人も穏やかで、優しいしね」

 息子が穏やかで優しいと評する男は、先日、取り調べに応じなかった犯人の目玉潰してたけどな、と真尋は心の中でつぶやいた。

「なら、これにしよう。俺もこれかこっちか迷っていたんだ」

 生地を小脇に抱える。子供服ならばこの半分ほどの長さでもいいだろうが、体格の良いリックの服を作るにはこの一巻き分くらいは必要になるだろう。

「でもなんで急に? 騎士服じゃダメなの?」

「お前に宝石の鑑定をしてもらったろ? 本当は安全面も考慮してリックやエドワードでも行かせようと思ったんだが、あの二人は宝石の違いなんて分からんから無理だったんだ。だが、ああいう場面はきっとこれからも出てくる。そういう時、騎士服でごまかさないで、仕立ての良い服を着て堂々としていなければ意味がない。騎士服はある意味で、無敵だからな」

「なるほどね」

「エドワードは、ご両親が仕立ててくれたものがあるそうだ。万が一にも夜会や舞踏会に出ることになった時用のが。だが、リックはいきなり護衛騎士に抜擢された上、実家は普通のパン屋だから、こういういわゆる貴族っぽい服は持っていないんだ」

「そりゃ、騎士服で押し通せるしね」

「何よりの正装だとは分かっているが、時に不利になることも考えれば、一着か二着は持っていたほうがいいだろう? それに万が一、恋人でもできて観劇に行くとなって服がないとなれば大変だ。俺のを貸してもいいが、あいつ俺よりでかいしな」

「そういうの余計なお世話っていうんじゃない?」

 サヴィラが呆れたようにこちらを見上げる。

「何を言うか。俺の大事な護衛騎士だからこその心配だろう?」

「それより先にミツルとかカイトの心配しなよ」

「カイトは兄馬鹿を治すしかない。園田は……あれはもうだめだ手遅れだ。どうにもならん」

 真尋とてこれまで大変な思いをして生きてきた園田に自分だけの家族と言うものを持ってほしいとは思っている。まだ彼が藤岡充だったころに、将来は奥さんと子どもと白い犬なんていうありきたりな家族を作って、ローンを払いながら生きて行きたいとかなんとか言っていた。
 だがしかし、真尋としては別に同性でも異性でも構わないのだが、どっちにも興味がないようなのだ。とにかく一に真尋、二に雪乃、三、四が双子で五に真尋ぐらいの勢いで彼は生きていた。いや、現在も生きている。

「さっさと会計だ。雪乃、決まったか?」

 話をそらした真尋にサヴィラが胡乱な目をしているが、真尋にだってどうすることもできないのだから仕方がない。
 雪乃とアマーリアも生地が決まったようで店員を呼ぶ。
 会計を済ませて外へ出ると昼食の時間になっていた。

「レストランを予約してある。個室だから気兼ねなく楽しんでくれ」

「神父様、何から何までありがとうございます」

 アマーリアが丁寧にお礼を言うのに「こちらこそ」と返す。
 アマーリアのおかげで雪乃がとても楽しそうなのだ。真尋としては、本当にありがたいことだ。

「それでなんだが…実は、ジークが来たいと言っていてな。嫌だったら断るが……」

 真尋の言葉にアマーリアは、横にいた子どもたちに顔を向けた。

「お父様、オレとお話してくれる? 王都に行った時みたいに……」

 レオンハルトが不安そうに真尋を見上げる。真尋は膝をついて目線を合わせる。
 父親譲りの紅い瞳はこ心細そうに揺れていた。

「もちろん。レオンともヴィーとも話をしてくれる。むしろ、話をしたくてたまらないんだ」

「……なら、オレもお父様とご飯食べたい」

「わ、わたくしも」

 二人の言葉に「分かった」と真尋は頷いて立ち上がる。
 近くの店の屋根の上を振り返れば、数羽のカラスが止まっていた。真尋が頷くとその中の一羽が、ふわりと翼を広げて飛んでいった。

「では行こう」

 そう促して真尋は馬車へと皆を促したのだった。







「パパ、これおいしいねぇ」

「ああ。そうだな」

 にこにこと真尋と雪乃の間の席でサラダを頬張る娘に真尋も自然と笑みがこぼれる。真尋の隣では、サヴィラがメニューを見ながらメインの肉料理に想いを馳せているようだ。
 真尋達の向かいの席には、昼ご飯くらいは一緒にとやってきた一路とジョンと海斗が座っている。サヴィラの横にはレオンハルトとシルヴィア、アマーリア。その向かいにジークフリートが座っていた。園田とリックとオーランドは壁際に控えている。一緒にと言ったのだが、ジークフリートもいるし、家ではないのでとのことだ。彼らにも面子があるので仕方がない。エドワードとホレスが先に別室で食事を摂っていて、交代で食事をするそうだ。

「レオン、ヴィー、お、美味しいか?」

 ジークフリートの問いかけに二人はこくりと頷いた。そこでやはり会話が終了する。
 どうしてこの領主様はその先に続けられないのか。せめて「お父様はこのドレッシングが好きだな」とか「この野菜の名前を知っているかい?」とか広げようと思えば、いくらでも広げられるはずだ。

「レオン、ヴィー、今日は買い物に行ったんだろう? 何か買えたかい?」

 優しい海斗が助け舟を出した。

「うん。オレはサヴィラのおすすめの本と剣のおもちゃを買ったんだ。魔力を流すと光るんだ!」

 レオンハルトが嬉しそうに答える。

「わたくしはお花のずかんとおにんぎょうのおさらをかってもらったのですわ」

 シルヴィアも面倒見の良い海斗にはよく懐いているので、にこにこしながら答える。

「レオン、ヴィー。お金を出してくださったのは、お父様なのよ。ちゃんとお礼を言いましょうね」

 アマーリアが優しく促すと途端にレオンハルトの顔がこわばった。
 それに気づいたレオンハルトの隣に座るサヴィラが「どうしたの」と小声で尋ねる。

「……おもちゃは、買わないほうがよかったかな」

「なんで?」

 サヴィラがぱちりと瞬きを一つする。

「お、お父様のお金、なのに……その、勉強の道具を買ったほうがよかったかもしれない」

 レオンハルトは小声で話しているが、ジークフリートには聞こえていたようで、なんとも形容しがたい顔をしていた。
 おそらくだが、ジークフリートはこれまで「勉強はどうだ?」ぐらいしか息子との会話の糸口を見つけられなかったのだろう。なにせ息子の好きなものも、娘の好きなものも知らない父なのだ。そういえば、真尋の父も顔を合わせれば「勉強はどうだ」と仕事の話くらいしかしてこなかった気がする。
 アマーリアもどう息子をフォローすべきか、夫にも角が立たないようにしなければ、と悩んでいるようでオロオロしている。
 すると海斗がジークフリートに耳打ちした。ジークフリートが真剣な顔で頷き、ぎこちなく口を開く。

「レオン、そのおもちゃ、今度見せてくれ。お父様も子どもの頃、剣の玩具を買ってもらったんだ。きっと探せばまだどこかにあるだろう」

「う、うん……うん!」

 レオンハルトの顔に安堵の笑みが浮かぶ。

「ヴィーも、図鑑で発見があったらお父様に教えてくれるかい?」

 シルヴィアはぎこちなくも少しだけ嬉しそうに口元をほころばせて頷いた。
 ジークフリートが安堵に胸を撫でおろしているが、お前の課題は山積みだ、と真尋は溜息をぐっとこらえた。
 それからは、海斗がアドバイスしたのだろう。ジークフリートは聞き役に徹し、海斗が子どもたちに話題を振って、架け橋役を担っていた。
 料理はどれも美味しく、そうすれば皆、自然と会話も弾む。

「春になったら妹が生まれるから、妹の分もお土産を買ったの。お花の柄のリボン」

 ジョンの言葉に一路が「そうなんだぁ」と頷く。

「だが、ジョン。男の子だったらどうするんだ?」

 真尋の問いにジョンが振り返る。

「男の子だったら、お母さんにあげる。でも……なんでかな、最初は女の子だったらいいなって思ってたけど、いつの間にか女の子が生まれるって、なんかこー、うーんとね……『分かった!』みたいな気持ち。自分でもよく分かんないんだけど」

 ジョンは自分でも不思議そうに首を傾げた。

「子どものそういう勘はどうしてか当たるときがあるのよねぇ。もしかしたら本当に女の子かもしれないわね」

 雪乃が言った。

「それに妹だったら嬉しいなって思うけど。弟でもやっぱり嬉しいよ」

 ジョンは嬉しそうに言った。

「弟、可愛いもんな!」

 海斗兄馬鹿が全力で同意する。

「そういえば、春で思い出したけど、真尋君、春に何する気なの? まだ教えてくれないの?」

 一路が目をキラキラと輝かせて自分を見つめる兄をスルーして問いかけてくる。
 デザートのケーキを上の苺はミアに、残りはまだ食べられるというサヴィラに譲りながら、真尋は周りを見る。

「そうね、何をするの?」

 雪乃まで首を傾げる。
 事件もおおむね解決に至っているし、これからブランレトゥに帰るし、都合のいいことに話をしようと思っていた人物が大体揃っている。丁度いいかと真尋は水を一口飲んで、横を向く。
 ミアの上を通り越し、愛する妻へと顔を向けた。雪乃がきょとんとして首を傾げる。

「雪乃、俺は君と約束した。君が成人したら、結婚式を挙げると」

「え、ええ、そうね」

 珍しく雪乃が驚いている。

「こちらでは十八歳が成人だ。俺たちを再び引き合わせてくれたティーンクトゥスの下で、結婚式をしないか?」

「結婚、式?」

 雪乃は呆然とそう繰り返した。

「パパ、けっこんしきってなぁに?」

 ミアが問いかけてくる。

「結婚式というのは、神様の前でこの人を妻として、夫として、一生を共にすることを誓う式だ。真っ白な特別なドレスをママが着て、パパは園田のような服を着て、神様に誓うんだ」

 真尋の説明にミアは分かったような分かっていないような様子だった。
 だが、それは仕方のないことだ。こちらの世界にはそもそも結婚式というものがない。ティーンクトゥスが信仰を得ていた千年前にはあったかもしれないが、教会が衰退して久しい現在、結婚を誓う相手がいないのだ。ゆえに絵本や小説といった物語の中にも結婚式というものはない。あるのはあちらで言う披露宴のようなものだけなのだ。それだって皆、おしゃれをして、いつもより豪華な料理を用意して、存分に楽しむのだろうが、やはりそこは結婚を誓う場ではなく、結婚相手をお互いの家族や友人に披露し、お祝いする場所でしかない。

「私……ずっと夢だったの。どんなに苦しくても、熱が高くても、あなたがデザインしてくれたウェディングドレスを着るんだって思うと頑張れたの。……でも、」

 雪乃がとつとつとしゃべり始める。

「あなた、いなくなっちゃったから」

 彼女の声がかすかに震えたのに気づいて、真尋は立ち上がり彼女の下へ行く。

「もう二度と、叶わない願いなんだって……思って……っ、でも、あなた、生きているんだものね……っ」

 のぞき込んだ真尋の頬を雪乃の両手が包み込む。
 銀に紫の混じる眼差しがぽろぽろと涙をこぼしながら真尋を見上げる。

「結婚式、したいわ。私のドレス、デザインしてくれる? 約束したもの」

 泣きながら心底、嬉しそうに笑った雪乃を真尋は抱きしめる。

「ああ。俺以外のデザインはだめだ。母さんの頼みだって断ったんだ」

「ふふっ、本当に……大人げない人」

 細い腕がぎゅうっと真尋の背に回される。負けないくらいに抱きしめ返して「一言余計だ」と笑った。

「結婚式かぁ、腑に落ちたよ! おめでとう、雪ちゃん!」

「おめでとう、雪乃! やっと夢が叶うな!」

 一路と海斗がお祝いの言葉と拍手をくれて、雪乃が顔を上げる。彼女は涙をぬぐいながら「ありがとう」と笑った。
 彼らの向こうで園田が号泣し、リックとエドワードが両側でよしよしと背中をさすったり、ハンカチを差し出したりしている。

「結婚式が何をするかは、はっきりとは分からないが、おめでたいことなんだな。もし私が協力できることがあれば、言ってくれ」

「わたくしもです。何かあればぜひ」

 ジークフリートの言葉にアマーリアが続く。
 真尋と雪乃は揃ってお礼を言う。

「詳細はまた落ち着いたら改めて。皆にはそれぞれ頼みたい役割があるんだ」

「ミアも?」

「ああ。ミアも。もちろんサヴィラもな」

 首を傾げた娘に真尋は頷く。
 サヴィラは「よく分んないけど分かった」と笑って頷いた。

「お母さまは、けっこんしきをしたの?」

 シルヴィアが問いかける。

「結婚式というものをお母様も初めて聞いたのです。披露パーティーは一般的ですが……」

「結婚式は僕たちの国で行われるものなんだよ」

 アマーリアの疑問に一路が答える。

「結婚式ってのは、真尋も言った通り、神様の前で永遠に夫婦として共にあることを誓う。んで、出席者はそれを見届ける証人ってわけ」

 へぇ、と皆が頷く。

「証人と言うのはだれがなるんだ?」

 今度はジークフリートが問いかける。

「そうだね。基本的には結婚式に呼ぶのは両親と兄弟、祖父母や伯父伯母、仲が良ければ従兄弟。あとは親しい友人、職場の上司や同僚とかかな」

「結婚式は身内だけでして、披露パーティーにはもっと大勢呼ぶっていう方法もあったよ。田舎だと近所の人も呼ぶって言ってたよ」

 海斗の言葉に一路が続く。
 ジークフリートが「へぇ、披露パーティーはそれほど変わらないな」と漏らす。

「どんな結婚式にしようかしら、お花をいっぱい飾りたいわ」

 雪乃が真尋の腕の中でキラキラと少女のように顔を輝かせる。それがどうしようもなく愛おしくて真尋の死んだと揶揄される表情筋も息を吹き返して勝手に緩む。

「春に挙げるなら、お花もたくさんありそうですわ」

 アマーリアが頷く。

「招待客を決めて、招待状も作らないといけないし、やることがたくさんね」

「その前に日付を決めないとな。ジーク、君たちにも出席してもらうつもりだから、町の行事なんかと重ならないよう、あとで教えてくれ」

「ああ、分かった。私も仕事を調整しないとな」

 ジークフリートはどこか楽しそうに頷いた。

「春ってことは、あと半年くらい先ね? そのころには双子ちゃんもお座りができるようになっているかしら?」

「ユキノ、結婚式の貴女のドレスは神父様が作るのなら、子どもたちのはわたくしも仲間に入れてくださらない?」

「もちろんよ。うふふっ、楽しみだわぁ」

 にこにこしている雪乃がたまらなく可愛くて、つむじにキスを落とす。ああ、可愛い。俺の妻は本当に可愛い。と心の中で繰り返す。
 思わぬ形での報告になったが、結婚式を雪乃が心から喜んでくれたことは本当に安心した。
 真尋は自分の席に戻った後も、あんなふうにしたい、こんなふうにするのもいいわね、と楽しそうな雪乃を眺めて、幸せをかみしめるのだった。




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フリーター転生。公爵家に転生したけど継承権が低い件。精霊の加護(チート)を得たので、努力と知識と根性で公爵家当主へと成り上がる 

SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
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400倍の魔力ってマジ!?魔力が多すぎて範囲攻撃魔法だけとか縛りでしょ 25歳子供部屋在住。彼女なし=年齢のフリーター・バンドマンはある日理不尽にも、バンドリーダでボーカルからクビを宣告され、反論を述べる間もなくガッチャ切りされそんな失意のか、理不尽に言い渡された残業中に急死してしまう。  目が覚めると俺は広大な領地を有するノーフォーク公爵家の長男の息子ユーサー・フォン・ハワードに転生していた。 ユーサーは一度目の人生の漠然とした目標であった『有名になりたい』他人から好かれ、知られる何者かになりたかった。と言う目標を再認識し、二度目の生を悔いの無いように、全力で生きる事を誓うのであった。 しかし、俺が公爵になるためには父の兄弟である次男、三男の息子。つまり従妹達と争う事になってしまい。 ユーサーは富国強兵を掲げ、先ずは小さな事から始めるのであった。 そんな主人公のゆったり成長期!!

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