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本編 2

第六十七話 飄々と笑う男

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 騎士が多く住む地区の住宅街の一角。立ち並ぶ家々はどれもこれもよく似ている。二階建てで小さな庭付き。その中で通りに面した一軒家。
 その家の前でリックは馬車を停める。
 御者席から降りて、ドアを開ければきっちりとした服を着たマヒロが出てくる。リックには見えないが、隠蔽魔法で姿を隠したウィルフレッドとレベリオもいるはずだ。
 中にはまだジェンヌが残っている。被害者女性を発見し次第、中へ入ってもらい、すでにここにいなければ別の部隊の下へ移動してもらう手はずになっている。
 リックが先頭に立ち、玄関のドアをノックする。
 応答はない。だが、この中にいることはここを見張っていた仲間たちからの情報で間違いない。
 もう一度、ノックする。しかし、やはり応答はなく、ドアに耳を当ててみるがこれといった音もしない。

「どれ……」

「蹴破るのは無しです」

 リックが先手を打つと持ち上げかけた足をマヒロが降ろした。

「しょうがない……ポチ」

 マヒロがジャケットの胸辺りを上からたたくと、ひょっこりとポチが顔を出した。

「ここだ、ここ」

 マヒロが鍵穴を指さすと、ポチは「ぎゃう」と頷いて、ぐぐーっと小さくなる。手のひらよりも何よりも小さくなって、ぎりぎり目視できる程度の大きさになると、なんとドアの隙間から中に入っていった。リックたちが驚いている間にガチャリと音がして鍵が開き、ドアが開く。

「ぎゃーう!」

 いつもの大きさに戻ったポチがまるでこの家の主かのように迎え入れてくれた。
 どうやら中から鍵を開けてくれたようだった。

「試しに言ってみただけなんだが……これで鍵いらずだな」

 意気揚々と家の中に入っていく主にリックは慌てて後について行く。
 家の中はしんと静まり返っていた。人の気配は今のところ見当たらない。
 マヒロがリビングと思われる部屋へと入り、リックもそのあとに続く。その瞬間、リックは思いっきり左側に向かって拳を叩きこんだ。

「ぐあがっ」

 汚らしいうめき声と共に顔面で拳を受け止めた男がよろめく。その右手にナイフが握られていて暗闇で鈍く光っている。その手首を掴んで軽くひねってナイフを離させ、そのまま腕をつかんで背負うようにして思いっきり投げた。マヒロの故郷の武道の一種で一本背負いというのだと教えてもらった。
 ガッターンとすさまじい音がして男が床に受け身も取り損ねて転がる。そのまま寝技(これもマヒロに教わった)に持ち込んで、そこからうつぶせにして腕をひねり上げて馬乗りになった。
 隠蔽を解いて臨戦態勢に入ったウィルフレッドとレベリオが呆然としている。

「おや、ジェイミー、ごきげんよう」

 マヒロが上体を屈めて、丁寧にあいさつをする。
 リックが取り押さえた男――ジェイミーは、呻きながらマヒロを睨みつけていた。

「どうだ? 俺の護衛騎士は強いだろう? この俺が直々に体術を仕込んでいるからな。こういう狭い場所では、剣や魔法で応戦するより便利だ」

 いつのまに拾ったのか、マヒロはジェイミーが持っていたナイフを持っていて、それでジェイミーの頬をぺちぺちと叩く。

「くそがっ」

「私の主に汚い言葉を向けないでいただけますか?」

 腕をひねり上げている手に力を籠めれば、ジェイミーがますます呻いた。マヒロはつまらなさそうにジェイミーを一瞥して体を起こすと部屋の中を見回し始めた。

「リック、縛り上げておけ」

「はい」

 リックは頷いて、いつもの拘束魔法ではなく騎士団で使用している魔法を無効にするロープで縛り上げる。ジェイミーが火と地の使い手で、拘束魔法は少々不利なのだ。
 レベリオが手伝ってくれ、ジェイミーを無事に拘束する。ここで初めて彼はウィルフレッドとレベリオの存在に気づいたようだった。

「やあ、ジェイミー。君の華々しい噂は聞いているぞ」

 ウィルフレッドの言葉に顔を青くするジェイミーをレベリオが鼻で嗤った。

「ふむ、逃げた後のようだな」

 キッチンから戻ってきたマヒロが言った。

「仲間がいただろう? 誘拐犯どものリーダー格が。そいつはここで暮らしていると情報を得たんだがな」

「知るか」

 床に転がるジェイミーは青い顔のまま答えた。
 まだマヒロに反抗する気力はあるらしい。

「被害者はどこだ?」

「知るか」

「そうか。まあお前のことはあとで締め上げるとして……」

 そう呟いてどんどんリビングを出て行く。リックはその背を追いかけて行く。マヒロの足は迷うことなく階段下の物置へとむかった。
 そのドアは外から鍵がかけられるようになっていて、それを解除してドアを開ける。

「……いた」

 中を覗き込んだマヒロが呟き、すぐに顔を引っ込めた。

「馬車に待機しているジェンヌを呼んできてくれ。ついでにリック、上着を貸せ」

 マヒロがジャケットを脱ぎながら言った。リックも慌てて制服のジャケットを脱いでマヒロに渡すとマヒロは、中を見ずにそれを物置に放り込んだ。

「これを着るといい。すぐに女性騎士が来てくれる」

「……あ、ありがとうございます……っ」

 女性のか細い声が聞こえてきた。
 服を着ていないのだと瞬時に理解し、リックはすぐにジェンヌを呼びに行く。玄関から飛び出すと何かを言う前に馬車からジェンヌが降りてきた。

「いた?」

「入ってすぐ、階段下の物置です。でも、服を着ていないようで……」

「分かった」

 短い会話を交わして、ジェンヌは家の中に入っていく。

 リックはあたりを見回す。ここは騎士たちが多く暮らす区画だ。窓からこちらの様子をうかがっているのが何人かいる。しかし、ここに住んでいる者たちが敵か味方は分からない。気づかなかった振りをして中へ戻る。
 ジェンヌの声が階段下の物置の中から聞こえてくる。マヒロの姿はなく、ウィルフレッドもいないが二階で足音がするので、そちらを見に行ったのだろう。
 リックはアイテムボックスのリストを開いて、何かないかと中身を確認し、毛布と替えの服があることに気づいた。毛布は一枚しかなかったが、ないよりはマシだ。服は普段着の綿のシャツが二枚あったので、それも取り出す。

「ジェンヌ」

 ドアの外から声をかければ、ジェンヌが顔を出す。

「よければ、これを。ジャケットだと前が開いているでしょう? あ、洗濯、洗濯はしてありますから……!」

「ははっ、大丈夫。ありがと」

 ジェンヌが可笑しそうに笑いながらシャツと毛布を受け取る。

「それとこれを……ユキノさんがもたせてくれたキャラメルです。ミルクを煮詰めて作ったもので、甘くておいしいんですよ」

 小さな袋をジェンヌが持つ服の上に置く。

「ユキノさん特製なら間違いなしね」

 そう言ってジェンヌはウィンクを一つすると中へ入っていった。
 リックは、上の主が気になるが目の前のリビングにはジェイミーもいる。レベリオがいるとはいえ、見張りとしてここで待つことにした。

「リック護衛騎士」

「はい。どうされました?」

 リビングからレベリオが出てくる。

「小鳥を余分に持っていますか? 私の手持ちは、全員仕事中でして……」

「ありますよ、どうぞ」

 リックは小鳥を一羽、レベリオに渡す。レベリオはお礼を言って受け取ると魔力を流して起動させる。紙から柔らかな羽毛をまとった茶色の小鳥に変化して、レベリオの指に留まる。

「『キアラン二級騎士、事務官。裏切り者。護送』」

 小鳥は伝言を預けると、ふわりと飛びたち出かけて行った。

「本当に便利ですよね。この小鳥たちのおかげで、どれほど仕事が楽になったか」

「分かります。探す手間が省けるって、こんなに素晴らしいんだと思いました」

 リックも力強く頷く。
 上司に伝言を頼まれたり、自分自身が何かを伝えたりしたいとき、まずは出勤の有無の確認し、内勤か否かを調べる。例えそれらを知っていても食事をしているかもしれないし、トイレかもしれないし、とにかくあの広い騎士団と町で誰かを探すのは大変なのだ。
 騎士団で飼っている手紙を運ぶシャテンもいるのだが、羽数が限られている上、色々と使用に関する申請しないといけないので面倒なのだ。
 だからこそ、この小鳥のおかげで随分と楽になった。

「女性たちは、大丈夫でそうですか?」

 レベリオが声を潜める。

「それは私にはなんとも、姿を見ていないので……ただマヒロさんが服を要求したので……その」

 言葉を濁したリックだが、ナルキーサスのこと以外は敏いレベリオは皆まで言わずとも分かってくれたようだった。眉間にしわを寄せ、苛立たしげに溜息をこぼした。

「ここには話通りであればジェイミーと例のリーダーの男しかいません。見張りが手薄な分、そうすることで逃げられないようにしていたのでしょう」

「おそらくは……」

 苦々しげに告げるレベリオにリックも眉間にしわが寄るのを自覚する。

「とりあえず私たちができる最大限をするしかないでしょう」

「そうですね」

 リックは神妙に頷く。
 グラウの騎士団はこれから大騒ぎになる。それを治めるのは並大抵のことではない。一度失った信頼を取り戻すことは、最初に信頼を築くよりもずっとずっと難しいことなのだ。

「それにしてもリック、腕を上げましたね。先ほどの体術、見事でした」

 思いがけない褒め言葉にリックは、いえ、と恐縮する。
 レベリオは妻のことに関してはあれだが、騎士としては本当に強くて、素晴らしい人なのだ。ブランレトゥからエルフ族の里まで一人で来られてしまうほど腕も立つし、予定通りに事が進んでいれば、ジークフリートの護衛騎士になっていたはずの人だ。褒められると素直に嬉しい。

「ありがとうございます。マヒロさんに教わっている最中なのですが、ジュウドーと言うそうで、マヒロさんの故郷では有名な武術の一種だそうです。今日が初めての実践でしたが、確かに急所を押えることで今回のように室内などで一対一の場合は便利だなと」

「確かにそうですね。呪文を唱える時間も剣を抜く時間も必要ありませんから。それは鍛錬すれば誰でも身に着けられるのでしょうか?」

「第二小隊は指導して頂いているのですが、マヒロさんの指導が上手いのもありますが習得しつつあります」

「なるほど……今後に生かせませんかねぇ」

 レベリオは真剣に悩んでいるようだった。
 ふと上がやけに静かなのに気づいた。

「……何をしているんでしょう、上は」

 リックは上を見上げる。物音一つしない。先ほどまで足音だったり、家探したりする音が聞こえていたのに。

「ここは私に任せて様子を見てきてください」

「ですが……」

「ああ、ジェイミーなら(物理的に意識を)落としたから大丈夫ですよ」

 にっこり笑ったレベリオに、なら大丈夫ですね、と笑顔で返してリックは階段を上がる。
 真正面の寝室と思われる部屋のドアが開いていて、そこへ入ると本棚が扉のように開いていた。思わずそこをのぞき込むとマヒロとウィルフレッドがいて、何かの資料を手に持っていた。

「何をしているんですか?」

「ああ、色々と隠していてな。あの伯爵家の三男と同じようなことだ」

 ほれ、と渡されたものを見れば、数字が並んでいた。
 水の月にあのバカな三男坊の部屋で見たなぁとリックは眉を下げ、横領の証拠品を複雑な気持ちで眺める。

「騎士団のあいつの部屋も探すつもりだったが、手間が省けたな」

「有難いことだ、本当に」

 マヒロの言葉に同意するウィルフレッドの額には青筋が立っていて、笑っているのに目がこれっぽっちも笑っていなかった。

「これで大体は解決だ。あとは、逃げたリーダーを捕まえるだけだからな」

「そうですね。マヒロさん、私はこの後どうすれば……」

「お前は女性たちの馬車の御者を務めろ。ジェイミーは……」

「それなら先ほど、レベリオ殿が伝言を飛ばしていましたので、そのうち迎えが来るかと」

「なら、ジェンヌとともに一度、第二小隊の宿へ帰れ。治癒術師が待っていてくれるはずだ」

 さすがに人数が増えてしまった分、ナルキーサス一人の手には余るので、二名ほどブランレトゥの治療院から女性の治癒術師と薬師が一名来てくれている。

「宿に到着したら、倉庫に戻っていてくれ」

「分かりました。失礼します」

 リックは一礼し、再び一階へと降りる。
 リックが一階に降りるのと同時にジェンヌが出てきた。

「リック、宿へ行きたいんだけど……」

 どうやら女性たちが移動できるようになったようだ。

「私が御者を務めます」

「では、リック騎士、ちょっとジェイミーを見ていてください。私がここから馬車まで水のベールを張りますから」

 レベリオの申し出に頷いて、リックは一度、リビングへ行く。
 レベリオに落とされたジェイミーは白目をむいて気絶していた。失禁しているのか、嫌な臭いがして眉を寄せる。

「中隊長にまで上り詰めたのに……馬鹿な人だ」

 引き返そうとは思わなかったのだろうか。それとも突き進めると思ったのだろうか。
 捕まってしまった以上、彼はもう騎士という身分を剝奪される。信用も信頼も何もかもを喪うことを分かっていたのだろうか。唯一、幸いなのは彼には妻も子もいなかったことぐらいかもしれない。

「まあ、どっちでもいいか」

 そう呟いて、リックは小さく呻いたジェイミーを見下ろすのだった。









 エドワードは、なんで俺、こっちの班についてきちゃったんだろう、と少し後悔していた。
 マヒロたちが表からジェイミーの家に入るとほぼ同時に裏口からリーダー格と言われている男が逃げ出した。それは想定内のことだったので、エドワードたちの班はこうして追跡をしている。
 カイト、イチロ、ルシアン、ピアース、カロリーナ、そして、エドワードだ。
 隠蔽魔法で姿を隠しながら、音も気配もなく男を追いかけている。
 男は商店街まで逃げてきて、辺りを見回す。誰もいないことに息を吐くと、膝に手をついてなんとか呼吸を整えようとしている。
 エドワードは店と店の間の路地から男を見張る。
 一方、仲間の騎士たちは男の近くにいる。
 ピアースは、男のすぐそばの街灯の上におすわりをして、男を上からじーっと見つめていて、ルシアンはその街頭から伸びる横棒(普段は花籠やお祭りのときは旗を飾るやつ)に両ひざを引っかけて逆さまになって男を見ている。二人の長いふわふわの尻尾が、ゆらゆらともったいぶるように揺れている。
 カロリーナはカロリーナで、すぐ横の建物のバルコニーに降り立って欄干に肘をつき、眺めている。
 イチロとカイトは屋根の上から男を見下ろしていた。

「はぁ、はぁ、くそっ、ジェイミーめ、嗅ぎつけられやがって……っ!」

 男が悪態をつきながら体を起こし、顎から滴る汗を手の甲で乱暴にぬぐった。
 それを二頭の豹と一頭の獅子がじーっと見つめているのである。目の前の獲物が動き出すのを待っているのだ。

「……こわ」

 俺は人族だしな、と思いながらエドワードもまた男が動き出すのを待つ。
 この男を逃がしたのにも訳がある。
 もう一つ拠点があるらしいのだが、こちらはこの男しか知らないらしいのだ。というのもそこは商品を匿う場所ではなく、調達した資金や物資を隠している場所で、下っ端連中には教えられていないと言っていた。
 倉庫にいた奴らのまとめ役もそういう場所があるのは知っているが、どこかは教えられていなかった。
 まだ組織自体ができて日が浅く、警戒心が強いのだろう。
 男は三十代ぐらいに見える。種族は多分、人族だ。中肉中背でどこにでもいそうな顔立ちをしている。犯罪者として実に有利な顔立ちだ。マヒロのような整い過ぎた顔は覚えられやすい。犯罪を犯すなら、このどこにでもいそうな顔立ちのほうがいいのだ。

「こうなったらさっさとおさらばだ……っ」

 絵に描いたようなダメな悪役のセリフを吐いて、男が再び走り出す。
 エドワードは見逃さなかった。獲物をいたぶるシャミネのように三人の目がギラギラと輝いたことを。彼らは音もなく駆け出し、男を追いかけて行く。

「猫ってさぁ、怖いよなぁ」

「僕、犬派~」

 降りてきた兄弟がぼやく。エドワードは「俺もだよ」と頷いて、彼らの背を追いかける。
 男は走って、走って、グラウの門の傍のアパートメントの前で止まった。
 周囲を警戒しているが、すでにルシアンはアパートの屋根の上にいるし、ピアースは男の背後に降り立っていた。
 男は寝静まった町の中で自分しか動いていないのを確認し終えると、そのアパートの二階へと上がっていく。ピアースとカロリーナが何も知らない男の背についていく。
 そして、二階の角部屋で止まると男はズボンのポケットから鍵を取り出してドアを開けた。
 男についてするりと二人が中へ入っていった。
 パタン、としまったドアにエドワードは、小鳥を取り出して近くで待機しているはずの仲間に馬車を頼む。護送用の馬車は、尾行がばれないようにかなり離れていたが、こちらを追いかけていたのだ。狼系の獣人族であるシヤン騎士が御者席に座り、臭いで追いかけていてくれるのだ。
 小鳥が夜空に飛んでいくのを見届けて、エドワードは改めてアパートを見上げた。

「小隊長が、どうかアパートを燃やしませんように」

「ルシアンさんとピアースさんの属性は?」

「火と風」

「はい、兄ちゃん、いってらっしゃーい!」

 イチロが兄の背を押す。

「ええ、やだよ、あんなの猛獣の檻に入るようなもんじゃん!」

「兄ちゃん、お願い……!」

 イチロが兄の服の袖を握って上目遣いで小首を傾げる。身長差のある兄弟だからなのか、カイトが兄馬鹿をこじらせているからなのか、効果は抜群だったようだ。

「もう、イチロはしょうがないなぁ」

 でれでれしながら鼻の下を指でこするとカイトは意気揚々とアパートの階段を上がっていった。

「兄ちゃん、頑張ってねー!」

「任せとけ!」

 振り返ってウィンクをするとカイトは部屋の中へと入っていった。
 ちょろすぎてちょっと心配になってしまう。いや、イチロが女装を渋った時も冷静に諭していたし、熱が出たのを誤魔化していた時も兄らしい一面をのぞかせていたが、何分、カイトはイチロに対してチョコレートよりも甘かった。そして、イチロもそれを十二分に理解しているようで、やりたい放題である。
 エドワードが兄に上目遣いで「お願い!」なんて言ったところで「気持ち悪……」と引かれて終わりだ。というかそれが普通だろう。ミア(六歳)がサヴィラ(十三歳)に甘えるのとは話が違うのだ。

「っていうか、カイトは水属性があるんだな」

「兄ちゃんは、水と火と風と地と光だって言ってたよ。でも、光は浄化のみで、治癒は使えないって言ってた」

「突然、五属性とか暴露するのやめろよ……」

 のほほんとしているイチロにジト目を向けるがイチロはきょとんとしている。

「……ミツルさんは?」

「みっちゃんは、この間、火と風と水を使っているのは見たけど、他は知らない。雪ちゃんのは知らないけど、双子は三つずつとかなんとか言ってたけど、赤ちゃんに戻ったし、どうなんだろ?」

 顎に手を当て、うーむ、と悩んでいるが、正直エドワードは聞いたことを後悔していた。
 あの一家、一属性というこの国で最も多いごくありふれた人がミアしかいない。エドワードの二属性だって一目置かれるのに。
 雪乃は発見時の報告書に水と風と火の属性を同時に使ってドラゴンの卵を孵したと書かれていたのをエドワードはしっかりと覚えている。一緒に読んでいたリックが「見なかったことにしよう」と遠くを見つめていたのもしっかりと覚えている。

「いちー! エディ! 終わったよー」

 カイトの呼ぶ声に顔を上げれば、カイトがぴょんと二階から飛び降りてこちらにやって来る。部屋の中からはカロリーナが男を担いで出てきた。気のせいではなければ、男の髪と服がちょっと焦げていて、男はびしょ濡れだった。だが、これは第二小隊でよく見る光景なので驚かない。
 丁度、シヤンが操る馬車も到着する。
 カロリーナがぐるぐる巻きに縛り上げられたびしょ濡れの男を馬車の中に放り込む。

「中はどうでした?」

 イチロが問いかける。

「金と剣や弓、魔石なんかの物資が大量に保管されていたよ。ルシアンとピアースが検分している」

 カロリーナが呆れたように答える。

「幸い、人はいなかった。本当に金庫としての役割の部屋なのだろうな。狭いし、隠し部屋もなさそうだ。とはいえ、他の部屋の住人への聞き取りは必須だろうが。エディ、小鳥を神父殿に飛ばしてくれ。私は倉庫にこいつを連れて行き、数名連れてくる。アパートを見張っていてくれ」

「はっ」

 エドワードは騎士の礼を決める。カロリーナが馬車に乗り込むとシヤンが会釈をして手綱を握りなおし、倉庫のほうへと馬車は勢いよく走り出した。

「これで大体、かなぁ」

 イチロがぐーっと伸びをしながらこぼす。エドワードは、マヒロに犯人確保と拠点発見の伝言を託して、小鳥を飛ばす。

「収穫祭も楽しみなんだけど、あっちに帰ったらまた忙しいんだろうなぁ」

「だろうな」

「俺も勉強頑張らないとなぁ」

 カイトが呻く。彼は年明けに弁護人試験を受けるつもりらしい。

「騎士団のお仕事に、教会の準備、お店の準備もあるし……」

「待て待て、店ってなんだよ」

 エドワードは、思いがけない言葉に振り返る。
 イチロはきょとんとして首を傾げている。

「ああ、真尋君から市場通りの空き店舗、もらったんだよね。そこでアロマオイルとか、石鹸とか売ろうと思って」

「聞いてないんだけど??」

「今言ったからねぇ。僕も狙ってた店舗なんだけど、真尋君に先越されちゃってさ。だけど、ほら、女装で制圧したでしょ? その報酬としてもらったんだー」

 飄々と笑いながらイチロは告げる。
 カイトは兄馬鹿をこじらせているので「もらえたのか? よかったなぁ」とイチロの頭を撫でている。

「て、店員とか経営とかはどうすんだよ??」

「それはまあ、人は雇うけど経営の知識はあるよ? 僕、経済学部に進学しようと思ってたし、ずっと真尋くんを将来支えるために経営に関する勉強は続けてきたしね。もちろん、こっちにはこっちの規則があるだろうから、それも学んで、来年の夏ごろには開店させたいんだよね」

「は、初めて聞いた……」

「言ってないからねぇ」

 イチロは、またも軽く笑っている。
 相棒の主が、大分規格外の人だったので、相棒は大変だなぁとか思っていたのだが、エドワードの相棒も無自覚で大分規格外なのを久々に実感した。

「あ、真尋君を支えるためって言ったけど、僕の意思だからね。真尋君は僕に惜しみなく知識も環境も与えてくれたけど、多分、僕が最終的にパティシエになるって言っても止めなかったと思うよ。……エディさんも薄々感じているかもしれないけどさ、真尋君の傍って飽きないでしょ?」

 いたずらに笑った主にエドワードは首を横に振ることはできなかった。
 だって、事実、マヒロが現れてからエドワードのそれなりに充実していたはずの日々は、ハチャメチャな日々へと変化した。
 疲れることも、苛立つこともあるけれど、それを上回るのは、まるで冒険小説の中に入り込んでしまったかのような高揚感だ。

「僕も兄ちゃんも、真尋君の隣にいると僕らだけじゃ見られないような世界がたくさんあって、面白くて、楽しくて、そばにいるんだよ。こんなところまでついてきちゃうほどにさ」

 そう言ってイチロは、楽しそうに笑った。カイトもにこにこしている。
 きっと、エドワードの相棒も彼らと同じなのだ。マヒロの傍にいるようになって、相棒は以前よりもずっと生き生きとしている。
 だが、それはエドワードにだって言えることだ。この規格外の主たちと共に過ごす日々は、ハチャメチャで飽きることなんてないと思う。

「ま、なんでもいいや。俺は護衛騎士としてやれることをするだけだし」

「そうそう、頑張って僕を守ってくださいね」

 そう言って笑ったイチロにエドワードはやれやれと肩を竦めるのだった。



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