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本編 2
第六十六話 母である女
しおりを挟む「あ、おかえりなさーい」
決戦に出かけていた真尋たちが戻ってきたと知らせが入ってすぐ、彼らが姿を見せる。
出かけて行った時と同じく、皆、きっちりとした格好をしているが、ネクタイが緩められたり、ジャケットを片腕にかけていたりと、全体的にゆるゆるだ。その上、少し表情が疲れ気味の様子だった。
「ど、どうでした?」
倉庫内に作った会議スペースで、騎士たちと情報の整理をしていた一路はおそるおそる問いかける。
すると海斗が前に出てどこからともなく紙を取り出し、左右に広げた。裁判所の前で裁判の結果を報せるときにやるあれだ。
紙にはでかでかとアーテル語で「離縁回避」と書かれていた。
「おめでとうございます!」
「良かった……本当に良かった!」
おおお、と歓声が上がり、拍手が送られた。
ジークフリートは複雑そうな顔で騎士たちからの拍手を受け取っていた。
「離縁は回避したけど、ここから仲良し家族になれるかはジークの努力次第だけどね」
海斗が一路の隣の席を確保しながら言った。
「さて、塩梅は?」
真尋も空いていた席に適当に座る。ガストンが慌ててジークフリートたちの席を用意する。
彼らが座ったのを見計らい、カロリーナが口を開いた。
「結論から申し上げますと、ジェイミーは真っ黒でした」
「……そのようだな」
真尋がリックの差し出す報告書に目を通しながら頷く。
ジークフリートとレベリオにも同じものが配られる。
「備品の横流しに、五級騎士の不当除籍、資金提供に、情報漏洩などなど、など。ふむ、救いようがないなぁ」
真尋が呆れたようにつぶやく。
ジェイミーは、初夏の頃、酒場でこの誘拐犯たちのボスと出会ったらしく、何度か酒場で会う内に意気投合し、今回の計画を持ち掛けられ犯罪に加担するようになったようだ。
しかもジェイミーは、仲間になりそうな素行の悪そうな騎士を誘拐犯たちに教え、勧誘は彼らにさせていたのだ。自分は上司として彼らの生活態度を叱責し、何食わぬ顔をして騎士であり続けている。
「これに気づかんチェスターもチェスターだが。あいつは関わっていないのか」
「ただ無能なだけでしたね」
ガストンがあきれ気味に答えながら、先を続ける。
「チェスターの件は少し横に置いて、この倉庫で捕まえた奴らの取り調べの結果、捜査線上に被害者として名前の挙がっていたデジレとぺルラと思われる女性も捕まっている可能性が高いことが分かりました。奴らの証言によれば、どちらも捜索願に記載されていた日付と同じ日にさらわれていて、仕事帰りという状況も一致しています」
「だが、ここにももう一つのアジトにもいなかったな」
「はい。攫って来たのはここにいた奴らなんですが、分散させるために別の場所へ移されたとのことです。おそらく、それがジェイミーが借りている一軒家です。現在、三班の連中が張り込んでます」
「……早く帰らねば、収穫祭が終わってしまうな」
ちらりと真尋を見れば、捜査資料を読み込みながら何かを思案しているようだ。きっと次に切るカードについて悩んでいるのだろう。一路の勘が当たっていれば、次に動かされるのは騎士団長であるウィルフレッドだ。
「ジェイミーが家に帰るのは、次はいつだ?」
「ルシアンが入手してきた情報によれば、今夜から明日の昼までは非番のようです。ただその通りに休むかどうかは分かりませんが……」
騎士にも一応、月の初めに勤怠表――いわゆるシフト――というものが出される。
だが事件や事故は突発的なものであるため、あくまで目安であり、その勤怠表通りになることはまずない。
「では、今夜、ウィルフレッド団長閣下が戻り次第、ジェイミーの家に挨拶に行こう」
「それはいいですね」
真尋が爽やかに提案したそれにリックが笑顔で賛成している。
「ジークは、この事件の最後の最後に出てきてくれ。そのほうが効果的だ」
「ああ。その間は、ここにいても? その、どうも宿の庭は落ち着かなくてな……まだ事件現場にいるほうが落ち着く」
「君も大概だな」
真尋はくくっと喉を鳴らして笑いながら、懐の煙草に伸ばしかけた手をなんとか押しとどめた。だが、彼の横でジークフリートが吸おうとするので、指を振って風魔法で巻き上げ火をつけて消し炭にした。
「何するんだ」
「俺が妻に煙草の本数を一日二本までと制限されているんだ。君も制限しろ」
「理不尽な」
「友達なんだろ」
真尋は飄々と言って、立ち上がる。
どこ行くの、と一路は問いかける。
「閣下が戻るまで、仮眠を取らせてもらう」
「珍しいな、君が自ら寝るなんて」
ジークフリートが目を丸くしている。
だが、気持ちは分かる。真尋はとにかく忙しい時などは真っ先に睡眠を最大限削るのだ。
「先日、土下座なさった際に煙草の吸い過ぎに加えて、睡眠時間の短さについても奥様に怒られたものですから」
リックが答えるのを横目に真尋は自分の護衛騎士を指さす。
「いいか、ジーク。こいつは告げ口魔なんだ。こいつとくれば、俺の煙草の本数をみみっちいことに全部数えて、それをわざわざ雪乃に言いつけるんだ。君も護衛騎士には気を付けたほうがいい」
「マヒロさん、ユキノさんに言いつけますよ」
にっこり笑ったリックに真尋は盛大に舌打ちをした。
一路と海斗は完全に雪乃の尻に敷かれている真尋に腹を抱えて笑ってしまう。日本でも、この異世界でも、外へ出れば皆に頭を下げられるような男だが、家に帰れば彼は妻に頭が上がらないのである。
「寝る」
そうぶっきらぼうに一言告げて、真尋は片隅にいくつも張られたテントの内、一番、隅にあるものへと向かう。ここは倉庫で部屋がない分、このテントたちを仮眠室代わりにしているのだ。真尋が選んだ一番隅のテントは、ティーンクトゥスからもらったテントで一路たちが使っているが、それ以外は騎士団の備品だ。
「何かあったら起こしてくれ」
それだけ告げて、真尋は中へと入っていった。
「マヒロは本当に夫人に頭が上がらないんだな」
ジークフリートがしみじみつぶやいた言葉に海斗は目じりの涙をぬぐいながら「そうだね」と頷く。
「そりゃ最愛の奥さんだからね」
「雪ちゃんが来てくれてから、有り余るほどに元気だしね。ちゃんと食事も睡眠も真面目にとってくれるから助かるよ」
一路はテーブルの上の書類をまとめながら言った。
となりの兄は、目の前にあった資料を手に取り、文字を追っている。それは被害者女性たちの経過観察報告書で、一路も真尋たちが帰ってくる前に読んだ。
彼女たちは混乱も落ち着き、宿で穏やかに過ごしていると書いてあった。だが、中には不調を訴える女性もいて、心療に強い治癒術師の派遣を要請、と付け足されている。
日本は世界でもまれにみる安全な国だった。だから、やはり治安の面では慣れないことも多い。それでも女性や子どもたちが気軽に買い物に出かけ、外で遊べる町は穏やかな良い町なのだと思う。
「そういえば、真尋君が春になんかやりたいとか言ってたやつ。兄ちゃん、聞いた?」
「いや? 夫婦喧嘩の仲裁を優先してたから、そういう話はしてない。ジーク、何か聞いてる?」
「何も……というかマヒロが貸しを返してもらう予定はあるからとかなんとか言ってたんだが……待ってくれ、あいつは私に何をせびろうとしているんだ?」
「土地かなぁ」
慌てるジークフリートとは裏腹に一路はのんびりと答える。
「土地? 屋敷でも立てるのか? 立派なのがあるじゃないか」
「違う違う。農業用の土地」
海斗が否定しながら肩を竦める。
「農業? 誰が?」
「真尋」
海斗の答えにジークフリートが盛大に首を傾げる。
エドワードもそうだったが、どうも真尋が農業をする姿と言うのが想像できないらしい。
「まあ、正確に言うと、あいつは農場を経営したいみたいなんだよね。あいつの故郷の作物を育てたいんだって。そんで、できるだけ大きな農場にしていって、雇用を生み出したいらしいよ」
「なるほど……だが、それとは別に春になにかしたいということなんだな?」
「はい。ジーク様をお迎えに行ったのも、そろそろ戻ってきて仲直りさせないと、計画に支障が出るとか言ってましたし」
「……何を、言われるんだろうか。やはり領主の座を明け渡せとか」
「それはないかな。本人も違うって否定してたし、そういや、教会の宣伝がどうのこうのとかいてったけど」
「本当、何するんだろうね? リックさんは何か聞いてないの?」
書類を整理していたリックの背に一路が問う。顔を上げたリックは、少し悩むようなそぶりを見せた後、首を横に振った。
「とくには聞いていませんが、ミツルさんは何か知っているようですね」
リックの返答に海斗は弟と顔を見合わせ、苦笑をこぼす。
「あー、みっちゃんかぁ。みっちゃんは、真尋がいいよ、って言ったら教えてくれるけど、そうじゃなきゃ絶対に教えてくれないもんなぁ」
「そうだねぇ。みっちゃんは真尋君至上主義だからねぇ」
うんうんと一路が頷く。
充は、真尋の格好いいところや素敵なところはこっちが断ってもベラベラ喋って教えてくれる。真尋にどれだけ口止めされようと、彼の不健康な生活習慣についても、雪乃に躊躇いなく話す。
だが、真尋が秘密だと言ったことが、主の何かを害するものでない限りは、絶対に、それこそ雪乃に頼まれても喋らない。
「まあ、それはまた追々わかるだろう。とりあえず、私は改めて事件の概要が知りたい、報告書や資料を見せてもらえるか?」
「はい。そう言われると思って、これとこれと、これかな? ……あとこれも」
一路は立ち上がり、ジークフリートの下へ行き、彼の前に報告書や資料を積み上げて行く。
ジークフリートはお礼を言って、一番上のそれを手に取る。ホレスもジークフリートの両側にそれぞれ座り、資料の山に手を伸ばして目を通し始めた。
「ジーク様、私が先に休憩を取らせて頂きます」
「ああ。そのあと、ホレスと交代してやってくれ」
「はい」
「ええと、なら……、あそこのテントが空いてます。入ると出入り口のとこに赤いハンカチがかけてあるので、それをああやって外にかけておいてください。使用中の合図です」
一路はオーランドにテントを指さしながら説明する。
このテント群のテントの中では騎士たちが交代で仮眠を取ったり、休憩を取ったりしているのだ。
オーランドは一路にお礼を言うと、空いているテントに入って、ハンカチを外にかけてくれた。
「ジーク様は休まなくて大丈夫ですか?」
「ああ。これを読み終えたら少し休ませてもらうよ」
「分かりました。兄ちゃん、僕まだちょっと資料整理続けるけど……」
「俺は少し休むよ」
あくびをこぼしながら兄が立ち上がる。
そして、真尋が入っていったテントへと姿を消した。一路は昨夜、ゆっくりと休ませてもらったので、まだ全然元気だ。彼らが起きてくるまでにできる限りのことをしよう、とまだ絶えず戻ってきたり、出かけて行ったりしている騎士たちからの報告書整理に精を出すのだった。
「土下座は、驚きましたわ」
リビングのカーペットの上、すごろくで遊んでいる子どちを眺めながらアマーリアがぽつりと漏らした。
夕食を終えて、温泉を楽しみ、今は寝る前のゆったりとした時間だ。雪乃たちも子どもたちも寝間着にガウン姿で、部屋の中は風呂上がりの柔らかな石鹸の匂いがする。
「ふふっ、私の夫が教えたに違いないわ。あの人の特技だから」
隣に置いたゆりかごの中で人形に手を伸ばす真智とうとうとしている真咲に毛布を掛けながら答える。
「まあ……あの神父様が?」
雪乃の言葉にアマーリアが目を丸くする。
確かに普段の様子からすると想像できないかもしれないし、雪乃たちと再会してしばらくは満身創痍でほぼ寝たきりだったので悪さをする暇もなく、土下座の必要性がなかったのだ。
だが、真尋はしょっちゅう雪乃に土下座をしていたし、元気になった今、その回数は増えていくだろう。それに真尋は雪乃が「あなた?」と言って笑っただけで土下座する日もある。大体、自分にやましいことがあると自覚しているからだ。
「基本的に私の夫は反省ってものをしないのよ。私に怒られている間は、反省しているように見えるけど、次はどうしたら私にばれないで済むかを、人より随分と優秀なあの頭で考えているの。困ったものでしょ?」
苦笑をこぼす雪乃にアマーリアがくすくすと笑う。
「神父様にも子どもみたいなところがありますのね」
「男性はいつまでたっても一部は子どものまんまなのよ。楽しいことがあるとすぐにそれに夢中になっちゃったりしてね」
「レオンハルトみたいだわ」
アマーリアが愛おしそうに息子に視線を向ける。レオンハルトは祈りを捧げてサイコロを投げたが、その小さな肩ががくんと落ちたところを見るに、どうやら彼の望む数字は出なかったようだ。
「ジークフリート様にもそういうところがあるのかしら」
「それはこれからきっとわかるわ。でも、絶対にあるわよ」
すでに逃げ回っていたというのが子どもっぽいのだが、ようやく彼らは夫婦としてスタートラインに立とうとしているのだから、余計ないことは言うまいと雪乃は微笑んだ。
これから自分たちでお互いのことを知って、歩んでいくのだ。
「交換日記、できるかしら」
「きっとできるわ。……実はね、私の夫も充さんと二年くらいかしら? 交換日記をしていたのよ」
「神父様とミツルさんが?」
「ええ。充さんは家庭の事情が特殊で、あまり幸福とは言えない幼少期を過ごしたの。そのせいで臆病な人だった……。我が家に来たばかりのころは、迷子の子どもみたいだったのよ? 自分の感情を人に伝えるのが苦手で、私が夫に交換日記はどうかしらってすすめたのよ。直接口で言うより、日記や手紙のような文章で伝えるほうが自分の心も整理しやすいかと思ってね。充さんにはぴったりだったみたいで、二年くらい続けていたわ」
「今のミツルさんからはあまり想像できないですわ。だって表情から全部、駄々洩れですもの」
「うふふ、そうね。そうなってくれて私たちはとても嬉しかったわ」
アマーリアの言葉に思わず笑ってしまう。
だが、事実、感情を持て余していた充は、家族の前では素直に感情を表してくれるようになった。
「子どもたちも、ミツルさんみたいに夫に感情を伝えられるようになるかしら」
「それはあの人次第ね。でも、きっと今度は誠心誠意、向き合ってくれるわ」
「そうだと……いいけれど」
アマーリアは曖昧な返事をして、目を伏せた。
和解したにはしたが、本当に打ち解けられたわけではない。長い冬が終わって、ようやく雪の下から春の草花が顔を出そうとしているだけに過ぎないのだ。それだってまた嵐がくれば簡単に埋もれてしまうだろう。
「……ねえ、お母様」
「どうしたの?」
レオンハルトが四つん這いでこちらにやって来る。
「すごろくは?」
「オレは三回休みです」
レオンハルトが苦々しげに答えた。どうやらなかなか厳しいマスに当たってしまったようだ。
「お母様」
レオンハルトが甘えるように母の膝に顎を乗せる。アマーリアは愛おしそうに目を細めて、息子の髪を撫でる。それにレオンハルトは、猫のように気持ちよさそうに目を細める。
レオンハルトはまだミアと同い年の六歳だ。甘えたくなってしまったのかもしれない、と微笑ましい気持ちになる。
「あのね、お母様」
「なぁに?」
「今日……お父様と何のお話をしてたの?」
レオンハルトが不安そうに問いかける。
アマーリアは、少し驚いたような顔をした後、やっぱり優しく微笑んだ。
「地方でのお仕事が大分落ち着いたとお知らせに来てくださったの。神父様のおかげで色々な問題が解決して、余裕がすこーしできたから、わたくしたちと仲良くなりたいんですって」
「……お父様が?」
レオンハルトは半信半疑の様子だった。
アマーリアが少し困ったように眉を下げる。
「あのね、お母様。オレ……お父様みたいになるのやめる」
「え?」
これにはアマーリアだけでなく、雪乃も驚いた。どうやら聞こえていたらしいサヴィラとジョンまで驚いてこちらを振り返った。
「ま、まあ、どうしたの?」
アマーリアが少し動揺しながら問いかける。
「俺、神父みたいな大人になる」
「真尋さんみたいに? やめたほうがいいと思うわぁ。あの人、自分のこと、自分でなーんにもできないんだもの。あんな大人になっちゃだめよ」
「母様……」
思わず反射で返してしまった雪乃にサヴィラが頬を引きつらせている。
だが事実だ。それに雪乃は双子がそう言った時もちゃんと止めた。真尋は拗ねた。
「だ、大丈夫だ。オレは、ここにいる間に洗濯物も畳めるようになったし、ちゃんと朝、自分で服を選んで着替えるし、料理だって少しずつ覚えているし、部屋の掃除だってできるようになった。でも、そうじゃなくて……ユキノはいつも幸せそうだ」
母の膝から顔を上げてレオンハルトは、じっと母を見つめる。
「お父様は、いつもお母様に悲しいお顔をさせる。でも、神父はユキノをいつも笑顔にする。だから、オレは神父にはならないけど、マヒロのような男になる。そしたらオレがお母様を守ってあげる」
「……レオン」
アマーリアの声は、かすかに震えていた。
細い両手でレオンハルトの頬を優しく包み込む。
「お父様は、お忙しかっただけ。……お母様は、少し寂しかっただけよ」
いらっしゃい、とレオンハルトを膝にのせてアマーリアは、優しく小さな体をその腕の中に納める。
「愛していますわ、わたくしの宝物」
レオンハルトのつむじにキスをして、アマーリアは心底幸せそうに告げる。
「お父様は、わたくしに貴方とシルヴィアと言う素晴らしい宝物をくださったのよ。だから、大丈夫。お母様は、大丈夫。ありがとう、レオンハルト」
レオンハルトの細い腕がアマーリアにぎゅうとしがみつく。うん、と頷いた彼の表情は、安堵に満ちていた。
「あ、お兄さまばっかりずるい!」
シルヴィアが気づいてソファによじのぼって横から抱き着けば、アマーリアは「あらあら」と笑いながら息子と娘を抱きしめる。
「ふふっ、なかよしねぇ」
「仲良しだね」
ミアとジョンが笑い合っていて、そんな二人の頭をサヴィラが優しく撫でる。
気のせいであってほしいのは、リビングの入り口で充がハンカチに顔を埋めていることくらいだ。リラとマリーを宿まで送って行ってもらったのだが、いつの間にか帰ってきていたらしい。
何か用があったのかヴァイパーがやってきて、充の様子に気づくと苦笑をこぼしながら声をかけ、連れて行ってくれた。
「さあ、そろそろ寝ましょうか」
「ママ、これはこのままでもいい? あしたつづきをするの」
「ええ、いいわよ。でも、せめてこちらのテーブルか、そっちのベッドの上に置いておきなさい」
「はーい! ジョンくん、こっちをもって、サヴィはここ!」
ミアたちはすごろくを出しっぱなしのベッドの上に移動させる。
「誰かゴールに到着した人はいるの?」
真咲を抱き上げながら問いかける。
「それがねぇ、きょうはまだなの」
「なら、明日、ゴールできるといいわね」
「うん!」
ミアは楽しそうに頷く。ジョンが「今度こそ、負けないよ」と声をかければ「ミアだって負けないもん」と笑い合う。サヴィラがこちらにやってきて、真智を抱き上げてくれた。
「さあ、レオンとヴィーも寝ましょうね」
アマーリアの声掛けに二人も母の膝とソファから降りる。シルヴィアはアマーリアと手をつなぎ、レオンハルトはジョンの隣に並んだ。
ぞろぞろと連れ立ってリビングを出て、アマーリア親子とジョンは二階へ行き、雪乃たちは一階の寝室に向かう。
寝室は充が気を利かせてくれたようで、暖炉に火が入れてあり、じんわりと暖かった。
ベビーベッドに順番に双子をそっと下ろす。まだ眠る気はないようで、真智はぶらさがるベビーメリーに元気よく手を伸ばしている。真咲は自分の指を口に入れようともがいている。
「ねえ、サヴィ。サヴィもいっしょにねよ」
先にベッドに上がったミアが兄のガウンの袖を引っ張る。
真尋がここのところ不在なので、寂しいのだろう。
「……でも」
「サヴィが良ければいてくれるかしら?」
息子は十三歳と多感なお年頃だ。妹はともかく、あまり年の変わらない母親と一緒に寝るのは、気恥ずかしい部分もあるだろう。
だが、ミアにはめっぽう甘いサヴィラは、しょんぼりと彼を見上げる珊瑚色の瞳に早々に白旗を上げた。
「ヴァイパー」
サヴィラが呼べば、すぐにヴァイパーが顔を出す。
「ジョンたちに今日はこっちで俺は寝るって伝えてきてもらえる?」
その言葉にミアがぱっと顔を輝かせてサヴィラに飛びつく。サヴィラは、少しよろけながら妹を受け止めて「甘えん坊め」と言葉とは裏腹に優しく微笑んだ。
「かしこまりました」
ヴァイパーは、くすくすとほほえましそうに笑いながら「おやすみなさいませ」と告げてドアを閉めた。
サヴィラが寝ころびミアがその隣りに寝ころぶ。絵本を読んで、とねだるミアにサヴィラが「はいはい」と答えて、枕元においてあった絵本を開く。
息子が絵本を読み上げる声を聞きながら、雪乃はベッドに腰かけ膝の上で日記を書く。日本にいた頃は毎晩書いていたのだ。昨日、充に日記帳を買ってきてもらい、再開したばかりである。
「こうして少女は幸せな気持ちで、海を見つめるのでした。めでたし、めでたし。…………ミアって寝つきがいいよね」
「ふふっ、そうね。ちびちゃんより先に寝ちゃったわね」
絵本を閉じたサヴィラがミアに毛布を掛け直しながら言った。
双子はまだ起きていて、おもちゃを目で追いかけている。二人一緒に寝かせておくとあまり泣かないのは、ありがたいことだ。
「母様、レオンのところは丸く収まりそう?」
「それはジーク様の努力次第ねぇ」
書き終えた日記を閉じて、枕元に置く。
「貴族って大変だよね」
サヴィラがしみじみとつぶやく。
「俺の両親は長いこと子どもができなくて、父親が自分のせいじゃないことを証明するために、メイドに手を付けたんだ。それで俺が産まれたってわけ」
悲観するでもなく、サヴィラは事実をただ述べるようにさっぱりと告げた。
「……でも、最終的には子どもが、貴方の弟にあたる子が生まれたのよね?」
「らしいよ。俺は見てないけど。名前も知らない弟がどんな子かは分かんないけど、両親が両親だから、心配はちょっとあるかな。弟に罪はないし」
「サヴィは優しいわねぇ」
手を伸ばして息子の頬を撫でる。サヴィラは気恥ずかしそうに「そんなことないよ」と雪乃の手から逃げて行き、誤魔化すように先を続ける。
「正直、最初は憎んでたんだ、弟のこと」
自嘲気味な笑みを口端に載せて、サヴィラが体の向きを変え、仰向けに寝転がる。
「いつか父親に俺を認めてほしかったのに弟が産まれたせいであっさり捨てられた。……でも、貧民街で暮らし始めて、ミアとオルガに出会ってさ、親子ってこんなにあったかいんだってのを知ったよ。そして同時に俺と同じように親に捨てられた子どももあそこにはたくさんいて……」
紫紺色の瞳は、遠くを見つめている。
ほんの数カ月前の過酷な日々を思い出しているのだろう。
「だけど、あそこで生きている内に、子どもに罪はないなって思ったんだよね。俺を追い出したのは俺の父親で、俺を売ったのは乳母で、弟が直接俺になにかしたわけじゃないんだってことにノアが産まれた時に気づかされたんだ。だって生まれたばかりの赤ん坊は、ミルク飲んで寝て、おしっことうんちをして、時々、泣いて、それしかできないんだもん。寝返りでさえできるようになるのに半年近くかかるし、座れるようになるのも、立つようになるのも時間がかかる。俺は乳母に育てられて、あの人は俺を嫌っていたし、最終的に売ったけど……でもさ、なんにもできない赤ん坊だった俺をあの人なりに育ててくれたんだなって、最近、気づいたんだ。……心に余裕ができると色々見えてくるんだね」
あそこにいたんじゃ、気づかなかった。そう言ってサヴィラは静かに微笑んだ。
「そうね、私たちは誰しもみんな、無力な赤ちゃんだった時代があったのね」
雪乃は双子を振り返る。
自分のことは自分でできていたこの子たちも、赤ちゃんに戻れば何もできない。誰も手を貸さず、見ているだけではきっと容易く死んでしまう。
「レオンハルトとシルヴィアも、同じ貴族の生まれだから色々と苦労や制約があるのも知ってる。だけどさ、正直、レオンハルトが産まれていなかったら、お二人の仲は修復できなかったと思うんだ。……子どもができにくいと周知されているエルフ族でもない限り貴族にとって跡取りのいない九年は、女性にとってあまりに辛く、長すぎる」
サヴィラの言わんとしていることは雪乃にも痛いほどに分かった。
大きな家に生まれれば、それだけでも子どもを期待される。水無月家の真尋と真奈美、そして、真尋の父方の伯母以外の人間は、雪乃を受け入れようとはしなかった。子どもが産めない人間が立ち入ることは許さないと言わんばかりの態度だった。
雪乃の両親も水無月の家に嫁ぐことはずっと反対していた。幼いころは、余命いくばくもない娘の儚い願いだと思っていたのだろう。真尋のお嫁さんになりたいと言っても、そうね、と頷くだけだったが、結婚できる年齢に近づくにつれ、両親はあまり良い顔をしなくなった。だがそれは、雪乃の体や心を想ってこその反対だ。苦労するのが目に見えているのに大事な娘を喜んで嫁入りさせる親はいないだろう。
「そうねぇ……レオンとヴィーがいてくれたからこそ、アマーリアは耐えられたのだろうし、周りも反対派閥の方以外は跡取りを産んだことで受け入れていったのでしょうね」
「それにレオンハルトは父親似だからね。不仲だったなら出生を疑われなかったのも、幸福だったと思うよ。俺は使用人とかには疑われてたしね。似てないんだよね、俺とあの人。似てるのは性別と有鱗族ってことくらい。髪の色も目の色も鱗の色も違うんだ。なんでかあの人は疑ってなかったけど……」
「あら、いいじゃない。嫌いなものには似てないほうがいいわぁ。真尋さんなんてお父様にそっくりって言うとあからさまに拗ねるもの」
「父様ってそういうところが大人げないよね」
サヴィラはけらけらと笑う。
「まあ、何はともあれ、その中で幸せになってほしいなって思うんだ。ジーク様は、父親としては今のところダメダメだけど、俺の父親みたいな冷たい人ではないから」
「レオンハルトとシルヴィアが、お父様に無邪気に抱き着ける日がきっと来るはずよ」
「うん、そうだね」
振り返って笑った息子が愛おしくて、雪乃は腕を伸ばしてぽんぽんとその頭を撫でた。妹が寝ているからか、気持ちよさそうに目を閉じて少し素直に甘えてくる息子に胸がキュンキュンする。
「……ねえ、母様、少しだけ本を読んでもいい?」
伺うような視線は甘え下手な彼の精一杯の甘えだと分かって、雪乃はくすくすと笑いながら名残惜しくも手を離す。
「まだ貴方が寝るには早い時間だものねえ。いいけど、一時間だけよ」
「分かった。ありがとう」
ばっと嬉しそうに起き上がったサヴィラは、どこからともなく本を取り出して、クッションを背にベッドの上に座りなおすと黙々と本を読み始めた。
雪乃もまだ双子たちに眠る気配がなく、ぐずる様子もないので。暖炉の傍にあるロッキングチェアに移動して、編みかけのマフラーを編む。それほど難しい柄ではないので、ミアとサヴィラの分はすでに完成してプレゼントした。これは自分の分だ。
本当は真尋のものを先に編もうと思ったのだが「俺は丈夫だから、君が凍えないようにしてくれ」と言われたのだ。雪乃の夫は、確かに困った部分が多い大人げない人だが、同時にいつも雪乃を気遣ってくれる優しい夫でもある。
三十分ほど経ったころ、控えめなノックの音が聞こえて手を止める。サヴィラも顔を上げた。
「どうぞ」
雪乃が答えるとナルキーサスが顔を出した。
「ユキノ、済まないが、少しカレンの傍にいてもらえるか? 熱がまた出てな。薬を用意する三十分ほどでいんだが。ティナに頼もうと思ったんだが見当たらなくて」
「ティナはギルドの仕事でブランレトゥにまた戻っているの。今日はサヴィラがここにいるから大丈夫よ。サヴィ、お願いね」
雪乃は編みかけのマフラーをテーブルの上のカゴに入れて立ち上がる。
「うん。任せて」
頼りがいのある息子に笑みを向けて、雪乃はロッキングチェアの背もたれにかけてあったショールをはおって廊下へ出る。
「ひどい熱なの?」
「そこそこだな。……精神的なものだから、風邪のようになかなか薬が効かないことがあるんだ。そのためにも心を落ち着かせる薬があるんだが、他の被害者にも処方してしまったから、手持ちがなくてな。すぐに作れる薬だから、それを飲ませれば落ち着くとは思う」
「分かりました。……でも、キース先生もお疲れではなくて?」
「ああ、私はアルトゥロたちが来てから、さっきまでずっと寝ていたんだよ。寝すぎて少し目の奥が重いくらいだ」
そう言ってナルキーサスは、からからと笑うと「頼む」と告げて治療室に入っていった。
雪乃は、急ぎ地下へと向かいカレンの部屋に入る。
カレンは苦しそうに息をしていて、触れた額は熱かった。
いくら雪乃たちに襲われたことを話せても、記憶は残る。こればかりは少しずつ少しずつ、時間が癒してくれるのを待つしかない。
「ううっ……おかあさ、」
カレンが幼い子のように眉を下げて泣きそうな顔をする。
心の傷がそう簡単には癒えないことを雪乃自身もよく知っている。
「カレン、大丈夫。大丈夫よ……お母さんはここにいるからね」
あやすように声をかけ小さな嘘をついて頬を撫でると、ほんの少しカレンの表情が和らいだ。
一日も早くこの少女が心穏やかに過ごせますように、と祈りながら雪乃は、ナルキーサスが戻って来るのを待つのだった。
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スキル盗んで何が悪い!
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"スキル"それは人が持つには限られた能力
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いつのも日常生活をおくる彼、大空三成(オオゾラミツナリ)彼は毎日仕事をし、終われば帰ってゲームをして遊ぶ。そんな毎日を繰り返していた。
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大人気商品ワールドランド、略してWL。
ゲームを始めると指先一つリアルに再現、ゲーマーである主人公は感激と喜び物語を勧めていく。
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女の子の正体は!? このゲームの目的は!?
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【スキル盗んで何が悪い!】始まります!
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俺しか使えない『アイテムボックス』がバグってる
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俗にいう神様転生とやらを経験することになった主人公――札月沖長。ただしよくあるような最強でチートな能力をもらい、異世界ではしゃぐつもりなど到底なかった沖長は、丈夫な身体と便利なアイテムボックスだけを望んだ。しかしこの二つ、神がどういう解釈をしていたのか、特にアイテムボックスについてはバグっているのではと思うほどの能力を有していた。これはこれで便利に使えばいいかと思っていたが、どうも自分だけが転生者ではなく、一緒に同世界へ転生した者たちがいるようで……。しかもそいつらは自分が主人公で、沖長をイレギュラーだの踏み台だなどと言ってくる。これは異世界ではなく現代ファンタジーの世界に転生することになった男が、その世界の真実を知りながらもマイペースに生きる物語である。
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女神の代わりに異世界漫遊 ~ほのぼの・まったり。時々、ざまぁ?~
大福にゃここ
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目の前に、女神を名乗る女性が立っていた。
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忙しくて自由のない女神の代わりに、異世界を楽しんでこよう♪
13話目くらいから話が動きますので、気長にお付き合いください!
最初はとっつきにくいかもしれませんが、どうか続きを読んでみてくださいね^^
※お気に入り登録や感想がとても励みになっています。 ありがとうございます!
(なかなかお返事書けなくてごめんなさい)
※小説家になろう様にも投稿しています
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貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
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貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
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小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
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お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
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注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
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