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本編 2
第六十一話 あきれ返った男
しおりを挟む普段の海斗ならば、命でもかかっていない限り日付をまたいだ時刻に人を訪ねたりはしない。
だが今回は、かかっている。ジークフリートという男の領主としての命が。
音もなくエルフ族の里の世界樹のある広場にそっと置かれた馬車から降りる。
「カイト神父様? ど、どうされました?」
槍を構えていたエルフ族の見張り役が目を丸くする。
「ごめんね、こんな時間に連絡もなしに。だけど緊急事態でさ、ジークは?」
「領主様でしたら、ダールの家でお休みです」
「ありがとう。馬車、ここでもいいかい?」
「はい、大丈夫です」
「ならすまないけど、置かせてもらうよ。ポチ、おいで。それとクイリーンはどこにいるかな?」
海斗の肩にポチが降り立つ。
「クイリーンは実家に。多分、寝ていると思いますが……」
「それもそうか。彼女はこの件には無関係だしな……後日、迎えに来るからって伝えておいてもらってもいいかな?」
「分かりました」
「色々とすまない。頼んだよ」
そう告げて海斗は風魔法で一気に上まであがり、樹上に並ぶ家の内、広場にほど近い村長の息子であるダール宅に向かう。夜間の見回り役や夜更かしをしている者たちが海斗に気づいて声をかけてくれるのに、挨拶を返しながら進んで行く。
到着し、ドアベルを鳴らすと少しして緊張した様子のダールが顔を出した。
「誰だ……っと、し、神父殿……どうされました?」
ダールの顔がこわばった。真夜中の突然の来訪者は、大抵の場合、悪い知らせを運んでくるのだから仕方がない。
「こんな夜中にごめんね。ジークはいるかい?」
「はい、おりますが、もうすでにお休みかと」
ダールが体をずらしてくれたので、海斗は中へ入る。ダールの妻も起きてきていて、海斗は「ごめんね」と彼女にも謝る。二人とも寝間着姿で、ドアベルの音に飛び起きたのだろう。
「火急の要件なんだ。大至急、ジークを連れてグラウに戻らないといけなくてね」
「まあ、私、起こしてきますね」
ダールの妻が奥の部屋に行く。
海斗は、ダールに案内されてリビングに行くと隣の部屋か族長であるクェルクスも起きてきた。彼は別に家があるらしいが、忙しいときは広場に近い息子の家にいることが多いのだ。
「神父殿、どうされました」
「ちょっと火急の案件でね。ジークをグラウに連れて帰らなければいけないんだ」
海斗は二人掛けのソファに腰かける。クェルクスがはす向かいの一人掛けのソファに座りながら問いかけてくる。
「あちらで何か事件でも?」
「事件、そうだね、これは領主家にとって大きな事件だ」
クェルクスとお茶を運んできてくれたダールが顔を見合わせた。
それと同時に同じく寝間着姿のジークフリートと護衛騎士の二人がやって来る。ジークフリートは、海斗の向かいの席に座り、護衛騎士の二人は彼の後ろに控えた。ダールはオットマンに腰かけ、ダールの妻は心配そうにキッチンからこちらを見守っている。
「やあ、ジーク。すまないね、こんな非常識な時間に。だけど、事態は最悪の方向に動いているんだ」
「カイト、何があったんだ? まさかマヒロの容体が……?」
「あいつは絶好調だよ。今夜も誘拐犯のアジトに踏み込んでいるはずだし、だが、そんなことはどうだっていい。あいつやカロリーナ小隊長に任せておけば、グラウの平和は守られるだろう。問題は、君……アルゲンテウス辺境伯家のことだ」
「まさか、アマーリアの身に何か、それともレオンかシルヴィアに……!」
ジークが腰を浮かす。
海斗は膝に肘をつき、手を組んでその上に顎を乗せる。じっと彼の紅い瞳を見据えて口を開いた。
「……雪乃が君にお怒りだ」
「ん?」
ジークフリートが中途半端な姿勢で止まった。
「ユキノ、とは……確か、マヒロ神父様の奥様だと記憶していますが……」
護衛騎士のホレスが固まる主に代わって問いかけてくる。
雪乃をよく知らない彼らは、海斗の言葉に分かりやすく困惑している。
「ああ、そうだよ。雪乃は真尋の最愛の妻だ」
「すこし会っただけだが、兎系獣人族の大人しそうな女性だったが……」
「いいかい、ジーク。雪乃は俺と一路が人生に置いて、絶っっっ対に怒らせまいと誓っている人物だ」
ますます彼らの困惑が強くなる。
「そう、確かに見た目だけなら美しく儚げで、兎の耳など愛らしさを添えて、線の細い彼女は大人しそうに見えるだろうね。夫の三歩後ろを黙ってついてくるような淑女に見えるだろう」
「確かにユキノ夫人は、私の妻と仲良くしてくれていると聞いているが……それと何か関係があるのか」
そういいながらジークフリートは座り直した。
「あるよ、大いにある。雪乃は真尋同様、懐に入れた人間には深い深い愛情を注いで大事にしてくれる。……そして、やっぱり真尋と同じく自分の物を害されるのが嫌いだ」
「は、はぁ」
間抜けな返事が返ってくる。
「実はグラウで厄介な事件が起きていてね」
「そういえば、先ほど、神父殿が誘拐犯のアジトにどうのこうの、と……」
ダールが不思議そうに言った。
「ああ。水の月の事件で騎士団は人手不足になったそうだね。グラウでは新人騎士の教育が行き届いておらず、新人の素行が非常に悪い。女性に声をかけて強引なことをして、素顔が見たいからと無理矢理眼鏡を取られたりして怪我をした女性もいる。その上、真尋の目の前で子どもを連れ去ろうとした馬鹿もいた。それで調べた結果、四級、五級といった下級騎士数名が所在不明になっていて、その上最悪なことに、彼らは犯罪に加担し、若く美しい女性を売りさばくために誘拐して監禁していたんだ」
息を吞む音が静かなリビングに響く。
「でも、この件はさっきも言ったけれど、真尋とカロリーナ小隊長がなんとかしてくれる。問題は」
「カイト。マヒロはまだ療養中だろう? あんな大けがでそんな危ないことを……」
海斗の言葉を遮ってジークフリートが言った。
そういえば、何が何でも療養したいマヒロによって、彼らはまだマヒロが全快し、最愛の妻のおかげもあって以前よりも絶好調なのを知らないのを思い出す。
「真尋は元気だよ。いいかい、話の腰を折らないでくれ、君の領主としての命がかかっているんだ。君は大至急、アマーリア様との関係をはっきりさせなければならない」
海斗は人差し指を彼に突きつける。
「雪乃から伝言を預かってきた。『帰ってこないで逃げ続けるならご自由に。空いた席には夫を座らせますし、領地の繁栄とアマーリアと子どもたちの安全だけはお約束します。領主を続けたいなら、三日以内に帰ってらしてね』とのことだ」
ジークフリートがホレスとオーランドを振り返り、三人は首を傾げ合った。
あの可愛らしい兎のご夫人の姿を思い浮かべて、だから何だ、とでも思っているのだろう。
「さすがに領主という席をそうやすやすと明け渡したりは……」
「いいかい、ジーク。十四年、幼馴染をやっている俺はね、雪乃が有言実行の女だと知っている。生まれた瞬間、一週間後まで生きているか分からないと言われた彼女は、幾度も命の危機を乗り越えてきた。そして神が二人を別っても尚、真尋の妻として生きて、今はあいつの隣にいる。俺はね、彼女ほど覚悟を決めて生きている人を知らない。命の危機を何度も乗り越えた彼女は、諦めるということを知らないし、する気もない。やると言ったら、やる女だ。雪乃が真尋を領主にすると言ったら、あいつは領主になるんだ」
「だが……彼女には何の権力もない」
「馬鹿か、君は」
思わずイギリス人らしい皮肉もでないほどストレートな物言いになってしまった。
馬鹿といわれたジークフリートより、後ろの護衛騎士が少し剣呑な顔になっている。海斗は咳ばらいを一つして「失礼」と告げる。
「もしかしたら君は長いことこちらにいたせいで、うっかり雪乃が誰の妻か忘れてしまったかもしれないが……」
「カイト、遠回しな言い方はやめてくれ。もっとこう単純に頼む」
「雪乃は真尋の妻だ。俺の肩の上にいる伝説級のドラゴンをぶん殴って従魔にした男の妻だ。その妻が、見た目通り可愛らしいだけなわけがないだろう。もし、雪乃が『真尋さん、アルゲンテウス領の領主になって』と言ったら、あいつは領主になるぞ」
「面倒くさいことは嫌いだろう、マヒロは」
「ああ、面倒くさいことは嫌いだから、さっさと領主になって自分のしたいようにするだろうね。君の許可をいちいち仰がずに農場を開拓し、教会を開いて、政策を見直して、好き勝手やるだろう。許可なんて面倒くさいことは嫌いなんだ、本来のあいつはね。だって、あいつはいつだって許可を与える側だったんだから。真尋が君への一定の友情と敬意を払って、許可をもらう側でいてくれることを君は理解しなければならないよ」
ジークフリートは、それでも納得がいかないようだ。
「……ジーク、ブランレトゥの人々はマヒロを尊敬している。そうだろう?」
「あ、ああ。それはそうだな。ブランレトゥをインサニアから守ってくれたことは皆が、知っていることだ」
「そうだね。それに貧民街の……こういう言い方は嫌だけれど、最底辺で暮らす人々は、マヒロを誰より、それこそ君より尊敬し、慕っている。……ジーク、彼らには失うものがない。すべてを失くして、だからこそあそこにいるんだ。そういう人はね、無敵なんだ。失うものがないから、怖いものがない。身分が低ければ低いほど、その傾向は強くなる。ジーク、君はマヒロが来る前、貧民街の人々に何か手を差し伸べたことはあるかい? ……ないだろう? 顔も知らない領主より、パンとあたたかなスープをくれたマヒロのほうが彼らは大事だ。町民たちもそれは同じだよ。城館で暮らす領主は良い人だとは言うだろう。事実、アルゲンテウス領は豊かで平和だ。だが、町民は直接、君を知らない。一方、神父様のことはよく知っている。子煩悩で愛妻家で貧民街の人々のために尽くし、孤児院を創設して未来を与えてくれる。教会というものの信頼は薄いが、真尋個人なら、それはきっと君に寄せられる信頼よりもずっと分厚いだろう。その神父様が『領主様の政策は甘すぎる。アルゲンテウス領の大きな発展に私は尽力したい』と言ったら、町民はどちらに傾くと思う?」
ジークフリートが言葉に詰まる。
「……貧民街の皆は、なんの迷いもなく真尋を選ぶだろう。真尋のために彼らは死力を尽くすだろう。自分たちの暮らしが真尋のおかげでどれだけよくなったか、どれほど心を救われたか。それを訴えるだろう。子どもたちだって、神父様のおかげで、あったかいご飯が毎日食べられると伝えるだろう。その必死で健気な姿に町民たちも心を動かされるかもしれないね。未来を創るのは、子どもだ。その子どもたちが神父様についていくというんだ。神父様は、誰もしようとしなかったけれど、しなければならないことをなし得た人だ。町を守る壁の陰に隠れた貧民街に光を入れた。彼の行動は、多くの人を笑顔にした。きっと例の事件の犠牲者たちの遺族は、真尋を支持するだろう。悲劇は同情を糧に共感を呼ぶ。悲しみの底で寄り添ってくれた神父様のことを彼らは信じている。その優しさを、慈悲を、信じているんだよ。エルフ族や妖精族はどうだろう。世界樹と里を守ってくれたのは、君じゃない。真尋だ。……あいつが力を貸してくれと言ったら、君たちはどうする」
「……エルフ族も妖精族も争いは好みません」
クェルクスが重い口を開く。
「武力で衝突したとして、そこのドラゴン殿のブレス一つで負けることは明白です。犠牲を出さない。そう条件を出された上で、共に、と言われれば私は、守るためにその手を取るでしょう。でも同時に長い時を生きる私たちは、神の息吹を与えてくれた神父殿の築く未来は、きっと力強く美しいと想像ができます。彼は約束を違えない。まだまだ幼い双子の姉弟の約束を、母を死なせないという約束をその身をもって、証明してくれました。それになにより世界樹を助けてくださった方を、世界樹が葉を分け与えた方を私たちは軽んじることは絶対にしません」
ジークフリートが額を手で押さえてうなだれる。
「ジーク、真尋はね、領主の器にさえもおさまる男じゃないんだよ。あいつは、王の器を持つ男だ。あいつはやろうと思えば、確実にこの国の玉座にだって座れるんだ。あいつはドラゴンという武力でもって恐怖による支配をすることもできるし、その慈悲をもって人望によって支配することもできる」
海斗は体を起こし、深々とソファに腰かける。
「王の器を持つ男は、しかし、妻には逆らえない。真尋は、雪乃を言いくるめることは確かにあるけど、本当に大事な部分を雪乃が譲ったことはない。真尋が必ず負ける。それに真尋は絶対に雪乃の味方だ。雪乃がアマーリアの味方なら真尋も彼女側につく。だけど、領主交代を回避する方法が一つだけある」
ジークフリートがわずかに顔を上げた。
「……君が一秒でも早く、あっちに戻り、アマーリア様と仲直りするなり、話し合うなりして、関係をはっきりとさせることだ」
「ユキノ夫人は、どうしてそこまで私の妻に味方する」
「さあ、それは俺には分からないよ。個人の友情の起源なんて、当人しか知り得ないことだ。……ジーク、君はアマーリア様をどうしたいんだい?」
海斗の問いにジークフリートは逃げるように目を伏せた。護衛騎士が心配そうに主を見ている。
「城の中に閉じ込めて、すべてから切り離して、それで君は守っているつもりだろうけれど……君は、そのために彼女に言葉を尽くしたかい? 前にも言っただろう? 言葉は惜しむものじゃない。尽くすものだと……君の乳兄弟は、言葉を尽くした。その結果、二人は別々の道を歩むことになったけれどね」
「……本当か?」
「俺はこれもレベリオに頼まれて、君に直接伝えに来たんだよ。手紙を預かってきた」
海斗は、アイテムボックスから取り出したレベリオからの手紙をジークフリートに渡す。
ジークフリートは、いささか焦ったような手つきで封を開けて中身を取り出し、忙しなく目を通す。途中、片手で口元を覆って唖然としているジークフリートを眺めながら、すっかり冷めてしまった紅茶に口をつけた。
「神父殿のお加減はいかがですかな」
ジークフリートが手紙の中身を飲み込むのに時間がかかると判断したのか、クェルクスが問いかけてくる。
「ここを出るときは、本当に満身創痍で……歩いている姿を見て驚愕したほどです」
「心肺停止にまで陥って、ですが、奥様のおかげでなんとか一命をとりとめたとか」
ダールが心配そうに付け足した。おそらく真尋の呼吸を補助していたというジークフリートに聞いたのだろう。
「まあ、そうだね。愛の力は偉大だよ。真尋にとって雪乃は唯一無二の存在だから、毎日、イチャイチャしながら日々を過ごしているよ。怪我もキース先生の素晴らしい治療と雪乃の献身のおかげで快方に向かっていて、とても元気だしね」
「そうですか。それはよかった。お忙しい方とは分かっておりますが、いつか我がエルフ族の里によろしければご家族で遊びに来るようお伝えください。なに、私たちは気が長いですからな、十年でも二十年でも待ちますとも」
「ああ、伝えておくよ」
「カイト、本当に、レベリオは……」
話がまとまったところでジークフリートに呼ばれて顔を上げる。
「あいつは、本当にキースとの離縁を承諾したのか」
紅い瞳が呆然と揺れている。
「本当だよ。……キース先生は、レベリオが未来に進むためにそれが必要だと考えているようだった。レベリオは……あの時のままずっと、シャマールの隣でうずくまったままだったから」
かさり、とジークフリートに握りしめられた紙が音を立てた。
「キース先生は、あの子を抱えて生きている。自分と同じように我が子を喪う人が減るように、ひとりでも多くの患者を救えるように、ひとりでも身を裂くような悲しみを知らないままでいられるように、彼女は前を向いて生きている。でも、レベリオにはそれができなかった。……でも、これから先、時間はかかるかもしれないけど、レベリオはきっと顔を上げて生きていける。……エルフ族の運命云々はともかくとして、二人の道がこの先また交わるのか、横並びのままなのか、離れて行くのかは分からないけれど、彼はまた出発できるはずだ。キース先生を追いかけることも、隣を歩くことも、追い越すことも、なんだってできる。もちろん、彼女を抱きしめることだってね」
手に持っていたカップを置くかすかな音が部屋に落ちる。
「ジーク、アマーリア様は、君が思うほど子どもではないし、無知でもない。分別のある大人で、誇り高い淑女だ」
「そんなことは……」
「分かっていないだろう? 分かっていないから、何も言わないで閉じ込めたままでいるんだ」
すっと目を細め、海斗は脚を組みなおす。
「……逃げ続ける夫に、アマーリア様は泣きながら、雪乃にこういっていたよ。ブランレトゥに戻ったら、城に会いに来て、と。夫は神父様とは親しくしたいようだから、神父様の妻である貴女なら会うことを許してくれるかもしれない、って。自分が城に戻って、形だけでも妻でいれば、愛する我が子の命は、きっと安全だから、と」
ジークフリートがかすかに息を吞んだ。
「こんな悲しいことを言わせるなよ。君はアマーリア様が憎いのかい?」
「そんなわけない。私は彼女のことを……!」
「だったら、その言葉の先をアマーリア様に伝えるべきではないのかな。俺に言ったってしょうがない。……いいかい、ジーク。何も言わなくても分かってもらえるだろうというのは、君の甘えでしかないんだよ。確かに真尋と雪乃は、多くの言葉を交わさずとも『頼んだ』『分かりました』のやり取りだけで成立することだってある。だがそれは、あいつらが十七年間の人生で築き上げてきた信頼関係があるからだ。なんの信頼関係もない君が何も言わないままでは、伝わるものなんてありゃしないよ」
海斗の言葉にクェルクスもダール夫妻も、ホレスとオーランドも頷いている。
「幸い、この国の法律では貴族だろうが王族だろうが離縁が認められている。……雪乃は、会いに来てと泣いたアマーリアに決意したんだろうな。君がどうしようもないなら、夫を領主にしようと。……小さな家庭一つまともに治められない男に何が治められるって言うんだい?」
苦虫を嚙み潰したような顔でジークフリートが言葉に詰まる。
「俺と君は出会ってまだ日が浅い。でも、俺は君を友人だと思っている。だからこそ、厳しいことを言ってしまっているけれど、俺は君とアマーリア様が夫婦として幸せな形におさまればと願っているんだよ。それはアマーリア様の友人である雪乃だってそうだし、君の友人でもある真尋もね」
「遅すぎは、しないだろうか」
「それはまずぶつかってみないと分からないよ。……ただ、大事なことを伝え忘れていたけれど、アマーリア様は、君を待っているよ。彼女からも伝言を預かっている……『お待ちしております。無事にお戻りください』だよ」
ジークフリートはその言葉に固まった。
なんだか間抜けな顔をしていて、思わず苦笑をこぼす。
「ホレス、オーランド、悪いけれどできるだけ早めに出発したい。準備を頼めるかい?」
「ま、待て。そんなに急に」
固まっていたジークフリートが復活する。
「だから三日以内に戻らないと、君は領主じゃなくなっちゃうんだ。この仕事だって意味がなくなる」
「さっきユキノ夫人だって私たちが夫婦として幸せになることを望んでいると言ったじゃないか!」
海斗は溜息交じりにやれやれと肩を竦める。
「ジーク、言っただろ。雪乃は有言実行の女だ。やると言ったら絶対にやる。それとこれとは別なんだ。三日以内に仲直りしなけりゃ、君は四日後には無職のおじさんになってしまう」
「無職のおじさん」
意味なく言葉を繰り返すジークフリートの背後で、護衛騎士たちは頷き合って奥の部屋に戻っていく。きっと帰り支度をしてくれるのだろう。
「アルゲンテウス領はミナヅキ領に変わっちゃうだろうね」
「ミナヅキ……マヒロの家名か」
「こっちの人は平民は家名を持たないけど、俺たちの国では当たり前に身分関係なく持ってたんだよ。ちなみに俺たち兄弟は、鈴木ね」
へぇ、とクェルクスとダールがこぼす。
「実際、真尋は親との折り合いが悪かったから、水無月の名前はあんまり好きじゃないみたいだったけどね」
大きな旅行鞄を持った二人が戻って来る。
「ジークフリート様、準備できました」
「まだ帰るとは一言も……」
「ホレス、オーランド、馬車に積み込んじゃって」
海斗が指を振れば、蔓がぐるぐるとジークフリートに絡みついて、立派な領主の簀巻きが完成した。それを護衛騎士二人が担ぎ上げる。
「雪乃は三日以内と言ったんだ。それはつまり三日以内に決着をつけなければいけないというわけだ。まず俺の移動で一日、次にここから帰るのに一日。とはいっても真夜中に尋ねたって、みっちゃんは家に入れてくれないだろうし、雪乃はそういう非常識に厳しいので、朝食が済んで、午前のお茶の時間くらいに身支度を完ぺきに整えて行かなければならない。つまり、君とアマーリア様に残された時間は、すでに一日を切っているんだ」
ホレスとオーランドが頷いて、ふがふがと何か言っているジークフリートを担いだままクェルクスたちにお礼を言い、家を出て行く。
「真夜中に騒がしくしてすまなかったね。次に来るときは、もっと常識的な時間に来るよ」
「いえ、ある意味、アルゲンテウス領の一大事ですから」
「確かにね。丸く収まればいいんだけど……ああ、そうだ。これを双子に届けてもらえるかな。真尋からの手紙だ」
海斗はアイテムボックスから取り出したそれをダールに渡す。
「神父様のお手紙を今か今かと待っていましたから、きっと喜びます。領主様のほうもうまくいったら教えてくださいね。うまくいかなかったら、ここで狩猟で身を立てましょうとお伝えください。ジークフリート様は弓の名手ですから」
「ふふっ、分かったよ。ありがとう、もう寝てくれ。見送りはいいよ、またね」
海斗は彼らに手を振ってジークフリートたちを追いかけるようにダールの家を後にする。
見張り達に「また来るね」と同じように声をかけて馬車に乗り込む。ドアを開けたままにして、真尋に「合流したよ。これからそちらに帰還する」と伝言を託した超速達便のハヤブサ型の魔道具を飛ばす。
それを見送ると海斗の肩の上にいたポチがぴょいと降りる。
「ポチ、来たばかりで休む間もなく悪いけど、グラウに戻ってもらえるかい?」
「ぎゃうぎゃう!」
大丈夫というようにポチはくるくるっと宙返りをすると馬車の上に移動した。
頼むよ、と声をかけてドアを閉めて鍵をかけると、一気に窓の外の景色が上昇していく。飛行機みたいだな、と思いながらリビングに行けばソファに簀巻きにされたジークフリートが転がっていた。
「ああ、ごめんごめん、すぐに解くよ」
海斗はにっこりと笑って蔓を消す。
「カイト! まだ仕事が残っていたのに!」
ジークフリートの第一声に海斗は自身の頬が引きつるのを感じた。
「oh come on mate……For f××k’s sake.Unbelievable!!」
はぁぁぁぁぁ、と長々と溜息をこぼす。
「ジーク、君の仕事熱心な姿勢には敬意を表するよ。素晴らしい領主だ、君は。だが、俺は雪乃は有言実行の女だって言っているにも関わらず、実際に体験してみないと分からないようだね」
「カ、カイト?」
「俺だって君がアマーリア様と向き合う姿勢を見せるなら、同席してやろうと思っていたんだ。だが君は、一向に向き合う気もなく逃げ続けているばかりだ。……きっと雪乃に勝てるよ。彼女はとってもかわいい兎の夫人だ」
呆気にとられるジークフリートの後ろで顔を青くしているホレスとオーランドに「この家の中のものは好きに使っていい。俺のことは気にしないで、着いたら会おう」と声を掛け、海斗はリビングを出て自室へと階段を上がっていく。
「……ミナヅキ領か。きっとそのうち、王国から独立するな」
そうこぼしながら、海斗は自室のドアを開けるのだった。
ーーーーーーーーー
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20日(土)、21日(日) 19時
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