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本編 2
幕間 ハリエット事務官のワンピース 後編
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エドワードは走った。腕の中の華奢な体を落とさぬようにしっかりと抱え、ひたすらに走った。
馬車を使うことも忘れて走り、家にたどり着いたときにはさすがに汗だくだった。
ハリエットはエドワードとは同い年だが、とても小柄で、騎士ではない事務官なのでか弱く、守るべき存在だ。大人しく控えめな性格だが正義感が強く、案外頑固で真っすぐな優しい娘だ。カロリーナが溺愛するのも頷ける。そんなハリエットはエドワードにとって大事な仲間であるし、妹のようにかわいがっている存在だ。色々あったとはいえ、助けに入るのが遅れて怪我をさせるなんて、騎士としても仲間としても失格だ。
門番をしていた同僚たちが目を白黒させながら通してくれ、中へ入る。昼下がりの午後、目当ての人物は庭でのんびり椅子に座り、新聞を広げていた。彼の傍らには乳母車が置かれていて、子守りをしている様子だった。反対隣りにはサヴィラがいて、サヴィラもなんだか小難しそうな本を読んでいた。
「マヒロさん!」
叫ぶように呼ぶとマヒロが新聞をわずかに下げて顔を見せた。
「キース先生は!?」
「私はここだが?」
庭とつながるリビングのガラス戸からナルキーサスが顔を出す。
ナルキーサスもそしてマヒロもエドワードが腕に抱えているものに気づいて、首を傾げた。
「ハリエットじゃないか。どうかしたのか? 具合でも悪くなったか?」
ナルキーサスが庭に出てきて言った。
「糞ナンパ野郎に怪我をさせられてしまって、すぐに診てください」
「本当だ。怪我をしているな。どれ……」
ナルキーサスが即座にエドワードが抱えたままのハリエットが胸の前で握りしめている手の甲の傷に気が付いて顔を近づける。
「あ、スカート、破れてるし……これ、何かこぼした? でっかいシミができてるよ」
「ええ? あ、マジだ!! マヒロさん、直せますか!?」
慌てるエドワードにマヒロが読んでいた新聞を畳んでサヴィラに渡すと立ち上がり、おもむろにエドワードの頭に手刀を落とした。
「あっだ!!」
「お前、いつまで抱えているんだ。まずは降ろしてやれ」
そう言って自分が座っていた椅子を指さした。
エドワードは慌てハリエットを椅子に降ろす。ハリエットは「すみ、ません、歯を食い、しばっていたから」となんだか顎をさすりながらぎこちなく言った。
「サヴィ、ユキノと、園田かヴァイパーを呼んできてくれ」
「了解」
サヴィラが本と新聞を手に家の中に戻っていく。
ナルキーサスがサヴィラの座っていた椅子に腰かけて、ハリエットの様子を見てくれる。どこからともなく取り出されたカルテにあれこれ書き込む。そうこうしているうちにサヴィラとともにユキノとミツル、ヴァイパーがやってきた。
「あらあら、ハリエットさん、どうしたんです?」
ユキノが心配そうにハリエットに声をかける。ヴァイパーが椅子を持ってきて、ナルキーサスが座っているほうとは反対に置いた。ユキノはお礼を言って、そこに座る。
「お前たちがそばにいたのに、どういうことだ? あ?」
「はい、すみません……」
じとりとマヒロに睨まれて肩を落とす。
「ところで俺の娘とティナたちは?」
「イチロたちが合流したので一緒に。リックはハリエット事務官を害した奴らを詰め所に連れて行きました」
「何があったの?」
サヴィラが首を傾げる。
エドワードはことのあらましを説明した。ユキノが「まあ、最低ね」と怒る横でサヴィラが「リックは優しい分、怒ると怖いのに、自業自得だよね」と肩をすくめた。
「ふむ……どこの詰め所だ?」
「大通り沿いのカフェだったので、そこの近くの詰め所か……ことが事なのでグラウの本所に連れていかれているかと」
「俺の護衛騎士だからな、様子を見て来よう。雪乃、そういうわけだから出かけてくる」
「行くなら絞れる分だけ絞ってきてくださいね。ほかにも被害が出たら大変だもの」
ユキノの「やるなら徹底的にやれ」精神は本当にマヒロと夫婦でよく似ているな、と思う。
「マヒロ、出かける前に治してやってくれ。その間に、診断書を仕上げておくから」
ナルキーサスに言われて、マヒロがハリエットの前に膝をついた。ハリエットが恐縮して、ぺこぺこと頭を下げるがマヒロはとくに何も気にしていないようだった。
「触ってもいいか?」
「は、はい」
ハリエットが差し出した左手の手の甲を包み込むようにマヒロが触れる。マヒロの大きな手にハリエットの小さな手はすっぽり隠れて見えなくなってしまった。淡い金の光がこぼれて、次にマヒロが手を離すと手の甲にあった切り傷はきれいさっぱりなくなっていた。
次に右手の手首だが、ナルキーサスの指示で痣がうっすらと残る程度で治され、湿布が貼られて包帯が巻かれることになった。
「あの程度の擦り傷ならともかく、治しすぎはよくないからな。治癒力は損なったら戻ってこない。だが私の薬は素晴らしいから、君の本来の治癒力と合わさって二、三日で綺麗に治るよ。骨も折れていなかったし、安心してくれ。何かあったら遠慮なく私のところにおいで」
そう言ってナルキーサスが優しくハリエットに微笑んだ。
「……俺、事と次第で秒で治されるんですけど。俺の治癒力は大丈夫ですか?」
というエドワードの言葉は無視された。
治療を終えたマヒロはミツルから上着を受け取ると肩に羽織り、「ヴァイパー、供を頼む。園田、サヴィ、あとは頼んだ」とナルキーサスが仕上げてくれた診断書を受け取る。
「マヒロ、君は一応、療養中だ。せめてこれとこれをつけていけ」
そういってナルキーサスがマヒロの右腕にギプスをはめて三角巾で腕を吊った。
「……そうだな。余計な報告をされては敵わん」
マヒロが三角巾を調整しながら頷いた。
それから彼はヴァイパーを連れて、話を聞いていた警護当番の第二小隊のやつが準備した馬車(お出かけ用の高級なやつ。家は入っていない)に乗って出かけて行った。サヴィラも「長時間はよくないから」と双子を連れて中へと戻っていく。
「これでよし、と」
ハリエットの細い手首に包帯を巻き終え、ナルキーサスが顔を上げた。
「来られるようなら、明日もおいで。様子を見て、湿布と包帯を変えよう」
「ありがとうございます」
ハリエットがぺこりと頭を下げた。
しかしやっぱり俯きがちだ。
「ところで君は近視で眼鏡をかけていたはずだが、眼鏡は?」
「あいつらが『魔道具だ』と因縁をつけたので、そうではないことを証明するために持って行っちゃって」
ナルキーサスの問いにエドワードが答える。ハリエットは、また前髪を撫でつけている。普段の彼女にこんな癖はないはずで、エドワードは首を傾げながら、彼女の目の前にしゃがんだ。
「大丈夫か? さっきから前髪を気にしてるけど、額に怪我でもしてるのか?」
「い、いいい、いえ、だだ、大丈夫です」
やけにどもりながらハリエットが答え、なぜかますますエドワードから逃げるように俯く。
ハリエットは、人に頼ったり心配をかけたりするのが苦手な節がある。もしかしたら怪我をしているが、これ以上、周りに心配をかけまいと言い出せないだけなのかもしれない。
「こら、ちゃんと言わないとだめだ。悪化したらどうするんだ。失礼」
エドワードは左手で俯くハリエットの顎を挟むように掴んで、右手で彼女が隠す額をあらわにするため髪をかき上げた。
「………………へっ」
ずいぶんと間抜けな声が口から漏れた。
エドワードの片手にすっぽり収まりそうな小さな顔。分厚いレンズのごつい眼鏡がいつもこの小さな顔の半分を覆っていて、ハリエットの素顔なんて見たことはなかった。
柔らかく垂れた大きな目は、綺麗な黒だった。夜空を溶かし込んだらきっと、少し青みがかったこの黒になるだろうと思った。長いまつ毛がぱちぱち揺れる。黒い大きな瞳はうるんでいて、形の良い眉はへにゃんと下がっている。
素顔なんて初めて見たけれど、びっくりするくらい可愛かった。
左手に触れているハリエットの頬なんてマシュマロかな?と思うくらいに柔らかい。いや、ミアとか双子のほっぺも柔らかいけれど、大人になっても女の子って柔らかいのか。エドワードの頭の中は盛大にこんがらがっていた。
「あ、あ、あの、エド、ワ、さん、はなして、くださ」
ハリエットがふにゃふにゃ何か言っているが全く頭に入ってこない。
その代わり自分の心臓の音が、ばっくんばっくん、耳元で聞こえてくる。それに交じってユキノの「あらあらぁ」とかナルキーサスの「わかりやすいなぁ」とかなんとかも聞こえる。
だが、エドワードは突然、後ろから抱き着かれて身構える。
「おい、てめぇ、うちの可愛い事務官泣かせてんじゃないわよぉぉぉぉ!! うおりゃっ!!」
「はっ、あ、ぐぇぇっ!!」
なんだ、と思った瞬間にはエドワードの視界は空でいっぱいになり、そして、世界は逆さになりすさまじい衝撃に脳みそがゆれた。
のちにそれはジェンヌに決められた大技・ジャーマンスープレックスというものだと知った。なんでも鍛錬の時、浮気男の相談をしたらイチロに「僕の故郷では必殺技って言われてるんですよ」と教わったらしい。ジェンヌがティナやハリエットのようなか弱い女性だったら出来なかったかもしれないが、彼女はバリバリの騎士だった。
「ハリエットちゃん、大丈夫? エディったら乙女の顔を掴んで、前髪まで乱すなんて最低!!」
「じぇ、ジェンヌさん……??」
「リックが小鳥をよこしたの。はい、予備の眼鏡。あ、ハリエットちゃんのママに荷物から出してもらったからね」
頭がぐるぐるしているエドワードをよそにジェンヌはハリエットに眼鏡を渡している。
「一応聞くが、大丈夫か?」
しゃがみこんだナルキーサスが言う。エドワードは地面に転がったまま「は、はひ」と頷いた。
頭も首も痛いが何よりも心臓がずっと、ドンドコドンドコいっている。なんだこれは、こんなの初めてだ。
「お外で話しているのも難だし、中へ入りましょう? 残念ながらヴァイパーくんはマヒロさんが連れて行っちゃったからいないけれど、ミツルさんの淹れてくれる紅茶もとても美味しいのよ」
ユキノの一言でハリエットとジェンヌ、ミツルが中へと入っていく。
入れ違いでサヴィラが外へ出てきてこちらに近づいてきてナルキーサスの隣にしゃがんだ。
「エディ、大丈夫?」
「……は、初めて、みたんだ、かお」
「まあ、いつもでっかい眼鏡をかけているからね」
「だからってお前、いきなりあれはないだろ」
ナルキーサスがあきれたように言った。
「ずっと前髪を気にしていたから、怪我、隠してるのかと思って……」
「あれは顔を見られたくなかったんだよ」
「え? あんなに可愛いのに?」
「そうじゃないと思うけど……目が悪いとちゃんと見ようとして、こんな風に目を細めるでしょ」
サヴィラがそう言って眉間にしわを寄せ、目を細める。
「こういう険しい顔になっちゃうから、見られたくなかったんじゃない? 怒ってるとかじゃない限り、女性はこんな顔、見られたくないでしょ」
「そうだろうな」
サヴィラの答えにナルキーサスが頷いた。
「乙女心はな、繊細なんだ。ずかずか踏み込むんじゃない」
ナルキーサスの言葉にエドワードは、しゅんとなって頷く。
「ネネも最近気難しいんだよね……ミアも将来『サヴィうるさい』とか言うのかな。俺、やなんだけど」
「女子のほうが先に体も心も成長期が来るからなぁ。だがマヒロのほうが重傷になると思うぞ、そんなことをミアに言われたら」
「……想像の中で父様が固まったまま息してない」
「安心しろ、私が蘇生してやる」
軽口を叩き合いながら二人が立ち上がる。
「ほら、エディも大丈夫なら立って。ちゃんとハリエットに謝らないと」
サヴィラの言葉にはっとして、エドワードは勢いよく立ち上がる。
そのまま慌ててリビングに入るとハリエットはいつもの眼鏡姿でジェンヌと並んで座っていた。ナルキーサスが「ちょっと治療室に行ってくる」とリビングを出て行った。
「ハリエット事務官、さっきはすまない。不躾だった!」
エドワードは潔く頭を下げた。
「い、いえ、あの、あの、大丈夫です」
顔を真っ赤にしてうつむくハリエットに、どうしたものか、と視線を落としてハッとする。
「そうだ、これ……」
ハリエットもエドワードの視線の先を追って「ああ」と声を漏らした。
彼女のちょうどスカートの真ん中に大きな紅茶のシミができていて、スカートは横が破れている。幸い、中にまだスカート?みたいなものがあって足は見えたりしていない。
「せっかく、ハリエット事務官に似合ってたのに……」
「え」
「いつもあんまりこういうのは着ていないだろう? でもすごく似合ってて、可愛かったから」
普段のハリエットは、騎士団の事務員の制服だが、非番の日、町でばったり会った時もあまりこういう色の華やかな服は着ていなかった。どちらかというと地味な色合いの服装が多かった。
「ハリエット事務官、俺も詰め所に行ってくる。これ、ワンピースの被害状況だけ書き写させてくれ」
そう言ってエドワードは、自分の手帳を取り出してさっと絵をかいて、ワンピースの惨状をそこに記録する。
「本当は染み抜きとかしてって言いたいんだが」
「しょ、証拠品になるんですよね、だ、大丈夫です。あ、着替えて、と、とと、届けましょうか?」
なんでか赤い顔のまま、盛大にどもりながらハリエットが言った。
「あら、だったらわたしの服を貸すわ。大丈夫、長さを紐で調整するタイプのものがあるから」
そう言ってユキノが立ち上がり、ハリエットを連れていく。
「ジェンヌ、非番の日に悪いけど、ハリエット事務官が大丈夫そうなら調書を作成してもらっておいてもいいか?
「もちろん。徹底的にぶっ潰してやりましょ。……でもまだカロリーナ小隊長には言わないほうがいいわ。午前中、ちょっと色々あって手が離せないのよ」
「分かった。そこは君の判断に任せるが……小隊長、今日は非番だったろ? なんだ? また町でひったくりとか強盗に遭遇して燃やしかけたとか?」
「いつものじゃないわよ」
「……? よく分からんが、まあいいか」
言葉を濁すジェンヌに首を傾げつつも頷く。まさかこの時は、ナルキーサスとレベリオの離縁が午前中、庭先で決まったとは知らず、のちに合流したマヒロに教えられ腰を抜かした。
そして、そう待たずしてハリエットの着ていたワンピースをユキノが持ってきてくれた。紙袋に入れられたそれを受け取り、アイテムボックスにしまう。
「ハリエット事務官は?」
「少し休みたいって言ってるわ。お願いしますね」
さすがにあれこれあって疲れてしまったのだろう。
エドワードは、あいつら絶対に厳罰になるよう頑張ろう、と決意して拳を握りしめた。
「分かりました! 行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃい」
ユキノに見送られ、エドワードは愛馬のシルワを馬小屋から出してきて、シルワとともに問題の騎士たちがいるであろう詰め所へとまずは向かったが、やはりおらず、結局、エドワードも本所へとシルワを走らせたのだった。
「ハリエットさん、大丈夫?」
寝室に戻ってきたユキノが首を傾げる。
暖炉の前の安楽椅子に座って、真っ赤な顔をもてあましていたハリエットは慌てて立ち上がる。
「す、すみません、あの、服も、いろいろ、あの!」
「ふふ、落ち着いて、大丈夫よ」
ユキノのほうが確か年下だが、彼女はおっとりと微笑むとハリエットの手を取り、あやすように両手で包み込んでくれた。
近づくと、ふわりと甘くて優しい良いにおいがするし、同性でもドキドキするほどの美人だと再認識する。彼女が初めて、ブランレトゥの外に張られたあのテントに入ってきた時の衝撃をハリエットは、今も鮮明に覚えている。
「子どもたちが心配だから、大丈夫ならリビングに戻りましょうか?」
「はい、ありがとうございます」
「いいのよ」
そういって歩き出したユキノに手を引かれるまま、彼らの寝室を後にする。
ユキノは細いので服はぶかぶかということはないが、ユキノのほうが背が高いので少し袖も裾も丈が余る。ユキノが腰で紐を結んでくれて、裾は何とかなったが、袖は手を半分隠してしまう。
リビングに入り、ハリエットをソファに座らせるとユキノは、ゆりかごをのぞき込む。
赤ん坊は、すやすやと眠っていたようで、愛おしそうに目を細めるとゆりかご横のソファに座った。
「大丈夫? ハリエットちゃん」
「はい。すみません、ジェンヌさん。今日はお休みの日なのに……」
「いいのよ。することなくて暇だったし。……もし、ハリエットちゃんが大丈夫なら調書だけ作っちゃいたいんだけど、無理なら明日でもいいわ」
「いえ、大丈夫です。たぶん、事が事なので、向こうも処断を急ぐと思うので……ティナちゃんに手を出しちゃったのは、かなりまずいかと」
「そうねえ。なんたってティナちゃんは、ただの美少女じゃなくて、見習いとはいえ神父様の大事な恋人だからね。でも、ハリエットちゃんが怪我をしたことだって、かなり重大な問題なのよ。そもそも現役の騎士が、たとえ四級だろうが、見習いだろうが、騎士である以上、善良な一般市民を怪我させるなんてあってはならないことなんだから」
ジェンヌが険しい顔で言った。
「それはそうですが……身なりもあまり整っていなくて、私もエドワードさんも、冒険者だと思ったんです」
「……人手不足で、教育が行き届いていないのね」
ジェンヌがあきれたように肩を落とす。
それからジェンヌが手際よく調書を作成し、ミツルが用意してくれた小鳥に持たせてマヒロの下へ送った。
一段落ついて、リビングのソファで、ふう、と息をつく。
「騎士様のお仕事はよくわからないけれど、第二小隊の方々を見ていれば、騎士様がどうあるべきか、どうあるのが理想なのかはわかります。それが行き届かないのは、確かに由々しき事態ね」
ミツルが淹れてくれたお茶を飲みながら、ユキノが言った。
「でも、なーんか腑に落ちないんだよね」
どこへ行っていたのか、リビングに戻ってきたサヴィラがユキノの隣に腰を下ろしながら言った。
ユキノが「どうしたの?」と首を傾げる。
「だってさ、エディとリックってめちゃめちゃ優秀でしょ? しかも、父様に気に入られたってからだけじゃなく、周りからも認められて護衛騎士になれるくらいに。それにさ、結構離れていても、俺やミアに何があるかはいつもちゃんと見てて、ちょっとでも危ないなって思うと秒で駆け寄ってくるんだよ? ……ん、ありがと」
サヴィラがミツルからお茶を受け取る。
「護衛というのは、ある程度の視野の広さが求められますからね。たとえ、別の方と談笑していても、離れていても視界の端には必ず留めておきますし、何か一瞬でも危険があるようでしたら、駆け付けるようにしているものですよ。その辺は、真尋様も徹底してお二人に教育されているようですし」
そういったのは、ユキノの護衛をマヒロに任されているというミツルだ。あのマヒロが何より大事にしているユキノを任されているという点において、彼の言葉には説得力がある。
「それなのよ。私からしても、あの二人が出遅れるって言うのが、納得いかないのよねぇ。あの二人なら、声をかけられた時点で、そっちに行くと思うの」
ジェンヌも思案顔だ。
ハリエットは事務官で、騎士ではないので、護衛騎士のその能力についてはよくわからない。店内は混雑していたし、エドワードやリックが、まさか声をかけてきた相手が、こんな暴挙にでるわけもないと思っていたとしてもおかしくはないと思うし、何より、彼らのそばにはシルヴィアがいたのだ。彼女を置いて駆けつけるわけにもいくまい。
そう思って、そのまま言ってみたのだが、ジェンヌの顔は晴れない。
「あの二人の実力なら、ミアとシルヴィアを短時間、一人で守ることはできるはずよ」
「なら、ミアとシルヴィアちゃんのそばから離れられない事情があったのね。娘は、大丈夫かしら……」
ユキノが心配そうに言った。
だが、まるでその心配を払拭するかのように、玄関から「ママ! ただいま!」と可愛らしい声が聞こえてきた。ぱたぱたと軽い足音は一度リビングを通り過ぎ、少しの間を置いて戻ってきた。
「ママ!」
ミアが嬉しそうに駆け寄って、ユキノに抱き着く。
「おかえりなさい、ミア。ちゃんと手を洗ってきたのね、偉いわ」
「うん! だってパパとママとのおやくそくだもの」
どうやら手洗いうがいを済ませに行っていたようだ。いい子だな、と微笑ましくなる。
「ハリエットさん、大丈夫ですか?」
次に顔を見せたのは、ティナだった。心から心配してくれるティナにあえてハリエットは手首の包帯を見せた。
「きちんと手当をしてもらいました。キース先生に診てもらって、神父様が治癒魔法を。私の治癒力を損なわないように配慮して、完治ではないですが、二、三日で治る程度に治してもらいました。それにこっちの傷は浅かったのできれいさっぱり」
次に左手の甲を見せるとティナは、ほっとしたように表情を緩めた。
「ママ、パパは?」
「パパは、お仕事でおでかけしているわ」
「ミア、シルヴィアは?」
「帰りの馬車でぐっすりでね、今、上に運んできたよ。丁度、アマーリア様達も帰ってきて、庭で一緒になったんだ。アマーリア様は上に行ったよ」
ミアに投げた質問は、顔を出したカイトが答えをくれた。
カイトの後ろからはレオンハルトとジョンが顔を出した。
「サヴィ、ごはん食べたあとだと今日は眠くなっちゃうから、一緒に温泉はいろ」
「いいよ。じゃあ、母様、俺、温泉行ってくる」
そう告げてサヴィラが立ち上がる。すでにレオンハルトは眠たそうなので、サヴィラの助けが必要だとジョンは思ったのだろう。今日は子どもたちも一日おでかけをしていたので、疲れている自覚があるようだ。
ミアも帰ってきて安心したのか眠たそうにユキノに抱きついている。
「ジェンヌ、ハリエット、そろそろ帰るかい? 暗くなる前に送っていくよ」
カイトが言った。
確かにティナたちも帰ってきたなら、そろそろお暇する時間だ。
「ハリエットお姉ちゃん、つぎはいつくる?」
眠そうにミアが問いかけてくる。
「私はこちらにいる間は、とくにお仕事はないからいつもで大丈夫です。ティナちゃん、都合の良い日があれば事前に教えてください。第二小隊の誰かに言付けを頼んでもらえれば大丈夫ですから」
「分かりました。そうしますね」
ティナが頷いてくれたのにお礼を言って立ち上がる。
ジェンヌはまだ腑に落ちない顔をしていたが、ハリエットともにリビングを出る。丁度、ナルキーサスも治療室から出てきたので、治療のお礼を言って家を後にする。
徒歩三分の道をカイト、ハリエット、ジェンヌという並びでのんびりと歩いていく。
「どうもね、リックとエディは、別の事件をかぎつけていたようでね」
おもむろにカイトが言った。
どうやらそれを伝えるために送り役を買って出てくれたらしい。マヒロをはじめ、ジェンヌが強い騎士であっても女性に優しいひとたちなので、何がなくても送ってはくれただろうが。
「別の事件、ですか?」
「ああ。それでミアとシルヴィアのそばを離れられなくて。俺たちは一路が『午後のお茶の時間だし、ティナがいるかもしれない』って」理由で、偶然、あのカフェに行って、それで俺たちの登場であの二人が自由に動けるようになったわけ」
「なるほど」
カイトになら、子どもたちを任せても確かに安全だ。
「さすがに俺も一路も、どういう事情があったのかは分からないんだけどね。慌ただしくなっちゃったからさ」
「あの二人が動けないとすれば……ヴィー嬢になにか危険が及んでいたか、ってところね」
ジェンヌが険しい顔で告げた。ハリエットも、おそらくカイトも彼女と同じ意見だった。
「ま、詳しいことは今夜か明日には分かるはず。今は、ゆっくり休んで疲れを癒してって言いたいんだけど……」
「そういえば、カロリーナさんが手一杯って……何か緊急の案件でも?」
苦笑をこぼしたジェンヌにハリエットは首を傾げる。
破天荒なカロリーナだが、部下に慕われ、上からの信頼も厚いので、時折、重要な案件を上から任されることがあるのだ。神父様の件を任されているのも、水の月の事件の際にリヨンズの動向を監視していたのもその証拠だ。
「あー、いや、キース先生はケロッとしてるけど、その、レベリオ殿が、ね」
歯切れの悪いジェンヌにハリエットはカイトと顔を見合わせる。
「あの二人に何かあったのかい? レベリオはマヒロに出禁くらってるだろ?」
「それが今朝、談話室でレベリオ殿の話を小隊長が聞いてたんだけど、ほらかなり、その、優柔不断というかぐじぐじしていたから、小隊長がキレちゃって。レベリオ殿を担いで、神父様の家まで連行してったのよ」
「……カロリーナさん……」
残念ながら事務官としてカロリーナをよく知っているので、想像にたやすかった。
「んで、これは庭で警護してた遅番の連中に聞いた話なんだけど、小隊長に睨まれたレベリオ殿は、ちゃんと本音というか、今までのことや気持ち、考えなんかを素直にキース先生に告げたらしいの。で、結果……離縁が決まっちゃったのよね」
「えええーー!?」
「No way!!」
ハリエットの叫びとカイトの叫びがこだまるす。
「んで、今、うちの食堂でレベリオ殿が飲んだくれてるの。でも分かるわ……私もあのくそ野郎を思い出すと酒に走りたくなる」
くそ野郎とは付き合って二カ月で浮気したジェンヌの元カレのことだ。
ジェンヌはまだ三級なので寮暮らしなのだが、それが余計にいけなかったとジェンヌは嘆いていた。
「キース先生は離縁を望んで、決意していた分、立ち直りが早そうだけど、レベリオ殿はどうかしらね」
「時間が解決してくれることもあるよ。ほら、着いたよ」
気が付けば宿の前だった。宿はたくさんある窓からちらほらと明かりが漏れている。
「カイトさん、ありがとうございました」
「当然だよ。ほら、家に入って。中に入るまでがお出かけだからね」
そういってウィンクするカイトに見守られながら、ハリエットとジェンヌは中に入る。ドアを閉める寸前、手を振るカイトに二人も手を振り返した。
食堂へ行くというジェンヌと別れて、部屋へと向かう。
カロリーナが「何かあったら私が君たち一家を守るからな!」と言ってくれ同室のため、大きな部屋なのだ。
時折、すれ違う仲間が「おかえり」と声をかけてくれるのに挨拶を返す。
「……可愛いっていってもらっちゃった」
部屋に戻る直前、誰もいなくなり、ひとりになった廊下でぽつりとつぶやき、ハリエットは自分でもわかるほどしまりのない顔をしているだろうが、ワンピースが台無しになったことを差し引いてもおつりがくるような出来事だった。
だが、このままでは母や祖母により心配をかけてしまうと何とか表情を引き締めて、ハリエットは家族の待つ部屋のドアを開けたのだった。
「お前の相棒は、いつになったら落ち着きが得られるんだ?」
グラウの騎士団の応接間に通されたマヒロが煙草をふかしながら言った。
ハリエットを抱えて家まで帰ったという相棒の狼藉にリックは頭を抱えながら「申し訳ありません」と言うほかなかった。どうしてエドワードは思ったまま行動に移してしまうのだろうか。
「ハリエット事務官は?」
「雪乃がいるから大丈夫だろう。キースもいるしな」
そういってマヒロはけだるげに紫煙を吐き出した。
この本所は、前回、エルフ族の里からの使者とジークフリートと対面した場所であるため、マヒロが到着するとすぐにこの応接間に通されたのだ。
本所は現在、馬鹿すぎる四級騎士が神父様の関係者に手を出そうとし、あまつさえ暴力をふるったと上を下への大騒ぎになっている。リック自身の顔も割れているため、リックがあの二人をずるずると引きずって馬車を下りた時(詰め所では対応しきれないと判断し、馬車を拾い、本所へ来た)、慌てて出てきたグラウやその周辺を管轄としている第四大隊の大隊長は、話を聞いて気絶しそうになっていたが。
あの二人は取調室に連行されて行き、リックはマヒロが来たことで大慌てになっていたので、マヒロを迎えに行き、今はマヒロと彼の供してついてきたヴァイパーとともに応接間にいるのだ。
「それで、ハリエット事務官が怪我をするに至った経緯は?」
「私たちの初動の遅れ以外の何物でも」
「言い訳はいい。理由を聞いている」
マヒロはすっぱり言って、短くなった煙草を横へやった。すぐにヴァイパーが灰皿を差し出し、その上にぽとんと落ちる。
「……ミアとヴィー嬢が狙われていたので」
「ほう」
ほんの少しマヒロの声のトーンが下がった。
「私たちは食堂で食事を終えて、商店街を散策していたのですが……途中から視線を感じるようになりまして、最初はティナかハリエット事務官にどっかの男が鼻の下を伸ばしているのかと思ったのです。お二人とも可愛らしいお嬢さんですから。ですが、商店街を移動している間中、一定の距離を保ってついてくるものが二人」
「性別、風貌、種族は?」
「人族と獣人族、どちらも男性。年齢は二十代後半から三十代前半。旅人風の装束をまとっていました。帽子をかぶっていたので、耳の小さい種族かと。尻尾はマントで確認できませんでした。ですが、牙が見えたので」
「僕と同じ有鱗族の可能性はないのですか?」
ヴァイパーが首を傾げた。
「頬に鱗はありませんでしたよ」
リックが答える。
「それでカフェに入ると混雑のため、私たちと彼女らとで席が分かれたんです。彼らもそのあと、我々の席の近くが空いたので案内されて着席。それが偶然なのか故意なのかは、調査が必要かと」
「どうしてうちの娘たちを狙っていると?」
「ミアの耳を頼りたかったのですが、そういうわけにもいかず……あくまで唇を読んだだけですが『どちらも愛玩に向いた顔だ』『良い値で売れそうだ』と話していました」
「……ほぉー」
トーンどころか部屋の温度が十度は下がった。ヴァイパーが顔を青くしている。
「それで、その男どもは?」
二本目の煙草に火をつけるマヒロにいつものように「ユキノさんに言いつけますよ」とは言えない。機嫌が地の底を這っているのが肌で分かるので、触らぬ神父に祟りなし精神だ。
「ナンパ野郎を二人、引きずっていく過程で騒いだ詫びを入れている時、以前、マヒロさんから頂いた追跡型魔道具の毛虫をくっつけておきましたが……途中で気づかれて落とされたようです。先ほど、非番のルシアンとピアースに回収に向かってもらいました」
リックは懐から、その毛虫と対になる蝶々を取り出して、マヒロに渡す。
マヒロが隠ぺいを解けば、それはただの紙に戻って、丁寧に広げれば中には地図が現れる。
「ここはグラウでも、あまり治安がいいとは言えない地区です」
「なるほど。……ブランレトゥに孤児院ができて、貧民街を騎士が回るようになり、狩り場を奪われたやつらがこちらに流れたか」
「その可能性は否めないかと。それに収穫祭がもうじき始まりますから、人の流れも多くなっていて、年若い女性や子どもが狙われやすくなります。例年、ブランレトゥでもこの時期は特別警戒態勢に入りますから」
リックがそう告げると同時にノックの音が聞こえ、ヴァイパーがマヒロに許可を得てドアを開けた。
まず入ってきたのはエドワードだった。そのあとに続いて恐縮しきった様子で入ってきたのは、第四大隊大隊長のチェスター一級騎士、第二中隊中隊長ジェイミー一級騎士、第四小隊小隊長レナード二級騎士、そして、件の騒ぎを起こした四級騎士のモーリスとマーヴィンだった。
最後に重そうな書類を携えた鳥が飛んで来て、マヒロの膝に着地した。マヒロが封筒の中身を取り出して確認する。どうやらそれは、ジェンヌが作ってくれた調書のようだった。
「マヒロさん、ハリエット事務官からワンピースを預かってきました」
そういってエドワードはテーブルの上に紙袋を置いた。
「ハリエット事務官は?」
「気丈にしていましたが、ワンピースを着替えた後は、やはりショックが大きかったようで休んでいます。ユキノ夫人が付き添ってくれています」
「そうか。可哀そうに……」
マヒロの一言にエドワードは力強く頷き、リックの隣へとやってきた。
マヒロは、大隊長たちのことは一瞥しただけで、ぷかぷかと煙をくゆらせ、調書に目を通している。
普段のマヒロなら、一応、立ち上がって忙しい中時間を確保してくれた事に礼を言って、彼らに座るように促しただろう。だが、今回は一瞥しただけで、何も言わない。
何分、顔が良いので無表情で黙っているとすさまじい威圧感がある。その迫力に四級騎士は泣きそうな顔をしているし、神父様の関係者に手を出したという事実に上司たちは血の気を失っている。とくに大隊長は前回の訪問で面識があったため、待遇の違いに死にそうになっていた。
とはいえリックやエドワードはただの護衛騎士だ。主には従わねばならない。なので素知らぬ顔をしているヴァイパーとともに並んで相棒とともにマヒロの後ろに控えるほかない。
「あ、あの、この度は……っ、まことに、も、申し訳なく……っ!」
大隊長が勇気を振り絞って口を開いた。
マヒロがちらりと目を向ける。
大隊長を筆頭にその視線を受けた上司たちが一斉に頭を深々と下げ、直属の上司である小隊長によって四級騎士二名は土下座させられた。
「大変、申し訳ありませんでした!」
マヒロが長所をテーブルの上のワンピースの隣に置いた。
「……今回、被害に遭ったハリエット事務官は、私の護衛騎士がもともと所属していたブランレトゥ第三中隊第二小隊の小隊長専属の事務官です。そして、同席していたのは我が教会の見習い神父の恋人です」
「は、はい」
「だが何より問題なのは、あの時……その場には私の可愛い娘とその友人のやんごとなき家から預かっているお嬢さんがいたことです。娘たちはまだ幼く、そして、心優しい子だ。可哀そうに、ひどく怯えてしまって」
はぁと溜息交じりにマヒロが紫煙を吐き出した。
リックの記憶にある限りだとミアは肝が据わっているので「リックくん、かっこいい! がんばれー!」と声援を送ってくれていたし、シルヴィアにいたっては「おしおきけっていですわ! なさけない!」と怒っていたが、リックはしがない護衛騎士なのでマヒロがそうだと言えば、そうだとしか言えない。しがない護衛騎士なので。そもそもマヒロはまだミアとシルヴィアには会っていないはずだが、余計な口は開くまい。
「娘たちは私に護衛騎士がいるのもあり、カロリーナ小隊長が率いる第二小隊の騎士たちと親交があり、騎士に対して正義の味方以外の感情はなかったはずなのに、これではまるで裏切りではないですか。私もこの怪我で思うようには動けず、これでは心穏やかに療養もできない」
そういってマヒロは三角巾で吊られた自分の右腕に視線を落とした。普段、家族のこと以外ではぴくりとも仕事をしない表情筋だというのに、今は悲しげに目が伏せられている。
顔がいいので悲しそうにしていると、本当に悲痛にみえてくる。
「そのやんごとない、家、というの、は」
大隊長が震えながら問うてくる。
今回、マヒロが療養のために家族でグラウに訪れていることはこちらの騎士団でも知っているが、安全面を考慮して領主夫人とその子どもたちが来ていることは伏せられている。ウィルフレッドの書状でグラウには入っているので、アマーリアたちのカードの提示は必要なかったからだ。
とはいえ、ユキノたちのことは事前に伝えてあるし、ウィルフレッドが身分保証人になってくれている。それ以外の身分を示すカードを持っている者は、全員、提示しているし、クロードが来てユキノたちのカードも作ってくれたので、近日中に正式に提示する予定だ。
「ウィルフレッド閣下からの書状には、詮索不要とあったはずですが」
「失礼しました」
どうやらリックたちは知らないが、ウィルフレッドからの書状にはマヒロに同行している「やんごとない人々」については伝えてあったようだ。そのかわり、詮索不要と先手を打っているようだが。
だが、それがブランレトゥにいる爵位だけの家ではないことだけは、彼らも承知しているはずだ。
「つまり、君たちは『それら』のせいで、ウィルフレッド団長閣下の信頼さえも裏切ったことになる、というのは理解できているのか?」
すっと表情を消して、冷たいまなざしが彼らに向けられる。これまで一応、下手に出ていたのが一転、上から圧をかけるような口調に上司たちの肩がこわばり、四級騎士は床に額をこすりつけるように頭を下げた。
「……人の行動や言葉というのは、普段の生活が基盤となっている。今回の件が、まさか初犯ではあるまい。徹底的に調べ上げろ」
そういってマヒロが立ち上がり、短くなった煙草をヴァイパーが差し出した灰皿に落とした。
「私が町で聞いた噂でございますが」
おもむろにヴァイパーが口を開いた。
「なんでも最近、どうにも素行の悪い騎士が増えた、と町では噂になっているようです。私が買い付けに行っている茶葉の店の店主の娘さんは丁度、華やかな年頃なのですが、彼女やそのご友人も悪質なナンパに遭ったとか。最近は騎士と名乗り、そういった悪事を働く輩が増えていて困っているそうですよ」
マヒロが気に入るだけはあるな、とリックは感心してしまう。
「……だそうだ、分かるな?」
マヒロは静かに目をほそめた。
「一週間。それだけ時間はやる。騎士団の恥は全てあぶり出し、払拭しろ」
「は、はいっ!」
「それまで此度の件、ウィルフレッド閣下には報告はしないでおく。見送りは結構。そんな暇があれば仕事をしろ」
そういって歩き出したマヒロの後を追う。
リックとエドワードもヴァイパーも素知らぬ顔で頭を下げ続ける彼らの前を通過する。廊下で行きかう騎士たちが最敬礼してくるのにマヒロは目線だけを返し、玄関に横づけにされた馬車に乗り込んだ。御者席には第二小隊の今日の警護当番だった仲間がいたのでリックたちも中へと乗り込んだ。マヒロとヴァイパーが並んで座り、リックとエドワードは向かいの席に腰を下ろす。
中へ入って早々、マヒロが煩わしそうにギプスと三角巾を取り払った。
「お疲れ様です」
そういってヴァイパーがマヒロを労う。
マヒロは煙草を取り出そうとしたのだろうが、さすがにこれから家に帰るのであきらめたようだ。彼はユキノが夫の喫煙についてよく思っていないことは重々承知しているようではあるのだ。
「それにしてもヴァイパーさん、いつあの情報を?」
エドワードが不思議そうに尋ねる。
「話した通り、本当に行きつけのお店で聞いたんです。その紅茶店は本当に質の良い茶葉ばかりで、僕はマヒロ様に予算を頂いていたのもあり高級な茶葉もいくらか購入したので、向こうもよくしてくれて、そう言ったお話を聞かせてくださったんです。ミツルさんにも、商店の人と仲良くなるのは大事だと教えられていたのですが、こういうことかと納得しました」
ヴァイパーの説明になるほど、とリックたちは頷く。
こちらにいる間、基本的にマヒロの護衛であるためリックは外に出ることはがなかったので、情報収集ができていなかったのを反省する。
「ところでエディ、ハリエット事務官はそんなに具合が悪いのか? 俺が治療をしたときは、そこまでショックを受けている様子ではなかったが……やはり後になってからのほうがじわじわと来るものだからな」
マヒロの問いにエドワードがなぜか頬を引きつらせた。
相棒になって早五年。何かやらかしたな、とリックは目を細めた。それはマヒロも同じだったのだろう。長い脚を組み換え「話せ」とだけ言った。
それからエドワードはマヒロが出かけてからのことを、話し始めた。
ハリエットを心配したところまではいい。エドワードは優しい奴だ。だがしかし、いくらなんでも女性の顔を掴んで、前髪を上げさせるなんて、どうしてリックの相棒は馬鹿なんだろうと思わざるを得なかった。
「……お前は馬鹿か」
マヒロがリックの心を代弁するように言った。
「どう考えてもハリエット事務官はお前に顔を見られたくなかったんだろう。目が悪ければ顔をしかめる。それを見られたい女性なんていない」
「は、はい……サヴィラにも同じことを言われまして」
十三歳の少年の諭されるなよ、とリックは両手で顔を覆った。ヴァイパーもマヒロの隣で苦笑いをこぼしている。
ハリエット事務官は、他ならないエドワードだから顔を見られたくなかったのだ。リックとて、それほど乙女心に詳しいわけでも、女性の扱いに慣れているわけでもないが、あんなに分かりやすいのになぜわからないのか、不思議でしょうがなかった。だが、これの主であるイチロも、あんなに分かりやすいティナの気持ちに気づいていなかったので、しょうがないのかもしれない。
「その時、ハリエット事務官の素顔を初めて見てしまったのですが……その、目が、」
「目が?」
「目が……青みがかった黒い瞳がすごく、綺麗で」
横の相棒の頬が徐々に赤くなる。リックは、おや、と思わず瞬きを二度、繰り返した。
「吸い込まれそうなほど澄んでいて、綺麗で……それで、俺、心臓が耳元に移動したんじゃないかってくらい、ドンドコドンドコうるさくて」
ドンドコドンドコってなんだよ、ドキドキだろ、と思ったがリックは口をつぐんだ。
あの鈍い相棒が、恋人はいたにはいたが告白されて押し負けて付き合い、結局、馬バカすぎてフラれた相棒が、ついに、とリックは感動にも似た感情を抱いた。ヴァイパーも甘酸っぱいものを噛んだかのようなむずむずした顔をしているし、マヒロも心なしか無表情に微笑ましさを浮かべているように見えなくもなかった。
だが、次の瞬間、リックは椅子から落ちそうになった。
「不整脈、ですかね……キース先生に診てもらったほうがいいでしょうか……俺の大叔父さんは心臓の発作で亡くなっているので、そういうのって血縁があると可能性あるっていいますよね」
相棒は至極真面目な赤い顔で告げた。
ヴァイパーはあまりの鈍さに絶句しているし、マヒロでさえ誰が見ても分かる通り「嘘だろ」という顔をしていた。リックは、あまりの居た堪れなさに両手で顔を覆った。
「………………そうか。そうだな……お前になにかあると一路が困る。ちゃんとキースに相談しておけ」
きっと何もかもが面倒になったのだろうリックの主はそう締めくくった。
エドワードは「やっぱりそうですよね……」と深刻そうな顔で頷いたが、リックの脳裏にはあきれ果てた顔をして「君につける薬はない」と言いきるナルキーサスの顔が浮かんでいた。
「だが、そうだキースで思い出したんだが……色々あって、結局、キースとレベリオ殿は離縁が決まった」
「は?」
「えっ」
驚くリックとエドワードにマヒロは淡々と告げた。
「カロリーナ小隊長がレベリオ殿を担いで連れてきてな。夫婦の間の事だから、詳細は伏せるが……お互いの本音をぶつけあった結果、離縁という形に落ち着いた。ナルキーサスも午後には気丈にふるまっているが、落ち込んではいるだろう。あまり無理はさせないようにな」
あまりに衝撃的な報せにエドワードの壊滅的な鈍さのことなどどうでもよくなってしまった。
それから結局、帰る前に第二小隊の宿によろうとしたら門の前でカロリーナに会い、レベリオはやけ酒におぼれているということなので、マヒロが「お見舞いだ」とアイテムボックスに持っていたらしいワインの樽を彼女に渡し、リックたちは家へと向かった。
こうして、なんだか長い一日は終わりを迎えたのだった。
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ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
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明日は更新できるか分からないのですが、頑張って書き上げましたら更新します!!
次のお話も楽しんでいただければ幸いです♪
馬車を使うことも忘れて走り、家にたどり着いたときにはさすがに汗だくだった。
ハリエットはエドワードとは同い年だが、とても小柄で、騎士ではない事務官なのでか弱く、守るべき存在だ。大人しく控えめな性格だが正義感が強く、案外頑固で真っすぐな優しい娘だ。カロリーナが溺愛するのも頷ける。そんなハリエットはエドワードにとって大事な仲間であるし、妹のようにかわいがっている存在だ。色々あったとはいえ、助けに入るのが遅れて怪我をさせるなんて、騎士としても仲間としても失格だ。
門番をしていた同僚たちが目を白黒させながら通してくれ、中へ入る。昼下がりの午後、目当ての人物は庭でのんびり椅子に座り、新聞を広げていた。彼の傍らには乳母車が置かれていて、子守りをしている様子だった。反対隣りにはサヴィラがいて、サヴィラもなんだか小難しそうな本を読んでいた。
「マヒロさん!」
叫ぶように呼ぶとマヒロが新聞をわずかに下げて顔を見せた。
「キース先生は!?」
「私はここだが?」
庭とつながるリビングのガラス戸からナルキーサスが顔を出す。
ナルキーサスもそしてマヒロもエドワードが腕に抱えているものに気づいて、首を傾げた。
「ハリエットじゃないか。どうかしたのか? 具合でも悪くなったか?」
ナルキーサスが庭に出てきて言った。
「糞ナンパ野郎に怪我をさせられてしまって、すぐに診てください」
「本当だ。怪我をしているな。どれ……」
ナルキーサスが即座にエドワードが抱えたままのハリエットが胸の前で握りしめている手の甲の傷に気が付いて顔を近づける。
「あ、スカート、破れてるし……これ、何かこぼした? でっかいシミができてるよ」
「ええ? あ、マジだ!! マヒロさん、直せますか!?」
慌てるエドワードにマヒロが読んでいた新聞を畳んでサヴィラに渡すと立ち上がり、おもむろにエドワードの頭に手刀を落とした。
「あっだ!!」
「お前、いつまで抱えているんだ。まずは降ろしてやれ」
そう言って自分が座っていた椅子を指さした。
エドワードは慌てハリエットを椅子に降ろす。ハリエットは「すみ、ません、歯を食い、しばっていたから」となんだか顎をさすりながらぎこちなく言った。
「サヴィ、ユキノと、園田かヴァイパーを呼んできてくれ」
「了解」
サヴィラが本と新聞を手に家の中に戻っていく。
ナルキーサスがサヴィラの座っていた椅子に腰かけて、ハリエットの様子を見てくれる。どこからともなく取り出されたカルテにあれこれ書き込む。そうこうしているうちにサヴィラとともにユキノとミツル、ヴァイパーがやってきた。
「あらあら、ハリエットさん、どうしたんです?」
ユキノが心配そうにハリエットに声をかける。ヴァイパーが椅子を持ってきて、ナルキーサスが座っているほうとは反対に置いた。ユキノはお礼を言って、そこに座る。
「お前たちがそばにいたのに、どういうことだ? あ?」
「はい、すみません……」
じとりとマヒロに睨まれて肩を落とす。
「ところで俺の娘とティナたちは?」
「イチロたちが合流したので一緒に。リックはハリエット事務官を害した奴らを詰め所に連れて行きました」
「何があったの?」
サヴィラが首を傾げる。
エドワードはことのあらましを説明した。ユキノが「まあ、最低ね」と怒る横でサヴィラが「リックは優しい分、怒ると怖いのに、自業自得だよね」と肩をすくめた。
「ふむ……どこの詰め所だ?」
「大通り沿いのカフェだったので、そこの近くの詰め所か……ことが事なのでグラウの本所に連れていかれているかと」
「俺の護衛騎士だからな、様子を見て来よう。雪乃、そういうわけだから出かけてくる」
「行くなら絞れる分だけ絞ってきてくださいね。ほかにも被害が出たら大変だもの」
ユキノの「やるなら徹底的にやれ」精神は本当にマヒロと夫婦でよく似ているな、と思う。
「マヒロ、出かける前に治してやってくれ。その間に、診断書を仕上げておくから」
ナルキーサスに言われて、マヒロがハリエットの前に膝をついた。ハリエットが恐縮して、ぺこぺこと頭を下げるがマヒロはとくに何も気にしていないようだった。
「触ってもいいか?」
「は、はい」
ハリエットが差し出した左手の手の甲を包み込むようにマヒロが触れる。マヒロの大きな手にハリエットの小さな手はすっぽり隠れて見えなくなってしまった。淡い金の光がこぼれて、次にマヒロが手を離すと手の甲にあった切り傷はきれいさっぱりなくなっていた。
次に右手の手首だが、ナルキーサスの指示で痣がうっすらと残る程度で治され、湿布が貼られて包帯が巻かれることになった。
「あの程度の擦り傷ならともかく、治しすぎはよくないからな。治癒力は損なったら戻ってこない。だが私の薬は素晴らしいから、君の本来の治癒力と合わさって二、三日で綺麗に治るよ。骨も折れていなかったし、安心してくれ。何かあったら遠慮なく私のところにおいで」
そう言ってナルキーサスが優しくハリエットに微笑んだ。
「……俺、事と次第で秒で治されるんですけど。俺の治癒力は大丈夫ですか?」
というエドワードの言葉は無視された。
治療を終えたマヒロはミツルから上着を受け取ると肩に羽織り、「ヴァイパー、供を頼む。園田、サヴィ、あとは頼んだ」とナルキーサスが仕上げてくれた診断書を受け取る。
「マヒロ、君は一応、療養中だ。せめてこれとこれをつけていけ」
そういってナルキーサスがマヒロの右腕にギプスをはめて三角巾で腕を吊った。
「……そうだな。余計な報告をされては敵わん」
マヒロが三角巾を調整しながら頷いた。
それから彼はヴァイパーを連れて、話を聞いていた警護当番の第二小隊のやつが準備した馬車(お出かけ用の高級なやつ。家は入っていない)に乗って出かけて行った。サヴィラも「長時間はよくないから」と双子を連れて中へと戻っていく。
「これでよし、と」
ハリエットの細い手首に包帯を巻き終え、ナルキーサスが顔を上げた。
「来られるようなら、明日もおいで。様子を見て、湿布と包帯を変えよう」
「ありがとうございます」
ハリエットがぺこりと頭を下げた。
しかしやっぱり俯きがちだ。
「ところで君は近視で眼鏡をかけていたはずだが、眼鏡は?」
「あいつらが『魔道具だ』と因縁をつけたので、そうではないことを証明するために持って行っちゃって」
ナルキーサスの問いにエドワードが答える。ハリエットは、また前髪を撫でつけている。普段の彼女にこんな癖はないはずで、エドワードは首を傾げながら、彼女の目の前にしゃがんだ。
「大丈夫か? さっきから前髪を気にしてるけど、額に怪我でもしてるのか?」
「い、いいい、いえ、だだ、大丈夫です」
やけにどもりながらハリエットが答え、なぜかますますエドワードから逃げるように俯く。
ハリエットは、人に頼ったり心配をかけたりするのが苦手な節がある。もしかしたら怪我をしているが、これ以上、周りに心配をかけまいと言い出せないだけなのかもしれない。
「こら、ちゃんと言わないとだめだ。悪化したらどうするんだ。失礼」
エドワードは左手で俯くハリエットの顎を挟むように掴んで、右手で彼女が隠す額をあらわにするため髪をかき上げた。
「………………へっ」
ずいぶんと間抜けな声が口から漏れた。
エドワードの片手にすっぽり収まりそうな小さな顔。分厚いレンズのごつい眼鏡がいつもこの小さな顔の半分を覆っていて、ハリエットの素顔なんて見たことはなかった。
柔らかく垂れた大きな目は、綺麗な黒だった。夜空を溶かし込んだらきっと、少し青みがかったこの黒になるだろうと思った。長いまつ毛がぱちぱち揺れる。黒い大きな瞳はうるんでいて、形の良い眉はへにゃんと下がっている。
素顔なんて初めて見たけれど、びっくりするくらい可愛かった。
左手に触れているハリエットの頬なんてマシュマロかな?と思うくらいに柔らかい。いや、ミアとか双子のほっぺも柔らかいけれど、大人になっても女の子って柔らかいのか。エドワードの頭の中は盛大にこんがらがっていた。
「あ、あ、あの、エド、ワ、さん、はなして、くださ」
ハリエットがふにゃふにゃ何か言っているが全く頭に入ってこない。
その代わり自分の心臓の音が、ばっくんばっくん、耳元で聞こえてくる。それに交じってユキノの「あらあらぁ」とかナルキーサスの「わかりやすいなぁ」とかなんとかも聞こえる。
だが、エドワードは突然、後ろから抱き着かれて身構える。
「おい、てめぇ、うちの可愛い事務官泣かせてんじゃないわよぉぉぉぉ!! うおりゃっ!!」
「はっ、あ、ぐぇぇっ!!」
なんだ、と思った瞬間にはエドワードの視界は空でいっぱいになり、そして、世界は逆さになりすさまじい衝撃に脳みそがゆれた。
のちにそれはジェンヌに決められた大技・ジャーマンスープレックスというものだと知った。なんでも鍛錬の時、浮気男の相談をしたらイチロに「僕の故郷では必殺技って言われてるんですよ」と教わったらしい。ジェンヌがティナやハリエットのようなか弱い女性だったら出来なかったかもしれないが、彼女はバリバリの騎士だった。
「ハリエットちゃん、大丈夫? エディったら乙女の顔を掴んで、前髪まで乱すなんて最低!!」
「じぇ、ジェンヌさん……??」
「リックが小鳥をよこしたの。はい、予備の眼鏡。あ、ハリエットちゃんのママに荷物から出してもらったからね」
頭がぐるぐるしているエドワードをよそにジェンヌはハリエットに眼鏡を渡している。
「一応聞くが、大丈夫か?」
しゃがみこんだナルキーサスが言う。エドワードは地面に転がったまま「は、はひ」と頷いた。
頭も首も痛いが何よりも心臓がずっと、ドンドコドンドコいっている。なんだこれは、こんなの初めてだ。
「お外で話しているのも難だし、中へ入りましょう? 残念ながらヴァイパーくんはマヒロさんが連れて行っちゃったからいないけれど、ミツルさんの淹れてくれる紅茶もとても美味しいのよ」
ユキノの一言でハリエットとジェンヌ、ミツルが中へと入っていく。
入れ違いでサヴィラが外へ出てきてこちらに近づいてきてナルキーサスの隣にしゃがんだ。
「エディ、大丈夫?」
「……は、初めて、みたんだ、かお」
「まあ、いつもでっかい眼鏡をかけているからね」
「だからってお前、いきなりあれはないだろ」
ナルキーサスがあきれたように言った。
「ずっと前髪を気にしていたから、怪我、隠してるのかと思って……」
「あれは顔を見られたくなかったんだよ」
「え? あんなに可愛いのに?」
「そうじゃないと思うけど……目が悪いとちゃんと見ようとして、こんな風に目を細めるでしょ」
サヴィラがそう言って眉間にしわを寄せ、目を細める。
「こういう険しい顔になっちゃうから、見られたくなかったんじゃない? 怒ってるとかじゃない限り、女性はこんな顔、見られたくないでしょ」
「そうだろうな」
サヴィラの答えにナルキーサスが頷いた。
「乙女心はな、繊細なんだ。ずかずか踏み込むんじゃない」
ナルキーサスの言葉にエドワードは、しゅんとなって頷く。
「ネネも最近気難しいんだよね……ミアも将来『サヴィうるさい』とか言うのかな。俺、やなんだけど」
「女子のほうが先に体も心も成長期が来るからなぁ。だがマヒロのほうが重傷になると思うぞ、そんなことをミアに言われたら」
「……想像の中で父様が固まったまま息してない」
「安心しろ、私が蘇生してやる」
軽口を叩き合いながら二人が立ち上がる。
「ほら、エディも大丈夫なら立って。ちゃんとハリエットに謝らないと」
サヴィラの言葉にはっとして、エドワードは勢いよく立ち上がる。
そのまま慌ててリビングに入るとハリエットはいつもの眼鏡姿でジェンヌと並んで座っていた。ナルキーサスが「ちょっと治療室に行ってくる」とリビングを出て行った。
「ハリエット事務官、さっきはすまない。不躾だった!」
エドワードは潔く頭を下げた。
「い、いえ、あの、あの、大丈夫です」
顔を真っ赤にしてうつむくハリエットに、どうしたものか、と視線を落としてハッとする。
「そうだ、これ……」
ハリエットもエドワードの視線の先を追って「ああ」と声を漏らした。
彼女のちょうどスカートの真ん中に大きな紅茶のシミができていて、スカートは横が破れている。幸い、中にまだスカート?みたいなものがあって足は見えたりしていない。
「せっかく、ハリエット事務官に似合ってたのに……」
「え」
「いつもあんまりこういうのは着ていないだろう? でもすごく似合ってて、可愛かったから」
普段のハリエットは、騎士団の事務員の制服だが、非番の日、町でばったり会った時もあまりこういう色の華やかな服は着ていなかった。どちらかというと地味な色合いの服装が多かった。
「ハリエット事務官、俺も詰め所に行ってくる。これ、ワンピースの被害状況だけ書き写させてくれ」
そう言ってエドワードは、自分の手帳を取り出してさっと絵をかいて、ワンピースの惨状をそこに記録する。
「本当は染み抜きとかしてって言いたいんだが」
「しょ、証拠品になるんですよね、だ、大丈夫です。あ、着替えて、と、とと、届けましょうか?」
なんでか赤い顔のまま、盛大にどもりながらハリエットが言った。
「あら、だったらわたしの服を貸すわ。大丈夫、長さを紐で調整するタイプのものがあるから」
そう言ってユキノが立ち上がり、ハリエットを連れていく。
「ジェンヌ、非番の日に悪いけど、ハリエット事務官が大丈夫そうなら調書を作成してもらっておいてもいいか?
「もちろん。徹底的にぶっ潰してやりましょ。……でもまだカロリーナ小隊長には言わないほうがいいわ。午前中、ちょっと色々あって手が離せないのよ」
「分かった。そこは君の判断に任せるが……小隊長、今日は非番だったろ? なんだ? また町でひったくりとか強盗に遭遇して燃やしかけたとか?」
「いつものじゃないわよ」
「……? よく分からんが、まあいいか」
言葉を濁すジェンヌに首を傾げつつも頷く。まさかこの時は、ナルキーサスとレベリオの離縁が午前中、庭先で決まったとは知らず、のちに合流したマヒロに教えられ腰を抜かした。
そして、そう待たずしてハリエットの着ていたワンピースをユキノが持ってきてくれた。紙袋に入れられたそれを受け取り、アイテムボックスにしまう。
「ハリエット事務官は?」
「少し休みたいって言ってるわ。お願いしますね」
さすがにあれこれあって疲れてしまったのだろう。
エドワードは、あいつら絶対に厳罰になるよう頑張ろう、と決意して拳を握りしめた。
「分かりました! 行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃい」
ユキノに見送られ、エドワードは愛馬のシルワを馬小屋から出してきて、シルワとともに問題の騎士たちがいるであろう詰め所へとまずは向かったが、やはりおらず、結局、エドワードも本所へとシルワを走らせたのだった。
「ハリエットさん、大丈夫?」
寝室に戻ってきたユキノが首を傾げる。
暖炉の前の安楽椅子に座って、真っ赤な顔をもてあましていたハリエットは慌てて立ち上がる。
「す、すみません、あの、服も、いろいろ、あの!」
「ふふ、落ち着いて、大丈夫よ」
ユキノのほうが確か年下だが、彼女はおっとりと微笑むとハリエットの手を取り、あやすように両手で包み込んでくれた。
近づくと、ふわりと甘くて優しい良いにおいがするし、同性でもドキドキするほどの美人だと再認識する。彼女が初めて、ブランレトゥの外に張られたあのテントに入ってきた時の衝撃をハリエットは、今も鮮明に覚えている。
「子どもたちが心配だから、大丈夫ならリビングに戻りましょうか?」
「はい、ありがとうございます」
「いいのよ」
そういって歩き出したユキノに手を引かれるまま、彼らの寝室を後にする。
ユキノは細いので服はぶかぶかということはないが、ユキノのほうが背が高いので少し袖も裾も丈が余る。ユキノが腰で紐を結んでくれて、裾は何とかなったが、袖は手を半分隠してしまう。
リビングに入り、ハリエットをソファに座らせるとユキノは、ゆりかごをのぞき込む。
赤ん坊は、すやすやと眠っていたようで、愛おしそうに目を細めるとゆりかご横のソファに座った。
「大丈夫? ハリエットちゃん」
「はい。すみません、ジェンヌさん。今日はお休みの日なのに……」
「いいのよ。することなくて暇だったし。……もし、ハリエットちゃんが大丈夫なら調書だけ作っちゃいたいんだけど、無理なら明日でもいいわ」
「いえ、大丈夫です。たぶん、事が事なので、向こうも処断を急ぐと思うので……ティナちゃんに手を出しちゃったのは、かなりまずいかと」
「そうねえ。なんたってティナちゃんは、ただの美少女じゃなくて、見習いとはいえ神父様の大事な恋人だからね。でも、ハリエットちゃんが怪我をしたことだって、かなり重大な問題なのよ。そもそも現役の騎士が、たとえ四級だろうが、見習いだろうが、騎士である以上、善良な一般市民を怪我させるなんてあってはならないことなんだから」
ジェンヌが険しい顔で言った。
「それはそうですが……身なりもあまり整っていなくて、私もエドワードさんも、冒険者だと思ったんです」
「……人手不足で、教育が行き届いていないのね」
ジェンヌがあきれたように肩を落とす。
それからジェンヌが手際よく調書を作成し、ミツルが用意してくれた小鳥に持たせてマヒロの下へ送った。
一段落ついて、リビングのソファで、ふう、と息をつく。
「騎士様のお仕事はよくわからないけれど、第二小隊の方々を見ていれば、騎士様がどうあるべきか、どうあるのが理想なのかはわかります。それが行き届かないのは、確かに由々しき事態ね」
ミツルが淹れてくれたお茶を飲みながら、ユキノが言った。
「でも、なーんか腑に落ちないんだよね」
どこへ行っていたのか、リビングに戻ってきたサヴィラがユキノの隣に腰を下ろしながら言った。
ユキノが「どうしたの?」と首を傾げる。
「だってさ、エディとリックってめちゃめちゃ優秀でしょ? しかも、父様に気に入られたってからだけじゃなく、周りからも認められて護衛騎士になれるくらいに。それにさ、結構離れていても、俺やミアに何があるかはいつもちゃんと見てて、ちょっとでも危ないなって思うと秒で駆け寄ってくるんだよ? ……ん、ありがと」
サヴィラがミツルからお茶を受け取る。
「護衛というのは、ある程度の視野の広さが求められますからね。たとえ、別の方と談笑していても、離れていても視界の端には必ず留めておきますし、何か一瞬でも危険があるようでしたら、駆け付けるようにしているものですよ。その辺は、真尋様も徹底してお二人に教育されているようですし」
そういったのは、ユキノの護衛をマヒロに任されているというミツルだ。あのマヒロが何より大事にしているユキノを任されているという点において、彼の言葉には説得力がある。
「それなのよ。私からしても、あの二人が出遅れるって言うのが、納得いかないのよねぇ。あの二人なら、声をかけられた時点で、そっちに行くと思うの」
ジェンヌも思案顔だ。
ハリエットは事務官で、騎士ではないので、護衛騎士のその能力についてはよくわからない。店内は混雑していたし、エドワードやリックが、まさか声をかけてきた相手が、こんな暴挙にでるわけもないと思っていたとしてもおかしくはないと思うし、何より、彼らのそばにはシルヴィアがいたのだ。彼女を置いて駆けつけるわけにもいくまい。
そう思って、そのまま言ってみたのだが、ジェンヌの顔は晴れない。
「あの二人の実力なら、ミアとシルヴィアを短時間、一人で守ることはできるはずよ」
「なら、ミアとシルヴィアちゃんのそばから離れられない事情があったのね。娘は、大丈夫かしら……」
ユキノが心配そうに言った。
だが、まるでその心配を払拭するかのように、玄関から「ママ! ただいま!」と可愛らしい声が聞こえてきた。ぱたぱたと軽い足音は一度リビングを通り過ぎ、少しの間を置いて戻ってきた。
「ママ!」
ミアが嬉しそうに駆け寄って、ユキノに抱き着く。
「おかえりなさい、ミア。ちゃんと手を洗ってきたのね、偉いわ」
「うん! だってパパとママとのおやくそくだもの」
どうやら手洗いうがいを済ませに行っていたようだ。いい子だな、と微笑ましくなる。
「ハリエットさん、大丈夫ですか?」
次に顔を見せたのは、ティナだった。心から心配してくれるティナにあえてハリエットは手首の包帯を見せた。
「きちんと手当をしてもらいました。キース先生に診てもらって、神父様が治癒魔法を。私の治癒力を損なわないように配慮して、完治ではないですが、二、三日で治る程度に治してもらいました。それにこっちの傷は浅かったのできれいさっぱり」
次に左手の甲を見せるとティナは、ほっとしたように表情を緩めた。
「ママ、パパは?」
「パパは、お仕事でおでかけしているわ」
「ミア、シルヴィアは?」
「帰りの馬車でぐっすりでね、今、上に運んできたよ。丁度、アマーリア様達も帰ってきて、庭で一緒になったんだ。アマーリア様は上に行ったよ」
ミアに投げた質問は、顔を出したカイトが答えをくれた。
カイトの後ろからはレオンハルトとジョンが顔を出した。
「サヴィ、ごはん食べたあとだと今日は眠くなっちゃうから、一緒に温泉はいろ」
「いいよ。じゃあ、母様、俺、温泉行ってくる」
そう告げてサヴィラが立ち上がる。すでにレオンハルトは眠たそうなので、サヴィラの助けが必要だとジョンは思ったのだろう。今日は子どもたちも一日おでかけをしていたので、疲れている自覚があるようだ。
ミアも帰ってきて安心したのか眠たそうにユキノに抱きついている。
「ジェンヌ、ハリエット、そろそろ帰るかい? 暗くなる前に送っていくよ」
カイトが言った。
確かにティナたちも帰ってきたなら、そろそろお暇する時間だ。
「ハリエットお姉ちゃん、つぎはいつくる?」
眠そうにミアが問いかけてくる。
「私はこちらにいる間は、とくにお仕事はないからいつもで大丈夫です。ティナちゃん、都合の良い日があれば事前に教えてください。第二小隊の誰かに言付けを頼んでもらえれば大丈夫ですから」
「分かりました。そうしますね」
ティナが頷いてくれたのにお礼を言って立ち上がる。
ジェンヌはまだ腑に落ちない顔をしていたが、ハリエットともにリビングを出る。丁度、ナルキーサスも治療室から出てきたので、治療のお礼を言って家を後にする。
徒歩三分の道をカイト、ハリエット、ジェンヌという並びでのんびりと歩いていく。
「どうもね、リックとエディは、別の事件をかぎつけていたようでね」
おもむろにカイトが言った。
どうやらそれを伝えるために送り役を買って出てくれたらしい。マヒロをはじめ、ジェンヌが強い騎士であっても女性に優しいひとたちなので、何がなくても送ってはくれただろうが。
「別の事件、ですか?」
「ああ。それでミアとシルヴィアのそばを離れられなくて。俺たちは一路が『午後のお茶の時間だし、ティナがいるかもしれない』って」理由で、偶然、あのカフェに行って、それで俺たちの登場であの二人が自由に動けるようになったわけ」
「なるほど」
カイトになら、子どもたちを任せても確かに安全だ。
「さすがに俺も一路も、どういう事情があったのかは分からないんだけどね。慌ただしくなっちゃったからさ」
「あの二人が動けないとすれば……ヴィー嬢になにか危険が及んでいたか、ってところね」
ジェンヌが険しい顔で告げた。ハリエットも、おそらくカイトも彼女と同じ意見だった。
「ま、詳しいことは今夜か明日には分かるはず。今は、ゆっくり休んで疲れを癒してって言いたいんだけど……」
「そういえば、カロリーナさんが手一杯って……何か緊急の案件でも?」
苦笑をこぼしたジェンヌにハリエットは首を傾げる。
破天荒なカロリーナだが、部下に慕われ、上からの信頼も厚いので、時折、重要な案件を上から任されることがあるのだ。神父様の件を任されているのも、水の月の事件の際にリヨンズの動向を監視していたのもその証拠だ。
「あー、いや、キース先生はケロッとしてるけど、その、レベリオ殿が、ね」
歯切れの悪いジェンヌにハリエットはカイトと顔を見合わせる。
「あの二人に何かあったのかい? レベリオはマヒロに出禁くらってるだろ?」
「それが今朝、談話室でレベリオ殿の話を小隊長が聞いてたんだけど、ほらかなり、その、優柔不断というかぐじぐじしていたから、小隊長がキレちゃって。レベリオ殿を担いで、神父様の家まで連行してったのよ」
「……カロリーナさん……」
残念ながら事務官としてカロリーナをよく知っているので、想像にたやすかった。
「んで、これは庭で警護してた遅番の連中に聞いた話なんだけど、小隊長に睨まれたレベリオ殿は、ちゃんと本音というか、今までのことや気持ち、考えなんかを素直にキース先生に告げたらしいの。で、結果……離縁が決まっちゃったのよね」
「えええーー!?」
「No way!!」
ハリエットの叫びとカイトの叫びがこだまるす。
「んで、今、うちの食堂でレベリオ殿が飲んだくれてるの。でも分かるわ……私もあのくそ野郎を思い出すと酒に走りたくなる」
くそ野郎とは付き合って二カ月で浮気したジェンヌの元カレのことだ。
ジェンヌはまだ三級なので寮暮らしなのだが、それが余計にいけなかったとジェンヌは嘆いていた。
「キース先生は離縁を望んで、決意していた分、立ち直りが早そうだけど、レベリオ殿はどうかしらね」
「時間が解決してくれることもあるよ。ほら、着いたよ」
気が付けば宿の前だった。宿はたくさんある窓からちらほらと明かりが漏れている。
「カイトさん、ありがとうございました」
「当然だよ。ほら、家に入って。中に入るまでがお出かけだからね」
そういってウィンクするカイトに見守られながら、ハリエットとジェンヌは中に入る。ドアを閉める寸前、手を振るカイトに二人も手を振り返した。
食堂へ行くというジェンヌと別れて、部屋へと向かう。
カロリーナが「何かあったら私が君たち一家を守るからな!」と言ってくれ同室のため、大きな部屋なのだ。
時折、すれ違う仲間が「おかえり」と声をかけてくれるのに挨拶を返す。
「……可愛いっていってもらっちゃった」
部屋に戻る直前、誰もいなくなり、ひとりになった廊下でぽつりとつぶやき、ハリエットは自分でもわかるほどしまりのない顔をしているだろうが、ワンピースが台無しになったことを差し引いてもおつりがくるような出来事だった。
だが、このままでは母や祖母により心配をかけてしまうと何とか表情を引き締めて、ハリエットは家族の待つ部屋のドアを開けたのだった。
「お前の相棒は、いつになったら落ち着きが得られるんだ?」
グラウの騎士団の応接間に通されたマヒロが煙草をふかしながら言った。
ハリエットを抱えて家まで帰ったという相棒の狼藉にリックは頭を抱えながら「申し訳ありません」と言うほかなかった。どうしてエドワードは思ったまま行動に移してしまうのだろうか。
「ハリエット事務官は?」
「雪乃がいるから大丈夫だろう。キースもいるしな」
そういってマヒロはけだるげに紫煙を吐き出した。
この本所は、前回、エルフ族の里からの使者とジークフリートと対面した場所であるため、マヒロが到着するとすぐにこの応接間に通されたのだ。
本所は現在、馬鹿すぎる四級騎士が神父様の関係者に手を出そうとし、あまつさえ暴力をふるったと上を下への大騒ぎになっている。リック自身の顔も割れているため、リックがあの二人をずるずると引きずって馬車を下りた時(詰め所では対応しきれないと判断し、馬車を拾い、本所へ来た)、慌てて出てきたグラウやその周辺を管轄としている第四大隊の大隊長は、話を聞いて気絶しそうになっていたが。
あの二人は取調室に連行されて行き、リックはマヒロが来たことで大慌てになっていたので、マヒロを迎えに行き、今はマヒロと彼の供してついてきたヴァイパーとともに応接間にいるのだ。
「それで、ハリエット事務官が怪我をするに至った経緯は?」
「私たちの初動の遅れ以外の何物でも」
「言い訳はいい。理由を聞いている」
マヒロはすっぱり言って、短くなった煙草を横へやった。すぐにヴァイパーが灰皿を差し出し、その上にぽとんと落ちる。
「……ミアとヴィー嬢が狙われていたので」
「ほう」
ほんの少しマヒロの声のトーンが下がった。
「私たちは食堂で食事を終えて、商店街を散策していたのですが……途中から視線を感じるようになりまして、最初はティナかハリエット事務官にどっかの男が鼻の下を伸ばしているのかと思ったのです。お二人とも可愛らしいお嬢さんですから。ですが、商店街を移動している間中、一定の距離を保ってついてくるものが二人」
「性別、風貌、種族は?」
「人族と獣人族、どちらも男性。年齢は二十代後半から三十代前半。旅人風の装束をまとっていました。帽子をかぶっていたので、耳の小さい種族かと。尻尾はマントで確認できませんでした。ですが、牙が見えたので」
「僕と同じ有鱗族の可能性はないのですか?」
ヴァイパーが首を傾げた。
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リックが答える。
「それでカフェに入ると混雑のため、私たちと彼女らとで席が分かれたんです。彼らもそのあと、我々の席の近くが空いたので案内されて着席。それが偶然なのか故意なのかは、調査が必要かと」
「どうしてうちの娘たちを狙っていると?」
「ミアの耳を頼りたかったのですが、そういうわけにもいかず……あくまで唇を読んだだけですが『どちらも愛玩に向いた顔だ』『良い値で売れそうだ』と話していました」
「……ほぉー」
トーンどころか部屋の温度が十度は下がった。ヴァイパーが顔を青くしている。
「それで、その男どもは?」
二本目の煙草に火をつけるマヒロにいつものように「ユキノさんに言いつけますよ」とは言えない。機嫌が地の底を這っているのが肌で分かるので、触らぬ神父に祟りなし精神だ。
「ナンパ野郎を二人、引きずっていく過程で騒いだ詫びを入れている時、以前、マヒロさんから頂いた追跡型魔道具の毛虫をくっつけておきましたが……途中で気づかれて落とされたようです。先ほど、非番のルシアンとピアースに回収に向かってもらいました」
リックは懐から、その毛虫と対になる蝶々を取り出して、マヒロに渡す。
マヒロが隠ぺいを解けば、それはただの紙に戻って、丁寧に広げれば中には地図が現れる。
「ここはグラウでも、あまり治安がいいとは言えない地区です」
「なるほど。……ブランレトゥに孤児院ができて、貧民街を騎士が回るようになり、狩り場を奪われたやつらがこちらに流れたか」
「その可能性は否めないかと。それに収穫祭がもうじき始まりますから、人の流れも多くなっていて、年若い女性や子どもが狙われやすくなります。例年、ブランレトゥでもこの時期は特別警戒態勢に入りますから」
リックがそう告げると同時にノックの音が聞こえ、ヴァイパーがマヒロに許可を得てドアを開けた。
まず入ってきたのはエドワードだった。そのあとに続いて恐縮しきった様子で入ってきたのは、第四大隊大隊長のチェスター一級騎士、第二中隊中隊長ジェイミー一級騎士、第四小隊小隊長レナード二級騎士、そして、件の騒ぎを起こした四級騎士のモーリスとマーヴィンだった。
最後に重そうな書類を携えた鳥が飛んで来て、マヒロの膝に着地した。マヒロが封筒の中身を取り出して確認する。どうやらそれは、ジェンヌが作ってくれた調書のようだった。
「マヒロさん、ハリエット事務官からワンピースを預かってきました」
そういってエドワードはテーブルの上に紙袋を置いた。
「ハリエット事務官は?」
「気丈にしていましたが、ワンピースを着替えた後は、やはりショックが大きかったようで休んでいます。ユキノ夫人が付き添ってくれています」
「そうか。可哀そうに……」
マヒロの一言にエドワードは力強く頷き、リックの隣へとやってきた。
マヒロは、大隊長たちのことは一瞥しただけで、ぷかぷかと煙をくゆらせ、調書に目を通している。
普段のマヒロなら、一応、立ち上がって忙しい中時間を確保してくれた事に礼を言って、彼らに座るように促しただろう。だが、今回は一瞥しただけで、何も言わない。
何分、顔が良いので無表情で黙っているとすさまじい威圧感がある。その迫力に四級騎士は泣きそうな顔をしているし、神父様の関係者に手を出したという事実に上司たちは血の気を失っている。とくに大隊長は前回の訪問で面識があったため、待遇の違いに死にそうになっていた。
とはいえリックやエドワードはただの護衛騎士だ。主には従わねばならない。なので素知らぬ顔をしているヴァイパーとともに並んで相棒とともにマヒロの後ろに控えるほかない。
「あ、あの、この度は……っ、まことに、も、申し訳なく……っ!」
大隊長が勇気を振り絞って口を開いた。
マヒロがちらりと目を向ける。
大隊長を筆頭にその視線を受けた上司たちが一斉に頭を深々と下げ、直属の上司である小隊長によって四級騎士二名は土下座させられた。
「大変、申し訳ありませんでした!」
マヒロが長所をテーブルの上のワンピースの隣に置いた。
「……今回、被害に遭ったハリエット事務官は、私の護衛騎士がもともと所属していたブランレトゥ第三中隊第二小隊の小隊長専属の事務官です。そして、同席していたのは我が教会の見習い神父の恋人です」
「は、はい」
「だが何より問題なのは、あの時……その場には私の可愛い娘とその友人のやんごとなき家から預かっているお嬢さんがいたことです。娘たちはまだ幼く、そして、心優しい子だ。可哀そうに、ひどく怯えてしまって」
はぁと溜息交じりにマヒロが紫煙を吐き出した。
リックの記憶にある限りだとミアは肝が据わっているので「リックくん、かっこいい! がんばれー!」と声援を送ってくれていたし、シルヴィアにいたっては「おしおきけっていですわ! なさけない!」と怒っていたが、リックはしがない護衛騎士なのでマヒロがそうだと言えば、そうだとしか言えない。しがない護衛騎士なので。そもそもマヒロはまだミアとシルヴィアには会っていないはずだが、余計な口は開くまい。
「娘たちは私に護衛騎士がいるのもあり、カロリーナ小隊長が率いる第二小隊の騎士たちと親交があり、騎士に対して正義の味方以外の感情はなかったはずなのに、これではまるで裏切りではないですか。私もこの怪我で思うようには動けず、これでは心穏やかに療養もできない」
そういってマヒロは三角巾で吊られた自分の右腕に視線を落とした。普段、家族のこと以外ではぴくりとも仕事をしない表情筋だというのに、今は悲しげに目が伏せられている。
顔がいいので悲しそうにしていると、本当に悲痛にみえてくる。
「そのやんごとない、家、というの、は」
大隊長が震えながら問うてくる。
今回、マヒロが療養のために家族でグラウに訪れていることはこちらの騎士団でも知っているが、安全面を考慮して領主夫人とその子どもたちが来ていることは伏せられている。ウィルフレッドの書状でグラウには入っているので、アマーリアたちのカードの提示は必要なかったからだ。
とはいえ、ユキノたちのことは事前に伝えてあるし、ウィルフレッドが身分保証人になってくれている。それ以外の身分を示すカードを持っている者は、全員、提示しているし、クロードが来てユキノたちのカードも作ってくれたので、近日中に正式に提示する予定だ。
「ウィルフレッド閣下からの書状には、詮索不要とあったはずですが」
「失礼しました」
どうやらリックたちは知らないが、ウィルフレッドからの書状にはマヒロに同行している「やんごとない人々」については伝えてあったようだ。そのかわり、詮索不要と先手を打っているようだが。
だが、それがブランレトゥにいる爵位だけの家ではないことだけは、彼らも承知しているはずだ。
「つまり、君たちは『それら』のせいで、ウィルフレッド団長閣下の信頼さえも裏切ったことになる、というのは理解できているのか?」
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「……人の行動や言葉というのは、普段の生活が基盤となっている。今回の件が、まさか初犯ではあるまい。徹底的に調べ上げろ」
そういってマヒロが立ち上がり、短くなった煙草をヴァイパーが差し出した灰皿に落とした。
「私が町で聞いた噂でございますが」
おもむろにヴァイパーが口を開いた。
「なんでも最近、どうにも素行の悪い騎士が増えた、と町では噂になっているようです。私が買い付けに行っている茶葉の店の店主の娘さんは丁度、華やかな年頃なのですが、彼女やそのご友人も悪質なナンパに遭ったとか。最近は騎士と名乗り、そういった悪事を働く輩が増えていて困っているそうですよ」
マヒロが気に入るだけはあるな、とリックは感心してしまう。
「……だそうだ、分かるな?」
マヒロは静かに目をほそめた。
「一週間。それだけ時間はやる。騎士団の恥は全てあぶり出し、払拭しろ」
「は、はいっ!」
「それまで此度の件、ウィルフレッド閣下には報告はしないでおく。見送りは結構。そんな暇があれば仕事をしろ」
そういって歩き出したマヒロの後を追う。
リックとエドワードもヴァイパーも素知らぬ顔で頭を下げ続ける彼らの前を通過する。廊下で行きかう騎士たちが最敬礼してくるのにマヒロは目線だけを返し、玄関に横づけにされた馬車に乗り込んだ。御者席には第二小隊の今日の警護当番だった仲間がいたのでリックたちも中へと乗り込んだ。マヒロとヴァイパーが並んで座り、リックとエドワードは向かいの席に腰を下ろす。
中へ入って早々、マヒロが煩わしそうにギプスと三角巾を取り払った。
「お疲れ様です」
そういってヴァイパーがマヒロを労う。
マヒロは煙草を取り出そうとしたのだろうが、さすがにこれから家に帰るのであきらめたようだ。彼はユキノが夫の喫煙についてよく思っていないことは重々承知しているようではあるのだ。
「それにしてもヴァイパーさん、いつあの情報を?」
エドワードが不思議そうに尋ねる。
「話した通り、本当に行きつけのお店で聞いたんです。その紅茶店は本当に質の良い茶葉ばかりで、僕はマヒロ様に予算を頂いていたのもあり高級な茶葉もいくらか購入したので、向こうもよくしてくれて、そう言ったお話を聞かせてくださったんです。ミツルさんにも、商店の人と仲良くなるのは大事だと教えられていたのですが、こういうことかと納得しました」
ヴァイパーの説明になるほど、とリックたちは頷く。
こちらにいる間、基本的にマヒロの護衛であるためリックは外に出ることはがなかったので、情報収集ができていなかったのを反省する。
「ところでエディ、ハリエット事務官はそんなに具合が悪いのか? 俺が治療をしたときは、そこまでショックを受けている様子ではなかったが……やはり後になってからのほうがじわじわと来るものだからな」
マヒロの問いにエドワードがなぜか頬を引きつらせた。
相棒になって早五年。何かやらかしたな、とリックは目を細めた。それはマヒロも同じだったのだろう。長い脚を組み換え「話せ」とだけ言った。
それからエドワードはマヒロが出かけてからのことを、話し始めた。
ハリエットを心配したところまではいい。エドワードは優しい奴だ。だがしかし、いくらなんでも女性の顔を掴んで、前髪を上げさせるなんて、どうしてリックの相棒は馬鹿なんだろうと思わざるを得なかった。
「……お前は馬鹿か」
マヒロがリックの心を代弁するように言った。
「どう考えてもハリエット事務官はお前に顔を見られたくなかったんだろう。目が悪ければ顔をしかめる。それを見られたい女性なんていない」
「は、はい……サヴィラにも同じことを言われまして」
十三歳の少年の諭されるなよ、とリックは両手で顔を覆った。ヴァイパーもマヒロの隣で苦笑いをこぼしている。
ハリエット事務官は、他ならないエドワードだから顔を見られたくなかったのだ。リックとて、それほど乙女心に詳しいわけでも、女性の扱いに慣れているわけでもないが、あんなに分かりやすいのになぜわからないのか、不思議でしょうがなかった。だが、これの主であるイチロも、あんなに分かりやすいティナの気持ちに気づいていなかったので、しょうがないのかもしれない。
「その時、ハリエット事務官の素顔を初めて見てしまったのですが……その、目が、」
「目が?」
「目が……青みがかった黒い瞳がすごく、綺麗で」
横の相棒の頬が徐々に赤くなる。リックは、おや、と思わず瞬きを二度、繰り返した。
「吸い込まれそうなほど澄んでいて、綺麗で……それで、俺、心臓が耳元に移動したんじゃないかってくらい、ドンドコドンドコうるさくて」
ドンドコドンドコってなんだよ、ドキドキだろ、と思ったがリックは口をつぐんだ。
あの鈍い相棒が、恋人はいたにはいたが告白されて押し負けて付き合い、結局、馬バカすぎてフラれた相棒が、ついに、とリックは感動にも似た感情を抱いた。ヴァイパーも甘酸っぱいものを噛んだかのようなむずむずした顔をしているし、マヒロも心なしか無表情に微笑ましさを浮かべているように見えなくもなかった。
だが、次の瞬間、リックは椅子から落ちそうになった。
「不整脈、ですかね……キース先生に診てもらったほうがいいでしょうか……俺の大叔父さんは心臓の発作で亡くなっているので、そういうのって血縁があると可能性あるっていいますよね」
相棒は至極真面目な赤い顔で告げた。
ヴァイパーはあまりの鈍さに絶句しているし、マヒロでさえ誰が見ても分かる通り「嘘だろ」という顔をしていた。リックは、あまりの居た堪れなさに両手で顔を覆った。
「………………そうか。そうだな……お前になにかあると一路が困る。ちゃんとキースに相談しておけ」
きっと何もかもが面倒になったのだろうリックの主はそう締めくくった。
エドワードは「やっぱりそうですよね……」と深刻そうな顔で頷いたが、リックの脳裏にはあきれ果てた顔をして「君につける薬はない」と言いきるナルキーサスの顔が浮かんでいた。
「だが、そうだキースで思い出したんだが……色々あって、結局、キースとレベリオ殿は離縁が決まった」
「は?」
「えっ」
驚くリックとエドワードにマヒロは淡々と告げた。
「カロリーナ小隊長がレベリオ殿を担いで連れてきてな。夫婦の間の事だから、詳細は伏せるが……お互いの本音をぶつけあった結果、離縁という形に落ち着いた。ナルキーサスも午後には気丈にふるまっているが、落ち込んではいるだろう。あまり無理はさせないようにな」
あまりに衝撃的な報せにエドワードの壊滅的な鈍さのことなどどうでもよくなってしまった。
それから結局、帰る前に第二小隊の宿によろうとしたら門の前でカロリーナに会い、レベリオはやけ酒におぼれているということなので、マヒロが「お見舞いだ」とアイテムボックスに持っていたらしいワインの樽を彼女に渡し、リックたちは家へと向かった。
こうして、なんだか長い一日は終わりを迎えたのだった。
ーーーーーーーーーーー
ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
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明日は更新できるか分からないのですが、頑張って書き上げましたら更新します!!
次のお話も楽しんでいただければ幸いです♪
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