称号は神を土下座させた男。

春志乃

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本編 2

第五十四話 最強神父の妻である女

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 その廃屋なのか宿屋なのか今一つ分からなかった建物の中へ入れば、天井から七名ほどの男が見事に逆さ吊りになっていた。
 間隔を均等に保ってぶら下がっているところにこれをやった当人の几帳面な性格が出ている。

「リック、これらの身元の確認を頼む」

「はい」

 リックが頷き、男たちに近づいていく。横目に見る限り、全員、意識はあるようだ。
 どうやら先ほどまでいたところと同じようにここも昔は宿屋だったのだろうが、すでに営業はしていないのが積もったほこりや壊れて隅に寄せられている家具から分かる。
 カロリーナとエドワードを伴い上へと向かう。二階の廊下にも見事に男たち(三名)がぶら下がっていたので、エドワードに頼む。心なしか彼はほっとしたような顔でぶら下がる男たちの下へと駆けて行った。
 真尋はカロリーナとともに階段を上がっていく。廊下を見渡せば一番奥の部屋の前で一路が仁王立ちしていた。
 だが、その愛らしい少女のような顔には、その顔にふさわしい可愛らしい笑みが浮かべられていた。

「はい」

 目の前に立つと一路は手を出した。
 真尋は、アイテムボックスから金貨を出してそこに置いてみたが睨まれたので、ボックスへと戻す。
 笑顔に戻った一路が口を開く。

「僕、真尋君が所有してる市場通りの空き店舗、欲しいな」

「…………あれは、一応、他のものに使う予定が……紫地区のほうが」

「僕、真尋君が所有してる市場通りの空き店舗、欲しいな」

 まったく同じ文言を繰り返した一路に真尋はわずかに眉を寄せた。

「いいんだよ、僕は。ティナには言いたくないけど、雪ちゃんにはいくらでも言えるから。十四年も幼馴染やってれば、今更恥の一つ二つ告白したところで痛くもかゆくもないし」

「分かった。市場通りの店はお前に譲る。だが権利書は園田の管理下だ。あいつにもらえ」

「カロリーナ小隊長さん、今の聞いていました?」

 突然、話を振られたカロリーナが驚きながらも頷く。

「言質、取ったからね。証人もいる。…………中に三人、女性が監禁されてた。カロリーナ小隊長さん、同じ女性のほうがいいでしょうから」

 一路が笑みを消して、真剣な顔で言った。

「分かりました」

 カロリーナが頷き、より安心させるためにか騎士服に着替えてからドアを開けて中に入っていく。開け放たれたままのドアから中をそっと覗く。
 部屋には女性が三人いて、床に座り込む女性二人は足首に鉄の枷が嵌められ、そこから伸びる細い鎖が窓の鉄格子につながっていた。もう一人は一台だけあるベッドに寝かされているようだ。

「一路、先ほどの公園の傍にある裏通りの書店にナルキーサスがいる。迎えに行ってくれ」

「了解」

 頷いて一路も髪飾りを丁寧に外し、女装から着替えて(カツラは床に投げ捨てられた)、階段を下りて行った。
 真尋はカツラを拾い上げてボックスにしまいながら、彼女たちから姿は見えないようにしながら部屋の中に声をかける。

「カロリーナ殿、他の部屋を見てくる。何かあったら呼んでくれ。一路には、キースを呼びに行ってもらった。怪我人はそちらに」

「了解した」

 簡潔な返事を背に真尋は隣の部屋へと入る。
 もとは宿であるからか二段ベッドが狭い部屋に押し込まれている。
 他に入って右手にクローゼットがあるだけのシンプルな部屋だ。それ以外はとくに何もなく、部屋の隅に酒瓶が二本、転がっているだけだった。
 手袋をはめてベッドを検める。何かの食べかすと脱ぎ散らかした服があるだけだった。マットもめくったがとくになにもない。
 だが、最後に開けたクローゼットには大きな収穫があった。日々の生活で随分と見慣れたものがハンガーにかけられ、吊るされていた。

「……ふむ」

 それのポケットを漁れば、より一層、重要なものが出てくる。
 その重要なアイテムをボックスへとしまった。

「なかなか愉快なことになりそうだな」

 そうこぼして部屋を後にし、他の部屋も見て回り、同じようにあれこれ押収していく。
 真尋が三階と二階の全ての部屋を回り終え、報告書をもう一度、しっかり読み込み終えた頃、一路がナルキーサスを伴い戻ってきた。一階で二人を迎える。

「患者は?」

 ナルキーサスの第一声に真尋は上を指さす。

「三階の一番奥の部屋だ。生憎と俺たちは男だからな、近づかないほうがいいと判断して、カロリーナ小隊長がそばにいてくれている」

「分かった」

 そういってナルキーサスは階段を上がっていった。

「マヒロさん、こいつら身分証らしきものは何も」

 リックが駆け寄ってくる。
 真尋はアイテムボックスから取り出した四枚のそれを見せる。

「これは?」

「クローゼットの中にあった制服のポケットに入っていた。……愉快なことになりそうだろ?」

 リックの顔が見る間に険しくなっていく。
 真尋の手の中にある四枚のカードは、すべて騎士カードだ。その名の通り、騎士たちの身分証である。
 クローゼットの中にあったのも騎士の制服だった。そして騎士カードに記載されていた名前は、リックが持ってきた報告書に「所在不明」と記されていた騎士のものだった。

「マヒロさん」

 一度俯いて顔を上げたリックは、にっこりと笑った。

「これの聴取は私に任せて頂けませんか? その際、カウンター奥の部屋を使わせて頂きます」

 そういって首を傾げたリックに真尋は「好きにしろ」と返して、カードを渡す。

「リック、俺は被害者の様子を見てくる。一路も来い」

 リックが頷いたのを見届けて、真尋は再び階段を上がっていく。

「マヒロさん、こいつらどうしますか?」

 二階でエドワードに行き会う。

「リックが聴取を取ると言っていた。下にまとめておけ。ちなみに行方不明の騎士が数名、混じっているようで、あいつ、かなり怒り狂っていたからやりすぎないよう監視も頼むぞ」

「え」

 固まったエドワードにひらりと手を振って、真尋は「頑張れ、エディさん」と適当な声援を送る一路とともに階段を逃げるように上って行ったのだった。







 ナルキーサスは、診察を終えて部屋を出る。
 部屋の前の廊下で壁に寄りかかってマヒロが本を読んでいて。その横にはイチロといつの間に戻ったのかカイトがいた。

「この辺の部屋は使えるか?」

「こっちだ」

 マヒロの背について、女性たちの部屋から二つ離れた部屋へと入る。
 最後に入ったカイトがドアを閉めたのを見計らい、口を開く。

「最初に捕まった女性は、二週間ほど前、その二日後に二人目が、三人目はさらに二日後だそうだ。最初に捕まった女性は衰弱が見られるので、治療院への入院が好ましい。他の二人は、鉄の足枷をはめていた部分が傷になっていたがイチロの治癒薬で対応できた。……不幸中の幸いか、商品であるがゆえに、ここでの暴力は身体的にも性的にもなかったそうだ」

「商品……人身売買か」

「ああ。そのようだ。……どうする?」

「可能であれば、君の目が届く範囲……第二小隊の宿に匿いたい。グラウの騎士団には反省をしてもらおうと思っているのでな」

 言外に、だからこそグラウの治療院は頼りたくない、という意味を含ませれば、ナルキーサスは顎を撫でながら何かを思案している様子だった。

「……カロリーナが、話を聞いたところによれば人族のマリーと妖精族のリラの二名は家族がいる。捜索願の有無を確認したほうがいい。それで可能なら、家族ごと匿え」

「もう一人は?」

「カレンというんだが、家族はいないそうだ。彼女一人の保護で足りるが……先ほども言った通り、衰弱が見られるので入院が好ましい。それができないなら彼女は可能であれば我が家で保護したい」

「かまわん。ジルコンが帰ったから地下の部屋が空いているからな。とりあえず今は女性たちの心身の安全を最優先にする。休暇中にすまないが、色々と頼む」

「それが治癒術師の仕事だ」

 そういってナルキーサスは肩を竦めた。

「彼女たちは、話はできそうか?」

「本人たちは、大丈夫だと言っている。ブランレトゥを救った神父様のことは聞いているそうだ」

「では、少しだけ話をさせてくれ。今後の身の振り方を説明するほうがいいだろう」

「ただし男が大勢でくるのは不安になるだろうから、君だけで頼む」

「なら、俺と一路で家に戻って、説明してくるよ。ついでに第二小隊の人たちも手が空いているようなら連れてくる。人手がいるだろうしね」

 カイトが言った。
 マヒロはその言葉に手帳を取り出してペンを走らせる。書き終えたらインクが乾くのを待って、ページを破って二つ折りにして差し出す。

「これを雪乃に頼む。第二小隊にも詳細を伝えておいてくれ。来るときは、園田を使って、隠ぺいをかけてこい。秘密裏に連れ出す」

 一路がそれを受け取り懐へしまった。

「了解。行こう、一路」

「うん。行ってきます」

 兄弟が去って行く背を見送り、マヒロとともにナルキーサスは部屋に戻る。
 女性たちはベッドに腰かけていて、衰弱している一名がそのベッドで横になっていた。彼女たちの前に膝をついて話をしていたカロリーナが立ち上がる。

「俺は神父のマヒロと申します。貴女方を保護させて頂きたく、お話に参りました」

「こ、こちらこそ、助けてくださって……」

「あの、最初に来た女の子は無事ですか?」

 ベッドに腰かける二人が慌てて頭を下げた。

「……女の子?」

 まだ被害者がいたのかと首を傾げる。

「助けに来てくれた、青いワンピースの……」

「ああ、彼はイチロといって、見習いですが私と同じ神父です。潜入に際し、女装してもらったんです。怪我一つなく、無事ですのでご安心を」

 二人は一路が少女ではなかったことに驚いている様子だった。

「神父殿、一応、自己紹介を。こちらは人族のマリー」

 マリーは、ダークブラウンの緩やかにウェーブがかった髪に葡萄色の瞳で、おっとりとした雰囲気のある美人だ。

「こちらは妖精族のリラ」

 リラは、妖精族らしく白い花弁が彼女が動くたびに落ちる。真っ直ぐな長い髪は花弁と同じく白だが、毛先は黄色い。その双眸は若草色をしていて、百合の花を思わせる凛とした美人だ。

「……それでこちらが、獣人族のカレン。二人から話は聞けたのですが、カレンは私が助けにきた騎士であることを告げると気を失ってしまって」

 カレンは金の髪の女性で、髪より少し色の濃い垂れた耳が特徴的だが、深く眠っているようで瞳の色は分からない。

「そうか。最初に掴まったのが、彼女だったか?」

「はい。私たちが連れてこられた時にはカレンはここに……」

 マリーがカレンを心配そうに振り返りながら告げる。

「大丈夫、彼女は疲労で眠っているだけだ。休めばよくなる」

 ナルキーサスが優しく声をかけるとマリーとリラは、心細そうにしながらも頷いた。

「しばらくここで待っていてくれ。家の者が迎えに来るので、避難場所へ案内する」

 二人がそろって頷く。

「カロリーナ殿、待機している部下を借りてもかまわないか? とはいってもすでに海斗たちが迎えに行っているんだが。それと第二小隊の宿にマリーとリラを避難させたい」

「神父殿であれば、好きに使ってかまいませんよ。あいつらも抵抗はないでしょうし、被害者を守ることも私たち騎士の務めですから。それに騎士がうじゃうじゃいるあそこに忍び込んでくる馬鹿は早々おりませんし、私からも避難場所として提案しようと思っていました」

 そういってカロリーナが頷く。

「では、ありがたく使わせてもらう。俺は下の様子を見てくるので、引き続き、彼女らを頼む」

 カロリーナとナルキーサスが頷くのを見届けて、真尋は部屋を後にする。
 後ろ手にドアを閉めたところで、階下から男の悲鳴が聞こえた。溜息をこぼしてドアに防音魔法を掛ける。
 誰に似たのか、リックは容赦がなくていけないな、と自分の事は棚に上げながら、拷問ではなく事情聴取をしているはずの護衛騎士の下へと向かうのだった。






「まあ、そんなことが……」

 一路は報告に戻った我が家で雪乃たちを集めて、要点だけを説明した。
 雪乃とアマーリアは心配そうに眉を下げ、子どもたちも不安そうにしている。

「そういうわけで、女性を一人、うちで保護することになったんだ。他の二名は、第二小隊の宿のほうで保護することになっていて、そっちは兄ちゃんが説明に行ってくれてる。それとこれ、真尋君から」

 一路は雪乃に真尋から預かったメモを渡す。
 雪乃が受け取り、折りたたまれたそれを開いて目を通す。

「……なんと情けないことでしょうか。我が領の誇りたる騎士がこの件を把握していないばかりか、犯罪に加担しているなんて」

 アマーリアが嘆息し、レオンハルトも顔をしかめている。

「充さん、すぐに馬車の仕度を」

 真尋からのメモをしまいながら雪乃が指示を出す。
 充がすぐにリビングを出て行き、僕も手伝うよ、とジョンがついて行った。

「アマーリア様、サヴィ、お家と子どもたちのことをお願いね。双子ちゃんはさっき、ミルクをあげたからまだ起きないはずよ」

「雪ちゃん?」

 なぜかアイテムボックスから取り出したのだろうコートを羽織った雪乃に一路は目を丸くする。サヴィラも「母様?」と驚いた様子で雪乃を振り返る。

「私も行きます。女性たちを最優先にするようにという指示よ。……ヴァイパーさん、地下のお部屋の仕度をお願いね。クロードさんは申し訳ありませんけれど、ついてきてくださる?」

「それは、かまいませんが……」

 クロードが不思議そうに首を傾げる。

「タマちゃーん、おでかけするわよー」

 雪乃がそう声をかければどこからともなくタマがポチと一緒にやってきた。

「タマちゃんを連れて行けば大丈夫よ。さあ、行きましょう。ポチちゃんは、お家を守ってね」

「きゅーい」

「ぎゃう」

 二匹が雪乃の言葉に頷く。
 唖然とする一路を横目に雪乃は、どんどん事を進めてしまう。こういうところは、真尋にそっくりだ。

「さ、行きましょ、一くん。行ってくるわね、サヴィ、ミア」

「い、行ってらっしゃい……」

「いってらっしゃーい……」

 息子と娘が呆然としながらも反射的に手を振るのに雪乃はひらひらと手を振り返す。

「ちょっ、まっ、雪ちゃん! 真尋君に怒られるよ!」

 すたすたとリビングを出て行く雪乃をクロードとともに慌てて追いかける。
 真尋は雪乃を危険にさらすのが一番、嫌いなのだ。あんな治安の悪いところに雪乃が近づくだけでも機嫌が悪くなるに違いない。
 目の前で揺れる長い黒髪は、花飾りのついた簪によってあっという間に綺麗にまとめられる。その簪には見覚えがあった。中学の修学旅行で京都を訪れた時に真尋が雪乃にと選んだものだ。ちなみに購入先はお土産屋ではない。京都の老舗で買い付けた品で、職人が一本一本手作りしている逸品だ。

「……ふふっ、見覚えがあるの? これは、母が私の棺に入れてくれたから、持ってこられたのよ」

 一路の視線に振り返った雪乃の思いがけない言葉に一路は引き留めようとしていた言葉を飲み込んでしまった。
 外へ出れば、エントランスに馬車が横付けされていた。真尋と一路の愛馬が引いている。馬車のほうは中に家が入っているタイプではなく、中の広い八人乗りのものだ。

「充さん、場所は一くんに聞いてね。第二小隊の宿へ。そのあと、騎士団に寄ってちょうだい」

「はい。かしこまりました」

 充は頷いて、馬車のドアを開ける。

「クロードさん、お先にどうぞ。一くん、手を貸してくださる?」

 雪乃に促されクロードが馬車に乗り込む。
 一路は反射的に雪乃に手を貸して、彼女が階段を上り中へ入るのを見届けた。

「さ、一路様は御者席へ。道案内をお願いいたします」

 ドアが閉められ、充にせかされるように御者席に乗り込む。

「ちょちょちょ、みっちゃん! 雪ちゃん!」

 動揺する一路を横目に充は不思議そうに首を傾げた。
 馬車はゆっくりと走り出し庭を抜けて、門をくぐり、第二小隊の宿へ向かう。

「雪乃様でしたら、馬車の中で身支度を整えられておられる頃でしょう」

「本当に連れてくの? 真尋君怒りださない?」

「その可能性は低いと思いますが……連れてこいとおっしゃられているわけですし」

「はぁ? 僕そんな話、ひとつもしてないけど!? まさかさっきのメモ?」
 
「私はメモを見ておりませんので。……ですが、雪乃様が真尋様からのお言葉でそうと判断されたのですから、私が逆らうわけには……」

「おーい、みっちゃん!」

 宿の前では兄が馬に乗って待っていた。兄は馬を持っていないから騎士団の誰かに借りたのだろう。彼の後ろには数名の騎士が同じく馬に乗って控えていた。

「俺たちは馬でついてくから!」

「かしこまりました!」

 充が返事をして馬車を走らせ、その後ろに海斗たちが続く。
 充は迷いなく町を進んで行き、グラウの騎士団の本所へと到着する。
門番に止められて馬車が止まり、後ろの隊列も止まる。後ろで海斗が「なんでここ?」というのが聞こえたが一路にだって分からない。騎士たちも不思議そうにしている。

「用向きは?」

 門番の問いに一路は充を振り返る。

「真尋神父様の使いで参りました。神父の海斗様、見習い神父の一路様も一緒でございます」

 充の一言に一路は彼の陰からひょっこりと顔を出すと、門番たちが一気に顔を青くした。
 伝令がどこかへ走り、門番たちが姿勢を正す。

「ギ、ギルドカードの提示を!」

 一応、規則なので身分証であるギルドカードを示せば「どうぞ」と言われて門をくぐる。
 そのままロータリーを進みエントランスに馬車を横付けする。

「全員、騎士礼にて待機!」

 勢いよくチェスター大隊長が飛び出してきて、エントランス前に数名(中隊長や小隊長たちだ)が並び、一糸乱れぬ騎士の礼姿勢で出迎えてくれた。

「どうされました。何か、あの、問題が?」

「今回、用がありますのは神父様方ではなく、真尋神父様の妻である雪乃様でございます。一路様、海斗様、そして第二小隊の皆さまは、雪乃様の護衛でございます」

 僕たちはいつから護衛任務を任されていたんだろうと混乱する一路や騎士たちを差し置いて、充がぺらぺらと説明し御者席を下りて行く。
 充が馬車のドアを開ければクロードが先に降りてくる。そして、充が差し伸べた手をとり雪乃が降りてきた。
 騎士たちが目を瞠り、息を吞む。
 いつの間にか随分と品のある格好に着替えている雪乃は、紅を引いた赤い唇に柔らかな微笑みを浮かべた。
 シックなワインレッドのドレスは華美な装飾こそないが、丁寧で重厚な造りだ。雪乃は黒い髪を綺麗に結い上げて、トークと呼ばれる円形のレース付きの浅い帽子をかぶっていて、その美しい顔の目元を覆うように黒いレースがかかっている。

「初めまして、真尋神父の妻の雪乃と申します。夫からの用事を言付かって参りましたの」

 おっとりと雪乃が告げる。

「私の身分は、こちらのブランレトゥ商業ギルドマスターのクロード様が保証してくださいますわ」

 雪乃が隣にいたクロードを見上げる。
 クロードが自分のギルドカードをチェスターに見せる。

「確かにこちらの方は、マヒロ神父様の妻、ユキノ様だ。私が保証する」

 返却されたギルドカードをしまいながらクロードが告げる。
 確か騒動の前にリックたちが抜き打ちで訪れているはずだ。紙みたいな顔色をしているチェスターたちに不都合なことがあったに違いないと一路は目を細めた。

「そ、それで奥方様はどういったご用件で……」

「ええ、なんでも最近、グラウでは子どもに対する不審者の声掛けが頻発しているとか」

 雪乃が頬に手をあて、心配そうに告げる。
 チェスターの肩がこわばる。

「ご存じだとは思いますが、夫は子どもの安全に非常に神経質で。子どもの捜索願が出ていないか確かめてくれ、と。他のことはさておき、子どもたちにもしものことがあるのは、例え見ず知らずの他人の子でも耐えられないようですの」

「捜索願は、その、一般の方にお見せするわけには、それに、どこの誰がというのもの、御教えすることは、規約で禁止されています」

 しどろもどろになりながらチェスターが答える。
 それはそうだろう、と一路も納得する。ああいうものは大抵、守秘義務というものがついて回るものだ。

「ガストンさん、ジェンヌさん」

 雪乃が振り返り、馬車の後ろ、居並ぶ騎士の先頭にいた二人を呼ぶ。ガストンとジェンヌが馬から降りて雪乃のもとにいく。

「私に見せろなんて言いませんわ。守秘義務とかそういうものがあるのでしょう? でも、同じ騎士ですから、この方たちにはかまいませんでしょう?」

 チェスターはガストンとジェンヌを一瞥し口を開く。

「彼らはブランレトゥの騎士で、所属する町が違います。行方不明者の捜索は、我々グラウの騎士が行うべき問題であり、他所の騎士の手を煩わせるわけにはまいりません」

 雪乃がおっとりと微笑んでいるからか、あるいは、可愛らしい兎ちゃんにでも見えているのか、チェスターが少し持ち直す。
 一路は、よりにもよって雪乃に逆らおうとするなんてやめときゃいいのに、と思ったが口をはさむなんて自殺行為は出来ない。命が惜しい。一路は可愛い恋人と結婚して幸せな家庭を築くのだ。

「あら、面白いことをおっしゃるのね。殿方は、縄張り意識が強くていけませんわね」

「縄張り、とはまるで我々が獣のようではありませんか。人には人の領分というものがあるのです。それを不躾に踏み荒らそうとするのは、甚だ失礼だとは思いませんか?」

「ふふっ、本当に……面白い方」

 くすくすと雪乃が笑って小首を傾げた。
 ふと見た先で海斗が「あーあ……」という顔をしていたが、多分、一路も同じ顔をしている。興奮しているのは雪乃の隣で目を輝かせている充だけだ。騎士たちが少しだけざわつき始めた。

「ご自分の縄張り一つ守れない方が随分と偉そうなことおっしゃるのね」

 ぐんと温度の下がった声にチェスターの頬が引きつった。

「ご、ご夫人には分からないかもしれませんが、グラウの平和は、変わりなく保たれております。それもこれもこのグラウの騎士たちの奮闘の賜物です」

「ええ、そうですわね。人もあたたかくて、食べ物もおいしくて、温泉も素晴らしい良い町です。けれど」

 そこで言葉を切った雪乃にチェスターが身構えた。

「本当に……平和は保たれているの?」

 その名の通り、冬を覆う真っ白な雪のように冷たい声音だった。
 一路は御者席から降りなくてよかったな、と雪乃の顔が見えなかったことに感謝した。彼女の半歩前にいたクロードはうっかり見てしまったのだろう。青い顔をして彼女の顔を見なくて済むように一歩下がった。
 
「私がわざわざ御大層な護衛を引き連れて、どうしてここに来たのか、想像もできないのかしら? 私は最初に確かに言ったはずよ。『夫からの用事を言付かって』と……捜索願を調べたいのは、私じゃないの。――私の夫、なの」

 こつん、とヒールが鳴った。雪乃が一歩前に出る。チェスターが一歩下がる。

「町が安全ならこんな御大層な護衛はいらないわ。でも、夫はこの護衛が私に必要だと判断した。この意味、分かるかしら?」

 こつん、こつんとヒールが鳴り、それに合わせてガッガッとブーツのかかとがなる。
 雪乃が前に出ればチェスターが下がる。

「ねえ、どうして私の夫は、捜索願を調べたいのかしら」

「そ、それは……っ」

 騎士であるチェスターは雪乃より横も縦も大きい上に年だって三十以上は上だろうに、おっとり微笑む若く華奢な兎の夫人に逆らうすべを見つけられないでいるようだ。
 それもそうだろう、と一路はあきれ果てた視線をチェスターに向ける。なにせあの真尋でさえ、そのすべを知らないのだ。

「私、夫の身の回りには、服も家具も――人も、一流のものしか置きたくないの。使えないものは、夫の視界に入れたくもない。そういうものは綺麗さっぱり排除、しないとね……私にもそれくらいの伝手はありますのよ。だって、私の美しく優秀な夫に、無能な人間はふさわしくないもの。…………この意味、お分かりになって?」

 クロードと第二小隊を含めた騎士たちが完全に怯えきっている。
 彼らの前では必要もなかったので雪乃は穏やかでおっとりとしていて、子どもたちを心から愛する優しいお母さんという印象だっただろうが、雪乃はあの真尋の妻である。
 その穏やかな姿が偽りというわけではもちろんないが、何千、何万という社員を抱えたミナヅキグループのトップになる予定だった男の妻が、優しいだけで務まるわけもない。むしろ、真尋より、真尋が身に着ける物にも身の回りに置く物にも、人にさえも誰より厳しいのは雪乃なのだ。彼女のお眼鏡にかなわなければ、それは排除されるだけだ。夫の実の父でさえ、夫にとって不要であれば排除するのも厭わない。それが雪乃なのだ。

「直近三ヶ月の捜索願、調べさせていただけるかしら?」

 一応、疑問の形をとっているが、それは決定事項だ。

「も、もちろんです……っ! ジェイミー中隊長、案内を」

 チェスターが白旗を上げた。

「まあ、ありがとうございます。さあ、第二小隊の皆さん、一くん、海斗くん、三十分よ」

 気のせいでなければ、ガストンとジェンヌだけではなくなっている。

「え、あ、はい!」

 だが一路だって雪乃に逆らうなんてことだけはしない。真尋には逆らっても、雪乃には逆らわないと一路は幼少のころより固く決めているのだ。それは兄だって同じで早々に馬を下りて、ジェイミー中隊長が空けたドアをくぐって中へと入っていく。

「私は馬車で待たせていただくわ。行きましょう、クロード様」

 そういって雪乃は馬車へと戻っていく。クロードが完全に怯えていて可哀そうだ。彼の巻き込まれ体質は彼の心に優しくない。

「みっちゃん、雪ちゃんをお願いね」

「もちろんでございます」

 感動に胸を震わせている様子の充に声をかけて、一路もまた兄たちの背を負うように駆けだしたのだった。





 三十分で手分けをして三か月分の捜索願を頭に入れて、充に隠ぺい魔法をかけてもらい、一路たちは例の廃宿へと戻ってきていた。
 馬車から降りた雪乃をエスコートして中に入れば、真尋が迎えてくれた。

「塩梅は?」

「お願いしたら快く捜索願を見せてくれたわ。マリーさんとリラさんのご家族のところにはガストンさんが向かってくれています」

 真尋の問いに雪乃は、にっこりと微笑んで答えた。
 一路と海斗、そしてクロードと第二小隊の騎士は余計なことは言うまいと口をつぐんだ。沈黙は金、雄弁は銀ということわざが一路の祖国にはあったが、それはこの異世界においても通用するはずだ。

「ゆるし、ゆるしてくださっ、ぁぁああああ!!」

 断末魔が聞こえて思わず一路は隣の海斗に抱き着く。海斗が驚きながら一路を抱きしめ返す。
 騎士たちが何事かとざわめく。

「な、なに、今の?」

 一路の問いに真尋がカウンターの奥の部屋を振り返る。

「問題ない。奥でリックが事情聴取をしているだけだ」

「あらあら、リックさんたらヤンチャねぇ」

 ビビりもせずに微笑む雪乃に、騎士たちがますます顔を青くしている。

「それで、あなた。保護する女性たちは?」

「カロリーナとキースが連れてきてくれる。ジェンヌ、すまないが手伝いにいってくれ。女性は三人いるんだ。三階の一番奥の部屋だ」

「はっ!」

 ジェンヌが騎士の礼を返し、階段へと駆け出していく。

「雪乃は彼女たちとともに、そのまま家へ戻ってくれ。海斗、護衛を頼む。領主様の下への出立に変更はないから、準備に入ってくれ。一路とクロード、騎士はこっちに。彼女たちが来るまでに詳細を説明する」

 真尋に近くに来るように言われてクロードと騎士たちが集まる。雪乃は真尋の一歩後ろで充が用意した椅子に腰かける。

「休暇中の上、管轄外で済まないが、クロード、魔導具関係で君の力を借りたい」

 まず真尋がクロードにお伺いを立てる。

「……ええ、大丈夫です。誘拐犯を追いかけているほうがきっと怖くないですし」

 クロードの言葉に真尋が首を傾げたが、雪乃と充以外は全員頷いていた。

「まあ、いいならいいが……まずは事件の概要を説明する」

 そういって真尋が意識を切り替える。
 騎士たちも手帳を取り出しペンを構えて真剣に話を聞く。途中、この件にグラウの所在不明になっている騎士たちが関わっていると分かると、騎士たちが分かりやすく殺気立った。何人かがリックの加勢に行こうとするのを真尋がなだめて話を進める。

「ここを拠点に本陣を叩く。すでにブランレトゥの本部に鳥を飛ばし、援軍を要請した。海斗、手間になるが領主のところに行く前に馬車に乗せて連れ帰ってきてくれ。そちらには、我が家と第二小隊の宿の警護に当たってもらい、今回の件、君たち第二小隊の皆には、俺の手足になってもらう。共にこの町に巣食う虫けらどもを一掃しよう」

「はっ!」

 全員が一斉に騎士の礼を返す。
 その顔に浮かぶ高揚と使命感に真尋が満足げに頷く。
 真尋のこういう風に人を魅了するところは、どこにあっても変わらない。ここに揃う騎士は、皆、真尋より年上だ。第二小隊の平均年齢は若いがそれでも真尋より十五以上年上の者もいる。
 だが、年齢も性別も立場も超えて、従いたい、尽くしたい、と思わせるものが真尋にはあるのだ。そういうものをカリスマ性と呼ぶのかもしれない。
 彼に認められたい。そう願って、努力の先で認められた時の気持ちは筆舌に尽くしがたい。一路も海斗も、その経験を忘れることができないからこそ、真尋の傍にいる部分もある。でなければ武術も学問も、必要以上に修めることはなかっただろう。

「神父殿」

 顔を向ければ、カロリーナが獣人族の女性を横抱きにして階段を下りてきた。その後ろからナルキーサスとジェンヌにそれぞれ支えられるようにして人族と妖精族の女性が後についてきた。
 雪乃が真っ先に彼女らに駆け寄る。
 カロリーナに抱えられる女性は意識がぼんやりしているのか表情が虚ろで、ナルキーサスたちに支えられる女性たちも顔色が悪く、どこか怯えたような顔をしているのに胸が痛む。
 充が「馬車の仕度を」と真尋に告げて先に外へ出て行った。

「初めまして、私は真尋神父の妻の雪乃よ」

 チェスターに向けられていた声とは天と地ほども差のある優しい声だった。
 雪乃の前に三人が並ぶ。一人はカロリーナに抱えられたままだが、雪乃に顔を向けていた。
 真尋が雪乃を追いかけ、その隣に立つ。

「何か困ったことがあれば、彼女に言ってくれ」

「ええ、どんな些細なことでもかまいませんから。貴女たちのことは、私たち夫婦が責任をもって必ず護りますからね。……もう大丈夫よ。もう何も怖いことなんてないわ」

 雪乃が一番近くにいた妖精族の女性の頬を撫でた。よく見れば、まだ少女ともいえるような年齢の女性は、その瞬間、わっと泣き出して雪乃に抱きしめられる。

「怖かったわね……もう大丈夫、大丈夫よ」

 細い手が優しく彼女の背を撫でている。
 すると人族と獣人族の女性たちも泣き出して、雪乃は人族の女性もまとめて抱きしめ、抱えられている獣人族の女性の頬や頭を優しく撫でる。
 カロリーナたちは驚きに目を丸くしていて、真尋は半歩下がってそれを穏やかな眼差して見守っていた。
 雪乃は怒らせたら怖い人だけれど、やっぱりどんな人かと聞かれたら一路は「優しい人」と答えるだろう。彼女の優しさは、いつだって温かく柔らかに包み込んで、すべてを受け止めてくれる。
 本当に世の中の「お母さん」のイメージを詰め込んだかのような人なのだ。

「こんな空気の悪いところとは、さっさとさよならしましょう。私たちと一緒に帰りましょうね」

 雪乃がそう声をかければ抱きしめられていた二人は離れ、雪乃が取り出したハンカチでそれぞれの涙をぬぐう。

「あなた、徹底的に潰してくださいね」

「任せておけ。彼女たちのことは頼む」

「ええ。彼女たちとお家と子どもたちのことは私に任せてくださいな。さあ、行きましょう」

 雪乃に促され女性陣が歩き出す。海斗がその背を追いかけて行き、真尋が外まで見送りに出る。

「……なんていうか、すごいっすね」

 騎士の誰かが呟いた。

「あの真尋君の奥さんだからねぇ」

 一路がしみじみとつぶやいた一言に騎士たちが「なるほど……」と頷いたのだった。


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