称号は神を土下座させた男。

春志乃

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本編 2

第四十九話 白状した男

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「キ、キース!」

 カロリーナの肩から降りたレベリオが妻を呼ぶ。
 真尋はちらりとキースを見た。眉間に渓谷のように深いしわが刻まれている。サヴィラとクロードが居心地悪そうに真尋を見るが、真尋だってどうすることもできない。さりげなく呪文を唱えて、自分たちと彼らに守護魔法をかけた。なにせ、すでにナルキーサスは利き手に魔力をため始めている。何かあったらぶっ放す気満々だ。
 ナルキーサスの魔法がさく裂しても、どうか家が無事でありますようにと願った。

「あ、あの、その……ど、どうすれば戻ってきてくれますか……!」

「あ”?」

 ナルキーサスのドスが利いた声にクロードの肩が跳ねた。

「私は、これからも、あ、貴女と夫婦でありたいです!!」

「馬鹿野郎!! 先にやることがあるだろう!!」

 カロリーナの怒声が響く。可哀そうに、なんの罪もないクロードが一番怯えている。
 レベリオは、カロリーナの言葉に「はいっ!!」と返事をして一度、深呼吸をするとなんとその場で見事な――土下座を決めた。

「すみませんでした!!」

 高らかな謝罪の声が響き渡る。庭先に今日の警護当番の騎士たちが顔を出し、土下座しているレベリオに目をむいている。
 レベリオの後ろでカロリーナは仁王立ちし、そんなレベリオをにらみつけるような勢いで見ている。

「……何に、対して?」

 ナルキーサスの冷たい声が問う。
 サヴィラが真咲を守るように抱きしめると、どこからともなく現れたポチがサヴィラの頭の上に乗った。これで大体の魔法から息子たちを守ってくれるだろう。横のクロードが突然のポチ(まだちゃんとは話していなかった)に白目になっているが。

「あ、貴女の生き方や思考を……否定し続けてしまったこと、貴女の話を……一度も聞こうとしなかったこと、です!!」

「私がそれを許せば、君は満足するのか?」

 抉るような一言だな、と真尋は他人事のように思った。
 雪乃が心配そうにナルキーサスを見つめている。

「わ、私はこの十二年、一度も貴女の話に耳を、傾けようとしませんでした……! で、でも、それは……貴女を傷つけたくな」

「言い訳をするなと言っただろうが!!」

 カロリーナの怒声にレベリオが「すみません!」と謝った。
 なんとなく、なんとなくだが、レベリオがカロリーナに相談し、あまりにレベリオがうじうじしているので短気な彼女はキレたんだな、と察することができた。真尋自身も気が短い自覚はあるが、カロリーナもなかなかのものである。

「傷つきたくなかったのは、私です……! 私は……わたし、は……、」

 レベリオの声が震えた。
 地面に着かれていた彼の手が、きつく握りしめられる。

「…………私は、貴女に――僕の息子を、シャマールを、たすけてほしかった…………!」

 ナルキーサスが薄い唇を噛む。

「貴女なら、王都でも指折りの魔導士だった貴女なら、助けてくれると、信じていました。でも、あの子は……死んで、しまった……っ」

 涙にぬれた声が静まり返った庭先に、寂しげに響いた。

「……どうして、どうして……あの子を助けてくれなかったんですか……っ!」

 きっと、これがレベリオが十二年間、隠し通して決して口にできなかった本音だったのだろう。
 ナルキーサスは、彼はもうシャマールの話をしてくれないと嘆いていた。だが、レベリオは確かにシャマールを愛していた。愛していたからこそ、喪ったその悲しみや怒りを消化することができなかった。
 ナルキーサスは、ただじっと地面に這いつくばる夫を見つめていた。彼女の利き手からはもう魔力は消えていた。

「でも、本当は……こんなことを言う資格は、僕にはないんです……っ。シャマールのために朝も夜もなく奔走する貴女を私は、見ていることしかできなかった。苦しむシャマールの手を握るくらいしか……無能な僕には、できなかった……っ。なのに、なのに、僕は……身勝手に、全力を尽くしてくれた貴女を心の中で責めていたんです……!」

 ナルキーサスが立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。リビングから庭へ出て、レベリオを見下ろすように立つ。

「……何もできていないなんてことはなかったよ。コシュマール子爵家は爵位だけの家だ。……庶民より少し裕福なだけ。大金持ちではない。あの子にかかる治療費は私の給料や貯金だけでは賄いきれなかった。君が、ジークフリートや王都の友人たちに頭を下げて金を工面してくれたことは知っている」

「お金なんて、誰だって用意できます……っ」

 レベリオが首を横に振った。
 背中しか見えない彼女がどんな顔をしているのかは分からなかった。レベリオの後ろに少し離れて立っているカロリーナは、静かに夫婦を見守っている。

「…………治療中、君がシャマールの手を握っている時、少しだけ……本当に少しだけだが数値がいつも回復していた……あの子は、君が大好きだったから」

 レベリオがようやく顔を上げた。彼の片眼鏡が涙と一緒にぽとんと落ちる。

「君の大事な息子を……助けてやれなくて本当に……すまなかった」

 深々と頭を下げたナルキーサスの謝罪にレベリオは目を見開き、拒否するように首を横に振った。
 しかしナルキーサスはその姿勢のまま先を続ける。

「私は無能な治癒術師だった。だからあの子を助けてやれなかった。君は優しいからな……私を傷つけないようにその想いを、ずっと飲み込んでくれていたんだな」

「そんな……そんな高尚なものじゃないです。……僕は貴女を無責任に責め立てるような、器の小さな人間であることを、認められなかっただけです……っ」

 必死に告げるレベリオに、ナルキーサスが体を起こし、その場にしゃがみこんで彼と向き合う。

「だが、私はもう無能な治癒術師でいるのは、嫌だった。だから、顔を上げて前に進んだ。私は私から愛しい家族を奪った病を倒した。これからだって新薬の開発に取り組む。だが……君は?」

 ナルキーサスの言葉の真意が分からなかったのだろう。レベリオがかすかに首を傾げた。

「私と仲直りしたとして、レベリオ、君は、どうするんだ?」

「僕が……?」

「ああ。君だ。君と仲直りしてももう君のところには戻らない」

 レベリオが息をのむ。

「……私は過去を懐かしんで愛おしむことはあっても、もう振り返らないよ。私は、これからもこの子とともに生きていく。この子に胸を張れる母親でいたいから、治癒術師として、魔導士として、背筋を伸ばして生きていく。そう決めた。だが……君は?」

「ぼく、は」

「きっと君は、私がそばにいれば、私にドレスを着せようとするだろう。私に髪を伸ばすことを求めるだろう。私に社交を求めるだろう。だが、私はもうそれには応えられない」

「そんな、そんなことは……!」

「……では君が一瞬でも想像したであろう、仲直りして君のところに戻った私は、どんな姿かたちだった?」

 ナルキーサスの問いにレベリオが固まった。
 きっと、彼の隣にいたのは緑の長い髪を結わえて、ドレスを身にまとう、十二年前の妻の姿だったのだろう。今の、前を向いて自分のために生きている彼女の姿ではなかったのだ。

「私が君のそばにいると、きっと君はずっと過去を求めてしまう」

 レベリオはもう何も言えなかった。

「君は前を向いていかなければいけない。ウィルフレッドにとって君は誰より必要な事務官だ。君の働きがこの領地を支えている。だが……私を理由に君はそれをも投げ出そうとしてしまった。でも、それは間違っている。君は領主家に仕えることを誇りにするコシュマール子爵だ。そうだろう?」

 こくん、とレベリオが頷いた。

「今の君は、シャマールに胸を張って、父親だと名乗れるか?」

 レベリオが唇を強く、強く、白くなるほど噛みしめてほどけかけていた拳を再び強く握りしめた。

「シャマールが大好きだった、誇り高い騎士で、優しい父親でいてくれ。私がそばにいたら、君は甘えてそれを投げ出してしまう。私はその理由にされたくない」

 ナルキーサスが立ち上がる。

「……だから、だからこそ、離縁してくれ、レベリオ」

 懇願するようにナルキーサスが告げる。
 レベリオは俯いて、震える息を整えようとするかのように深く息を吐き出した。
 彼はきっと今、必死に離縁を回避する方法を考えているだろう。だが、それはどこを探しても見つからないはずだ。

「…………分かり、ました」

 俯いたままレベリオがついに頷いた。

「ありがとう。これからも仕事では関わることがあるだろう。その時はよろしく頼む、コシュマール子爵」

 そう告げるとナルキーサスはくるりと踵を返し、こちらへと戻ってくる。そして、先ほどまで座っていたソファにどかりと腰を下ろした。
 園田とヴァイパーがガラス戸を閉めた。閉められたガラス戸の向こうでは、カロリーナがレベリオに何か声をかけ、そして彼が首を横に振ると再びその肩に彼を担いで、門のほうへと歩いて行った。

「真尋さん」

 袖を引かれて顔を向ければ、雪乃と目が合った。
 雪乃は真尋に真智を託すと、ナルキーサスのほうへと体を向けた。真尋は真智を抱えなおして、彼女に顔を向ける。
 うつむく彼女の表情はうかがい知れない。

「…………ユキノ」

「はい」

「これが、私の……あの子への愛だよ……っ」

 ささやくように震える声でナルキーサスが告げた。

「はい。先生は、頑張りました。とっても、とっても頑張りました」

「……ふっ、ううっ」

「いらっしゃい、キース」

 雪乃が腕を広げて、陽だまりのような優しい声で告げる。
 顔を上げたナルキーサスの頬は幾筋も涙が伝って、ぼたぼたと落ちていく。立ち上がったナルキーサスは雪乃の膝に崩れ落ちた。

「うう、ふっ、ぅ、ぁぁああああ……っ」

 雪乃がナルキーサスの頭を包むように抱きしめ、子どもをあやすように紙を撫でる。
 真尋は真智を抱えていないほうの手で、ナルキーサスの背中をとんとんと撫でてから立ち上がる。目でクロードとサヴィラに「行こう」と告げ、先に退出した執事たちに続くようにリビングを後にした。

「……あー、とりあえずクロード。部屋に案内する」

「ありがとうございます。…………来る日を間違えました」

 苦虫をかみつぶしたかのような顔でクロードが告げた。
 サヴィラが苦笑交じりに、真咲をあやしながら声をかける。

「クロードって、巻き込まれ体質だよね。レオンハルトの家庭教師の件もそうだけど」

「王都の研究所に戻りたい……っ」

 嘆くクロードの背を園田が慰めるように撫でた。ヴァイパーも居心地悪そうにしている。そんな彼に職務に戻るように告げ、園田にも頼みごとをして歩き出す。

「二人の離縁は君が手続するのか?」

 地下への階段を降りながらクロードに問う。

「あの夫婦は貴族なので、貴族院に離縁届を提出するので、商業ギルドは関係ないです」

「離縁の手続きは大変なのか?」

「財産分与や親権でもめている場合は大変ですが、双方納得の上なら離縁届を出すだけですよ。庶民も貴族も。先生は貴族から身分が庶民に戻るので、その手続きは私たちの管轄ですが……まさか、その現場を見てしまうなんて」

「ゆっくり温泉にでもつかってくれ。我が家の注意事項としては二階へはよほどのことがない限り行かないでくれ、アマーリア様の寝室があるんだ」

「これ以上の面倒ごとはごめんです……あ、温泉のにおい」

 地下のフロアに降り立つとクロードが顔を上げた。

「温泉が目と鼻の先だからな。それでここが君の部屋だ」

 真尋はジルコンたちの隣の部屋のドアを開ける。
 ベッドが一つと暖炉、デスクが一つのシンプルな部屋だ。

「狭いし、何もないが……」

「十分ですよ。暖炉があるのはありがたいですね、寒いと起きられないので」

「最近、また一段と寒くなって嫌になっちゃうよね」

「本当に。雪とか降ると冬眠したくなります」

「分かる」

 クロードとサヴィラが有鱗族トークを繰り広げている。
 今度、サヴィラにゆたんぽを作ってやろう。容器にお湯を入れるだけだが、布団の中がぽかぽかになるので、雪乃が冬になるとよく使っていた。

「クロード、大浴場は男女で別れているから、好きに使ってくれ。掃除は適宜していて、入り口に看板を立てて知らせる。庭に露天風呂もあるが、あっちは一つしかない。女性陣が使っている時は看板がかけられているから、気を付けてくれ」

「分かりました。温泉、いいですよね。すぐのぼせてしまうので長湯はできないのですが」

 うんうんとサヴィラが頷く。

「君たちは外気温に体温が左右されやすいからな。食事はリビングの隣のダイニングだ。さっきも言った通り、二階にはアマーリア様の寝室があるから気軽に行かんほうがいいが、それ以外の部屋は自由に出入りしてくれ。ちなみにキッチンの横の部屋は俺たちの寝室、玄関横の部屋は治療室兼キースの部屋だ」

「研究はどこでしているんですか? 治療室で?」

「庭に馬車があったろ? あの中の家の一部屋を研究室として使っている。あとで案内する」

「分かりました。では少し休ませてもらいますね……疲れました」

 遠い目をするクロードに「ゆっくりしてくれ」と告げて部屋を後にする。

「マサキがぐずりだした。そろそろミルクの時間だもんね」

 うーうーと顔をしかめる真咲をあやしながらサヴィラが言った。
 マヒロの腕の中で真智もいやいやをするかのように手足を動かしている。そろそろ、ふにゃふにゃと泣き始めるだろう。
 サヴィラの後を追うように階段を上がる。

「……愛って、難しいね」

 サヴィラがぽつりとこぼす。

「そうだな。だが……突き放すのも、時には愛だ。それは一見、冷たいように見えるかもしれないが、何より深い愛情だよ」

「うん……なんとなくだけど、分かるよ。……ところで、シャマールって、先生の息子?」

「ああ。……十二年前に病気で。七歳だったそうだ」

「なるほど……なんか腑に落ちたかも。先生が、ノアを絶対に諦めないでいてくれた理由」

「お前は聡いな」

 一階に着き、隣に並んでサヴィラの頭をぽんぽんと撫でた。
 サヴィラはむずがゆそうな顔をしたが真咲が「うにゃぁ」と泣き出して、親子の意識はそちらへ向けられる。真咲につらるように真智も泣き出す。

「俺たちの寝室でいいか」

 まだリビングに行くのははばかられて、すぐそばの寝室へ行く。
 サヴィラが真咲をベッドへ降ろす。

「じゃあ、マサキもみてて。俺がミルク作ってくるから。母様に父様には絶対にミルクを作らせるなって言われてるんだ」

「…………何もしないが?」

「そこは俺も信用してないんだよね」

 そう言って息子はさっさとキッチンに行ってしまった。
 取り残された真尋は腕の中とベッドの上で、ふにゃふにゃ泣いている息子たちに顔を向ける。

「お前たちの兄さんは、ひどいことを言う。そう思わないか? 俺だって、瓶に手順が書いてあるんだから、ミルクぐらい作れる」

「うにゃぁぁああ!」
「ふにゃぁぁああ!」

 過去一、大きな声で泣かれて腑に落ちない。
 記憶なんてないはずなのにどういうことだと首を傾げる。あとで雪乃に言ったら「体に染みついた本能よ」と言われた。ますます腑に落ちなかったのだがミアもサヴィラも挙句の果てには園田まで頷いていた。
 真尋は、色々と考えながらも双子たちをあやす。このぬくもりが永遠に喪われてしまうなんて、考えただけでも息ができなくなりそうだ。こちらに来た時、耐えられたのは彼らが別の世界であっても生きていると信じられたからだ。
 だが今は、もし、と考えただけで身が竦む。心が凍りついてしまうような、そんな想いをあの夫婦は抱えて生きてきたのだ。

「…………あの二人に、せめて安らぎの風が吹きますように」

 ささやくように祈りを捧げ、真尋は元気よく泣く息子たちをあやすことに専念するのだった。









「ううっ、うぅ、うっ、キースぅぅ……っ」

 ガストンは、目の前のテーブルに突っ伏して泣くレベリオをちらりと見る。
 彼の周りには酒瓶がこれでもかと積まれていて、非常に酒臭い。
 カロリーナに担がれて出かけて行ったレベリオは、カロリーナに担がれて戻ってきた。そして、食堂の一角でやけ酒を始めてしまったのだった。
 しかし、この事態を作り出した張本人であるカロリーナは、先ほどまでここにいたのだが「ちょっと出てくる」と言って出かけてしまった。
 そして、ガストンをはじめ、第二小隊の騎士たちは、どうしたものかと頭を悩ませていた。カロリーナがいなくなり、一人になったレベリオにガストンはケイティに「かわいそうだから、付き合ってあげて」と言われてやってきた。ほかの奴らも「たまには飲んできたら」とか「上司の機嫌は取っておいて損はない」とか、色々な理由で送り出されてきたそうだ。しかし、あまりにも悲壮にくれるレベリオを哀れに思ったのか、ブランレトゥの食堂やレストランで働いている人たちが、あれこれ料理を作ってくれて、酒の肴だけはたっぷりとある状況だった。むしろ、途中から腕を競い合っていたので、食べきれるか心配なほどある。

「ええっと、あの、まあ……その、」

 なんと声をかければいいのかが分からなかった。
 ガストンはもう愛する妻と可愛い息子の待つ部屋に帰りたかった。

「キース……うぅぅぅ、キースぅぅぅ」

「わかりまず、わかりますよ、レベリオ事務官殿っ。アリス、リオぉ」

 そう言ってレベリオの左横に突っ伏すのは一年前、妻(アリス)と子(リオ)に出て行かれた騎士のジョージだった。彼は二交代制の警護任務の遅番を終え、昼過ぎにはここにいて飲んだくれて泣いている。ちなみに今は午後の七時だ。
 騎士の離縁率はなかなかのものだ。結婚を考え始めるのは給がぐんと上がる二級騎士になってからだが、多忙であり、いつ地方へ異動になるとも知れない身だ。リックたちのように護衛騎士になれば話は変わってくるが、早々護衛騎士になどなれないし、万が一、最悪な主に当たれば目も当てられないが。

「仕事と俺、どっちが大事なのって、んなの仕事に決まってんだろうがよぉぉぉっ」

 ガンっとエールの入ったジョッキをテーブルにたたきつけたのはガストンの相棒であるジェンヌだ。
 実はジェンヌの紹介で彼女の親友であるケイティに出会えたのだが、ジェンヌは最近、多忙の末のすれ違いで恋人に振られたのだ。ジェンヌはつい先ほど帰ってきて飲み始めてこのありさまだ。

「付き合いだしたころは、この町を守る君を俺が支えるよってのたまいやがったくせによぉぉ! あの野郎っ、浮気しやがってぇ!!」

「キース……っ、ぐすっ、キースっ」

「アリスぅぅぅ……っ」

 ガストンは本気で部屋に帰りたくなっていた。
 だが誰かがぽつりとこう漏らした。

「…………俺も神父様に相談して、土下座決めてなかったら……こうなってたのかな」

 多くの奴らの肩が跳ねた。
 第二小隊は、神父様の護衛騎士であるリックとエドワードが所属していたため、関わることが多かった。そのため、色々と不安を抱えた者たちは神父様に相談したり、一喝されたりして、なんとか家族や恋人をつなぎとめることに成功した。ガストンだって、神父様のおかげで妻と子とともにあれるのだ。

「今度、神父様に夫婦円満の秘訣をもっとちゃんと教えてもらおう」

 ガストンのつぶやきに皆が一斉に頷いた。
 みんな、こうはなりたくないのである。

「誰か神父様、呼んでくるか? 話を聞いてくれるんじゃないか?」

 ルシアンが言った。

「……愛妻とわが子とこの酔っぱらい、どっちを取ると思う?」

 ガストンの返しに皆が押し黙った。
 自分たちも前者を取りたいのだから、ブランレトゥでも愛妻家で親馬鹿で有名な神父様がこんな面倒くさい酔っぱらいを優先してくれるわけもない。
 皆、ちびちびとなめるように酒を飲む。べろんべろんに酔っぱらっているこの哀れな三人はともかく、騎士である以上、泥酔するわけにはいかない。非常事態にはいつだって備えていなければならないのだ。しかも今は任務の性質上、第二小隊しか任務をこなすものがいない。そうなると正気を失えないのは辛かった。

「待たせたな!!」

 その声に顔を上げれば、右肩にワインの樽を担ぎ、左わきに酒瓶がこれでもかと入った木箱を抱えたカロリーナが食堂の入り口に立っていた。
 一番下の若い奴がすぐにそれを受け取りにいくが、樽も木箱も二人がかりで持ち運んでくる。獅子系獣人族なので、彼女は人族である自分たちよりもずっと剛腕なのである。

「レベリオ殿、ジョージ、ジェンヌ、今夜は飲め!! ワイン樽は神父殿から、こっちの細々した酒は私のおごりだ!!」

「カロリーナ小隊長ぉぉぉっ」

 三人が泣きながら叫ぶ。

「泣いて、泣いて、泣くだけ泣いたら、明日は休んで、明後日から頑張れ!!」

 はい、と返事をしたのはジュリアとジョージだった。
 レベリオはえぐえぐとしゃくりあげながらワインの注がれたコップ(ワイングラスは割れやすく危ないので木製のコップを渡してある)を握りしめている。

「ど、どうやって頑張ればいいんですかぁ……っ!!」

 ちょっと時間が経って心の傷にかさぶたができているジェンヌとジョージとは違い、ほんの数時間前にきっぱりと離縁を言い渡されてきたレベリオは、生々しい心の傷を持て余し、どうしていいかわからなかったようだ。
 カロリーナは、ウィスキーの瓶を片手に、彼の目の前の席にどかりと腰を下ろし、ぐびぐびと直接、ウィスキーをあおった。ちなみにカロリーナは、騎士団内でも有名な酒豪である。二日酔いになっている姿もみたことはない。肝臓が化け物みたいに強いのである。

「んなものは、今は考えるな。誰だってどう頑張っていいか分からん時がある。私にだってあったし、きっと、キース先生にも神父様にもあったはずだ」

カロリーナがオリーブとチーズのオイル付けを口に放り込む。

「そういうときに頑張っても良い結果は何一つでない。離縁されて悲しいというのを理由に一日ぼーっとしてるか、庭の草でも無心でむしってろ。大事な人と道を別つことは悲しいことだ。それは騎士であろうが男だろうが女だろうが関係ない。悲しむときにきちんと悲しむ。嬉しいときにはきちんと喜ぶ。騎士である前に人間だ。人間には感情があり、心がある。それを忘れると、本当の意味で騎士ではいられない。だからそれでいいんだよ」

 レベリオは、えぐえぐしながら頷いてワインをすすった。

「ただし、部屋にはこもるな。ひとりでいると、ろくなことは考えん。談話室か庭にいるように」

 レベリオは、またえぐえぐとしながら頷いた。この情けない姿、暴れる患者に殴られてえぐえぐしている時の弟のアルトゥロそっくりだ。
 やっぱりカロリーナは尊敬できる上司だ。ちょっと短気なところがあるが、それでも彼女の下にいられることのほうが誇らしかった。

「小隊長は、昇級試験は受けないんですか?」

 ガストンの問いにカロリーナが顔を上げる。
 水の月の騒動で彼女が女であり、一般庶民出身であるという理由で出世や昇級試験を拒んでいた馬鹿な中隊長はいなくなった。カロリーナの実力なら一級騎士への昇級は難しいことではないだろうし、試験を受ける資格も得られるだろう。

「一級騎士になると、その内、より上の管理職になってしまうからなぁ。そうなると書類は増えるし、おべっかも増えるし、会議も増える……嫌なもんしか増えんな……。こうやってお前たちと現場で暴れているほうが性に合っている。それに神父殿のおかげで、いまは上層部も風通しがよく働きやすい。気が向いたら出世するさ」

 カロリーナはからからと笑った。ガストンたちは、なんとなくほっとして顔を見合わせる。ガストンたちだって、多少の無茶をしたって「責任は私が持つ! それより犯罪者はきっちり捕まえてこい!」と言ってくれるカロリーナ小隊長が大好きなのである。
 それからガストンたちは酔わない程度にちびちびと酒をたしなみ、しかし料理はしっかり平らげた。その内、ジョージ、レベリオは寝落ちしてしまう。酒豪のジェンヌは「あぁ、すっきりした」と酒宴が終わるころには元気になっていた。

「さて、ジョージは相棒のマイケルに任せるとして」

 カロリーナの言葉通り、ジョージはすでにマイケルに背負われていた。マイケルは「お先に」と告げてそのまま食堂を出て行った。

「問題はレベリオだな。……ガストン」

「こんな酒臭いのはちょっと……乳児がいるんで」

「それもそうだな」

「私が一人なら私の部屋でもいいが、ハリエットとその家族がいるから絶対に許さん」

 ハリエットには人一倍過保護なカロリーナが思案顔で言った。
 ちなみにハリエットは今日のおでかけがとても楽しかったようで、どういうわけか出かけた時と違う服装だった上、ジェンヌと帰ってきたのだが、とても機嫌がよさそうだった。彼女はお酒は飲まないのでこの場にはいないから、すでに部屋で彼女の母と祖母と寝ているだろう。

「……そうなるとレックス。お前しかいないな」

「ううっ、俺が恋人もいない独身男なばっかりに」

 レックスが嘆きながらレベリオを背負った。レベリオは寝言で「キースぅ」とまだ言っていた。レックスが「どうか彼が吐きませんように」と願いながら食堂を出ていく。レックスはこのグラウ出身で、そもそも家族がこちらに住んでいるので連れてくる理由もなく、一人部屋なのだ。
 ガストンも仲間たちと一緒に片づけをし、風魔法が得意なやつが部屋の空気を入れ替える。
 換気のために開けていた窓を閉めて灯りを消す。
 階段を上がり、さらに上の階にいく仲間たちと別れて自分の部屋へといく。
 ガストンにあてがわれた部屋は、リビングと大きな寝室がある部屋で、ダブルサイズのベッドが二つ置いてある。一つは義母が使い、もう一つはガストンとケイティ、ダニエルが使っている。だが、ダニエルは日によって両親と寝たり、義母と寝たりしている。
 リビングでは、ケイティがのんびりと本を読んでいた。ダニエルの姿がないので、今日は義母と寝ているのだろう。

「おかえりなさい」

 そう言って微笑んだケイティに、なんだか肩の力が抜けて、ガストンも笑みを返す。
 この「おかえりなさい」が聞けなくなったら嫌だな、と心から思ったので、やっぱり神父様に夫婦円満の秘訣を絶対に聞こうと心に決めたのだった。


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明日の更新は「ハリエット嬢のワンピース 前編」ということで、本編四十八話、四十九話の裏側でのハリエット一行のお話になります!!

次のお話も楽しんでいただければ幸いです♪
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ファンタジー
400倍の魔力ってマジ!?魔力が多すぎて範囲攻撃魔法だけとか縛りでしょ 25歳子供部屋在住。彼女なし=年齢のフリーター・バンドマンはある日理不尽にも、バンドリーダでボーカルからクビを宣告され、反論を述べる間もなくガッチャ切りされそんな失意のか、理不尽に言い渡された残業中に急死してしまう。  目が覚めると俺は広大な領地を有するノーフォーク公爵家の長男の息子ユーサー・フォン・ハワードに転生していた。 ユーサーは一度目の人生の漠然とした目標であった『有名になりたい』他人から好かれ、知られる何者かになりたかった。と言う目標を再認識し、二度目の生を悔いの無いように、全力で生きる事を誓うのであった。 しかし、俺が公爵になるためには父の兄弟である次男、三男の息子。つまり従妹達と争う事になってしまい。 ユーサーは富国強兵を掲げ、先ずは小さな事から始めるのであった。 そんな主人公のゆったり成長期!!

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