称号は神を土下座させた男。

春志乃

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第三十五話 やらかした男

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「ロイス、いいか?」

 数拍の間をおいて、どうぞ、と返事が返って来る。
 ドアを開けて中に入れば、苦い薬の臭いが鼻を突く。薬の調合をしていた、こげ茶の髪の壮年の男性が顔を上げる。
アルトゥロの腹心だという男性治癒術師は、名をロイスという。

「ああ、神父さんでしたか」

「御苦労。昼飯を持って来た。俺が見ているから、少し休んでくれ」

「わざわざ済みません」

 真尋は手に持っていた昼飯のプレートをロイスに渡した。ロイスはそれを受け取ると散らかったテーブルの上の隙間にそれを置いて昼飯を食べ始める。

「ノアの状態は?」

「……数値は一向に戻って来ません」

 真尋は、そうか、と返してベッドへと近づいて行き、ベッドの縁に腰掛ける。ノアの頭上には、ヒアステータスが開きっぱなしになっている。そこにある数値は、昨日より着実に下降している。
 ノアを発見して早四日が経った。回復の兆しは相変わらず無く、ただただ緩やかに状態は下降の一途を辿っている。
 アルトゥロとナルキーサスは、地位ある立場の人間だ。ずっとここに居る訳にはいかず、一昨日、薬学に長けて優秀な術師だからとロイスを派遣してくれた。とはいえ、忙しい合間を縫って毎日、僅かな時間だがどちらかが顔を出してくれている。
 シングルサイズのベッドがノアにはやけに大きく見える。細い点滴の管が腕から伸びていて、脇に置かれた点滴台からは淡い薄紅色の薬がノアの体へと注がれている。この世界に点滴という文明が有ったことには真尋も驚いた。この中の薬は、MPとHPの回復を促す薬だそうだ。この世界独自のものである。ナルキーサス曰く、HPが回復しさえすれば、左脚の切断に踏み切れるとのことだ。
 ノアの隣には弟の手を握りしめて眠るミアの姿が有った。
 ミアは、一日の大半をここで過ごしている。真尋が居ないと飯を食べないので、昼には必ず屋敷に戻って飯を食べさせるのが真尋の日課だった。
 ノアを見つけた日から早四日が経った。町もこの屋敷も平和なままだ。
 サヴィラは殆ど回復して、傷の治癒を少しずつ様子を見ながら真尋が行っている状態だ。とはいえ、大人とはあまり口を利いてくれないままだ。
ネネや他の子どもたちは、屋敷での生活にも慣れたようだった。毎日、屋敷の中は賑やかな声で溢れて、エドワードが馬になっている。どういう訳かリックは、お姫様ごっこの王子様だったり、騎士だったりするのだがエドワードは男の子たちの馬なのだ。ルイスは、サンドロに懐いて飯の仕度を毎日手伝って居る。強面のサンドロは、子どもに懐かれることが滅多にないので嬉しそうにしている。
 サンドロとソニアは、客である冒険者の大半が貧民街のクエストに参加しているからと基本的にこちらを手伝ってくれている。宿屋には信頼できる従業員が居るから大丈夫なのだそうだ。
 ジョシュアとレイは、貧民街とロークを行ったり来たりして忙しそうにしている。ジョシュア一家は、ずっと屋敷に泊まり込んでいてジョンはお兄ちゃんらしく子供たちの面倒をよく見てくれている。

「静かですねぇ、雨の音が良く聞こえます」

 カップに入ったスープを飲みながらロイスが言った。

「チビ達は、昼ご飯を食べて昼寝中だからな」

「そうですか。あの子たちは、皆、サヴィラ君が面倒を見ていたんだそうですね」

「ああ。墓守の仕事をしながらな……皆、親に捨てられた子供だそうだ。サヴィラが拾って来るのは、本当に小さな子どもばかりだった、一人で生きていく術を知らない小さな子どもたちが殆どだ。ある程度の年齢に達すると掏摸でもゴミ拾いでも何でもして一人で生きて行くようになるんだそうだ」

「……サヴィラ君は私よりも立派な、尊敬に値する子ですね。私はこうして、孤児たちに接するまで貧民街のことなど他人事でしかありませんでした」

「この間、緊急クエストに参加した冒険者も同じことを言っていた。貧民街に暮らす人々も自分と同じ人間だったと初めて認識したんだ、と」

 ロイスは、ぱちりと目を瞬かせると、そうですか、と何とも言い難い笑みを零してスープをまた一口飲んだ。
 会話が途切れて部屋に雨の音が落ちる。
 貧民街は落ち着きを取り戻しているとはいえ、まだアンデットは完全に消えていない。どこに隠れているのか潜んでいるのか、五、六匹のグリースマウスのアンデットが連日、発見され、何の罪もない住民が被害に遭って居る。貧民街にもとから立ち込めている酷い臭いが獣人族や従魔たちの鼻を鈍くして、マウスの死体を発見できないケースが多いようだった。
 だが、皆が頭を抱える事件が起きたのは、貧民街でウィルフレッド達に会った翌朝のことだった。
 青の3地区にあったクルィークの倉庫が忽然と姿を消したのだ。真尋がしようとしていた通り、更地になってしまったのだ。それもたった一晩の間に。
 真尋は、ウィルフレッド達に会った日、貧民街から屋敷に直帰し、とある魔道具を作った。
真尋の十八番である小鳥の魔道具だ。
映像と音声を転送する術式紋を内部に仕込んだ小鳥の魔道具を真尋はこれまでの小鳥のデータと照らし合わせて作り上げた。性能的に言えば所謂、監視カメラに近い。また隠蔽スキルの擬態を使って、今までの紙の小鳥では無く、ブランレトゥの町にいる青や緑の小鳥の姿形を真似た。見た目、手触り、鳴き声、動き、全てが本物と同じだと言って良い。これを真尋は、五羽作った。
そしてもう一つ、受信機の役目をする魔道具は魔石を削って、術式紋を刻み込んだイヤホンタイプのもので、真尋はこの三日、それをずっと左耳につけっぱなしにしている。
五羽、放った内、一羽は当日の内に中に入れたらしいのだが、その日の真夜中には何者かに見つかって消されてしまった。残りの四羽が今も倉庫周辺を探り続けている。
 壊されてしまった小鳥から送られて来た映像は真っ暗で、音声は雨の音しか聞こえてこなかった。辛うじて消される直前、ドアか何かの開く音が聞こえて手に持ったランプが見えたが向こうの手のひらが迫ったかと思えば、魔道具は駄目になっていた。おそらく、握りつぶされたのだ。
 そして、翌朝にはクルィークの倉庫は、何一つ残さず消え去り、今は空き地が残るのみだ。
 真尋がずっと監視していた中で建物が壊れる様な音は何一つ聞こえてこなかった。あの日は雨が降り空は厚い雲に覆われて月の光が無かったから、小鳥たちが送って来る映像は真っ暗だった。改良版には暗視カメラ的な機能を付けようと心に決めた
 そんな訳でこの三日、真尋達だけでは無く騎士団もお手上げ状態だった。第二小隊が町中を見回りながら痕跡を辿ろうとしているが、何一つ見つからない。クロードに問い合わせたが、青の3地区にクルィークの倉庫があったという書類が全て消えていて、クロード達も頸を傾げるばかりだった。どうやら何者かが商業ギルドに忍び込んで、書類を盗み出したようだ。これではいくらクルィークに行こうとも「無いものは、無い」と言われてしまえばそれまでだ。しかも倉庫のあった場所は、第二小隊から奪った仕事を託されている第一小隊が行っているため、第二小隊どころかウィルフレッド派の騎士たちは近づくことも許されていない。
 ため息を零して、ミアの頭を撫でる。真尋の手にすっぽり収まる小さな頭だ。

「ん……しんぷさま?」

 寝ぼけて輪郭がぼんやりした声が名前を呼んで、真尋は小さく笑って起き上がったミアを抱き上げた。ミアは大人しく真尋の膝に収まる。ぎゅうと抱き締めれば、ミアもぎゅうと抱き着いて来る。しばらくそうやっていれば、だんだんと目と頭が醒めて来たのか、ミアが顔を上げる。

「神父さま、いつ帰って来たの?」

「今さっきだ。ミアとお昼ご飯を食べようと思ってな」

 ミアは、その言葉にノアを振り返った。
 ノアは、ずっと眠り続けたままだった。まだ一度も目を覚ましていない。熱は微熱と高熱の間を行き来し、壊死した左脚は切除することも出来ないままだ。

「……もうちょっとだけノアのとこにいたいの、だめ?」

 真尋は、ふっと表情を緩めてミアの額にキスを落とす。

「午後は屋敷に居るから、昼飯はゆっくりでも構わない。俺もここに居るよ」

 ミアがほんの僅かに笑って真尋にぎゅうと抱き着くと真尋の膝に乗ったままノアの方へと顔を向けた。

「神父さん、ならすみませんが、ちょいと治療院に行って来てもいいですか? 薬を届けに行きたいのですが」

「ああ、構わん。どれくらいで戻る?」

「二時間ほどで、用事が済めばもっと早く戻ります」

「分かった。すまないな、ロイス。なかなか代わってやれず」

 ロイスは、いえ、と首を横に振って立ち上がり、作り立ての薬を鞄にしまって行く。

「神父さんが我が町の為に動いて下さっていることはアルトゥロ先生から聞いておりますから。では、行ってまいります」

「ああ。気を付けて、そうだ、エディに送らせよう」

 真尋は、伝言用の小鳥を取り出して魔力を注ぎ、起動させる。
 そして、エドワードに向けてロイスを送るようにと伝言を注ぎ込めば、小鳥は紙の翼をはためかせて飛び立った。ドアの僅かな隙間になると紙という特性を生かしてすり抜けていく。

「もしやそれがアルトゥロ先生の言っていた、例の魔道具ですか?」

「ああ。これはかなり簡易式のものだ。エドワードという名前の人間で、もっとも近い場所にいる者のところに飛んでいくようになっている。だから、相手が遠くに居る場合は使えん。今のところ、屋敷の中にはエドワードはあいつ一人だからいいが、もし、二人になるとそれぞれの髪を少し分けて貰って魔力を登録しなければお目当ての人物には届かないがな」

「神父さんは、本当に魔導師として素晴らしい才能をお持ちなんですね。そういえば、商業ギルマスのクロード殿とも親しいとか。彼は王都では名の知れた魔術師なのですよ」

「ああ。彼の研究は実に素晴らしい。この一件が落ち着いたら、二人で闇系統の空間魔法を用いた術式紋を使用する通信魔法について研究を始めるつもりだ」

「ほぉお、それはそれは! 我が魔導院長が聞いたら押し掛けそうですなぁ」

 真尋は、ミアの頭を撫でながら、やめてくれ、と首を竦めた。

「……時々、彼女が俺を見る目が怪しいんだ。まるで獲物を目の前にした獣のようで」

 ロイスがそっと目を逸らす。

「……エルフ族やドワーフ族は長命のためか、権力や金には興味を示しませんが、自分が好ましいと思ったものに対しての執着が凄いのです。院長の場合は、美しい顔、可愛い顔、そして……骨です。特に骨が大好きで、極度の骨愛好家なんです」

「初対面の時、骨にするのは勿体無いと言われた」

「……私は研修術師時代に手術の助手として初めて会ったんですが、術後、「お前の手は美しいな! もし切断するようなことが有ったら私にくれ! お前の手の骨を標本にして飾りたい!」と言われました。あと気に入った顔は、石膏で型を取って石膏像を……コレクションしてます」

「……屋敷への出入りを禁止しようか」

 アルトゥロがあんなにも必死だったのが分かってしまったような気がして、真尋は癒しを求めてミアを抱き締めた。
 その時、コンコンとノックの音が聞こえて真尋は顔を上げる。

「どうした?」

 顔を出したのは、困り顔の一路だった。一路がちょいちょいと手招きをしてくる。
 真尋はミアの頭を撫でて膝から降ろして立ち上がり、一路の元へと駆け寄った。

「……来ちゃったよ」

「何が?」

「……パーヴェル・リヨンズ。今、開門を待ってる」

 真尋はその言葉に目を瞬かせ、窓辺へと駆け寄りカーテンを開けて外を見る。ロイスと一路もやって来て、外を覗き込んだ。
 広い庭の先、門の前に二台の馬車が停まっている。先頭の馬車は二頭立ての立派な馬車だ。もう一台は一頭立てだが品のある装飾が施されている。

「あれは、騎士団の馬車ですね。後ろのは……あ、ナルキーサス殿の馬車です。魔導院長専用の馬車ですから間違いありません」

 ロイスが言った。

「何でナルキーサス殿と蛆虫が一緒に? 何の用だ?」

「僕が知る訳ないでしょ。あと本人の前で絶対に蛆虫とか言わないでよね?」

 一路に足を踏まれた。痛い、と一路を睨んだが親友はどこ吹く風だ。

「リックさんが運悪く、本部で会っちゃったんだって。それで殴られたらしくて、ほっぺが可哀想なことになってる」

「何で俺の足を踏んだまま言うんだ」

「でなきゃ君が何するか分かんないでしょうが。で、どうする?」

 この親友の中で真尋の評価はどうなっているんだ、と眉を寄せながらも窓の外を振り返る。

「……クレアに紅茶の仕度をするように伝えてくれ。子供たちをここの隣の部屋に。隣の部屋は防音の魔法がかけてあるから、騒いでも平気だからな。ティナとローサ、プリシラとソニアもだ。クレアも支度が終わったらそちらに。ルーカスは?」

「温室にいるよ。サンドロさんは、夕飯の仕込みをしてる。そういえばまたジルコンさんが来て、子どもたちと遊んでるけど……」

 ノアを見つけた日に用があって真尋の屋敷へ向かって居たと言っていたジルコンだが、朝飯を食ったあといつの間にか帰宅していて、何の用だったのかはまだ聞けていなかった。自由な爺さんの考えることは真尋にも分からない。

「全員に隣の部屋に居るように言ってくれ」

「エディさんは?」

「あれは騎士団のこととなれば大人しくはしていないだろう。部屋の入口にでも置いておく」

「りょーかい」

 一路が、くすりと笑って頷き、ミアに声を掛けて頭を撫でてから部屋を出て行った。

「と、言う訳だ。ロイス、ミアとノアを頼む」

「リヨンズは、あまりいい噂を聞かない男です。お気をつけて」

「ああ。分かっているとも。……ミア、すまない。客が来たから行って来るな」

 真尋はベッドへと戻り、ミアに声を掛けた。ミアは、こくりと頷いてくれたがどことなく寂しそうで、いっそ一路だけでも対応できるのでは、と真尋が思いかけた時、ドアが開く。

「真尋くん、早くね」

 剣呑な目をした一路が顔を出して、真尋は渋々ミアから離れた。我が親友は、真尋のことを本当によく分かっておいでだ。

「行って来る」

 苦笑するロイスと寂しそうに手を振るミアに見送られて、真尋は時が来たらリヨンズをしばこうと胸に決めて部屋を後にしたのだった。







 昼寝をしていた子供たちを移動させるのに少し手間取って、客間へと行くのが遅れた。
 急きょ、客間として誂えられたのは一階のエントランスの近くにある応接間だ。

「マヒロさん、イチロ、神父服の方がよろしいかと」

 ドアの前に立って居たエドワードに言われて真尋と一路はお互いの格好を見下ろす。今日は自分も一路もシャツにズボンというラフな格好だったのを忘れていた。すぐに神父服に着替えて身形を整える。
 エドワードが頷き、ドアを開ける。

「マヒロ神父殿、イチロ神父殿、入ります」

「申し訳ありません、お待たせいたしました」

 真尋は中へと入り、軽く頭を下げた。
 応接間には、三人掛けのソファとその向かいに二人掛けのソファが置かれていた。いつもリビングで使われていたものだ。ソファとソファの間にはローテーブルが有り、紅茶がきちんと出されていた。部屋の隅にクレアとリックが控えている。リックの頬は、一路の言う通り腫れていて唇の端を切ったのか血が滲んでいる。リックはマヒロと目が合うと申し訳なさそうに目を伏せた。
 三人掛けのソファのど真ん中に偉そうにふんぞり返っている錆色の髪に濃い灰色の瞳の男が座っていた。年は四十代後半かそれ以上かといった具合だろう。彼の後ろには、見知らぬ騎士の男が二人、控えている。向かいの二人掛けのソファにはナルキーサスが腰掛けていた。

「……ほう、お前が似非神父か。思ったより若いな」

「真尋くん、分かるね、静かに、落ち着いて、穏やかに、子どもたちのためにね、穏便に」

 見知らぬ男が口を開くと同時に一路が真顔で真尋を見上げて小声で言った。真尋は、子どもたちのためと言われては仕方なしと思い、分かったと頷いた。男は、一路に話を遮られたのが気にくわなかったのか、その眉間に皺を寄せてこちらを睨んでくるが、真尋は、営業スマイルを浮かべて対応しようと思考を切りかえた。父や母に連れられて訪れた社交界で培った鉄壁の仮面だ。ただ営業スマイルを浮かべた瞬間、リックと彼の隣に移動したエドワードが頬を引き攣らせたが。

「初めまして、私は真尋と申します。ティーンクトゥス教の神父として、見習い神父の一路と共にブランレトゥにやって参りました」

 ティーンクトゥスという部分を強調して言ったのだが、男は鼻で笑って組んでいた足の左右を入れ替えた。

「君の肩書などどうでもいい。とりあえず、座り給え」

 ナルキーサスの隣を手で示してリヨンズが言った。真尋は、ありがとうございます、と営業スマイルのままナルキーサスの隣に腰掛けた。クレアがすぐにお茶の仕度をしてくれた。一路は真尋の横に控えた。

「クレア、下がっていなさい。大事な話だからね」

 真尋の言葉にクレアが部屋を出て行く。
 ドアが閉まる音を最後に部屋の中に雨の音が響くほど静まり返った。

「そこの、」

 火ぶたを切ったのは、名乗りもしない愚か者のリヨンズだった。
 リヨンズは、濃い灰色の瞳を意地悪く細めて壁際にエドワードと並んで控えるリックに向けた。

「平民騎士が上官である私を通さず、恐れ多くも団長閣下へ直接この報告書を提出しようとしていてね」

 ばさりとテーブルの上に投げ出されたのは、今朝、真尋がリックに持たせた魔獣を運び入れた場所に関する報告書だ。

「リヨンズ殿、まずは名を名乗るのが礼儀ではないか?」

 ナルキーサスが冷たく言った。

「これはこれは、失敬。コシュマール子爵夫人。ですが私は生憎と平民風情に名乗る様な安い名は持っておりませんので」

 ナルキーサスの眉が僅かに引くついた。

「ナルキーサス殿、お気になさらず。……それで、この報告書がどうかしましたか?」

 真尋は笑みを崩さず、報告書に顔を向けた。
 表紙には「貧民街緊急クエスト負傷者に関する報告書」と書かれている。書いた者を示すサインには、一路の名が有る。真尋が書いた中身には隠蔽が掛けてあるため、真尋が許可した者でなければ、本当の中身を閲覧することは出来ないので、リヨンズには見られない。リヨンズが見たのは、アンデット討伐で負傷した者に関するありきたりな報告書だ。

「その報告書は、僕が書いたものです。見習いですが治癒魔法は得意ですので微力ながらお手伝いをさせて頂きましたので、その報告を」

 一路が卒なく答える。
 リヨンズは膝の上で手を組んでソファに沈む様に寄り掛かる。その野心で淀んだ目が値踏みをするように真尋と一路に向けられる。

「……王都では稼げなくなったか?」

 リヨンズが言った。

「どういう意味でしょう?」

「君のような若造では、王都の教会では上が邪魔で稼げないのだろう。それでこんな辺境へとやって来て、死の痣、インサニアなどと嘯いて、お得意の幻術で荒稼ぎをしようという魂胆なのだろう?」

 真尋は笑顔を崩さない。
 だが、紅茶を飲んで居たナルキーサスがその手を止めてカップをソーサーに戻す。

「何故、中隊長のリヨンズ殿がそのことを知っている。このことは、限られた人間にしか知らせていない筈だ。報告会議の折、貴殿はそこには居なかったろう」

 ナルキーサスが黄色の瞳を鋭く細めた。リヨンズは、その鋭さもどこ吹く風と言った様子で口端に嘲笑を張り付ける。

「我が騎士団の団長殿は、まだまだ若い。若さゆえの未熟さは致し方ないことだが、悪しき者に騙されない様に守ってやるのも年配者の役目だろう?」

 つまりその報告会議に内通者がいたか、どうにかして盗み聞きをしていたか、ということか。

「インサニアはもうここ二百年存在を確認されていない。まして、このような町中で発生したことはアーテル王国の歴史上これまで一度も無い。王都で暴利を貪ることだけでは、空腹が収まらなかったかね? こんな辺境まで来て、お得意の祈祷や幻術でも披露しに来たのか? 死の痣もどうせ偽物だろう?」

「中隊長殿は、私が孤児たちに偽の痣を作り、それを治すことで有名になろうとしているとおっしゃりたいのでしょうか?」

 真尋はにこりと微笑んだまま、首を傾げてみせた。リヨンズは、口端を吊り上げて鷹揚に頷いた。

「死んだところで何の問題も無い孤児を選んでいるところに、お前の狡猾さを私は感じるよ」

 真尋は膝の上で握りしめていた右手を左手でぐっと抑え込む。そうでもしなければ、今すぐにリヨンズをぶん殴ってしまいそうだ。

「インサニアが発現したという証拠はあるのかね? 何ならその孤児をここへ連れてきたまえ、死の痣とやらを是非、見てみたい」

「死の痣は既に治療済みですし、インサニアは消えてしまって跡形も残っておりません。インサニアは、邪悪で凶悪でありながらもとても儚いものです」

「証拠が無ければ、それは虚偽と見なすが?」

「中隊長殿、孤児を保護したのは私です。死の痣もしかとこの目で確認しました。マヒロ神父殿がその孤児たちを利用してないということは、オウレット家の名にかけて、私が証言いたします」

 エドワードが何かを言おうとしたリックを腕で制して言った。

「貧乏だけが取り柄の男爵家の三男坊の家名にかけられても何の価値もありはしないぞ、エドワード・オウレット。無論、隣の平民騎士の言うことは尚更、信憑性は無いがな。それに碌に数字も数えられん貧民街の奴らの証言などあてにならん。その孤児とやらもその詐欺師風情の似非神父に金でも貰ったんじゃないのか?」

 リックが悔しそうに拳を握りしめた。エドワードのスカイブルーの瞳が鋭く細められる。
 ベッドに横たわるノアの姿が、寄り添うミアの姿が、ノアを助けてくれと大嫌いな大人に懇願したサヴィラの姿が脳裏を過ぎった。

「コシュマール子爵夫人は相変わらず物珍しいものがお好きなようであるし、この似非神父のパトロンにでもなるおつもりかな?」

「少し、御冗談が過ぎますぞ、リヨンズ殿」

 ナルキーサスが冷たく吐き捨てた。
 リヨンズは、くつくつと喉を鳴らして笑う。
 真尋は、煮えくり返る腸を鎮めるために一度、大きく息を吸ってゆっくりと息を吐きだした。

「中隊長殿、貧民街の住人たちの証言とは何ですか?」

 その濃い灰色の瞳を見据える。

「貧民街の住人は、誰一人としてインサニアも死の痣も目撃していない筈です」

「そういえば、そうだな。私も報告会議で住人の証言などという話はしてもいないし、聞いても居ない」

 ナルキーサスが訝しむように眉を寄せる。
 リヨンズの瞬きが回数を増し、腕を組んだ。

「貴方の言う、貧民街の住人の証言とは何でしょう? 青の3地区の忽然と消えたクルィークの倉庫のお話でしょうか? それとも……夜中の南門のお話でしょうか?」

 一つ一つの言葉に対する反応を探るように真尋はリヨンズをじっと見つめる。

「……貴方は、ここに、私に何を確認しに来たのですか?」

 リヨンズの唇から笑みが消える。

「死の痣を本当に消せたのかどうか、確認して来いとでも言われましたか?」

 真尋を睨み付ける目が一瞬、揺らいだ。

「それとも、」

 銀に蒼の混じる双眸に緩い弧を描いで真尋は小首を傾げた。

「自分が選んだはずの道が怖くなって、助けを求めに来ましたか?」

「詐欺師が私に生意気な口を利くなっ!」

 投げつけられたティーカップがこめかみに当たった。テーブルの上に落ちたカップが砕けで甲高い音が響く。

「真尋くん!」

「神父殿!」

「マヒロさん!

 真尋はこめかみに手を伸ばす。ぬるりとしたそれが指先を汚す。動こうとしたエドワードとリックを目で制して、リヨンズに一気に怒気を膨れ上がらせた一路の腕を掴んで制する。

「リヨンズ殿! 平民に騎士である貴方が手を出すなど問題だぞ!」

 ナルキーサスが真尋の額にハンカチを当てながら声を荒げてリヨンズに抗議する。リヨンズは、薄らと笑いながらそれが何だと肩を竦める。

「たかが平民風情の詐欺師紛いが騎士であり、伯爵家の人間である私に無礼を働いたのだ! 剣を抜かなかっただけ有難く思うが良い!」

「中隊長、彼は詐欺師などでは無い。孤児の治療に共に当たったイチロ殿も素晴らしい魔法の腕と教養をお持ちだ。それにマヒロ神父殿は、私に孤児の体にあった死の痣も、その治癒も見せてくれた。あれは間違いなく幻術魔法で生み出されたものではない。魔法であれば私には分かる」

「ならば、それを私にも見せろと言っておるのだ」

 ナルキーサスが真尋を振り返った。

「……インサニアは、永遠には残らぬ儚いものです」

 ナルキーサスが、クソッと舌打ちをした。

「団長殿もこそこそとこのような詐欺師風情と何を企んでおられるやら。王都のように乗っ取られてからでは遅いと言うのに。……やはり今日中に冒険者ギルドには、貧民街からの撤退を命令する」

「何故です」

「野蛮人の集まりである冒険者ギルドもクラージュ騎士団も貴殿の虚言に良いように踊らされているに過ぎない、と我々は判断したからだ」

 リヨンズが嘲笑う様に言った。
 エドワードとリックがこちらにやって来る。

「中隊長、我々騎士団と同様にマヒロ神父殿はこの町の為に尽力してくださっています。それに貧民街は、今、アンデット被害で大勢の住民たちが苦しんでいます。彼らの為に動いてくれている冒険者と治癒術師を今、撤退させるわけにはいきません」

「中隊長、お言葉ですが、私もエドワード三級騎士も、クラージュ騎士団、ウィルフレッド・アルゲンテウス団長が信を置くジョシュア殿やレイ殿、ここにおられるナルキーサス殿もグリースマウスの変死体とアンデットを確認しています。それに今、貧民街で冒険者の皆さんが被害の拡大を防いでくれているのです。死者が出ていないのは、彼らの」

「黙れ!! 誰に口を利いているんだ!! 貧民街のゴミ共が死んだところで、この町の膿が綺麗に掃除されるだけだ!! 卑しい平民騎士風情が舐めた口を利くな!!」

 リヨンズが怒鳴り散らして立ち上がるとリックの胸倉を掴んで拳を振り上げた。リックが歯を食いしばるがその拳が降り下ろされることは無かった。その代わりにリヨンズが吹っ飛んだ。彼の後ろに控えていた騎士が慌てて暖炉に突っ込んだリヨンズに掛けよる。
 真尋と一路は思わず顔を見合わせた、ナルキーサスが「おやまあ」と呟く声がやけにはっきりと聞こえた。
 エドワードがリヨンズを殴ったのだ。殴られたリヨンズは、予想外の事だったのか煤だらけの暖炉の中で尻餅をついた状態でエドワードを見上げた。エドワードのスカイブルーの瞳は怒りに満ち溢れている。

「アルゲンテウス領の大地に生きる領民全てを護るのが騎士の役目だ! 爵位を振り翳し、領民の為に尽力する者を見下すとは貴様こそリヨンズ伯爵家の恥さらしだ!! 騎士に上下の規律はあれど、そこに貴賤の差は無し! 貴様はそんなことも忘れたのか!!」

 エドワードがリヨンズを怒鳴りつけた。
 庇われたリックですら呆然とエドワードを見つめている。ナルキーサスが、ひゅーと口笛を鳴らした。
 リヨンズの顔が徐々に赤く染まっていく。怒りに震えはじめたリヨンズに、エドワードは逆に我を取り戻していき、その顔に「あ、やべえ」という心の声が浮かび上がって来る。リヨンズが、騎士たちの手を借りてゆっくりと立ち上がる。

「……貴様らは、今、この瞬間をもって、クラージュ騎士団から除名する!! オウレット家には抗議の文を出しておくからな!! 覚悟しろ!!」

「お、お待ちください!」

「中隊長!」

 歯をむき出しにして怒りを顕わにしたリヨンズは、エドワードとリックにそう言い渡し、どかどかと大股で部屋を出て行き、誰にも見送られずに家を出て行った。二人の騎士が慌ててその背を追いかけて行く。
 しんと静まり返ったリビングで、皆の視線がエドワードに向けられ、エドワードはゆっくりと相棒のリックを振り返った。

「リ、リック、すまない……その、お前が騎士として苦労していたのを知っていたのに……」

 顔を青くするエドワードにリックは、軽く笑って首を横に振った。

「お前がリヨンズを殴ったのは、騎士としては不適切だ。あんな糞でも一応上官だからな。だが、友人としてはとても誇らしく、嬉しいよ。私の為に怒ってくれて、ありがとう」

「リ、リック!! ううっ、すまん!!」

 エドワードがしょげた犬のように眉を下げてリックに抱き着いた。リックは、相変わらず気が短いな、と笑いながらエドワードを受け止めた。
 ナルキーサスが、青春だなぁ、としみじみと呟いた。

「エドワード、お前は俺の所で忍耐というものを学んでいる筈なんだがなぁ。これは俺の監督不行き届きでカロリーナ小隊長殿に合わせる顔が無い。だが、」

 真尋の言葉にリックに抱き着くエドワードが顔を上げる。

「胸がスカッとしたからいいんじゃないか?」

 くくっと喉を鳴らして笑う。

「何だったら、俺の宿屋を手伝ってもいいぞ」

 過分に笑いを含んだ声が聞こえて振り返れば、サンドロが顔を出した。エドワードは何だか情けないような困ったような顔をした。それを見てくすくすと笑っていた一路が、はっと我に返ると真尋を振り返る。

「あ、そうだ! 真尋くん、怪我! 今すぐに治癒魔法を……」

「待て、一路。手当はナルキーサス殿にしていただく」

 慌てたように真尋のこめかみの傷に手を伸ばした一路を制する。

「ははっ、それがいい。しっかりと治療記録に事の詳細を書いておこう。傷痕が気になるようであれば、見習い君が後で治癒してやると良い」

 真尋の考えを察したナルキーサスが楽しそうに笑って、騎士二人を振り返る。

「二人も安心しろ、夫に言っておいてやる。事が落ち着くまではここで神父殿の手足となれ」

「コシュマール殿!」

「よろしいのですか!?」

 エドワードとリックの表情が輝く。真尋と一路が首を傾げる。サンドロは、得心がいったように頷いていた。

「知っているかもしれんが私の夫は、閣下からの信頼も厚いクラージュ騎士団、団長付きの筆頭事務官なのだよ。私の夫はそれはそれは優秀で、毎日、書類仕事から逃げる団長閣下の尻を叩いては団長殿に仕事をさせるのが得意なんだ。だからあれも私に嫌味は言えても文句は言えん。所詮は小物さ」

 傷口を診ていたナルキーサスの手が真尋の額に当てられて、ナルキーサスが呪文を唱える。じわりと温かなものを感じた。一路が一度、どこかに行ったかと思えば濡らした手ぬぐいを持って来てくれた。礼を言ってそれを受け取り、顔や手に着いた血を拭う。

「それにしても、私のコレクションに加えたい神父殿の芸術とも言えるこの麗しい顔に傷をつけるとは……万死に値するな」

 ナルキーサスがぼそりと呟いた言葉には聞こえなかったふりをして、真尋は顔を上げる。

「さて、これからどうしたものかな……」

「僕、貧民街の様子を見て来るよ。真尋くんは、子どもたちのこともあるし、何されるか分からないから屋敷に居て」

「ああ、分かった。気を付けろよ。エドワード、リック。ロイスを治療院に送ってもらえるか? ん? ナルキーサス殿はどうする?」

「私は今晩は、此方に泊まるよ。ロイスと交代しに来たんだ。ここの方があれこれと呼び出されない分、気が楽でね。それにノアのことも気になるし、あのサヴィラという少年の経過もな」

 ナルキーサスは指を振って飛び散ったカップの破片を片付けながら言った。

「そうか。それは心強い。ああ、その前に、リック、おいで」

 リックが首を傾げながらこちらにやって来る。真尋は彼の頬に手を伸ばして、治癒呪文を唱えた。

「全く、人の友人に何をするやら」

「ありがとうございます」

「……神父殿、言い忘れていたが外で完璧に傷を治すのは控えたほうが良いぞ?」

 ナルキーサスが言った。

「普通、傷は完全には治せん。神父殿と見習い君の治癒魔法は我々と根源が違うから治癒力を損なうことは無いだろうが……あまりに強い力は狙われるからな」

「ふむ、そうか。完璧に治せるものだと思って居た。これからは気を付けよう。リック、湿布でも貼って誤魔化しておけ」

 リックが、苦笑交じりに「分かりました」と頷いて、エドワードと共に行ってまいりますと部屋を出て行く。

「じゃあ、真尋くん、僕も行ってくるね」

 一路がひらりと手を振って、騎士二人に続いて部屋を出て行く。

「マヒロ、俺がギルドに行ってアンナに事情を話してくるよ」

「なら、一筆書くから待ってくれ。ナルキーサス殿も、上に行こう」

「そうだな。全く、来る途中であんな蛆虫に捕まるとは運が無い、ん? どうした?」

 ナルキーサスは不愉快そうに顔を顰め、突然、立ち上がって暖炉に向かって歩いて行く真尋に首を傾げた。
 真尋は煤だらけで真っ黒な暖炉の隅へと手を伸ばす。

「全く、人の家にこのようなものをわざわざ置いて行くとは、蛆虫はこれだから性質が悪い」

 真尋は白手袋を手に嵌めて、それを拾い上げた。
 サンドロとナルキーサスが目を見開く。
 真尋の指先には、三センチほどの魔石があった。それは禍々しい黒い霧を帯びていて見たことも無い程の濃い黒に染まっている。

「恐らく、これを放り込んで来いと言われたのだろう。向こうが俺の力量を知りたがっているんだ。ナルキーサス殿、何か小瓶はあるか、これが入る位の」

 じっと魔石を凝視していたがはっと我に返るとソファの脇に置いてあった鞄を漁って、中からコルク栓の手の平に収まるほどの小さなガラス瓶を取り出した。
 真尋はナルキーサスが差し出した小瓶にその黒い石を入れて漏れ出ない様に光の封印魔法を掛ける。

「インサニアの核か、それとも闇の禁術か魔術か。どのみち人の家に放り投げて良い様なものではないだろうな。サンドロ、一路はまだ屋敷を出ていない筈だ捕まえて来てくれ。貧民街にこれが投げ込まれたらことだ」

 サンドロが慌てて部屋を出て行く。野太い声が一路を呼ぶのが聞こえて来る。

「……よく、気付いたな」

 ナルキーサスが瓶の中身を覗き込みながら言った。

「気付いているだろうが、屋敷にはありとあらゆる守護魔法を実験がてら掛けてある。こういう異物が入り込むと分かるようになっているんだ。あれが入って来た時には、気付かなかったと言うことはこういう風に何かに封じられていたのをリヨンズが持ち込んだのだろう」

 もう少し感知の精度を上げないとな、と真尋は呟いて瓶をアイテムボックスにしまった。

「神父殿とはことが落ち着いたら是非とも魔導具や魔法について話をしたいものだよ」

「……石膏像にだけはならんからな」

 振り返ったナルキーサスは、その言葉に黄色い瞳をぱちりと瞬かせた後、ニィと意地悪な猫のように嗤ったのだった。









「リヨンズが? 神父殿の所に?」

 団長室のデスクの上に積み上げられた書類の塔と塔の間で書類と戦って居たウィルフレッドは、思わず聞き返した。ウィルフレッドの右斜め後ろでウィルフレッドを監視、ではなく、見守っていた筆頭事務官のレベリオ・コシュマールも片眼鏡の向こうでぱちりと目を瞬かせた。
 カロリーナは、はい、と疲れ切った様子で頷いて、何やら報告書の束を差し出してきた。ウィルフレッドはそれを受け取り、中身を捲って表情を引き締める。生きた魔獣を運び入れた場所に関する真尋からの報告書だった。今日明日中にとは貧民街で顔を合わせた日に言われたが、まさかあの翌朝に倉庫が消えてしまうとは思わず、これも遅れていたのだ。

「……南門、か」

 ウィルフレッドは、額を抑えてため息を吐き出した。
 報告書に書かれていたことは、騎士団にとっては恥ずべき事案だった。
 南門の騎士の一部が、リヨンズに買収され、彼らは自分たちの勤務時間を調整し、夜中に門を開けてクルィークの狩人たちを中に入れていたのだ。
 南門は墓地へと向かう時にしか普段は使わない。夜中には騎士以外は人もいなくなるような場所にある。ここからなら青の3地区の倉庫街は目と鼻の先だし、アンデットに会うかもしれないという危険を冒してまで夜中に南門から出入りしようとする馬鹿は居ない。クルィークはそこを利用したのだ。

「……日時も時間帯も全て調べ上げてある……ん? この捜査に最も尽力したのは、南門の門番を命じられて尚、制服を着続けたアビエル騎士である。よってアビエル二級騎士を本部勤務に戻すよう検討を?……神父殿は人たらしだなぁ。リオ、このアビエルとかいう騎士について調べておいてくれ」

 ウィルフレッドは、レベリオにその報告書を渡しながらぼやいた。

「それで、カロリーナ、リヨンズが何故、神父殿の所に?」

「リックがその報告書を団長のもとへ届けに来た折、運悪く、見つかってしまったようです。それでリヨンズは屋敷に。途中でナルキーサス殿も巻き込んで二人に無礼を働いたようです。ですが、問題はうちの馬鹿がリヨンズを殴ったことで……っ」

 カロリーナが拳を握りしめて肩を震わせる。怒りに吊り上がった相貌にウィルフレッドとレベリオは、頬を引き攣らせた。

「神父殿が仰ることには、あの馬鹿はリックを庇ってリヨンズを殴ったらしいのですが、その場で除籍を言い渡され、事務局に確認したところ、エドワードの馬鹿とリックの二名が本日をもって、騎士団から確かに除籍されておりました。ったく、あの馬鹿は! あれほど忍耐力と言う者を培えと日ごろから言い続けていたというのにっ!!」

 怒りのあまり魔力が滲んでチロチロと彼女の周りで火花が散った。レベリオが、さりげなく書類に火が燃え移らない様に水のベールを張った。

「……ま、まあ、落ち着け、カロリーナ」

「落ち着いて居られますか!! 神父殿は、私の顔に泥を塗ってしまったとお詫びの言葉まで下さって! 私の方こそ神父殿に恥をかかせてしまったとお詫びするべきだと言うのに!! リックは殴られても耐えきったと言うのに、どうしてあの馬鹿はそれが出来ないのか!!」

 火の粉が熱いなと思いながら、ウィルフレッドは窓の外へと視線を向けた。既に町は薄暗く夕暮時だ。雨が降っているから太陽が顔を出さず夜が来るのが早い。

「……それでリヨンズは神父殿にどんな無礼を?」

「詐欺師風情と罵り、インサニアを虚偽、死の痣を金もうけのための狂言などと抜かし、最後には神父殿にティーカップを投げつけて怪我をさせたと報告を受けております。ただ今、ガストンとジェンヌを向かわせて事実確認をしている最中です」

 さっと思考を切り替えたカロリーナが言った。でもまだちょっと火花がチロチロしている。

「……ん? ならお前はどこからその報告を受けたんだ? リックとエディは除籍されたならここに入れんだろう?」

「治療院のロイス魔導師が教えてくださいました。ロイス魔導師は、ノアの看病をしていたそうでこちらに戻るついでにナルキーサス殿が書いて下さった報告書を」

「その報告書は?」

 カロリーナがそっと視線を逸らせた。

「申し訳ありません、読んでいる内に怒りのあまり滲んだ魔力に引火して燃えてしまって……」

 この上司にしてあの部下ありだな、と思ったがウィルフレッドは、懸命にも口には出さなかった。

「まあ、そうか。そういうこともあるだろう。ガスとジムの報告書は燃やさず、提出するように。リオ、明日で良いからリヨンズの所に行って話を聞いて来てくれ。あの馬鹿は何をしに神父殿のところ、に、おっと」

 ふわりと雨を纏った風が吹き込んで、書類が飛びそうになり、慌てて抑える。

「多分、言われたんでしょう、死神に。インサニアを消した神父の実力を確かめて来いと」

 暢気な声が聞こえて振り返れば、窓枠に優雅に腰掛ける神父殿がいた。
 ウィルフレッドは上げそうになった悲鳴を両手で口を押えてぐっと飲み込んだ。カロリーナもレベリオも同じように両手で口を押えて固まっている。
 雨降る町をバックにマヒロが長い足を組んで窓枠に腰掛けていた。
 ウィルフレッドの記憶が間違いでなければ、ここは最上階の十階で神父が来たと言う連絡はどこからも来ていない。

「し、神父殿?」

「閣下、この様なところから失礼いたします」

 マヒロは窓枠から降りると優雅に一礼してみせた。

「ど、どうやって?」

「正面から堂々と入って参りましたよ。小鳥に探らせましたらここに閣下のお姿が見えましたので、飛んできました」

 八割方理解できなかった。
 見えたってなんだろう。飛んで来たってなんだろう。

「まあ、うん、だってマヒロだからな。細かいことは気にしてはいけない、うん、だってマヒロだから」

 ウィルフレッドは思考を放棄した。
 マヒロは、ふっと肩を竦めるとこちらにやって来て、どこからともなく取り出した小瓶をデスクの上においた。中には真っ黒に染まった魔石と思われるものが転がっている。

「これ、は?」

「リヨンズが我が屋敷の暖炉に投げ入れていったものです。すぐに気づいて回収しましたので、当家に害はないですが。一応、ご報告をと思いまして。それとナルキーサス殿が報告書に「リヨンズが冒険者ギルドの発令した緊急クエストを撤回させようとしている」という旨を書き忘れたと言うので報告に参りました」

「リヨンズが緊急クエストを?」

「私の指図でギルドと騎士団が動いているのが、どうにも気に入らないようですね。まあそんなのは建前でしょう。ここへ来る前にギルドによってアンナに確認してきましたが、騎士団から撤退命令は出ていないと言って居ましたし」

「それはそうだ。冒険者ギルドで出した緊急クエストを撤回できるのは、アンナと私と領主だけだ。リヨンズが幾ら騒いだところでどうにもならん」

「それはようございました」

 マヒロがにこりと笑った。
 瞬間、胃と心臓がきゅっとなった。レベリオはウィルフレッドを盾にするし、カロリーナはデスクの影に隠れた。
 多分、ウィルフレッドの勘違いでなければ、この麗しい神父殿はとても非常に酷く心から本当に、怒っている。
 マヒロが、両手を、ダンッとデスクに着いた。書類の塔がばさばさと崩れる。

「この黒い魔石は今夜中に解析しておきます。それと、領主殿が戻られてリヨンズを捕縛する際は是非とも私を呼んでください。尋問も担当致しますし、何なら拷問も請け負います。ああ、安心してください。リヨンズにはパパやママに言いつける気なんか起こさせませんから。この俺が責任を持って吐くものが無くなって胃液だけになっても、あいつの握る情報すべて吐かせてみせますから」

 完璧な笑顔で物騒な言葉を吐きだしたマヒロは、小瓶を懐に戻して体を起こす。

「エドワードとリックは引き続き、俺が面倒を見ますのでご安心を。それでは、報告は以上です、失礼」

 言うが早いかマヒロは現れた窓から出て行った。
 静まり返った部屋の中に雨の音が響く。

「な、何しにいらっしゃったんでしょうか」

 レベリオが言った。

「た、多分、リヨンズのことで相当怒っていることを伝えに来たんじゃないか、多分」

「……怖かった」

 三人は暫し、呆然とその場に固まっていたのだった。







 カロリーナの目の前には、大きなたんこぶをその頭にこさえて床の上に正座するエドワードが居る。
 カロリーナの後ろには、あきれ顔のガストンと冷たい目でエドワードを見ているジェンヌが立って居る。エドワードは、気まずそうにそっぽを向いている。

「貴様、あれほど大人しくしていろと、お前は何で謹慎になったのかもう忘れたのか? お前の脳みそは鳥と同じか? 三歩歩いたら忘れるのか? あ?」

「も、申し訳ありません」

「謝罪は馬鹿でも出来るんだ、反省しろ、反省を!!」

 拳を振り上げたカロリーナだが、その腕をガストンに抑えられる。

「小隊長、落ち着いて下さい!」

「やっちゃえばいいのに」

「ジム! 煽るな!」

 ここは騎士団本部の備品庫である。門の前でうろうろしていたエドワードを屋敷から戻ったガストンとジェンヌが見つけて、カロリーナの元に連行してきたのだ。
 そしてこの備品庫に押し込んだのである。テントやランプなどの遠征に使うものがしまわれている備品庫だ。

「お前のお蔭で我々第二小隊は、町に出るなと命ぜられて内勤を申し渡された! あれほど慎重に行動しろと常々耳に胼胝ができるほど言って居たというのにお前のこの耳は飾りか!?」

「す、すみません」

「すみませんで済んだら、騎士はいらねぇんだよ!! ド阿呆!!」

 ガツンと再びエドワードの頭に鉄拳が落として、暫く説教をしてからカロリーナはエドワードの襟首を掴んで備品庫の外へと出る。廊下には騎士の姿は無い。

「寮の部屋の荷物を纏めて、神父殿のところに戻れ。どうせお前のことだからリックの除籍撤回でも申し立てに来たのだろう」

「え、何で分かって」

「これでもお前の上司だ。お前の考えていることくらい分かる。だが、今は頼むから後生だから大人しくしていてくれ、お前とリックの騎士籍は騒ぎが収まって、リヨンズを捕えたら必ず戻してやるから。頼むから大人しくていてくれ」

 大事なことなので二回言った。
 エドワードは、はい、と嬉しそうに頷いてほっとしたように胸をなでおろした。根は騎士らしくいい男なのだが、どうにも馬鹿でいけないとカロリーナは苦笑を零した。ガストンとジェンヌも呆れたように笑っている。

「ガストン、見張り役として同行して荷造りを手伝ってやれ」

「はい。ったく、あんまり心配ばっかり掛けんなよ、阿呆」

 ガストンがぐしゃぐしゃとエドワードの髪を撫でた。

「あ、居た! カロリーナ第二小隊長!!」

 廊下に響く声に顔を上げる。ガストンとジェンヌが咄嗟にエドワードを騎士の視界から隠す様に背に庇った。エドワードもそれを心得ているのか身を屈めて大人しくしている。
 走って来たのは、第一大隊長ダグラス正騎士の事務官だった。

「どうかしましたか?」

「第二小隊に緊急招集が掛かっています。すぐに第三会議室に集合せよとのことです」

「それは誰から?」

「ダグラス大隊長より直々に命令されております」

「分かった。すぐに行く。他の者は?」

「内勤室に居た面々は既に、残りは副事務官が寮に呼びに行きました」

 そう告げると事務官は、失礼します、と頭を下げて忙しなく去っていく。

「エドワード、見つからんようにさっさと騎士団を出ろ。ジム、ガス、行くぞ」

「はっ!」

 カロリーナは、エドワードの頭をぽんと撫でて第三会議室へと駆け出したのだった。






 頑張れ、頑張ってくれ、と心中で強く念じながら手綱を握りしめる。
 雨降る平原を駆け抜ける愛馬の蹄の音がやけに大きく聞こえる。夜はもうそこまで迫っている。

「早く、団長に、伝えねばっ」

 自分の腹や足から溢れる血の臭いに平原に潜む魔獣たちが起き出している。後ろから追って来る気配がする。
 愛馬は限界に近い。それでも主に応えようと愛馬は懸命に足を動かし続けてくれている。

「領主様の命が危ない……っ!」



――――――――――――
ここまで読んで下って、ありがとうございました!
いつも感想、お気に入り登録、いつも励まされて力を頂いております!

怒られっぱなしのエドワードですが、次回も多分、怒られます。

また次のお話も楽しんで頂ければ幸いです。
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