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本編 2
第四十八話 担がれた男
しおりを挟む「はい、ではこれで、こちらがユキノ夫人とミツルさん、双子さんのカードになります」
クロードが差し出すカードを雪乃が受け取る。園田の分は園田に渡す。双子のカードは、ミアとサヴィラのを含め、園田に管理を任せているので、夫婦でカードを確認してからこれもまた園田に渡した。
「ヴァイパーさんのカードは、所在地をこちらに移して、ブランレトゥで生活する際に支障のないようにしましょう。所在がシケット村のままだと町に出入りしたり、買い物をしたりする際に色々と不便ですからね」
「はい。お願いします」
ヴァイパーが自分のカードを取り出して、クロードに渡した。
クロードは逆に彼に記入してもらいたい用紙を渡す。
ヴァイパーはようやく今日、制服が届き、身に着けている。園田の執事服は燕尾服と呼ばれる裾の長い上着が特徴だが、フットマンである彼はまだその燕の尾のような裾はない。そして、ネクタイではなく藍色の紐リボンだ。彼が執事として昇格すれば、いずれは園田と同じような装いになる。
ヴァイパーは長身でスタイルがいいので、よく似合っている。
「……はい、ではこれで大丈夫です」
書き換えられたカードをヴァイパーが受け取り、用紙をクロードに渡す。クロードは不備がないことを確認して、それをカバンへとしまった。
「すまなかったな。忙しいところ、こんな遠くまで」
「いえ、かまいませんよ。収穫祭前に有休を消化しろと秘書がうるさかったので、ちょうどよかったです。今日は仕事ですが、明日から少しこちらに滞在しようかと」
クロードがかすかに微笑んで座りなおした。
「だったらよければうちに泊まっていくか?」
「その言葉を待っていました。どこも宿がいっぱいで、庭でも借りようかと思っていたんです」
「君なら歓迎するよ。地下のジルコン夫妻の部屋の隣が空いている。支度はしてあるから、好きに使ってくれ」
「いいんですか? そうさせてもらいます。せっかくだから、神父様とあれこれ話し合えればと思って……じゃーん」
「あ!!」
じゃーんと言いつつ相変わらずの無表情でクロードが取り出したのは、一冊の分厚い本だった。真新しいそれは、印字された金文字も革の表紙も擦り切れ一つなく、ピカピカだ。
真尋より先に息子が声を上げたが、親子そろって顔は輝いているだろう。
「アロンツォ魔導師の最新刊?! でも発売は収穫祭より後じゃ……」
「そうです。王都にはツテがありますので、アロンツォ先生とは親交がありましてね。特別に送ってくださったんです。神父様とサヴィラにぜひ、見せたいと思いまして」
「持つべきものは王都にツテのある友だ」
快く差し出されたそれを受け取り開けば、サヴィラが真尋の後ろへ回り、背もたれ越しにのぞき込んでくる。
「ふむ……興味深いな。なるほど……」
「ね、これ、この紋をさ、使ったら面白そうじゃない?」
「確かに。だが……既存の紋との相性がな」
「ふふっ、サヴィラも真尋さんも好きねぇ」
雪乃が言った。
「魔術学は興味深いぞ、なあ、サヴィラ」
「うん。自分の属性以外も使えるのが面白い」
「サヴィ、魔術師はどうだ? 魔導院はいつでも君を歓迎するぞ」
にゅっと現れたナルキーサスに入り口に背を向けていたクロードが一番驚いていた。
「おかえり、先生。俺はまだ将来のことは考えられないよ。まずは勉強したいんだ」
「いい心がけだ」
「おかえりなさい、キース先生。掘り出し物はありました?」
彼女は町のほうへと出かけていたのだ。
「なかなか質の良い薬草の種が買えたよ。庭に植えてもいいか?」
「かまわんが……帰る前になんとかなるのか」
「それもそうだな。植木鉢にするか、鉢ならアイテムボックスにしまえばいいし」
ナルキーサスはそう言いながら、一人掛けのソファに腰を下ろした。
今日は天気がいいので、皆、出かけていて家の中は静かだ。ミアはシルヴィアとハリエットとティナとともに押し花を作るための花を求めて花屋に出かけていて、護衛にエドワードとリックをつけておいた。一路は海斗とレオンハルトとジョンを連れて一緒に食べ歩きにでかけ、ジルコンとマイカは温泉巡り、アマーリアもリリーとアイリスと一緒に、例の近所のカフェに出かけている。
「植木鉢でしたら、いくつか余っておりますので、あとで庭に出しておきますね」
園田の言葉にナルキーサスがお礼を言う。
「ところでクロード」
「な、なんです?」
クロードが自分を抱きしめるように(正確にはろっ骨を守るようにして)警戒しながらナルキーサスに顔を向ける。
「初対面でいきなり脇を掴んだのは申し訳なかったと言っているじゃないか。いつまで引きずっているんだ」
「そうは言いますが、貴女、私を見るたびにずっと視線がろっ骨に固定されているんですよ……!!」
「しょうがないだろ。君は歴代で一番美しいろっ骨をしている。誇っていいぞ」
「知りませんよ!」
クロードが叫ぶ。
「まあまあ落ち着け。……そんなことより、君とマヒロの研究、私も仲間に入れてくれ。な? 絶対に損はさせんから! マヒロが君が良いって言ったら仲間に入れてくれるって言うんだ!」
顔の前で両手を合わせてナルキーサスが言う。
クロードもナルキーサスの自身のろっ骨への執着を除けば、魔導士としては認めているし、すごい人だと尊敬もしている。
「……私のろっ骨をとりませんか」
「生きている間はとらん」
「死んだらとるんですか?」
「君や君の家族が良いと言ってくれたらな。大丈夫、後生大事にするぞ。死後のことは、君がもっと爺になってからでいい。今は研究だ、研究」
「……いきなりろっ骨をとらない、触らない、撫でないなら、かまいませんよ」
「本当か!? 聞いたかマヒロ!」
「良かったな」
「良かったですね、先生」
はしゃぐナルキーサスに雪乃が微笑ましそうに目を細めた。
からからと音がして、ヴァイパーが紅茶をワゴンに乗せて運んできてくれた。
「にしても、君はマヒロが全快していようが、双子が赤ん坊になっていようが気にしないのか?」
紅茶を飲みながらナルキーサスが首を傾げた。
「まあ。驚きましたけど……」
「あれで? クロードって父様くらい表情筋が死んでるよね」
サヴィラが言った。
確かに彼は、レオンハルトの臨時の家庭教師として屋敷に出入りしていたので、双子とも面識はあったと聞いている。勉強が好きな真咲がレオンハルトと一緒に授業を受けていたらしい。
だが、クロードは元気な真尋を見ても、赤ん坊になった双子を見ても「はぁ、そうですか」しか言わなかった。
「神父様のやることにいちいち驚いていると、どこかの騎士団長みたいに胃を痛めますからね。何事も『はぁ、そうですか』と『だって神父様だしな』で流すくらいが丁度いいんです。それにせっかく休みをもらったんですから、神父様と研究しているほうが有意義ですしね」
「クロードってなんか父様の友達って感じ」
「ふふっ、そうねぇ」
雪乃がおっとりと笑う。
どういう意味だと首を傾げ、クロードと顔を見合わせるが、誰も答えてくれなかった。
するとゆりかごで寝ていた双子が、ふにゃふにゃ泣き始めて、真尋は雪乃を制してさっと立ち上がって様子を見る。サヴィラが真咲を抱き上げたので、真尋は真智を抱き上げる。
「あー、おむつだな、これは」
「ミルクだけ飲んでるときはそこまで臭わないけど、離乳食始まるとやばいよね」
そう言いながら、サヴィラがリビングの片隅に追いやられたベッドに真咲を置き、真尋もその横に真智を寝かせる。
サヴィラに教わったので、布おむつもお手の物だ。
ささっとおむつを換えれば、いつの間にか園田が横にいて、汚れたおむつを回収していった。
「さっぱりしたねぇ」
サヴィラが真咲を抱き上げれば、ご機嫌になったのか「あーあ」と言いながら手足を動かしている。サヴィラは本当に面倒見がいい。度々、感心してしまうほど育児の手際がいい。
「ミルクの時間にはまだ少し早いな」
「そうね」
雪乃の隣に真智を抱えたまま座る。
離すと泣く双子だが、双子が好きな人――この家に住んでいる人は大体そうなのだが――に抱かれていれば、とりあえずは泣かない。あんまり長い時間離れていると泣くが。
サヴィラは真咲を抱えたままクロードの隣に座った。
「ち、ちいさいですね」
クロードが、少し逃げたそうにしながら言った。
「赤ちゃん、苦手?」
「身近にいなかったのでどうしていいか分からなくて、首だってぐらぐらなんでしょう? なんかこう、うっかり口から毒が垂れたらとか考えると、怖いですね。いえ、普段だって意識しなければ毒は分泌されないので垂れないんですけどね」
「君も毒蛇系なのか」
そういえばクロードも蛇系の有鱗族だったのを思い出した。
「まあ、早々使うことはないですけど」
「人型でも毒があるのが不思議だな」
「私たちは毒に対する耐性をギフトスキルで得ていますからね」
「有鱗族の毒持ちはいいぞ。まず人間だから話が通じるので、その辺の毒蛇を捕まえるより安全に毒液が貰えるんでありがたい」
ナルキーサスが言った。
真尋は紅茶を飲みながらぼやく。
「耐性があるのはいいな。毒はなぁ、あれはなかなか大変だった」
ため息交じりにこぼした言葉にクロードとサヴィラが瞬きをした。
「……毒を盛られたことがあるのか」
ナルキーサスが眉を上げ、首を傾げた。
「故郷にいた頃……性的興奮をもたらす類のものをな。俺を女で篭絡して財産と権力の奪取を目論む奴らに盛られたんだ。とは言っても、二回ほどだしどちらも犯人を炙り出して、一族郎党まとめて社会的に抹殺したがな」
「あの人たち、今も生きているのかしらねぇ」
のほほんと笑った雪乃にサヴィラが頬を引きつらせている。
「ますます君の出自の謎が深まるなぁ。本当に貴族じゃないのか」
「世が世なら、貴族だったろうな」
そう言って真尋は肩を竦めた。
「父方がいわゆる名家で大きな商売をしていた。歴史も名誉も金もある家だったが、俺は父方の親族はおおむね嫌いだったな。理知的で冷静な伯母とは気が合ったが……。親族どもは雪乃のことでもあれこれうるさくてな……中でも雪乃を害したやつは何人か国外追放した」
「君の実家はあれか? 王家か? 普通のやつはな国外追放はしないぞ?」
ナルキーサスの言葉にサヴィラとクロードが、うんうんと頷いた。
「まさか。金と歴史があるだけの家だ」
そう答えたのになぜか三人とも腑に落ちない顔をしている。
「雪乃がこちらに来てくれて、弟たちもあいつも一緒だ。……生まれる前から将来を決められて、人の上に立つようにと厳しく育てられた。もともと顔に出るほうではないが、感情を表に出すことや弱音を吐くことは、いけないことだと言われ続けた。だから……自由とは、ずいぶんと心細くて、それでいて息がしやすいのだと、最近はとくに実感している」
腕の中で真智が手を伸ばしている。ふっと息を吹きかければ、ぴくっとして一瞬動きが止まるが、またうごうごと動く。
時間がたてばたつほど、雪乃が双子を連れてきてくれてよかったと心から思う。あちらに残っていれば、次に薬を盛られたのは、真智や真咲だったかもしれないと思うと、背筋が凍る。
「ところでマヒロ、君もこう、赤ちゃん言葉で息子たちをあやしてみたらどうだ?」
ナルキーサスがにやにやしながら言った。
「嫌だが?」
「ちっ、面白くない。見たいよな、ユキノ」
「ええ。絶対に可愛いもの。でもこの人ったら十一年前も絶対に言ってくれなかったのよね。寝たふりをしてみていたこともあるんだけど……何するのかしらと思ったら堅苦しい数学の話を聞かせていてね」
「初めて聞いたが??」
長い間、一緒にいるが真尋は雪乃の嘘や隠し事を見抜けたことがあまりない。具合が悪いのを隠しているのは即座に見抜けるのだが、寝たふりだって見抜けないのだ。逆は秒でばれるのに。不思議だ。
「初めて言ったもの。ね? ほら、一度くらい、かわいいでちゅねぇ、とか」
「嫌だ」
「嫌じゃないの。ほら、こうやるのよ……ちぃちゃんは、かわいいでちゅねぇ」
雪乃が真尋の腕から真智を受け取り、少し高くなった声で真智に声をかける。
「はい、真尋さんも」
「なんで俺にそんなことを言わせたいんだ」
「そんなの私が聞きたいからよ」
雪乃は何を当たり前のことをと言わんばかりの顔で首を傾げた。
真智を抱えなおすと「ほら、パパでしょ」と言われる。雪乃に「パパ」と呼ばれるのは新鮮でくすぐったくも心地よいのだが、それとこれとは話は別だ。だが、こうなると雪乃は絶対に引かないのだ。
腕の中の真智と目が合う。
「…………か、かわいいでちゅ、ね」
言った瞬間、感じたことのないほどの羞恥が襲い掛かってきて、両手で顔を覆った。雪乃にプロポーズした時よりも顔が熱い。顔から火が出る、という慣用句はこういうことなのだと人生で初めて実感した。
「ふふふっ、ちぃちゃん。パパが可愛いって言ってくれましたよ」
雪乃はご機嫌で真智に話しかけている。
喜ぶ雪乃の横で真尋は、叫び出したい気持ちだった。
「やばいものを見聞きしてしまったかもしれませんね」
「母様だけだよ、この世で父様に赤ちゃん言葉を使わせることができるのは。絶対、国王様が命令したって従わないもん」
「赤面するマヒロとか 初めて見たな。心肺停止から起き上がったときだって、心臓が止まってたと一路に言われて『道理でな』と冷静に納得した男だぞ?」
外野が好き勝手言っているが、真尋はまだ顔を上げられそうになかった。
せめて執事たちだけはいませんようにと思ったが、指の隙間から見えたのは、なぜかむせび泣いている園田と、それをハンカチを差し出しつつも引き気味に見ているヴァイパーだった。
今だけ何か事件が起こらないかと真尋が願ったとき庭から「たのもーう!!」と道場破りみたいな声が聞こえてきた。
間違いなく知っている人の声で、庭に面する窓のほうへと指の隙間から視線を向ける。
「……? 急患か?」
「カロリーナ小隊長さんだよね、あれ」
「何を担いでらっしゃるのかしら?」
ナルキーサスがいぶかしむように眉を寄せ、サヴィラが指を差し、雪乃が首を傾げた。
庭先にカロリーナが勇ましく立っていて、その肩に何か――間違いなく人間だが――を担いでいる。
園田が目で確認を求めてきたので頷けば、庭へも降りられるリビングのガラス戸が開けられた。園田とヴァイパーがガラス戸の両脇に控える。カロリーナがそれにお礼を言って、肩に担いでいたそれを下ろした。
そして、それは間違いなくナルキーサスの夫・レベリオ・コシュマールだった。
――少し時は遡って、真尋宅から徒歩三分の第二小隊の宿にて
廃業した宿を借りて、第二小隊が家族や恋人とともに過ごしている。
宿の庭からは、騎士の子どもたちが駆け回る声が聞こえ、もとはロビーだった場所は、談話室として利用されていて庭が見えるのもあり遊ぶ子どもたちを眺めつつ大人たちの憩いの場所になっている。いつ行っても誰かどうか話に花を咲かせていた。
騎士たちも非番のものは、家族や恋人と出かけたり、男女別だが大浴場があるのでそこで温泉を楽しんだりしているようだ。
一昨日、神父様が教えてくれたナルキーサスがレベリオと別れたい理由について、もらった部屋で考え続けているが、答えはとんと見つからないままだった。
「赤ちゃんって本当可愛いわぁ」
「それが五人も並んでいると、ずーっと見てられるわね」
「一か月でこんなに違うなんて。こんなに小さかったかしらねぇ」
女性陣が大きなソファの前できゃっきゃっと賑やかだ。
第二小隊は平均年齢が若めなので、ちょうど、子どもたちも幼い者が多い。まだ一歳にならない赤ん坊も五人もいて、今はソファに並んで愛でられている真っ最中だ。
悩みすぎて寝るのが遅くなり、非番というのもあって先ほど起きたばかりのレベリオは、談話室の片隅のソファに腰かけ、それを眺めていた。
働きすぎたせいでウィルフレッドに「ついでに有休消化してこい」とも言われているのだ。
「子どもが生まれてから家にこもりきりだったから、久々に夫以外の人と話せるだけで新鮮です」
「本当よねぇ。うちなんか双子でしょ? 十年前は、生きたままアンデットになるかと思ったものよ」
「一人でも大変なのに、同時に二人なんて想像もつかないです。ところでうちの子が最近、なんだかよだれをぶーってする……あ、ほらまた、もうよだれが……」
「ああ、それはね、歯が生え始めてるのよ。歯茎がむずむずして、ぶーってするの。うちの子もよくやったわ、懐かしい」
新米ママにとっては、なかなかに良い情報交換の場所にもなっているようだ。
ふと影が差して顔を上げればカロリーナが立っていた。いいですか、と尋ねられて頷けば、カロリーナはレベリオの向かいのソファに座った。彼女の腕には、二歳くらいの男の子がいてぐすぐすと鼻をすすっている。男の子の頭には、丸い獣の耳が生えている。
「おや、どうしたんです?」
「庭で一緒に遊んでいる時に、転んだんです。傷の手当はしましたが、このようにぐずっているんですよ」
「……カロリーナ小隊長は、お子さんがいましたっけ?」
「私の子じゃないですよ。部下の子です。奥さんが今日は出かけていて、部下が子守をしていたんですが、一緒に遊んだからか懐いてくれて、私がいいと抱き着いて離れないんです。『お父さんは!?』と泣きすがる部下は庭に置いてきました」
そういってカロリーナは男の子を抱えなおして、とんとんと背中を撫でる。小さな手がカロリーナの服をぎゅうと握っていた。
「母親が私と同じ獣人族なんです。種族は違いますが、同じ猫系なので安心するのかもしれませんね」
カロリーナの表情は柔らかく、普段の戦斧を振り回している時とは別人のようだ。
レベリオは、ふと庭に顔を向ける。
ここから外へ出られるようになっているので、大きな窓があるのだ。子どもたちは、庭を走り回り、騎士たちが追いかけまわし、捕まえると高い高いをしている。
シャマールも外遊びが大好きで、レベリオもよくああして息子を追いかけまわしたものだった。足が速いうえに小柄なので、魔法なしとなるとなかなか捕まえるのは大変だった。
「カロリーナさん、レベリオさん、坊や、午前のお茶の時間ですから、お茶とお菓子をどうぞ」
その声に顔を向ければ、カロリーナの事務官であるハリエットがワゴンを押しながらやってきた。
「また作っていたのか? ほら、ロイリー、お菓子だぞ」
「おかし、たべる!」
勢いよく顔を上げた幼子に、泣いていたのに現金なものだとレベリオは笑う。
ハリエットは、どうぞ、とカップケーキをロイリーというらしい幼子に渡す。ロイリーは、小さな牙が可愛らしい口を目一杯開けて、カップケーキにかみついた。
「ハリエット事務官が作ったのですか?」
「はい。お菓子作りが趣味で……いいですよ。どれだけ作っても何を作っても、余ることがありませんから、作り放題です」
ハリエットが顔をにこにこと綻ばせて言った。
確かに騎士たちはよく食べるし、奥様方もいるし、何より子どもたちもいるので消費してもらう相手には事欠かないだろう。
「これから神父殿のところに?」
カロリーナがロイリーの口元の食べかすをとってやりながら尋ねる。
「はい。ティナちゃんとミアちゃんと押し花を作る約束をしているんです。今日はお昼も外で済ませてきますね」
「分かった。楽しんでおいで。……ああ、そうだ。すまないが、これをエドワードに渡してくれるか? 報告書で二、三確認したいことがあって、帰りに返事をもらってきてくれ」
カロリーナが懐から手紙を一通、取り出してハリエットに差し出す。休みの日に仕事なんて普通は面倒だろうに、どうしてかハリエットは大きなメガネの向こうで喜んでいるのが伝わってくる。彼女は嬉しそうに「はい」と頷いてそれを受け取り、大切そうにスカートのポケットにしまった。
「その服は初めて見るな。自分で作ったのか?」
「は、はい。変じゃないでしょうか?」
ハリエットはワゴンを動かして、全体をカロリーナに見せる。
レベリオには形や素材はよくわからないが綺麗なローズピンクのワンピースは、可愛らしい彼女によく似合っている。
「私の事務官は今日もとびきり可愛いぞ。気を付けて行っておいで。変な輩に絡まれたら、すぐに私を呼ぶんだぞ」
「徒歩三分ですから、大丈夫です。でもありがとうございます、行ってきます」
ぺこりと頭を下げてハリエットはワゴンとともに去っていった。
「休みの日に仕事を渡されても嬉しそうだなんて、ハリエット事務官は熱心ですね」
レベリオの言葉にカロリーナはきょとんとした後「あっはっはっは」と笑った。
ロイリーがびっくりした顔でカロリーナを見上げる。彼女は驚かせたことを詫びながら小さな頭を撫で、目じりに浮かんだ涙を指でぬぐった。
「レベリオ殿、ハリエットはいい子ですから休みの日に仕事を渡しても嫌とは言いませんよ。でも、ちょっとしょんぼりはしてしまいます。今日、嬉しそうに見えたのなら、渡す相手がエドワードだったからです」
「? それはつまり……どういう?」
さっぱりと分からず首を傾げる。
「分かりやすく言えば、例えば今、私が貴方にナルキーサス先生に届け物をしてくれと言ったら嬉しいですか?」
「複雑ですが、その、嬉しいです。仕事なら彼女は会ってくれるでしょうから……あ」
実に単純な事実に気が付いて声を漏らす。カロリーナはくすくすと笑いながら「そういうことです」と言って、自分もカップケーキを頬張った。
ロイリーが「おいちい?」と尋ねれば、カロリーナが「おいしい」と応える。
「人の気持ちは他人がどうこうできるものじゃありませんからね。ただ、可愛い可愛い事務官に、会話のきっかけを与えるくらいは許してほしいところです。めかしこんでいくなら、せめてその姿を好きな相手に見せるくらいの時間は与えてやりたいのですよ。性格上、自分から見せに行くことはしないでしょうから」
「なるほど……カロリーナ小隊長は優しいですね」
「私は神父殿と似たような考えで、大事なものがあればあるほど、仲間たちはみっともなく長生きしてくれると信じていますから」
そういってカロリーナは、カラカラと笑った。
マヒロの提案で始めた男性騎士の育休制度だったが、第二小隊は取得者が多かった。それはカロリーナが、生まれたばかりではなく、子どもがいるもの全員に呼び掛けたからだ。ウィルフレッドは許可してくれたが、さすがに彼らまで一週間は難しかったので、一日とか二日だったが、取得率は高かった。
「……とある情報筋から……キースが私と別れたいのは、私のためだという情報を得たんです」
ロイリーにお茶を飲ませながらカロリーナが目だけをレベリオに向ける。その眼差しが先を促しているのだと信じて、レベリオは口を開く。
「私には、その意味が分からなくて……。私は彼女を必要としているのに、どうして別れることが、私のためになるのかが」
「それで寝不足の顔をしているんですか?」
「恥ずかしながら、その通りで……考えても考えても彼女の心が分からなくて」
レベリオは視線を手元に落とした。渡されたカップを両手で包み込んだまま、そういえば飲むのさえも忘れていた。一口すすれば、穏やかな茶葉の香りが広がった。
腹も膨れ、大人の話に飽きたのだろう。ロイリーが「パパのとこいく」とカロリーナの膝から降りた。カロリーナがロイリーの父親である部下を呼べば、近くにいたのだろう。すぐに飛んできて息子を引き取っていった。どうやらまた外で遊ぶ気のようだ。
その背を見送り、カロリーナがカップを手に取る。
「私はレベリオ殿とキース殿の間に何があったか詳細は存じ上げませんが……大切に思うからこそ、身を引くこともあると思いますよ」
「どうしてですか? 共にあることはいけないことですか?」
「いけなくはないですが……貴方からのその真っすぐな愛情を受け取る資格がないと、先生は考えているのかもしれませんね。その原因は私は知らないのでなんとも言えませんが、単純に自分より、貴方にふさわしい人がいると考えているのかもしれません」
「私は彼女以外の伴侶は考えられません!」
「それを私に言っても仕方がないでしょう。何か彼女は負い目があるんじゃないですか?」
「負い目……でも、彼女は優秀な魔導士です」
「だとすれば……それで補いきれないほどの、負い目です」
心当たりが一つだけある。
彼女がもう二度と、どうやっても子どもを産めない体であることだ。
だが、子宮を摘出しますか、と選択を迫られて、意識のないナルキーサスに代わって決断したのはレベリオだった。摘出すれば、二度と子どもは産めないが、彼女が助かる可能性は高くなる、と。だからレベリオは、そちらを選んだ。
「……彼女は……子どもが」
産めないんです、とか細い糸のような声で告げた。
それでもエルフ族や人族より何倍も耳の良い獣人族であるカロリーナには聞こえただろう。
「……これは私の従姉妹の話ですが、彼女は幼馴染と結婚しました。お互いが初恋で、誰が見ても相思相愛で……そうですね、神父殿とユキノ夫人のような仲睦まじい二人でした。でも、彼女は結婚してまもなく病気で子どもが産めない体になってしまった。彼女はそれを嘆いて、離縁を申し出たんです。もちろん、旦那のほうは拒否しました。でも彼女がどうしても……自分を許せなかった」
「どうしてですか? そばにいてほしいと願うのは、いけないことですか?」
「そばにいたい。一生をともにしたい相手の子どもだから、産めないことに絶望したんです。どれほど愛をささやいても、どれほど必要だとすがっても彼女が心を病んでしまい、これ以上、お互いを苦しめるならと二人は離縁しました」
「…………私も離縁しかないんでしょうか」
「最後まで聞いてください。でも、従姉妹は今、彼と夫婦として幸せに暮らしています」
驚いて目を丸くするレベリオに、カロリーナはくすくすと笑った。
「彼は、従姉妹を諦めませんでした。何もなくなってしまったのなら、何もないところから始めるのだと、そう言って従姉妹を口説き始めたんです。従姉妹も離縁していたので、頷かなければいいと思っていたようですが……五年、彼が口説き続けて、彼女が折れました。それで二人は復縁したわけです」
「離縁は……一生、彼女を失うものではない、のでしょうか」
「一生、喪うとするならば、それは相手が死んだ時だけ。生きている限りは希望も機会もあります。あなた方は長生きなんですから、私の従姉妹夫婦より有利だと思いますよ。時間が有り余っているのは、幸福なことです」
「神父様にも言われたんです。時には……ゼロから始めることも必要だと」
「現に神父殿の息子は、ゼロから始めていますからね。何も悪い事じゃないでしょう? 新たな関係を築くのは大変で、怖いかもしれませんが……何もないから何でもできるんですよ」
目から鱗が落ちるというのは、こういうことなのだとレベリオは新鮮な驚きを味わっていた。
「何もないから……何でもできる……」
「変に癖のついてしまった剣術より、まっさらな状態から教えるほうがいいことだってありますからね。でも……一番、大事なのは本音で話し合うことだと思いますよ。貴方も……もう一組の夫婦も」
「…………でも、私の本音は、彼女を傷つけてしまうかもしれない。十二年前、私たちは夫婦にとって本当に大事なものを喪いました。彼女はそれを守るために奮闘してくれました。でも私は見ていることしかできなくて、そんな私が、何を言っていいわけがありません」
「ですが、何も言わないままでは前に進むことはできませんよ?」
カロリーナが眉を寄せる。
確かに、彼女の言う通りなのだ。
「見ているだけだったのを後悔したのではないのですか?」
「それは……はい。でも」
「なら見ているだけではだめだと、貴方が一番理解しているのでは? その見ているだけだった後悔を彼女に話してはいかがです?」
カロリーナの声が少し刺々しくなった。
「いえ、だからそれは……」
「っだー、グジグジグジグジ、でもでもばかり言うな!!」
ダンッとカロリーナがテーブルをたたいた。
レベリオも談話室で話している奥様方も驚いてこちらを振り返る。
「グジグジグ、いつまで過去のことを悔やんでいるんだ!! 過去は戻らん!! 取り返すこともできない!! それをいつまでもいつまでも後悔ばかりして。でもでもばかり言ってなんの生産性もない!!」
「小隊長!! 上司、めっちゃ上司ですよ!!」
近くにいたガストンがカロリーナをなだめに来る。
「うるっさいわ!! 今は非番で私もこれも私服だろうが!!」
バチバチと彼女の魔力が火花となって散る。
「レベリオ、あんたは何をどうしたいんだ!! キース先生にいつまで甘えている気だ!!」
「わ、私は甘えてなんて!」
「甘えているだろうが!! なんで何も言わないままキース先生が『赦してくれる』のを待っているんだ!! 察してもらおうとするな!! そもそも赦されたらもとに戻れるとでも!? んなわけがあるか!! 一度壊れたものは同じ形にはならん!!」
レベリオとナルキーサスの仲がこじれているのは、皆が知っていることなので、奥様方も「そうよねぇ」とカロリーナの言葉にうなずき合っている。
「どういう理由で喧嘩しているのか知らんが、あんたはどっちが悪いと思っているんだ」
「私、です。彼女は悪くないです……」
「じゃあ、ごめんなさいってちゃんと言ったのか? あ?」
カロリーナがチンピラみたいな問いかけをしてくるが、必死にめくった記憶の中でレベリオは、ナルキーサスにその言葉を口にしたことがないのに気づいて口ごもった。
「男って、どうしてか『ごめんなさい』が言えないのよね」
「そうそう。いつまでたっても子どもなのに、無駄に見栄っ張りでプライドが高いのよねぇ」
奥様方の言葉にレベリオの凝り固まっていた意識がぶん殴られる。
「傷つくか、傷つかないかを決めるのは、あんたじゃない。キース先生自身だ。あんたはこれまでキース先生にちゃんと謝ったのか? 押し黙ったところを見るに謝ってなんかないんだろう? 彼女に男装を止めるように言って、家に戻そうとしたこと、悪かったと反省しているのか? 妻はあんたの持ち物じゃないんだ。好きな服を着て、好きなように生きる権利があるんだ!」
「あやまる……はんせい……けんり」
「ちゃんとキース先生の話に耳を傾けたか? 彼女を傷つけるのが怖いとあんたは言うが、結局、一番怖かったのは自分が傷つくことだろう!? だからいつまでたっても、なーんにも進まないんだ!! 私だって、こんなにグジグジしている男など、とっとと捨てる!! お互いのためにならんからな!!」
「しょーたいちょぉぉぉ!! そして君たちも頷くな!!」
ガストンがそろって頷く奥様方にむかって叫ぶ。
「だって、ねえ。事情は存じ上げないけど、レベリオ殿ったら、許されたいとか自分が悪いって言うくせに、ごめんなさい、という気がないんだもの」
「そうそう。神父様だったら、土下座してこいって言うわよねぇ。現にうちのは神父様に相談して、ちゃんと何が悪かったか反省しながら土下座してきたから許したわ」
「神父様も奥様を怒らせたときは土下座で解決してたみたいよ。神父様ったら奥様にデレデレだものね。あんなとろけるお顔、間近で見たら死ぬ」
「顔が良すぎるのも大変よね。まあ、奥様もとびきりの美女だから、お互い耐性があるんでしょうけど」
奥様方の話題は社交界の流行よりも移り変わりが速かった。
「考えているばかりでは、なんの生産性もない。騎士であるなら行動しろ、行動だ!」
「は、はい!」
レベリオはぴんと背筋を伸ばす。
「喧嘩は古来よりどちらかが一方的に悪いということはないんだ。だが、前提として男も女も、老人だろうが子どもだろうが悪いと思ったら、まず謝る。人としての基本だ!」
「はい!」
「よし、では今から行く!!」
「はい。は。え!?」
「あんたはどうせ『どう謝るかちゃんと考えてから』とかほざいて、謝りにいかんはずだ。一緒に行ってやるから、今行くぞ!」
がっと襟首をつかまれたと思ったら、そのまま肩に担がれた。
獅子系の獣人族であるカロリーナはレベリオと変わりなく背が高いが、ヒョロヒョロしている弟と違って鍛えているので、荷物と同じように肩に担がれたことが衝撃的過ぎて言葉が出てこなかった。
「というわけだ。ちょっと出かけてくる」
「…………はい、行ってらっしゃい!! 健闘を祈ります!!」
何もかもすべてを諦めたらしいガストンに見送られ、こうしてレベリオはカロリーナの肩で呆然としたままナルキーサスの下へと、第二小隊の宿を後にしたのだった。
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