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本編 2
第四十一話 子守唄を聞く男
しおりを挟むサヴィラは、十三年というまだまだ短いが、波乱万丈な人生で色々なことを経験してきた方だと思う。
貴族の家に産まれて捨てられて、貧民街で生きて、インサニアの被害に遭って、紆余曲折経て美麗な神父の養子になって。文字にすればこれだけかもしれないが、それでもその中には様々な経験や感情が詰まっている。
だがしかし、朝市から帰って来たら、八歳の少年たちが赤ん坊になっている、というのはどういうことだろうか。説明は受けたが、さっぱりと意味が分からなかった。小説の中だけの出来事がまさか現実で起ころうとは。
リビングに置かれたゆりかごの中には、赤ん坊が二人、すよすよと眠っている。テーブルの上にはガラス製の哺乳瓶が二本、置かれていて片方は空っぽで、もう片方は僅かに残っている。
「パパ、赤ちゃん、ねてるねぇ」
「ちいさいですわ」
「ああ。そうだな」
ミアとシルヴィアがゆりかごを覗き込んでいる。父はベッドに腰かけ、目の前のソファでは母がノートに何かを書いていた。
ゆりかごも哺乳瓶も全てリックが、アマーリアの侍女のリリーと共に出かけて用意してくれたものだ。正確に言うならリックは馬車の御者兼、アマーリアの侍女であるリリーの護衛で、全てのものを揃えてくれたのはリリーだそうだ。それもそうだろう。身近に赤ん坊のいない独身男性に、必要なものが分かるわけもない。
とりあえず、哺乳瓶を片付けるか、とサヴィラは立ち上がる。
「これ、片付けて来るね」
そう告げて、二本の哺乳瓶を片手に持ち直し、口周りを拭いたりしたガーゼを二枚、空いた手に持つ。
右腕が固定されている父は抱っこしか出来ないので、ユキノとサヴィラで双子にミルクを上げたのだ。
「ありがとう、サヴィ」
ユキノがノートから顔を上げた。
「母様は、何を書いてるの?」
「二人のミルクの量を記録しているのよ」
「なるほど……」
母の手元に一冊、膝の上にもう一冊あった。マチとマサキで別々にしているのだろう。
「サヴィラ坊ちゃま、よろしければそちらを。私が片付けて参ります」
いつの間にやってきたのかミツルが傍にいた。少し驚きながらも彼に両手のそれを渡すと、ミツルは一礼してリビングを出て行った。
「サヴィは、昨夜から今朝にかけて何か気付いたことはあるか」
唐突な父の問いかけに、膝の上にやってきたタマを撫でながら記憶を辿る。
ちなみにテディは珍しく温泉ではなく、リビングの暖炉の前で丸くなっている。
「俺、昨夜は一度も起きなかったんだ。……それに朝も双子とジョンを起こさないようにちらっと見ただけで、俺が起きた時に赤ん坊だったかどうかは分からない」
「そうか」
「ごめん、何も気づけなくて」
サヴィラは俯きがちに告げる。
すると向かいのソファにいたユキノが立ち上がった気配がして、すぐに隣で優しいせっけんのような香りがする。
「それは私たちも一緒よ。……様子かおかしかったんだから、一緒に眠ればよかったわ」
悲痛な声にサヴィラは、なんとか元気づけたくて、母の背をとんとんと撫でた。タマが、きゅいと鳴いて、ユキノに小さな頭をすりつける。
ユキノは静かに微笑んで「ありがとう」と小さく呟き、タマの頭を撫でる。
「あの子たち、ちゃんと成長するのかしら……」
ユキノがゆりかごを見ながら不安そうにつぶやく。
「二人はあんまり泣かないね。赤ちゃんなのに」
サヴィラは不思議だな、と首をかしげる。
マチもマサキもほとんど泣かなかった。まだ小さいからかとも思ったが、サヴィラとネネから睡眠を奪ったアビーは、それこそ暇さえあれば泣いていたほどだった。泣かないなと感心したアナでさえ、空腹時はぎゃんぎゃんと泣いていた。
ところが双子は、ごはんの時間になって子猫のようなか細い声で、かすかに泣いただけだった。
サヴィラの疑問に対して、ユキノが苦笑をこぼし、なぜか父は天井を仰いだ。
「そうね。普段は、あまり泣かないのだけれど……」
「二人一緒なら泣かないんだ」
マヒロが眉を寄せながら言った。
「ミルクの時以外は、一分以上、離すと泣くんだ」
「え」
「一緒じゃないと、ないちゃうの?」
ミアがぱちぱちと瞬きをして、父を見上げる。
父は「ああ」と頷き、母は困ったように笑っている。
「楽といえば楽なんだが、沐浴もおむつ替えも、すべて同時に行わなければならないし、乳児検診とか大変だったんだ」
「私はそのころ、病院にいることがほとんどだったから、あまり手伝えなかったのだけれど……あの頃、お義母様と真尋さんの憔悴ぶりはすごかったわぁ」
「よその双子もそうなのかは知らんが、うちの双子は少しでもお互いの顔が見えないと泣く」
父が重々しく告げた。
あの父がそう言うのだから、よほど大変だったのだろう。さすがのサヴィラも乳児を同時に世話したことはなかった。
「なんでこんな時に俺は利き腕を負傷しているんだ」
「ドラゴンなんか殴るからでしょ……」
サヴィラが呆れ交じりに呟いた一言をマヒロは聞こえなかったことにしたようだ。都合の悪いことだったに違いない。
「おーい、諸君。双子の精密検査の準備が整ったぞ」
その声に振り向けば、ナルキーサスがリビングの入り口に立っていた。
「精密検査? どっか悪いの……?」
母を振り返ると、ユキノは首を横に振った。
「悪いところがないか診てもらうの」
「キース、この二人は一分以上、お互いの姿が見えないと泣くんだが……」
父の言葉にナルキーサスは、ふむ、と一つ頷く。
「じゃあ、同時にするか。一緒で構わんから連れてきてくれ」
「ありがとう」
礼を言って父がベッドから立ち上がる。サヴィラは慌てて駆け寄り、ぐらりと揺れた父を支える。膝からひょいと飛び立ったタマが、急に動いたサヴィラに抗議の声を上げた。
「ひとりで立っちゃだめだって……タマ、ごめん」
「転ぶと長引くぞ」
ナルキーサスが胡乱な目をしている。
マヒロは嫌そうな顔をしているが、治癒術師のいうことを聞かないから、そこかしこが悪化して死にかけたのである。
「リックくーん!」
ミアが呼べばすぐにリックがやってくる。
彼は昼食の後片付けを買って出てくれていたのだ。まくった袖を戻しながら「どうしました」と首を傾げる。
「リック、悪いけど父様を治療室に連れて行って。双子の精密検査をしてもらうんだ」
「了解。……マヒロさん無茶しないでくださいね」
リックに釘を刺された父はしぶしぶ彼に身を任せ、リックに支えられるようにして歩き出す。
ユキノがマチを抱き上げ、サヴィラはマサキを抱き上げる。
「ミア、シルヴィア、行ってくるね」
「いってらっしゃい」
「がんばってくださいませ」
二人に見送られて、母とともにリビングを後にして、玄関脇の治療室に向かう。
中へ入れば、昨日、身長や体重を量った時にはなかった見慣れない器具が窓際のデスクに並んでいた。
「とりあえず採血をして、主に魔力の量や流れに関する検査をする」
「ああ」
マヒロが頷くと、ナルキーサスは手際よく二人の小さな体から必要な分の血液を注射器で抜き取った。その際、地の副属性魔法を器用に操っていて、ついついサヴィラは見入ってしまった。
ナルキーサスがデスクの上の器具に血を垂らしたり、魔力を注いだり、呪文を唱えれば、淡く光った器具が動き出す。
双子のもとに戻ったナルキーサスが、呪文を唱えればいくつかのパネルが双子のそばに浮かび上がった。ナルキーサスは、それを見ながら、手元のカルテに何かを書き込んでいく。
器具がシューっと音を立てて蒸気を出した。
器具のもとへ行ったナルキーサスが中心の水晶玉をのぞき込み、そこに浮かび上がった文字や数字をカルテに書き写す。
そして、器具を綺麗にすると、再び血液を垂らした。二人分なので、もう一人の分だろう。
「さて、マサキの分の結果が出るまでには時間がかかる。両親もそろっているし、サヴィラ、君の検診結果の話をしても?」
思いがけない言葉に、サヴィラは驚いて両親を振り返る。二人は「大丈夫」と頷いてくれたので、サヴィラは双子が並んで眠っているベッドに腰かけた。
「まず結果として、君は健康そのものだ。悪い病気などはない。だが、君自身も気づいていると思うが、成長が遅れているだろう?」
「うん……同じ十三歳でも、俺、背も低いし、声変わりもまだだし……」
「それは、これまでの生活で成長に必要な栄養が足りていなかったからだと私は推測している。だが、君は一般的な子どもに比べれば、魔力量が多い。自覚はあるか?」
「それは、まあ」
「魔力の過剰精製による成長阻害症というものがあるんだが、聞いたことは?」
サヴィラは首を横に振った。
初めて聞く言葉だ。病名、なのだろうか。
「君のような魔力量が平均値よりかなり多い子どもが発症するんだ。君の父親がこの間なった魔力循環不順症に似ている病気で、魔力が強大すぎて、体内で飽和状態になり成長を阻害してしまうんだ。だが、君の父親はその阻害原因が魔獣の魔力だったのに対して、君の場合は君自身の魔力だから、対処法があるので、安心してほしい」
そういってナルキーサスは、どこからともなく小さな薬瓶を取り出した。
透明なガラス瓶に、はちみつ色の液体が入っている。
「これがその薬だ。魔力抑制薬。体内で魔力が生成されるのを抑制する薬だ」
「これを飲むの?」
「今は飲まなくていい。先ほども言ったが、魔力が飽和状態になること、が成長阻害症の最大の要因だ。サヴィは、魔法が得意だから普段から使っていて、魔力が満タンのままの時間のほうが短いだろう?」
うん、とサヴィラは頷く。
「だから今のところは、普段通りの生活で問題ない。男児の成長期は女児の成長期よりも遅く来るしな。だが、成長阻害症は早期発見、早期治療が好ましい。大きくなりたいだろ?」
うん、とサヴィラは心の底から力強くうなずいた。
できれば、父よりは大きくなりたいと思っている。サヴィラの実の父は背が高かった記憶があるので、可能性はあるはずだ。
「そのために、一か月に一度、身体測定と魔力測定をさせてくれ。もし、これから先、成長阻害症の兆候が見られた場合は、この薬を服用して、治療しよう。それにもし、サヴィラ自身が、体に異変を感じたり、何か魔法が使いにくいと感じたりしたら、すぐに教えてほしい。魔法が使いにくくなるのもこの病気の症状の一つなんだ」
「分かったよ」
「よし、君への説明は以上だよ。ほかにも自分の体のことで気になることがあれば、いつでもおいで」
「うん、ありがとう」
サヴィラがお礼を言えば、ナルキーサスは優しく微笑んだ。同時にまた器具がシューと音を立てた。検査結果が出たようだ。
ナルキーサスが再び水晶玉をのぞき込み、そこの数値をカルテに書き込む。
マヒロとユキノが心配そうに双子とナルキーサスを交互に見ている。サヴィラは、隣ですやすやと眠っている双子に顔を向ける。どちらも気持ちよさそうに眠っている。なんとなく二人に布団をかけなおしている間に、ナルキーサスが自分の席へ戻った。
「さて……二人の検査結果だが……」
ナルキーサスの黄色の眼差しがカルテを真剣な様子で見比べる。
マヒロが自由の利く左手で、不安そうにしているユキノの肩を抱いた。
「んー……少し、魔力に乱れはあるが……月齢は二か月か……ならばそれほど気にはならんか」
「キース」
「分かったから、ちょっと待て」
急くように彼女を呼ぶ父を手で制して、ナルキーサスはどこからともなく取り出した本を開く。表紙に「乳児の成長と治療」と書かれている。
ページをめくる、かさりと乾いた音が緊張の満ちる部屋に落ちる。
「そうだな……多少、魔力の循環に乱れはあるが、この月齢では一般的なことだ。体内をめぐる魔力の道筋を作る過程にあるからな。安定するのは、大抵、六か月から七か月ころだ。あまりに強いと先ほどサヴィラに説明したように成長が阻害されることもあるが、双子は平均値の範囲内だな」
「成長はする、ということか」
マヒロが言った。すがるような色がその声に含まれていて、サヴィラは何とも言えない気持ちになる。
弟が急に縮んだのだから、何か一つでも安心できる要素が欲しいのだろう。
「それは分からん。なにせ神が作った器だ。そもそも赤子に戻ったなんて事例事態がないんだ。明日にはまた元の姿に戻っているかもしれないし、もしかしたらここから普通の子供のように育つのかもしれんし、あるいは心が満たされれば、二倍、三倍の速度で成長するのか……そもそも元に戻るかは……神のみぞ知る、というやつだ」
ナルキーサスの言っている意味が分からず首を傾げるが、父と母はその意味が分かっているようで無理矢理に納得するしかないとでも言いたげに彼女の言葉にうなずいた。
「毎日の記録をつけよう。赤子の成長は我々大人に比べれば早いからな。なに、若返ったこと以外には、やはり病気などはない。あまり思いつめるなよ」
その励ましにも両親の顔は晴れない。
ナルキーサスもこれには困ったように眉を下げた。父はともかく、母は思いつめたような顔をしているのが気掛かりだ。
マヒロが「雪乃」と声をかけ、その肩をさするが、母は力なく微笑むだけだ。ナルキーサスと目が合って、苦笑をこぼすとナルキーサスも同じように苦い笑みを浮かべた。
「そういえば、そろそろ爺さんを迎えに行く時間じゃないか?」
ナルキーサスが言った。
入り口に控えていたリックが懐中時計を取り出して「あ」と声を漏らした。
ジルコンとその妻・マイカは午前中にはグラウにはついているが、少し観光をしてマイカが行きたがっているレストランで昼食を済ませるから、そのあと迎えに来てくれと今朝、鳥が飛んできて告げたのだ。
「リック、サヴィ、悪いが迎えを頼めるか」
「わかりました。では、まずマヒロさんはリビングに戻りましょうか」
「ああ、すまんな」
リックが父に手を貸して、父はリックに支えられるようにして治療室を出ていく。母は、こちらにやってきてマサキをそっと抱き上げた。
「キース先生、マチを頼んでいい? 俺、馬車の支度をするから」
「ああ、かまわんぞ」
鷹揚に頷いて、立ち上がったナルキーサスがマチを抱き上げた。
そのままナルキーサスとユキノが連れ立って部屋を出ていき、最後にサヴィラが部屋を出てドアを閉めたのだった。
「おお、おお、可愛いなぁ」
「二人いるから奪い合いで喧嘩になりませんねぇ」
ジルコンと、その妻のマイカが並んでソファに座り、真智と真咲をそれぞれ抱っこしている。
ジルコンより小柄なマイカは、にこやかな顔立ちで、白髪交じりの髪を丸く結っている。
二人には馬車の中でサヴィラが掻い摘んで説明をしてくれたそうだが「ま、そんなこともある」の一言で済んでしまったらしい。長生きしているだけはあって、肝が据わっているのかもしれない。
「マヒロも赤ん坊のころは、可愛かったんじゃろうな」
「おおむね、双子と同じだと思ってくれていい」
真尋の言葉にジルコンが「そっくりじゃもんなぁ」と目じりを下げた。
孫にデレデレの爺さんそのものだ。マイカも同じく孫にデレデレのばあさんそのもので、二人は真尋に見舞いの言葉をさっさと述べると、早々にゆりかごのなかの双子を抱き上げてソファに座った。そして、それ以降、抱いた双子を絶対に離そうとしない。そういうところまでそっくりな夫婦だ。
「ジルコン、紹介がまだだったな」
園田が部屋に入ってきたことに気づいて真尋は口を開く。
「ジルコン、マイカ。そこにいるのは、うちの執事の充だ。何か困ったことが彼に言ってくれ」
「初めまして、ミツルと申します」
「ほうほう」
「あら、いい男ねぇ。寿命が延びるわ」
ジルコンはマサキに夢中なので適当に頷き、マイカはほくほくと笑っている。
そういえば初対面の時に真尋も「あら、美男子、寿命が延びるわ~」と言われたのを思い出した。のちに知った話だがサヴィラも「あら美少年、寿命が延びるわ~」と言われたそうだ。
「ジルコンさん、マイカさん、私も初めまして、ですね。真尋の妻の雪乃と申します」
園田の後ろから雪乃とミアが顔を出す。
「おお、美人じゃな」
「美人も寿命が延びるわぁ」
マイカの独特な感想に雪乃が「光栄、です?」と少し戸惑いながら返事をした。
彼女は早めに夕飯の仕込みをしていたのだ。
「ジルおじいちゃん、ミアのおうちへ、ようこそー!」
ミアが嬉しそうにジルコンのもとへ行けば、ジルコンはマサキを片腕に抱えなおして、ミアを受け止めた。園田は「失礼します」と告げて一礼し、キッチンへと戻っていく。
「ミア、久しぶりじゃな。いい子にしておったか?」
「うん! ジルおじいちゃんはいいこにしてた?」
ミアがきょとんと首を傾げる。
「もちろんじゃよ」
からからと笑いながらジルコンが言った。
すると「ふみゃっ」と小さな声が聞こえ、すぐに双子がみゃあみゃあと子猫のような声で泣き出した。
「ミルクの時間だわ。仕度を……」
雪乃が踵を返そうとしたところで、サヴィラが顔を出す。
「はい、そろそろ時間だと思って、ミルクの準備しておいたよ」
サヴィラの手には二本の哺乳瓶があった。さすが、気が利くことに関して無限に自慢できる息子だ。
「ありがとう、真智を頼めるかしら」
「うん。任せて」
「待て待て、わしがやるぞ、わしが」
「わたしもやりたいわ」
雪乃とサヴィラが手を伸ばしたところ、抱いて放したくない老夫婦が逆にミルクに手を伸ばした。
「じゃあ、お願いしてもいいかしら」
「もちろんじゃよ。こう見えて、わしだって自分の子どもを育てたのははるか昔じゃが、今でもひぃひぃ孫の世話とかよくするんじゃよ」
ジルコンはその言葉通り、難なく赤ん坊にミルクを飲ませ、マイカも「可愛いわねぇ」と言いながらミルクを飲ませてくれる。ジルコンの隣に座っているミアが「いっぱいのんでね」と声をかけていて、かわいらしい。
そのほほえましい光景に目を細めていると、雪乃が隣に腰かけた。サヴィラはベッドの足元に座っている。
「この右腕さえ治ればな……俺もミルクがやれるんだが」
まだがちがちに固定されている腕に視線を落とす。
「ドラゴンなぞ、殴るからじゃぞ。おーよちよち、たくさんのめよー」
ジルコンが真尋への投げやりな言葉とは違って、猫なで声で真咲に声をかける。真咲は、無垢なまなざしでジルコンを見ながら、一生懸命哺乳瓶の乳首を咥えてミルクを飲んでいた。
「母様、俺、おしめの準備をしてくるよ」
「いいの? ありがとう」
「どーいたしまして」
サヴィラはウィンク付きで笑みを返すと、リビングを出て行った。
「サヴィラはしっかりしてるの」
「しっかりしているから何かと力になってくれるんだ。もちろん、ミアもな」
「ミア、赤ちゃんだっこするのじょうずなのよ。ミアがだっこするとすぐ泣きやむの」
ミアが誇らしげに言った。
だが、不思議なことにミアが抱くと大抵の赤ん坊は泣きやむのだ。それでニコニコ笑いだすか、安心して眠るかのどちらかで、ソニアをはじめ孤児院のスタッフたちも感心するほどだ。
「そうかそうか。ミアも偉いなぁ」
ジルコンが相好を崩す。
「んー、マサキはもういいのか?」
ジルコンが乳首を口から出して、顔をそむけた真咲に声をかける。
ミルクがまだ少し残っているが、もともと真智に比べて真咲はほんの少し小食なのだ。雪乃が立ち上がり、哺乳瓶を受け取る。ミアがベッドから降りると真尋の枕元に置かれていたノートを開いて、真尋の膝の上に置き、左手にペンを持たせてくれた。
雪乃に言われた通りの数値を書き込む。普段は右利きだが真尋は左手でも大体のことはできるのだ。
「マチちゃんは全部飲んだよ」
マイカの言葉に、今度はマチのノートに飲んだ量を書き込む。
ジルコンとマイカが慣れた様子で二人を縦抱きにして、背中をとんとんと叩き、げっぷをさせてくれる。
するとサヴィラがおしめ(もちろん布だ)を持ってきてくれた。真尋のベッドの足元にタオルを広げて準備をする。
「はーい、おしめ、替えるよ」
「ミアもやってあげるね」
サヴィラが二人の腕から順番に双子を預かり、ベッドの足元に寝かせるとサヴィラとミアは手早くおむつを替えてくれる。二人の手際の良さは素晴らしい。
「どっちもおしっこだけだね」
「そうか。ありがとう」
真尋はそれもノートに書き込んでおく。
サヴィラは「これ、洗濯に出してくるね」と告げて、手伝うというミアと一緒に汚れ物を持って行ってくれた。
真尋は手を伸ばし、真咲の頬に触れる。もちもちの頬は柔らかい。小さな小さな手に指を乗せれば、ぎゅうっと思い切り握りしめられる。薄い爪が刺さって、少し痛い。
「いきなり弟が赤ん坊に戻る、というのは大変じゃろうなぁ」
ジルコンの言葉に「……ああ」と返事をする。
「でも、大丈夫ですよぉ。赤ちゃん、可愛いもの」
マイカがのんびりと告げる。
「ミルクも飲んで、おしめも替えたら、赤ちゃんはあとは寝るだけ。それでまたお腹が空いたら起きて、泣いて、ミルクを飲むの。その繰り返しが滞りなく行われることが赤ちゃんにとって最大の幸福なの。それはねぇ、どんな時代でも、どこの国でも、どの種族でも、例えば人じゃなくたって、魔物や魔獣だって変わらないんだよ。まあ、魔物たちにおしめはないけどね」
マイカがそう告げて立ち上がった。
「さて、わたしたちの部屋はどこかしら」
自由でマイペースなところは夫婦でそっくりだ。真尋は園田を呼んで、二人の案内を頼む。
ジルコンとマイカは双子に「またあとでな」と声をかけると園田についてリビングを出て行った。
夫婦と弟たち二人きりになった部屋で、雪乃が立ち上がる。ベッドの足側へ移動して、真咲と真智の顔を細い手で順番に撫でた。
「……雪乃は、二人に元の姿に戻ってほしいか?」
真尋の問いに雪乃の手が止まる。
「俺は……正直なところ、いっそこのまま俺と君の子どもとして育ててもいいと思っている」
雪乃がゆっくりと顔を上げた。
銀に紫の混じる眼差しが、じっと真尋を見つめる。
「彼らがそう望んで、この姿になったのなら」
「……私は」
雪乃の視線が双子へと戻る。
「この子たちを失うことだけが、怖いの。もっともっと小さくなって、いなくなってしまったら……っ」
震える両手で顔を覆った雪乃に真尋は、何とか立ち上がり彼女のもとへ移動して腰かけ、その腕を引いて抱きしめる。
「大丈夫、絶対にいなくなったりなんかしない」
「いきなりこんなに小さくなって、明日にはもっと小さくなっているかもしれないわ……っ」
「これ以上、小さくなんかならないさ」
「でも……っ」
不安に押しつぶされそうになっている雪乃を、真尋は強く強く抱きしめる。
確証をもって、大丈夫だと言えないことがもどかしい。
「今日は一緒に眠ればいい。なんなら俺が一晩中、起きているから」
「だけど……あなたまだ療養中なのに……」
涙にぬれた眼差しが真尋を見上げる。
真尋は、彼女の瞼にキスをしながら「大丈夫」と声をかける。
「他ならない真智と真咲のことだ。心配なら、ちゃんとキースに相談するし、昼間に仮眠をとる。日中は、園田とサヴィラ、それにミアがいてくれるから大丈夫だろう?」
どうすれば彼女を少しでも安心させられるだろうかと頭を悩ませる。
それでなくとも真尋のことで心配をかけているのに、双子までこんなことになってしまって雪乃への負担が大きすぎる。
雪乃が自分でも涙をぬぐって真尋を見上げる。
「でも、夜もミルクをあげるでしょう?」
「記憶している限りだと……この頃は、夜中に一回、あげていた。うちの双子はよく寝るからな。……その時はリックか園田の手を借りる」
「リックさんも充さんも頼りになるけれど、サヴィラより子育て経験がないのよ……? ミルクの作り方がわからないと思うわ……充さん、平気そうな顔をしているけれど、動揺しているし。珍しくお皿を割っていたもの……」
「…………そうだ。アイテムボックスがあるだろ? キースに許可をもらって、ミルクを作って入れておけばいい」
「あなた、片腕じゃ抱けないじゃない」
「うっ」
「私も起きるから、起こしてね」
「だが……」
雪乃が真尋の手を取り、自分の頬に寄せた。涙にぬれた彼女の頬は柔らかい。
「あの子たちは私にとっても大事な子だもの」
「……そうだな。分かった」
親指の腹で彼女の頬を撫でる。
「ねえ、真尋さん。……ティーン様にお話は聞けないのかしら」
雪乃の問いに真尋は眉間にしわが寄る。
真智と真咲の体を作ったのは、真尋たちの体と同様にティーンクトゥスだ。彼なら今回の騒動に関する重要な情報を握っている可能性はある。あるにはあるが、何分、彼はポンコツなのである。
「ティーンクトゥスに最後に会ったのは、水の月の終わり、騒動が終結した後だ。あいつは……力を出し切って、当分、会えないと言っていた。そんな状態なのに、君たちをこちらへ呼んだんだ。俺に干渉して、会えるかどうか。……死にかけた時も、泣きわめいているだけで会話もできなかったしな」
「そうね……私たちを呼んでくれたことも、かなり力を使ったみたいだから。でも、祈ってくれる人が、信じてくれる人が増えたから、思ったより力の回復は早いって言っていたわ」
「そうか。……今頃、土下座の訓練をしながら力をためているのだろう。あいつがこの状況を放置し続けるとは思わんし、力が溜まれば会いに来るだろう」
真尋は溜息交じりに言った。
何分、ティーンクトゥスは力の配分というものが、壊滅的にへたくそなのである
「ふみゃ」
二人そろって顔を向ければ、真咲がぐずっていた。
雪乃が真尋の腕から抜け出して、真咲を抱き上げる。
「どうしたの? みーんな、ここにいるわよ」
ふみゃ、ふみゃ、と真咲は雪乃の腕の中で泣く。雪乃がゆらゆらと揺れながらあやしていると、今度は真智が「うみゃ、うみゃ」と泣き出した。真尋は手を伸ばして、その腹をとんとんと撫でてあやす。
二人分の泣き声は、なんだかまだまだか弱くて、稚い。
軽い足音が聞こえて顔を上げれば、サヴィラとミアが戻ってくる。
「パパ、ミアが抱っこしていい?」
ミアが真智に手を伸ばしながら尋ねてくる。
「ああ。頼む。でも座って抱くんだぞ」
「うん」
ミアはひょいっとベッドに乗って、ぺたんと座ると真智を抱き上げた。
うみゃうみゃと泣いていた真智だったが、ミアが「いいこねぇ」と声をかけながら、ゆらゆらと体を揺らすと、あっという間に泣き止んだ。すると真咲もぴたりと泣き止む。
「何度見ても不思議だよなぁ」
サヴィラが首を傾げる。
「アビーがあまりにも泣き止まないときは、ミアを頼ってたんだけど……当時、ミアは四歳かな? それでもやっぱりミアが抱くと泣き止むんだよね……」
「ノアは泣き虫だったから、ミアはじょうずなの」
ふふんとミアは誇らしげに胸を張り、すやすやと眠りだした真智をサヴィラが受け取って、ゆりかごに寝かせた。雪乃も彼女の腕の中で眠ってしまった真咲をその隣りへ寝かせる。
「ママ、赤ちゃん、かわいいねぇ。ずっとみてられるねぇ」
「ミアだってママはずっと見てられるわよ」
雪乃が愛おしむようにミアの頬を撫でた。ミアは「んふふ」と嬉しそうに笑って雪乃の手に甘える。
その光景を目と記憶に刻みながら、サヴィラを振り返る。
「ジルコンたちはあの部屋で大丈夫そうか?」
「うん。なんか戻ってきたミツルが言ってたけど『地下とはわかっておるの!』ってご機嫌だったらしいよ。早速温泉に行ったって」
「ドワーフ族は地下が好きなのかもな。鉱石や魔石があるのは、地下だからな」
「そっか」
サヴィラが納得しながら真尋の隣に座った。
雪乃がベッドにこしかけてゆらゆらとゆりかごを揺らしながら、子守唄を口ずさんでいる。耳慣れた日本語で紡がれる優しい歌をミアが彼女の隣で、じっと聞き入っている。
よく真尋がミアに歌っているので、メロディーを覚えているのであろう。真尋の隣でサヴィラも鼻歌を口ずさんでいる。
真尋の右腕が自由に動くようになった時、双子はどうなっているだろうか。赤ん坊のままなのか、あるいは、元に戻っているのか。
不確かすぎる未来にめまいを覚えて、詮無いことだ、と心の内で苦笑をこぼし、真尋もまた雪乃の子守唄に耳を傾けるのだった。
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ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
いつも閲覧、お気に入り登録、感想、エール、どれも励みになっております♪
明日の更新は未定です!!
次のお話も楽しんでいただけますと幸いです。
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そう、あのゲームを起動させるまでは……
大人気商品ワールドランド、略してWL。
ゲームを始めると指先一つリアルに再現、ゲーマーである主人公は感激と喜び物語を勧めていく。
しかし、突然目の前に現れた女の子に思わぬ言葉を聞かさせる……
女の子の正体は!? このゲームの目的は!?
これからどうするの主人公!
【スキル盗んで何が悪い!】始まります!
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俺しか使えない『アイテムボックス』がバグってる
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忙しくて自由のない女神の代わりに、異世界を楽しんでこよう♪
13話目くらいから話が動きますので、気長にお付き合いください!
最初はとっつきにくいかもしれませんが、どうか続きを読んでみてくださいね^^
※お気に入り登録や感想がとても励みになっています。 ありがとうございます!
(なかなかお返事書けなくてごめんなさい)
※小説家になろう様にも投稿しています
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小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
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お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
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注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
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