128 / 173
本編 2
第三十四話 話を聞く夫婦
しおりを挟む
「うっ、うぅっ、ひどいじゃないですかぁ……っ!」
真尋のベッドに突っ伏して泣くレベリオに、真尋は素知らぬ顔で本を読む。ここで仕事をしていた運の悪いリックと兄についてきたアルトゥロが気まずそうな顔で立っている。
帰還から一週間が経って、魔法を使わないならという条件の下、読書が許可されたのだ。だが、読めば試したくなるし、魔法を使いたくなるから、という理由で魔術学関連の本は読ませてもらえないので、歴史書やサヴィラおすすめの冒険小説を読んでいる。
そこへ「ナルキーサスが真尋の屋敷に住むことを決めた」とジョシュアに聞いたレベリオが駆け込んできたのだ。
「……レベリオ殿がいつまでたっても煮え切らないからでしょう。彼女は俺の命の恩人ですから、俺は彼女の味方ですよ」
「だからって、夫の許可もなしに……っ!」
「書類上のでしょう。そうやって夫という部分だけを振りかざすから、ナルキーサスがうんざりしているんですよ」
実用書が好きなので、滅多にこういった冒険小説は読まなかったのだが、サヴィラのおすすめだけあって面白い。あとで真智と真咲にもすすめようと真尋はページをめくる。
「俺としてはナルキーサスのような優秀な治癒術師が体の弱い妻の傍にいてくれること、妻の主治術師になってくれることは歓迎すべき点しかないので、一切の反対はありません。現に今も私の妻や息子たちと一緒に、新しい自室の家具を選びに行っていますしね」
はくはくとレベリオが唇を震わせた。
真尋の容態も安定しているのでナルキーサスは雪乃と子どもたち、そして、園田とともに黄の地区の家具工房へ出かけているのだ。真尋も一緒に行きたかったが、この怪我では到底無理だ。なので、しょうがないので諦めて財布を園田に預けた。
「それと近々、私は妻と子どもたちと共に、しばらくグラウで療養します。無論、護衛騎士であるリックと、私の執事、そして、主治術師であるキースにも同行してもらいますので」
しれっと真尋が告げれば、レベリオは「じんぷざまぁ!」とベッドに突っ伏したまま叫んだ。
「兄上、子どもじゃないんですから……」
アルトゥロが兄の背に声をかけるが、レベリオは顔を上げない。すすり泣きが聞こえて来るだけだ。
真尋は、アルトゥロの縋るような眼差しに、渋々、本を閉じて突っ伏すレベリオに顔を向ける。
「……レベリオ殿」
名前を呼ぶが反応はない。
「レベリオ殿は、キースとどのような形に収まりたいのですか? どんな関係になりたいのですか?」
真尋の問いにレベリオのすすり泣きが止む。
ベッドに突っ伏したまま、レベリオは自分自身に問いかけて、答えを探しているようであった。
カタカタと秋の風が窓ガラスを揺らす。
「…………夫婦に」
顔を上げないままレベリオが告げる。
「息子が、シャマールがいたころのような、仲の良い夫婦に、もどりたい、です」
「それは、無理です」
真尋はきっぱりと言い切った。
シャマールの存在を知るアルトゥロは、まるで自分の胸が激しく痛んでいるかのような悲しそうな顔で兄を見つめ、息子がいたことを知らないリックは目を丸くしていた。
「シャマールは、死にました」
レベリオの肩が大げさなほどにはねた。
布団を握りしめる手に力がこも、布団の皺が深くなる。
「シャマールはもういないのですから、あの頃に戻ることはできません」
真尋は、そう言葉にしながら納得もしていた。
レベリオが、ナルキーサスの男装や生き方を否定するのは、あの頃に戻りたかったからなのだと。まだシャマールが生きていて、ナルキーサスが夫が好きだと言った長い髪を丁寧に結わえていた――ただただ幸せだったあの頃に彼は戻りたいのだ。
ナルキーサスは、息子の死を受け入れて生きている。いつまでも悲しいままでは、あの子が悲しむからと顔を上げて、息子が好きだと言った笑顔で生きている。
だが、レベリオは、きっとまだ息子の死を受け入れられていないのだ。
だから、時間を戻そうとしている。
「レベリオ殿、例えナルキーサスがドレスを身に纏って、あの緑の髪を伸ばして結わえても、シャマールが居た頃には戻れないのですよ。時間を戻すことは、人の命を取り戻すことができないように、私たちにも神にも、できないことです」
ただじっと真尋の言葉を聞くレベリオは、何を想っているのだろうか。
布団を握りしめる武骨な手が微かに震えているのには、きっとアルトゥロもリックも気づいているだろう。
レベリオだって、真尋に言われなくても分かっているはずだ。シャマールが二度と戻らないことも、ナルキーサスに昔のようにふるまうことを強制しても何の意味もないことも分かっているけれど、息子の死を受け入れ切れていない彼は、必死に幸福だった過去に縋っている。
「…………あの子は、良い子でした。とても、優しい子で、した」
小さな声が囁くように告げる。
「キースは、あの子の優しいところは、貴方に似たのだと言っていましたよ」
レベリオは首を横に振った。亜麻色の髪が、さらり、さらりと揺れる。
「私は……何も出来ない、無能な父親でした……っ」
見ていることしかできなかった、と悔しさが滲んだ声が悲痛に響く。
十三年、抱え続けているのだろうその後悔を、彼はこれまで口にしたことがあったのだろうか。
「それをナルキーサスに伝えるべきだったんです。取り繕って、自分の想いばかり押しつけるのではなく、その後悔を口にすればよかったんです」
「でも、私は彼女を傷つけたくありません……っ」
真尋には言えない思いも、彼の中にあるのだろう。
一路もそうだが、言葉が尖ってしまうのを嫌がる彼らは、真尋と違ってとても優しい人だと思う。自分の口から出た言葉の刃が、大切な人を傷つけてしまうのを、彼らは恐れていると同時に、どれほどの激情がその刃となっているか知っているのだ。
「伝えなければ何も前には進みませんよ」
真尋は、少し起こしていた体をクッションに任せる。
これだけのことで疲れを感じる。体力の低下が甚だしくて嫌になる。
「神父様ぁ……」
レベリオの情けない声がする。
いつも胃をさするウィルフレッドの後ろで、涼しい顔をしていたのが嘘のようだ。間違いなくアルトゥロの兄であるということを彼は身を持って証明している。
「神父様、体調が万全ではないのは僕が一番知っていますが……何か妙案はないでしょうか」
アルトゥロが申し訳なさそうに言った。
真尋は彼を見上げる。彼は突っ伏す兄の背をじっと見つめていた。
「この人は、子どものころからご存知の通り冷静で涼しい顔を崩さない人でした。僕が騎士に向いていないのも、淡々と父と母に説明してくれるような人で、慌てるとか泣きわめくとか、そういう姿は見たことがなかったんです。でも……義姉上と出会って、僕は冷静じゃない兄上を初めて見ました。義姉上の一挙手一投足に一喜一憂して、必死に口説いて結婚したんです。僕も兄もエルフ族としての血が濃いので、運命の伴侶を見つけて来た兄上は、家族に祝福されて結婚しました。……でも、まさかシャマールが死んでしまうと、誰が想像したでしょうか」
眼鏡の向こうで長い睫毛が悲しそうに伏せられた。
「可愛い子でした。僕にも懐いてくれて、舌足らずに僕の名を呼ぶ声を今もなお、はっきりと覚えています。……僕らの時間の感覚でいえば、十三年なんて、ほんの一瞬のこと。シャマールと過ごした七年よりは長くなったその時間を、未だに僕らは消化できないのです」
アルトゥロの言葉に顔を上げたレベリオが、ちらりとリックを見た。
生きていれば、まさにリックと同い年の青年に成長していたのだろう息子を思い浮かべたのかもしれない。リックは騎士で、子爵家は騎士の家系であるがゆえに、その姿がより一層、重なるのだろう。
もしかしたら、シャマールも今のリックのような立派な騎士になっていた未来だって、あったかもしれないのだ。
「レイが……ミモザの死を受け入れることがなかなかできなかったように。クレアやルーカスが、未だに祈り続けるように……大事であればあるほど、人もエルフも忘れないように、足掻くのかもしれません」
「……どうすれば受け入れられるのでしょう」
レベリオの途方にくれた声が問う。
「……自分は生きているのだと受け入れて、前を向くことです。生きている者にはそれしかできません」
「でも、置いていくことは、私にはできないのです、ずっと傍にいてほしいのです」
「置いていく必要も、忘れる必要もありません。その胸に抱えて、生きていた時と同じように大事に大事にすればいいんです。すると不思議なことに思い出すのは、きっと、笑顔ばかりになるでしょうから。ナルキーサスが、あの子の笑顔やとんでもない悪戯の話ばかりをしてくれるように」
レベリオは、唇を震わせて目を閉じた。アルトゥロが、兄の背をいたわるように撫でる。
「……私も、本当の父と母、兄を山賊の襲撃によって喪いました。当時私はまだ四つで彼らのことはほとんど覚えていません。あの夜の恐怖は、未だに私を苛むことがあります」
リックの言葉に兄弟が目だけを彼に向けた。
「私自身が覚えているのは、父の手が大きかったこと、母に抱き締められるのが好きだったこと、兄の背を追いかけてばかりいたこと、そして、それぞれが死んでいた場所。顔だって声だってもう覚えていません。でも、どうしてか……顔も思い出せないはずなのに、私の中で、彼らはいつだって笑ってくれています」
リックは穏やかに微笑んだ。
「それは叔母夫婦が、たくさん話をしてくれたからです。兄さんはこういう人で、義姉はこういうひとだった。あんなことがあって、あなたのお兄ちゃんはこうだったのよ、とたくさん、たくさん、話してくれました。遠く離れた故郷ですから、それはお互いにやり取りしていたという手紙がもたらした思い出でした。ですがそのおかげで、私は、今もなお、今の家族も本当の家族も、愛しています。思い出を共有し続けることは、きっと死者への手向けの一つだと、私は思っています」
「思い出すことは傷つくばかりだと……」
レベリオの呟きにリックは首を横に振る。
「思い出さねば、消えるだけです。だから、悲しい思い出も、楽しい思い出も、確かにあった幸福だった時間を、ずっとずっと共有し続けていければいいと、そう願います」
「人の記憶なんて脆いものですから、皆で覚えていることが、思い出すことが永遠につながるのです。私たちよりもずっと長い時を生きる貴方たちなら、なおさら」
真尋が付け足した言葉にレベリオは顔を伏せ、アルトゥロは、ぐすんと鼻をすすって眼鏡を押し上げると腕で目元を拭った。
部屋の中に沈黙が落ちる。微かな涙の零れる音は聞こえないふりをして、真尋は再び本を開く。
「…………グラウで、一度だけ私と妻が同席するのを条件に、ナルキーサスとの話し合いの席を設けます」
ばっとレベリオが顔を上げた気配が本の向こうでした。
「時間と場所は私が知らせます。それに来るか来ないかは、レベリオ殿に任せます。返事をください。ブランレトゥならポチを迎えにやりますし、グラウでこっそり待つならそれでもかまいません。ただし、必ずウィルフレッド閣下の許可は得て下さい。前回のように独断では来ないで下さいね」
「分かりました、必ず、必ずウィルフレッドに許可を得てから行きます!!」
「これは貸しです。うまくいってもいかなくても、それ以降は知りませんからね。私は療養するんです」
「頑張ります! 今から仕事の調整をしてきます!!」
言うが早いか起き上がったレベリオが部屋を出て行く。
慌ただしく去って行くその背を見届けて、真尋はため息を一つ零す。
「……解決すると思うか?」
「それは……まあ、レベリオ殿次第かと」
リックが曖昧に告げた。
アルトゥロが「ありがとうございます」と頭を下げる。
「……丸く収まればいいのですが……」
心細そうにアルトゥロが零す。
「レベリオ殿が、きちんと自分の気持ちを正直に吐露できれば、話はまとまるはずなんだがなぁ」
「それができないからこじれて十三年なのでは?」
リックが苦笑交じりに眉を下げた。アルトゥロが「そうなんですよねぇ」と肩を落とす。
「ったく、乳兄弟で揃いも揃って困ったものだ。あっちの夫婦も夫婦でなんとか解決しなければなぁ。」
「そっちも何卒、よろしくお願いします、神父様ぁ」
アルトゥロが情けない声を出す。兄弟でそっくりだ。
「ジークには恩を売れるだけ売らねば。俺は土地が欲しい」
「…………何をなさる気ですか?」
何故だか身構えるリックに胡乱な目を向ける。どうして彼は雪乃に渡したはずの日記帳を持っているのだろう。
「農業だ。幸い、ここは川べりの町。田んぼも作れるはずだ。俺は米と共に生き、味噌と醤油を愛でて人生を謳歌したい」
「……その食への欲を、睡眠に向けてくれませんかねぇ」
アルトゥロが言った。
雪乃がいるので真尋としては絶好調に眠っているのだが、治癒術師からするとそれでも短いらしい。四時間は確実に寝ているのに。
「それより、本当に義姉上はここに住むんですか?」
「そうだが? 雪乃の主治術師になってくれるって言うので、俺としても是非住んでいてほしい。魔導師としての仕事を優先すると言っていたぞ」
「……領都内にいてくれることに感謝しないといけませんよね……はぁ」
兄たちのおかげで、何かと気苦労が絶えない弟たちが少し憐れに思えなくもないが、真尋にとっての一番はどうやっても雪乃と子どもたちなので、全面的にナルキーサスの味方であるし、雪乃が「お友だちになったのよ」と言っていたので、アマーリアの味方でもある。そもそも根性のない男たちが悪いのだ。
「神父様、義姉上のこと、よろしくお願いします。強いけれど、繊細な人なので」
「ああ」
「じゃあ、僕は部屋に戻りますね。お薬を煎じてしまいますから、安静にしてくださいね」
最近、アルトゥロとナルキーサスの退室の挨拶が「安静にしてください(していろ)」になりつつあるな、と思いながら真尋はその背を見送った。
静かになった部屋で急に寂しさを感じる。(小言の多い護衛騎士は除いて)誰もいないのはここへ帰って来て初めてだ。
「…………俺も一緒に行きたかった」
きっと妻も子どもたちも楽しくしているだろう。
「でしたら大人しくして、療養に専念してください」
冷たい護衛騎士は、そう告げてベッドの傍に置かれた自分のデスクに戻って行く。彼はここで真尋を監視しながら仕事をこなしているのだ。真尋はその背を恨めしく睨んでから、本へと視線を戻したのだった。
「マヒロの紹介だけあって、どの職人の腕も素晴らしかったな」
機嫌よくナルキーサスが言った。
雪乃は「そうですね」と笑いながら、紅茶の入ったカップに口をつける。
雪乃が居るのは青の2地区の公園内にあるカフェだ。カフェの前に広がる芝生の上では、双子とサヴィラとミア、ジョンにリース、レオンハルトとシルヴィアが護衛で着いて来てくれた第二小隊の騎士たちと、そして、テディが楽しそうに遊んでいる。
今日は、真尋の容態も安定しているため、アルトゥロに後を任せて、ナルキーサスの部屋の家具を見に来たのだ。真尋が自分自身の書斎の机やソファなどを買った家具工房を三件ほど紹介してくれたので、ナルキーサスと共に見て回ったのだ。
彼女は部屋に必要なもののほとんどを既に買い求め、彼女のアイテムボックスに入っている。支払いは真尋から財布を預かって来た充が代わりにしていた。
真尋のお気に入りの職人とあって、最高品質の家具はなかなかの値段だったので少し躊躇いを見せたナルキーサスだったが彼女には夫の命を助けてもらった恩があるので、家具ぐらいいくらでもプレゼントしたい、と納得してもらった。
買い物を終えて、公園に行きたいという子どもたちの要望に応え、ここにやって来たのだ。
「元気なものだなぁ」
芝生の上を転げまわるようにして遊ぶ子どもたちにナルキーサスが目を細める。
秋も深まり肌寒い風が時折、子どもたち髪を揺らす。しかし、上気した頬は寒さをものともしない満面の笑みが浮かんでいた。
きゃらきゃらと笑う声がそこかしこで聞こえて来る。騎士たちが体を張って遊んでくれているので(高すぎる高い高いや、腕ブランコなど)、他所の子どもたちまで集まっていて、テディはじっとジャングルジム役に徹しているし、サヴィラは得意の地の魔法で蔦を操り、ブランコを作って子どもたちを遊ばせてくれている。
ここはテラス席だが、器用な充が風の魔法で雪乃たちを囲ってくれているため、温かい。その充は、今日も雪乃の背後に控えている。
「レオンもヴィーも、本家にいた時は、あそこまで子どもらしい笑みを浮かべることはなかった。あんな年相応の子どもらしい笑みは初めて見るよ」
本家とは、領主の城館のことだろう。
テディの上に立って、他の子に登り方を指南しているレオンハルトもミアと一緒にサヴィラのブランコで遊ぶシルヴィアも、無邪気な笑みを浮かべている。
「あの子たちは、自分の親が背負っているもの、これから自分が背負うものを理解している賢い子たちだ。我が儘よりも先に我慢を覚えてしまったんだよ。だが、こうしてその辺の子どもたちと同じように遊ぶ時間だって本当は必要だったんだ。だが……ジークは、城館に閉じ込めて護ると言う不器用な方法しか思いつかなかったんだな」
「アマ、いえ、マリア様も悩んでいましたわ。夫が自分を必要とはしていないって……護りたいから閉じ込めるなら、そのことをちゃんと伝えないといけませんのにね」
雪乃は、相談して来た悲しそうなアマーリアを思い浮かべて、苦笑を零す。
ナルキーサスは「本当に」と頷いて、林檎のタルトを切り分けて口へ運ぶ。
「……君とマヒロは夫婦喧嘩とかするのか?」
「ええ、しますよ。……それに近いうちに、あの人、盛大に駄々こねるでしょうし」
「そうなのか?」
ナルキーサスが不思議そうに首を傾げた。
「……子どもを作るか作らないかで、揉めると思います」
雪乃の言葉にナルキーサスは目を丸くして、ぱちりと大きく瞬きを一つした。
「だが……君は子どもが産めないと」
おそらく真尋から聞いたのだろう。ナルキーサスが躊躇いがちに言った。
あの警戒心の強い夫は、よほど彼女を信頼しているようだ、と雪乃は微笑む。真尋に心を許せる人が増えるのはいいことだ。
「ええ。里を出る前はそうでした。本当に今より倒れてばかりいて……熱なんて一度出れば一週間は下がりませんでしたし。でも、今はもう大丈夫なのですよ。子どもを一人、二人は産んでも平気と言われたんです。まだ真尋さんに伝えてはいません。あんな状態ですからね。でも、きっと真尋さんは、子どもは必要ないって言うでしょうね」
「どうしてだ? マヒロは親馬鹿になるほど子煩悩じゃないか」
「それでもやっぱり私を喪うのが怖いんですよ。病だったらそれまでだけれど愛する子どもが、最愛の私を奪ってしまうことが、憎しみを子どもに向けてしまうかもしれないことが、あの人は、きっと一番怖いんです。案外、臆病な人だもの」
「……ドラゴンぶん殴るような男を、臆病だって言うのは君だけだと思うぞ」
ナルキーサスが苦笑交じりに言って、目を伏せた。
最後のひと口になったタルトをナルキーサスが口へと放り込んだ。
「だが、もし……君が子を宿した時は、私が全力で支えるよ。……妊娠も出産は命懸けた。私も出産で死にかけたんだ」
思わぬ言葉に雪乃は、瞬きを一つする。
「二週間生死の境をさ迷った。子どもは無事だったが、子宮を失った。……その子も七歳の時に病で、な」
雪乃は、テーブルの上にあったナルキーサスの手にそっと自分の手を重ねた。
なんだか彼女が泣き出しそうに見えたのだ。
背の高い彼女の手は、雪乃より少し大きいけれど細くて華奢な手だった。
ナルキーサスは、黄色の瞳を柔らかに細めて「ありがとう」と雪乃の手を握り返した。彼女の指先がひんやりと冷たい。
「あれこれに嫌気が差して割と衝動で飛び出してきたんだ。だから住む家が決まっただけでも、とても安心した。マヒロにも君にも感謝しているよ」
「感謝しているのは私もです。キース先生たちは、私の夫を助けてくれたんですもの」
「あれは、ミアを嫁にやると言えば心停止さえも自力で回復してくる男だからなぁ……私もこちらへ着いて君のおかげで治療は施せたが、予断は許されない状態で万が一の時は、君の再婚が決まったと言うべきか、と覚悟していたよ」
冗談ではなく割と真剣に言っているナルキーサスに雪乃は何と言えばいいか分からなかった。
「……あの時、治療院ではなく真っ先に屋敷へ帰ったのは、万が一の可能性もあると思ったからだ。せめて……マヒロが何より愛する子どもたちに会わせてやりたかった」
ナルキーサスは、遊ぶ子どもらに顔を向けて、淡々と告げた。
諦めが悪い治癒術師とアルトゥロに言わしめた彼女でさえ、真尋の死を覚悟したのと雪乃は悟る。真尋が覚悟したものを、優秀な治癒術師である彼女が気が付かないわけはない。
「だが、執念で生き返ったあいつを見ていたら、なんだか私ももっと自分を曝け出して生きて行こうと思ってな。自分のしたいことをやろうと思ったんだ。私は、ありとあらゆる病を倒して、治療に役立つ魔道具を作りたい。大事な人を喪う悲しみを、一つでも減らしたいんだ」
黄色の瞳は、真っ直ぐに子どもたちを見つめていた。
雪乃の手を握る彼女の手の力が少し強くなる。きっと、それは彼女にとって勇気のいる決断だったに違いなかった。
「私も夫もキース先生を心から応援しています」
「ふふっ、ありがとう。だが君の夫の発明も素晴らしいぞ。クロードとの共同研究、私も一枚かませてもらえんかな」
「それは夫に相談してくださいな」
「…実は…このブレスレットも、マヒロが作ってくれたアイテムボックスなんだ。アイテムボックスは、性質上鞄やポーチが普通で、アクセサリー類はなかなか難しいが、ぽんと作ってくれてな」
そう言ってナルキーサスは、握り合う手とは反対の手の手首を見せてくれた。
細い手首に植物をモチーフとしているのであろう銀製のブレスレットがぴったりと収まっていた。黄色の魔力が込められた魔石が一つ真ん中に飾られている。
「私の息子の遺骨もここにある。……おかげでずっとこうして一緒にいられる」
ナルキーサスが、まるで我が子の額にキスをするように、ブレスレットに唇を寄せた。
「今回、エルフ族の里の墓に埋葬しようと思ったが、出来なかった。忙しかったのもあるが……まだ一緒にいてほしいと願ってしまったんだ。我が儘な母親だろう?」
「いいえ、我が儘じゃありませんよ。まだ息子さんも、お母さんと一緒にいたいのかもしませんね」
雪乃の言葉にナルキーサスが瞬きを一つして、雪乃を振り返った。
「……そうだろうか」
「ええ。だって、子どもはお母さんが大好きですもの。キース先生が心から愛していたように、息子さんだってキース先生が大好きなんですよ。両想いだから離れがたいのね」
「両想いか……そうか」
ナルキーサスが下をむき、小さく鼻を啜ったのが雪乃の兎の耳には聞こえた。
だが、顔を上げたナルキーサスは、なんだか子どもみたい無邪気な笑顔を浮かべていた。
「うん、あの子も私が大好きだったよ。レベリオがやきもちを妬くほどに」
「ふふっ、ならまだまだ一緒にいないといけませんねぇ。拗ねちゃいますよ」
「それは困る。誰に似たのかへそを曲げると長いんだ」
握りしめていたナルキーサスの手が離れて、愛おしむようにブレスレットを撫でた。
優しく触れる指先に、確かに愛情があった。
「ママー!」
ミアがぱたぱたと駆け寄って来る。
「どうしたの?」
走り回っていたからか、汗をかく娘の髪を撫で、頬にくっついていた髪を指先で払う。
「みてみて、きれいな葉っぱ!」
ほら、と差し出された小さな手は、赤く染まった葉っぱを握っていた。雪乃はそれを受け取って日にかざす。
「綺麗ね、秋の色だわ」
「あとね、あっちにね、黄色のはっぱもあったから、こっちは先生にあげる!」
ミアは反対の手に持っていた黄色の葉っぱをナルキーサスに渡す。ナルキーサスは嬉しそうにそれを受け取った。
「先生のおめめの色といっしょでしょ?」
「そうか? こんなに綺麗な色と一緒だなんて、光栄だよ」
ぽんぽんと細い手がミアの頭を撫でた。ミアは嬉しそうに笑うと「ミアちゃーん、どんぐりあった!」という興奮したジョンの声に「ほんとう?」と振り返った。
「ママ、どんぐり! いってくる!」
「ふふっ、行ってらっしゃい。転ばないようにね」
ミアはまた元気よくジョンのもとに駆け寄っていき、木の下にしゃがみこんでどんぐりと拾い出した。続々と子どもたちが増えて、小さな背中がいくつも並び、どんぐりを拾っている。どこの世界でも子どもにとって、どんぐりは魅力的なようだ。
それはとても可愛いらしい秋の光景だった。そこに騎士たちも加わって、テディは……明らかにどんぐりを食べている。
「このどんぐりって食べられるのかしら」
「栗鼠系の小型の魔物が食べているし、毒性はないし、食えんことはないが……灰汁がすごくて、えぐい」
ナルキーサスがそう教えてくれる。
「あら、じゃあもしテディのごはんにならない分があったら、お団子を作ってあげようかしら」
「君は本当に何でも作れるな」
「真尋さんは私のごはんが大好きだから、あれこれ研究した結果です。あの人、私のごはんを食べているときが、一番、可愛いのよ」
「……あいつを可愛いって言うのも君だけだと思うがなぁ」
よく一路や海斗にも同じことを言われるが、真尋はあんなに可愛いのに、どうして伝わらないのだろう。
「だが確かに君の作るおかゆを食べ始めてから、マヒロの数値はかなりよくなっている。よほど君のごはんが好きなんだな。分かりやすくて笑ってしまったよ」
「あの人が元気になったら、あれもこれも作ってあげたいんです。早く元気になりますようにって、愛情を込めているからかしら」
「まあ、愛情に勝る薬はないかもしれんな。どれ、私もそのだんごとやらに興味がある。参加して来よう」
そう言ってナルキーサスが立ち上がる。
なら私もと雪乃も席を立つ。
「充さんも行きましょう」
静かに背後に控えていた充に声をかける。
「はい、足元、お気をつけてください」
店員さんに声をかけて、会計を充が済ませ、テラスを降りて子どもたちの下へ行く。
「雪ちゃん、みてみて、こんなにいっぱい!」
「こっちはレアな帽子付きだよ!」
真智と真咲が両手いっぱいのどんぐりを雪乃に見せに来てくれる。
ミアやシルヴィアがスカートをバスケット代わりにして、子どもたちがそこにたくさんどんぐりと入れていた。真智と真咲もそこに入れに行く。充が「バスケットがございますよ」とどこからともなく取り出したバスケットを子どもたちに渡すために追いかけていく。
雪乃はその場にしゃがんで、一粒拾う。艶々として、綺麗などんぐりだ。
「秋の実りね」
「今年は豊作だな。たくさん落ちている」
ナルキーサスも横にしゃがんで、どんぐりを拾う。
「来月には収穫祭があるんだよ。約二週間、ブランレトゥは文字通りお祭り騒ぎになる」
「ええ、子どもたちが教えてくれて、行けるかしら」
「マヒロ次第だなぁ。グラウの温泉は怪我にいいから、大人しくして無茶をしなければ、祭りに行くくらいには回復しているさ。大人しくしていればな」
大事なことなんだろう。大人しくしていればを二回言ったナルキーサスに雪乃は苦笑する。雪乃の夫は、暇を持て余すのが苦手なのだ。
「そういえば、白トカゲは留守番か?」
「いえ、私のスカートのポケットの中で寝ていますよ。まだ外に出しちゃダメと言われているので……皆、びっくりしちゃいますものね」
タマもポチも体の大きさは自在に変えられるそうで、今は手のひらサイズになってタマは雪乃のスカートのポケットの中で熟睡している。
「ふむ……興味深い生き物だな。白トカゲと黒トカゲの鱗や血にはどんな薬効があるか、今から楽しみだな」
タマに対して、大体の人間が驚き以外の言葉がない中で、ナルキーサスだけは最初から「ほー、これはこれは……貴重な素材が採れそうだな」と言った。驚くでも怖がるでも無く、素材の話をしだしたのは、彼女だけだった。
真尋も言い出しそうなセリフだったので、本当に類は友を呼ぶんだなぁ、と雪乃は感心してしまったほどだ。
ふふっと笑い出した雪乃にナルキーサスが首をかしげる。雪乃は「なんでもありません」と首を横に振って、子どもたちに顔を向ける。
「みんな、バスケットがいっぱいになったら帰りますよ。真尋さんが首をながーくして待っているから、そろそろ帰らないと拗ねちゃうわ」
「はーい!」
子どもたちの元気な返事に「いい子ね」と返して、雪乃とナルキーサスは立ち上がる。
それからバスケットいっぱいのどんぐりと、数枚の綺麗な葉っぱをお土産に、雪乃たちは真尋の待つ家へと帰ったのだった。
ーーーーーーーー
ここまで読んで下さって、ありがとうございます!
いつも閲覧、お気に入り登録、コメント、励みになっております。
次回の更新は番外編になるか、本編になるかは未定ですが
24日(土)、25日(日) 19時に更新予定です。
予定が決まりましたら、いつも通りTwitterにてお知らせします!
次のお話も楽しんで頂けますと幸いです。
真尋のベッドに突っ伏して泣くレベリオに、真尋は素知らぬ顔で本を読む。ここで仕事をしていた運の悪いリックと兄についてきたアルトゥロが気まずそうな顔で立っている。
帰還から一週間が経って、魔法を使わないならという条件の下、読書が許可されたのだ。だが、読めば試したくなるし、魔法を使いたくなるから、という理由で魔術学関連の本は読ませてもらえないので、歴史書やサヴィラおすすめの冒険小説を読んでいる。
そこへ「ナルキーサスが真尋の屋敷に住むことを決めた」とジョシュアに聞いたレベリオが駆け込んできたのだ。
「……レベリオ殿がいつまでたっても煮え切らないからでしょう。彼女は俺の命の恩人ですから、俺は彼女の味方ですよ」
「だからって、夫の許可もなしに……っ!」
「書類上のでしょう。そうやって夫という部分だけを振りかざすから、ナルキーサスがうんざりしているんですよ」
実用書が好きなので、滅多にこういった冒険小説は読まなかったのだが、サヴィラのおすすめだけあって面白い。あとで真智と真咲にもすすめようと真尋はページをめくる。
「俺としてはナルキーサスのような優秀な治癒術師が体の弱い妻の傍にいてくれること、妻の主治術師になってくれることは歓迎すべき点しかないので、一切の反対はありません。現に今も私の妻や息子たちと一緒に、新しい自室の家具を選びに行っていますしね」
はくはくとレベリオが唇を震わせた。
真尋の容態も安定しているのでナルキーサスは雪乃と子どもたち、そして、園田とともに黄の地区の家具工房へ出かけているのだ。真尋も一緒に行きたかったが、この怪我では到底無理だ。なので、しょうがないので諦めて財布を園田に預けた。
「それと近々、私は妻と子どもたちと共に、しばらくグラウで療養します。無論、護衛騎士であるリックと、私の執事、そして、主治術師であるキースにも同行してもらいますので」
しれっと真尋が告げれば、レベリオは「じんぷざまぁ!」とベッドに突っ伏したまま叫んだ。
「兄上、子どもじゃないんですから……」
アルトゥロが兄の背に声をかけるが、レベリオは顔を上げない。すすり泣きが聞こえて来るだけだ。
真尋は、アルトゥロの縋るような眼差しに、渋々、本を閉じて突っ伏すレベリオに顔を向ける。
「……レベリオ殿」
名前を呼ぶが反応はない。
「レベリオ殿は、キースとどのような形に収まりたいのですか? どんな関係になりたいのですか?」
真尋の問いにレベリオのすすり泣きが止む。
ベッドに突っ伏したまま、レベリオは自分自身に問いかけて、答えを探しているようであった。
カタカタと秋の風が窓ガラスを揺らす。
「…………夫婦に」
顔を上げないままレベリオが告げる。
「息子が、シャマールがいたころのような、仲の良い夫婦に、もどりたい、です」
「それは、無理です」
真尋はきっぱりと言い切った。
シャマールの存在を知るアルトゥロは、まるで自分の胸が激しく痛んでいるかのような悲しそうな顔で兄を見つめ、息子がいたことを知らないリックは目を丸くしていた。
「シャマールは、死にました」
レベリオの肩が大げさなほどにはねた。
布団を握りしめる手に力がこも、布団の皺が深くなる。
「シャマールはもういないのですから、あの頃に戻ることはできません」
真尋は、そう言葉にしながら納得もしていた。
レベリオが、ナルキーサスの男装や生き方を否定するのは、あの頃に戻りたかったからなのだと。まだシャマールが生きていて、ナルキーサスが夫が好きだと言った長い髪を丁寧に結わえていた――ただただ幸せだったあの頃に彼は戻りたいのだ。
ナルキーサスは、息子の死を受け入れて生きている。いつまでも悲しいままでは、あの子が悲しむからと顔を上げて、息子が好きだと言った笑顔で生きている。
だが、レベリオは、きっとまだ息子の死を受け入れられていないのだ。
だから、時間を戻そうとしている。
「レベリオ殿、例えナルキーサスがドレスを身に纏って、あの緑の髪を伸ばして結わえても、シャマールが居た頃には戻れないのですよ。時間を戻すことは、人の命を取り戻すことができないように、私たちにも神にも、できないことです」
ただじっと真尋の言葉を聞くレベリオは、何を想っているのだろうか。
布団を握りしめる武骨な手が微かに震えているのには、きっとアルトゥロもリックも気づいているだろう。
レベリオだって、真尋に言われなくても分かっているはずだ。シャマールが二度と戻らないことも、ナルキーサスに昔のようにふるまうことを強制しても何の意味もないことも分かっているけれど、息子の死を受け入れ切れていない彼は、必死に幸福だった過去に縋っている。
「…………あの子は、良い子でした。とても、優しい子で、した」
小さな声が囁くように告げる。
「キースは、あの子の優しいところは、貴方に似たのだと言っていましたよ」
レベリオは首を横に振った。亜麻色の髪が、さらり、さらりと揺れる。
「私は……何も出来ない、無能な父親でした……っ」
見ていることしかできなかった、と悔しさが滲んだ声が悲痛に響く。
十三年、抱え続けているのだろうその後悔を、彼はこれまで口にしたことがあったのだろうか。
「それをナルキーサスに伝えるべきだったんです。取り繕って、自分の想いばかり押しつけるのではなく、その後悔を口にすればよかったんです」
「でも、私は彼女を傷つけたくありません……っ」
真尋には言えない思いも、彼の中にあるのだろう。
一路もそうだが、言葉が尖ってしまうのを嫌がる彼らは、真尋と違ってとても優しい人だと思う。自分の口から出た言葉の刃が、大切な人を傷つけてしまうのを、彼らは恐れていると同時に、どれほどの激情がその刃となっているか知っているのだ。
「伝えなければ何も前には進みませんよ」
真尋は、少し起こしていた体をクッションに任せる。
これだけのことで疲れを感じる。体力の低下が甚だしくて嫌になる。
「神父様ぁ……」
レベリオの情けない声がする。
いつも胃をさするウィルフレッドの後ろで、涼しい顔をしていたのが嘘のようだ。間違いなくアルトゥロの兄であるということを彼は身を持って証明している。
「神父様、体調が万全ではないのは僕が一番知っていますが……何か妙案はないでしょうか」
アルトゥロが申し訳なさそうに言った。
真尋は彼を見上げる。彼は突っ伏す兄の背をじっと見つめていた。
「この人は、子どものころからご存知の通り冷静で涼しい顔を崩さない人でした。僕が騎士に向いていないのも、淡々と父と母に説明してくれるような人で、慌てるとか泣きわめくとか、そういう姿は見たことがなかったんです。でも……義姉上と出会って、僕は冷静じゃない兄上を初めて見ました。義姉上の一挙手一投足に一喜一憂して、必死に口説いて結婚したんです。僕も兄もエルフ族としての血が濃いので、運命の伴侶を見つけて来た兄上は、家族に祝福されて結婚しました。……でも、まさかシャマールが死んでしまうと、誰が想像したでしょうか」
眼鏡の向こうで長い睫毛が悲しそうに伏せられた。
「可愛い子でした。僕にも懐いてくれて、舌足らずに僕の名を呼ぶ声を今もなお、はっきりと覚えています。……僕らの時間の感覚でいえば、十三年なんて、ほんの一瞬のこと。シャマールと過ごした七年よりは長くなったその時間を、未だに僕らは消化できないのです」
アルトゥロの言葉に顔を上げたレベリオが、ちらりとリックを見た。
生きていれば、まさにリックと同い年の青年に成長していたのだろう息子を思い浮かべたのかもしれない。リックは騎士で、子爵家は騎士の家系であるがゆえに、その姿がより一層、重なるのだろう。
もしかしたら、シャマールも今のリックのような立派な騎士になっていた未来だって、あったかもしれないのだ。
「レイが……ミモザの死を受け入れることがなかなかできなかったように。クレアやルーカスが、未だに祈り続けるように……大事であればあるほど、人もエルフも忘れないように、足掻くのかもしれません」
「……どうすれば受け入れられるのでしょう」
レベリオの途方にくれた声が問う。
「……自分は生きているのだと受け入れて、前を向くことです。生きている者にはそれしかできません」
「でも、置いていくことは、私にはできないのです、ずっと傍にいてほしいのです」
「置いていく必要も、忘れる必要もありません。その胸に抱えて、生きていた時と同じように大事に大事にすればいいんです。すると不思議なことに思い出すのは、きっと、笑顔ばかりになるでしょうから。ナルキーサスが、あの子の笑顔やとんでもない悪戯の話ばかりをしてくれるように」
レベリオは、唇を震わせて目を閉じた。アルトゥロが、兄の背をいたわるように撫でる。
「……私も、本当の父と母、兄を山賊の襲撃によって喪いました。当時私はまだ四つで彼らのことはほとんど覚えていません。あの夜の恐怖は、未だに私を苛むことがあります」
リックの言葉に兄弟が目だけを彼に向けた。
「私自身が覚えているのは、父の手が大きかったこと、母に抱き締められるのが好きだったこと、兄の背を追いかけてばかりいたこと、そして、それぞれが死んでいた場所。顔だって声だってもう覚えていません。でも、どうしてか……顔も思い出せないはずなのに、私の中で、彼らはいつだって笑ってくれています」
リックは穏やかに微笑んだ。
「それは叔母夫婦が、たくさん話をしてくれたからです。兄さんはこういう人で、義姉はこういうひとだった。あんなことがあって、あなたのお兄ちゃんはこうだったのよ、とたくさん、たくさん、話してくれました。遠く離れた故郷ですから、それはお互いにやり取りしていたという手紙がもたらした思い出でした。ですがそのおかげで、私は、今もなお、今の家族も本当の家族も、愛しています。思い出を共有し続けることは、きっと死者への手向けの一つだと、私は思っています」
「思い出すことは傷つくばかりだと……」
レベリオの呟きにリックは首を横に振る。
「思い出さねば、消えるだけです。だから、悲しい思い出も、楽しい思い出も、確かにあった幸福だった時間を、ずっとずっと共有し続けていければいいと、そう願います」
「人の記憶なんて脆いものですから、皆で覚えていることが、思い出すことが永遠につながるのです。私たちよりもずっと長い時を生きる貴方たちなら、なおさら」
真尋が付け足した言葉にレベリオは顔を伏せ、アルトゥロは、ぐすんと鼻をすすって眼鏡を押し上げると腕で目元を拭った。
部屋の中に沈黙が落ちる。微かな涙の零れる音は聞こえないふりをして、真尋は再び本を開く。
「…………グラウで、一度だけ私と妻が同席するのを条件に、ナルキーサスとの話し合いの席を設けます」
ばっとレベリオが顔を上げた気配が本の向こうでした。
「時間と場所は私が知らせます。それに来るか来ないかは、レベリオ殿に任せます。返事をください。ブランレトゥならポチを迎えにやりますし、グラウでこっそり待つならそれでもかまいません。ただし、必ずウィルフレッド閣下の許可は得て下さい。前回のように独断では来ないで下さいね」
「分かりました、必ず、必ずウィルフレッドに許可を得てから行きます!!」
「これは貸しです。うまくいってもいかなくても、それ以降は知りませんからね。私は療養するんです」
「頑張ります! 今から仕事の調整をしてきます!!」
言うが早いか起き上がったレベリオが部屋を出て行く。
慌ただしく去って行くその背を見届けて、真尋はため息を一つ零す。
「……解決すると思うか?」
「それは……まあ、レベリオ殿次第かと」
リックが曖昧に告げた。
アルトゥロが「ありがとうございます」と頭を下げる。
「……丸く収まればいいのですが……」
心細そうにアルトゥロが零す。
「レベリオ殿が、きちんと自分の気持ちを正直に吐露できれば、話はまとまるはずなんだがなぁ」
「それができないからこじれて十三年なのでは?」
リックが苦笑交じりに眉を下げた。アルトゥロが「そうなんですよねぇ」と肩を落とす。
「ったく、乳兄弟で揃いも揃って困ったものだ。あっちの夫婦も夫婦でなんとか解決しなければなぁ。」
「そっちも何卒、よろしくお願いします、神父様ぁ」
アルトゥロが情けない声を出す。兄弟でそっくりだ。
「ジークには恩を売れるだけ売らねば。俺は土地が欲しい」
「…………何をなさる気ですか?」
何故だか身構えるリックに胡乱な目を向ける。どうして彼は雪乃に渡したはずの日記帳を持っているのだろう。
「農業だ。幸い、ここは川べりの町。田んぼも作れるはずだ。俺は米と共に生き、味噌と醤油を愛でて人生を謳歌したい」
「……その食への欲を、睡眠に向けてくれませんかねぇ」
アルトゥロが言った。
雪乃がいるので真尋としては絶好調に眠っているのだが、治癒術師からするとそれでも短いらしい。四時間は確実に寝ているのに。
「それより、本当に義姉上はここに住むんですか?」
「そうだが? 雪乃の主治術師になってくれるって言うので、俺としても是非住んでいてほしい。魔導師としての仕事を優先すると言っていたぞ」
「……領都内にいてくれることに感謝しないといけませんよね……はぁ」
兄たちのおかげで、何かと気苦労が絶えない弟たちが少し憐れに思えなくもないが、真尋にとっての一番はどうやっても雪乃と子どもたちなので、全面的にナルキーサスの味方であるし、雪乃が「お友だちになったのよ」と言っていたので、アマーリアの味方でもある。そもそも根性のない男たちが悪いのだ。
「神父様、義姉上のこと、よろしくお願いします。強いけれど、繊細な人なので」
「ああ」
「じゃあ、僕は部屋に戻りますね。お薬を煎じてしまいますから、安静にしてくださいね」
最近、アルトゥロとナルキーサスの退室の挨拶が「安静にしてください(していろ)」になりつつあるな、と思いながら真尋はその背を見送った。
静かになった部屋で急に寂しさを感じる。(小言の多い護衛騎士は除いて)誰もいないのはここへ帰って来て初めてだ。
「…………俺も一緒に行きたかった」
きっと妻も子どもたちも楽しくしているだろう。
「でしたら大人しくして、療養に専念してください」
冷たい護衛騎士は、そう告げてベッドの傍に置かれた自分のデスクに戻って行く。彼はここで真尋を監視しながら仕事をこなしているのだ。真尋はその背を恨めしく睨んでから、本へと視線を戻したのだった。
「マヒロの紹介だけあって、どの職人の腕も素晴らしかったな」
機嫌よくナルキーサスが言った。
雪乃は「そうですね」と笑いながら、紅茶の入ったカップに口をつける。
雪乃が居るのは青の2地区の公園内にあるカフェだ。カフェの前に広がる芝生の上では、双子とサヴィラとミア、ジョンにリース、レオンハルトとシルヴィアが護衛で着いて来てくれた第二小隊の騎士たちと、そして、テディが楽しそうに遊んでいる。
今日は、真尋の容態も安定しているため、アルトゥロに後を任せて、ナルキーサスの部屋の家具を見に来たのだ。真尋が自分自身の書斎の机やソファなどを買った家具工房を三件ほど紹介してくれたので、ナルキーサスと共に見て回ったのだ。
彼女は部屋に必要なもののほとんどを既に買い求め、彼女のアイテムボックスに入っている。支払いは真尋から財布を預かって来た充が代わりにしていた。
真尋のお気に入りの職人とあって、最高品質の家具はなかなかの値段だったので少し躊躇いを見せたナルキーサスだったが彼女には夫の命を助けてもらった恩があるので、家具ぐらいいくらでもプレゼントしたい、と納得してもらった。
買い物を終えて、公園に行きたいという子どもたちの要望に応え、ここにやって来たのだ。
「元気なものだなぁ」
芝生の上を転げまわるようにして遊ぶ子どもたちにナルキーサスが目を細める。
秋も深まり肌寒い風が時折、子どもたち髪を揺らす。しかし、上気した頬は寒さをものともしない満面の笑みが浮かんでいた。
きゃらきゃらと笑う声がそこかしこで聞こえて来る。騎士たちが体を張って遊んでくれているので(高すぎる高い高いや、腕ブランコなど)、他所の子どもたちまで集まっていて、テディはじっとジャングルジム役に徹しているし、サヴィラは得意の地の魔法で蔦を操り、ブランコを作って子どもたちを遊ばせてくれている。
ここはテラス席だが、器用な充が風の魔法で雪乃たちを囲ってくれているため、温かい。その充は、今日も雪乃の背後に控えている。
「レオンもヴィーも、本家にいた時は、あそこまで子どもらしい笑みを浮かべることはなかった。あんな年相応の子どもらしい笑みは初めて見るよ」
本家とは、領主の城館のことだろう。
テディの上に立って、他の子に登り方を指南しているレオンハルトもミアと一緒にサヴィラのブランコで遊ぶシルヴィアも、無邪気な笑みを浮かべている。
「あの子たちは、自分の親が背負っているもの、これから自分が背負うものを理解している賢い子たちだ。我が儘よりも先に我慢を覚えてしまったんだよ。だが、こうしてその辺の子どもたちと同じように遊ぶ時間だって本当は必要だったんだ。だが……ジークは、城館に閉じ込めて護ると言う不器用な方法しか思いつかなかったんだな」
「アマ、いえ、マリア様も悩んでいましたわ。夫が自分を必要とはしていないって……護りたいから閉じ込めるなら、そのことをちゃんと伝えないといけませんのにね」
雪乃は、相談して来た悲しそうなアマーリアを思い浮かべて、苦笑を零す。
ナルキーサスは「本当に」と頷いて、林檎のタルトを切り分けて口へ運ぶ。
「……君とマヒロは夫婦喧嘩とかするのか?」
「ええ、しますよ。……それに近いうちに、あの人、盛大に駄々こねるでしょうし」
「そうなのか?」
ナルキーサスが不思議そうに首を傾げた。
「……子どもを作るか作らないかで、揉めると思います」
雪乃の言葉にナルキーサスは目を丸くして、ぱちりと大きく瞬きを一つした。
「だが……君は子どもが産めないと」
おそらく真尋から聞いたのだろう。ナルキーサスが躊躇いがちに言った。
あの警戒心の強い夫は、よほど彼女を信頼しているようだ、と雪乃は微笑む。真尋に心を許せる人が増えるのはいいことだ。
「ええ。里を出る前はそうでした。本当に今より倒れてばかりいて……熱なんて一度出れば一週間は下がりませんでしたし。でも、今はもう大丈夫なのですよ。子どもを一人、二人は産んでも平気と言われたんです。まだ真尋さんに伝えてはいません。あんな状態ですからね。でも、きっと真尋さんは、子どもは必要ないって言うでしょうね」
「どうしてだ? マヒロは親馬鹿になるほど子煩悩じゃないか」
「それでもやっぱり私を喪うのが怖いんですよ。病だったらそれまでだけれど愛する子どもが、最愛の私を奪ってしまうことが、憎しみを子どもに向けてしまうかもしれないことが、あの人は、きっと一番怖いんです。案外、臆病な人だもの」
「……ドラゴンぶん殴るような男を、臆病だって言うのは君だけだと思うぞ」
ナルキーサスが苦笑交じりに言って、目を伏せた。
最後のひと口になったタルトをナルキーサスが口へと放り込んだ。
「だが、もし……君が子を宿した時は、私が全力で支えるよ。……妊娠も出産は命懸けた。私も出産で死にかけたんだ」
思わぬ言葉に雪乃は、瞬きを一つする。
「二週間生死の境をさ迷った。子どもは無事だったが、子宮を失った。……その子も七歳の時に病で、な」
雪乃は、テーブルの上にあったナルキーサスの手にそっと自分の手を重ねた。
なんだか彼女が泣き出しそうに見えたのだ。
背の高い彼女の手は、雪乃より少し大きいけれど細くて華奢な手だった。
ナルキーサスは、黄色の瞳を柔らかに細めて「ありがとう」と雪乃の手を握り返した。彼女の指先がひんやりと冷たい。
「あれこれに嫌気が差して割と衝動で飛び出してきたんだ。だから住む家が決まっただけでも、とても安心した。マヒロにも君にも感謝しているよ」
「感謝しているのは私もです。キース先生たちは、私の夫を助けてくれたんですもの」
「あれは、ミアを嫁にやると言えば心停止さえも自力で回復してくる男だからなぁ……私もこちらへ着いて君のおかげで治療は施せたが、予断は許されない状態で万が一の時は、君の再婚が決まったと言うべきか、と覚悟していたよ」
冗談ではなく割と真剣に言っているナルキーサスに雪乃は何と言えばいいか分からなかった。
「……あの時、治療院ではなく真っ先に屋敷へ帰ったのは、万が一の可能性もあると思ったからだ。せめて……マヒロが何より愛する子どもたちに会わせてやりたかった」
ナルキーサスは、遊ぶ子どもらに顔を向けて、淡々と告げた。
諦めが悪い治癒術師とアルトゥロに言わしめた彼女でさえ、真尋の死を覚悟したのと雪乃は悟る。真尋が覚悟したものを、優秀な治癒術師である彼女が気が付かないわけはない。
「だが、執念で生き返ったあいつを見ていたら、なんだか私ももっと自分を曝け出して生きて行こうと思ってな。自分のしたいことをやろうと思ったんだ。私は、ありとあらゆる病を倒して、治療に役立つ魔道具を作りたい。大事な人を喪う悲しみを、一つでも減らしたいんだ」
黄色の瞳は、真っ直ぐに子どもたちを見つめていた。
雪乃の手を握る彼女の手の力が少し強くなる。きっと、それは彼女にとって勇気のいる決断だったに違いなかった。
「私も夫もキース先生を心から応援しています」
「ふふっ、ありがとう。だが君の夫の発明も素晴らしいぞ。クロードとの共同研究、私も一枚かませてもらえんかな」
「それは夫に相談してくださいな」
「…実は…このブレスレットも、マヒロが作ってくれたアイテムボックスなんだ。アイテムボックスは、性質上鞄やポーチが普通で、アクセサリー類はなかなか難しいが、ぽんと作ってくれてな」
そう言ってナルキーサスは、握り合う手とは反対の手の手首を見せてくれた。
細い手首に植物をモチーフとしているのであろう銀製のブレスレットがぴったりと収まっていた。黄色の魔力が込められた魔石が一つ真ん中に飾られている。
「私の息子の遺骨もここにある。……おかげでずっとこうして一緒にいられる」
ナルキーサスが、まるで我が子の額にキスをするように、ブレスレットに唇を寄せた。
「今回、エルフ族の里の墓に埋葬しようと思ったが、出来なかった。忙しかったのもあるが……まだ一緒にいてほしいと願ってしまったんだ。我が儘な母親だろう?」
「いいえ、我が儘じゃありませんよ。まだ息子さんも、お母さんと一緒にいたいのかもしませんね」
雪乃の言葉にナルキーサスが瞬きを一つして、雪乃を振り返った。
「……そうだろうか」
「ええ。だって、子どもはお母さんが大好きですもの。キース先生が心から愛していたように、息子さんだってキース先生が大好きなんですよ。両想いだから離れがたいのね」
「両想いか……そうか」
ナルキーサスが下をむき、小さく鼻を啜ったのが雪乃の兎の耳には聞こえた。
だが、顔を上げたナルキーサスは、なんだか子どもみたい無邪気な笑顔を浮かべていた。
「うん、あの子も私が大好きだったよ。レベリオがやきもちを妬くほどに」
「ふふっ、ならまだまだ一緒にいないといけませんねぇ。拗ねちゃいますよ」
「それは困る。誰に似たのかへそを曲げると長いんだ」
握りしめていたナルキーサスの手が離れて、愛おしむようにブレスレットを撫でた。
優しく触れる指先に、確かに愛情があった。
「ママー!」
ミアがぱたぱたと駆け寄って来る。
「どうしたの?」
走り回っていたからか、汗をかく娘の髪を撫で、頬にくっついていた髪を指先で払う。
「みてみて、きれいな葉っぱ!」
ほら、と差し出された小さな手は、赤く染まった葉っぱを握っていた。雪乃はそれを受け取って日にかざす。
「綺麗ね、秋の色だわ」
「あとね、あっちにね、黄色のはっぱもあったから、こっちは先生にあげる!」
ミアは反対の手に持っていた黄色の葉っぱをナルキーサスに渡す。ナルキーサスは嬉しそうにそれを受け取った。
「先生のおめめの色といっしょでしょ?」
「そうか? こんなに綺麗な色と一緒だなんて、光栄だよ」
ぽんぽんと細い手がミアの頭を撫でた。ミアは嬉しそうに笑うと「ミアちゃーん、どんぐりあった!」という興奮したジョンの声に「ほんとう?」と振り返った。
「ママ、どんぐり! いってくる!」
「ふふっ、行ってらっしゃい。転ばないようにね」
ミアはまた元気よくジョンのもとに駆け寄っていき、木の下にしゃがみこんでどんぐりと拾い出した。続々と子どもたちが増えて、小さな背中がいくつも並び、どんぐりを拾っている。どこの世界でも子どもにとって、どんぐりは魅力的なようだ。
それはとても可愛いらしい秋の光景だった。そこに騎士たちも加わって、テディは……明らかにどんぐりを食べている。
「このどんぐりって食べられるのかしら」
「栗鼠系の小型の魔物が食べているし、毒性はないし、食えんことはないが……灰汁がすごくて、えぐい」
ナルキーサスがそう教えてくれる。
「あら、じゃあもしテディのごはんにならない分があったら、お団子を作ってあげようかしら」
「君は本当に何でも作れるな」
「真尋さんは私のごはんが大好きだから、あれこれ研究した結果です。あの人、私のごはんを食べているときが、一番、可愛いのよ」
「……あいつを可愛いって言うのも君だけだと思うがなぁ」
よく一路や海斗にも同じことを言われるが、真尋はあんなに可愛いのに、どうして伝わらないのだろう。
「だが確かに君の作るおかゆを食べ始めてから、マヒロの数値はかなりよくなっている。よほど君のごはんが好きなんだな。分かりやすくて笑ってしまったよ」
「あの人が元気になったら、あれもこれも作ってあげたいんです。早く元気になりますようにって、愛情を込めているからかしら」
「まあ、愛情に勝る薬はないかもしれんな。どれ、私もそのだんごとやらに興味がある。参加して来よう」
そう言ってナルキーサスが立ち上がる。
なら私もと雪乃も席を立つ。
「充さんも行きましょう」
静かに背後に控えていた充に声をかける。
「はい、足元、お気をつけてください」
店員さんに声をかけて、会計を充が済ませ、テラスを降りて子どもたちの下へ行く。
「雪ちゃん、みてみて、こんなにいっぱい!」
「こっちはレアな帽子付きだよ!」
真智と真咲が両手いっぱいのどんぐりを雪乃に見せに来てくれる。
ミアやシルヴィアがスカートをバスケット代わりにして、子どもたちがそこにたくさんどんぐりと入れていた。真智と真咲もそこに入れに行く。充が「バスケットがございますよ」とどこからともなく取り出したバスケットを子どもたちに渡すために追いかけていく。
雪乃はその場にしゃがんで、一粒拾う。艶々として、綺麗などんぐりだ。
「秋の実りね」
「今年は豊作だな。たくさん落ちている」
ナルキーサスも横にしゃがんで、どんぐりを拾う。
「来月には収穫祭があるんだよ。約二週間、ブランレトゥは文字通りお祭り騒ぎになる」
「ええ、子どもたちが教えてくれて、行けるかしら」
「マヒロ次第だなぁ。グラウの温泉は怪我にいいから、大人しくして無茶をしなければ、祭りに行くくらいには回復しているさ。大人しくしていればな」
大事なことなんだろう。大人しくしていればを二回言ったナルキーサスに雪乃は苦笑する。雪乃の夫は、暇を持て余すのが苦手なのだ。
「そういえば、白トカゲは留守番か?」
「いえ、私のスカートのポケットの中で寝ていますよ。まだ外に出しちゃダメと言われているので……皆、びっくりしちゃいますものね」
タマもポチも体の大きさは自在に変えられるそうで、今は手のひらサイズになってタマは雪乃のスカートのポケットの中で熟睡している。
「ふむ……興味深い生き物だな。白トカゲと黒トカゲの鱗や血にはどんな薬効があるか、今から楽しみだな」
タマに対して、大体の人間が驚き以外の言葉がない中で、ナルキーサスだけは最初から「ほー、これはこれは……貴重な素材が採れそうだな」と言った。驚くでも怖がるでも無く、素材の話をしだしたのは、彼女だけだった。
真尋も言い出しそうなセリフだったので、本当に類は友を呼ぶんだなぁ、と雪乃は感心してしまったほどだ。
ふふっと笑い出した雪乃にナルキーサスが首をかしげる。雪乃は「なんでもありません」と首を横に振って、子どもたちに顔を向ける。
「みんな、バスケットがいっぱいになったら帰りますよ。真尋さんが首をながーくして待っているから、そろそろ帰らないと拗ねちゃうわ」
「はーい!」
子どもたちの元気な返事に「いい子ね」と返して、雪乃とナルキーサスは立ち上がる。
それからバスケットいっぱいのどんぐりと、数枚の綺麗な葉っぱをお土産に、雪乃たちは真尋の待つ家へと帰ったのだった。
ーーーーーーーー
ここまで読んで下さって、ありがとうございます!
いつも閲覧、お気に入り登録、コメント、励みになっております。
次回の更新は番外編になるか、本編になるかは未定ですが
24日(土)、25日(日) 19時に更新予定です。
予定が決まりましたら、いつも通りTwitterにてお知らせします!
次のお話も楽しんで頂けますと幸いです。
311
お気に入りに追加
7,514
あなたにおすすめの小説
異世界転生目立ちたく無いから冒険者を目指します
桂崇
ファンタジー
小さな町で酒場の手伝いをする母親と2人で住む少年イールスに転生覚醒する、チートする方法も無く、母親の死により、実の父親の家に引き取られる。イールスは、冒険者になろうと目指すが、周囲はその才能を惜しんでいる

転生チートは家族のために~ユニークスキルで、快適な異世界生活を送りたい!~
りーさん
ファンタジー
ある日、異世界に転生したルイ。
前世では、両親が共働きの鍵っ子だったため、寂しい思いをしていたが、今世は優しい家族に囲まれた。
そんな家族と異世界でも楽しく過ごすために、ユニークスキルをいろいろと便利に使っていたら、様々なトラブルに巻き込まれていく。
「家族といたいからほっといてよ!」
※スキルを本格的に使い出すのは二章からです。

悪役令息に転生したけど、静かな老後を送りたい!
えながゆうき
ファンタジー
妹がやっていた乙女ゲームの世界に転生し、自分がゲームの中の悪役令息であり、魔王フラグ持ちであることに気がついたシリウス。しかし、乙女ゲームに興味がなかった事が仇となり、断片的にしかゲームの内容が分からない!わずかな記憶を頼りに魔王フラグをへし折って、静かな老後を送りたい!
剣と魔法のファンタジー世界で、精一杯、悪足搔きさせていただきます!
スキル盗んで何が悪い!
大都督
ファンタジー
"スキル"それは誰もが欲しがる物
"スキル"それは人が持つには限られた能力
"スキル"それは一人の青年の運命を変えた力
いつのも日常生活をおくる彼、大空三成(オオゾラミツナリ)彼は毎日仕事をし、終われば帰ってゲームをして遊ぶ。そんな毎日を繰り返していた。
本人はこれからも続く生活だと思っていた。
そう、あのゲームを起動させるまでは……
大人気商品ワールドランド、略してWL。
ゲームを始めると指先一つリアルに再現、ゲーマーである主人公は感激と喜び物語を勧めていく。
しかし、突然目の前に現れた女の子に思わぬ言葉を聞かさせる……
女の子の正体は!? このゲームの目的は!?
これからどうするの主人公!
【スキル盗んで何が悪い!】始まります!

俺しか使えない『アイテムボックス』がバグってる
十本スイ
ファンタジー
俗にいう神様転生とやらを経験することになった主人公――札月沖長。ただしよくあるような最強でチートな能力をもらい、異世界ではしゃぐつもりなど到底なかった沖長は、丈夫な身体と便利なアイテムボックスだけを望んだ。しかしこの二つ、神がどういう解釈をしていたのか、特にアイテムボックスについてはバグっているのではと思うほどの能力を有していた。これはこれで便利に使えばいいかと思っていたが、どうも自分だけが転生者ではなく、一緒に同世界へ転生した者たちがいるようで……。しかもそいつらは自分が主人公で、沖長をイレギュラーだの踏み台だなどと言ってくる。これは異世界ではなく現代ファンタジーの世界に転生することになった男が、その世界の真実を知りながらもマイペースに生きる物語である。

女神の代わりに異世界漫遊 ~ほのぼの・まったり。時々、ざまぁ?~
大福にゃここ
ファンタジー
目の前に、女神を名乗る女性が立っていた。
麗しい彼女の願いは「自分の代わりに世界を見て欲しい」それだけ。
使命も何もなく、ただ、その世界で楽しく生きていくだけでいいらしい。
厳しい異世界で生き抜く為のスキルも色々と貰い、食いしん坊だけど優しくて可愛い従魔も一緒!
忙しくて自由のない女神の代わりに、異世界を楽しんでこよう♪
13話目くらいから話が動きますので、気長にお付き合いください!
最初はとっつきにくいかもしれませんが、どうか続きを読んでみてくださいね^^
※お気に入り登録や感想がとても励みになっています。 ありがとうございます!
(なかなかお返事書けなくてごめんなさい)
※小説家になろう様にも投稿しています

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

フリーター転生。公爵家に転生したけど継承権が低い件。精霊の加護(チート)を得たので、努力と知識と根性で公爵家当主へと成り上がる
SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
400倍の魔力ってマジ!?魔力が多すぎて範囲攻撃魔法だけとか縛りでしょ
25歳子供部屋在住。彼女なし=年齢のフリーター・バンドマンはある日理不尽にも、バンドリーダでボーカルからクビを宣告され、反論を述べる間もなくガッチャ切りされそんな失意のか、理不尽に言い渡された残業中に急死してしまう。
目が覚めると俺は広大な領地を有するノーフォーク公爵家の長男の息子ユーサー・フォン・ハワードに転生していた。
ユーサーは一度目の人生の漠然とした目標であった『有名になりたい』他人から好かれ、知られる何者かになりたかった。と言う目標を再認識し、二度目の生を悔いの無いように、全力で生きる事を誓うのであった。
しかし、俺が公爵になるためには父の兄弟である次男、三男の息子。つまり従妹達と争う事になってしまい。
ユーサーは富国強兵を掲げ、先ずは小さな事から始めるのであった。
そんな主人公のゆったり成長期!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる