称号は神を土下座させた男。

春志乃

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本編 2

第二十五話 我が儘で誤魔化す男

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「君は馬鹿なの!?」

 一路の怒声に真尋がうるさそうに半分しか見えない顔をしかめた。
 魔力を失っただけで、大きな怪我のなかった一路は、魔力回復薬を飲んだことですぐに目を覚ますことができた。
 だが、起きてすぐにエドワードとリック、何より真尋が重傷を負っていることを知った一路は、すぐに治療と薬作りに参加して、おかげで骨折と打撲ぐらいだったエドワードたちは、すでに回復している。ロボとエドワードの馬のシルフも治療を終えて元気だ。
 ただ一路もエドワードもリックも、その後、回復直後に無理をして薬作りや、里の確認、報告書作りをしたため疲労で倒れて丸二日、眠っていた。やはりドラゴンとの戦いは、思っているより心身ともに消耗していたようだ。今はもう絶好調とまではいかないが、十分に元気だ。
 問題は、満身創痍で出血多量、魔力切れ、骨折、肩の脱臼、打ち身などなど、数多の傷を負って生きているのが不思議だったとナルキーサスに言わしめた親友だった。
 あの人前では寝ない真尋が、まるまる三日、目を覚まさなかったのだから、どれほど彼が重傷だったか分かるだろう。一路だって、真尋の寝顔(包帯まみれだったが)を見たのは、実に四年ぶりのことだった。
ナルキーサスは、この三日間、真尋につきっきりで看護してくれていた。そのナルキーサスからつい先ほど、真尋が目覚めたと報せが届き、一路はこうして駆けつけた次第だ。
そして、一路たちが気を失った後の顛末を聞いた第一声があれだったのである
同じく話を聞いていたナルキーサスもベッドの脇に座る一路の後ろでこめかみに青筋を立てて仁王立ちしているし、ナルキーサスとともに起きてからはずっと真尋の傍にいるリックも両手で顔を覆っている。
クッションを背に、ベッドに座る真尋は、顔も半分が包帯に覆われているし、服の下も包帯まみれで、右肩を脱臼した上で、腕の骨が二か所ほど折れているそうで、右腕はがちがちに固定されて布で吊っている。
一路と真尋が、エドワードたちに治療を施せばすぐに綺麗さっぱり治してやれるが、それは魔力の密度が違うからだ。彼以上に強い魔力を持つ者はいない真尋の場合は、一般的に治癒術師が施す治療と同じく、自分の治癒力を頼りにこつこつと治していくしかない。

「だから、仕方がないだろう。あの栄養食もまずいくせに、使い過ぎたのか回復が見込めなかった。お前たちに使う魔力も残っていなかったし、こいつがバーサーカー化が解かれたというのに、怒り狂っていて、鎮めないとどのみち被害が出ると言われれば、」

「僕が怒ってるのは、そこじゃなーい!! 寝てた僕だって悪いけど、なんでそこでわざわざこのドラゴンを従魔にしたのかって聞いてるんだよ! 伝説種だよ!? 魔力切れ寸前の君がなんで契約できたの? 絶対に無茶したんでしょ!?」

「それはまあ……俺だってぶん殴っただけで腕がこうなるとは思っていなかった。片腕が使えないのは不便だな」

「君は馬鹿なの!?」

 怒鳴る一路の後ろ、ナルキーサスの隣でリックがあの日記帳に黙々とペンを走らせている。

「だって、世界樹が好きにしていいというから……」

「好きにしていいからって、従魔にするか? これ、伝説種なんだろ? ジークフリートが頭抱えてたぞ」

 ナルキーサスが、真尋の足元で腹を出して寝ているドラゴンを指差して、呆れたように言った。
 晴れて真尋の従魔になった伝説種、アンファング・ドラゴンは、残念ながら止める人がいなかったため、真尋によって「ポチ」という名前を付けられた。犬じゃないんだから、と思ったが、真尋は昔から何故か生物全てにポチと名前を付けるのだ。ちなみに彼の妻の雪乃は、生物全般にタマと名付ける。

「最初は殺すつもりだったさ。だが俺は、一刻も早く家に帰りたかったんだ。それには、こいつが必要だなと思ってな……飛べるだろ、ポチは」

 あっけらかんと真尋は言って、ポチを指差した。

「サヴィラへ……もう私には無理です。理解の斜め上どころじゃありません。理解という言葉すら、そこには存在しえないのです」

 リックが、なんだか悟りを開いたような穏やかな顔(但し、目は死んでいるものとする)でぶつぶつ言いながらペンを走らせているが、一路は開いた口がふさがらなかった。あのナルキーサスが「君、本当に馬鹿だな……」とドン引きしている。

「というわけで、用も済んだし、俺はさっさと帰るぞ。世界樹の浄化についても心配ないと、ポチと契約する前に世界樹から言質も取っている。世界樹自体はインサニアに冒されていたわけじゃない。ただただ、力を消耗しすぎただけだ。……リック、さっさと出立の仕度をしておけ。ついでに六頭くらい入る馬小屋を一つもらいたいから、ダールあたりに話しをつけといてくれ」

「こちらで療養とか……」

 リックが一路とナルキーサスの顔色を伺いながら言った。

「必要ない」

 真尋はきっぱりと言い切った。ナルキーサスが「君は、全く、どうして、そう……はあ」とため息を零して、頭を抱えている。
 ナルキーサスも一路も分かっている。無駄なところで繊細な彼が、ここでは休めないことくらい。怪我を負っているなら、尚のことだ。

「さすがにこの怪我では、教会の開院は延期するしかなさそうだが、休暇だと思ってゆっくりするさ」

 無理をしているのだろう。顔色が見たことないくらいに悪いし、何があっても飯だけは食べる真尋がまだ一度も「腹が減った」と言わないのがその証拠だ。

「あーもう、分かったよ。僕もティナに一秒でも早く会いたいし……ただし、サヴィラにお説教されてミアに泣かれる覚悟だけはしときなよ」

 真尋は嫌そうに顔をしかめたが、反論はしなかった。自分でもそうなることは重々承知しているのだ。
 一路は、立ち上がりポチに声をかける。

「ポチ、真尋くんを頼むよ」

 寝ているとばかり思っていたポチは、顔を上げて「ギャウ」と返事をしてくれた。
 一路は、ナルキーサスとリックを促し、部屋を出る。救護所ではなく、ここは馬車の中の真尋と一路の寝室だ。
 ドアを閉め、一路はため息を零す。三人は、リビングへと移動する。

「あれ、多分、帰るまでろくに寝ませんよ」

「だろうな。治癒術師としては、ぐっすりよく寝て、よく食べて、よく休んでほしいんだがな」

 ナルキーサスがソファへ座りながら言った。
 リックは「馬小屋の件、なんとかしてきます」と言って出かけていく。その背を見送って、一路はキッチンで紅茶を淹れる。
 温めたポットにお湯と茶葉を入れて、カバーをかぶせて砂時計をひっくり返す。アイテムボックスから、マドレーヌを取り出してさらに乗せ、ミルクと砂糖を準備する。砂時計が仕事を終えたら、紅茶をカップに注ぎ、トレーに全てを乗せてリビングに戻る。
 ナルキーサスは、眉間をほぐすように指をあてて、上を向いていた。

「キース様もお疲れですよね。この後は、僕が見張ってるので、少し休んで下さい」

「ああ、そうさせてもらうよ。……君の淹れる紅茶は、本当に美味しいな。ほっとする味だ」

 そう言ってナルキーサスは、カップを手に顔を綻ばせた。
 一路は照れくさい気持ちを笑みで隠して、一人掛けのソファに腰かける。

「……マヒロは、神に守られているんだろうな」

 ナルキーサスが、ぽつりと呟いた。一路は、マドレーヌに伸ばしていた手を止める。

「そうでなければ、死んでいたっておかしくない怪我だった。本来ならレバーでも食べさせて、血を増やす必要があるが、飯が喉を通らんらしいのが問題だ。見た目以上にかなりのダメージを体の外も中も負っている証拠だ。……前に、マヒロが怪我をしただろう? 伯爵家の馬鹿三男坊がカップを投げて、ここを切った時だ」

 ナルキーサスがとんとんと自分のこめかみを指差した。

「リヨンズがうちへ来た時ですよね」

 止めていた手を動かして、マドレーヌを手に取った。

「あの時、私が治療をしたわけだが、あの時と違って治癒魔法をかけてもマヒロの体にうまく私の魔力が流れていかない」

「それは……僕も感じました。重傷だからかなって思ったんですが違うんですか?」

「半分正解で、半分違う。……例えるなら、魔力は血液が体中の血管をめぐるのと同じように、全身をめぐっている。この流れが滞ることを魔力循環不順症と呼ぶ。これ自体は珍しい症例ではない。特定の病気や極度の過労で倒れた場合にも発症する。だが冒険者なんかがAランク以上の強力な魔獣と戦った時にも稀に発症するんだが、これが厄介なんだ。……強力な魔獣はロボやテディのように魔法を操る個体もいる。魔獣の魔力と我々人間の魔力は似て非なるものだ。それを大量に浴びて怪我をすると、体にその魔力が残り、本人の魔力の循環を阻害する。マヒロの場合は、この魔獣型魔力循環不順症だな」

「それって、治るんですか?」

 焦る一路にナルキーサスは「分からない」と首を横に振る。

「魔獣型魔力循環不順症を起こすということは、魔獣の魔法攻撃によって瀕死の重傷を負っていることが前提なんだ。私も治癒術師になって、百年以上が経つ。いつの時代も危険を省みない馬鹿はいて、王都で十名、ブランレトゥで二名、全部で十二名、私はこの魔獣型の症状の患者の治療にあたったことがある。その内、生き残ったのは僅か一名だ」

「……たった一人だけ、ですか」

 予想外に低すぎる数字にナルキーサスが重くため息を吐く。

「ああ。Aランク以上の魔獣が相手だからな。魔力循環不順症だなんだと言う前に戦って死んだ者のほうが多いから、症例がそもそも少ない。……魔力循環不順症を起こすと、治癒魔法や魔法薬が効かなくなる。前提として死ぬほどの大怪我を負っているわけだから、その怪我の治療ができずに死ぬんだ。助かった一名は、私が王都に行く前、ブランレトゥの治療院で研修していた頃の患者だ。腕利きの冒険者でキラーベアと戦い敗れた。確か二カ月ほどで魔力循環不順症は解消されたが……治療のできなかった彼の下半身は二度と動かないようになった」

「魔力不順を引き起こす原因は、魔獣の魔力……つまりポチの魔力なんですよね。引きはがしたりとか……」

「見えない、触れない、感じ取れないものはどうにもならん。相手は魔獣の魔力だからな。空気を掴もうとするような話だよ……先程言った、病気や過労の場合は前者は薬でその病気の治療をすれば治るし、後者は休養とともに治癒術師が魔力の流れを補佐すれば問題ない。……だが、マヒロの場合、ポチの魔力がそれらすべてを阻むのが問題なんだ。そして、今、最も懸念すべきは魔力溜まりができてしまうことだ」

「魔力、溜まり?」

「魔力の流れが滞り、体のどこかに魔力が溜まってしまうんだ。血が固まる血栓と似ている。体内のどこかに溜まり内臓を圧迫してしまう。できる個所によっては吐血したり、呼吸困難に陥ったり、心臓が止まってしまう場合もある。先ほども言ったが、本来であれば薬や私たち治癒術師が魔力の流れを補佐することで防げるが……マヒロの場合、ドラゴンの魔力の影響が強すぎてそれができない。その上、魔力溜まりは魔力が強ければ強いほど、発症しやすいんだ」

「他に、治療法は……」

「……何分、伝説種のドラゴン相手だから、あまりに未知だ。……絶えず様子を見続けるほかない。何が起こるか分からんから、どのみち最新の治療体制や人員が整っているブランレトゥへの早急な帰還が好ましいだろう」

一路は不安を飲み込むために、マドレーヌをかじる。

「そもそも、普通の従魔契約なのかも正直、分からん」

 ナルキーサスが眉間に皺を寄せる。
 一路は意味が分からず首を傾げる。

「君とロボたち親子も、鑑定をかければ従属の繋がりが見える。だが、それは……絹糸で作ったかのようなロープだ。カマルとリーフィもそうだな。他の調教師たちもなんだか柔らかそうな糸やロープでつながっている。だが、真尋とポチは、鎖でつながっているんだ」

「鎖……?」

「ああ。重そうな鉄の鎖だ。私はあんなもの初めて見たよ。どういった契約が交わされたのか、私たちには分からない以上、それがまともな契約だったのかは分からない」

 一路は、ナルキーサスの言葉にむっつりと考え込む。
 真尋は、ドラゴンを殴った時点で、魔力はほとんどなかったはずだ。一路でさえ、成獣であるロボとブランカと契約する際は、がっつりと魔力を奪われた。
 それが伝説種のドラゴンであれば、体や魔力が万全の状態であっても不可能ではないのだろうか、と一路は思うのだ。
 真尋は「従魔契約した」としか言わないが、もしかしたら何か、血と名を与えるだけではない契約でもって、彼らは繋がっているのかもしれない。

「……正直、向こうへ帰っても療養にはかなりの時間が必要だと思うし、不順症がどれくらいで治るかも分からん」

 ナルキーサスが言った。
 一路は、治癒術師として言い辛いだろうが、マイナスなことも必ずはっきりと告げてくれる彼女を、だからこそ信頼している。

「真尋くんもミアとサヴィラを見れば安心はするでしょうけど……基本、警戒心の強い人なので、雪ちゃん――奥さんの傍以外では心からは休めないんですよ。あの子たちでさえ寝顔を見たことがないのが、その証拠です」

「困ったやつだな、本当に」

 ナルキーサスがカップの中に苦笑を隠す。

「イチロの治療でもあれだけしか回復しないと言うなら、私もあちらに帰らねばならんな。二十年くらい実家で過ごそうかと思っていたんだが……その実家が護られたのもマヒロのおかげだ。治癒術師として、エルフ族として、恩を返さねば」

「レベリオさんと仲直りはしたんですか」

「君たちがドラゴンのところにいる間、魔獣が里に侵入したり、地震が起きたりで、お互いそれどころじゃなかった」

「そうだったんですね……けが人は……」

「大丈夫、全員、軽傷で君たちが帰って来る前に治療を終えている。魔獣も討伐済みだ」

 そう言って、ナルキーサスはカップを置いて、マドレーヌに手を伸ばした。

「正直、ポチは異常に強くて、かなり浄化に手こずったんです。でも、バーサーカー化が解かれた後、正常態なら、あれ以上に狂暴で強大だったと思います。それをまさかぶん殴って倒すとは思ってなかったんですけど……」

「そんなの誰も思っているわけないだろ。精々、切り落とした首を『素材だ』って持ってくるぐらいだと私だって思っていたよ」

 ナルキーサスがくすくすと笑う。
 ドラゴンの首を担いで帰って来る真尋の姿は想像に容易くて、一路もつい笑ってしまう。

「あ、そうだ。シルワ様たち精霊樹やティリアたちはどうなりました?」

「報告によれば、徐々に回復しているようだ。ただ、大ババ様が言うには、世界樹は回復のために眠りについてしまい、話はしばらくできないだろうということだ。精霊樹は、直に目覚めるだろう」

「しばらくっていうと……」

「なに、ほんの十年くらいのことさ。精霊樹は一カ月くらいだな」

 まるで一週間くらいの感覚でナルキーサスが言った。十年は人族である一路にとってはずいぶんと長い時間だが、永い時を生きる彼らにしてみればそうでもないようだ。

「そうですか……教会とか神父の話とか聞きたかったんですがねえ」

「話してくれるかは分からんぞ。精霊樹も世界樹も、我々を見守っていてくれるが、そう過去の話はしてくれん。彼らは、君たちの神様と同じくこの世を見守り続ける存在だからな」

「なるほど……まあ、もう帰るって騒いでるので話している時間もないんですけど」

 一路は苦笑を零す。ナルキーサスもマドレーヌの最後の欠片を口に放り込んで頷いた。

「イチロ、君の気遣いに甘えて私も二時間ほど休ませてもらうよ、部屋にいるから何かあったら呼んでくれ」

「分かりました。ありがとうございます、あ、ここは僕が片付けておきますよ」

「そうか。ありがとう」

 そう言ってナルキーサスは、ぐっと伸びをして欠伸を零すとリビングを出て行った。
 一路は、空になったカップをトレーに乗せながら、どうしたもんかなあ、と目を伏せる。

「雪ちゃんがいてくれたら、概ね解決するんだけどねえ」

 ないものねだりだなぁと自嘲を零して、立ち上がる。
 トレーを手にキッチンへ行き、ささっと洗って、布巾で拭いて、棚へとしまう。
 今この瞬間も、真尋は眠ってはいないのだろう。あっちに帰ったら色々と後処理があるだろうけれど、それは一路が代われるなら、代わってこなせばいい。教会の開院については残念だが、肝心の神父が重傷なのだから諦めるほかない。
 一路は片付けを終えて、マグカップに白湯を用意して真尋の下へいく。
 案の定、声を掛ければ返事があり、部屋に入れば目が合った。
 一路は傍へ行き、サイドテーブルに白湯を置く。飲むかと聞いたら「今はいい」と言われた。

「君のお望み通り、出来る限り早く出発できるよう、僕も出かけてくるよ。ただし、僕が仕度を整えて来てあげるから、少しでも具合が悪くなったら小鳥かポチで報せること。いいね? ナルキーサス様は二階の部屋で仮眠をとってるから、それとアゼルさんの故郷であるシケット村にだけは寄るから、そこまでは馬車で行く。魔獣被害がどうなったかだけはちゃんと目で見て確認しないといけないからね」

「ああ。分かった」

「とはいえ、実は昨日からアゼルさんと一緒にロボが行っているから、魔獣は大分減ったって連絡はあったんだけどね」

「ロボが食ったのか?」

「一部、自分の好きな種類の獲物は食べたかったみたいで、狩ってたって。それ以外は、ドラゴンの脅威が去ったのを察知して、自主的に元の棲み処へ戻って行っているみたい。エルフ族の森の監視役もそれを確認している」

「……そうか」

「……息するのも辛いんでしょ」

 少しだけ詰まったような声に目を細める。真尋は「そんなことはない」とそっけない返事を寄越す。
 このプライドの塊みたいな親友は、不調をひとに訴えるのが壊滅的に下手くそなのだ。先日、風邪を引いた時もそうだったが、すぐに平気なふりをしようとするのである。

「はいはい、じゃあ、そういうことにしといてあげるから。いーい? 具合が今よりちょっとでも悪くなったなと思ったら連絡してよね」

「分かったと言っている。さっさと行け」

「もー……ポチ、頼んだよ」

「ギャーウ」

 返事をしてくれたポチに笑みを返して、一路は真尋の部屋を後にしたのだった。



 リックと入れ替わるようにして、族長の家に行けば、ダールとその妻、そして、族長のクェルクスが快く迎え入れてくれた。
 族長の家で世話になっているジークフリートとレベリオが一路の言葉に驚きの表情を浮かべる。

「え、もう帰るのか?」

「私も治療を手伝いましたが……酷い怪我だったのですから、せめて一週間だけでもこちらで安静にして療養されては……」

「帰るって言って聞かないんですよ」

 目を丸くするジークフリートと眉を下げるレベリオに一路は苦笑を零す。

「そもそも一秒でも早く帰りたくて、ドラゴンを従魔にしたみたいで……」

「…………は?」

「そんなまさか」

 間抜けな声を漏らしたジークフリートと首を横に振るダールたちに一路は、先ほど自分も真尋の口から直にきいたのに信じられない事の顛末を話す。途中「嘘だろ」「そんなアホな」「なんて無茶を」と相槌を打つ彼らに一路も心の中で「本当にそれです」と頷くほかなかった。

「本来であれば、せめて精霊樹の皆さんが目覚めるのを待つのがいいんでしょうが……キース様曰く、魔獣型魔力循環不順症というらしいんですが……このままだと真尋くんの容態の悪化が避けられないんだそうです。ドラゴンでの移動が可能なら、これまでよりずっと早くこちらにも来られるようにもなりますし、今は彼の回復を第一に考えたいです。キース様も一緒に戻ると言ってくれましたし、より体制や人員の整ったブランレトゥでの治療が好ましいとのことでした」

「正直なところ……我々としては神父様に事後の確認をして頂きたい気持ちはあります。世界樹は眠りについてしまいましたし……ですが、神父様に万が一のことがあれば、神父様のご家族に申し訳が立ちませんし、これから先の未来にとって大きな損失となるでしょう」

 クェルクスが神妙な顔で告げる。

「見習いの僕で申しわけないのですが、できる限り、僕が聖水や浄化の力を込めた魔石をご用意させて頂きます」

「見習いとはいえ、ドラゴンのバーサーカー化を解いたのはイチロ様でしょう? 有難い申し出、甘えさせて頂いてよろしいですか?」

 ダールが言った。彼の妻とクェルクスも一路を伺うように見ている。

「僕にできることなら何なりと。我が儘を言って出発を早めるわけですから。僕自身は、大きな怪我もないですし、魔力も問題なく回復していますので安心して下さい」

 一路の言葉に彼らは、ほっと表情を緩めた。

「そういえば、先ほど、リック護衛騎士に馬小屋が欲しいと言われたのですが……」

 ダールが不思議そうに首を傾げた。

「ああ、なんか真尋くんがそう言いだして……多分、馬車にくっつけるか乗せるか、なんとかするんじゃないですかね」

「は、はぁ」

 腑に落ちない顔をされたって、一路だってあの真尋が何をどうする気なのかは、ぼんやりとしか分からないのだから仕方がない。だが、ドラゴンで帰る気らしいので、馬車の中に入れるかくっつけるかするのではないだろうか。

「と、いうわけで帰りたいんですが、いかがでしょう? 領主様」

「あちらでの予定は調整されているからな。私が残ってもいいんだが……」

「ホレスとオーランドが怒り狂いますよ」

 レベリオの言葉にジークフリートは「そうなんだよなぁ」とため息を零した。
 真尋や一路、ナルキーサスという実力者がいたからこそ、彼の護衛騎士二人は渋々、ジークフリートを送り出したのだ。いくらレベリオが居るからと言って、彼だけをここに残したら暴動を起こすかもしれないと、一路でさえ思う。

「まあ、いざとなったら真尋にドラゴンでも借りて、今度はあの二人を連れて戻って来るか」

「ふふっ、領主様も耐性が大分つきましたね」

「マヒロを領地に置くなら、それくらい割り切らないとやってられんと気づいただけさ。隠そうにもドラゴンなど隠せないだろうし、だがあれだけの存在ならば、愚か者を牽制し、我が領地を護る存在にもなってくれるだろう。……とはいえせめて今日明日は、里や周辺の魔獣の様子を見たい。明後日の早朝の出立でかまわんか」

「それくらいなら多分……譲歩してくれると思います。本人もかなりの我が儘を言っている自覚はあるみたいなので」

「ならいいが……とはいえあまりにマヒロの状態が悪いようなら、明日の夜に発とう。ドラゴンであれば、朝も夜も関係ないだろしな。マヒロはエルフ族の里や我が領だけではなく、王国の恩人だ。今は彼の回復を最優先にしよう」

 ジークフリートの言葉に皆が頷てくれた。一路は胸に温かなものが広がるのを感じながら「ありがとうございます」とお礼を口にする。

「今日は、馬車のほうで聖水と魔石の準備をします。明日、僕は夜明けとともに出かけて、シケット村の様子を見てきます。問題がなければ、再度訪問せずに済みますし、より早く真尋くんを家族の下に届けられると思うので」

「分かった。そうしよう……ただし、レベリオ」

 ジークフリートが頷き、彼の紅い瞳が隣のレベリオへと向けられる。

「はい」

「お前がついてこられるかどうかは、ナルキーサス次第だ。お前、ウィルフレッドに除籍届を出してきたんだろう?」

 初めて知る事実に一路は目を見開く。
 レベリオは、決まりが悪そうに目を伏せた。

「今、優秀な治癒術師であるナルキーサスには重傷を負うマヒロの傍にいてもらわねばならん。私とて本来であれば乳兄弟であるお前の味方をしたいが、私は私である前に辺境伯だ。領民のための優先順位を間違えるわけにはいかん。出立までに話をつけておけ、いいな」

「…………はい」

 レベリオが、神妙な顔で頷いた。

「レベリオ。キースから話は聞きました……君たちはまずきちんと話をしなさい。神父様が立ち会えないなら、キースのいとこである私が立ち会いましょう」

「もしナルキーサスが、話に応じてくれなかった場合は、お願いします」

 ダールの申し出にレベリオが、深々と頭を下げた。ダールは「まずはしっかりお互いの言葉に耳を傾け話し合いなさい」と彼の肩をぽんぽんとたたいた。

「じゃあ、僕は、馬車へ戻ります。何かあったら遠慮なく、呼んで下さい」

「ああ。そうさせてもらう。我々も出来る限りの調査をしておくよ」

「はい。では失礼します」

 一路は、ジークフリートの言葉に会釈を返し席を立つ。見送りを、と腰を上げたダールを断って、彼らの家を後にした。
 外へ出れば、ここへ来た時とは打って変わって、多少、忙しなさはあるものの張り詰めていた緊張の糸は解け、穏やかな空気が里全体を包んでいるのを感じる。

「真尋くんは、すごいなぁ……」

 一路だったら、真尋もエドワードもリックも大怪我をして意識が無かったら、ロボたちもぼろぼろだったら、そんな状態で冷静に対処できる自信などない。

「……せめて、僕ができることをしなきゃ」

 一路は馬車に入る前に、パンと両手で頬を打ち、気合を入れ直すのだった。



 呼吸をするだけで、全身の傷がずきずきと痛む。横になるより、座っているほうが楽でクッションに埋もれたまま目だけを閉じていた。
 真尋は、慎重に注意深く、息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

「…………っ」

 全てを吐き出したその刹那、全身に駆け巡った抉るような痛みに眉を寄せ、目を開ける。
 体全体をなんだか薄い膜が覆っているような感覚がある。これは、おそらくポチの魔力だろうとなんとなく分かる。頭からシャワーでも浴びて落としてしまいたいが、これはちょっとやそっとでは真尋からはがれないだろう。
 魔力が体の中で停滞している。流れを作ろうにもその薄膜に阻まれてうまくいかない。
 足元で寝ていたポチが顔を上げて、のしのしと傍にやって来た。
 金色の双眸が、心配そうに真尋を見つめている。かろうじて動く左手で、その頭を撫でようとすれば、それに気付いたポチがすっと頭を真尋の手の下に潜り込ませた。鱗の感触は、少しだけ真尋の愛息子を思い出させる。

「……お前を責めたりはしないさ。選んだのも決めたのも、全て、俺自身だ」

 ささやくように告げる。

「お前に全てを壊されるわけにはいかなかった。それだけのことだ」

 腕を動かすのが辛くなり、力を抜けばぽとんと布団の上に落ちていく。
 ポチが「ギュー……」となんだか情けない声を出した。撫でてやりたいが、体が重くて動かない。
 熱が上がり始めたのだろう。寒気がする。だが、一路やナルキーサスを呼んだところで、心配事を増やすだけだ。真尋の体を覆うポチの魔力が薄れない限り、出来ることはほとんどない。
 だが呼ばないと、あとでうるさいのだ。呼んだという実績だけでも作っておけばいいだろう。

「ポチ、一路を。弓を返さなければならん」

「ギャウ」

 ポチは、真尋に頼られたことが嬉しいのか、ばさりと翼を広げて浮かぶと、ふよふよと飛びながら部屋を出て行った。
 また深く、ゆっくりと息を吐き出し、目を閉じる。ずきん、ずきんとそこかしこで傷が痛む。右腕など、炎で焼かれているかのような痛みだ。
 本当は、こちらに残り世界樹や精霊樹の確認や魔獣たちの監視をすべきなのは分かっている。分かっているが真尋は帰りたかった。
 きっと、サヴィラもミアも、父親の惨状に泣いてしまうだろう。優しい子たちなのだ。だが、それでも真尋は、とにかく我が子たちに会いたかった。会って、抱き締めて、頬にキスをして、その温もりを全身で感じたかった。
 廊下から一路の足音が聞こえてきた。真尋は、眉間の皺を解いて、閉じていた瞼を持ち上げる。
 半分の視界で、一路が部屋に入って来た姿を捉え「どうしたの? キース様、呼ぼうか」と声をかける一路に「大丈夫だ」と答える。

「お前に、風花を返しておこうと思ってな……」

「え? …………本当だ。起きたら大変なことになってたから、すっかり忘れてたよ」

 一路が自分のアイテムボックスのリストを確認して、眉を下げた。
 左手の中に出した宝弓・風花を一路へ差し出す。一路が、大切そうにそれを受け取り、アイテムボックスへとしまった。

「お前は意識を失ってなお、それを放しはしなかったぞ。とはいえ、何かあっては困ると思って、俺が預かっていたんだ」

「そっか。ありがとう」

「大事なものだからな」

 そう告げて真尋は、戻って来たポチが真尋にぴったりとくっついて丸くなった姿に目を向ける。

「他に何か用はある?」

「とくにない。少し寝るから、暫く誰も近寄らないようにしてくれ」

「分かった。じゃあ、ゆっくり休んで。また何かあったらすぐに呼んでね」

「ああ」

 一路は、ポチに再度「頼んだよ」と告げて部屋を出て行った。
 ドアが閉まると同時に、零れそうになった呻き声を唇を噛んで堪えた。ポチがおろおろと顔を上げた。

「だい、じょ……ぶだ」

 はっはっ、と短い呼吸とともに言葉を吐き出した。
 しばらくなんとか痛みに耐えて、だんだんと落ち着きを取り戻す。

「お前、氷水でも作れるか……?」

 気を紛らわすための問いに、ポチは「ギャウ」と返事をすると真尋に背を向け、ごそごそと何かをし始めた。そして、くるりと振り返った彼の短い両腕には細かい氷の浮かぶ水球を抱えていた。
 ポチは、ぴょんと飛ぶと真尋の頭の上にそれを乗せた。不思議と零れることもないそれは、冷たすぎることもなくほどよい心地よさを感じる。

「……ありがとう。楽になった」

「ギャウギャウ」

 真尋の言葉に嬉しそうに鳴いたポチは、降りて来ると真尋の横にぴたりとくっついて丸くなった。
 眠れなくても、体を休ませるくらいはしないとな、と真尋は再び目を閉じたのだった。

ーーーーーーー
ここまで呼んで下さってありがとうございます。
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次回の更新は、19日(土)、20日(日)を予定しております。
楽しんで頂けますと幸いです。
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"スキル"それは誰もが欲しがる物 "スキル"それは人が持つには限られた能力 "スキル"それは一人の青年の運命を変えた力  いつのも日常生活をおくる彼、大空三成(オオゾラミツナリ)彼は毎日仕事をし、終われば帰ってゲームをして遊ぶ。そんな毎日を繰り返していた。  本人はこれからも続く生活だと思っていた。  そう、あのゲームを起動させるまでは……  大人気商品ワールドランド、略してWL。  ゲームを始めると指先一つリアルに再現、ゲーマーである主人公は感激と喜び物語を勧めていく。  しかし、突然目の前に現れた女の子に思わぬ言葉を聞かさせる……  女の子の正体は!? このゲームの目的は!?  これからどうするの主人公!  【スキル盗んで何が悪い!】始まります!

俺しか使えない『アイテムボックス』がバグってる

十本スイ
ファンタジー
俗にいう神様転生とやらを経験することになった主人公――札月沖長。ただしよくあるような最強でチートな能力をもらい、異世界ではしゃぐつもりなど到底なかった沖長は、丈夫な身体と便利なアイテムボックスだけを望んだ。しかしこの二つ、神がどういう解釈をしていたのか、特にアイテムボックスについてはバグっているのではと思うほどの能力を有していた。これはこれで便利に使えばいいかと思っていたが、どうも自分だけが転生者ではなく、一緒に同世界へ転生した者たちがいるようで……。しかもそいつらは自分が主人公で、沖長をイレギュラーだの踏み台だなどと言ってくる。これは異世界ではなく現代ファンタジーの世界に転生することになった男が、その世界の真実を知りながらもマイペースに生きる物語である。

女神の代わりに異世界漫遊  ~ほのぼの・まったり。時々、ざまぁ?~

大福にゃここ
ファンタジー
目の前に、女神を名乗る女性が立っていた。 麗しい彼女の願いは「自分の代わりに世界を見て欲しい」それだけ。 使命も何もなく、ただ、その世界で楽しく生きていくだけでいいらしい。 厳しい異世界で生き抜く為のスキルも色々と貰い、食いしん坊だけど優しくて可愛い従魔も一緒! 忙しくて自由のない女神の代わりに、異世界を楽しんでこよう♪ 13話目くらいから話が動きますので、気長にお付き合いください! 最初はとっつきにくいかもしれませんが、どうか続きを読んでみてくださいね^^ ※お気に入り登録や感想がとても励みになっています。 ありがとうございます!  (なかなかお返事書けなくてごめんなさい) ※小説家になろう様にも投稿しています

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
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 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

フリーター転生。公爵家に転生したけど継承権が低い件。精霊の加護(チート)を得たので、努力と知識と根性で公爵家当主へと成り上がる 

SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
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400倍の魔力ってマジ!?魔力が多すぎて範囲攻撃魔法だけとか縛りでしょ 25歳子供部屋在住。彼女なし=年齢のフリーター・バンドマンはある日理不尽にも、バンドリーダでボーカルからクビを宣告され、反論を述べる間もなくガッチャ切りされそんな失意のか、理不尽に言い渡された残業中に急死してしまう。  目が覚めると俺は広大な領地を有するノーフォーク公爵家の長男の息子ユーサー・フォン・ハワードに転生していた。 ユーサーは一度目の人生の漠然とした目標であった『有名になりたい』他人から好かれ、知られる何者かになりたかった。と言う目標を再認識し、二度目の生を悔いの無いように、全力で生きる事を誓うのであった。 しかし、俺が公爵になるためには父の兄弟である次男、三男の息子。つまり従妹達と争う事になってしまい。 ユーサーは富国強兵を掲げ、先ずは小さな事から始めるのであった。 そんな主人公のゆったり成長期!!

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