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本編

第二十五話 思案する男 ※一路視点

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 ぎろり、と睨まれて、一路はへらりと笑って返した。ティナとジョンが一路の背後でびくりと肩を揺らす。
 黄緑の瞳は、少しだけ鋭くなったがすぐに逸らされてジョシュアへと向けられた。ジョシュアが事のあらましを話している後ろで、一路は、店の中を見回す。夕方だからか客の姿は余り無く、店員が小屋の掃除や魔物の世話をしている。
 治療院から一足先に戻った一路は、ルーカスを家に送った後、ジョシュア親子とティナと共に魔物屋ロークに来ていた。

「レイさん、今日もやっぱり不機嫌ですね」

 ティナがジョシュアと話すしかめっ面のレイの様子を窺いながら言った。ジョンが、怖い顔はやだねえと言いながら一路とティナの手を取る。
 小さな手を握り返しながら一路は、そうだねぇ、と苦笑を零す。

「ティナちゃんは、レイさんの騒動のことは、知ってるの?」

「私も子供だったのであんまりは覚えていないんですけど、町の人が騒いでいたのは覚えています。レイさんは、人気者だったから」

「成程ねぇ。だからこの町の人は、神父とか教会って言葉に敏感なのかなぁ」

「ロビン、どこいくの?」

 ジョンの声に顔を向ければ、一路の横でお座りをしていたロビンがむくりと立ち上がって、とことこと歩き出す。そして、何を思ったかジョシュアとレイの所まで行くと二人を見上げた。ジョシュアとレイもロビンに気付いて、会話が止まる。

「どうしたんだ、ロビン」

 ジョシュアが首を傾げる。
 ロビンは後ろ足で立ち上がると何を思ったのか、ジョシュアではなくレイに飛びついた。

「わふっ!」

 ぶんぶん尻尾を振って、遊んで!と言う様にレイに飛びついている。
 一路は、おやまあ、と目を瞬かせる。ティナがあわあわしながら、一路を見上げる。

「イチロさん、あの、止めた方が……!」

「んー、大丈夫だと思うよ、ロビンは嫌だって思う人には飛びつかないから」

「ロビン、良い子だもんね!」

 ジョンがにこにこしながら言った。可愛いなぁと頬を緩めて、一路は空いて居る手でジョンの頭を撫でる。ティナは、おろおろしていたが、レイがロビンを一瞥した後に、ぽんと頭を撫でたのを見ると大きなサファイアブルーの瞳をぱちりと瞬かせた。ロビンがじゃれつくのをレイは片手でいなしながら、ジョシュアに貧民街での事件のことを尋ねる。ジョシュアは、何だか嬉しそうに顔を綻ばせて、話を再開させた。レイが嫌そうに顔を顰めたが、ジョシュアはお構いなしに閉まりの無い顔をしていた。
 二人がここでどんなふうに仕事をして、会話をしているのかは分からないが、ジョシュアが懸命に歩み寄ることをレイは、本気で拒むことが出来ないでいるのだろうと一路は思った。

「イチロ神父様!」

「あ、カマルさんリーフィ、こんにち、はっ!」

 ぎゅうと熱烈に抱き締められて息が詰まった。ジョンが咄嗟に一路の手を離して、ティナの方に逃げた。

「またまたご来店下さって、このカマル、光栄です!!」

 がばっと離されて、目の前でラクダ、ではなく、カマルが満面の笑みを浮かべて言った。一路は、どうも、と返すも頬が引きつらない様に笑うことが出来なかった。
 今日のカマルは、ポケットがいっぱい付いているエプロン姿だった。

「本日は、神父服ですか? 大変、神々しくお似合いです」

「治療院に行って来たので、きちんとした格好をしな」

「どこかお怪我をされたのですか!? それともどこか調子が悪く!?」

 ガッと肩を掴まれ、カマルが慌ただしくじろじろと一路の体に怪我が無いか確認する。しまいには、しっかり! お気を確かにとガクガクと揺さぶられて脳みそが揺れる。

「あ、あの! 違います! 騎士の方が怪我をなさったのをマヒロ神父さんがお見舞いに行ったのにイチロさんは同行しただけです!」

 見かねたティナが止めに入ってくれ、カマルがぴたりと動きを止めた。
 カマルは、そうですかそうですか、と安心したように胸を抑えている。一路は、もう捕まらない様にと少しだけ距離を取った。リーフィは主の肩の上で、ほーと鳴いてカマルに付き合っている。優しい従魔だ。それに比べてロビンは、一路を振り返りもせず、今はレイに抱っこまでされている。

「イチロ神父様にお怪我がないなら、安心でございます」

「それは良かったです。カマルさんもあれから変わりないですか?」

「はい、大丈夫ですよ。御心配り、ありがとうございます。騎士団の方々がブランレトゥの人気者であるジョシュアさんとレイさんをこうして配置してくれたおかげで、儲かって、儲かっではなく、身の安全が保障され、従業員一同、安心して働くことが出来ております」

 本音が駄々漏れだった。全くこれっぽっちも隠せていない。ラクダのような眠たげな目が一段を輝いているところを見るとレイとジョシュアは違う意味でも店に貢献している様だった。

「ジョシュアさんは、牧羊魔物の扱いがお上手ですし、知識も豊富ですので接客を主にして頂いているんです。レイさんは、その辺に座っているだけで客寄せ、ごほんっ、用心棒になるので本当に有難いです。……最初は、大丈夫かな、と心配したものですが、ジョシュアさんが吹っ切れている様ですね」

 ふとカマルが困ったような表情になって、難しい顔で何かを話し合っているレイとジョシュアを振り返る。

「ほんの数年前のことですからねぇ。お二人とも有名人ですし、皆がお二人の仲を心配しているんですよ。レイさんは、三年ほど行方知れずでしたしね……それに仲違いされる前は、私も時折、魔物の捕獲依頼をした時に何度かお二人とサンドロさんにお会いする機会があったのですが、まるで実の兄弟のように仲が良かったんですよ」

「僕ね……ちょっとだけ覚えてるよ」

 ジョンの手が再び一路の手を握って来たのに気付いて顔を向ける。

「何を覚えているの?」

 ティナが首を傾げる。ふわりと落ちた花びらがジョンの髪の上に落ちて消えていく。

「……んーとね、僕が今より小さかった時ね、僕、あのお兄ちゃんともよく遊んだの」

 ジョンの水色の瞳は、レイに向けられている。
 だがミモザが亡くなったのは確か四年前、ジョンは既に生まれているし、ジョシュアは現役こそ退いていたが交流はあったのだから会っていてもおかしなことでは無い。

「でもね、ある日、皆、真っ黒い服を着ててね。なんかね、お花のお布団が敷かれた箱に入った綺麗なお姉ちゃんだけが、真っ白な綺麗なお洋服を着てたの。あれ、お葬式っていうんでしょ?」

 それは、きっとミモザが亡くなった時のことではないだろうか。棺の中に眠るミモザの姿をジョンは、幼い記憶の中で覚えているのだ。

「お父さんもお母さんも、サンドロおじちゃんもローサお姉ちゃんも皆、泣いてるのにね……あのお兄ちゃんだけ、泣いて無かったの。でも、すっごく悲しい顔してたよ。僕、それだけは覚えてるんだぁ。お兄ちゃんは、男の子だから泣かなかったのかな? 泣くの格好悪いって思ったのかな?」

 空色の瞳が一路を見上げる。純粋で真っ直ぐな目を受け止めて、一路は淡く笑う。

「そうかも知れないね」

 金茶色の髪を優しく撫でる。子供特有の細く柔らかな髪が一路の指先に絡むようにして通り抜けていく。

「でもね、哀しい時に泣くことは、格好悪いことでも何でもないんだよ」

「何で?」

「涙が流れるのは、心が元気になろうとしているからなんだよ」

 一路は、ジョンの胸を指差した。ジョンが顔を俯けて自分の胸を見る。

「悲しい気持ちや悔しい気持ちが涙になって流れて行くと、心は元気になるんだよ。大人になると我慢しなきゃいけない時もあるけど、子どもの内はまだ、好きなだけ泣くと良いよ」

 ふふっと笑ってジョンの頭をぽんと撫でた。

「イチロお兄ちゃんもカマルおじちゃんも泣かないの? ティナお姉ちゃんも?」

「そんなことはありませんよ。大人だって、本当に悲しい時や辛い時は泣くものです。でも、簡単に泣いてはいけないんですよ、大人は厄介な生き物ですから」

 カマルの言葉には、酸いも甘いも噛み分けた大人の苦みがあった。

「そっかぁ……あ! 僕、良いこと思いついた」

 ジョンがぱっと顔を上げた。三人は顔を見合わせて首を傾げた。

「あのねぇ、僕が泣くとね、リースも泣くの。だからね、僕が一緒に泣いてあげるよ!」

 何がどうだからに繋がるのかは分からなかったが、その発想に一路は面食らう。

「僕が泣いてるから泣いちゃったって言って良いよ。するとね、お母さんがいつも抱き締めてくれるもん。だから、泣いても誰も怒らないよ!」

 ジョンの幼い言葉に込められた優しさに胸が温かいもので満たされる。
 ティナが耐えきれなくなったのか、可愛い、と叫んでジョンを抱き締めた。カマルも、良い子ですねぇ、と締まりのない笑みを浮かべてジョンの頭を撫でる。リーフィが、ほーほーと鳴いて体を揺らす。

「真尋くんがジョンくんを猫可愛がりするの分かるなぁ」

 一路はしみじみと頷いて、鞄から飴玉を取り出す。

「良い子のジョンくんには、飴をあげちゃう」

 はい、と小さな手にそれを乗せれば、ジョンは、ぱぁっと顔を輝かせて飴を口の中に放り込んだ。

「おいしー、お兄ちゃん、ありがとー!」

「どういたしまして」

「もう可愛いです!」

 ティナがますます抱き締める。ふわふわと落ちる花弁が彼女の胸に溢れるキュンキュンに比例しているのか多くなっていて、一路はティナの服から顔を出して、彼女の肩に出て来たピオンの小さな頭を撫でた。寝起きらしいピオンは、ふぁ、と欠伸を零す。小さい歯が見えた。

「そういえばもう一匹のあの子は、どうなりました?」

 カマルがピオンに気付いてティナに尋ねる。
 ジョンとほっぺをくっつけて戯れていたティナが顔を上げる。

「あ、はい。ピオンと私には大分慣れてくれて、今もここに」

 今日も健在の胸の第三のふくらみを指差してティナが答える。
 彼女はいつもそこにあの薄紅色のブレットを入れて仕事に出かけている。ピオンも大抵、服の中や肩の上に居るが彼女が受付に居る時は、彼女の足元に置かれた籠の中にいるらしい。時々、隣の受付に居るクイリーンの肩に居たりもする。

「食欲も徐々に戻ってきているので、大丈夫だとは思います。でも、やっぱりまだ人がいると出て来てはくれなくて」

 ティナが薄紅色のブレットを服の上から撫でた。もぞりと動いて、ジョンが不思議そうに首を傾げた。

「速達でお手紙を出したので、もうそろそろお返事が来るとは思うんですけど」

「そうですか。早く心の傷が癒えると良いですねぇ。あの狩人たちのことですから、どんな無茶をしたやら」

 カマルが嘆かわしいと言わんばかりにため息を零した。
 ふと一路は、カマルに聞きそびれていたことがあったのを思い出した。

「カマルさん、この間、聞きそびれちゃったんですけど、ロビンを拾った時のことを詳しく聞きたいんですが……」

「イチロ神父様の頼みを断るという言葉は私の辞書には有りません。少々、お待ちくださいね」

 言うが早いかカマルがどこかに行った。しかし、そう待たずしてカマルは、一冊の本を手に戻って来る。

「これは私の日記帳です」

 そう前置きしてカマルは、パラパラと目当てのページを探して日記を捲る。そして、目当てのページを開くとその手を止めた。

「今から二週間以上前のことです。神父様がブランレトゥへ来るよりも一週間ほど前です。今から二週間と少しほど前になりますね。私が見つけた時には、既にあの状態でしたので正直、いつからあの子が、あそこにいたのかは分かりません」

「確か、凄い血だらけだったんですよね?」

「ええ。ロビン自身も罠で怪我をしていましたが、そこ以外に怪我は無いようでしたから。あの時、ロビンの周りは夥しい量の血で汚れていました。私が保護する以前に他の獰猛な肉食魔獣に襲われなかったのが不思議な程です。リーフィも肉食ですから、彼女がロビンに気付いたのは、多分、あの臭いでしょう。私たちが狩りをしていた場所からは随分と離れていたんです」

「でもヴェルデウルフがいるのは、魔の森の最奥ですよね?」

「ええ。湖よりも向こうです。この町では、最近だとジョシュアさんとレイさんとサンドロさんのパーティーが行ったきりだと思いますよ」

 まさか自分と真尋はつい先日までそこで野宿してました、とはさすがの一路だって言えない。

「それも大分前の話ですよね? ジョシュアさんは引退して六年以上は経って居ますし」

「ええ。八年ほど前のことだったと思いますよ。今のブランレトゥの冒険者ギルドには、レイ以外にはあそこまで行ける実力のあるものは居ないでしょう」

「カマルさんの言う通りです。個人の場合はAランク以上、パーティーの場合はB+以上では無いと湖周辺はいけませんので」

 ティナが頷いた。

「問題は……誰がどうして、ロビンを囮にしたか、だけど……」

「囮にした人は、ロビンくんがヴェルデウルフって知っていたんでしょうか?」

 ティナの疑問にそう言えば、と一路は彼女を振り返る。ティナは気恥ずかしそうに指先で頬を掻く。

「初めてロビンくんに会った日に、クイリーン先輩にヴェルデウルフのことを教えて貰ったんです。私、ロビンくんがそんない凄い魔獣だって知らなくて……ただの可愛いわんちゃんかなって」

「今の所はただの可愛いわんちゃんだが、大きくなれば最強クラスの魔獣だ」

「この犬をどうにかしろ」

 ジョシュアの声と不機嫌なレイの声に振り返れば、いつの間にか二人がこちらにやって来ていた。ジョンが、お父さん!とジョシュアに抱き着けば、ジョシュアはひょいと息子を抱き上げる。
 ロビンはまだレイにじゃれついていて、後ろ足で立ち上がりレイの手をべろべろと舐めて涎塗れにして構ってと騒いでいる。

「ロビン、お座り」

 ぴんと耳が立って、ぱっと離れたロビンが一路の隣にピタリと座る。深い蒼の瞳が一路を見上げて来るのに笑みを返して、いい子だね、とその頭を撫でた。

「……最初から、そうさせておけよっ」

 レイがこめかみをひくひくさせながら言った。さりげなく、涎塗れの手をジョシュアの服で拭いている。ジョシュアが、あ、こらと怒るがお構いなしだ。

「僕、ロビンは色んな人に可愛がって欲しいと思っているので。でも、真尋くんには、あんまりそういうことしないよね、逆らっちゃいけないって分かってるのかな?」

「まあ、マヒロの場合、キラーベアでも調教とか無しに服従させそうだしな」

 ジョシュアが真顔で言った言葉に、レイ以外の人々がこくこくと頷いた。一路は、皆の中の親友はどんなイメージなのだろうと苦笑を零す。正直、やりかねないと思った。森の中でキラーベアと素手でタイマンを張った男である。

「それより、これは本当にヴェルデウルフなのか?」

 レイに話しかけられて少々驚きながらも一路は、はい、と頷いて返す。

「正真正銘、ヴェルデウルフですよ。鑑定もかけていますので間違いありません」

 黄緑の瞳がロビンを一瞥し、そっぽを向く。

「ジョン、あっちに珍しい斑模様のムートンが居るんだ。ティナと一緒に見に行っておいで」

「本当?」

「ああ。お父さんも初めて見た」

「僕も見たい! お姉ちゃん、行こう!」

 ジョシュアから下りたジョンがティナの手を取った。ティナが、はい、と頷いてジョンに手を引かれて離れて行く。ジョシュアが、すまん、と片手を上げれば、ティナは首を横に振って笑った。一路は、ロビンについて行くようにそっと押し出す。ロビンは、心得たようにティナにピタリと張り付くように横に並んだ。肩から降りたピオンがいつも通り、ロビンの頭の上に乗る。
 ジョンとティナがムートンの柵の方まで言ったのを見届けるとジョシュアが顔を引き締め、レイが口を開いた。

「……二週間くらい前……夜の平原で大量のウルフの死骸をブランレトに向けて運んでいる集団がいて、猪の獣人族の男が先頭に立って居たのを見た奴らが居る。ゲイルウルフの討伐依頼は出ていないし、ゲイルウルフを狩ったやつもここ二ヶ月は居ないのに、だ」

 ぱちりと目を瞬かせる。

「だから、もしかしたらその犬を罠に掛けたのは、マノリスの所の狩人共かもしれない」

 レイはこちらを見ようとはせず、淡々と告げた。多分、見習いではあるが神父である一路を視界に入れたくないのだろう。腕を組んで不機嫌そうな表情も崩れない。

「ならやっぱり、おびき出すために捕まった説が有力ってことですかね」

 一路は、ティナにぴたりと張り付き、ムートンをこわごわと覗き込むロビンに目を向ける。ムートンが、メェェと鳴いた瞬間、驚いてティナの後ろに隠れた。ジョンが大丈夫だよ、と笑いながらロビンを撫でる。

「ロビンは、サンドロさんみたいな体格の良い人に近付かないんです。……クルィークで見た狩人たちは、皆、体格が良かったですからその所為かも知れないですね」

「……でも、愛玩魔物専門のクルィークの狩人が何故、ゲイルウルフを狩る必要があるんですか? あれは上級クラスの魔獣ですよ」

「それだけじゃねえ。そいつらは、狩人共が何か檻のようなものまで運んでいるのを見たと言っていた。下手すれば、生きたままの魔獣をどこかに持ち込んでやがるってことだ」

 カマルが眠たげだった目を大きく見開いた。

「ですが、ブランレトゥに入るには、西か東の門しかありません。南門は閉じていますし、北も然りです。両門は騎士団が管理していて、第一に夜間は門が閉じています。この町には持ち込めないでしょう?」

「……騎士団に内通者が居れば、また話は変わって来んだろ」

「でも、例え、内通者が居たとしても西門も東門もそんな大荷物をもって中に入れば、間違いなく目立ちます。必ず目撃者がいる筈ですし、要らぬ噂が立つはずです。別の手段を取っているか、或は、町の外にそれらを隠している場所があるという可能性も捨てきれません」

 一路の言葉に、ジョシュアが確かにと頷いた。

「内通者、には心当たりがあるかも知れません」

 唐突にカマルが放った言葉に一路とジョシュアは顔を見合わせる。そっぽを向いていたレイもカマルを振り返った。カマルは、きょろきょろと辺りを見回した後、手で近づく様に合図した。三人が近づくとカマルは、声を潜めて話出す。

「これは魔物組合内での話なんですがね」

 そう前置きしてカマルが更に声を小さくする。

「……うちやクルィークのように大店と呼ばれる様な店には、必ず大口の得意先が居ます。うちが騎士団の馬の購入先であるように、どこかの貴族の御用達であるとか……クルィークにも居るんです。ただ、その貴族の方はあまり良い噂の無い方で、まっとうな商売をしている店ならば品は売っても懇意にはしません。でも、以前、マノリスがその貴族と連れだって歩いているのを見かけたことが有るんです」

「どこでだ?」

 レイが問う。

「紫地区の高級娼館です。そこの主人が調教師仲間なんです。そこにマノリスが客として来たんですよ、その貴族様と一緒に。私には気付いていませんでしたが」

 カマルはそこで一度、言葉を切って少しだけ躊躇う様な素振りを見せた。だが、それも一瞬でカマルは、表情を引き締めると一文字一文字を確かめるように音にする。

「……パーヴェル・ダグラス・フォン・リヨンズ」

 その名を聞いても一路は、ぴんと来なかったが、レイは面倒臭そうに顔を顰め、ジョシュアも困ったという様子で眉を下げた。二人は、そのリヨンズという名の貴族を知っているのだろう。

「……領主様の遠縁で確か、中隊長の位にいる。ウィルの頭痛の種の一つだよ」

 ジョシュアが簡潔な説明をしてくれた。一路は、そうなんですか、と今頃、真尋に振り回されているだろう団長を憐れに思った。
 寄せ合っていた顔を離して、四人はため息を零した。

「協力することになった手前、一度、捜査会議を開きたいところですね」

「そうだなぁ……お互いがお互い、持っている情報をくっつければ事の全容が見えてくるんだろうな……騎士団には騎士団の、俺達には俺達の、商人には商人の情報源があるからな」

 ジョシュアの言葉に、カマルもそうですね、と頷いた。

「これから団長さんにはお会いする機会もあるでしょうし、今度、進言してみますね」

 一路の言葉にカマルとジョシュアが頷いた。

「よし、なら帰るか。カマル、また明日の朝、来るからよろしくな」

「こちらこそどうぞよろしくお願いします」

 ジョシュアとカマルが挨拶を交わすのを横目に、一路は、ティナとジョンに顔を向けるロビンが後ろ足で立ち上がって柵に手を掛け、ムートンと鼻先をくっつけていた。ティナがジョンを抱き上げ、ジョンはムートンの頭を撫でて楽しそうにしている。
 ふと、レイが何とも言えない顔でそんな彼らを見つめていることに気付いた。
 その横顔が酷く寂しそうに思えた。しかし、ジョシュアが声を掛ければまた元の顰め面に戻ってしまった。
 それは、きっと彼自身も気づいていない無意識の内のものなのだろうな、とそう思いながら一路は、ティナとジョンの元へと足を向けるのだった。







 ロークを出ると雨が止んでいた。しかし、空は未だどんよりと曇っていて、またいつ雨が降り出すか分からない様な天気だった。これは早く戻ろうと一路たちが宿に戻り、裏の方へと愛馬の足を向けさせようとした丁度その時、一台の馬車が宿の前に停まった。
 降りて来た人物に一路は目を瞬かせる。膝の上に居たティナも、まあ、と驚きの声を漏らす。

「……そのまま持って来たんだ」

「ああ。離れ無くてな」

 いつも通りの無表情で馬車から降りた真尋が言った。
 一路は、彼が背負っている青年の様子を窺うが真尋にしがみついたまま離れそうにない。真尋の隣には、何故だか酷く疲れた顔をしたエドワードが居て、その手には鞄が有る。多分、リックの着替えか何かだろう。

「あ、マヒロお兄ちゃん! おかえり!」

 ジョシュアの膝の上に居るジョンが手を振った。真尋もそれに顔を向けて返事をする。

「騎士のお兄ちゃん、どうしたの?」

 ジョンが心配そうに首を傾げた。ジョシュアも、大丈夫か、と眉を下げる。

「少し具合が悪いだけだ。俺が居るから大丈夫だ。そう言う訳で、ジョン、今日は一緒に寝てやれないんだが……」

「大丈夫だよ。今日は、久しぶりにお父さんと寝るから!」

「そうかそうか、俺と寝てくれるか」

 ジョシュアが嬉しそうに顔を綻ばせて、息子の頭をくしゃくしゃと撫でた。
 最近のジョンは、真尋にべったりだったからなぁ、と一路は苦笑する。プリシラに真尋の睡眠時間確保のためジョンを貸して下さいとは頼んだが、来るか否かはジョンの意思だ。昨日は、あの人見知りのリースまで真尋と一緒に寝ていたので、ジョシュアは寂しかったのかもしれない。

「店の前で何を騒いでいるんだい。さっさと……」

 聞こえてきた声に一路は思わず目を瞬かせた。
 ソニアの赤茶の瞳が見開かれて、その体が少し強張ったのが見て取れた。
 だが、真尋は動揺した様子もなく、相変わらずの無表情のままソニアに向き直る。

「ソニア、訳有って騎士を一人預かることになった。空いているベッドがあれば部屋に欲しいんだが……」

「あ、ああ」

 あまりにマイペースに真尋が言ったものだから、ソニアは間抜けな返事をする。後から顔を出したローサが母と真尋の対面にハラハラしながら事の成り行きを見守っている。

「それとサンドロにリックの為にスープか何かを用意して欲しいんだが、構わんか?」

「ど、どうしたんだい、その騎士様は?」

「少し毒に中った。俺が治療に当たるので連れて来たんだ。ぐったりしているが、熱は無いし、命に別状もない」

 真尋の説明にソニアは、そう、とだけ返した。
 気まずい沈黙が辺りを覆う。ローサとジョシュアがオロオロと二人を交互に見つめ、ジョンとティナは、場の空気がいつもと違うことに気付いているようで懸命にも口を噤んでいる。真尋の隣でエドワードは、首を傾げて困惑顔だ。
 一路は、どうしたものかと眉を下げる。ティナが不安そうにこちらを見上げるが、なんと声を掛ければこの場の時間が動き出すのかが分からなかった。
 だが、思いがけぬ切っ掛けが、時間を動かす。
 ぽたり、と雨が再び降り始めたのだ。ぽつん、ぽつん、と空から雨粒が降って来る。
 そのことに最初に気付いたのは、ソニアだった。ソニアの赤茶の瞳が空に向けられる。

「……また降って来たね。病人に雨は毒だよ、さっさと入りな」

「そうだな、ありがとう」

 真尋が礼を言うと、ソニアはぎこちない微笑みを返して先に中へと入って行った。

「一路、先に行っているからな」

「はいはい」

 そう告げて真尋が中に入るのを見送り、一路は、ほっと息を吐く。
 ソニアの気持ちを思えば、軽々しく自分たちを受け入れて欲しいとは一路には言えなかった。一路たちが思い悩む様に、レイが思い悩むよう、ソニアもまた思い悩んでいるのだ。
 人間は、頭で幾ら理解していても心が追い付かなければ、どうにもならない生き物なのだ。
 ジョシュアに行こう、と声を掛けられて一路は、彼の背に続き、裏へと回る。すれ違った冒険者が、一路の膝の間に居るティナに気付いて睨まれたが、ティナの護衛を始めてからはよくあることだった。クイリーンに教えて貰ったのだが、ティナは冒険者たちの間で一番人気の受付嬢なのだそうだ。故に毎日、愛馬で送り迎えをし、挙句、従魔のロビンをティナの傍に置いている一路はティナの過保護な恋人だと勘違いされているとも教えられた。これは彼女に聞いた話だが、下心をもってティナに近づいて来た奴をロビンが吼えて追い返しているそうだ。守れと命令されているロビンからすると、多分、それも業務の内に入っているのだろう。
 厩から馬番の少年たちが出て来て、こちらにやって来る。

「最近、よく冒険者さん達に睨まれますねぇ」

 ティナが言った。

「僕とティナちゃんが恋人だって噂が流れているみたいなんだよねぇ。ティナちゃんは、冒険者さん達の憧れらしいから、睨まれるのも仕方がないけど」

 一路はひょいと馬から降りながら言った。馬番の少年に手綱を渡して、ティナを見上げる。ロビンは、ぴょんと飛び降りると馬番の青年の元に行く。彼がいつもおやつをくれるのをすっかり覚えているのだ。
 ティナは、何故か真っ赤な顔で固まっていた。どうやら彼女は、その噂について今知ったようだ。

「ごめんね。僕みたいなのと噂になっちゃって……やっぱり火消作業をした方が」

「そ、そそ、そんなことないです! イチロさんは、とても優しくて、素敵な方ですから! あの、寧ろ、私の方がご迷惑じゃ……っ! あっ!」

 真っ赤なティナからひらひらと落ちて来る花びらの雨の中、急に固まった彼女に一路は首を傾げる。

「も、もしかしてイチロさんも、ご結婚されて……だとしたら奥様にご迷惑をっ!」

「大丈夫、僕は未婚だよ。心配してくれて、ありがとう」

 ふふっと笑ってティナに両腕を伸ばす。ティナがおずおずと伸ばした腕を受け止めて、ひょいと抱き上げて馬から降ろす。

「ティナちゃんみたいな可愛い子と恋人だなんて、とても光栄なことだから僕に迷惑は掛かっていないから、安心してね」

 にこっと笑えば、ティナは真っ赤な顔のまま、こくこくと頷いた。それが何だか、とても可愛らしく思えて自分の頭一つ下にティナの頭をぽんぽんと撫でた。瞬間、ぶわわわと溢れるように花びらが零れて。それどころか花びらだけでは無くて、芍薬に似た彼女の髪色と同じ色合いの花がぽんぽんと咲いて花びらの山の中に落ちる。ピオンが目ざとく花びらの山に飛び込んで、その花にかじりついた。

「ふふっ、お花まみれだとティナちゃんは、本当にお花の妖精さんみたいだねぇ」

 その一言にまた芍薬の花が咲いた。一路は、それを拾い上げる。消えてしまうかな、と思ったが花びらよりは丈夫なようで、ティナの髪を耳に掛けそこに飾る。

「うん、もっと可愛い」

 かぁぁと音が聞こえそうな程極限まで真っ赤になったティナが、ふわりと倒れ込んで来て慌てて受け止める。どういう訳か、真っ赤な顔で目を回しているでは無いか。

「え? え? ティナちゃん!? ちょっ、ジョシュアさん! ティナちゃんが!」

「今のは一路が悪いなぁ……妖精族に花を落とさせるとは、一路は罪深いなぁ」

 ジョシュアが、しみじみとそんなことを言っているが後半部分はよく聞こえない。

「……イチロ神父さんは、罪深いんだなぁ」

「良いか、お前たち無自覚と鈍感も時に罪だからな、よーく覚えておくんだぞ」

「はい」

 ジョシュアの言葉に馬番の少年たちと青年が頷くが、慌てる一路には彼らのそんな会話は聞こえていないのであった。








 真っ赤なまま目を回してしまったティナを姫抱っこで部屋まで送り届けたら、ローサが居たので彼女に全てを託した。熱でも出たのかと心配したが、ジョシュアに話を聞いたローサが何だか生暖かい目をティナに向けて、大丈夫よ、と言っていたので、一路はまた後で様子を見に行くことにして隣の自室へと戻った。

「ただいまぁ」

「あ、イチロ、邪魔してるぞ」

 とりあえず大量の本が乗ったベッドが部屋の隅に移動し、別のベッドが新しく用意されていた。いや、こうなれば片付けろよ、と思ったが、リックをベッドに寝かしつけた真尋が、真剣に彼のステータスを診ていたので、仕方がないと口を噤んだ。エドワードが心配そうに真尋の後ろからリックの様子を見ている。ロビンが、エドワードの手を鼻でつつけば、それに気づいた彼がロビンを撫でた。

「リックさん、様子はどう?」

 一路は、神父服の上着を脱ぎながら真尋に問う。

「部屋に入った途端、意識を失った。多分、ここは俺の力やお前の力が強いから、安心したんだろう。とりあえず、リラックスを掛けたから、暫く寝かせておいてやろう」

 リックに布団を掛け直し、真尋はベッドの縁に腰掛けた。

「それでは、俺は本部に……」

「あ、そうだ! さっき、レイさんから聞いた話なんですけど……」

 一路は二人にレイとカマルから聞いた話を聞かせた。エドワードは、それを熱心に手帳に書き込み、真尋は顎に手を当てて何かを考えている様だった。

「ロビンが囮になったと……だが、そもそもどうやってこいつを捕まえたんだろうか。ロビンは、まだ親の庇護下にあったはずで、幾ら何でも群れから離れていたとしても、そんな街道近くまではいかないだろう。それにこれがヴェルデウルフであると知っていたなら、これを捕まえた時点でかなりの金になったはずだ」

「そう、ですね……密猟なら裏市場で売買されるでしょうし、幼獣と言えど討伐禁止の上においそれと手出しが出来ないヴェルデウルフが出品されればその額は計り知れません」

 エドワードが頷いた。

「……では、リヨンズとかいう貴族については何か心当たりは?」

 真尋の問いにエドワードが表情を曇らせた。

「騎士団というものは、まずトップに団長が居て、次が副団長。師団は全部で十有り、師団長、副師団が居ます。師団は四つの大隊によって構成され、大隊は五の中隊で、中隊は五の小隊によって構成されています。勤務地や担当によって人数は異なるのですが、基本はこれです。俺とリックは、正式にはクラージュ騎士団第一師団第一大隊第三中隊第二小隊所属になります」

「ややこしいな」

「ええまあ。名乗る時は、ここまで詳しくは言いませんし、中隊、大隊は大規模討伐の時にしか招集がかかりませんので、普段は各小隊がそれぞれ任務に当たっています。……それでそのリヨンズは、残念ながら我々の上司にあたりまして、第三中隊の中隊長です」

 エドワードが心底嫌そうに言った。

「リヨンズは、実家は伯爵位ですが本人は四男なので騎士爵しか持って居ません。だというのに実家の権力を笠に着て、威張り散らしているんです。選民意識が強く、リックのような平民出身の騎士やカロリーナ小隊長のような女性騎士、俺のような男爵以下の出身者を見下して居る馬鹿です。カロリーナ小隊長は、実力で言えば中隊長クラスなのに、あの馬鹿が女性で平民出身だからと馬鹿にして、昇級・昇格試験を受けさせないんですよ」

「俺が閣下の立場なら、即刻馘だな」

 真尋は事も無げに言った。エドワードが頬を引き攣らせる。

「団長もそうしたいのは、山々だと思いますが、リヨンズ伯爵家は、領主様と団長の御母堂の母方の遠縁でなかなか……団長の実家は辺境伯位ですが、団長は三男で、騎士爵と御尊父に賜った子爵位しか持って居ないので、リヨンズは団長すら馬鹿にしている節があるんです。リヨンズ伯爵家は非常に裕福で王宮でも割と権力を持って居ますから、それに現在、領主様が不在なので、他貴族とのもめ事は出来れば避けたいのです」

「貴族ってやっぱり厄介なんですねえ」

 一路の言葉にエドワードが、まあな、と頷く。
 
「……でも、今回の一件に関わっていたとすれば、話は別です。何か打つ手が無いか、話し合ってみようと思います」

「一度、それぞれの代表者を集めて、捜査会議を開いた方がいいと思うんだけど、どうでしょうか? カマルさんやジョシュアさん、レイさん、それぞれの情報をきちんと整理する必要があると思うんです」

「確かに。団長に進言してみよう。それでは、俺はここで失礼します。リックのこと、お願いします」

 エドワードは、手帳をしまって深々と頭を下げると部屋を出て行く。
 本格的に降り出した雨の音が忽ち部屋に入り込んで来た。窓の外を見れば、薄暗い世界にザアザアと雨が降っている。一路は、自分のベッドに腰掛けた。ロビンが、ひょいとベッドに飛び乗り、隣に座る。その頭を撫でれば、気持ちよさそうに目を細めた。

「……リックさんは、何を見て、聞いてしまったんだろうね」

 青白い顔のままベッドに沈むリックの寝顔は、リラックスを掛けて尚、安らかとは言い難かった。真尋の手が優しく彼の前髪を梳く。

「さあな」

 真尋の答えは素っ気なかった。

「でもさあ、この事件の本質が僕は良く見えないんだよねえ」

後ろに倒れれば、ぽすんと体が弾む。

「十二人の犠牲者、魔獣や魔物の密売、頻発する通り魔、怪しい男、殺された騎士とダビドさん、希少種ばかりのオークション、マノリスと貴族の癒着、囮にされたヴェルデウルフの幼獣と夜中の狩人たち、得体の知れない魔法と力」

 つらつらと一路は、想ったことを口にした。
 全部が全部繋がっているのだろうか、それとも繋がっている部分と繋がっていない部分が有るのか、さっぱりと分からない。

「時系列順に並べてみろ。……囮になった幼獣と夜中の狩人たち、騎士の死、ダビドの異変、頻発する通り魔と変死体、希少種ばかりのオークション、得体の知れない魔法と力、ダビドの死」

「……もしかしてさ……お店のオークションが目隠しなのかな」

 一路の漏らした言葉に真尋が、どういう意味だ、と返してくる。一路は、腹筋に力を入れて体を起こす。

「狩人たちは、珍しい魔物を捕獲するために集められている訳でしょ」

「ああ、そうか。そういうことか」

「理解が早すぎるよ」

 一路はクスクスと笑いながら、アイテムボックスからマフィンを取り出す。また買い足しておかなければ、と思いながらそれを頬張る。疲れた体に甘いものが美味しい。

「オークションは、盛況だったよ。お金持ちの女性ばっかりが集められていた。ティナちゃんのセリフで思ったんだよ。「あの伯爵令嬢はどんな顔をするかしら!」って。珍しければ珍しいほど、羨望の眼差しが向けられる。金に物を言わせれば、それが手に入るんだったら、それに魅入られてしまう人っていると思うんだよ」

「確かにな」

「僕だったらそれを利用するね。一番、財布の紐が緩くて自尊心の高い人を捕まえる。それでね、こういうの。「お客様にだけ見せたい商品がございます。他では絶対に手に入らない逸品です」ってね」

 一路は、ふふんと笑ってマフィンの最後の欠片を口の中に放り込んだ。顎に手を当て思考を巡らせていた真尋が、口端に笑みを浮かべた。

「つまりオークションは、目隠しであり、篩である訳か」

 そういうこと、と返して一路は、ロビンを撫でた。ロビンが、僕もくれ、と騒ぐので犬用のマフィンを取り出して鼻先に乗せた。

「騎士団は多分、そこを掴んでいるんだろうな。だが、エディの話しぶりからして相手が権力者で有るが故に迂闊に手が出せない」

「厄介だねぇ」

「全くな」

 真尋が頷き、リックを振り返る。彼の眉間に皺が寄っていることに気付いて、大きな手が彼の額に当てられた。淡い光が零れるとリックの表情が少しだけ緩んだ。一路はそれを横目に、一生懸命待ってたロビンに、よし、と声を掛ける。ロビンは、器用にそれを口でキャッチして尻尾を振った。

「そういえば、真尋くん、あの気持ち悪い黒いのどうしたの?」

 ふと屋敷で犠牲になった騎士のハンカチから出て来た黒い霧のことを思い出して尋ねる。真尋も忘れかけていたのか、ああと声を漏らして手のひらを上にして前に出し、アイテムボックスの中からそれを取り出した。

「あれ? 消えてる?」

 手の上に現れた氷の玉の中は、空っぽだった。蠢いていた黒いそれは跡形も無い。真尋が、氷を水球に変えて、再度、呪文を唱えたが黒い靄が現れることは無い。
 一体、あれは何だったんだろうと首を傾げた一路は、顔を上げて思わず目を瞬かせる。真尋が厳しい顔で宙に浮かぶ水球を見つめていた。

「……真尋くん?」

「俺達の光の力は、神により与えられたものだ。精霊の祝福により与えられた光の力とは、大きく異なる点がある。……それが何のためか覚えているか?」

 さて、と首を傾げた次の瞬間、一路はそれに気づいて、まさか、と声を震わせた。
 銀に蒼の混じる双眸が真っ直ぐに一路を捉えている。

「……そう、俺達の光の力は、インサニアを浄化するためのものだ」

 どこか遠くで雷が鳴った。

「あの黒い霧は、俺には触れることが出来なかった。リックを襲った時も、俺の光の力がこいつを守った」

「じゃあ、この町のどこかにインサニアがあるってこと?」

「それは分からん。そもそもあの馬鹿は、インサニアについて碌すっぽ説明をしていないからな。俺達が知っているのは、それは無力だが何かのきっかけで集まり邪気を放つようになること、それに触れた魔獣がバーサーカー化すること。俺達の力は、それを滅することが出来るということだけだ」

「……あ、でも確か……」

 一路は、立ち上がり隅に追いやられた本だらけのベッドからアーテル王国の歴史書を手に取り、ページをめくる。

「あった。これだ……」

 一路は目当てのページを開いてベッドへと戻る。

「アーテル王国で最後にインサニアが確認されたのは、二百年前。北の悲劇として未だに傷痕深く語り継がれているってあるよ。バーサーカー化したゴブリンの群れが北の辺境伯の領都を襲ったんだって……領都は壊滅的被害を出し、死者が大勢出たって書いてあるけど、詳しいことは書かれてない」

「明日は、インサニアについて徹底的に調べよう。それにジルコンに聞けば何か分かるかも知れない。爺さんは確か、三百歳を超えていると言っていたからな」

「そうだね、ジルコンさんなら詳しいことを知ってるかもしれない」

 真尋の言葉に一路は頷いて返す。

「でも、リックさんはどうするの?」

「背負って行けばいい」

 真顔で何の躊躇いも無く返された。

「いや……真尋くんはいいけど、リックさんにはリックさんの矜持ってもんがあるでしょ」

 大の大人、それも男性を背負って歩くことに何の躊躇いも恥じらいも無い真尋がどうかしているのだが、リックだって将来有望と言われる騎士である。元気になった時、羞恥のあまりに町を歩けなくなっては余りに不憫だ。真尋の神経は、本当に図太すぎる。

「……そうか。ならジルコンを屋敷に呼ぼう」

 真尋は、あっけらかんと言って、立ち上がった。

「先にシャワーを浴びて来る。傍にいてやってくれ」

「はいはい」

 では行って来る、と真尋はさっさと部屋を出て行った。相も変わらずマイペースだなと一路は小さく笑って、先ほどまで真尋が座っていたベッドの縁に腰かけた。ロビンは、一路のベッドの上でのびのびと寝ることにしたようだ。

「……これ以上、問題が起きなきゃいいけど」

 一路はぽつりと呟いた。
 
――――――――――――

ここまで読んで下さって、ありがとうございました!

一路とティナのやり取りを書いているのが楽しくて仕方なかったです。ふわほわしたカップルが好きです。
鈍感な一路ですが、自覚したら(手本が真尋なので)、一気に仕留めに掛かるタイプです。

次のお話も楽しんで頂ければ幸いです。
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