称号は神を土下座させた男。

春志乃

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本編

第二十三.五話 神父という存在

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 探すところも無い様な、小さな家だった。
 エドワードは、ダビドの家を訪れていた。リックがシグネという貧民街に暮らす女性から教えて貰ったのだ。そのリックは今、外で近所の住民たちに話を聞いている。
 家と呼ぶにもあまり狭い部屋の中には、ベッドが一つ、置いてあるだけだった。ベッド以外に家具は無い。唯一、ベッドの枕元に木製の小箱が置かれていたが、中身は空だった。だが、貧民街で暮らす爺さんには余りに似つかわしくない小箱は、丁寧で繊細な彫刻が施されている。色は禿げてしまっているが、嘗ては彩色も鮮やかだったのではないだろうか。
 老人は、ここに昨日まで十年以上も前から住んで居たのだと言う。それ以前は、貧民街の別の家を転々としていたらしい。
 だが十年という歳月の痕跡を全く感じない部屋は酷く寂しいものに思えた。ダビドは几帳面な性格だったのか、薄い毛布がベッドの足元にきちんと畳まれていることくらいが、ここで誰かが暮らして居たという事実を感じられる唯一だった。
 ブランレトゥは、豊かな町だ。アルゲンテウス領は肥沃な大地と膨大な魔力を蓄えた鉱山を有する豊かな土地だ。無論、それに比例して領地内の利益は常に黒字経営だ。そして、隣国を抑圧するだけの武力を誇る騎士団の存在。アルゲンテウス辺境伯は、王宮内でもかなりの権力を持つ。故に東の交易の拠点であるこの町は、四大地方領都の一つに数えられるほど豊かで発展した町だ。
 けれど、町は貧民街を抱えている。貧しさに嘆き、飢えに喘ぐ人々がいる。町を守るために作られた壁が生み出す日の当たらぬ場所で、生きる人々がいる。

「……いつか、」

 小箱の彫刻を撫でる。名も知らぬ花の彫刻だった。

「貧しさは、無くなるのか?」

「貧しさは、永遠に無くなりはしない」

 ぽとりと落とした呟きに返事があったことに驚いて、弾かれたように顔を上げれば布が掛けられただけの入り口に蜂蜜色の髪の男が立っていた。

「だ、団長」

 そこに居たのは、クラージュ騎士団のトップであるウィルフレッドだった。
 ウィルフレットは小屋の中には入ろうとせず、中を見まわす。もっともベッド一つで窮屈に感じるので、エドワードよりも大柄な彼が入ると身動きが取れなくなる。

「何かあったか?」

「まだ、来たばかりで……それより何故、団長がこんなところに? しかもわざわざ下級騎士の制服で」

 ウィルフレッドは、気にするな、と一言で片付けた。
 エドワードたちはまだまだ下っ端である。本来なら団長である彼とこんな風に話す機会すら無いのだが、ウィルフレッドはどういう訳かエドワードとリックに目を掛けてくれている。それに書類仕事が嫌いな彼は、度々それをサボっては町の見回りや、エドワードたち下っ端騎士の鍛錬に参加していることがある。
 アルゲンテウス辺境伯の実の弟であるウィルフレッドは、がっしりとした恵まれた体格に加え、男らしい精悍な顔立ちの男だ。三十代半ばの男の色気が凄いと町の女性たちには大人気だ。未だに独身なのも人気に輪を掛けている。こざっぱりとした性格で仕事には厳しいが、情に厚く部下を大事にする彼は、部下たちからの信頼も厚い。

「リックは?」

「その辺に居ませんでしたか? 外で聞き込みをしていた筈なんですが」

 ウィルフレッドは、エドワードの言葉に外へと視線を向けた。少しして、リックを見つけたのか、ああ、と声を漏らす。

「……住人が家から顔を出したぞ。すごいな」

 その言葉にエドワードも外へと顔を出す。数軒先の玄関でリックが住人と話しをしている。リックの隣には、シグネが居て三人は何やら話し込んでいる様だった。

「マヒロさんが、口添えをしてくれたらしいですよ」

 エドワードはそう告げて顔を引っ込める。
 唯一の家具であるベッドへと向き直る。マットではなく、何枚も布が重ねられているだけだった。それを一枚、一枚、捲って行く。

「神父が?」

「はい。マヒロさんは、神父様と呼ばれる程度にはここで信頼があります。そのマヒロさんが、他の騎士には話さずとも良いから、自分の友人であるリックは無碍にしないでくれと口添えしてくれたみたいです」

「成程なあ」

 ウィルフレッドが腕を組んでドア枠に寄り掛かったが、ミシリ、と嫌な音がして慌てて体を離した。エドワードも咄嗟に身構えたが、どうやら小屋は持ちこたえてくれたようだ。
 気を付けてくださいね、とエドワードは零して、再び毛布を捲って行く。色々な所で拾ってきたものを重ねているのだろう。穴が空いたものや破れているものも多い。

「……あれは、確かに信頼に足る奇跡ではあったな」

 ウィルフレッドの声がぐっと真剣な響きを持つ。
 エドワードは再び手を止めて、彼を振り返る。

「今朝、治療院に安置されているダビドの遺体を見て来た。……報告書の通り首の頸動脈をばっさり切られていてな、かなりの傷だった。だが……その顔はとても穏やかだった。微笑っているようにすら見えた」

「……確か、マヒロさんが祈りを」

「ああ。カロリーナの話では魂を神の御許へと導く祈りを与えて下さったと言っていたが……あれだけ安らかな顔をされてはな。ただ、ナルキーサスは、納得がいかないようだった。あいつは、いっそ憐れな程の現実主義者だからな」

 ウィルフレッドが苦笑交じりに言って肩を竦めた。

「あの方たちは、一体、何者なのでしょう?」

「さあな……そういえば、お前とリックは昨夜、あの神父に言われたことを調べていたんだろう? 何か分かったか?」

「ジムやガストンにも手伝って貰って調べていますが、なかなかまだ手がかりは掴めていません。……ん?」

 ふと、指先に何かが触れてエドワードはそれを引っ張り出す。ウィルフレッドが、どうした、と背後から覗き込んで来た。
 擦り切れた毛布と薄いシーツの間にあったのは、一通の手紙だった。羊皮紙の封筒はかなり黄ばんでいて、随分と遠い昔のものだと分かる。

「手紙?」

「……宛名は……ダビド・ユーディン・フォン・マシェラ」

 二人は顔を見合せる。ウィルフレッドが手紙を手に取り、改めて確認する。
 どうやらダビドは、元は貴族だったようだ。この国では、家名を名乗ることが出来るのは貴族だけだ。平民はどれだけ金があろうと権力が有ろうと爵位を持たぬ限りは、家名を持たない。店の名前などは、屋号と呼ばれて家名とはまた異なる。

「聞いたことの無い家名だな……」

「私もありません」

「……ということは、既に家が取り潰されているか、絶えている可能性もあるな」

 エドワードはその言葉を首肯する。
 ダビドがここに暮らし始めたのは、五十年以上も前だ。ダビドの本当の年齢を知る者はいない。死んでしまうとステータスは開くことが出来ないのだ。それに彼がもしドワーフやエルフの血をどこかで引いて居れば、見た目以上に年を取っていたと言う可能性もあるからこの手紙がどれほど古いものなのかは、今ここでは分からない。
 手紙には蝋封がしてあったようだが、それは剥がれてしまったのか僅かに破片が残るばかりだ。蝋が残っていれば、差出人の家紋が分かったのだが、こればかりは仕方ない。
 ウィルフレッドが慎重な手つきで中身を取り出した。
 便箋に踊るのは、女性のものと思われる細く綺麗な文字だった。

「これは……恋文だな」

「そうみたいですね」

 それは、ダビドへと当てられた短い恋文だった。ダビドの体を想い、会いたいと願う想いの込められた手紙だった。
 所々、滲んだ文字は長い年の所為なのか、ダビドの流した涙の痕かそれとも差出人の流した涙なの痕なのだろうか。

「差出人は……あー、ん? 多分、レオノーラ、か?」

 最後に書かれた差出人の名前は、滲んでいて良く分からなかったが、多分、レオノーラと読むのだろうと推測出来た。差出人は、名前しか書かれていなかった。
 ウィルフレッドは、手紙を慎重な手つきで封筒に戻す。

「これは、事件には関係ねぇな。爺さんの棺にでも入れてやれ。だが一応、中身は控えておけ、あと家名を調べるのも忘れるな」

「はい」

 エドワードは頷いてそれを受け取り、腰のポーチタイプのアイテムボックスに入れる。これは騎士団から与えられたものだ。一年前、山賊討伐で手柄を立てて貰ったものだ。

「エディ、大変だ!……って、団長! お疲れ様です!」

 戻って来たリックが慌てて敬礼する。ウィルフレッドは、軽く手を上げて返す。

「それより、大変って何が大変なんだ?」

「あ、はい! 今、廃墟の中でまた変死体が見つかったと!」

 ウィルフレッドの問いにリックは、はっと我に返り告げる。その言葉にウィルフレッドが、案内しろと叫んで駆け出し、エドワードもその背に続いてダビドの家を後にする。外へ出れば、住人たちが不安そうに顔を見合わせていた。見知らぬ男性がいて、蒼い顔でこっちです、と走り出す。どうやら彼が発見者のようだ。彼を先頭にして三人は走り出した。
 だから、淡い金髪の少年が入れ違いにその家に入って行くのに、エドワードは気付かなかった。






 変死体が無残な姿で横たわっていたのは、ダビドの家があった貧民街の東地区と西地区の丁度、間にある、元は講堂だった廃墟だ。屋根が半分ほど落ちていて、足の折れた机や椅子が散乱している。
 その奥に、男の変死体が横たわって居た。
 その顔は、恐怖と苦痛に歪み、胸は血まみれで投げ出された手の指先もまた皮膚や肉片がついている。胸の肉が抉れるほど掻き毟ったのが一目で分かる。

「……何人目だ?」

「十二人目です。先ほどの男性が、壊れたテーブルの代わりを探しに来た時に見つけたそうです」

 リックが答える。
 ウィルフレッドが男の亡骸の傍に膝をつく。リックは、発見者である男性に話を聞きに行く。男性は、講堂の入り口で青い顔のままこちらを覗き込んでいた。
 エドワードは、周囲に何かないかと辺りを見回す。
 椅子や机が散乱している。奥の方に棚の落ちた食器棚のようなモノがあるのに気付いた。下の方の扉が半分ほどあいていてそこに何かが見えたような気がして、エドワードは足を向ける。気配を探れば、そこに何かが隠れているのが分かった。恐らく、子どもだ。
 エドワードは、食器棚の前に膝をついて、扉の取っ手に手を掛けて、そっと開く。中に居たのは、案の定、小さな子どもだった。五歳か六歳くらいの男の子で、狐の耳が頭に生えている。
 男の子は、膝の間に頭を抱えるようにして震えていたが、エドワードに気付いて顔を上げた。

「団長! リック! 子供が居ます!」

 痩せ細った小さな男の子はガタガタ震えている。
 エドワードは、小さな背に手を伸ばして、あやすように撫でる。

「落ち着け、もう大丈夫だから。何があったか話せるか?」

「おば、おばけ、」

 カチカチと歯の鳴る音がする。震えてうまく言葉が紡げない様子で、それでも何かを伝えようと男の子は、顔を上げてエドワードを鳶色の瞳で捉えた。

「は? おばけ?」

「おばけが、おばけ……まっ、まっくろな、おばけが…………あ」

 とび色の瞳が、ぐっと見開かれた。獣人族らしい縦長の瞳孔が一気に開く。瞬間、背筋にぞわぞわとした感じたことも無い程の恐怖が走った。

「エドワード!!」

「エディ!!」

 ウィルフレッドとリックの叫びにエドワードは、咄嗟に子供を腕の中に抱き寄せ横に飛んだ。リックとウィルフレッドがすぐにエドワードを背に庇う様にして剣を構える。
 エドワードはすぐさま起き上がり、子どもを抱えたまま片手に魔力を溜める。

「何だ、これは?」

 ウィルフレッドの声が困惑に塗れている。
 先ほどまでエドワードが居た場所に真っ黒い靄のような霧のようなモノが覆いかぶさるようにして蹲っている。
 エドワードは腕に庇っている子供をマントで覆い隠す様にして抱えなおす。子どもは、酷い寒さにでも晒されているかのようにガタガタと震えてエドワードにしがみついて来る。

「エドワード、子どもを守ることを最優先にしろ、リックは俺の補佐に回れ」

「はっ!」

 二人は返事を返して、リックが一歩前に、エドワードは逆に一歩下がった。ウィルフレッドが、左手に魔力を溜める。彼の足元で風が起こり始め、砂埃が舞う。
 黒い霧がゆっくりと動く。ざわざわと神経が乱される様な得体の知れない感覚に襲われる。

「《ウィンドカッター》!!」

 ウィルフレッドの手から風の刃が次々に放たれる。
 だが黒い霧に当たったそれらは、霧を切り裂くこともなく、かといって、すり抜ける訳でもなく、その夜よりも濃い闇の中に吸い込まれて行く。
 エドワードは、これほど深い闇を初めて見た。気がおかしくなるほどの、深い深い闇が霧を生み出しているかのように見えた。季節は夏を間近に控えていると言うのに辺りの気温がぐっと下がる。子供を抱き締める腕に自然と力が籠る。吐きだした息が白く凝り、突き刺さるような寒さが廃墟の中を支配する。
 
「何なんだ、あれはっ」

 ウィルフレッドが苛立ちに焦りを滲ませる。
 足が動かない。本能があれに触れてはいけないと警鐘を鳴らすのだ。じりじりと靄が近づいて来て、三人は後退する。

「……俺があれの気を引けるかどうかは知らんが、囮になる。お前とリックは外へ出ろ。住人を避難させるんだ」

 ウィルフレッドの吐きだした息が白く凝って、溶けるように消えていく。リックとエドワードが頷くよりも早くウィルフレッドがファイアボールを黒いそれに打ち込んで、駆け出す。黒い霧はウィルフレッドを追う様に動き出して、リックが出口めがけて駆け出し、エドワードもそれに続く。

「エディ、私は詰所に応援を要請しに行く!」

 リックが振り返って言った。

「任せろ!」

「エドワード!! 危ない!!」

 ウィルフレッドの叫びが響き渡るのとリックの目が見開かれたのは同時で、次の瞬間にはエドワードは、腕を掴まれて思いっきり引っ張られた。先を走っていた筈のリックと位置が入れ替わる。まるで時間の流れが緩やかになったかのように、背後に迫っていた黒い霧がリックに覆いかぶさる。だが、声を発するよりも先にエドワードは、背中から散乱する椅子とテーブルの中に突っ込んだ。咄嗟に両腕で子供を庇う様に抱きしめて受け身を取ったが、強かに背中を打ちつけ、腕に折れた机の脚が掠めた。

「リック!!!!」

 ウィルフレッドの声にエドワードは、一瞬で我を取り戻し、腕の中の子供に意識を向ける。怪我はないが、意識を失っている。顔を上げれば、リックの姿は黒い霧に呑まれて見えない。心臓が凍り付くような不安が襲い掛かって来て、焦燥と共に立ち上がった。
 しかし、それは突然、起こった。
 霧が、まるで瘧にでもかかったかのようにぶるぶると震えだしたのだ。斬りかかろうとしていた、ウィルフレッドも足を止めて訝しむ様に目を細める。震えは段々と大きくなって、霧が薄れていく、リックの体は、淡い金の光に包まれていて、霧はリックに触れようとするとじゅわりと蒸発するようにして消える。
 靄のように儚くなった黒い霧は、リックから離れると落ちた屋根の向こうに広がる青空へと逃げていく。霧が離れるとリックがばたりとその場に倒れた。

「り、リック!」

 ウィルフレッドが慌てて駆け寄りリックを抱き起す。エドワードも机を跨いで駆け寄り、傍に膝をついた。

「おい! リック! しっかりしろ!」
 
 ウィルフレッドが、リックの胸に手を当て、口元に耳を近づけると、脱力したように息を吐きだした。

「……生きてる。気を失っているだけだ」

 その言葉に、エドワードは全身から力が抜ける。子どもが落ちそうになって慌てて抱き締める。
 ウィルフレッドが、入り口のところで野次馬をしていた住人に詰所に人を呼びにいくように言いつけて、抱き起こしていたリックを床に横たえた。落ち着いてみれば、確かに彼の胸はゆっくりと上下していた。

「それにしてもあれは、何だったんだ?」

 ウィルフレッドが言った。

「……あの靄は、その子を狙っていたんだ。黒い靄から腕みたいなものが生えてお前の抱える子供に伸ばされていた」

 エドワードは、腕の中で意識を失っている子どもに視線を向ける。別段、何か変わった所があるようには思えなかった。狐系の獣人族も珍しいものではない。服に継ぎ当てがしてあるところを見ると、孤児では無く、迷子かもしれない。
 ふと、エドワードはリックが右手に何かを握りしめていることに気が付いた。子どもを片腕で抱えて、それに手を伸ばす。力の入っていない指を解けば、透明な魔石が一つ、リックの手のひらの上に転がっていた。

「これは、マヒロさんの」

「空になってる」

 魔石を摘み上げたウィルフレッドが言った通り、美しい金の光が閉じ込められていた筈の魔石は、空っぽになっていて一見するとただの水晶のようになっていた。ウィルフレッドが自分のそれを取り出して比べるが、彼のはまだ金色の光が魔石の中で輝いている。

「……リックを包んでいた光は、もしかして」

「おそらくこれだろうな。同じ色だったし、そういえば……あの神父も言っていたな。ローブ男を切った時、黒い靄だか霧だかが襲ってきたが、自分に触れることは出来なかったとかなんとか」

 ウィルフレッドの困惑が滲んだ声が落ちた。
 エドワードは、ポケットに入れておいた魔石を取り出す。
 故郷の小麦畑を思い出す様な美しい金色の光が輝いている。握りしめれば、じわりと温かなものが流れ込んで来て、泣きたくなるような安心を覚えた。そのぬくもりが腕の一点に移動していくのを感じて目を向ければ、机の脚で出来た切り傷が徐々に塞がって、癒されていく。

「……は?」

 間抜けな声が漏れた。ウィルフレッドも呆然とエドワードの腕の傷が癒えていくのを見つめている。瞬く間に傷は塞がり、破れた服だけがそこに傷があったことを証明するのみとなった。

「……本当に、何者なんだ? あの神父は」

 ウィルフレッドの呆然とした呟きに、エドワードは返す答えを持ち合わせてはいなかった。






 ジョシュアは、剣を片手に足音を立てずに階段を下りて行く。
 まだ薄らと東の空が白み始めたような時間帯だった。けれど、朝が早い冒険者たちも居て、宿の中はそこかしこで小さな物音や話し声がする。食堂では、既に朝食の支度が始まっていて、パンの焼ける良い匂いが漂ってくる。ジョシュアは、食堂に顔を出したくなるのをぐっとこらえて、裏へと回ろうとして、ふと、店の入り口に見知った背が立っていることに気付いた。

「ああ。分かった。俺で良ければ、力になろう」

「神父様に来ていただけるなら、ダビドも喜びます」

「本当にありがとうございます」

「構わん。死後の安寧を願い祈るのも神父の役目だ」

 低く穏やかな声が朝の静けさの中に響く。
 ジョシュアの上の息子が、四六時中張り付いて回るほど慕う青年が、見知らぬ中年夫婦と話しをしていた。中年夫婦は身形からして貧民街の住人だと分かる。

「……サヴィラは? 様子はどうだ?」

「あの子は、あたしらとも殆ど口を利いてくれないからねぇ、何とも」

「あいつがダビド爺さんの死を知ったのは昨日の朝なんだけどよ……やっぱりかなりショックだったみたいだ」

「そうか。今日の葬儀には、来そうか?」

「どうだかねぇ。爺さんが帰ってくることは伝えてあるけど……それに昨日は、また変死体が見つかって大騒ぎだったんだ。ダビドの家を調べていたリックさんと別の騎士がすぐに駆け付けたけどね」

「また?」

「化け物も出たって大騒ぎで、騎士がいっぱい来てたよ。俺達も詳しいことはよく知らねえけど、けが人も出たって噂だ」

「リックさんも結局、戻って来なかったし、あたしらは近づかなかったからねえ」

「……もし、出来ればでいいが詳しい話を知りたい。情報を集めておいてもらえるか? 無論、ダビドの葬儀が最優先で構わん」

「神父様の頼みだもの、断る訳が無いよ」

「そうだそうだ。神父様、ダビド爺さんの為には何か用意しておくことは有るか?」

「ダビドのことは俺に任せておけ。それよりも二人ともここへ来るのも大変だったろう? 帰りは辻馬車で帰ると良い」

 マヒロがポケットから取り出したそれを男性の手に握らせた。男性は、遠慮したがマヒロは「前払いだ」と言って、男性にそれを握らせた。夫婦は揃って頭を下げてお礼を言うと、期待していてくれ、と告げて去っていく。マヒロは、外に出てその背を見送りに行く。
 ジョシュアは、王都の神父を遠目に見たことがある。結婚する前に何度か王都に仕事で行ったことが有って、その時、一度だけサンドロと共に物見遊山で教会を見に行ったのだ。驚くほど長い行列が出来ていて、真っ白な神父服を来た神父たちが、立派な教会の入り口に立っていた。
 聞いた話によれば、列を成しているのは一般の人々で救いを求めて、国中からやってきているのだと言う。だが、殆どの人間は教会の中にも入れて貰えず門前払いをくらい、中に入れるのは十分な寄付金と身分を持ったものだけなのだと言う。皆、それは分かっていても、藁にも縋る想いで教会までやってくるのだ。
 白い神父服は、穢れないものに見えたけれど、神父たちは間違いなくそこで命に値段をつけていた。その目は、酷く醜く淀んでいて、ジョシュアは憐れにすら思えた
 だから最初、マヒロとイチロが神父だと知った時、とても驚いたのだ。
 彼らの目は、どこまでも真っ直ぐで強い意思を宿していたからだ。銀に蒼の混じる瞳、琥珀に緑の混じる瞳、そのどちらも真っ直ぐで穢れなく、どこまでも澄んでいた。
 だからジョシュアは、マヒロが王都の馬鹿どもと一緒にするな、と違う教会なのだと告げた時、すんなりと納得してしまったのだ。見たことが有る者が見ればわかる。彼らは全く別の存在だ。
 それにマヒロと共に過ごせば、過ごすほど、彼の存在は離れがたいものになる。イチロもそうだが、マヒロは優しいのだ。彼の呉れる言葉は、優しくて、とても温かい。それらは目に見える様な救いを与えてくれるわけじゃない。彼の言葉を借りれば、それは正に差し伸べられる手に似ている。背を押してくれる手に似ている。
 レイと向き合おうと思えたのも、マヒロが背を押してくれたからだ。
 ジョンがあんなにも懐く理由が、ジョシュアは分かるような気がする。

「盗み聞きか? ジョシュ」

 振り返れば、戻って来たマヒロがこちらを見上げている。
 どうやらジョシュアがここに居たことに気付いていたらしく意地悪く首を傾げて問うてくる。

「すまない。外に行きたかったんでな、戻ってもバレそうだったし」

「まあ、聞かれて困るようなものでもないからな。……何だ、鍛錬か?」

 手の中にある剣に気付いてマヒロが首を傾げる。
 何度見ても見慣れぬほど、美しい顔立ちをしていると思う。まるで一枚の絵画のように彼は完璧に出来ている。

「昨夜、レイの所に行ったら、丁度、アンナが来てな。指名依頼がギルドから入ったんだ。俺は現役ではないが、一応、まだ冒険者ではあるからな、時々あるんだ。あいつと二人で騎士団からの依頼でカマルの護衛だ」

「レイと?」

 歩き出したジョシュアにマヒロが付いて来る。

「レイは、騎士団があまり好きじゃないから嫌がったけど、ギルドマスターには逆らえんし、マヒロとやり合った罰として受けろと言われて不貞腐れていた。レイとカマルには悪いが、良い機会だと思っているんだ」

 宿屋の裏手に回る。馬たちの声がして、馬番たちが飼い葉を餌箱に入れる音が聞こえる。

「それで、少し体を動かしておこうと思ってな。町に来ると体が鈍る。マヒロは、あの夫婦と何を話してんだ? あ、聞いて大丈夫か?」

「大丈夫だ。一昨日、殺されたダビドの検死が終わって、今日の昼頃に帰って来るらしい。葬儀を頼まれたんだ。これでも一応神父だからな」

「そうか……こんなに素晴らしい神父様に見送ってもらえるなんて、その人は幸せだな」

 マヒロは、少しだけ困ったような顔をした気がしたが、まだイチロほどのスキルの無いジョシュアには、彼の表情の変化はつぶさには読み取れない。
 アーテル王国では一般的に、火葬だ。残った骨を直接、地に埋めて土をかぶせて墓とする。アンデット化を防ぐことが第一の目的だ。棺に寝かされた遺体と共に墓地へ行き、火葬して埋葬して、それで終了だ。本来は、神父が執り行っていたらしいが、教会の勢力が衰退するにつれて、その習慣は金持ちの間だけになってしまった。貴族が死ぬと王都から神父が派遣されてくるらしいが、よくは知らない。
 
「よし、ジョシュア、俺の相手もしてくれ」

「は?」

 唐突にそう告げた真尋が、馬番の少年に声を掛けて何か棒切れを二本ほど手に戻って来る。

「一昨日、あの良く分からんローブと戦ったが、少々、鈍っている気がしてな。一路は、あまりこういった荒事は好まないからな。付き合ってくれないんだ」

 ひょいと投げられたそれを受け取る。丁度、ジョシュアが好む片手剣と同じくらいの長さだった。もしかしたら馬番たちの少年が、遊びに使っているのかもしれない。
 正直、やりたくない。マヒロの実力はあまりに未知数なのだ。しかもジルコンの剣を鞘から抜くことが出来たと言うことは、かなりの実力がある証拠だ。イチロもマヒロも何でもない事のようにジルコンの武器を手にしていたが、あんなにあっけなく抜けること自体が異様なのだ。
 ジョシュアとてAランクの冒険者として名を馳せた男だ。相手の実力位普段の振る舞いを見ていれば分かる。それにジョシュアは、一度、盗賊相手にマヒロが戦う姿を見たことが有る。まるで舞いを踊るかのように、あんなにも美しい戦いをする人をジョシュアは初めて見たのだ。
 マヒロは、間違いなく無茶苦茶強い。体幹がしっかりしていて、ぶれることが無い。全ての動作に隙が無い。例え切りかかった時にマヒロが素手であったとしても、彼が負けることは無いだろう。
馬番の少年や青年たちが手を止めて、期待に満ち満ちた眼差しでこちらを見ている。これでは、嫌だとは言えない

「……ルールは?」

 ジョシュアが渋々、勝負を受け入れるとマヒロは、嬉しそうに僅かにその目を細めた。これくらいならジョシュアにも分かる。

「ふむ、参ったと言わせた方の勝ちだ。あと顔は狙うな。お互い仕事が有るからな」

「分かった。あと、攻撃魔法は禁止だ。昔、ここでサンドロとレイと組み手をして俺かレイの放ったウィンドカッターが宿に直撃した時、壁に大穴が空いてソニアに半殺しの目に遭った。次は殺すと言われている」

 ジョシュアが心からの危機感を込めて告げるとマヒロは、神妙な顔で頷いてくれた。理解のある友人で良かったと思う。
?
「よし、では勝負だ。青年、スタートの合図を頼む」

 マヒロが一番、年上の青年に声を掛ける。青年は嬉しそうに頷いてそれを了承した。
 ジョシュアは、剣を馬番の少年に預けて、右手で棒を構える。一方のマヒロは、両手で棒を持ち、棒の先を下げるようにして構えた。あまり見たことの無い構えだった。

「それでは、カロル村のジョシュア! 神父のマヒロ! いざ勝負、開始!!」

 青年の掛け声が響くが、双方、動かない。
 全く隙が無い。どこへ切り込んでも、間違いなく返される。びりびりとした緊張感が空気を張りつめさせていく。銀に蒼の混じる不思議な色の双眸は、まるで獣のように爛々と輝いている。今の彼は、慈愛の神に仕える神父には、見えないかも知れない。けれど、ジョシュアも人のことは言えない。唇が自然と弧を描き始めているのを感じる。
 ジョシュアは、一気に踏み込んだ。肩を狙って繰り出した突きにマヒロが反応した瞬間、剣筋をわき腹を狙ったものへと変える。だが、胴を凪ぐ予定だった棒は空を切る。マヒロが紙一重でそれを避け、横へと飛んだ。ほんの一瞬の間を置いて、ジョシュアは咄嗟に脇を庇う様に剣を構えた。カンッと木と木のぶつかる小気味良い音が響き渡った。力業で棒を押し返し、ジョシュアは猛攻を仕掛ける。だが、マヒロは表情一つ変えずに、ジョシュアの攻撃を受け流していく。追い込んでいるかと思ったが、そうではない。マヒロは、攻撃を受けることでジョシュアの手の内を探っているのだと気づいた。その瞬間、長い足がしなるように繰り出されて、ジョシュアは後ろへと飛ぶ。ジョシュアが居た所にマヒロが蹴りを繰り出している。あんなものをまともに喰らったら、肋が折れるに違いない。

「なっ! 体術は無しだろう!」

「禁止事項は、顔への攻撃と攻撃魔法だけだ!」

 マヒロが酷く愉しそうに言って、突っ込んでくる。走ってくる途中、彼は何を思ったか、棒切れを空に向かって思いっきり放り投げ、素手で突っ込んでくる。
 そういえば体術も得意だとかなんとか言っていたな、と思い出してジョシュアは、全神経をマヒロに集中させる。蹴りが繰り出されたのを避けて、上体を逸らせたまま、その脇腹を狙うが、マヒロはくるりとその場でターンを決めて、足払いを掛けて来た。ジョシュアは、後ろへと飛んで片手で着地し、足払いを掛け返した。マヒロは、上にひょいと飛んだ。そして、空中で先ほど放り投げた棒を受け止めて、そのままの勢いで此方に棒を振り下ろしてくる。ジョシュアは、それを間一髪、棒で受け止めたが衝撃に手が痺れた。

「ふむ、悪くない。稽古を付ければ、体術のスキルも取れるんじゃないのか?」

「馬鹿言え!」

 叫び返して、力いっぱい押し返した。マヒロは、羽根でも生えているのではと疑いたくなるほど軽い身のこなしで飛んでいき、すとん、と音も無く着地して再び棒を構える。イチロに聞くまでも無い、マヒロの無表情が、酷く愉しそうに輝いているのがジョシュアにも分かる。

「ははっ、愉しいな! こんなに強い相手に相見えるのは、久々だ!」

「そりゃあ光栄ですとも神父様!!」

 無表情で嗤うマヒロ怖い、とおののく暇もなく、今度はマヒロが猛攻を仕掛けて来る。全ての攻撃が急所を的確に狙って来る。カンカンッと棒と棒がぶつかり合う音が、軽やかに響き渡る。ジョシュアが、猛攻の合間に回し蹴りを繰り出せば、マヒロが後ろに飛んで避け、再び二人は棒を構えて向かい合う。
 次で決着をつけてやる、とジョシュアとマヒロが同時に踏み込もうとした時、暢気な声が響いて二人は足を止める。

「おーい、朝飯出来たぞ……って、ああ?」

 カンカン、とフライパンをお玉で叩きながらサンドロが裏口から出て来た。
 ふと我に帰れば、ギャラリーがかなり増えていて、一階の窓からは冒険者たちが押し合う様にして顔を覗かせ、上を見れば身を乗り出す様にして部屋の窓から冒険者たちがこちらを見ている。馬小屋の少年たちの傍にも中に居たのか、どこから湧いたのか冒険者たちがいて、辺りは何時の間にかかなり賑やかになっていた。

「朝飯の時間なのに誰も来ねえから、何事かと思ったら、そういうことか」

「サンドロさん! 今が一番良い所だったのにそりゃねえぜ!」

「そうよ!」

 サンドロが棒を手に構えるジョシュアとマヒロを見て得心が言ったように頷いた。だが、勝負の成り行きを見ていた冒険者たちからは、ヤジが飛ぶ。それもそうだろう。サンドロは、勝負の一番面白い所でそれをぶち壊したのだから。流石のジョシュアだって、ちょっとイラっとしてしまう。マヒロも集中力が途切れ、興が醒めてしまったようで、無表情が心なしか恨めし気にサンドロを見ていた。
 サンドロは、分が悪いと感じたのか「飯だぞ!」と告げるとそそくさと中へと戻って行ってしまった。冒険者たちも、ぞろぞろと顔を引っ込め、宿の中へと戻って行く。

「仕方が無い。勝負はお預けだな」

「そうだな。だがしかし、本当に楽しかった、またやろう。今度は街の外に出て魔法有りでな」

 マヒロが棒を少年に返しながら言った。ジョシュアも礼を言って、棒を彼らに返す。

「ジョシュアさんも神父さんもすごかったです!」

「オレ、あんなの初めて見ました!」

 少年たちは、まるで宝物でも授かったかのように棒を大事にそうに抱えていて、キラキラと輝く目が向けられる。それが少し気恥ずかしくも、嬉しくてジョシュアは、ジョンにするように少年の頭を撫でた。もう一人の少年の頭をマヒロが撫でる。

「ハヤテのことを頼んだぞ。今日も出かける時に連れて行くから」

「はい!」

 マヒロが青年にも声を掛けて、中へ戻ろうと踵を返す。ジョシュアも自分の馬のことを頼んで、マヒロの隣に並ぶ。マヒロは、歩きながら空を見上げていた。ジョシュアもつられるように空を見上げる。
 
「一雨来そうな空だなぁ」

 このところずっと晴れが続いていたが、今日の空はどんよりと重い雲に覆われている。

「……せめて、葬儀の間だけでも降らなければいいが」

 ぽつりとマヒロが呟いた言葉に、そうだなぁ、と返事をする。
 中へと入り、階段を上る。冒険者たちが起きた宿の中は、非常に賑やかだ。

「そういえば、また事件があったんだってな」

「らしいな。リック達が居たらしいが……あいつも一昨日、あんな青白い顔をしていたというのに元気なものだ」

「まあ、騎士と冒険者はそれくらいタフじゃないとな。俺も、カマルのとこで話を聞いておくよ」

「それは助かる。ところでどうする? ジョンはこっちで朝飯を食させてもいいのか?」

「なら、俺達の部屋へ来いよ。マヒロたちの部屋は、テーブルが無いから不便だしな」

「分かった。では、また後で」

 マヒロは、ひらりと手を振って、階段を上がっていく。ジョシュアは、その背を見送って自分の部屋へと向かう。
 それにしても、とジョシュアは未だ微かに痺れの残る手に視線を落とす。

「……マヒロが友人で良かった」

 あれが敵なんて考えたくも無い、とジョシュアは首を竦めて、自室のドアを開けるのだった。



   * * *



 神父服は、黒だった。黒のトラウザーズに黒の革の靴、中に着るワイシャツは白だが、その上に着るのはキャソックに似た立て襟の黒の長袖の服だった。丈が長く真尋の膝下まであり、袖口と裾に純白の糸でロザリオと同じ蔦植物を模した刺繍が施されていた。右の腰の辺りにはきちんと数珠を掛けられるようにベルトループがあり真尋はそこに数珠を通してロザリオを下げた。他に裾に同じ意匠の刺繍の施されたケープのような形をした黒い外套もあった。それとは別にロング丈のコートもある。
 襟を直して背筋を正すと不思議と身の引き締まる思いがした

「僕も行こうか?」

「いや、今日は俺が一人で行って来る。一路は、ティナと家のことを頼んだ」

 真尋は、白の手袋を嵌めて親友を振り返る。一路は、心配そうな顔をしていたが、最後には、分かったよと苦笑交じりに頷いてくれた。

「では、行って来る」

「行ってらっしゃい、気を付けてね」

「わんっ!」

 真尋は、一路とロビンに見送られて、部屋を後にした。








 皺だらけのカサカサの手は、見た目に反してとても温かったことを今も鮮明に覚えている。
 まるで雨が降っているようだ、とサヴィラは思った。昨日まで、透き通るような青空が広がっていたのに、今日という日に限って、空はどんよりとした曇り空だった。薄暗い貧民街は、いつもよりも暗く、陰湿だ。その曇り空の下で、皆が泣いている。声を上げて泣く者、誰かの胸に顔を埋めている者、ただ静かに涙を零す者。それらはまるで今にも降り出しそうな雨の代わりを、人々がしているように見えた。
暗い色の服を着た人々が、簡素な棺を携えて通りを進んでいく。あの中に、嘗て自分を拾い、育ててくれた人が眠っているのが不思議だった。
 葬送行列がダビドの家から、南の門を目指して進んでいく。
 普段、閉じられているそこは、貧民街の住人たちの遺体を町の南にある墓地に運ぶ時だけ小門が開かれるのだ。
 行列は、涙に彩られた道を進んでいく。先頭を歩く男をサヴィラはじっと見つめる。真っ黒な神父服を身に纏った男が、真っ直ぐに背筋を伸ばして進んでいく。
 ダビドが死んだのを、いや、殺されたのを知ったのは翌朝のことだった。シグネが、報せてくれたのだ。
 信じがたい思いで、シグネの言葉にろくすっぽ耳を傾けずにダビドの家に走った。ダビドの家には騎士が居て、何かを探しているようだったが、別の所で騒ぎが起きてすぐにいなくなった。
 その隙に、サヴィラはダビドの家から、生前、彼が何より大事にしていた木製の小箱を持ち出した。ベッドの下に彼が隠していた筈の手紙も探したけれど、それは見つからなかった。騎士の奴らが盗んだに違いない。
 腕の中にあるそれを強く強く抱きしめる。

『いいかい、サヴィラ。もし、もしも、わしに何かあったら……これを、騎士団の人か、誰かお前が信頼しても良いと思える人に渡すんじゃ』

 一週間ほど前に渡されたそれは隠してある。
 まさか本当にダビドが死ぬなんて、まさか殺されるなんて夢にも思わなかった。ダビドは、サヴィラの前ではいつも通り、穏やかに笑っていて、にこにこと人の好い笑みを浮かべていたのだ。
 でも、今日の昼過ぎ、ダビドの遺体が漸く家に戻ったと聞いて、サヴィラは一も二も無くダビドの元に駆け付けた。粗末なベッドに横たわるダビドは、真っ白な死者の装束に包まれていて、首には包帯が巻かれていた。薄汚れていた肌も綺麗に清められていて、彼のトレードマークであった長いひげも白髪交じりのその髪も綺麗に整えられていた。
 触れた頬は、氷のように冷たかった。死んだ人間が温度を失っていることなど百も承知だったのに、ダビドの頬が冷たいことは、とても変なことのように、間違っていることのように思えたのだ。
 でも、ダビドは変わらず微笑んでいた。首を切られたと聞いたのに、殺されたと言うのに、ダビドは最期まで微笑んでいた。
 爺さん、といつものように呼んだら起きてくれるかと思ったのに、冷たく熱を失ったダビドは、微笑んだまま目覚めることは無かった。いつもサヴィラの手を握りしめて、頑張っているのうと撫でさすってくれた皺くちゃの手を握ったのに、握り返してくれないことが不思議でしょうがなかった。
 サヴィラは、周りの大人たちから、今から神父が来ることを知った。その神父がダビドの葬儀を執り行ってくれるのだと言う。
 神父の噂は聞いていた。あのAランクのレイを負かした神父は、良くも悪くも、今、町で最も有名な人間だったからだ。それにダビドが死んだ日、神父はミアの家を探して、サヴィラたちの家を訪ねて来ていた。丁度、入れ違いだったために様子を見に行ったが、神父は茶色い髪の騎士と何かを話していて、顔は見えなかった。
 サヴィラは、人ごみの中でじっと神父を見つめる。
 不意に神父が足を止めて、振り返った。葬送行列がそれに倣う様に止まる。
 いっそ、恐ろしい程美しい顔をした男だった。整い過ぎた目鼻立ちは、完璧すぎてまるで作り物のようだ。
 辺りを彷徨っていた視線が、サヴィラを捉えた。まさか、と思ったが間違いなく切れ長の双眸がサヴィラをじっと見つめている。視線が交わった瞬間、サヴィラは得体の知れない感覚に襲われて、身を強張らせる。
 神父の隣にいたシグネが声をかけると、神父はゆっくりとサヴィラから視線を外して首を横に振った。そしてまた、何事も無かったかのように歩き出す。
 サヴィラは、弾かれたようにその場を逃げ出した。
 心臓がどくどくと音を立てている。額に冷汗まで滲んで、指先が冷えて行く。逃げなければ、と思った。あの神父には近づいてはいけない。あれは危ない。

「……逃げなきゃっ」

 言い聞かせるように言葉を吐きだして、サヴィラは葬送行列とは正反対の方向へと駆け出したのだった。





――――――――

ここまで読んで下さって、ありがとうございました!
感想、お気に入り登録から活力と意欲を頂いております!!

今回は、周りの人々の視点で、アクションを交えてお送りしました。アクションシーンは難しいですね。
次回はまた真尋視点に戻ります。

次のお話も楽しんで頂ければ、幸いです。
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