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本編
第十九話 演じた男 ※一路視点
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「君の首輪を買わなきゃねぇ。この鞄を買ったお店で特注とか出来ないかな」
町の中をのんびりとロークを目指して歩きながら、一路は隣を歩くロビンに話しかける。ロビンは、わふっと一つ返事をする。天気が良いからかロビンは尻尾を振ってご機嫌な様子だ。
先ほど、その辺にあった食堂で昼ご飯を済ませた所だ。午後一時を過ぎた頃で今日も日差しが強くて暑い。夏が近づいてくるのを感じる季節だ。
町を行き交う人々も涼し気な恰好をしている。女性は日傘をさしている人や薄手のカーディガンを羽織っている人もいる。やはり日焼けは厳禁なのだろうか。
真尋は朝、ジョンをジョシュアの所に送り届けた後、数冊の本を鞄に突っ込んで嬉々として出かけて行った。先に屋敷に寄って目当ての本を何冊か調達してから行くのだという。同じ趣味の人間がいるというのは、良いことだと思うが、寝るのを忘れるのはどうかと思うので何とも言えない一路である。
「雪ちゃんというストッパーが居ないからなぁ、僕がしっかりしないと」
自分自身に言い聞かせるように呟いて一路はため息を零した。
「わん!」
不意にロビンが吼えて、一路のチュニックの裾を引っ張った。
「どうしたの?」
「わんわん!」
ロビンが顔を向けた先に視線を向ければ、見覚えのあるローズピンクから白へと変わる不思議な色の髪の少女が居た。
「ティナちゃん?」
だがティナは一人ではない。屈強な冒険者風の男が二名ほど彼女に言い寄っているようだった。ティナが首を横に振るたびに花びらがひらひらと落ちる。多分、首を横に振っているということは、答えはノーで嫌がっているということだ。
一路は足を速めて彼女の元に急ぐ。
「あ、あの、困りますっ」
「そう言わずにさ。ちょっと食事でも一緒に行こうぜ。勿論、奢るからさ」
「抜け駆けすんなよ、なあ、ティナ、俺と町の外に出かけよう。花畑を見つけたんだ」
「だから、私は」
「ティナちゃん、ごめん、待たせちゃったね」
一路はティナの細い腰に腕を回して自分の方に抱き寄せた。ティナが驚いたようにこちらを振り返る。思ったより至近距離に一路の顔があったことに驚いたティナが顔を赤くした。
「イ、イチロさん」
「だから家に迎えに行くって言ったのに。ティナちゃんは可愛いから僕は心配だよ」
ふふっと笑って告げれば、ティナは口をはくはくさせて顔を俯けてしまった。白い首筋が赤く染まってしまっている。
「あ? なんだお前……あの神父の連れじゃないか」
「放せよ、ティナは俺達が先に声を掛けたんだ」
「だから何です。女性が嫌がった時点で引くのがスマートな紳士ってもんですよ。それに言ったでしょう? 先約は僕だって」
一路はティナを抱き寄せる腕にさらに力を込めた。ティナが羞恥と喜びで死にそうになっているが一路は気付いていない。
「ガキが舐めた口利くなよ? 今すぐにどっかいけよ、痛い目見るぞ? 男だか女だか分からねぇような面しやがって!」
「俺たちはCランクの冒険者なんだからな、お前はまだEなんだろ? ひよっこちゃん。この間、冒険者になったばかりだもんなぁ」
ニヤニヤとした視線が一路を値踏みするようにじろじろと向けられる。
頭が悪そうだなと一路は憐れに思えて来た。この二人がCから上に上がることは無いだろう。目の前に対峙する人間の見た目に騙されて力量も碌に見抜けないのでは大した実力はない。
「さっさと引っ込め! ガキはガキらしくママに甘えてろよ!」
振り被られた拳は、あまりに粗雑だ。一路はそれを片手で受け止めて、その力を利用してひょいと腕を捻ってまるでちり紙でも投げるかのように男を放り投げた。真尋に教わった武術の一つだ。男は自分に何が起こったのか分からなかったようで、受け身も碌に取れずに石畳の上に転がった。もう一人が慌てて駆け寄る。
一路は、地面に寝転ぶ男とそれを助け起こす男に、にこりと笑いかける。ロビンが牙をむき出しにして唸り、今にも男たちに飛び掛からんとしている。一路はそれを片手で制する。
「こう見えて成人しているので、間違えないでくださいね。それと……見た目に惑わされて相手の実力が見抜けない様では成長できませんよ?」
ね、と笑みを深めた一路に二人は顔を青くすると脱兎のごとく逃げ出していく。あまりに情けない姿に一路は、やれやれと肩を竦めた。
「……イチロ、強いんだな」
引き攣る声に顔を上げれば、腰の剣に手を掛けた状態のエドワードが居た。私服姿なのを見ると非番なのかもしれない。
「あ、エドワードさん、こんにちは!」
「おう」
エドワードは剣から離した手を軽く上げて、こちらへとやって来た。ラフな恰好ではあるがベストには丁寧な刺繍な施されシャツやトラウザーズも仕立ての良さが一目で分かる。騎士とはやはりそういったことにも気を配らなければならないのだろう。
一路は、腕の中にいるティナに顔を向ける。
「ティナちゃん、大丈夫?」
「は、はいっ!」
「イチロの恋人なのか?」
やって来たエドワードが抱き寄せたままだったティナを見て首を傾げた。一路は、あ、と声を漏らしてティナを離す。
「咄嗟とはいえ、ごめんね。嫌じゃなかった?」
「全然! あの全然平気です!」
ティナがぶんぶんと首を横に振った。長い髪が揺れて、ふわわわと花びらが沢山落ちた。
「そう? 良かった」
今日の彼女は、丸い襟に花の刺繍があしらわれたパフスリーブのブラウスに黒のボディス、綺麗な空色のロングスカートという出で立ちだった。黒のボディスは、ティナの細い腰と豊かな胸をしっかりと強調している。ただ何故かこの暑いのに首に白い毛皮を巻いている。
「ティナちゃん、首のそれ暑くないの?」
「え、あ、これは、違います。この子は、私の家族で……ピオン、もう大丈夫だから顔を上げて」
ティナが優しく声を掛けると白い襟巻がもぞりと動いた。一路は思わず目を瞬かせた。ロビンがきょとんと首を傾げる。
ぴょこんと顔を上げたのは、可愛らしいオコジョに似た魔物だった。
「おお、妖精族のブレットじゃないか!」
エドワードが歓声を上げた。どうやら彼はこのオコジョが何か知っているらしい。
「この子は、ブレットという魔物で私の家族なんです。名前は、ピオンっていうんです。怖かったでしょう、ごめんね」
ティナが小さな頭を優しく撫でる。オコジョによく似たピオンは小さな頭をティナの頬に摺り寄せて甘えて、実に可愛らしい。一路に気付くとキョトンとその黒いつぶらな瞳で此方を見つめて来る。首を傾げる仕草がきゅんとくる。
「ピオ、イチロさんが助けてくれたんですよ」
「ぴー?」
「触っても良い?」
「はい、でも……」
「初めまして、僕は一路っていいます。よろしくね」
ティナが頷いてくれたので、ピオンに手を伸ばせば、ピオンはぴょんと飛んで一路の腕を駆け上がると肩の上に乗って頭を擦り寄せて来る。すべすべの毛並みはきめ細やかで気持ちがいい。一路は、可愛いね、と笑いながらピオンを撫でた。
「……ピオンは人見知りするのに」
「僕、魔物とか魔獣に好かれる性質なのかもねぇ」
ロビンが背伸びをして一生懸命、ピオンの様子を窺うのをその頭を撫でて押し留める。ピオンは、ぴょんと飛ぶとロビンの頭の上に乗っかった。ロビンの黒い鼻に自分の小さな鼻をくっつける。どうやらピオンなりの挨拶のようだ。ロビンが嬉しそうにしっぽを振った。ロビンもピオンを気に入ったようだ。
エドワードが、俺も、と手を伸ばすがピオンは、しゃーっとまるで猫のように毛を逆立ててロビンの頭の上で威嚇する。ティナが慌ててピオンを抱き上げた。
「俺は駄目なのか……」
エドワードががくりと肩を落とした。ティナが「すみません」と慌てて謝った。
「イチロさんとロビンくんは凄いですね、ピオンは滅多に人に懐かないんですけど……」
「じゃあ、とても光栄なことだね。ありがとう、ピオン」
ピオンの小さな頭を指先で優しく撫でれば、ピオンは「ぴー」と嬉しそうに鳴いた。そしてティナの腕から抜け出すと再びロビンの頭の上に乗っかった。どうやら座り心地を気に入ったようだ。ロビンもご機嫌だ。
「あ、そうそう、ティナちゃん、彼はクラージュ騎士団のエドワードさん。エドワードさん、冒険者ギルドの受付嬢のティナちゃんです」
「初めまして、クラージュ騎士団三級騎士のエドワードだ」
「初めまして、ティナです」
二人が会釈をして挨拶を交わす。
「ティナちゃんは、これからどこに行く途中だったの?」
「クルィークさんに。仔猫用のアクセサリーがピオンにはピッタリなので」
「確か、愛玩魔物専門のお店だっけ?」
ティナが、はい、と頷く。
「ブレットは流石に特殊な魔物なので扱ってはいませんけど……ブレットは妖精族が好んで飼う魔物なんです。飼い主から落ちたお花や葉っぱを食べるんですよ」
「そうなんだ。うちのロビンは、見た通り肉食だからねぇ。お花を食べるなんて可愛いね。あ、ねえねえ、僕も一緒に行って良い?」
一路が尋ねるとティナは、ぱぁっと顔を輝かせて頷いた。
「なあなあ、俺もついて行っていいか? 暇なんだ」
エドワードが言った。
騎士服を着ていない彼は、いつもよりもずっと自分たちと年が近く感じる。一つしか違わないからおかしな話ではない。
「ティナちゃん、いい?」
「はい。騎士様とお話しする機会なんて滅多にないので光栄です」
「じゃあ、行こうか」
一路はにこっと笑って歩き出す。ティナの歩幅は小さくてゆっくりだ。いつも嫌味のように長いコンパスをお持ちの真尋と一緒に歩くペースだと置いて行ってしまいそうだ。エドワードは一路の隣を歩く。ロビンは、一路の前を頭にピオンを乗せて、ご機嫌に歩いて行はく。ピオンは長い胴を持ち上げて立ち上がり、きょろきょろと忙しなく辺りを見回していた。
「今日は、マヒロ神父さんはご一緒じゃないんですね」
「真尋くんは魔術学にはまってね、友達の家に出かけてるんだ。僕は、ロビンの首輪を買いに来たんだけど……」
「クルィークさんには、可愛いのがたくさんありますけど……あんまり大きなのは無いかもしれません。ロビンくん、大きくなりそうですし」
「そっかぁ、ロークならあるかな……それかやっぱりどこかで特注しようかな」
ロビンは、かなり大きくなるらしいので、首輪の買い替えは必須になるだろうが、それでも良いものを誂えてやりたい。
「エドワードさんは、今日はお休みですか?」
一路は隣を歩く騎士を見上げる。
ロビンを見ていたスカイブルーの瞳がくるりとこちらを振り返った。
「ああ。今日丸一日と明日の午前中までな。騎士は、三交替制だからな。俺の相棒のリックも同じように今日は休みだが……恋人もいない独身男の休日なんて暇で死にそうになる」
エドワードが不貞腐れた様に言った。
「午前中は鍛錬をしていたんだが、そればっかりなのも虚しくなってこうして町に出て来たが……やはりすることが無い。このままでは俺は暇で死ぬ」
一路とティナは、エドワードがあまりに悲愴ぶって言うので、思わずくすくすと笑ってしまった。エドワードは、スカイブルーの瞳を眇めると唇を尖らせる。
「笑い事じゃない。騎士にとっては死活問題だ。だからイチロとティナには、俺の暇つぶしに付き合ってもらう!」
「はいはい。それで尊い騎士様の命をお救い出来るなら」
「とても光栄なことですね」
一路とティナが笑いながら答えれば、エドワードも機嫌良さそうに笑う。
それから他愛のない話をしていれば、あっという間にクルィークへと着いた。向かいのロークとはやはり正反対の華やかな店構えで、若い女性や親子連れといった若年層の客が多い。
「俺もロークにはよく行くんだ。愛馬の為にな。でも、クルィークに客として来たのは初めてだ」
エドワードが物珍しそうに店の中を覗き込みながら言った。
「お仕事では来たんですか?」
「何度かな」
エドワードは、肩を竦めて答えると店内に入って行く。一路とティナも慌ててその背を追いかける。
店内は、日本のペットショップに似ていた。壁際にずらりとショーケースが並んで可愛らしい子犬や子猫が数匹ずつ入れられて、愛らしく戯れている。女性が「可愛い」と悶える声がそこかしこから聞こえてくる。それにしても店内は、凄い込み具合だ。真尋がいたら「俺は外に居る」と宣言する程度には人で溢れ帰っていて、甘ったるい香水の匂いが充満している。ロビンが女性たちのスカートに翻弄されて右往左往しているのを見かねてエドワードが抱き上げてくれた。ピオンは彼の頭の上に逃げることにしたようだ。ただ触ろうとしたエドワードは、やっぱりピオンにシャーッと言われていたが。
「いつもこんなに混んでるの?」
人波に流されそうになったティナを慌てて捕まえながら一路は問う。ティナは、目を白黒させながら首を横に振った。
「いつも混んではいますが、こんなには」
「多分、あれじゃないか?」
エドワードが店の奥を指差して言った。
だが、残念ながら人に埋もれる一路とティナには何も見えない。この国の平均身長は高い。女性も皆、背が高く一六五しかない一路とその一路より更に小さなティナは残念ながらこの人ごみの中から顔は出ないのだ。唯一、エドワードは、女性の群れの中でも頭一つ抜き出ているために店の奥の様子が見える。
「何が有るんです?」
「さあさあ、皆さま、お待たせいたしました!」
野太い声が響き渡って、女性客が一気に店の奥に流れ始めて、一路はティナを慌てて抱き締めた。一瞬、体が宙に浮いた気さえする。エドワードがその一路を背に庇って壁際まで移動していく。そうでもしなければ、女性客の凄まじい勢いに押し潰されそうだった。ティナもあまりのことに目を白黒させている。
人波がざっと奥に流れて、一路たちは、漸く一息ついた。ショーケースの中から茶色いコロコロした子犬たちが不思議そうに一路たちを覗き込んでくる。
「ひ、人波ってすごいですね」
「本当にね……」
「大丈夫か?」
「はい。ありがとうございます」
「ありがとうございます」
二人がお礼を言えば、エドワードは騎士様だからなとカラカラと笑った。さっぱりとした性格の彼は非常に好感が持てる。見た目だって悪くないのにどうして彼女が出来ないのだろうと一路は失礼なことを考えながら、彼の腕の中で固まるロビンを撫でた。ピオンはエドワードのボルドーの髪に四つん這いになってしがみついていた。
「イチロさん、多分、原因はこれです」
ティナがそう言って、空のショーケースのに貼られたポスターを指差した。
“珍しい愛玩魔物オークション”と大きな文字が踊り日時やルールなどが書かれている。日付が今日になっているから、どうやら今日がそのオークションの開催日で運悪く一路たちはそれに居合わせてしまったらしい。
「さあ、此方は珍しい純白に赤目のラパンだ! 始まりは銀貨一枚、一万Sから!」
「可愛らしい! 銀貨三枚!」
「銀貨五枚!」
人ごみの向こうから賑やかな声が聞こえてくる。
エドワードが、こっちだと言って歩き出す。その先には階段があって、一路たちもその背に続く。吹き抜けになっている店内は、二階から一階を眺めることが出来るようだ。二階には、鳥の魔物や兎のような小さな魔物たちの展示と販売をしている。一路たちは、オークション会場にほど近い場所から手すりに手をつき下を見下ろす。
店の奥の壁際に簡素なステージが作られていて、テーブルが置かれている。その上に檻があって中に真っ白な兎がいた。すぐ傍の演台には、オークションを仕切る狸面の男がいた。
「あのでっぷり肥えた人は?」
「あれが、クルィークの店主のマノリスだ」
ロークの店主はラクダによく似ていたが、こっちは狸に似ている。
マノリスの背後には、仮面のような笑顔を張り付けた狐顔の男が控えていた。執事のような恰好をしている。
「あっちは、執事でもあり、この店の番頭も務めるエイブだ。人を食ったような男で……噂じゃマノリスはあいつに頭が上がらないらしい」
ひそひそと声を潜めたエドワードに一路は、眉を寄せた。
華やかな店にそぐわない狸と狐のコンビは、何故かどこまでも胡散臭く見える。
結局、純白の兎は、紫銀貨二枚で落札された。後ろにあるショーケースの中で売られている同じラパンの十倍の値段だった。競り落としたのは、ブロンドの女性だ。嬉しそうにラパンを持参したらしい籠に入れている。
それからもあの狐顔のエイブの指示で次々に魔物たちがオークションに掛けられる。アルビノや珍しい柄や珍種など様々な魔物たちが次々に高額な価格で競り落とされる。
「……もしかして、あの魔物たちは全て、件の狩人が集めて来ているんですか?」
「中にはブリーダーから買い付けたのもいるだろうが……恐らくはな。見ろ、あの隅に居る奴らがそうだ」
エドワードが笑顔のまま顎でしゃくった先にそれとなく視線を向ける。店の奥、檻を出し入れするドアの前に屈強な男が二人立っている。柄は悪いが、腕は立ちそうだ。いつぞや倒した山賊と人相の悪さは変わらないが、そこに隙は無い。
一路も彼の意図を組んで顔に笑みを張り付ける。あまりに険しい顔をしていると怪しまれる。
「ティナちゃん、楽しい話をしているかのように笑っていて」
耳元で囁けば、ティナがこくこくと頷いた。
「クルィークには、脱税の疑いがかかっているんだ……ここ数年、店が凄い勢いで成長していて、同時期にこのオークションが始まっている」
エドワードは、まるで馬鹿げた話をしているかのように笑いながら言った。
「あの狩人たちは、傭兵崩れか冒険者ギルドで何らかの違反を犯してギルドカードを剥奪された奴らの集まりだということまでは尻尾を掴んでいる」
「……僕らは、本当にエドワードさんの暇つぶしに巻き込まれたんですね」
絶対にわざとだと一路は、にこにこしながらもエドワードを睨み付けた。エドワードは、冗談でも聞いたかのように声を上げて笑い、そっと視線を逸らした。語るに落ちるとはこのことだと思う。
「ほら、哀れな独身男が一人で入店するより……可愛い女の子と可愛い男の子が一緒だと怪しまれないだろう?」
「この借りは高いですからね」
あははっと笑いながら言って一路は、オークションへと顔を戻す。
ティナは、困ったように笑っていたがその檻がテーブルの上に置かれた瞬間、息を飲んだ。
「さあさあ! これが今回のオークションの目玉!! 世にも珍しい薄紅色のウェーゼルだ!」
おお、と会場にどよめきが走った。
檻の中には、淡い桜色のピオンと同じような細長いオコジョに似た魔物が居て、怯えたように縮こまっている。
「ウェーゼル?」
「ブレットの下位種だな。ブレットは、妖精族のみが飼うことが出来る。主食が主から落ちる花や葉だから、他の種族じゃどうにもならないだろ? でもウェーゼルは、姿形はブレットに似ているけど花や葉っぱならその辺に生えているものでも平気だから、人気があるんだ。本来は、茶色とか薄茶なんだけど珍しい色だな」
「違います」
ティナが首を横に振ってエドワードを見上げる。
「あの子は、ウェーゼルなんかじゃありません、間違いなくブレットです」
言い切ったティナに二人は顔を見合わせる。
「ブレットは、ピオンのような白が基本です。野生のブレットは、妖精族とエルフ族の里とその周辺の森にしか生息していません。そこにしか彼らの食料が無いからです。妖精族は好んでブレットを飼います。ブレットは、妖精族の落とす葉や花が好きで飼われることを好むので妖精族の長の許可を貰えば、こうして迎えることが出来るんです」
「だが、あれはウェーゼルじゃないのか?」
「ウェーゼルなんかじゃありません。薄紅色のブレットは、妖精族の森の奥にだけ住まうとても貴重なブレットです。昔は白のブレットと同じぐらいいたんですが、その美しい色から密猟者に乱獲されて数が激減し、妖精族が保護している魔物で、国からも取引禁止魔物に指定されているんです」
「……つまり、何者かが妖精族の森から盗み出したってことかな?」
一路は苛烈な賑わいを極めるオークション会場に顔を向けた。値段がどんどんとつり上がっていく。
しかし、客の中にはティナと同じ妖精族がちらほらいて、それはブレットだ、と店主に訴えている。店主は胡散臭い笑みを浮かべて「これはウェーゼルだ」と言い切っている。
「いいや! それは間違いなくブレットだ!」
「ブレットは白のみです。それにブレットは普通、取引は出来ませんし、このウェーゼルは、うちの狩人が魔の森で捕まえて来たのです」
マノリスの後ろから出て来たエイブが声を荒げる妖精族の男性に言った。
だが、それをきっかけに店内にいた妖精族たちが前に出て来て抗議する。密猟を疑う者も居て、彼らの肩の上や頭の上でブレットたちまでぴーぴーと声を上げていた。彼らの周りから他の人々が離れて行く。
エイブは、細く吊り上がった目をますます細めて笑うと、ちょいちょいと指を振った。檻を運び出していた部屋の方から、一人の男が出て来た。
まるで気配のない、存在感の希薄な男だった。すらりと背が高く長い黒髪がその背で揺れている。エイブと同じような執事服を着ていて、整った顔には美しい微笑みが浮かんでいる。
「お客様、言いがかりはおやめください。あの魔物は、確かに私が魔の森で捕まえて来たウェーゼルでございます」
青い髪の妖精族の男性の前に立ったその男は淡々と穏やかな声で告げる。
「違う。あれはウェーゼルなんか、じゃ……」
何故か、妖精族の男性が震えだし、彼の周りに居た妖精族の人達も怯えたように表情を強張らせた。ブレットたちが慌てたように飼い主の服の中や首の後ろに逃げ込んでいく。
「あれは、ウェーゼルです」
一路は、そこで気付いた。青い髪の男性から落ちていた細い緑の葉が色を失い消えていくのを。
「おや、具合が悪いようですね、おい! この方を客間へ運んで差し上げろ!」
エイブが男たちに声を掛ける。
この隙にマノリスは、オークションを再開し、金額が再び吊り上がって行く。不自然なほどオークションは進む。もしかしたら客の中にはサクラでも紛れ込ませていてこうなることを予期していたのかも知れない。
「あーあ、こういうのは真尋くんの専売特許なんだけどなぁ」
一路は鞄からローブを取り出して身に纏い、フードを深くかぶった。
「イチロさん?」
「イチロ?」
「エドワードさん、ロビンとティナちゃんをお願いしますね。それとティナちゃん、こっち来て」
一路は、もう一枚、ローブを取り出してティナに被せた。フードを被せて顔が見えない様にして、ピオンをその腕に抱かせる。ロビンは目立つので少し離れて隠れているように言う。
「あ、あのイチロさん?」
「ミステリアスに微笑んでて、エドワードさんは騎士の顔をしてね」
一路はにっこりと笑って手すりに足を掛けてよじ登ると、ぴょんと飛んだ。エドワードが「おい!」と驚いたように声を上げる。
一路は、ふわりと音も無くステージの上に降り立った。突然現れた一路に周りがざわめくが、さらっと無視して一路は、金色に輝く金貨を二枚ほど取り出して指先で遊ぶようにして周囲に見せびらかす。
「金貨二枚」
「な、なんだ……お前はっ」
「何だと言われましても、入札をしているだけですが?」
あの黒い男が一路を振り返った。
ぞっとするほど冷たい目をした男だった。深い闇色の瞳がじっと一路を見つめている。
青い髪の妖精族の男性がその場に座り込んだ。顔面蒼白で全身を震わせている。彼から落ちる葉は既に白く色を失ってしまっている。
「実は、私はとある高貴なる方にお仕えしている身です。本日、お嬢様がこちらのオークションを見てみたいと申されましてお忍びでやって参りました。お嬢様がこちらのウェーゼルを気に入り、是非とも手に入れたいとおっしゃられましたので、こうして入札をしているだけでございます」
一路は、口元に笑みを浮かべたままティナたちを手で示した。
ティナは、一路に言われたとおりにフードで顔を隠しながらも唯一見える口元には微笑みを湛えていて、腕の中のピオンを撫でている。エドワードも騎士の顔になってティナを護衛しているという演技を全力でしてくれているのが分かった。
「金貨二枚、それがお嬢様の入札額で御座います」
一路は、たおやかに微笑んで首を傾げて見せた。
マノリスが何かを言おうとしたが、エイブが彼の耳元でささやくと、手に持っていた木槌をコン!と打ち付けた。
「金貨二枚! 落札だ!」
マノリスがやけくそ気味に叫んだ。
エイブがこちらにやって来て、檻の鍵を開けた。一路は、エイブに金貨を渡して中に居た薄紅色のブレットをそっと抱き上げた。ブレットは怯えきってまるでボールのように丸まったままだ。
一路は、ブレットをローブの中に隠す様に抱いて、振り返る。あの黒い男の姿は既に無く、丁度、揺れる長い髪が店の奥のドアの向こうに消えるところだった。屈強な狩人が二人、一路を睨み付けてから男の背を追うようにして中へと入っていく。
「それでは皆さま、本日のオークションは、これにて終了でございます。本日も誠にありがとうございました」
エイブがにこやかな笑みを浮かべて頭を下げれば、客は徐々に賑やかさを取り戻しながら店内に散っていく。エイブが、座り込んだままの男性のところに行こうとするより早く一路は、青年の前に立つ。
「エイブ様、どうぞ彼のことは私共にお任せください」
「いえ、彼は当店のお客様でございますので、当店で面倒を見させていただきます」
エイブは、つかみどころのない笑みを浮かべるが細く吊り上がったその目は、にこりともしていない。
一路は、やっぱりこれは真尋くんの得意分野だよ、と愚痴りながら、どうしようかな、と考えを巡らせる。
「エルリック、今すぐに馬車を呼んで頂戴」
軽やかな声が聞こえて振り返れば、いつの間にかティナとエドワードが上から降りて来ていて、こちらにやって来る。
「イル、早く先ほどのウィーゼルをわたくしに見せなさい」
ティナが言って、一路は彼女に合わせることにした。腕に抱えていた薄紅色のブレットを彼女の細い腕に渡す。肩の上のピオンが心配そうにのぞき込み、薄紅色のブレットは自分を抱えているのが大好きな妖精族だと気づいたのか、顔を上げるとティナのフード中に飛び込んで隠れてしまった。
「お嬢様、家からの馬車が参ります迄、暫しお待ちいただくことになります」
「わたくしは今すぐに帰りたいの。エルリック、そちらのわたくしと同族の男を連れて来なさい。ウィーゼルとブレットを間違えるなんて、妖精族の恥ですわ。わたくしがその違いをじっくりと教えて差し上げますわ。少しは常識を学びなさい」
ティナは、まるで高慢で我が儘なお嬢様のように振る舞う。
「では、僕が馬車を連れてまいります。エルリック殿、お願いします」
エドワードが青い髪の妖精族の男性に肩を貸して立ち上がらせる。
「お待ちくだされ」
マノリスがその巨体を揺らしてこちらにやって来た。エイブがすっと下がって彼の後ろに控える。
「私はマノリス、このクルィークの店主で御座います。高貴なる家のお嬢様とお見受けいたします。ご無礼とは承知ですがどうかその名を教えては頂けませんか?」
タヌキのような垂れ目をにんまりと細めてマノリスが言った。
「失礼ですが、お嬢様はお忍びであると申した筈です。名を名乗ることは出来ません」
一路は、ティナを庇う様に前に出る。
「……名を名乗ることは、マノリス様にとってもメリットはございませんよ」
一路は低く囁くように告げる。
マノリスが僅かに頬をひくひくとさせた。後ろのエイブの目が鋭く尖る。
「その通り。マノリス、お前の手には負えないお方だよ」
のんびりとした声が間に割って入って来た。
驚いて顔を上げれば、ラクダが、違う、カマルが楽しそうに笑っている。この間とは違い、大店の店主らしいきちんとした格好をしている。彼の肩の上には、彼の従魔のリーフィが居る。
「こちらのお方は、私の父がとてもお世話になったお方の娘でね、私がこの催しを教えたら、見に行きたいとおっしゃられたんだ。お嬢様、いかがです? 楽しめましたか?」
「ええ。とても珍しいウィーゼルを手に入れたの。庶民に成りすますのも楽しいものね、カマル。次のお茶会が楽しみだわ、あの伯爵令嬢はどんな顔をするかしら!」
ティナの言葉にカマルは「それはようございました」と笑って頷く。
「おい、カマル……何しに来た」
マノリスが唸るように言った。
「お嬢様の様子を見に来たのですよ。何かあっては父の顔に泥を塗ることになってしまいますから。マノリス、あまり無茶はしない方がいい。商品の価値を見誤った時、それが商人の死ぬ時だ」
カマルは、ラクダ顔に飄々とした笑みを浮かべて告げた。
その忠告を馬鹿にされたととったのか、マノリスの顔が怒りに赤く染まっていく。カマルは、やれやれと肩を竦めるとティナを振り返る。
「馬車は、私が手配いたしましょう。その間、私の家にどうぞ。お話の途中で出かけられてしまっては、私も些かつまらないというものです」
「しょうがないわね。カマルの頼みなら戻ってあげるわ。イル、エルリック、行くわよ」
「はい、お嬢様」
「御意」
エドワードが男性を肩に担いで歩き出し、一路は横からそれを支えてティナの背に続く。先を歩くカマルが、店の外に出る。一路は、最後にちらりと背後を振り返る。マノリスがエイブを怒鳴りつけていて、従業員がおろおろと彼らを宥めようとしていた。だがエイブの冷たい眼差しだけは、降り注ぐ怒声の中、揺らぐことも無くじっとこちらを睨み付けていた。一路は、すっと視線を外して顔を前に戻す。
店の外に出るとどこに隠れていたのか、ロビンが出て来て、ティナの横にぴたりとくっついて歩き出す。どうやらロビンなりにティナを守っている気のようだ。
広い通りを渡って、ロークへと向かう。店の中に入れば「おかえりなさいませ」とカマルに声が掛けられる。カマルは、それに手を上げて返し、店の奥から中庭に出る。ロビンと出会った魔獣たちのいる店のドアは今日も鎖が掛けられて南京錠がぶら下がっている。
カマルは中庭を横切って、家の中へと一路たちを招き入れてくれた。
「ティナちゃん!?」
玄関へ入った瞬間、へなへなと座り込んだティナを慌てて抱き留める。ぱさり、とローブのフードが落ちた。
「す、すみません、あの、安心したら腰が抜けて……」
ティナが恥ずかしそうに言った。
「ティナちゃん、凄く上手だったよ。僕、びっくりしちゃった」
「ええ。私もついノリノリになってしまいました」
カマルが、楽しそうに笑いながら言った。ティナは、恥ずかしそうに頬を染めて顔を俯けてしまう。その様子が可愛くて一路は自然と笑みを浮かべた。
「ティナちゃん、ここだとあれだから、ごめんね」
「ひぇっ?」
ひょいとティナを横抱きに抱えあげる。
ティナが顔を真っ赤にしてぷるぷるしている。一路は、恥ずかしいよね、ごめんねと見当違いな方向に謝罪しながら、笑うカマルに案内された部屋に向かう。エドワードが「これが天然」と呟いたがその言葉の意味は分からなかった。
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ここまで読んで下さってありがとうございました!
久々の更新になってしまい、すみません……!
一路くんはティナを天然だと思っていますが彼も大概です。ちなみに一路のナンパからの救出方法は、真尋&雪乃を参考にした結果です(笑)
次のお話も楽しんで頂けると幸いです。
町の中をのんびりとロークを目指して歩きながら、一路は隣を歩くロビンに話しかける。ロビンは、わふっと一つ返事をする。天気が良いからかロビンは尻尾を振ってご機嫌な様子だ。
先ほど、その辺にあった食堂で昼ご飯を済ませた所だ。午後一時を過ぎた頃で今日も日差しが強くて暑い。夏が近づいてくるのを感じる季節だ。
町を行き交う人々も涼し気な恰好をしている。女性は日傘をさしている人や薄手のカーディガンを羽織っている人もいる。やはり日焼けは厳禁なのだろうか。
真尋は朝、ジョンをジョシュアの所に送り届けた後、数冊の本を鞄に突っ込んで嬉々として出かけて行った。先に屋敷に寄って目当ての本を何冊か調達してから行くのだという。同じ趣味の人間がいるというのは、良いことだと思うが、寝るのを忘れるのはどうかと思うので何とも言えない一路である。
「雪ちゃんというストッパーが居ないからなぁ、僕がしっかりしないと」
自分自身に言い聞かせるように呟いて一路はため息を零した。
「わん!」
不意にロビンが吼えて、一路のチュニックの裾を引っ張った。
「どうしたの?」
「わんわん!」
ロビンが顔を向けた先に視線を向ければ、見覚えのあるローズピンクから白へと変わる不思議な色の髪の少女が居た。
「ティナちゃん?」
だがティナは一人ではない。屈強な冒険者風の男が二名ほど彼女に言い寄っているようだった。ティナが首を横に振るたびに花びらがひらひらと落ちる。多分、首を横に振っているということは、答えはノーで嫌がっているということだ。
一路は足を速めて彼女の元に急ぐ。
「あ、あの、困りますっ」
「そう言わずにさ。ちょっと食事でも一緒に行こうぜ。勿論、奢るからさ」
「抜け駆けすんなよ、なあ、ティナ、俺と町の外に出かけよう。花畑を見つけたんだ」
「だから、私は」
「ティナちゃん、ごめん、待たせちゃったね」
一路はティナの細い腰に腕を回して自分の方に抱き寄せた。ティナが驚いたようにこちらを振り返る。思ったより至近距離に一路の顔があったことに驚いたティナが顔を赤くした。
「イ、イチロさん」
「だから家に迎えに行くって言ったのに。ティナちゃんは可愛いから僕は心配だよ」
ふふっと笑って告げれば、ティナは口をはくはくさせて顔を俯けてしまった。白い首筋が赤く染まってしまっている。
「あ? なんだお前……あの神父の連れじゃないか」
「放せよ、ティナは俺達が先に声を掛けたんだ」
「だから何です。女性が嫌がった時点で引くのがスマートな紳士ってもんですよ。それに言ったでしょう? 先約は僕だって」
一路はティナを抱き寄せる腕にさらに力を込めた。ティナが羞恥と喜びで死にそうになっているが一路は気付いていない。
「ガキが舐めた口利くなよ? 今すぐにどっかいけよ、痛い目見るぞ? 男だか女だか分からねぇような面しやがって!」
「俺たちはCランクの冒険者なんだからな、お前はまだEなんだろ? ひよっこちゃん。この間、冒険者になったばかりだもんなぁ」
ニヤニヤとした視線が一路を値踏みするようにじろじろと向けられる。
頭が悪そうだなと一路は憐れに思えて来た。この二人がCから上に上がることは無いだろう。目の前に対峙する人間の見た目に騙されて力量も碌に見抜けないのでは大した実力はない。
「さっさと引っ込め! ガキはガキらしくママに甘えてろよ!」
振り被られた拳は、あまりに粗雑だ。一路はそれを片手で受け止めて、その力を利用してひょいと腕を捻ってまるでちり紙でも投げるかのように男を放り投げた。真尋に教わった武術の一つだ。男は自分に何が起こったのか分からなかったようで、受け身も碌に取れずに石畳の上に転がった。もう一人が慌てて駆け寄る。
一路は、地面に寝転ぶ男とそれを助け起こす男に、にこりと笑いかける。ロビンが牙をむき出しにして唸り、今にも男たちに飛び掛からんとしている。一路はそれを片手で制する。
「こう見えて成人しているので、間違えないでくださいね。それと……見た目に惑わされて相手の実力が見抜けない様では成長できませんよ?」
ね、と笑みを深めた一路に二人は顔を青くすると脱兎のごとく逃げ出していく。あまりに情けない姿に一路は、やれやれと肩を竦めた。
「……イチロ、強いんだな」
引き攣る声に顔を上げれば、腰の剣に手を掛けた状態のエドワードが居た。私服姿なのを見ると非番なのかもしれない。
「あ、エドワードさん、こんにちは!」
「おう」
エドワードは剣から離した手を軽く上げて、こちらへとやって来た。ラフな恰好ではあるがベストには丁寧な刺繍な施されシャツやトラウザーズも仕立ての良さが一目で分かる。騎士とはやはりそういったことにも気を配らなければならないのだろう。
一路は、腕の中にいるティナに顔を向ける。
「ティナちゃん、大丈夫?」
「は、はいっ!」
「イチロの恋人なのか?」
やって来たエドワードが抱き寄せたままだったティナを見て首を傾げた。一路は、あ、と声を漏らしてティナを離す。
「咄嗟とはいえ、ごめんね。嫌じゃなかった?」
「全然! あの全然平気です!」
ティナがぶんぶんと首を横に振った。長い髪が揺れて、ふわわわと花びらが沢山落ちた。
「そう? 良かった」
今日の彼女は、丸い襟に花の刺繍があしらわれたパフスリーブのブラウスに黒のボディス、綺麗な空色のロングスカートという出で立ちだった。黒のボディスは、ティナの細い腰と豊かな胸をしっかりと強調している。ただ何故かこの暑いのに首に白い毛皮を巻いている。
「ティナちゃん、首のそれ暑くないの?」
「え、あ、これは、違います。この子は、私の家族で……ピオン、もう大丈夫だから顔を上げて」
ティナが優しく声を掛けると白い襟巻がもぞりと動いた。一路は思わず目を瞬かせた。ロビンがきょとんと首を傾げる。
ぴょこんと顔を上げたのは、可愛らしいオコジョに似た魔物だった。
「おお、妖精族のブレットじゃないか!」
エドワードが歓声を上げた。どうやら彼はこのオコジョが何か知っているらしい。
「この子は、ブレットという魔物で私の家族なんです。名前は、ピオンっていうんです。怖かったでしょう、ごめんね」
ティナが小さな頭を優しく撫でる。オコジョによく似たピオンは小さな頭をティナの頬に摺り寄せて甘えて、実に可愛らしい。一路に気付くとキョトンとその黒いつぶらな瞳で此方を見つめて来る。首を傾げる仕草がきゅんとくる。
「ピオ、イチロさんが助けてくれたんですよ」
「ぴー?」
「触っても良い?」
「はい、でも……」
「初めまして、僕は一路っていいます。よろしくね」
ティナが頷いてくれたので、ピオンに手を伸ばせば、ピオンはぴょんと飛んで一路の腕を駆け上がると肩の上に乗って頭を擦り寄せて来る。すべすべの毛並みはきめ細やかで気持ちがいい。一路は、可愛いね、と笑いながらピオンを撫でた。
「……ピオンは人見知りするのに」
「僕、魔物とか魔獣に好かれる性質なのかもねぇ」
ロビンが背伸びをして一生懸命、ピオンの様子を窺うのをその頭を撫でて押し留める。ピオンは、ぴょんと飛ぶとロビンの頭の上に乗っかった。ロビンの黒い鼻に自分の小さな鼻をくっつける。どうやらピオンなりの挨拶のようだ。ロビンが嬉しそうにしっぽを振った。ロビンもピオンを気に入ったようだ。
エドワードが、俺も、と手を伸ばすがピオンは、しゃーっとまるで猫のように毛を逆立ててロビンの頭の上で威嚇する。ティナが慌ててピオンを抱き上げた。
「俺は駄目なのか……」
エドワードががくりと肩を落とした。ティナが「すみません」と慌てて謝った。
「イチロさんとロビンくんは凄いですね、ピオンは滅多に人に懐かないんですけど……」
「じゃあ、とても光栄なことだね。ありがとう、ピオン」
ピオンの小さな頭を指先で優しく撫でれば、ピオンは「ぴー」と嬉しそうに鳴いた。そしてティナの腕から抜け出すと再びロビンの頭の上に乗っかった。どうやら座り心地を気に入ったようだ。ロビンもご機嫌だ。
「あ、そうそう、ティナちゃん、彼はクラージュ騎士団のエドワードさん。エドワードさん、冒険者ギルドの受付嬢のティナちゃんです」
「初めまして、クラージュ騎士団三級騎士のエドワードだ」
「初めまして、ティナです」
二人が会釈をして挨拶を交わす。
「ティナちゃんは、これからどこに行く途中だったの?」
「クルィークさんに。仔猫用のアクセサリーがピオンにはピッタリなので」
「確か、愛玩魔物専門のお店だっけ?」
ティナが、はい、と頷く。
「ブレットは流石に特殊な魔物なので扱ってはいませんけど……ブレットは妖精族が好んで飼う魔物なんです。飼い主から落ちたお花や葉っぱを食べるんですよ」
「そうなんだ。うちのロビンは、見た通り肉食だからねぇ。お花を食べるなんて可愛いね。あ、ねえねえ、僕も一緒に行って良い?」
一路が尋ねるとティナは、ぱぁっと顔を輝かせて頷いた。
「なあなあ、俺もついて行っていいか? 暇なんだ」
エドワードが言った。
騎士服を着ていない彼は、いつもよりもずっと自分たちと年が近く感じる。一つしか違わないからおかしな話ではない。
「ティナちゃん、いい?」
「はい。騎士様とお話しする機会なんて滅多にないので光栄です」
「じゃあ、行こうか」
一路はにこっと笑って歩き出す。ティナの歩幅は小さくてゆっくりだ。いつも嫌味のように長いコンパスをお持ちの真尋と一緒に歩くペースだと置いて行ってしまいそうだ。エドワードは一路の隣を歩く。ロビンは、一路の前を頭にピオンを乗せて、ご機嫌に歩いて行はく。ピオンは長い胴を持ち上げて立ち上がり、きょろきょろと忙しなく辺りを見回していた。
「今日は、マヒロ神父さんはご一緒じゃないんですね」
「真尋くんは魔術学にはまってね、友達の家に出かけてるんだ。僕は、ロビンの首輪を買いに来たんだけど……」
「クルィークさんには、可愛いのがたくさんありますけど……あんまり大きなのは無いかもしれません。ロビンくん、大きくなりそうですし」
「そっかぁ、ロークならあるかな……それかやっぱりどこかで特注しようかな」
ロビンは、かなり大きくなるらしいので、首輪の買い替えは必須になるだろうが、それでも良いものを誂えてやりたい。
「エドワードさんは、今日はお休みですか?」
一路は隣を歩く騎士を見上げる。
ロビンを見ていたスカイブルーの瞳がくるりとこちらを振り返った。
「ああ。今日丸一日と明日の午前中までな。騎士は、三交替制だからな。俺の相棒のリックも同じように今日は休みだが……恋人もいない独身男の休日なんて暇で死にそうになる」
エドワードが不貞腐れた様に言った。
「午前中は鍛錬をしていたんだが、そればっかりなのも虚しくなってこうして町に出て来たが……やはりすることが無い。このままでは俺は暇で死ぬ」
一路とティナは、エドワードがあまりに悲愴ぶって言うので、思わずくすくすと笑ってしまった。エドワードは、スカイブルーの瞳を眇めると唇を尖らせる。
「笑い事じゃない。騎士にとっては死活問題だ。だからイチロとティナには、俺の暇つぶしに付き合ってもらう!」
「はいはい。それで尊い騎士様の命をお救い出来るなら」
「とても光栄なことですね」
一路とティナが笑いながら答えれば、エドワードも機嫌良さそうに笑う。
それから他愛のない話をしていれば、あっという間にクルィークへと着いた。向かいのロークとはやはり正反対の華やかな店構えで、若い女性や親子連れといった若年層の客が多い。
「俺もロークにはよく行くんだ。愛馬の為にな。でも、クルィークに客として来たのは初めてだ」
エドワードが物珍しそうに店の中を覗き込みながら言った。
「お仕事では来たんですか?」
「何度かな」
エドワードは、肩を竦めて答えると店内に入って行く。一路とティナも慌ててその背を追いかける。
店内は、日本のペットショップに似ていた。壁際にずらりとショーケースが並んで可愛らしい子犬や子猫が数匹ずつ入れられて、愛らしく戯れている。女性が「可愛い」と悶える声がそこかしこから聞こえてくる。それにしても店内は、凄い込み具合だ。真尋がいたら「俺は外に居る」と宣言する程度には人で溢れ帰っていて、甘ったるい香水の匂いが充満している。ロビンが女性たちのスカートに翻弄されて右往左往しているのを見かねてエドワードが抱き上げてくれた。ピオンは彼の頭の上に逃げることにしたようだ。ただ触ろうとしたエドワードは、やっぱりピオンにシャーッと言われていたが。
「いつもこんなに混んでるの?」
人波に流されそうになったティナを慌てて捕まえながら一路は問う。ティナは、目を白黒させながら首を横に振った。
「いつも混んではいますが、こんなには」
「多分、あれじゃないか?」
エドワードが店の奥を指差して言った。
だが、残念ながら人に埋もれる一路とティナには何も見えない。この国の平均身長は高い。女性も皆、背が高く一六五しかない一路とその一路より更に小さなティナは残念ながらこの人ごみの中から顔は出ないのだ。唯一、エドワードは、女性の群れの中でも頭一つ抜き出ているために店の奥の様子が見える。
「何が有るんです?」
「さあさあ、皆さま、お待たせいたしました!」
野太い声が響き渡って、女性客が一気に店の奥に流れ始めて、一路はティナを慌てて抱き締めた。一瞬、体が宙に浮いた気さえする。エドワードがその一路を背に庇って壁際まで移動していく。そうでもしなければ、女性客の凄まじい勢いに押し潰されそうだった。ティナもあまりのことに目を白黒させている。
人波がざっと奥に流れて、一路たちは、漸く一息ついた。ショーケースの中から茶色いコロコロした子犬たちが不思議そうに一路たちを覗き込んでくる。
「ひ、人波ってすごいですね」
「本当にね……」
「大丈夫か?」
「はい。ありがとうございます」
「ありがとうございます」
二人がお礼を言えば、エドワードは騎士様だからなとカラカラと笑った。さっぱりとした性格の彼は非常に好感が持てる。見た目だって悪くないのにどうして彼女が出来ないのだろうと一路は失礼なことを考えながら、彼の腕の中で固まるロビンを撫でた。ピオンはエドワードのボルドーの髪に四つん這いになってしがみついていた。
「イチロさん、多分、原因はこれです」
ティナがそう言って、空のショーケースのに貼られたポスターを指差した。
“珍しい愛玩魔物オークション”と大きな文字が踊り日時やルールなどが書かれている。日付が今日になっているから、どうやら今日がそのオークションの開催日で運悪く一路たちはそれに居合わせてしまったらしい。
「さあ、此方は珍しい純白に赤目のラパンだ! 始まりは銀貨一枚、一万Sから!」
「可愛らしい! 銀貨三枚!」
「銀貨五枚!」
人ごみの向こうから賑やかな声が聞こえてくる。
エドワードが、こっちだと言って歩き出す。その先には階段があって、一路たちもその背に続く。吹き抜けになっている店内は、二階から一階を眺めることが出来るようだ。二階には、鳥の魔物や兎のような小さな魔物たちの展示と販売をしている。一路たちは、オークション会場にほど近い場所から手すりに手をつき下を見下ろす。
店の奥の壁際に簡素なステージが作られていて、テーブルが置かれている。その上に檻があって中に真っ白な兎がいた。すぐ傍の演台には、オークションを仕切る狸面の男がいた。
「あのでっぷり肥えた人は?」
「あれが、クルィークの店主のマノリスだ」
ロークの店主はラクダによく似ていたが、こっちは狸に似ている。
マノリスの背後には、仮面のような笑顔を張り付けた狐顔の男が控えていた。執事のような恰好をしている。
「あっちは、執事でもあり、この店の番頭も務めるエイブだ。人を食ったような男で……噂じゃマノリスはあいつに頭が上がらないらしい」
ひそひそと声を潜めたエドワードに一路は、眉を寄せた。
華やかな店にそぐわない狸と狐のコンビは、何故かどこまでも胡散臭く見える。
結局、純白の兎は、紫銀貨二枚で落札された。後ろにあるショーケースの中で売られている同じラパンの十倍の値段だった。競り落としたのは、ブロンドの女性だ。嬉しそうにラパンを持参したらしい籠に入れている。
それからもあの狐顔のエイブの指示で次々に魔物たちがオークションに掛けられる。アルビノや珍しい柄や珍種など様々な魔物たちが次々に高額な価格で競り落とされる。
「……もしかして、あの魔物たちは全て、件の狩人が集めて来ているんですか?」
「中にはブリーダーから買い付けたのもいるだろうが……恐らくはな。見ろ、あの隅に居る奴らがそうだ」
エドワードが笑顔のまま顎でしゃくった先にそれとなく視線を向ける。店の奥、檻を出し入れするドアの前に屈強な男が二人立っている。柄は悪いが、腕は立ちそうだ。いつぞや倒した山賊と人相の悪さは変わらないが、そこに隙は無い。
一路も彼の意図を組んで顔に笑みを張り付ける。あまりに険しい顔をしていると怪しまれる。
「ティナちゃん、楽しい話をしているかのように笑っていて」
耳元で囁けば、ティナがこくこくと頷いた。
「クルィークには、脱税の疑いがかかっているんだ……ここ数年、店が凄い勢いで成長していて、同時期にこのオークションが始まっている」
エドワードは、まるで馬鹿げた話をしているかのように笑いながら言った。
「あの狩人たちは、傭兵崩れか冒険者ギルドで何らかの違反を犯してギルドカードを剥奪された奴らの集まりだということまでは尻尾を掴んでいる」
「……僕らは、本当にエドワードさんの暇つぶしに巻き込まれたんですね」
絶対にわざとだと一路は、にこにこしながらもエドワードを睨み付けた。エドワードは、冗談でも聞いたかのように声を上げて笑い、そっと視線を逸らした。語るに落ちるとはこのことだと思う。
「ほら、哀れな独身男が一人で入店するより……可愛い女の子と可愛い男の子が一緒だと怪しまれないだろう?」
「この借りは高いですからね」
あははっと笑いながら言って一路は、オークションへと顔を戻す。
ティナは、困ったように笑っていたがその檻がテーブルの上に置かれた瞬間、息を飲んだ。
「さあさあ! これが今回のオークションの目玉!! 世にも珍しい薄紅色のウェーゼルだ!」
おお、と会場にどよめきが走った。
檻の中には、淡い桜色のピオンと同じような細長いオコジョに似た魔物が居て、怯えたように縮こまっている。
「ウェーゼル?」
「ブレットの下位種だな。ブレットは、妖精族のみが飼うことが出来る。主食が主から落ちる花や葉だから、他の種族じゃどうにもならないだろ? でもウェーゼルは、姿形はブレットに似ているけど花や葉っぱならその辺に生えているものでも平気だから、人気があるんだ。本来は、茶色とか薄茶なんだけど珍しい色だな」
「違います」
ティナが首を横に振ってエドワードを見上げる。
「あの子は、ウェーゼルなんかじゃありません、間違いなくブレットです」
言い切ったティナに二人は顔を見合わせる。
「ブレットは、ピオンのような白が基本です。野生のブレットは、妖精族とエルフ族の里とその周辺の森にしか生息していません。そこにしか彼らの食料が無いからです。妖精族は好んでブレットを飼います。ブレットは、妖精族の落とす葉や花が好きで飼われることを好むので妖精族の長の許可を貰えば、こうして迎えることが出来るんです」
「だが、あれはウェーゼルじゃないのか?」
「ウェーゼルなんかじゃありません。薄紅色のブレットは、妖精族の森の奥にだけ住まうとても貴重なブレットです。昔は白のブレットと同じぐらいいたんですが、その美しい色から密猟者に乱獲されて数が激減し、妖精族が保護している魔物で、国からも取引禁止魔物に指定されているんです」
「……つまり、何者かが妖精族の森から盗み出したってことかな?」
一路は苛烈な賑わいを極めるオークション会場に顔を向けた。値段がどんどんとつり上がっていく。
しかし、客の中にはティナと同じ妖精族がちらほらいて、それはブレットだ、と店主に訴えている。店主は胡散臭い笑みを浮かべて「これはウェーゼルだ」と言い切っている。
「いいや! それは間違いなくブレットだ!」
「ブレットは白のみです。それにブレットは普通、取引は出来ませんし、このウェーゼルは、うちの狩人が魔の森で捕まえて来たのです」
マノリスの後ろから出て来たエイブが声を荒げる妖精族の男性に言った。
だが、それをきっかけに店内にいた妖精族たちが前に出て来て抗議する。密猟を疑う者も居て、彼らの肩の上や頭の上でブレットたちまでぴーぴーと声を上げていた。彼らの周りから他の人々が離れて行く。
エイブは、細く吊り上がった目をますます細めて笑うと、ちょいちょいと指を振った。檻を運び出していた部屋の方から、一人の男が出て来た。
まるで気配のない、存在感の希薄な男だった。すらりと背が高く長い黒髪がその背で揺れている。エイブと同じような執事服を着ていて、整った顔には美しい微笑みが浮かんでいる。
「お客様、言いがかりはおやめください。あの魔物は、確かに私が魔の森で捕まえて来たウェーゼルでございます」
青い髪の妖精族の男性の前に立ったその男は淡々と穏やかな声で告げる。
「違う。あれはウェーゼルなんか、じゃ……」
何故か、妖精族の男性が震えだし、彼の周りに居た妖精族の人達も怯えたように表情を強張らせた。ブレットたちが慌てたように飼い主の服の中や首の後ろに逃げ込んでいく。
「あれは、ウェーゼルです」
一路は、そこで気付いた。青い髪の男性から落ちていた細い緑の葉が色を失い消えていくのを。
「おや、具合が悪いようですね、おい! この方を客間へ運んで差し上げろ!」
エイブが男たちに声を掛ける。
この隙にマノリスは、オークションを再開し、金額が再び吊り上がって行く。不自然なほどオークションは進む。もしかしたら客の中にはサクラでも紛れ込ませていてこうなることを予期していたのかも知れない。
「あーあ、こういうのは真尋くんの専売特許なんだけどなぁ」
一路は鞄からローブを取り出して身に纏い、フードを深くかぶった。
「イチロさん?」
「イチロ?」
「エドワードさん、ロビンとティナちゃんをお願いしますね。それとティナちゃん、こっち来て」
一路は、もう一枚、ローブを取り出してティナに被せた。フードを被せて顔が見えない様にして、ピオンをその腕に抱かせる。ロビンは目立つので少し離れて隠れているように言う。
「あ、あのイチロさん?」
「ミステリアスに微笑んでて、エドワードさんは騎士の顔をしてね」
一路はにっこりと笑って手すりに足を掛けてよじ登ると、ぴょんと飛んだ。エドワードが「おい!」と驚いたように声を上げる。
一路は、ふわりと音も無くステージの上に降り立った。突然現れた一路に周りがざわめくが、さらっと無視して一路は、金色に輝く金貨を二枚ほど取り出して指先で遊ぶようにして周囲に見せびらかす。
「金貨二枚」
「な、なんだ……お前はっ」
「何だと言われましても、入札をしているだけですが?」
あの黒い男が一路を振り返った。
ぞっとするほど冷たい目をした男だった。深い闇色の瞳がじっと一路を見つめている。
青い髪の妖精族の男性がその場に座り込んだ。顔面蒼白で全身を震わせている。彼から落ちる葉は既に白く色を失ってしまっている。
「実は、私はとある高貴なる方にお仕えしている身です。本日、お嬢様がこちらのオークションを見てみたいと申されましてお忍びでやって参りました。お嬢様がこちらのウェーゼルを気に入り、是非とも手に入れたいとおっしゃられましたので、こうして入札をしているだけでございます」
一路は、口元に笑みを浮かべたままティナたちを手で示した。
ティナは、一路に言われたとおりにフードで顔を隠しながらも唯一見える口元には微笑みを湛えていて、腕の中のピオンを撫でている。エドワードも騎士の顔になってティナを護衛しているという演技を全力でしてくれているのが分かった。
「金貨二枚、それがお嬢様の入札額で御座います」
一路は、たおやかに微笑んで首を傾げて見せた。
マノリスが何かを言おうとしたが、エイブが彼の耳元でささやくと、手に持っていた木槌をコン!と打ち付けた。
「金貨二枚! 落札だ!」
マノリスがやけくそ気味に叫んだ。
エイブがこちらにやって来て、檻の鍵を開けた。一路は、エイブに金貨を渡して中に居た薄紅色のブレットをそっと抱き上げた。ブレットは怯えきってまるでボールのように丸まったままだ。
一路は、ブレットをローブの中に隠す様に抱いて、振り返る。あの黒い男の姿は既に無く、丁度、揺れる長い髪が店の奥のドアの向こうに消えるところだった。屈強な狩人が二人、一路を睨み付けてから男の背を追うようにして中へと入っていく。
「それでは皆さま、本日のオークションは、これにて終了でございます。本日も誠にありがとうございました」
エイブがにこやかな笑みを浮かべて頭を下げれば、客は徐々に賑やかさを取り戻しながら店内に散っていく。エイブが、座り込んだままの男性のところに行こうとするより早く一路は、青年の前に立つ。
「エイブ様、どうぞ彼のことは私共にお任せください」
「いえ、彼は当店のお客様でございますので、当店で面倒を見させていただきます」
エイブは、つかみどころのない笑みを浮かべるが細く吊り上がったその目は、にこりともしていない。
一路は、やっぱりこれは真尋くんの得意分野だよ、と愚痴りながら、どうしようかな、と考えを巡らせる。
「エルリック、今すぐに馬車を呼んで頂戴」
軽やかな声が聞こえて振り返れば、いつの間にかティナとエドワードが上から降りて来ていて、こちらにやって来る。
「イル、早く先ほどのウィーゼルをわたくしに見せなさい」
ティナが言って、一路は彼女に合わせることにした。腕に抱えていた薄紅色のブレットを彼女の細い腕に渡す。肩の上のピオンが心配そうにのぞき込み、薄紅色のブレットは自分を抱えているのが大好きな妖精族だと気づいたのか、顔を上げるとティナのフード中に飛び込んで隠れてしまった。
「お嬢様、家からの馬車が参ります迄、暫しお待ちいただくことになります」
「わたくしは今すぐに帰りたいの。エルリック、そちらのわたくしと同族の男を連れて来なさい。ウィーゼルとブレットを間違えるなんて、妖精族の恥ですわ。わたくしがその違いをじっくりと教えて差し上げますわ。少しは常識を学びなさい」
ティナは、まるで高慢で我が儘なお嬢様のように振る舞う。
「では、僕が馬車を連れてまいります。エルリック殿、お願いします」
エドワードが青い髪の妖精族の男性に肩を貸して立ち上がらせる。
「お待ちくだされ」
マノリスがその巨体を揺らしてこちらにやって来た。エイブがすっと下がって彼の後ろに控える。
「私はマノリス、このクルィークの店主で御座います。高貴なる家のお嬢様とお見受けいたします。ご無礼とは承知ですがどうかその名を教えては頂けませんか?」
タヌキのような垂れ目をにんまりと細めてマノリスが言った。
「失礼ですが、お嬢様はお忍びであると申した筈です。名を名乗ることは出来ません」
一路は、ティナを庇う様に前に出る。
「……名を名乗ることは、マノリス様にとってもメリットはございませんよ」
一路は低く囁くように告げる。
マノリスが僅かに頬をひくひくとさせた。後ろのエイブの目が鋭く尖る。
「その通り。マノリス、お前の手には負えないお方だよ」
のんびりとした声が間に割って入って来た。
驚いて顔を上げれば、ラクダが、違う、カマルが楽しそうに笑っている。この間とは違い、大店の店主らしいきちんとした格好をしている。彼の肩の上には、彼の従魔のリーフィが居る。
「こちらのお方は、私の父がとてもお世話になったお方の娘でね、私がこの催しを教えたら、見に行きたいとおっしゃられたんだ。お嬢様、いかがです? 楽しめましたか?」
「ええ。とても珍しいウィーゼルを手に入れたの。庶民に成りすますのも楽しいものね、カマル。次のお茶会が楽しみだわ、あの伯爵令嬢はどんな顔をするかしら!」
ティナの言葉にカマルは「それはようございました」と笑って頷く。
「おい、カマル……何しに来た」
マノリスが唸るように言った。
「お嬢様の様子を見に来たのですよ。何かあっては父の顔に泥を塗ることになってしまいますから。マノリス、あまり無茶はしない方がいい。商品の価値を見誤った時、それが商人の死ぬ時だ」
カマルは、ラクダ顔に飄々とした笑みを浮かべて告げた。
その忠告を馬鹿にされたととったのか、マノリスの顔が怒りに赤く染まっていく。カマルは、やれやれと肩を竦めるとティナを振り返る。
「馬車は、私が手配いたしましょう。その間、私の家にどうぞ。お話の途中で出かけられてしまっては、私も些かつまらないというものです」
「しょうがないわね。カマルの頼みなら戻ってあげるわ。イル、エルリック、行くわよ」
「はい、お嬢様」
「御意」
エドワードが男性を肩に担いで歩き出し、一路は横からそれを支えてティナの背に続く。先を歩くカマルが、店の外に出る。一路は、最後にちらりと背後を振り返る。マノリスがエイブを怒鳴りつけていて、従業員がおろおろと彼らを宥めようとしていた。だがエイブの冷たい眼差しだけは、降り注ぐ怒声の中、揺らぐことも無くじっとこちらを睨み付けていた。一路は、すっと視線を外して顔を前に戻す。
店の外に出るとどこに隠れていたのか、ロビンが出て来て、ティナの横にぴたりとくっついて歩き出す。どうやらロビンなりにティナを守っている気のようだ。
広い通りを渡って、ロークへと向かう。店の中に入れば「おかえりなさいませ」とカマルに声が掛けられる。カマルは、それに手を上げて返し、店の奥から中庭に出る。ロビンと出会った魔獣たちのいる店のドアは今日も鎖が掛けられて南京錠がぶら下がっている。
カマルは中庭を横切って、家の中へと一路たちを招き入れてくれた。
「ティナちゃん!?」
玄関へ入った瞬間、へなへなと座り込んだティナを慌てて抱き留める。ぱさり、とローブのフードが落ちた。
「す、すみません、あの、安心したら腰が抜けて……」
ティナが恥ずかしそうに言った。
「ティナちゃん、凄く上手だったよ。僕、びっくりしちゃった」
「ええ。私もついノリノリになってしまいました」
カマルが、楽しそうに笑いながら言った。ティナは、恥ずかしそうに頬を染めて顔を俯けてしまう。その様子が可愛くて一路は自然と笑みを浮かべた。
「ティナちゃん、ここだとあれだから、ごめんね」
「ひぇっ?」
ひょいとティナを横抱きに抱えあげる。
ティナが顔を真っ赤にしてぷるぷるしている。一路は、恥ずかしいよね、ごめんねと見当違いな方向に謝罪しながら、笑うカマルに案内された部屋に向かう。エドワードが「これが天然」と呟いたがその言葉の意味は分からなかった。
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ここまで読んで下さってありがとうございました!
久々の更新になってしまい、すみません……!
一路くんはティナを天然だと思っていますが彼も大概です。ちなみに一路のナンパからの救出方法は、真尋&雪乃を参考にした結果です(笑)
次のお話も楽しんで頂けると幸いです。
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