称号は神を土下座させた男。

春志乃

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本編

第十七話 手に入れた男 ※一路視点

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「近いな」

「隣ですからね」

 最初に案内してくれたのは、屋敷と呼ぶにふさわしい大きな家だった。
 一路は真尋が二度も門を壊さないように横で監視しながら、クロードが鍵を開けてくれるのを門の前で待つ。

「ここは五年前まである商家の邸宅だったのですが、借金が膨らんで夜逃げしてしまったので、商業ギルドが管理しています」

「……夜逃げ」

 クロードの淡々とした説明を聞きながら、一路は屋敷に視線を戻す。
 赤レンガと黒い鉄の柵に囲まれた広い庭と立派な屋敷のあるこの土地はこの赤、青の二つの地区では一番の広さを誇るという。
 広い庭が広がっているが、芝生は伸び放題で所々は黄色くなってしまっている。植えられている木々も生い茂り過ぎているものや、逆に枯れているものがあって、元は美しい筈の庭は残念な姿になり果てている。
 幸いなことにこちらの門も非力なクロードには開けられなかったがジョシュアが滞りなく、門を蹴り飛ばすなんて非常識なこともせずに開けてくれた。
 馬の手綱を引っ張って中へと入る。ジョシュアが門を閉めてくれたので馬たちは、この庭で待っていてくれるだろう。

「本当に広いな」

「多分、商業ギルドにある最高額物件ですから。土地が五千万S、建物が八千万Sです」

「ふむ、そうか」

 真尋が顎を撫でながら頷いた。
 敷地は教会の二倍近くあるということだ。確かに庭が兎に角広い。奥にある屋敷は目を剥くほど大きい訳ではないが立派な風格がある。
 門から屋敷までは白い石畳が敷かれていて、時折、庭の方へと道が逸れる。ロビンは、ひらひらと飛ぶ蝶を見つけてはしゃぎまわっている。きっとこの白い道で区切られた庭は、それぞれ趣向が凝らされた素晴らしいものだったのだろう。

「あ、池」

「噴水まであるのか?」

 思わず足を止める。
 凛とした睡蓮に似た花が池の水面の上で可憐な花を咲かせていた。だが手入れがなされていないため、切れ込みの入った丸い葉が池を覆いつくしてしまっている。中央に有る噴水は、弱弱しく水を溢れさせていて、ぴちゃぴちゃと頼りない水の音が途切れ途切れに聞こえる。

「水の魔石を利用して作ったと記載がありますね。おそらく、魔石の効果が薄れているのでしょう。交換すれば噴水は復活すると思いますよ」

 クロードが手元の資料を見ながら教えてくれた。
 一行は再び歩き出して屋敷に向かう。
 左右対称の三階建ての屋敷は、木組みと黒っぽいレンガ造りで白い窓枠がよく映える。黒い屋根には窓が有るから屋根裏部屋があるかも知れない。煙突もいくつかある。屋敷の左側には通路で繋がる大きな温室が有ってガラス張りになっているそこは今なお青々と緑が生い茂っているのが見える。二階や三階にはバルコニーも設けられていた。
 クロードがドアの鍵穴に鍵を差し込めば、カチャリ、と音を立ててドアが開く。
 空き家独特のひんやりとした少し埃の臭いを伴った空気が頬を撫でた。
 広いエントランスホールは、吹き抜けになっていて弓なりに沿った階段が二つ、上へと伸びている。

「この屋敷自体は、五十年前に作られたものです。借金が嵩んでいたので、価値のある家財は殆どが売り払われてしまっているようなので、残っているのはごく僅かなものだけです。二階が主な生活の場で三階は客間や図書室など……」

「よし。探索しよう」

 言うが早いか、真尋がどんどん進んでいく。クロードが慌ててその背について行く。何故かロビンまでその背について行ってしまう。

「真尋くん、絶対に壁に穴を開けたり、ドアを蹴破ったり、間違っても何か壊さないでよ!?」

「善処する」

「そこは順守してよ! 殴るよ!?」

 真尋は騒ぐ一路を無視して二階に行ってしまった。
 一路は二人の背を見送って、はぁ、とため息を零す。多分、図書室という言葉を確かめに行ったのだ。図書室に本が溢れ返ってさえいれば、そこで大人しくしていてくれるだろう。

「一路は大変だな」

 ジョシュアにぽんと肩を叩かれた。

「あの人、天才なのは間違いないんですけど……だからか時々何しでかすか分からなくて」

 それに怒るのは一路だけで雪乃は「まあ、真尋さん素敵!」で済ませてしまうから、真尋が全く反省しないのだ。雪乃に甘やかすなと再三言ったのだがその度に彼女は「真尋さんが生き生きしているのに止められないわ、素敵だもの」と笑って流してしまうのだ。ある意味、彼女も大物だ。

「温室を見に行ってもいいですか?」

「勿論」

 頷いてくれたジョシュアに一路は礼を言って、歩き出す。
 長い廊下は、殺風景で色あせたカーテンが窓を覆っているから昼だというのに薄暗く、一路は掌にライトボールを出す。ふっと宙に放てば、それはふわふわと一路の少し前を飛んでいく。
 一路は、薄暗い廊下で唯一眩い光が差し込むガラス戸の前で足を止めて金色のドアノブに手を掛ける。
 ガラス張りの回廊を進むとそこにはむせ返るほどの緑が溢れ返っていた。

「うわ……すごい」

 緑と水と土の匂いが一路を迎え入れる。水の流れる清らかな音が静かな温室の中を包み込んでいる。
 円形のガラス張りの温室は思ったよりもずっと広い。五本の赤レンガの柱がガラスの壁と天井を支えている。天井の高さは二階立ての家がすっぽりと入る位はあるだろう。温室の周囲をぐるりと囲むように赤いレンガで階段状の花壇が設けられていて、青々とした植物が生い茂っている。花壇は三段になっていて、一番上には木が植えられて、真ん中には背の高い植物、一番下には背の低い植物や花が植えられている。床は四面ほど花壇があるが、こちらの花壇は土が乾ききって枯れ果ててしまっていた。

「この水はどこから……」

 花壇の間に幅二十センチほどの水路が流れているのに気付いた。正面と左右には幅五十センチほど水路が縦に設けられていて、水が緩やかな滝のように段々を下ってそれぞれの水路に水を流している。水路の中にも水中植物の鉢が沈められていて、場所によっては水草も植わっている。

「多分、これだな」

 その声に振り向けば花壇を登り、真正面の縦の水路の頂上を覗き込むジョシュアが居た。一路は、植物を傷付けないように注意しながら花壇を登り彼の向かいから泉の中を覗き込んだ。
 そこだけ泉が有って清らかに澄んだ水の底に何か半透明の石が沈んでいる。大きさは、一路の拳くらいだろうか。

「これは、水の魔石、ですかね」

「多分な。随分と上質なものに違いない。この段々になっている方は、水路から水が供給される仕組みになっているんだろう。床の方の花壇は、手で水をやっていたから人の手が入らなくなって枯れてしまったんだろうな」

 一路は枯れ果てた花壇を振り返る。カラカラに乾ききった土の上に枯れて白っぽくなった草花の亡骸が横たわっている。

「きっと、ここは大事な場所だったんだろうな」

 花壇の縁に腰掛けたジョシュアが言った。
 一路はその言葉の意味が分からなくて首を傾げる。

「これだけの水を五年以上も流し続けられる魔石ということは、売ればかなりの金になった筈だ。でも、それをしなかったということは、この温室を手放したくなかったんだろうな、と思ってな」

 手に触れた大きな葉っぱを撫でる。艶やかな葉は青々としていて滑らかだ。
 一路は、ジョシュアを真似て花壇の縁に腰掛けた。足元を流れる水路の中で名も知らぬ桃色の花が揺れている。手を伸ばして冷たい水の中の花に触れた。すると恥じらう様に花が閉じてしまう。一路が手を引っ込めて暫くすると水の流れの中で桃色の可憐な花はまたゆっくりと開く。

「……昨日の、」

 ジョシュアが躊躇いがちに言葉を零す。

「死んだことになってるって話、本当か?」

 セピア色の瞳は、天井の向こうに広がる空を見上げたままだった。一路も彼を真似て空を見上げる。温室の中は、少し暑い位で、ローブを着て来なくて良かったと思う。

「……本当ですよ。多分、葬儀も済んで居ると思います」

「……そうか」

 会話が途切れてまた水の流れる音だけが心地よく耳を撫ぜる。
 一路は、靴と靴下を脱いでズボンの裾を捲り、足を浸す。流れる水が足を撫でていく冷たさが心地よくて、ほぅ、と息を吐きだした。それいいな、とジョシュアも同じように靴を脱ぎ、その中に靴下を丸めて入れてズボンを捲ると足を浸した。

「気持ちいいな。ジョンとリースも連れて来てやれば良かったなぁ。あ、でも水遊びするには着替えも必要だし、そうなるとプリシラも来ないと俺一人じゃ手に負えないな」
 
そう言って真剣に悩みだしたジョシュアに一路はくすくすと笑う。彼は本当に良き父親であり、良き夫だ。
 振り返ったセピア色の瞳と目が合った。一路の笑顔をその目に映した途端、安堵するように細められたことに気付いて一路は目を瞬かせる。それにジョシュアは、少しだけ気まずそうに視線を外した。

「……イチロ、少しだけ目が腫れてる」

 躊躇いがちにジョシュアが言った。
 自分の目元に手を伸ばす。朝、顔は洗ったが鏡は見なかったので気付かなかった。あれだけ泣いて目が重くなかったのは、多分、真尋が冷やしておいてくれたのだろう。

「家族と生き別れるっていうのは、死別とはまた違った辛さがあるだろう? 別にそれで泣くことはおかしい訳じゃないし、大人になったってきっと……」

「ジョシュアさん、僕ね、不変だと思っていた物が有るんです」

 ジョシュアの言葉を遮って、一路は言葉を紡ぐ。
 足も元に落とした目線の先で、桃色の花が揺れている。

「真尋くんの奥さんは、雪乃っていって僕の幼馴染でもあるんですけど……二人の愛や幸福って言うのは不変だって、永遠に変わらないものだって信じていたんです。だって、物心ついた時から二人は、愛し合って居て、お互いを想い合っていたんですよ。だから、大人になったら結婚して家族になって、子供が増えて……そうやって真尋くんと雪ちゃんは幸せになるんだって、そう信じてしまうのも仕方ないと思いませんか?」

 ふふっと零れた笑い声は少しの虚しさを伴って。水音に流されて行く。

「……不変を失うことが、あんなにも恐ろしくて、こんなにも哀しいものだなんて僕は、初めて知ったんです。こんなにも、寂しいなんて、知らなかった」

 自分の胸に手を当てた。心臓の営みを手のひらに感じる。
 愛を生み出すこの鼓動が永遠では無いことを人は皆、知っているけれど、それでも永遠や不変を信じたいと思うのは何故だろう。人は、何故、不変の愛を望むんだろう。

「真尋くんは、彼女以外と添い遂げる気はないって、はっきりと僕に言いました。真尋くんの左の手の薬指に銀色の指輪があったの気付きました? あれは僕らの故郷では結婚をしていることの証で夫婦は左手の薬指にお揃いの指輪をするんです」

「…………マヒロは、それで幸せなのか?」

「幸せだって言いました。彼女を、雪ちゃんを想い続ける日々もまた幸せなんだって……僕、凄いなって思いました。そんな風に、そこまで誰かを愛せるのが凄いなって思ったんです」

 一路は顔を上げてジョシュアを振り返る。

「その愛を誰かは馬鹿だって笑うかも知れないし、愚かだって言うかも知れない。でも僕は、その愛が……本当はとても尊いものだって想うから。一途に、直向きにたった一人を想い続ける愛を愛おしく思うから、それで僕の大事な親友が幸せだって言うなら、せめて……せめて彼の傍に居ようって、彼を独りにしないようにって決めたんです」

 セピア色の瞳がぱちりと瞬いた後、ゆっくりと細められた。その優しげな顔に相応しい柔らかな笑みに自然と一路も笑みを深める。

「そうか。マヒロは幸せ者だな。愛する人が居て、それでイチロみたいな親友がいるんだから」

「へへっ、ありがとうございます」

 一路は照れくさくなって、誤魔化す様に足で水を跳ねた。水飛沫が緑の葉を濡らして、滴が葉の上に丸く出来る。少し揺らせばその滴は葉の上を滑り落ちて弾けて消える。

「でも俺は、少し心配だよ」

 ぴちゃんと水が跳ねた。

「イチロもマヒロも優しすぎるから、それが心配だよ。優しい人は、いつも損をするから」

 ジョシュアの顔に彼らしくない自嘲が浮かんだ。
 やけに実感の籠る言葉が、何となく悲しい響きを持って居るように思えた。セピア色の瞳は、遠い所で何かを見ている。

「……その優しさが、大切な誰かを悲しませてしまうこともあるんだから」

 彼の唇が僅かな笑みを描く。

「なら、ジョシュアさんも損をしました?」

 一路の問いにジョシュアが振り返る。

「確かにその言葉通りだと思います。現に優しいジョシュアさんは、僕らみたいな得体の知れない教会の者に関わったばかりに何か言われるかもしれないし、白い目で見られることもあるでしょう。現にレイさんが、貴方を「裏切者」だと言って突き放したでしょう。それらは貴方にとって間違いなく、損、です」

「俺は別にそんなことは気にしていない」

「でもね、貴方は僕らに手を差し伸べてくれた」

 一路は、柔らかに笑いかける。
 ジョシュアが、セピア色の瞳を瞬かせた。

「僕らが愛する神様のように、ジョシュアさんはその手を差し伸べてくれた。右も左も分からない、常識すら危うい得体の知れない僕らにジョシュアさんが手を差し伸べてくれたことが、どれだけ嬉しかったか、どれほど僕らの心から不安を取り去ってくれたか、どれだけ助けられているか……感謝の言葉なんかじゃ足りないくらいに、僕らは貴方に救われています」

 ギルドでジョシュアを突き離そうとした真尋の言葉も行動も、それを受け取らずに一路たちの手を離さないでいてくれたジョシュアのそれらも、形は違えど相手を想う優しさだと一路は思うのだ。
 ティーンクトゥスにある意味、同情して彼の手を取ってしまった一路と真尋は、確かに家族を悲しませてしまっただろう。その罪はもしかしたら生涯、赦されるものでは無いかもしれない。

「優しい人は、きっと悲しみや痛みを知っている人。そして、誰かが差し伸べてくれた手を取って優しさを知ることが出来た人だと思うんです。だからね、僕は優しくありたいんです。誰かが誰かに与えた優しさが僕を救ってくれたなら、僕の優しさも誰かを救うことがあるかもしれない。それは間違いなく僕の自己満足でこんなの甘っちょろい理想論で綺麗ごとですけどね。どうせままならない世界で生きるなら、理想論くらい言葉にしたいじゃないですか」

 一路は、軽やかに笑って告げる。

「僕はジョシュアさんが思っていてくれる程、優しい訳でも純真無垢な人間でもありません。下心も打算もある人間です。でも、貴方が優しいと言ってくれると僕はとても嬉しくなる。でも、それでいいんです」

「……イチロは安上がりだな」

 ジョシュアが表情を崩して笑う。

「そうですよ、僕は安上がりです。だから僕の安い優しさは安心して受け取ってくださいね」

 茶化す様に言って、一路は水から足を出す。太陽の光で温まった花壇を囲むレンガに足を乗せた。レンガからじんわりと温かさが伝わって来る。
 じゃぶん、と音がしてジョシュアも水から足を出した。

「ね、ジョシュアさん。他の所も見に行きましょう」

「ああ、そうだな。こんな豪邸、なかなか入る機会も無いし、探検しよう」

 ジョシュアがくすくすと笑って立ち上がる。風の魔法で足を乾かすと一路の足も乾かしてくれた。
 水の音が絶えず流れる温室を二人は後にして、薄暗い屋敷の中へと戻ったのだった。







「まさか本当に現金一括で買うと思わなかった」

 ハンバーグを頬張りながらジョシュアがしみじみと言った。
 一路は、スプーンで掬ったグラタンに、ふーふーと息を吹きかけるのを止めて彼に顔を向けた。

「虹白金貨なんて、生まれて初めて見た。そもそも本当に存在するんだな……伝説だと思ってたよ」

「まあ、僕らの人生を捧げた訳ですから、定住資金も多めに頂いているんです」

 一路は、そう言って曖昧に笑い、グラタンを口の中に運んだ。まだ鶏肉の中心部分が熱くて、一路ははふはふと息を吐く。ジョシュアは、それもそうか、と言いながらバケットにバターを塗る。
 二人がいるのは、教会と屋敷からほど近い青の2地区にある食堂だ。丁度、昼食時だからか店内は混雑していて真尋とクロードとは席が離れてしまった。無表情の男二人が難しいにも程がある話をしているせいか彼らの周りの客は引き気味だ。だが、一路から見ると真尋が楽しそうなので放って置くことに決めた。
 一路とジョシュアが温室を後にして屋敷の中を探索し終えて、図書室に行くと真尋とクロードが本の世界に埋没していた。ドアと窓と天井と床以外は全て本で埋め尽くされた図書室には数万冊という本が有って、どうやら二人はずっと図書室に居て本を漁っていたらしい。その図書室が気に入った真尋が、屋敷を買えばその本も全てついて来ると聞いて、屋敷を買うと言い切った。一路もあの温室を気に入っていたし、家の中もカーテンが閉められていたおかげで多少の修繕は必要だが、それほど傷んではいなかった。家具を揃えたり、掃除をしたりと手間はかかるだろうが、教会も隣にあって、広い屋敷と庭は成獣になったロビンが走り回ることも出来るだろうから、まあいいか、と頷いたのだ。
 教会の方は、まだ審議があるからと前金を支払っただけだが、屋敷の方は真尋が一括で払った。真尋がポケットから、普通に虹白金貨を取り出したのでクロードとジョシュアが立ったまま気絶しそうになっていたが、どうにか無事に真尋と一路は、ブランレトゥに家を持つことが出来た。

「なあ、その内、あの温室にジョンとリースを連れて行ってやってもいいか?」

「勿論ですよ。あ、でも、危ない植物があるといけませんから、調査が終わったらにしましょう」

「そうか、ありがとう。実はな、昨夜、プリシラと話し合ってもう少し町に滞在することにしたんだ」

 一路は、グラタンの中に入れたスプーンを止めて顔を上げる。

「ソニアの姿を見て、それで、マヒロと話しをして、レイとちゃんと向き合ってみようと思ってな。幸い、牧場や畑の方は人を雇っているし、シラの両親も現役で頑張ってくれているから、滞在期間を少しなら延長しても問題ないし、シラも賛成してくれたんだ」

 そう告げるジョシュアのセピア色の眼差しには真っ直ぐな決意が見て取れた。
 昨夜、真尋と彼らがどんな話をしたのか一路は知らないが、ジョシュアは心の中に散らばったままだった想いを片付けることにしたようだ。

「一筋縄じゃいかないかも知れないが、でも……あいつは俺にとっても大事な弟だからな。また笑った顔が見たいんだ」

 そう言って笑うジョシュアは、兄の顔をしている。弟を想う兄の顔に一路は自分の兄を思い出す。
 一路の一つ上の兄の海斗は、どう先祖返りしたのか金髪碧眼でおおよそ日本人には見えない。顔こそ似通っているが、兄の海斗は活発で明るく元気でいつも賑やかな人だ。でも、たった一つしか違わないのに頼りになる優しくて、自慢の兄だ。

「じゃあ、僕はお祈りをしますね。ジョシュアさんの想いが届きますようにって」

「ありがとう、イチロ」

 くしゃりと嬉しそうに相好を崩したジョシュアに一路も笑って、止まっていたスプーンを動かす。
 それから他愛のない話をしながら昼食を食べ終える。一路はしっかりデザートにアップルパイも食べた。
 四人は店の外に出る。まだ人波が途切れることは無く、ウェイトレスが「次のお客様、どうぞ」と声を掛けて空いた席に客を入れる。

「神父様、とても良いお話が出来ました。明後日は楽しみにしています」

「ああ、俺もだ」

「それでは、惜しいですが仕事がありますので、失礼いたします」

 クロードは真尋と握手を交わすと深々と頭を下げて、重そうな鞄を手に去っていく。鞄に詰め込めるだけ本を詰め込んでいたが、怒られないだろうか。

「やはり魔術学は面白いな。クロードは趣味でやっていたらしいが、知識はかなりのものだ」

「真尋くんが楽しそうで何よりだよ」

 一路は諦めと呆れを半分ずつ込めて返す。

「わんわんっ!」

 店の外で馬と一緒に待っていたロビンが一路を見つけて嬉しそうに駆け寄って来る。一路は、ロビンを抱き留めてわしゃわしゃとその頭を撫でた。

「良い子で待っていてくれたんだね、ありがとう」

「わん!」

 胸を張って頷くロビンに一路はくすくすと笑ってその頭を撫でた。ジョシュアが、馬番をしてくれた少年にチップを渡してこちらにやって来る。ロビンがまたコハクの背中に飛び乗った。

「午後はどうする?」

「少し、買い物がしたいんだ。まずは鞄が欲しい」

 真尋が言った。

「丈夫な鞄が良い」

「ならいい店を知ってるぞ。革製品の店なんだが趣味が良い」

 ジョシュアが頷いて馬に跨る。一路と真尋もそれに続く様に馬に跨った。
 蹄の音が石畳の上に幾重にも響く。馬車が通れば、ガタガタと車輪の揺れる音がする。
 
「マヒロたちは、明日はどうするんだ?」

「特に決めていないが、ジョシュアは? 町に居る間に済ませておきたい用事もあるだろう?」

「実は、一路にはさっき話したんだが、暫く町に残ることになってな。明後日、村から若いのが来るから、頼まれていた資材や家畜を先に連れて行ってもらおうと思ってる。だから、明日は買出しに行きたいんだが」

「俺達も服や日用品を買い揃えたいと思っていたんだ。それにジョンと市場通りとやらに行く約束もしているから、良ければジョンを貸してくれ」

「寧ろ子守を頼んでいいか? 職人街に行かなきゃならないんだが、ジョンは危なっかしくてな。日用品は市場通りに行けば一通り揃うから」

 少し前を並んで歩く彼らの会話を聞き流しながら、一路は周囲を見回す。
 木組みの家が立ち並ぶそこは、住宅街のようだった。

「明日、市場通りに行くなら今日は止めておくか。ジョンの楽しみをとったら怒られそうだからな」

「ああ。そうしてくれ」

 微かに笑いながら真尋が言った。
 真尋には、年の離れた双子の弟達がいる。その整い過ぎた見た目とマイペース過ぎる性格で誤解されがちだが、子供好きで弟達やその友達が遊びに来れば嬉しそうに相手をしていたほどだ。一時、保育士か小学校教諭もいいかもしれないと割と本気で言っていたこともある。一路はそれもいいんじゃないと応援したのだが、生徒会の副会長が冷静に「会長の預かり知れぬところで人妻との修羅場になりますよ」という現実的で非常に面倒なデメリットを指摘したため、真尋は素直に諦めた。彼も彼であの綺麗な顔故の苦労も多いのだ。一路が知るだけで五人のストーカーを真尋は警察に突き出している。

「着いたぞ、ここだ。俺が馬を見ていてやるから、行って来いよ」

「そうか? ありがとう」

「ありがとうございます。ロビンもここでお留守番だよ、ジョシュアさんの言うことちゃんと聞いてね」

 わしわしとロビンの頭を撫でて、一路は馬から降りた。

 「革細工・ナルベ」という看板が下げられた店は、住宅街の片隅にひっそりと店を構えていた。
 二人はこの店で斜め掛けの革製の鞄を買った。真尋は、滑らかな飴色。一路は柔らかな淡いベージュの鞄だ。長方形の鞄はマチも十センチほどあり、使い勝手が良さそうだ。店のおじさんがサービスで名前を入れて上げるよと言ってくれたので二人は、鞄の蓋の裏の隅に名前を入れてもらった。そのお店は、革製品を様々取り扱うお店で、少々値段は張るのだがデザインもシックで実用性に富んでいた。真尋はそれが気に入ったようで、財布やベルトなどもそこで買っていた。
 革細工の店を後にして、ジョシュアが手紙を出したいというので1の地区へと戻る。
 この国で郵便局と運送屋の役目を兼ねているのは、運び屋という店で、ブランレトゥには運び屋・ウェントゥスという大店があり、中央広場近くに本店があって、各地区に荷物収集所となる支店があるのだという。ジョシュアが折角だから本店に行こうと言ってくれて、三人は中央広場へと向かう。
 青の1地区、広場にほど近い場所に運び屋・ウェントゥスはあった。
 木組みの背の高い建物は、塔のように細長く無数の窓があった。店の前には大きな荷馬車が止まっていて、体格の良い男たちが店から出される荷物を次々に乗せて行く。

「ああいう荷物は紫地区の川沿いと赤の3地区に倉庫が有るから一度、そこへ持っていて、そこから馬と船に別れて荷物を運ぶんだ」

 店の馬番に馬を預けながらジョシュアが教えてくれた。ロビンも入店可能だと教えてくれたので、今回は一緒に連れて行く。
 中へ入れば、大勢の人々が荷物や手紙を出しにやってきている。

「凄いねぇ」

 店内は吹き抜けになっていて、無数の真っ黒な鳥がむき出しの梁の上を飛び交って居て、緑のエプロンをつけた店員たちが呼ぶと呼ばれた鳥が店員たちの下に降り立つ。壁には鳥たちの巣穴と思われる木箱がずらりと並んでいて、鳥が出たり入ったりと忙しない。
 建物中は、人々の話し声や衣擦れの音、そう言った音は溢れているのに鳥たちはまるで実態が無いかのように静かで鳴き声一つしない。

「ジョシュアさん、あれは?」

 一路は真っ黒な鳩によく似た鳥を指差して尋ねる。よく見るとその鳥は、胸に白いハート形の小さな模様があった。
 ロビンが忙しくなく目で鳥を追いかけて体を左右に揺らしている。

「あれは、シャテンという鳥の魔物だよ。主に手紙を運んでくれるんだ。小さな小包も運んでくれるぞ」

「だが、あんな鳥は町中でみなかったぞ」

「シャテンは、元は魔獣が品種改良されて扱いやすい魔物になったんだ。でも、シャテンは巣から外へと出ると魔獣だったころと同じように姿を消す、というか透明になる不思議な鳥なんだ」

「よくそれでこの鳥が見つかったものだな」

 真尋が上を見上げたまま言った。

「鳥系の獣人族には見つけられるらしい。詳しいことは教えてはくれないけどな」

 ジョシュアの言葉に周りを見れば、ここで働いている人々は殆どが鳥の獣人だった。人で言えば耳の辺りに羽が生えていて背には同じ色の翼がある。それ以外の荷物を運び出す屈強な人々は、クマや狼の獣人族だったり人族だったりと様々だ。
 ジョシュアが開いているカウンターに行くのについて行く。

「カロル村に速達往復で頼む」

 そう言って、ジョシュアはボックスから一通の手紙を取り出して、鮮やかなブルーの翼をもつ女性に手紙を渡す。女性は、宛名を確認すると料金をジョシュアに伝え、上を見上げた。

「ルー! 仕事よ!」

 無数に飛び交うシャテンの中から、ふわりと一羽のシャテンが降りて来てカウンターに置かれていた止まり木に降り立つ。
 近くで見ると公園などに居る鳩より二回り大きく、思ったよりも大きい。だが、鳩によく似たフォルムで胸がふっくらしている。白いハートマークが可愛い。

「これをカロル村の村長さんに。返事はここにいるジョシュアさんに」

 シャテンは、胸を膨らませて体を震わせると手紙を嘴に咥えて、翼を広げて飛び立つ。
 音もなくまるで影のようにふわりと窓から出て行く。その寸前、溶けるように姿が消えた。一路と真尋は、おお、と揃って声を上げた。ジョシュアが、くすくすと笑いながら赤銅貨を一枚と銅貨を五枚、女性に支払った。

「大人びて見えるけど、そういう顔を見ると二人はまだ十八なんだって実感するな」

 伸びてきた手にくしゃりと髪を撫でられた。ロビンが、僕も僕も、と言わんばかりにジョシュアに強請ればジョシュアはロビンの頭もぽんぽんと撫でてくれた。行こう、と促されて出口へと向かう。

「ロビンは、ジョシュアは平気なんだな」

 真尋が足元で先頭切って歩くロビンを見ながら言った。
 一路は、その言葉の真意を測りかねて首を傾げる。

「ロビンは、女性と子供、俺やクロードみたいな線の細い男は平気だが、サンドロみたいなごつい男は苦手の様だな、と見ていて思ったんだ。ジョシュアは背が高くて大きいが、サンドロほど筋骨隆々と言う訳でもないからか、或は、飼い主であるお前が全幅の信頼を置いているからなのか、ロビンは怖がらないだろう?」

「確かに。昨夜もサンドロには一切じゃれつかなかったな」

 ジョシュアが顎を撫でながら言った。
 一路は、こちらを不思議そうに振り返ったロビンを見つめる。ロビンは、きょとんとして首を傾げる。

「もしかしたら、あの罠に引っかかった時、怖い思いをして、その相手がサンドロさんみたいな体格のいい男だったとか?」

 一路の言葉に、ふむ、と真尋が考え込む。
 
「成程な、あんなものに足を挟まれていたのだから、余程怖い思いをしたのかも知れんな」

 真尋の言葉に一路は、ロビンを抱き上げた。ロビンは嬉しそうに尻尾を振って一路にじゃれついてくる。
 あの檻の中からぶつけられた想いは、怖いとか、寂しいとか、そういった感情が極限まで膨れ上がって剥き出しになった耐えがたい程の想いだった。一路が酔うほど強い悲しみや恐怖をロビンはあの時、その心に抱えていたのだ。

「ロビン、君に一体、何があったの?」

 一路の問いにロビンは首を傾げて、思いついたように一路の頬を舐めた。柔らかい舌がくすぐったくて、一路は首を竦めた。
 腕の中のヴェルデウルフの幼獣は、あの檻の中の姿が思い出せないくらいに無邪気で朗らかだ。

「ヴェルデウルフは、魔の森の奥深くにいて討伐も禁止されている魔獣だから、詳しい生態は分かっていないが……ウルフ種は、成獣になるまで親子で共に暮らす。基本的にウルフ種は、家族愛や仲間意識が強くて、幼獣なんかを攻撃しようものなら群れ全体、或は、親の成獣が本気で怒り狂って襲い掛かって来るんだ。余程の馬鹿じゃなきゃ、ウルフ種の幼獣には手を出さない」

 店の外に出て馬番の方へと歩いて行く。

「だが、ヴェルデウルフは他のウルフ種の数倍、誇り高い魔獣でもある。だからもしかしたら、人間に捕まってしまったロビンは、親に捨てられたのかもなぁ」

 ジョシュアが憐れむ様に言った。
 横から伸びて来た真尋の手が、力強くロビンを撫でる。ロビンは気持ちよさそうに目を細めてふさふさの尻尾を振った。
 あの時、一路にぶつけられた「寂しい」という想いは、その所為だったのだろうか。一路は何とも言えない気持ちになって、ロビンをぎゅうと抱き締めた。
 人の勝手でロビンは家族を失ってしまったのだろうか。
 
「もう絶対に君を一人になんかしないよ、君は僕と家族になったんだからね」

「わんっ!」

 一路の言葉に嬉しそうに更に尻尾を揺らすロビンに一路は安堵の笑みを零す。ジョシュアもロビンの頭を再び撫でた。
 ロビンはやっぱりふさふさの尻尾を嬉しそうに揺らす。その姿にセピア色の瞳が、優しく細められた。

「それじゃあ、帰るか」

「ああ。そうだな、本も読みたいし今日は帰ろう」

「本読む前にシャワー浴びてね。それだけは譲らないからね」

 ロビンをコハクの背に乗せながら一路は真尋に念を押す。食事はとりあえず手に渡せば黙々と食べるので百歩譲って良いとしても、シャワーだけは自力で浴びてもらわなければならない。

「……分かった」

 真尋はそっぽを向いたまま頷いた。これは宿に帰ってから一路の実力が試されるに違いないと一路はため息を零す。

「ロビン、頑張ろうね」

 馬に跨り一路は、ロビンを振り返った。ロビンは「わんっ!」と力強い返事をくれた。
 一行は、ジョシュアの「行こう」の一声に馬の腹を蹴って宿へと向かったのだった。
 だが結局、肉につられたロビンが一路を裏切り、真尋と一路の攻防が繰り広げられたのは言うまでもない話である。



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ここまで読んで下さってありがとうございました!

家を買った二人ですが、この家に住めるようになるのはいつになるやら(遠い目)

次のお話も楽しんでいただければ幸いです♪

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