称号は神を土下座させた男。

春志乃

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本編

第十六話 出会った男

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 朝のシャワーは気持ちがいい。欲を言えば熱い湯に浸かりたいがシャワーがあるだけ良しとしよう。地方はそうでもないらしいが上下水道が完備されているだけ有難い。
 真尋は、濡れた髪を風の魔法でさっと乾かして部屋に戻る。チュンチュンと小鳥の鳴く声が明るい部屋の中に可愛らしく転がり込んでくる。開け放った窓からは今日も賑やかな町の声が爽やかな風と共に入り込んでくる。
 床に膝をつき、ベッドに肘をついてロザリオを握りしめて差し込む朝陽の中、朝のお祈りをしていた一路が、真尋に気付いて振り返る。

「あ、おはよー、真尋くん。シャワー浴びて来たの?」

「ああ、起きたのか?」

 一路の大きな丸い目の下がまだ少し赤い。
 昨夜、真尋の腕の中で泣いて泣いて、泣くだけ泣いて、泣き疲れて眠ってしまった親友は、少し赤い目元を恥ずかしそうに撫でて、笑う。

「昨夜はありがとね」

「別にいいさ」

 真尋は、ふっと笑って飛びついて来たロビンの頭を撫でる。一路は、でもありがとう、と笑って立ちあがり、ロザリオをズボンのベルトに掛ける。

「そういえば、真尋くんどこで寝たの?」

 ベッドの上に積み上げられた本を振り返って一路が尋ねて来る。

「昨夜は、片付けるのが面倒くさくなって、あのままお前のベッドで一緒に寝た。一路、小柄なのはいいことかもしれないぞ」

 一路が頬を引き攣らせる。

「……あのねぇ……はぁ、まあいいや、お腹減ったし。朝ごはん、届いてるよ。さっき、ローサちゃんが持ってきてくれたんだ」

「そうか」

 真尋は、ぐしゃぐしゃの服を洗濯籠に放り込んだ。シャワールームに着替えを持ち込んだので、昨夜、着ていた服は丸めて持って来た。
 今日は、黒のズボンに神父服のシャツという出で立ちだ。チュニックはあまり好きでは無いのだ。ひらひらした袖や裾が似合っていないような気がしてならない。神父服のシャツは、ワイシャツに似た作りで普段着にしていてもおかしくないのが幸いだった。

「だから、ちゃんと畳みなさいとあれ程!」

「一路、腹が減った。飯」

 小言は勘弁だと一路のベッドの上にあったバスケットを持ち上げる。ハンカチを取り去れば、中にはまだ温かいホットサンドが入っていて、真尋は早速、それを手に取る。程よい焼き目のついたパンをぱくりと頬張れば、とろっとしたチーズと燻製にされたハムが入っていた。黒コショウが効いていて美味しい。

「全く、これだから雪ちゃんにあれほど甘やかすなって言ったのに」

 一路がぶつくさ文句を言いながら、サイドボードに置かれていたピッチャーをカップに傾けた。

「ボヴァンのミルクだってさ」

「つまり牛乳だな」

 そう返してカップを手に取る。ボヴァンのミルクは、濃厚でほんのりとした甘みが美味しい。冷えていればもっと良いと真尋はカップの中身に冷却魔法を掛けた。一路は逆に少し温めて欲しいと真尋にカップを渡してきたので加温魔法を掛けてやる。加温魔法は火属性の魔法なのだ。

「ん、美味しい! 蜂蜜か砂糖かメープルシロップ入れたい」

 一路は温まったミルクを受け取って嬉しそうに飲む。これを更に甘くしようという一路の感覚には付き合えない。

「俺はブランデーを落としたいな」

「そういえば、ここにワインの空瓶と杯があったけど、飲んだの?」

 サイドボードを顎でしゃくって一路が言った。

「ああ。サンドロが差し入れてくれた。お前の分はジョシュアが飲んだ。美味かったぞ、それなりに」

「僕にはワインの美味しさは分かんない」

「お互い様だろ」

 何が、と返した一路に何でもないと返して二つ目のホットサンドを手に取る。一路も真尋くんに食われると慌てて自分の分を手に取って頬張った。美味しいと笑う彼は、いつもの無邪気な一路で真尋は、気付かれない様にほっと息を吐く。やっぱり親友には元気で、明るい笑顔を浮かべていて欲しい。
 ホットサンドを食べ終えて、マヒロはアイテムボックスからキラーベアの肉の塊を取り出して、一部を切り分けて涎を垂らして待っているロビンに与える分だ。
 一路が氷で皿を作って、その上に乗せる。

「今日、余裕があればこいつの皿も欲しい所だな」

「そうだねえ、氷の皿ってのも情緒は有るけど、舌くっついちゃいそうだしね」

 はい、と皿を置いた瞬間、ロビンが肉にがっつく。ふさふさのしっぽははち切れんばかりに左右に揺れている。

「お皿に水入れに首輪、犬用のおやつとかも欲しいんだけど」

「……そもそもこれは犬の扱いで良いのか?」

 顔中で餌を食べているかのように、白銀の毛並みが血で汚れているロビンを見ながら真尋は首を傾げる。一路はいいんじゃない?と言いながら、手近にあった本を手に取った。

「家には、調合室欲しいな。出来れば、庭で薬草栽培もしてみたい」

「俺は魔術学を研究するための部屋が欲しい。家は出来れば二世帯が暮らせる家で、将来、一路が結婚しても俺の面倒を見続けられるようにな。安心しろ、一路とその嫁と子供を養うくらいの恩は返す」

 真尋は胸を張って告げる。

「自分に経済力はあるけど生活力が全くないこと分かっているのを褒めるべきか怒るべきか、僕は悩むところだよ」

 本から顔を上げた一路が呆れたように言った。

「同じ家に住んで居た方が、一路だって掃除をする手間も食事を運ぶ手間も省けるだろう?」

「あ、そこは僕がすることが決まってるんだね」

「当たり前だ。自分の親友の面倒を嫁に任せてはいけない」

「その前に自分で自分の面倒を見られるようになりなよ」

「ははっ、無茶を言うな」

「真顔で笑うの止めて」

 くっくっと笑う声が聞こえて振り返れば、ジョシュアがドア枠に凭れて肩を震わせていた。

「くくっ、仲が良くて何よりだが、やり取りが軽快で面白かったぞ。それと、ドアはちゃんと閉めろ? 危ないぞ」

 どうやら真尋はドアをあけっぱなしにしてしまったらしい。一路がじとりと此方を睨んでいる。真尋は一路には絶対に視線を向けないことにして、ジョシュアに向き直る。
 ジョシュアが目じりに滲んだ涙を指で拭いながら後ろ手にドアを閉めた。

「どうする? あとどれくらいで出られる?」

「ロビンが飯を食い終わればすぐに出られる」

「あーあ、汚い顔……」

 一路が頬を引き攣らせながら従魔を振り返り、その血で汚れた顔をクリーンで綺麗にした。ロビンは腹が膨れて満足したようだ。一路に嬉しそうにじゃれついて尻尾を振っている。

「じゃあ、行くか。まずは従魔登録をしに行こう」

「そうだな。なら出発しようか」

 今日は、天気が良く、気温も上がりそうだったので真尋も一路もローブはクローゼットにしまっておく。一路はチュニック、真尋は神父のシャツにズボンという軽装だ。
 階段を下りて、裏口へと向かう。忙しなく働いている山猫亭の店員たちを横目に真尋たちは、裏口から外へ出る。

「あ、ジョシュアさん、早朝、ロークさんの獣術師さんが来てくれて、全員、健康で問題なしって言ってましたよ」

 厩から出て来た青年がジョシュアに言った。ジョシュアは、そうか、ありがとうと笑って返す。

「どうする、馬で行くか?」

「そうだな。いろいろ買いたいものもあるし、時間も惜しいしな」

 真尋が頷けば、ジョシュアが青年に馬を出してくれるように頼んだ。青年がもう一人の同僚にも声を掛けて、厩から真尋たちの馬を連れて来てくれる。

「そういえば、まだ名前を考えてなかったねぇ」

 一路が嬉しそうに彼に擦り寄る葦毛の馬を撫でながら言った。真尋は、自分の馬の顔を撫でてやりながら、そういえばそうだな、と愛馬を振り返る。真っ黒な青毛の愛馬は、随分と凛々しい。

「ポチというには、お前はでかすぎるか?」

「僕の馬がコハクで真尋くんの馬はハヤテね。真尋くん、生物全般にポチって名前付けようとするのはやめなよ」

 勝手に名前が決められてしまった。だが、ハヤテという名は、愛馬に似合っているような気がするので、まあいいかと真尋は愛馬に跨った。
 一路は、ロビンをどうしようかと呟いたが、ロビンは驚くほど軽い身のこなしで、一路の愛馬・コハクの尻の上に飛び乗って座った。どうやらここに座ってついて行くと言いたいようだ

「落ちないようにね」

「わんっ!」

 元気よく返事をしたロビンを鞍に跨った一路がぽんと撫でた。

「それじゃあ行くか」

 そう言ってジョシュアが馬の腹を軽く蹴って歩き出す。真尋と一路もその背に続く。後ろからかけられた「行ってらっしゃい」の声に真尋は片手を上げて返す。

「今日は、ジョンは付いてこないのか?」

「ああ。俺のお袋がジョンにも会いたいって言うから、今日はジョンも俺の実家に行くんだ。マヒロと一緒が良い!と大分、駄々を捏ねていたがな」

 ジョシュアは、通りへ出ると少し速度を上げた。
 揺れる馬上で、真尋はそうかと返事をするが、その声が少し弾んでしまったのはこの揺れの所為だけではないだろう。
今日は、どこか店を覗く暇が有ったら、ジョンとリースにお土産を買って行ってやろうと心に決めた真尋であった。






 冒険者ギルドの入り口で馬から降りる。ギルド入り口には、馬番が居て彼らに任せて中へと入る。
 中に入れば、一気に視線が集まる上にざわめきが増したが、注目されることに良くも悪くもなれている真尋と一路は気にせずに進む。昨日と同じようにジョシュアに教わりながら、「従魔登録申請書」を一路が書いて、再び受付窓口に向かう。
 幸運なことに今日は、申請受付の窓口の前には列は無かった。

「あ、ティナちゃん、おはよう」

 一路が人懐こい笑みを浮かべて声を掛ければ、顔を上げたティナが白い頬を淡く染めて驚いたように目を瞬かせた。

「あ、おは、おはようございますっ!」

 少し上ずった声でティナが挨拶を返す。隣の窓口には、昨日と同じようにクイリーンが居てニヤニヤしながらティナと一路を眺めていた。

「昨日は、大丈夫だった? 上の人に怒られたりしなかった?」

「だ、大丈夫です。マスターがレイさんを怒ってくれて、レイさんも謝ってくれたので」

 ティナの言葉に一路は、そっか、と安心したように言って、申請書をティナに渡す。受け取ったティナが中身に目を通して、サファイアブルーの大きな瞳をぱちりと瞬かせた。その拍子にふわりと花びらが落ちる。

「あの、これは……」

「あのね、この子が僕の従魔になったんだ」

 一路は足元でぴょんぴょんしていたロビンを抱き上げてティナに見せた。

「可愛い!」

 ティナがぱぁっと顔を輝かせた。一路が、撫でていいよ、と言えばティナはわざわざ一度引っ込んで、外へと出て来た。ロビンが嬉しそうに飛びついて、ティナがニコニコ笑いながらロビンを受け止めて撫でまわす。ロビンがティナの豊満な胸元に顔を埋めているので、周りの冒険者たちが羨ましそうに見ている。

「ウルフ種の幼獣ね、可愛い! 私も撫でてもいいかしら?」

 クイリーンも出て来て一路に尋ねる。一路が、どうぞ、と頷くとクイリーンもティナの隣にしゃがみ込んでロビンを撫でる。ロビンは一度、クイリーンに飛びつき、クイリーンの大きな胸にも顔を埋めて尻尾を振っている。しまいには二人の足元で腹を見せて寝転がり、うっとりと撫でられている。余りの可愛さに人だかりが出来る。可愛いの前には、胡散臭い神父も関係無いようだ。ただロビンは、女性冒険者が声をかけて撫でると尻尾を振るのに、ごつい男性冒険者が撫でると明らかに尻尾の動きが死ぬどころか女性の所に逃げようとする。

「……ロビンは間違いなく雄だな」

 ジョシュアがしみじみと言って、真尋は無言で頷いた。
 一路はそうとは知らず、人ごみを抜け出して窓口に戻ったティナに従魔登録申請書の受理をしてもらっている。

「だが、皆、あれがヴェルデウルフだとは思わないのか?」

「思わんだろうなぁ……そもそもヴェルデウルフの生息する奥地に行ける冒険者がこの町には、レイ位しかいないからな。俺達だって、カマルの話が無ければ、ロビンがそうだとは夢にも思わなかっただろうさ。カマルだって、ゲイルウルフの幼獣だと思ってたし」

「成程な……それに神秘的な幻獣とも言えるヴェルデウルフが、誰もああだとは思わんか」

 真尋の言葉いジョシュアが深々と頷いた。
 ロビンは、美人冒険者に抱き締められて、うっとりとしている。その間抜け面を見て、誰もあれを気高い森の王だとは思わないし、出来れば、想いたくないだろう。

「ゲイルウルフの変異種とでも言っておけば、多分、大きくなるまでは通じると思うぞ。その方が平和だ」

「ああ。そうだな……だが、ギルドにはバレるだろう? 魔獣の種類を書く欄があったし」

「大丈夫だろう。冒険者たちの個人情報はそいつが犯罪でも起こさん限りは基本的に外部に漏らすことは禁止されているし、第三者が閲覧することも出来ない。でも、アンナが話をしたいと言い出すかもしれんが、それは大人しく従っておけよ?」

「分かった」

 真尋が頷くと同時に一路がティナに手を振って戻って来る。

「見てみて、鑑札貰ったよ。どこかに付けておいてくださいだって、あとで首輪を買った時につけてあげよ」

 銀色のプレートにロビンという名前が、裏に一路の名前と登録番号が彫られていた。

「やけにあっさり済んだが……ティナは、あいつの種類に何も驚かなかったのか?」

「聞いたこと無い名前だから、珍しいわんちゃんなんですねぇって言ってたよ。ティナちゃん、可愛いね」

 一路がくすくすと笑った。
 どうやらティナの天然が功を奏したようだ。見れば、窓口でティナの手から申請書をひったくったクイリーンが青い顔をしてこちらをみて、ロビンを見て、再びこちらを見た。真尋は、人差し指を唇に当ててウィンクを一つクイリーンに投げた。クイリーンは顔を真っ赤にすると、ぶんぶんと首を縦に振って頷いてくれた。どうやら黙っていてくれるようだ。

「マヒロは自分の使い方が良く分かってるなぁ」

 ジョシュアが感心したように言った。

「当たり前だ。この顔と付き合って十八年だぞ」

 真尋はそう返して、行こう、と声を掛ける。

「ロビン、おいで」

 一路が声を掛けたが、美人冒険者に撫でられてご満悦のロビンはこちらをちらっと見ただけだった。

「……ロビン、お・い・で?」

 にこーっと笑って首を傾げた一路にロビンが尻尾をしゅんと丸めて慌てて駆け寄って来た。
 一路の顔は笑顔だがその緑の混じる琥珀の瞳は一ミリも笑って居なかった。ジョシュアが隣で頬を引き攣らせている。
 駆け寄って来たロビンはすぐに服従のポーズを取った。一路は、正解だよいい子だね、と笑ってロビンを撫でた。

「こ、こわい」

「あいつは躾が上手いぞ。本能的に逆らっちゃいけないということを向こうが察知するからな。ジョシュアも気を付けろよ」

 ジョシュアが深々と頷いたのを横目に真尋は、一路に声を掛けてギルドを後にしたのだった。







 商業ギルドは、冒険者ギルドと同じく中央広場に面しているため目と鼻の先だった。
 この町らしい木組みの建物で黒い木と屋根、白い壁の八階建ての大きな建物だった。町の人々が忙しなく出入りをしていて、馬車を停めるためのスペースもギルドの横に設けられていた。
 三人は、馬を預けて艶々に磨き込まれたドアを開けて中に入る。
 魔物は入れないと言われたので、ロビンも馬たちと一緒に預かってもらうことになった。一路に逆らうことの恐ろしさを身をもって知ったロビンは一路に「お留守番だよ」と言われると素直にその場に留まった。馬番の少年が顔を輝かせながらロビンを撫でていて、ロビンは嬉しそうに尻尾を振っていた。どうやら男は男でも少年は良いが、ごつい冒険者はあまり好きじゃ無いらしい。
 一階は、半分が店舗スペース、もう半分は「観光案内 ようこそブランレトゥへ!」と書かれた看板が掛けられていて、観光案内所のようだ。大勢の人で賑わっている。

「商業ギルドでは、魔道具を取り扱っている。その辺の店にある安物は、俺達庶民向けだけど、ここで取り扱っているのは、上流階級だとか専門家向けの魔道具だな。他にも魔石なんかも売ってるぞ」

「魔術学の専門書は売っているか?」

「さあな……そんな難しい話は俺には分からん」

 ジョシュアは肩を竦める。

「とりあえず、俺達が用があるのは四階だ」

 そう言って、ジョシュアは入って左手の奥にずらりと並ぶドアの前に立つ。ドアは全部で六つあった。

「これは昇降機だ。風の魔石を利用しているらしいが俺には詳しいことは分からない」

 ジョシュアがドアとドアの間にある透明なガラスに触れると奥から二番目のドアが開き、四人はそれに乗り込んだ。
 中は一畳ほどの狭いスペースだ。ドアの横に数字の書かれたボタンが並んでいて、ジョシュアが“4”のボタンを押した。
 ふわりと上昇したかと思えば、リン、とベルの音がしてドアが開く。
 四階のフロアは、冒険者ギルドと同じようにずらりと受付窓口が並んでいて、やはり銀行であるとか市役所であるとかそういう雰囲気がある。白い壁に青い天井という清潔感溢れる室内には、順番を待つ人々の為にソファが並んでいた。
 商業ギルドは、商売に関する全てを司っているのだそうだ。新しく店を出す場合も店を畳む場合も、各町の商業ギルドに届け出ることが原則として決められていて、全ての店は商業ギルドに属している。皆、商業ギルドが定めた規則を守って店を経営している。但し、ジルコンの店の様な職人が直接経営している上に商品が特別な店は職人ギルドの管轄だそうだ。職人によっては両方に属している人もいるという。商業ギルドは、商人たちに関することだけではなく、人材派遣や不動産の管理もしていて、土地や建物の売買は揉め事が起きないように商業ギルドを通して行われる。所有者が居ない建物や土地などの管理もしている。
 ジョシュアが足を止めたのは、紹介窓口とプレートに書かれた窓口だった。
 カウンターの向こうには、デスクが八つずつ向かい合わせになったシマが六通りもあり、様々な種族の人々が忙しそうに働いている。商業ギルドの制服は、スーツに似ている。男性は、黒やグレー系の色だが女性は、淡い桜色や水色など明るめの色の制服を着ている。皆、赤いネクタイをしていてそれ以外の色のネクタイをしている人はいない。スーツと違うのはジャケットの裾が膝まであることと袖の部分に折り返しがあり縁が金の糸で刺繍されているということだ。胸ポケットには、商業ギルドのマークが金色の糸で刺繍されている。男性はトラウザーズ、女性は膝丈のタイトスカートを着用していた。

「この二人が紹介して欲しい物件があるそうなんだが」

 そう言ってジョシュアが、受付にいた垂れ目の若い男性に声を掛けた。

「それでは、身分証かギルドに所属している場合はギルドカードの提示をお願いします」

 真尋は、青年に冒険者ギルドカードを提示する。すると、ぱちりと目を瞬かせた青年は、困ったように辺りを見回した後、少々お待ちください、と後ろに引っ込んだ。
 彼は、奥に居た上司と思われる男性の所に行くと何かを話し、暫くして、その上司が代わりにやって来た。

「初めまして。商業ギルド不動産管理部紹介相談課課長のクロードです」

 クロードは、二十代後半くらいの有鱗族の若い男性だった。
 有鱗族とはその体に文字通り鱗を持つ種族のことだ。クロードもまた白い肌には所々、蒼っぽい緑色の蛇の鱗がある。獣人族が獣と人だとすると、有鱗族は、爬虫類と人ということらしい。
 クロードは、すらりと細く背が高い。黒い髪を後ろに撫でつけ、銀縁眼鏡をかけている。神経質そうな一重の切れ長の瞳は少々、蛇のように鋭く目つきが悪い。陽に当たったことがあるのかと尋ねたくなる位に色白でその顔はいっそ青白い。そして、真尋と同じくらい、表情筋というものが機能していない男だった。

「どうぞ、おかけください」

 言われるまま受付窓口の前に並ぶ椅子を手で示した。
 真尋と一路が並んで座り、ジョシュアはその後ろに椅子を持ってきて座った。

「ええっと、マヒロ様とイチロ様は、昨日、冒険者ギルドに登録されたばかりだとお聞きしましたが」

 どうやら自分たちは、扱いに困られているようだ。商業ギルドと冒険者ギルドはお向かいさんなのだから、昨日、冒険者ギルドで起こったことは皆、筒抜けになっているだろう。真尋がレイと剣を交えたことも真尋と一路が教会の関係者であることも。

「青の1地区にある教会を紹介して欲しい。出来れば買い取りたいと思っている」

 真尋の申し出にクロードは、はぁ、と何とも言えない返事をした。
 クロードはお待ちくださいと言って立ち上がると奥にあるドアの向こうに消え、暫くして紐でくくられた紙の束を一冊手に持って戻って来た。

「あの教会は、三、四十年前にそこに居た神父が亡くなった後は継ぐ者もおらず、商業ギルドにて管理しております。ですので教会は商業ギルドで管理されている建物と土地の一つです。権利の全ては商業ギルドに帰属しています。現在、ブランレトゥ及びアルゲンテウス領には、教会及びそれに準ずる施設等は無く、また教会の活動に関しては管轄が王都のパトリア教教会が全権を持っておりますので、」

「訂正させてくれ」

 真尋はクロードの言葉を強引に遮った。

「俺達は、パトリア教の者ではない。ティーンクトゥス神を祀るティーンクトゥス教会の者だ」

 クロードは細く整えられた眉を少しだけ寄せた。

「聞いたことのない名ですね」

「遠い遠い地で栄えているものだからな。俺たちは、宣教師としてこの地に参った」

「つまり、新しく布教していく所存だということでしょうか?」

「ああ」

 真尋が頷くとクロードは、気難しく眉を寄せて何かを考え込んでいる。

「それは、何らかの利益を得るための活動でしょうか?」

 徐にクロードが問いかけて来る。その鋭い目は、何かを探るように真尋を捉える。

「利益を得る、とはつまり、パトリア教のようにということか?」

 クロードは、口は開かなかったがその首を縦に振ることで真尋の言葉を肯定した。

「俺達は、祈ることしかできない。神父は神ではない。神の言葉に連なる教えを人々に説き、時に人々の抱えた罪を神の名の下にその代わりとなって赦しを与え、共に祈る。ただそれだけの存在だ」

「その赦しとやらを与える際に金品の要求等がある場合は商業ギルドとしては、その行為を利益を追求する商いとみなします。そうなれば神父という商売、として扱うことになります。無論、教会ですので寄付の場合はその限りではありませんが……何か、神父個人能力への見返りに金品が対価として発生する場合はそうもいきません」

「ふむ、俺達は無償奉仕の精神で神に仕えてはいるが、その内、結婚式などを教会で出来るようにしたい。その際は、寄付を貰うことになるだろうが、基本的に教会で金品のやり取りは発生しない」

「それは、教会としての全ての活動に置いて神父様ご自身は利益を求めない、ということでよろしいですか?」

「ああ」

 クロードは少しだけ疑うような目を向けたが、暫くして、分かりました、と頷いた。

「……今から教会を見に行かれますか? あの物件は商業ギルドがすべての権利を持っているので、支払いさえ滞りなければ即日引き渡しが可能な物件です」

「では話が早い。幾らだ?」

 真尋の答えにクロードは、眉をぴくりと動かした後、冊子をぱらぱらとめくって目当てのページで手を止めると真尋の前にそのページを広げる。

「建物自体は、取り壊し寸前でしたので二千万万S、土地代が二千五百万Sの合計四千五百万です」

「ふむ、もう少しすると思ったが……ところでその教会は人が住めるのか?」

「前の神父は教会内の一室に住んでいたようですが」

「そうか……近場に空き家はあるか? 値段は多少張っても良いから、庭と部屋数が欲しい」

 真尋の問いに、クロードは、少々お待ちくださいと告げて立ち上がり、またあの奥の部屋に引っ込んだ。あそこで土地や建物に関する資料や証書が保管されているのだろう。

「……真尋、家まで買うのか?」

 ジョシュアが信じられないと言う様に問いかけて来る。

「無論、俺と一路で折半だが?」

「良かったぁ。真尋くんが全部出すって言ったら殴る所だったよ」

 一路が心底安堵したように言った。真尋は、当たり前だ、と返して足を組み直す。

「そりゃあまあ、ローンを組めば買えるだろうが」

「ローンは組まない。一括だ。言っただろう? 定住資金を貰っていると」

 ジョシュアの口がぽかんと開いたまま閉まらなくなった。
 しかし、真尋がそれに何かを言うより早く、クロードが何冊かの冊子を手に戻って来た。クロードは、口を開けたまま固まるジョシュアに訝しむ様に微かに首を傾げただけで、とくに声をかけるでもなく真尋に向き直る。

「教会の隣と……徒歩五分、徒歩十分の所にありますが、現地に行かれるならそちらで確認をされた方がよろしいかと」

「そうだな、そうしよう」

「それでは、案内は私、クロードがさせて頂きますので参りましょう」

 クロードの言葉に頷き、一行は立ち上がる。冊子を鞄の中に入れてカウンターの向こうから出て来たクロードに先導される形で再び、昇降機へと乗り込んだのだった。







「ほう……これがそうか」

「何というかまぁ……ぼうぼうでボロボロだねえ」

 鉄製の柵に囲まれた教会は、真ん中には教会へと続くごく短い石畳があって左右にささやかな庭がある。
 石造りの教会は、想っていたよりもかなり大きく立派だった。青の1地区と2地区を隔てる大きな通りに面していた。
 左右には塔があって、幾つかの窓が設けられているが板が打ち付けられている。真正面の本堂部分は見上げると首が痛くなるほど高く、屋根の近くに時計があった。明らかに時間が違うので随分と昔に時を止めてしまっている様だった。時計の下には、大きなマーガレットの花のような形をした窓が設けられている。よく見れば、それはステンドグラスのようだ。
 思っていたよりも大きな建物だが、土地が随分と狭く前庭以外はぴったりと教会に沿うように柵が巡らされている。
 真尋は馬から降りてクロードの横に立つ。

「ここは教会と言いましても、もう数十年も前のことですから今は誰も住んでおりません。パトリア教も既にこの教会に関しては権利を放棄しているので、取り壊しの話も出たのですが、歴史的価値の観点から残された建物です。元々、青の1地区の半分は教会の土地だったのですが、教会勢力の衰退に伴い、人が離れ、土地は売られ、この建物だけがブランレトゥの町に残されました」

 石柱が左右にあって鉄製の門は鎖が巻かれて南京錠が掛けられている。クロードが鍵束を鞄から取り出して、その内の一本を南京錠に差し込んだ。ガチャリ、と音を立てて南京錠が外れた。クロードが鎖を外していく。

「定期的にならず者が入り込んでいないか確認には来ていますが、特に手入れはしていません、の、で……ぐぅ」

 クロードが門を押すが、鉄製の門はピクリともしない。どうやら蝶番が錆びて固まってしまっている上に門に絡んだ蔦植物の所為で門が開かなくなっている様だ。

「ふむ、少し退いてみろ」

 真尋の言葉にクロードが場所を譲る。
 真尋は腕を組んだまま、門を思いっきり蹴り飛ばした。ガンっと音がして右側の鉄の門が吹っ飛び、石畳の上に転がった。ロビンがその音に驚いてジョシュアの足の後ろに隠れて尻尾を丸めてしまった。辺りがしんと静まり返る。

「……脆いな」

「ねえ! 真尋くん! 君は馬鹿なの!? その人より優れた頭の中は空なの!? どうしてそういつもいつもいつも!! 修繕費は真尋くん持ちだからね!?」

 一路が頭を抱えている。流石の真尋だってまさかこんなに簡単に門が吹っ飛ぶとは思っていなかったのだ。反省はしている。

「マヒロは神経質なように見えて、割と大雑把だな」

 ジョシュアがケラケラと笑いながら言った。

「そうだな。どちらかと言えば、一路の方が神経質だな」

「……まあ、ここを買いたいそうですので、とりあえずは中に入りましょう」

 クロードは、全てが面倒になったようでそう言って歩き出す。
 彼は、真面目で神経質だが、その根幹は真尋に似ている部分がある気がする。面倒なことに対しては大雑把なのだ。
 一路とジョシュアも馬から降りてついてくる。
 石畳はひび割れて、その隙間から雑草が逞しく葉を伸ばしている。
 左右の庭は、草が生い茂っている。それ以外の感想が見当たらないくらいに草に埋もれてしまっている。元々鉄の柵には蔓薔薇を絡ませていたようだが、今は僅かに枝が残っているだけだ。おそらく、棘が人々を傷付けないように商業ギルドが管理していたのだろう。
 ロビンが嬉しそうに草の中に飛び込んでいき姿が見えなくなった。彼が動くと草が動くので居場所は分かるが姿は見えない。馬たちも庭の草を勝手に食み始めた。

「ロビン、門の外に出ちゃだめだよ、お庭に居てね。コハクたちの事も頼んだよ?」

「わんっ!」

 元気な返事が草の揺れる音と共に帰って来た。
 数段の石段を登り、クロードが黒檀製の大きな両開きの扉の前に立った。

「ここはパトリア教に属する一派の教会だったと聞いていますが、何分、昔のことですので私にも前任者のことについては詳細は分かりかねます。ただ最後の神父は大変高齢でしたので、神父としての仕事は殆どしていなかったと聞いています」

 ドアの取っ手にも鎖がぐるぐると巻かれて、大きな南京錠が掛けられていた。クロードがポケットから取り出した鍵で南京錠を外し、鎖を丁寧に外していく。
 黒檀の扉は、薄汚れている。縁には繊細な細工が施されていたようだが、埃に塗れた今は何が何だか分からない。磨けば綺麗になるだろうか、と首をひねる。
 クロードがドアを開けた。蝶番が軋む音が響く。

「うわぁ……すごいなぁ」

 一路が言った。真尋も、眉をしかめる。
 中は、はっきり言って最悪だった。
 右と左、あの塔のような部分には階段があって、あの窓のところまで行けるようになっているようだった。本堂とこのエントランス部分は、胸ほどの高さの木の柵で区切られていて、その奥の本堂には信者たちが座る木製の椅子がずらりと並んでいる。
 しかし、どこもかしこも蜘蛛の巣と酷い埃に塗れている。壁際などには、隙間から吹き込んだのだろう砂も溜まっていた。
 コツコツとブーツの踵が鳴る音が石造りの教会に幾重にも響いて広がる。
 煤けているが元々、天井と壁は白かったのだろう。とても高い天井には、木の梁が複雑で繊細な幾何学模様を描いている。左右の壁の高い一には縦長の大きなステンドグラスが並んでいて、それらは何かの絵がモチーフになっているようだ。もしかしたら神に纏わる物語の一部が描かれているのかもしれない。外から差し込む太陽の光に埃が煌めいている。真正面の祭壇に至るまでの身廊、分かりやすく言えば日本人がバージンロードと呼ぶ通路の両側には五人ずつ座れるであろう木製の長椅子が両側に三つずつ置かれていて、一列で三十人は座れるようになっている。それが縦に十五列はあるから収容人数はかなりものだ。
 椅子の上には分厚く埃が溜まっていて、指でなぞれば、一本の道が出来た。

「遠く、遠く、遥か昔に忘れ去られた場所か」

 真尋は、埃の中に出来た道に視線を落としたまま呟いた。椅子には、手作りの人形が置かれていた。おそらく、誰かの忘れものだろう。布製のそれは可愛らしい女の子の人形だったが、持ち上げると足が取れてしまって、脆くなった布が粉のように崩れていった。真尋は人形を椅子の上にそっと戻す。
 ティーンクトゥスが見せてくれた教会よりもずっと立派で、ずっと大きくて、ずっと寂しい場所だと思った。

「こんなに……すごい場所だったとは知らなかったな……」

 ジョシュアが上を見上げ、ステンドグラスにゆっくりと視線を巡らせながら言った。

「この教会が作られたのは、千七百年以上前、この川べりに名も無い町が生まれ始めると同時に建設が開始されて、確かその二百年後に完成したと聞いています。今は失われてしまった闇系統の魔法、状態保存魔法が掛けられているので、ステンドグラスや彫刻などが残っていると調査結果には載っていました」

「嘗て神は、こんなにも深い愛を我が子らから捧げられていたんだな」

 繊細なステンドグラスも幾何学模様の広がる天井も緻密な彫刻も全て、神を想った職人たちの手によるものだったのだ。そうでなければ、こんなにも美しい教会は誕生しえなかっただろう。

「でも、忘れられてしまったなんて、寂しいなんて言葉じゃきっと、間に合わないね」

 一路の弱々しい声が紡いだ言葉に真尋は、ああ、と頷いた。
 真尋は、再び教会の奥へと進んでいく。
 真正面には、大理石の荘厳な柱が二本あり、その間に祭壇画設けられていて、祭壇の上には幾重にも花びらを広げる薔薇のような大きなステンドグラスがあった。その下、祭壇の上に石像が一体、こちらを見下ろす様に置かれている。彼の背後の薔薇のステンドグラスはやはり曇っていて鈍い光がその石像を照らしている。

「真尋くん、あれ」

 一路の声が呆然としている。
 時間が止まったかと思った。真尋と一路は、その石像を見つめて息を飲んだ。

「マヒロ? どうし……」

「ティーンクトゥス」

 思わず口から言葉が零れるのと同時に真尋は祭壇に向かって駆け出していた。二人分の足音が大きく響いて反響する。
 そこに居たのは、彼の神が自分たちに見せてくれた教会に居た美麗な神の石像では無かった。

「間違いなく、ティーンクトゥス様だね」

 隣に立った一路が何だか泣きそうな顔で笑って言った。
 そこに居た石像は、真尋に土下座をし、忘れられるのが怖いと生きたいと泣いた、ぼさぼさの長い前髪の向こうに輝く銀の瞳を持った愚かで弱虫で、誰よりも愛情深いティーンクトゥスだった。
 襤褸切れのような服を纏い、素足のままで、差し伸べられるように伸ばされた両手は、全てを受け入れ抱き締めてくれると思える優しさがあって、緩やかに微笑む銀の眼差しが泣きたくなるほどの愛に満ちていた。
 真尋も一路もズボンが汚れることもお構いなしにその場に膝をついて、ロザリオを両手で握りしめて祈りを捧げる。
 再び会えた喜びと、ティーンクトゥスが確かに存在するのだという安堵と、説明はもっとちゃんとしろという怒りと、少しは元気になって力も戻っただろうかという心配と色々な感情が綯い交ぜになった祈りを彼はどう受け取っただろう。
 出会ったのも、別れたのも、ほんの一週間ほど前のことだというのに、真尋が想っていたよりもずっと、真尋は彼を大切に想って、何も知らない世界で彼を拠り所の一つにしていたようだ。

「おかしいですね……ここには、パトリア教が祀るコロル神の像があった筈なのですが……もっと美しい青年の像だったんですよ」

 クロードが困惑気味な声に真尋は、顔を上げる。

「神のお考えになることは、我々が推し量ることなど出来ないものだ。だが我々にとってこの奇跡ほど嬉しく愛しいものはない」

 そう答えて、真尋は振り返る。

「是非、ここを買いたい。なあ、一路」

「うん。賛成」

 一路が元気よく頷いた。
 クロードは、そうですか、と頷いて像を見上げる。

「随分と変わった身形の神様ですね」

 きりりとした眉を微妙に寄せてクロードが言った。

「ティーンクトゥスという神は、俺が知る中で最も馬鹿で阿呆で愚かだ」

 真尋は、像を見上げながら言った。
 
「大切に大切に慈しみ、我が子のように愛し想っていた者に裏切られ、このような身形になったというのに、こうして性懲りもなく手を差し伸べている馬鹿だ。だが、俺は……俺達は思うのだ。馬鹿だな、と思うと同時に、愛おしいな、と」

 真尋はロザリオを腰に戻して立ち上がる。

「……馬鹿な子ほど、可愛いというやつですか?」

「そうかもな。だが……きっと、そういう馬鹿の方が俺たちを救ってくれる。差し伸べられる手があるだけで、心強いと思わないか」

クロードが隣にやって来て、像を見上げた。クロードは真尋とそう背丈は変わらない。彼の方が少し高いだろうか。クロードは真っ直ぐに像を見上げていた。冷たい印象の顔には、何故か少しだけ優しい表情が浮かんでいる気がする。

「……裏切られて尚、手を差し伸べて、このようなボロボロの身形になって、神だというのにまるで襤褸雑巾のような服を着て、でも、きっと、この神様の心はどこまでも美しいのでしょうね。この輝く銀の双眸のように」

 クロードの口元に仄かな笑みが浮かんだ。真尋は、ああ、と頷いて再び像を見上げる。

「ティーンクトゥス神は、間違いなく俺達を護り導いてくれる存在だが、同時に俺達はもう二度と、この神が大切なものに裏切られる哀しみや痛みを味わうことのないように人々に神の教えを広めていきたい。神とて心が有れば、哀しいと感じることも辛いと感じることもあるのを、俺達は忘れてはならないと思う。だからこそ、俺は神父としてここにいる」

 長い前髪の向こう、此方を見下ろすその目は、銀色に輝いている。その眼差しはどこまでも深い慈しみを湛えているように見える。

「ティーンクトゥスという神様は、尊敬に値する魅力があるという訳ですね」

「でなければ、この俺が仕える訳が無い」

「あなたみたいな傲慢な神父は聞いたことがありませんよ」

 クロードが、くくっと喉を鳴らして笑った。目だけを向ければ、控えめな笑みを浮かべるクロードと目が合った。クロードが真尋に体を向けたので、真尋も彼と向き合う。

「マヒロ、私は貴方が気に入りました。昨日の一件で商業ギルドは、貴方方の存在を危険視していたのですが、こうして話をしてみて考えを改めます」

 すっと差し出された手に真尋は、目を瞬かせる。

「改めまして、アルゲンテウス商業ギルドのギルドマスター、クロードです」

「ええ!?」

 一路が驚きに声を上げた。ジョシュアまで目を瞬かせているところを見ると彼も知らなかったようだ。

「待て、商業ギルドのマスターのアンガスは?」

「伯父は、先々月、ギックリ腰を再発しまして……もう無理だと甥である私に勝手に役目を押し付けて隠居しました。マスターになったとは言え、私も先週襲名したばかりでまだ成り立てほやほやのひよっこですから、サブマスターの提案で全ての課を順番に回って研修を受けている最中なんですよ」

 クロードがため息交じりに言った。

「ある朝、王都に居た私の所に来たかと思えば「よろしくな! はいこれ、マスターの鍵!」と言うが早いか、どこかに行ってしまって……私だって仕事をしていたというのに、あの伯父は昔から人の話を聞かないと言うかなんというか、引き継ぎすらせずに伯父と私の父の故郷でもある村に行ってしまって……おかげで自分の仕事の引継ぎやらギルドマスターの引継ぎやらで大忙しで、胃が痛いです」

 クロードが骨ばった手で胃の辺りを撫でた。

「アンガスは、まぁ少し……せっかちだからな」

 ジョシュアがフォローにもならないフォローをした。

「そこへ来て、あのレイを倒すほどの実力を秘めた神父と見習いが来た、などという報告が入るんですから、胃がキリキリしたものです。王都のパトリア教の横暴は向こうの商業ギルドも頭を抱えているんですよ。教会は、王家に保護されている上に独立した存在ですから、商業ギルドでは口出しが出来ず、しかし、苦情や訴えだけは商業ギルドに来るんですから……それがここへ来てブランレトゥにまで現れるなんて言うのですから、私の胃痛も悪化しますよ」

 彼の顔色が青白いのは元の色の白さだけではなかったようだ。

「ですが、こうしてお話をする限り、お二人が王都の教会の人間とは全く違うことが分かります。私は仕事上、何度か向こうの神父と話をしたことがありますが、胃痛が悪化するばかりで得られるものはなにもありませんでしたね。彼らから神への情を感じたことは一度もありません」

 クロードは淡々と告げながら胃を擦っている。

「とはいえ、私も責任ある身です。ここで教会を開くということは、商業ギルドにて審議させて頂きたく思います」

「まあ、それは仕方が無いな。俺達も流石に今日明日で、教会としての活動が出来るとは思っていない」

「ありがとうございます。厳しい話かも知れませんが教会というものは、特殊なものですので、恐らく領主様の認可が下りなければ、ここを拠点とした大きな活動は難しいと思われます。王家の庇護下で好き勝手する教会を良く思わない貴族も多いのです。もし、マヒロ神父様が可能であれば、教会の活動内容や目的などを分かりやすくまとめた資料など頂けると私も口添えがしやすくなります」

「分かった。近日中にまとめておこう。俺達から直接意見や話が聞きたい場合は、幾らでも呼んでくれ。どれくらいの時間がかかる?」

「今、領主様がそもそもブランレトゥにおりません。そろそろ王都から出発はされる頃だと思うのですが早くとも領主様がお戻りになられるのは二週間後か三週間後ですので、一か月はかかるかと」

「もしかして社交期か」

 クロードが、はい、と頷いた。
 真尋は、それでは仕方ないとため息を零す。この世界にもきっちりと貴族たちが領地を出て王都の屋敷に滞在する社交期が存在するようだ。

「とはいえ、この石像が有る限り、教会としての活動は認められずともここは守っていきたい。最初の約束通り、ここは買い取ろう」

「門も壊したしね」

 にこっと笑った一路から逃げるように上を見上げる。立派な柱だ。

「では、家の方はどうしますか? 安い買い物ではないですが」

「家は欲しい。魔術学の研究がしたいんだ」

「僕も! 薬草学と調合学やりたい!」

「二人とも冒険者稼業は?」

 ジョシュアが呆れたように言ったが、クロードはそうですか、と頷いたかと思うと急に真尋の手を取った。物凄く冷たい手だった。爬虫類を触った時のことを思い出す。
 思わず真尋はぱちりと目を瞬かせた。近くで見るとクロードの目は、青緑色をしていると分かった。

「マヒロ神父様は魔術学に興味がおありですか?」

「昨夜からな。ロークのカマルが魔術学の本を貸してくれて興味が湧いたんだ。実にあれは面白い学問だ。ただ本が古いことと元が難しいものであるから、まだまだ勉強中の身だ」

「術式紋の応用と活用方法におけるラースの五法則はご存知で?」

「ああ。あれは面白い理論だった。特に第三の法則を発見できたことは魔術学にとって大きな進歩と言えるだろうな」

「その通りです。まさかのあの小さな接続記号一つであのような変化と効果が得られるとは」

「俺としては第四の法則を用いて闇属性魔法の展開における通信魔法の開発を試みたい」

「それが出来れば大発見ですよ。じつは私も王都ではそのことを日々研究しておりました。私も第四の法則に目を付けたのですが、やはり闇属性は魔術言語の構築がそもそも難解で」

「やはりそうか。水や火の属性に比べると文様も複雑だしな、そもそも文様というものの法則性を発見できれば」

「ある程度は近年、発見されているんです。王都ではそのことが話題になっていて私もいくつか専門書を持っているのでお貸ししましょう」

「本当か? では俺としては魔術言語と古代語の関連性に関する本が欲しいんだが……」

「でしたら良い本が有ります」

「あの、その話長くなりますよね? とりあえず、ここ埃っぽいんで出ません?」

 一路の言葉に、真尋とクロードは、渋々、一旦口を閉じたのだった。




――――――――――――――

ここまで読んで下さってありがとうございました!

漸く教会にたどり着きました!!
真尋は割と学者肌の天才君で、クロードは類は友を呼ぶというやつです。
ちなみにこの時ジョシュアは、夕飯のおかずについて考えていました。

また次のお話も楽しんで頂ければ幸いです。
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