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本編
第十二話 意味深に微笑む男
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カランカラン、とドアベルが誰もいない店内に響いた。
狭くはないが広いとも言えない店内は、真正面にやけに低めのカウンターがあって、壁という壁にはありとあらゆる種類の武器が飾られていた。一応、種類ごとには分けてあるようで、剣は剣、槍は槍、弓は弓などで分けられている。それぞれ壁際に誂えられた棚の中に並べられているものは、値段が張るもののようだ。ここから値札を見る限り、ジョシュアの言う通り、安いものから高価なものまで様々に揃っているようだ。一番安いものは無造作に樽の中に突っ込まれていたりする。
店の裏手の方から鉄を打つ音や木を切る音が賑やかに聞こえてくる少し埃っぽいような武器屋の店内は、どこか非日常的で、真尋は興味深い、と入り口に置かれた樽の中に突っ込まれていた剣を抜いてみた。樽につけられた値段を見れば「二本で銅貨五枚」と書かれている安売り品だった。刃毀れしている上に少し錆び始めていた。一路も乱雑に重ねて有った弓を手に取っていたが、弦は切れていて今にも折れそうだった。見れば値段すらないガラクタ品だった。
「おやっさん、いないのか? 工房かな? マヒロ、様子を見て来るから……」
店の奥を覗き込んだジョシュアが振り返る。だが、ジョシュアが裏の方へ行くよりも先に、裏へと繋がるドアが開いた。
「おう、ジョシュアか、久しぶりだな」
パイプをふかしながら現れたのは、真尋の腰ほどの身長のドワーフのじいさんだった。岩を荒削りしたような顔で目つきが悪い。頭頂部は剥げているが白髪の混じるグレーの髪も顎髭も口ひげもふさふさだ。
「ジルじいちゃん!」
「はっはっ、ジョンは今日も元気だなあ」
ジョンが父親の肩から降りるとドワーフのじいさんに飛びついた。ジョンと大して背丈は変わらない。じいさんは孫を可愛がる好好爺のように相好を崩してジョンの頭を撫でて、小さな背を叩く。
「またでかくなったな、ジョン」
「うん! 僕、いっぱいご飯食べるからね! すぐにお父さんみたいに大きくなるよ!」
ジョンが嬉しそうに言って胸を張る。ドワーフのじいさんは、そうかそうか、と目じりを下げてぐしゃぐしゃとジョンの頭を撫でた。
しかし、じいさんは振り返り真尋と一路を目に留めると訝しむ様に長い眉毛の下の円らな目を細めた。
「それで、こいつらが噂の神父様か?」
「噂が早いな」
ジョシュアが苦笑い交じりに言った。
「ピコロが丁度、ギルドに遣いに行ってたからな。えらく興奮した様子で帰って来たぞ。よりにもよってEランクの新人冒険者がブランレトゥ唯一のAランクの冒険者の剣を棒きれ一本で受け止めた挙句に蹴り上げりゃ、嫌でも目立つに決まってらぁな!」
ガハハ、と豪快に笑いながらドワーフのじいさんはジョンをカウンターの上に座らせると自分もカウンターの上によじ登ってその隣に腰掛けた。
心なしか一路の視線が鋭く真尋を睨んでいるような気がする。
「マヒロ、イチロ、この人はジルコン。この店の主人で裏にある工房の親方だ。おやっさん、こっちが神父のマヒロで、こっちが神父見習いのイチロだ。二人とも今日、冒険者になったばかりだ」
「初めまして、真尋といいます」
「初めまして、一路です」
真尋と一路は丁寧に頭を下げる。
ジルコンは、咥えていたパイプの煙を、ふーっと吐き出して、元から鋭い目を更に細めて鋭く尖らせる。
「こりゃまたえらい胡散臭い職業の奴が冒険者たぁ、面白れぇもんだな。……この町に何の用だ? 王都だけじゃ飽き足らずここにまで金の匂いでも嗅ぎつけたか?」
「おやっさん」
ジョシュアが眉を下げて口を挟もうとするのを真尋は手で制す。
「最初に申し上げますと、我々はティーンクトゥス教という宗派の人間で、まかり間違っても王都のパトリア教とは関係ありません。私は、我々が仕える神様の御心のままに、この国の人々の平穏と平和を祈り、時に神の御心に沿い、迷える人々を導き、抱える罪を代わりに赦す。それだけしか出来ない……逆に言えば、たったそれだけの存在です」
「僕もいずれは真尋神父のように立派な神父になりたいと励む者です」
鋭い光を宿した瞳は真尋を値踏みするように視線を寄越す。真尋は、対営業用の微笑みを浮かべてそれを真正面から受け止める。一路も隣でじっとジルコンを見つめている。
「ジルじいちゃん、マヒロお兄ちゃんもイチロお兄ちゃんも良い人だよ?」
ジョンがジルコンの服を引っ張って言った。ジルコンは、ぷっと吹き出すと、ガハハと大きな声で笑う。
「ジョンが言うなら、そういうことにしておこう! わしの眼光を前に一歩も譲らなんだのは、レイ以来じゃ! ガハハ!」
ジルコンはばしばしと自分の膝を叩いて笑いながら言った。
「ジョシュアとジョンの顔に免じて、客にしてやろう」
「光栄です」
真尋はそう返して一礼し、体を起こす。改めて店の中を見回す。好きに選べ、と言われてまずは一路の弓を選ぼうと弓が並ぶコーナーに向かう。
「一路はどうするんだ?」
「ショート・ボウにするか、ロング・ボウにするかだけど……そもそもこの洋弓は矢の番え方や位置からして和弓と違うから、練習しないとね」
一路は棚の上に掲げられたロング・ボウを見ながら言った。
真尋は、一路なら大丈夫じゃないか?と首を傾げながら、手近にあったショート・ボウを手に取った。確か、一路は夏休み、母親の母国であるイギリスに帰省した時にはイギリス人の祖父の趣味に付き合って向こうの弓にも触れている筈だ。
「クロス・ボウは?」
棚にあった横に構えるタイプのそれを手に取る。
「使えないことはないけど……使い慣れた方がいいかなって」
壁に立てかけられていたロング・ボウを手に取って、一路が言った。和弓に似ているが形状が違う。
「イチロ、そうはいってもロング・ボウは使いこなすのが難しいぞ? 引くのにかなり力がいるんだ。ショート・ボウから始めた方がいい。弓術レベルは、まだ十五で基礎値の範囲だったじゃないか」
ジョシュアが言った。
隠蔽スキルで隠してあるから仕方がないが、一路の本来の弓術のスキルレベルは、Aランクの冒険者以上である。それとスキルレベルについて、少し情報が得られたことに真尋は、幸運だ、と小さく呟いた。どうやらあのレベルは基礎値と呼ばれる範囲らしい。おそらく全体のレベルが五十前後が平均値であるようにスキルレベルも十五前後は平均値なのだろう。そこから上げていくことが難しいに違いない。
「僕、こう見えて里では一番の腕前だったんですよ?」
一路が笑いながら答える。里一番、というより国一番の腕前だったので嘘は言っていないが、ジョシュアはそれが信じ難いようだった。
「小僧。背伸びした武器は、命取りになるぞ」
面倒くさそうな顔でジルコンが煙を吐き出した。
どうやらジルコンもジョシュアの手前、自分達を客と認めただけのようだ。故に小柄でのほほんとしている一路の腕前が信じられない様だ。一路自身もこの狭い店内で腕前を見せるのは、不可能だから、どういって貰えばいいのか分からないようで困り果てている。
「僕が里で使っていた弓は、このロング・ボウより長くて、二メートル二十センチ以上あったんですよ」
一路は手に持っていた凡そ百八十センチほどのロング・ボウを軽く掲げて言った。
ジョシュアとジルコンが顔を見合わせる。
「小僧、悪いことは言わんから、そっちのショート・ボウにしておけ」
ジルコンが顎でしゃくったのは、ショート・ボウの中でもかなり短い八十センチ程度のものだった。
あ、と真尋は片手でにやけそうになった口元を隠す。
一路の目が据わっている。一路はそのロング・ボウを手にしたままその辺にあった矢を一本手に取り、店を出て行く。
「イ、イチロ?」
ジョシュアが焦ったように呼び止めるが、一路はお構いなしに店のドアを開け放ち、反対側の通りへと向かい、丁度、店の真正面の路地裏へと進んでいく。真尋は、おいで、とジョンを呼んだ。ジョンは、不思議そうに首を傾げながら真尋の元にやって来たので、危なくないように抱き上げる。
「今から良いというまで動かない方がいい」
真尋は、親切心だけでそう告げた。
ジョシュアもジルコンも首を傾げて動きを止めた。一路は路地裏の一番奥、店の入り口から二十メートルは離れた場所に居た。真尋は、両開きの店のドアを僅か十センチほどの隙間だけを残して閉めた。
一匹の鼠がどこからともなく現れてカウンターの上に登った。ジルコンはまだ気づいていない。
その時だった。
風を切る音がした一瞬後には、タァン!という軽く強い音がして、ヂヂッという鼠の断末魔が同時に響いた。
「……なっ」
ジルコンが目を見開き、ジョシュアがぽかんと口を開けて固まっている。ジルコンの咥えていたパイプがことりと落ちる。
ドアの隙間から一直線上、カウンターの後ろの柱に心臓を矢で射抜かれた憐れな鼠が縫い付けられていた。
「なっ、はっ?」
「どうだった、一路」
真尋は、店に戻って来た一路に問いかける。
「んー、イマイチだった。弦の張りが僕には弱すぎるかも。それにこれは魔力が上手く流れて行かないから、すぐに壊れるよ。相性が悪いみたい……本当は頭を射抜きたかったんだけど、」
一路は不満そうに肩を竦め、カウンターを振り返る。
「ちょっとずれちゃったね」
そう言って、一路はにっこりと笑った。
一路は、真尋と違って、随分と気の長い男なのでそうそう本気で怒ることはないが、身内を害された時と彼が心血を注いだ弓道の腕をその容姿故に軽んじられたりすると、本気で怒る。
「ジルコンさん、もっと良い物、ありますか?」
笑ったまま首を傾げて尋ねる一路にジルコンは、ぎこちなく首を縦に振ってカウンターを降り、よろよろと店の奥に引っ込んだ。
「……す、すまない、イチロ……俺はお前を見くびっていたようだ」
ジョシュアが心底申し訳なそうに言った。一路は、ぱちりと目を瞬かせた後、いいですよ、と笑う。
「謝ってくれたから許します」
ふふっと笑う一路はご機嫌に弓を棚へと戻した。ジョシュアが「でもレベル十五だよな……どういうことだ?」とぶつぶつ言いながら首をひねっている。
「今の、イチロお兄ちゃんがやったの?」
ジョンが目をキラキラと輝かせながら言った。
「ああ。一路は俺達の里で一番の弓の名手なんだ」
真尋が答えれば、ジョンは真尋から降りて一路に飛びつく。すごい、すごい、とはしゃぐジョンに一路は、少し照れくさそうに笑っている。
「……おい」
ジルコンがぶっきらぼうに一路を呼んだ。一路とジョンが一緒に顔を上げる。ジルコンが彼の身長の二倍はありそうな布に包まれた長細い物を手に戻って来た。
ジルコンはカウンターの上に持っていた布の包みを広げた。そこから出て来たのは、美しい弓だった。ジョシュアが「おやっさん?」と驚いたようにジルコンを呼んだ。
飴色に輝く弓は滑らかでしなやかで美しい。一路が、ほう、と感嘆の吐息を漏らした。
一路がそれを手に取る。長さは二メートル強といったところだろうか。一路が弓を構えて弦を引く。
「どうだ、一路。なかなかのものに見えるが……」
真尋もその弓を覗き込む。生憎と弓の良し悪しについては、流石の真尋でも分からない。一路は、弓の細部までよく観察して、顔を綻ばせる。
「うん、素晴らしい弓だよ。よく馴染んで魔力もきちんと流れるから相性も良い」
「そうか。お前が言うならそうなんだろう」
「……高いぞ。その弓は」
ジルコンが試すように言った。
「初期投資には惜しみません。お幾らですか?」
一路が躊躇いなく頷いて、金額を尋ねる。
「五十万S、青銀貨一枚だ」
「本当にそのお値段ですか? 安く見積もったりしてません? こんなに素晴らしい弓なのに……」
一路が弓を手に訝しむ様に首を傾げた。
「確かに……素人目にもこれは素晴らしい弓だ。本当に相応の値段か?」
真尋も手渡してもらった弓を見ながら眉を寄せる。
手にしたそれは、滞りなく全体に魔力が流れるようになっているからか、手に馴染み軽い。この弦が何で出来ているのか真尋には分からないが、引いてみれば強く伸びやかで、弓も良くしなる。これは間違いなく名工が作ったというに相応しい逸品だ。
ジルコンは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。そして、数秒の間を置いて、ガハハ、と大きな声で笑い出す。
「ガハハ! 気に入った! 気に入ったぞ! これの価値を正しく理解するとは!」
よいしょ、とカウンターに上ったジルコンが、ぐしゃぐしゃと一路の頭を撫でまわす。一路が、わっと声を上げるがお構いなしだ。その洗礼は御免被りたかったので、真尋は一歩下がって逃げる。
「その弓は、本当は金貨一枚の価値がある」
「やっぱり。でもなんで、安く見積もったんですか? ふつう逆でしょう?」
一路がぐしゃぐしゃになった髪を直しながら首を傾げる。真尋は、ジルコンがカウンターに座ったので彼の元に戻り、一路の髪を直すのを手伝ってやりながら、答えを待つ。
「わしは、わしの作ったものに誇りを持っておる。店に並んでおるのは、わしの弟子共が作ったもので、わしの作品は全て奥にしまってある。いや、隠してあるんじゃ」
「何故だ?」
真尋の問いにジルコンが、貸してみろ、と手を伸ばすので弓を彼に渡す。
「わしは、超一流の職人じゃ。自分で言うぞ、何せわしはそのために努力を惜しんだことは一度だってないからな! だが……そんな才能豊かなわしの作る武器はな、強すぎるんじゃ」
そう言って、ジルコンは「おい! ピコロ!」と弟子を呼んだ。裏方から慌てたように飛び出してきたのは、二十そこそこの青年だった。彼はどうやら人族の様で真尋と同じくらいの背丈だが、鍛冶で鍛えられているのか頑丈そうな体つきをしている。
「へい、何でしょう!」
「ちょいとこれを引いてみろ」
「へ?」
「いいから早くしろぃ!」
親方に怒鳴られた憐れな弟子は、慌てて弓を受け取り構えた。だが筋肉質なその腕がどれだけ血管を浮かせようと弦はびくりともしない。思わず真尋と一路は顔を見合わせた。先ほど引かせてもらった時には、あんなことは無かった。
「分かるか? 普通は引けんのじゃ」
「はぁ」
一路が何とも間抜けな相槌を打つ。
ジルコンは、戻っていいぞ、と声をかけて弟子から弓を受け取る。弟子は、ぺこりと頭を下げて店を後にする。
「剣も槍も弓もわしの作るものは全て、見合った実力が無ければ扱えない少々厄介な性質を持っておる。だから、例えわしの弟子でも……おい、ジョシュア」
ジョシュアがジルコンに言われて弓を手に取り引こうとするが弦はびくりともしない。
「元Aランクのジョシュアであっても、こやつはわしの剣を使うことは出来ても、弓は使えんのだ。その辺の弓ならある程度使いこなすがな」
「イチロはともかく、マヒロまで引けるなんて凄いなぁ。弓術のスキルは持っていなかったよな?」
ジョシュアが弓をジルコンに返しながら首を傾げる。
「一路に付き合って、弓の練習はしていたからその所為かもな」
真尋は、あっけらかんと答える。
「それにわしは、例え使いこなせる実力を持っていても、いけ好かない奴には売らん。そういうやつには値段をふっかけて諦めさせるんじゃ。わしの作品たちがもし凶器になってしまったら、とんでもない悲劇を起こしかねんからな」
そう言ってジルコンは、肩を竦めた。
「僕は、ジルコンさんのお眼鏡に敵ったということですか?」
一路が嬉しそうに問えば、ジルコンは、そうじゃ、と此方も嬉しそうに顔を綻ばせた。ごつく厳しい顔がちょっと優しくなった気がする。
「ありがとうございます!」
「わしの作品を久しぶりに託せるんじゃ、嬉しいのう! よーし、特別に店には出さん装備もいいものを出してきてやるし、マヒロの剣も見繕ってやろう」
「わあ、ありがとうございます」
一路がにこにこしながらお礼を言った。ジルコンは、ふんふんと嬉しそうに鼻を鳴らす。鼻息が荒いのかと思ったら、鼻歌らしい。
ジルコンはカウンターから降りるとまた店の奥に行って、あれこれもと抱えて戻って来る。
「マヒロは、どんな剣が良いんじゃ? ショート・ソード系か? クレイモア系か? それとも変わり種の……」
ジルコンが次々に取り出すのは、向こうの世界の西洋で使われていたようなタイプの剣ばかりだ。残念なことに日本刀は無い。
真尋は、近くに有ったショート・ソードを手に取る。無論、この剣も見た目だけではなく剣の秘める実力も素晴らしいものだと分かる。そこの棚に飾られているものが玩具に見える程だ。
だがしかし、である。
「すまないが……ここには俺の求めていた剣は無いかもしれない」
「どういうことじゃ? わしのじゃ不満か?」
ジルコンがあからさまに不愉快そうに眉を寄せる。一路たちが驚いたように真尋を振り返る。
「ジルコンを馬鹿にしている訳でも、ジルコンの腕を疑っている訳でもない」
「じゃあ何が不満なんじゃ」
「俺は、刀、と呼ばれる類の剣が欲しいんだ。俺達の故郷で最も馴染みのある剣だ」
「カタナ? それは何じゃ?」
ジルコンの目がきらりと光る。それは、玩具を見つけた子供の様な、無邪気で純粋な好奇心の輝きだ。
「何か書くものはあるか? 出来れば、大き目の用紙がいいんだが」
「あるぞ!」
ジルコンがいそいそとカウンターの下から紙と羽ペンを取り出した。真尋は礼を言ってそれを受け取り、ジルコンが雑に品を退けて出来たスペースに紙を広げて、そこに日本刀の絵をかく。鞘と刀は別にして、細かい名称も書き込めるように大きめに書く。
「種類は幾つもあるんだが、俺が欲しいのは、一般的に「打刀」と呼ばれる刀だ。俺達の故郷で遠い昔に生まれた刀だ」
真尋は、さらさらと絵を描いて行く。
「……真尋くん、そういえば美術の成績も良かったもんなぁ」
一路が真尋の手元を覗き込みながらぼやく。ジョンが「上手だね」と褒めてくれたので、頭を撫でておく。ジョシュアも興味津々と言った様子で覗き込んでくる。
「ふむ、形でいえば、サーベルに似ておるかの?」
「サーベルは騎乗用だが、これもそうなのか?」
二人が投げて来る問いに、細かい部位の名称を書き入れながら答える。
「いいや、騎乗用ではない。普通に地上で戦う用だ。こちらは鞘で、腰に差してこの刀は持ち歩くんだがその時、鞘から抜きやすいように刀身は中央でもっとも沿った形をしている。長さによって名称も変わるが、あまりに長すぎると不便だな」
「鞘ごと抜く訳ではないから、腕より長ければ抜けんということじゃな」
「その通りだ。刀は、折れず、曲がらず、良く斬れる、という三つの要素を兼ね備えている。刀は斬ることに特化した武器だ。玉鋼と呼ばれる良質な鋼を原料にしている」
「タマハガネ、聞いたことがないの」
「砂鉄は分かるか?」
「あの地面の中にあって磁石石にくっつく鉄の粉じゃろ?」
ジルコンが答える。
「そう、それだ。玉鋼の原料は、その砂鉄だ。砂鉄を集めて作り上げる故に不純物の少ない上質な鋼になる」
ジルコンは、その言葉に、暫し思案顔になると待ってろ、と言い残し、店の裏にある工房に行く。暫くして、何か重たそうなものを抱えて戻って来た。カウンターの上に放り投げるようにそれを置けば、ゴトン、と鈍く重い音が響く。
「これはどうじゃ? この間、偶然見つけて買ったんじゃが、最高の鋼だぞ」
黒ずんだそれを撫で、一路に視線を送る。一路がこくりと頷いて鑑定をかける。暫くして、使える、と小声で教えてくれた。
「刀の製法は実に複雑で難しくて手間がかかる。とてもじゃないが今日中には教えきれない」
「ここまで言っておいて! わしのウキウキした心はどうなるんじゃ!」
厳つい爺の癖に、ウキウキとかいうジルコンは、興奮したように短い腕を振り回す。どうやら職人魂に火を点けてしまったらしい。
「俺は、ジョシュアに無理を言って時間をもらい案内をしてもらっているんだ。時間は有限じゃない」
「だが、わしだってこの未知のカタナとやらが気になるんじゃ! 是非とも作ってみたい!」
引き出したかった言葉が聞こえた瞬間、真尋は思わず口元に笑みを浮かべた。とは言っても他者から見れば分からない程度だ。ただ一路の頬が引きつっているから、彼にはこの真尋のささやかな笑みが見えてしまったようだ。
「なら、俺もきちんとこの頭の中に入っている知識と情報を纏めて、改めて来る」
「今日はどうしてもだめか?」
「駄目だ。本当に今日中には教えきれないし、間違った知識を与えたくない」
真尋がきっぱりと言い切れば、ジルコンは、ううっと唸って口をへの字に引き結んだ。
「……そもそもこのカタナの話が嘘じゃないだろうな」
「嘘など教えて何になるんだ? 俺は得にならない嘘はつかない。この剣を見た時に、ジルコンなら再現してくれると思った、だから里の大切な情報を教えたんだ。これらは本当に素晴らしい」
一路は、カウンターの上に並ぶそれらに目を向けた。どれもこれも間違いなく名品だ。芸術品と言っても差し支えないほどに美しく素晴らしい。
真尋は、にんまりと目を細める。
「…………何だか嵌められたような気がするぞ……それにやっぱり、あの最初の完璧な笑みは外面用か。口調も馬鹿丁寧だったしな」
ジルコンが、ぶつくさと文句を言った。
「戻しましょうか?」
真尋は、営業スマイルに切り替えて首を傾げた。
「やめろ! 怖い!」
ジルコンが、嫌そうに体をのけぞらせた。
「遠慮しなくてもいいんですよ、ジルコン様」
「ひぃ!」
何故かジョシュアまでちょっと怯えているし、ジョンの目をその手で塞いでいる。ジョンが「お父さん?」と首を傾げていた。
「真尋くん、すぐに人で遊ばないの!」
一路にぺしりと背を叩かれて、仕方がない、と営業スマイルを引っ込める。そうすれば、ジルコンが安心したように息を吐きだす。ジョシュアなどあからさまに肩の力を抜いた。
「だが、教えたとしても一朝一夕では出来ないだろうから、どれか一つは買わせて欲しい」
「マヒロ、おやっさんの作る武器は、一財産だ。繋ぎとして買うのはもったいないぞ?」
ジョシュアがそう言って、腰のアイテムボックスからショート・ソードを取り出した。
それを受け取り、鞘から引き抜く。剣身の長さは八十センチと言ったところだろうか。丁寧に手入れがされていて、銀色の磨き込まれた剣身に真尋の顔が映った。銀に青みがかった瞳は、何度見ても自分のものでは無い様な気がするのに見慣れた顔の中にあって違和感は無いから不思議だ。
「これもジルコン作か?」
「勿論じゃ。定期的に維持管理もわしがしておるからの、状態はいつだって最高の筈じゃ」
鞘をジョシュアに返し、真尋は彼らから離れてそれを軽く振ってみる。ジョシュアの魔力がたっぷりと染み込んでいるから、真尋の手には馴染まないが自分の魔力だったらと想像すれば、これほど手に馴染む剣は無いだろうと推測できた。
「素晴らしいな。ありがとう、ジョシュア」
剣の柄をジョシュアに向けて返す。ジョシュアは、どういたしまして、とそれを受け取り、鞘に戻す。
「そうじゃのう、わしも本命が出来たからと使われなくなるのは悲しいのう」
「そうか……確かにこれらは使わなくなったからとしまっておくには相応しくないな。ふむその辺は適当に何か考えておこう」
二人の意見は、確かに納得できるものだったのでそう提案すれば、二人も頷いてくれた。
それから一路の弓とそれに必要な装備を買った。一路は、ロング・ボウと装飾も美しいコンポジット・ボウを選んだ。一路が何のためらいもなく金貨を何枚か払っていたので、ジョシュアとジルコンは驚いていたが最終的に「マヒロとイチロだからな」というよく分からない納得をされた。これから買い物に行くなら邪魔になるだろうとジョシュアが彼のアイテムボックスに入れてくれた。
「では、ジルコン。製法を纏めたらまた近いうちに来る。宿は、暫く山猫亭に取ってあるから、用が有ったらそこに頼む」
「ああ、分かった。わしは出来るだけ純度の高い鋼を探しておく!」
わくわくした様子でジルコンが言った。これは早めにまとめなければ、宿に突撃されそうだと感じた。
「……ところで、マヒロ」
踵を返し掛けた状態で足を止めて、ジルコンに視線を向けた。
「Eランクのお前さんが本当に、レイを負かしたのか?」
よっこいせとジルコンが再びカウンターによじ登って腰掛けた。
真尋は体の向きを彼の方に戻して、首を横に振る。
「負かすも何も、勝負は途中で化け物に遮られた」
「アンナに?」
化け物で通じる辺り、皆やっぱり化け物だと思っているようだ。一路だけが「失礼でしょ」と隣で眉を寄せた。
「十八条違反だ。レイは、Eランクの真尋に剣を抜いたんだから、その時点であいつの負けだよ」
ジョシュアが答えれば、ジルコンはパイプに火を入れながら、そうか、と頷いた。
「レイは根は良い奴なんじゃが、ここ最近はちと荒れておるなぁ。あいつが持っておるクレイモアもわしの作品なんじゃが、この半年、あやつがクエストから戻ってくるたびに叩き直しておる。下手をすれば一週間に一度じゃ。わしの可愛い作品だから、早々、刃毀れするようなことは無い筈なんじゃが、あの馬鹿、どういう無茶な戦い方をしておるのか、帰ってくるたびにボロボロじゃよ」
はぁ、と紫煙交じりにため息を吐きだしてジルコンが言った。
「この間なんぞ、たった一人でフリーゲン・ドラゴンを討伐しに行きおったわ」
「なっ、何で止めなかった! そんなの死に行くようなもんじゃないか! あだっ」
ジョシュアがジルコンに詰め寄る。ジルコンは、容赦なくジョシュアの頭に拳骨を落とした。
「あいつが行く前に怒られると分かってわしの所に来るか! とんでもない無茶をしたようでわしの可愛いクレイモアにひびが入っておったわ!」
ああ可哀想に、とジルコンが項垂れる。それは間違いなく痛みで蹲るジョシュアにではなく、ひびの入ってしまった彼の可愛い作品に向けられた愛情だろう。ジョンがよしよしと蹲る父の頭を擦っている。
「わしらドワーフ族からしてみれば、人族の一生は短いが……それでもわしの人生の十分の一も生きておらんレイが歩んできた道は、随分と険しい。母親も父親も妹まで喪ってしもうての……わしなんて、まだ親父が生きておるのにな」
「ジルコンさん、お幾つなんですか?」
一路がぱちりと瞬かせて尋ねる。ジルコンは、顎髭を指で弄りながら考える様な素振りを見せた。
「確か……随分と前に三百は超えたと思ったがなぁ。三百二十……いや、三十じゃったか?」
ジルコンが首をひねるが、答えを真尋たちが知る訳もない。ジョシュアが「あんた本当に爺だったんだなぁ」と呟いて、再び拳骨を貰っていた。
この世界の人族の寿命がどれほどのものかは知らないが、ドワーフ族よりは短いのだろう。もっとも人族の寿命が高位人族である自分たちにも当てはまるのかは分からないが。
それだけの長い時を生きるというというのは、どんな心地なのだろうと真尋は漠然と思った。
「それだけの長い時を生きて、人生に飽いたりはしないのか?」
真尋の問いにジルコンは、カカッと笑って紫煙を吐きだした。
「わしらのような長命な種族は、金や宝石そのものの価値には興味を持たない。エルフ族もその限りだな……だから、わしらドワーフ族は鍛冶であるとか、宝石を使って美しい装飾品を作ることであるとか、何かを作るということに人生の価値を見出す。わしは、わしの作品を確かに売って、金を得る。金には興味がないが、そうはいっても町で生きていくには必要だし、金が無ければ鍛冶の材料も買えんし、うちの女房のあれこれも買えんからな」
ジルコンが、カウンターの上に出しっぱなしだったショート・ソードを手に取った。
「わしらドワーフ族は長い長い命を生きる。それは人族や獣人族に比べれば、気が遠くなるほどの時間じゃ。じゃからわしは、わしの可愛い作品たちを気持ち的には、貸しているのじゃ。わしの作品たちは一生を共にするに相応しいもんじゃ。だからイチロやジョシュアが支払ったのは、言わば賃貸料じゃよ。何れ、その命が尽きれば、わしにしか手入れが出来んからわしの所に戻って来るのでな」
「では、僕はジルコンさんに今日、弓をお借りした訳ですね」
「ああ、そうじゃ。わしが手塩にかけて作った可愛い可愛い我が子のようなもんじゃ。どうか大事にしてやってくれ。具合が悪くなったら、すぐにわしの所に戻って来るんじゃぞ」
ふふっと笑ったジルコンの笑みは、柔らかく温かい。ティーンクトゥスが我が子の話をしている時と、ジョシュアが家族の話をしている時と同じ笑顔だった。じんわりと胸が温かくなって、真尋は小さな笑みを口元に浮かべた。
「だから……レイの元にやった可愛いクレイモアがわしは、不憫でならん。ひびが入る姿は、刃毀れする姿は、傷つく姿は……あいつの心そのものじゃよ」
ジルコンがその笑みを苦笑に変えて肩を落とした。
ジョシュアが泣きそうな顔を誤魔化す様にジョンを抱き上げた。ジョンは、父のその様子に困ったように眉を下げて何も言わずにその首に腕を回して抱き着いた。
「なぁ、マヒロ……お前が神父だというなら、神の御心のままに平穏と安寧を祈るなら、その使命が罪を赦すことなら、せめてレイの抱える罪を導いてやってくれんか?」
真尋は、ジルコンの真っ直ぐな視線を受け止めて、ローブの上から腰のロザリオを撫でた。
「救われる気の無い人間を救うことは神にも出来ない」
「ははっ、確かにのう……」
力なく笑ってジルコンは肩を竦めた。
「だが、手を差し伸べることを諦めてはいけない。何だったら、蹲る馬鹿の腕を掴んで立ち上がらせたって良い。諦めたその瞬間に全てが終わってしまうから。我が親愛なる神は、彼の等しく愛しい我が子らにずっと手を差し伸べ続けている。その手は救うために伸ばされているんじゃない。その手を握った人を立ち上がらせて、背を押すために差し伸べられているんだ」
真尋は両手を広げて、小さく笑ってみせた。
「だから、俺達はこうして手を差し伸べ続けていよう。握り返されるまで辛抱強く待っていよう。零される心の小さな声を聞き漏らすことのないように。神の代わりにその背を撫でて、抱き締めることが俺達には出来るのだから。それはもちろん、ジョシュアにもジルコンにもジョンにも出来るんだ」
「神様は、確かに目に見えないし、触れることは叶わないけれど……神様の吐息は風となり、アーテル王国の大気を動かしています。その風は、僕らの背を押して、涙に濡れた頬を包み込み、遥か遠く、遠くへと吹き抜けていくんです。その風が吹き続ける限り、僕らは真の孤独から救われるんですよ。神様はいつだって僕らに寄り添って居てくれるんです」
一路が柔らかに笑う。
ジョシュアとジルコンは、自身の手に視線を落とした。ジョンも自分の手をじっと見つめている。
真尋は、ローブの下からロザリオを取り出して、彼らに向けて軽く掲げる。
「ティーンクトゥス神の愛しい我が子らに、今日も祝福の風が吹きますように」
ふわりとどこからともなく弱く風が吹いて、三人の髪を微かに揺らした。突然、起こった小さな奇跡にジョシュアとジルコンは、驚いたように目を瞠り、真尋とロザリオを交互に見つめる。
「神は常に、我らと共に」
真尋は、意味深な笑みを一つ零して、ロザリオにキスを一つ落とし、ローブの下へと戻した。
驚き固まったままの彼らに一路が声を掛ける。はっと我に返った大人たちは、顔を見合わせ、ジョンが「すごい!」と顔を輝かせた。
「神様って本当にいるんだね!」
ぴょんと抱き着いて来たジョンを受け止めて、金茶の髪を優しく撫でる。
「ああ、勿論。弱虫で臆病で、とても優しく愛情深い神様が、いつもジョンを見守っていてくれる」
「神様なのに弱虫なの? 変なの!」
「弱虫だけれど、誰より強い人だよ」
一路がくすぐるようにジョンのほっぺたを指先で撫でた。ジョンは、くすぐったそうに首を竦めて声を上げて笑った。
「では、そろそろ行こう」
「ジルコンさん、弓、大切にしますね!」
「ジョシュア、行くぞ。ジョン、おいで」
ジョンと手を繋ぎ、店のドアに手を掛ける。ジョシュアが「おやっさん、またな」と声を掛けて慌てて追いかけて来る。
「マヒロ」
ジルコンに呼び止められて、ドアを開け放った真尋は首だけ捻って振り返る。
「何も知らない方が、救えるもんもある。頼むぞ」
ジルコンの言葉に込められた真っ直ぐな想いが伝わって来る。
「……神の意のままに」
はいともいいえとも言えずに少しだけずるいと分かっていて返した返事にジルコンは、悪戯をする子供でも見るかのような、呆れたような柔らかな笑みを浮かべて肩を竦めた。
「それでは、また近いうちに」
「さっさと持ってくるんじゃぞ! そうでもしないと宿の部屋に押し掛けるからな!」
そう言ってジルコンは、マジじゃぞ!と声を上げて笑った。真尋たちは、ジルコンの笑い声に見送られるようにして、武器屋を後にしたのだった。
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ジルコンは、元気なおじいちゃんです。
次回は一路視点でお送りする予定です♪
次回も楽しんで頂ければ幸いです!
狭くはないが広いとも言えない店内は、真正面にやけに低めのカウンターがあって、壁という壁にはありとあらゆる種類の武器が飾られていた。一応、種類ごとには分けてあるようで、剣は剣、槍は槍、弓は弓などで分けられている。それぞれ壁際に誂えられた棚の中に並べられているものは、値段が張るもののようだ。ここから値札を見る限り、ジョシュアの言う通り、安いものから高価なものまで様々に揃っているようだ。一番安いものは無造作に樽の中に突っ込まれていたりする。
店の裏手の方から鉄を打つ音や木を切る音が賑やかに聞こえてくる少し埃っぽいような武器屋の店内は、どこか非日常的で、真尋は興味深い、と入り口に置かれた樽の中に突っ込まれていた剣を抜いてみた。樽につけられた値段を見れば「二本で銅貨五枚」と書かれている安売り品だった。刃毀れしている上に少し錆び始めていた。一路も乱雑に重ねて有った弓を手に取っていたが、弦は切れていて今にも折れそうだった。見れば値段すらないガラクタ品だった。
「おやっさん、いないのか? 工房かな? マヒロ、様子を見て来るから……」
店の奥を覗き込んだジョシュアが振り返る。だが、ジョシュアが裏の方へ行くよりも先に、裏へと繋がるドアが開いた。
「おう、ジョシュアか、久しぶりだな」
パイプをふかしながら現れたのは、真尋の腰ほどの身長のドワーフのじいさんだった。岩を荒削りしたような顔で目つきが悪い。頭頂部は剥げているが白髪の混じるグレーの髪も顎髭も口ひげもふさふさだ。
「ジルじいちゃん!」
「はっはっ、ジョンは今日も元気だなあ」
ジョンが父親の肩から降りるとドワーフのじいさんに飛びついた。ジョンと大して背丈は変わらない。じいさんは孫を可愛がる好好爺のように相好を崩してジョンの頭を撫でて、小さな背を叩く。
「またでかくなったな、ジョン」
「うん! 僕、いっぱいご飯食べるからね! すぐにお父さんみたいに大きくなるよ!」
ジョンが嬉しそうに言って胸を張る。ドワーフのじいさんは、そうかそうか、と目じりを下げてぐしゃぐしゃとジョンの頭を撫でた。
しかし、じいさんは振り返り真尋と一路を目に留めると訝しむ様に長い眉毛の下の円らな目を細めた。
「それで、こいつらが噂の神父様か?」
「噂が早いな」
ジョシュアが苦笑い交じりに言った。
「ピコロが丁度、ギルドに遣いに行ってたからな。えらく興奮した様子で帰って来たぞ。よりにもよってEランクの新人冒険者がブランレトゥ唯一のAランクの冒険者の剣を棒きれ一本で受け止めた挙句に蹴り上げりゃ、嫌でも目立つに決まってらぁな!」
ガハハ、と豪快に笑いながらドワーフのじいさんはジョンをカウンターの上に座らせると自分もカウンターの上によじ登ってその隣に腰掛けた。
心なしか一路の視線が鋭く真尋を睨んでいるような気がする。
「マヒロ、イチロ、この人はジルコン。この店の主人で裏にある工房の親方だ。おやっさん、こっちが神父のマヒロで、こっちが神父見習いのイチロだ。二人とも今日、冒険者になったばかりだ」
「初めまして、真尋といいます」
「初めまして、一路です」
真尋と一路は丁寧に頭を下げる。
ジルコンは、咥えていたパイプの煙を、ふーっと吐き出して、元から鋭い目を更に細めて鋭く尖らせる。
「こりゃまたえらい胡散臭い職業の奴が冒険者たぁ、面白れぇもんだな。……この町に何の用だ? 王都だけじゃ飽き足らずここにまで金の匂いでも嗅ぎつけたか?」
「おやっさん」
ジョシュアが眉を下げて口を挟もうとするのを真尋は手で制す。
「最初に申し上げますと、我々はティーンクトゥス教という宗派の人間で、まかり間違っても王都のパトリア教とは関係ありません。私は、我々が仕える神様の御心のままに、この国の人々の平穏と平和を祈り、時に神の御心に沿い、迷える人々を導き、抱える罪を代わりに赦す。それだけしか出来ない……逆に言えば、たったそれだけの存在です」
「僕もいずれは真尋神父のように立派な神父になりたいと励む者です」
鋭い光を宿した瞳は真尋を値踏みするように視線を寄越す。真尋は、対営業用の微笑みを浮かべてそれを真正面から受け止める。一路も隣でじっとジルコンを見つめている。
「ジルじいちゃん、マヒロお兄ちゃんもイチロお兄ちゃんも良い人だよ?」
ジョンがジルコンの服を引っ張って言った。ジルコンは、ぷっと吹き出すと、ガハハと大きな声で笑う。
「ジョンが言うなら、そういうことにしておこう! わしの眼光を前に一歩も譲らなんだのは、レイ以来じゃ! ガハハ!」
ジルコンはばしばしと自分の膝を叩いて笑いながら言った。
「ジョシュアとジョンの顔に免じて、客にしてやろう」
「光栄です」
真尋はそう返して一礼し、体を起こす。改めて店の中を見回す。好きに選べ、と言われてまずは一路の弓を選ぼうと弓が並ぶコーナーに向かう。
「一路はどうするんだ?」
「ショート・ボウにするか、ロング・ボウにするかだけど……そもそもこの洋弓は矢の番え方や位置からして和弓と違うから、練習しないとね」
一路は棚の上に掲げられたロング・ボウを見ながら言った。
真尋は、一路なら大丈夫じゃないか?と首を傾げながら、手近にあったショート・ボウを手に取った。確か、一路は夏休み、母親の母国であるイギリスに帰省した時にはイギリス人の祖父の趣味に付き合って向こうの弓にも触れている筈だ。
「クロス・ボウは?」
棚にあった横に構えるタイプのそれを手に取る。
「使えないことはないけど……使い慣れた方がいいかなって」
壁に立てかけられていたロング・ボウを手に取って、一路が言った。和弓に似ているが形状が違う。
「イチロ、そうはいってもロング・ボウは使いこなすのが難しいぞ? 引くのにかなり力がいるんだ。ショート・ボウから始めた方がいい。弓術レベルは、まだ十五で基礎値の範囲だったじゃないか」
ジョシュアが言った。
隠蔽スキルで隠してあるから仕方がないが、一路の本来の弓術のスキルレベルは、Aランクの冒険者以上である。それとスキルレベルについて、少し情報が得られたことに真尋は、幸運だ、と小さく呟いた。どうやらあのレベルは基礎値と呼ばれる範囲らしい。おそらく全体のレベルが五十前後が平均値であるようにスキルレベルも十五前後は平均値なのだろう。そこから上げていくことが難しいに違いない。
「僕、こう見えて里では一番の腕前だったんですよ?」
一路が笑いながら答える。里一番、というより国一番の腕前だったので嘘は言っていないが、ジョシュアはそれが信じ難いようだった。
「小僧。背伸びした武器は、命取りになるぞ」
面倒くさそうな顔でジルコンが煙を吐き出した。
どうやらジルコンもジョシュアの手前、自分達を客と認めただけのようだ。故に小柄でのほほんとしている一路の腕前が信じられない様だ。一路自身もこの狭い店内で腕前を見せるのは、不可能だから、どういって貰えばいいのか分からないようで困り果てている。
「僕が里で使っていた弓は、このロング・ボウより長くて、二メートル二十センチ以上あったんですよ」
一路は手に持っていた凡そ百八十センチほどのロング・ボウを軽く掲げて言った。
ジョシュアとジルコンが顔を見合わせる。
「小僧、悪いことは言わんから、そっちのショート・ボウにしておけ」
ジルコンが顎でしゃくったのは、ショート・ボウの中でもかなり短い八十センチ程度のものだった。
あ、と真尋は片手でにやけそうになった口元を隠す。
一路の目が据わっている。一路はそのロング・ボウを手にしたままその辺にあった矢を一本手に取り、店を出て行く。
「イ、イチロ?」
ジョシュアが焦ったように呼び止めるが、一路はお構いなしに店のドアを開け放ち、反対側の通りへと向かい、丁度、店の真正面の路地裏へと進んでいく。真尋は、おいで、とジョンを呼んだ。ジョンは、不思議そうに首を傾げながら真尋の元にやって来たので、危なくないように抱き上げる。
「今から良いというまで動かない方がいい」
真尋は、親切心だけでそう告げた。
ジョシュアもジルコンも首を傾げて動きを止めた。一路は路地裏の一番奥、店の入り口から二十メートルは離れた場所に居た。真尋は、両開きの店のドアを僅か十センチほどの隙間だけを残して閉めた。
一匹の鼠がどこからともなく現れてカウンターの上に登った。ジルコンはまだ気づいていない。
その時だった。
風を切る音がした一瞬後には、タァン!という軽く強い音がして、ヂヂッという鼠の断末魔が同時に響いた。
「……なっ」
ジルコンが目を見開き、ジョシュアがぽかんと口を開けて固まっている。ジルコンの咥えていたパイプがことりと落ちる。
ドアの隙間から一直線上、カウンターの後ろの柱に心臓を矢で射抜かれた憐れな鼠が縫い付けられていた。
「なっ、はっ?」
「どうだった、一路」
真尋は、店に戻って来た一路に問いかける。
「んー、イマイチだった。弦の張りが僕には弱すぎるかも。それにこれは魔力が上手く流れて行かないから、すぐに壊れるよ。相性が悪いみたい……本当は頭を射抜きたかったんだけど、」
一路は不満そうに肩を竦め、カウンターを振り返る。
「ちょっとずれちゃったね」
そう言って、一路はにっこりと笑った。
一路は、真尋と違って、随分と気の長い男なのでそうそう本気で怒ることはないが、身内を害された時と彼が心血を注いだ弓道の腕をその容姿故に軽んじられたりすると、本気で怒る。
「ジルコンさん、もっと良い物、ありますか?」
笑ったまま首を傾げて尋ねる一路にジルコンは、ぎこちなく首を縦に振ってカウンターを降り、よろよろと店の奥に引っ込んだ。
「……す、すまない、イチロ……俺はお前を見くびっていたようだ」
ジョシュアが心底申し訳なそうに言った。一路は、ぱちりと目を瞬かせた後、いいですよ、と笑う。
「謝ってくれたから許します」
ふふっと笑う一路はご機嫌に弓を棚へと戻した。ジョシュアが「でもレベル十五だよな……どういうことだ?」とぶつぶつ言いながら首をひねっている。
「今の、イチロお兄ちゃんがやったの?」
ジョンが目をキラキラと輝かせながら言った。
「ああ。一路は俺達の里で一番の弓の名手なんだ」
真尋が答えれば、ジョンは真尋から降りて一路に飛びつく。すごい、すごい、とはしゃぐジョンに一路は、少し照れくさそうに笑っている。
「……おい」
ジルコンがぶっきらぼうに一路を呼んだ。一路とジョンが一緒に顔を上げる。ジルコンが彼の身長の二倍はありそうな布に包まれた長細い物を手に戻って来た。
ジルコンはカウンターの上に持っていた布の包みを広げた。そこから出て来たのは、美しい弓だった。ジョシュアが「おやっさん?」と驚いたようにジルコンを呼んだ。
飴色に輝く弓は滑らかでしなやかで美しい。一路が、ほう、と感嘆の吐息を漏らした。
一路がそれを手に取る。長さは二メートル強といったところだろうか。一路が弓を構えて弦を引く。
「どうだ、一路。なかなかのものに見えるが……」
真尋もその弓を覗き込む。生憎と弓の良し悪しについては、流石の真尋でも分からない。一路は、弓の細部までよく観察して、顔を綻ばせる。
「うん、素晴らしい弓だよ。よく馴染んで魔力もきちんと流れるから相性も良い」
「そうか。お前が言うならそうなんだろう」
「……高いぞ。その弓は」
ジルコンが試すように言った。
「初期投資には惜しみません。お幾らですか?」
一路が躊躇いなく頷いて、金額を尋ねる。
「五十万S、青銀貨一枚だ」
「本当にそのお値段ですか? 安く見積もったりしてません? こんなに素晴らしい弓なのに……」
一路が弓を手に訝しむ様に首を傾げた。
「確かに……素人目にもこれは素晴らしい弓だ。本当に相応の値段か?」
真尋も手渡してもらった弓を見ながら眉を寄せる。
手にしたそれは、滞りなく全体に魔力が流れるようになっているからか、手に馴染み軽い。この弦が何で出来ているのか真尋には分からないが、引いてみれば強く伸びやかで、弓も良くしなる。これは間違いなく名工が作ったというに相応しい逸品だ。
ジルコンは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。そして、数秒の間を置いて、ガハハ、と大きな声で笑い出す。
「ガハハ! 気に入った! 気に入ったぞ! これの価値を正しく理解するとは!」
よいしょ、とカウンターに上ったジルコンが、ぐしゃぐしゃと一路の頭を撫でまわす。一路が、わっと声を上げるがお構いなしだ。その洗礼は御免被りたかったので、真尋は一歩下がって逃げる。
「その弓は、本当は金貨一枚の価値がある」
「やっぱり。でもなんで、安く見積もったんですか? ふつう逆でしょう?」
一路がぐしゃぐしゃになった髪を直しながら首を傾げる。真尋は、ジルコンがカウンターに座ったので彼の元に戻り、一路の髪を直すのを手伝ってやりながら、答えを待つ。
「わしは、わしの作ったものに誇りを持っておる。店に並んでおるのは、わしの弟子共が作ったもので、わしの作品は全て奥にしまってある。いや、隠してあるんじゃ」
「何故だ?」
真尋の問いにジルコンが、貸してみろ、と手を伸ばすので弓を彼に渡す。
「わしは、超一流の職人じゃ。自分で言うぞ、何せわしはそのために努力を惜しんだことは一度だってないからな! だが……そんな才能豊かなわしの作る武器はな、強すぎるんじゃ」
そう言って、ジルコンは「おい! ピコロ!」と弟子を呼んだ。裏方から慌てたように飛び出してきたのは、二十そこそこの青年だった。彼はどうやら人族の様で真尋と同じくらいの背丈だが、鍛冶で鍛えられているのか頑丈そうな体つきをしている。
「へい、何でしょう!」
「ちょいとこれを引いてみろ」
「へ?」
「いいから早くしろぃ!」
親方に怒鳴られた憐れな弟子は、慌てて弓を受け取り構えた。だが筋肉質なその腕がどれだけ血管を浮かせようと弦はびくりともしない。思わず真尋と一路は顔を見合わせた。先ほど引かせてもらった時には、あんなことは無かった。
「分かるか? 普通は引けんのじゃ」
「はぁ」
一路が何とも間抜けな相槌を打つ。
ジルコンは、戻っていいぞ、と声をかけて弟子から弓を受け取る。弟子は、ぺこりと頭を下げて店を後にする。
「剣も槍も弓もわしの作るものは全て、見合った実力が無ければ扱えない少々厄介な性質を持っておる。だから、例えわしの弟子でも……おい、ジョシュア」
ジョシュアがジルコンに言われて弓を手に取り引こうとするが弦はびくりともしない。
「元Aランクのジョシュアであっても、こやつはわしの剣を使うことは出来ても、弓は使えんのだ。その辺の弓ならある程度使いこなすがな」
「イチロはともかく、マヒロまで引けるなんて凄いなぁ。弓術のスキルは持っていなかったよな?」
ジョシュアが弓をジルコンに返しながら首を傾げる。
「一路に付き合って、弓の練習はしていたからその所為かもな」
真尋は、あっけらかんと答える。
「それにわしは、例え使いこなせる実力を持っていても、いけ好かない奴には売らん。そういうやつには値段をふっかけて諦めさせるんじゃ。わしの作品たちがもし凶器になってしまったら、とんでもない悲劇を起こしかねんからな」
そう言ってジルコンは、肩を竦めた。
「僕は、ジルコンさんのお眼鏡に敵ったということですか?」
一路が嬉しそうに問えば、ジルコンは、そうじゃ、と此方も嬉しそうに顔を綻ばせた。ごつく厳しい顔がちょっと優しくなった気がする。
「ありがとうございます!」
「わしの作品を久しぶりに託せるんじゃ、嬉しいのう! よーし、特別に店には出さん装備もいいものを出してきてやるし、マヒロの剣も見繕ってやろう」
「わあ、ありがとうございます」
一路がにこにこしながらお礼を言った。ジルコンは、ふんふんと嬉しそうに鼻を鳴らす。鼻息が荒いのかと思ったら、鼻歌らしい。
ジルコンはカウンターから降りるとまた店の奥に行って、あれこれもと抱えて戻って来る。
「マヒロは、どんな剣が良いんじゃ? ショート・ソード系か? クレイモア系か? それとも変わり種の……」
ジルコンが次々に取り出すのは、向こうの世界の西洋で使われていたようなタイプの剣ばかりだ。残念なことに日本刀は無い。
真尋は、近くに有ったショート・ソードを手に取る。無論、この剣も見た目だけではなく剣の秘める実力も素晴らしいものだと分かる。そこの棚に飾られているものが玩具に見える程だ。
だがしかし、である。
「すまないが……ここには俺の求めていた剣は無いかもしれない」
「どういうことじゃ? わしのじゃ不満か?」
ジルコンがあからさまに不愉快そうに眉を寄せる。一路たちが驚いたように真尋を振り返る。
「ジルコンを馬鹿にしている訳でも、ジルコンの腕を疑っている訳でもない」
「じゃあ何が不満なんじゃ」
「俺は、刀、と呼ばれる類の剣が欲しいんだ。俺達の故郷で最も馴染みのある剣だ」
「カタナ? それは何じゃ?」
ジルコンの目がきらりと光る。それは、玩具を見つけた子供の様な、無邪気で純粋な好奇心の輝きだ。
「何か書くものはあるか? 出来れば、大き目の用紙がいいんだが」
「あるぞ!」
ジルコンがいそいそとカウンターの下から紙と羽ペンを取り出した。真尋は礼を言ってそれを受け取り、ジルコンが雑に品を退けて出来たスペースに紙を広げて、そこに日本刀の絵をかく。鞘と刀は別にして、細かい名称も書き込めるように大きめに書く。
「種類は幾つもあるんだが、俺が欲しいのは、一般的に「打刀」と呼ばれる刀だ。俺達の故郷で遠い昔に生まれた刀だ」
真尋は、さらさらと絵を描いて行く。
「……真尋くん、そういえば美術の成績も良かったもんなぁ」
一路が真尋の手元を覗き込みながらぼやく。ジョンが「上手だね」と褒めてくれたので、頭を撫でておく。ジョシュアも興味津々と言った様子で覗き込んでくる。
「ふむ、形でいえば、サーベルに似ておるかの?」
「サーベルは騎乗用だが、これもそうなのか?」
二人が投げて来る問いに、細かい部位の名称を書き入れながら答える。
「いいや、騎乗用ではない。普通に地上で戦う用だ。こちらは鞘で、腰に差してこの刀は持ち歩くんだがその時、鞘から抜きやすいように刀身は中央でもっとも沿った形をしている。長さによって名称も変わるが、あまりに長すぎると不便だな」
「鞘ごと抜く訳ではないから、腕より長ければ抜けんということじゃな」
「その通りだ。刀は、折れず、曲がらず、良く斬れる、という三つの要素を兼ね備えている。刀は斬ることに特化した武器だ。玉鋼と呼ばれる良質な鋼を原料にしている」
「タマハガネ、聞いたことがないの」
「砂鉄は分かるか?」
「あの地面の中にあって磁石石にくっつく鉄の粉じゃろ?」
ジルコンが答える。
「そう、それだ。玉鋼の原料は、その砂鉄だ。砂鉄を集めて作り上げる故に不純物の少ない上質な鋼になる」
ジルコンは、その言葉に、暫し思案顔になると待ってろ、と言い残し、店の裏にある工房に行く。暫くして、何か重たそうなものを抱えて戻って来た。カウンターの上に放り投げるようにそれを置けば、ゴトン、と鈍く重い音が響く。
「これはどうじゃ? この間、偶然見つけて買ったんじゃが、最高の鋼だぞ」
黒ずんだそれを撫で、一路に視線を送る。一路がこくりと頷いて鑑定をかける。暫くして、使える、と小声で教えてくれた。
「刀の製法は実に複雑で難しくて手間がかかる。とてもじゃないが今日中には教えきれない」
「ここまで言っておいて! わしのウキウキした心はどうなるんじゃ!」
厳つい爺の癖に、ウキウキとかいうジルコンは、興奮したように短い腕を振り回す。どうやら職人魂に火を点けてしまったらしい。
「俺は、ジョシュアに無理を言って時間をもらい案内をしてもらっているんだ。時間は有限じゃない」
「だが、わしだってこの未知のカタナとやらが気になるんじゃ! 是非とも作ってみたい!」
引き出したかった言葉が聞こえた瞬間、真尋は思わず口元に笑みを浮かべた。とは言っても他者から見れば分からない程度だ。ただ一路の頬が引きつっているから、彼にはこの真尋のささやかな笑みが見えてしまったようだ。
「なら、俺もきちんとこの頭の中に入っている知識と情報を纏めて、改めて来る」
「今日はどうしてもだめか?」
「駄目だ。本当に今日中には教えきれないし、間違った知識を与えたくない」
真尋がきっぱりと言い切れば、ジルコンは、ううっと唸って口をへの字に引き結んだ。
「……そもそもこのカタナの話が嘘じゃないだろうな」
「嘘など教えて何になるんだ? 俺は得にならない嘘はつかない。この剣を見た時に、ジルコンなら再現してくれると思った、だから里の大切な情報を教えたんだ。これらは本当に素晴らしい」
一路は、カウンターの上に並ぶそれらに目を向けた。どれもこれも間違いなく名品だ。芸術品と言っても差し支えないほどに美しく素晴らしい。
真尋は、にんまりと目を細める。
「…………何だか嵌められたような気がするぞ……それにやっぱり、あの最初の完璧な笑みは外面用か。口調も馬鹿丁寧だったしな」
ジルコンが、ぶつくさと文句を言った。
「戻しましょうか?」
真尋は、営業スマイルに切り替えて首を傾げた。
「やめろ! 怖い!」
ジルコンが、嫌そうに体をのけぞらせた。
「遠慮しなくてもいいんですよ、ジルコン様」
「ひぃ!」
何故かジョシュアまでちょっと怯えているし、ジョンの目をその手で塞いでいる。ジョンが「お父さん?」と首を傾げていた。
「真尋くん、すぐに人で遊ばないの!」
一路にぺしりと背を叩かれて、仕方がない、と営業スマイルを引っ込める。そうすれば、ジルコンが安心したように息を吐きだす。ジョシュアなどあからさまに肩の力を抜いた。
「だが、教えたとしても一朝一夕では出来ないだろうから、どれか一つは買わせて欲しい」
「マヒロ、おやっさんの作る武器は、一財産だ。繋ぎとして買うのはもったいないぞ?」
ジョシュアがそう言って、腰のアイテムボックスからショート・ソードを取り出した。
それを受け取り、鞘から引き抜く。剣身の長さは八十センチと言ったところだろうか。丁寧に手入れがされていて、銀色の磨き込まれた剣身に真尋の顔が映った。銀に青みがかった瞳は、何度見ても自分のものでは無い様な気がするのに見慣れた顔の中にあって違和感は無いから不思議だ。
「これもジルコン作か?」
「勿論じゃ。定期的に維持管理もわしがしておるからの、状態はいつだって最高の筈じゃ」
鞘をジョシュアに返し、真尋は彼らから離れてそれを軽く振ってみる。ジョシュアの魔力がたっぷりと染み込んでいるから、真尋の手には馴染まないが自分の魔力だったらと想像すれば、これほど手に馴染む剣は無いだろうと推測できた。
「素晴らしいな。ありがとう、ジョシュア」
剣の柄をジョシュアに向けて返す。ジョシュアは、どういたしまして、とそれを受け取り、鞘に戻す。
「そうじゃのう、わしも本命が出来たからと使われなくなるのは悲しいのう」
「そうか……確かにこれらは使わなくなったからとしまっておくには相応しくないな。ふむその辺は適当に何か考えておこう」
二人の意見は、確かに納得できるものだったのでそう提案すれば、二人も頷いてくれた。
それから一路の弓とそれに必要な装備を買った。一路は、ロング・ボウと装飾も美しいコンポジット・ボウを選んだ。一路が何のためらいもなく金貨を何枚か払っていたので、ジョシュアとジルコンは驚いていたが最終的に「マヒロとイチロだからな」というよく分からない納得をされた。これから買い物に行くなら邪魔になるだろうとジョシュアが彼のアイテムボックスに入れてくれた。
「では、ジルコン。製法を纏めたらまた近いうちに来る。宿は、暫く山猫亭に取ってあるから、用が有ったらそこに頼む」
「ああ、分かった。わしは出来るだけ純度の高い鋼を探しておく!」
わくわくした様子でジルコンが言った。これは早めにまとめなければ、宿に突撃されそうだと感じた。
「……ところで、マヒロ」
踵を返し掛けた状態で足を止めて、ジルコンに視線を向けた。
「Eランクのお前さんが本当に、レイを負かしたのか?」
よっこいせとジルコンが再びカウンターによじ登って腰掛けた。
真尋は体の向きを彼の方に戻して、首を横に振る。
「負かすも何も、勝負は途中で化け物に遮られた」
「アンナに?」
化け物で通じる辺り、皆やっぱり化け物だと思っているようだ。一路だけが「失礼でしょ」と隣で眉を寄せた。
「十八条違反だ。レイは、Eランクの真尋に剣を抜いたんだから、その時点であいつの負けだよ」
ジョシュアが答えれば、ジルコンはパイプに火を入れながら、そうか、と頷いた。
「レイは根は良い奴なんじゃが、ここ最近はちと荒れておるなぁ。あいつが持っておるクレイモアもわしの作品なんじゃが、この半年、あやつがクエストから戻ってくるたびに叩き直しておる。下手をすれば一週間に一度じゃ。わしの可愛い作品だから、早々、刃毀れするようなことは無い筈なんじゃが、あの馬鹿、どういう無茶な戦い方をしておるのか、帰ってくるたびにボロボロじゃよ」
はぁ、と紫煙交じりにため息を吐きだしてジルコンが言った。
「この間なんぞ、たった一人でフリーゲン・ドラゴンを討伐しに行きおったわ」
「なっ、何で止めなかった! そんなの死に行くようなもんじゃないか! あだっ」
ジョシュアがジルコンに詰め寄る。ジルコンは、容赦なくジョシュアの頭に拳骨を落とした。
「あいつが行く前に怒られると分かってわしの所に来るか! とんでもない無茶をしたようでわしの可愛いクレイモアにひびが入っておったわ!」
ああ可哀想に、とジルコンが項垂れる。それは間違いなく痛みで蹲るジョシュアにではなく、ひびの入ってしまった彼の可愛い作品に向けられた愛情だろう。ジョンがよしよしと蹲る父の頭を擦っている。
「わしらドワーフ族からしてみれば、人族の一生は短いが……それでもわしの人生の十分の一も生きておらんレイが歩んできた道は、随分と険しい。母親も父親も妹まで喪ってしもうての……わしなんて、まだ親父が生きておるのにな」
「ジルコンさん、お幾つなんですか?」
一路がぱちりと瞬かせて尋ねる。ジルコンは、顎髭を指で弄りながら考える様な素振りを見せた。
「確か……随分と前に三百は超えたと思ったがなぁ。三百二十……いや、三十じゃったか?」
ジルコンが首をひねるが、答えを真尋たちが知る訳もない。ジョシュアが「あんた本当に爺だったんだなぁ」と呟いて、再び拳骨を貰っていた。
この世界の人族の寿命がどれほどのものかは知らないが、ドワーフ族よりは短いのだろう。もっとも人族の寿命が高位人族である自分たちにも当てはまるのかは分からないが。
それだけの長い時を生きるというというのは、どんな心地なのだろうと真尋は漠然と思った。
「それだけの長い時を生きて、人生に飽いたりはしないのか?」
真尋の問いにジルコンは、カカッと笑って紫煙を吐きだした。
「わしらのような長命な種族は、金や宝石そのものの価値には興味を持たない。エルフ族もその限りだな……だから、わしらドワーフ族は鍛冶であるとか、宝石を使って美しい装飾品を作ることであるとか、何かを作るということに人生の価値を見出す。わしは、わしの作品を確かに売って、金を得る。金には興味がないが、そうはいっても町で生きていくには必要だし、金が無ければ鍛冶の材料も買えんし、うちの女房のあれこれも買えんからな」
ジルコンが、カウンターの上に出しっぱなしだったショート・ソードを手に取った。
「わしらドワーフ族は長い長い命を生きる。それは人族や獣人族に比べれば、気が遠くなるほどの時間じゃ。じゃからわしは、わしの可愛い作品たちを気持ち的には、貸しているのじゃ。わしの作品たちは一生を共にするに相応しいもんじゃ。だからイチロやジョシュアが支払ったのは、言わば賃貸料じゃよ。何れ、その命が尽きれば、わしにしか手入れが出来んからわしの所に戻って来るのでな」
「では、僕はジルコンさんに今日、弓をお借りした訳ですね」
「ああ、そうじゃ。わしが手塩にかけて作った可愛い可愛い我が子のようなもんじゃ。どうか大事にしてやってくれ。具合が悪くなったら、すぐにわしの所に戻って来るんじゃぞ」
ふふっと笑ったジルコンの笑みは、柔らかく温かい。ティーンクトゥスが我が子の話をしている時と、ジョシュアが家族の話をしている時と同じ笑顔だった。じんわりと胸が温かくなって、真尋は小さな笑みを口元に浮かべた。
「だから……レイの元にやった可愛いクレイモアがわしは、不憫でならん。ひびが入る姿は、刃毀れする姿は、傷つく姿は……あいつの心そのものじゃよ」
ジルコンがその笑みを苦笑に変えて肩を落とした。
ジョシュアが泣きそうな顔を誤魔化す様にジョンを抱き上げた。ジョンは、父のその様子に困ったように眉を下げて何も言わずにその首に腕を回して抱き着いた。
「なぁ、マヒロ……お前が神父だというなら、神の御心のままに平穏と安寧を祈るなら、その使命が罪を赦すことなら、せめてレイの抱える罪を導いてやってくれんか?」
真尋は、ジルコンの真っ直ぐな視線を受け止めて、ローブの上から腰のロザリオを撫でた。
「救われる気の無い人間を救うことは神にも出来ない」
「ははっ、確かにのう……」
力なく笑ってジルコンは肩を竦めた。
「だが、手を差し伸べることを諦めてはいけない。何だったら、蹲る馬鹿の腕を掴んで立ち上がらせたって良い。諦めたその瞬間に全てが終わってしまうから。我が親愛なる神は、彼の等しく愛しい我が子らにずっと手を差し伸べ続けている。その手は救うために伸ばされているんじゃない。その手を握った人を立ち上がらせて、背を押すために差し伸べられているんだ」
真尋は両手を広げて、小さく笑ってみせた。
「だから、俺達はこうして手を差し伸べ続けていよう。握り返されるまで辛抱強く待っていよう。零される心の小さな声を聞き漏らすことのないように。神の代わりにその背を撫でて、抱き締めることが俺達には出来るのだから。それはもちろん、ジョシュアにもジルコンにもジョンにも出来るんだ」
「神様は、確かに目に見えないし、触れることは叶わないけれど……神様の吐息は風となり、アーテル王国の大気を動かしています。その風は、僕らの背を押して、涙に濡れた頬を包み込み、遥か遠く、遠くへと吹き抜けていくんです。その風が吹き続ける限り、僕らは真の孤独から救われるんですよ。神様はいつだって僕らに寄り添って居てくれるんです」
一路が柔らかに笑う。
ジョシュアとジルコンは、自身の手に視線を落とした。ジョンも自分の手をじっと見つめている。
真尋は、ローブの下からロザリオを取り出して、彼らに向けて軽く掲げる。
「ティーンクトゥス神の愛しい我が子らに、今日も祝福の風が吹きますように」
ふわりとどこからともなく弱く風が吹いて、三人の髪を微かに揺らした。突然、起こった小さな奇跡にジョシュアとジルコンは、驚いたように目を瞠り、真尋とロザリオを交互に見つめる。
「神は常に、我らと共に」
真尋は、意味深な笑みを一つ零して、ロザリオにキスを一つ落とし、ローブの下へと戻した。
驚き固まったままの彼らに一路が声を掛ける。はっと我に返った大人たちは、顔を見合わせ、ジョンが「すごい!」と顔を輝かせた。
「神様って本当にいるんだね!」
ぴょんと抱き着いて来たジョンを受け止めて、金茶の髪を優しく撫でる。
「ああ、勿論。弱虫で臆病で、とても優しく愛情深い神様が、いつもジョンを見守っていてくれる」
「神様なのに弱虫なの? 変なの!」
「弱虫だけれど、誰より強い人だよ」
一路がくすぐるようにジョンのほっぺたを指先で撫でた。ジョンは、くすぐったそうに首を竦めて声を上げて笑った。
「では、そろそろ行こう」
「ジルコンさん、弓、大切にしますね!」
「ジョシュア、行くぞ。ジョン、おいで」
ジョンと手を繋ぎ、店のドアに手を掛ける。ジョシュアが「おやっさん、またな」と声を掛けて慌てて追いかけて来る。
「マヒロ」
ジルコンに呼び止められて、ドアを開け放った真尋は首だけ捻って振り返る。
「何も知らない方が、救えるもんもある。頼むぞ」
ジルコンの言葉に込められた真っ直ぐな想いが伝わって来る。
「……神の意のままに」
はいともいいえとも言えずに少しだけずるいと分かっていて返した返事にジルコンは、悪戯をする子供でも見るかのような、呆れたような柔らかな笑みを浮かべて肩を竦めた。
「それでは、また近いうちに」
「さっさと持ってくるんじゃぞ! そうでもしないと宿の部屋に押し掛けるからな!」
そう言ってジルコンは、マジじゃぞ!と声を上げて笑った。真尋たちは、ジルコンの笑い声に見送られるようにして、武器屋を後にしたのだった。
ーーーーーーーーーーーーー
ここまで読んで下さって、ありがとうございます!
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ジルコンは、元気なおじいちゃんです。
次回は一路視点でお送りする予定です♪
次回も楽しんで頂ければ幸いです!
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