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本編 2
第十三話 付き合ってあげる男
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「マヒロの、よめ?」
騎士団にギルマス経由で呼び出されたジョシュアは、頭を抱えるウォルフレッドと遠くを見つめるアンナに答えを求めるが、二人は一向にジョシュアを振り返ってくれない。
キャサリンだけが淡々と事情を説明してくれて、兎に角、ウォルフがジョシュアの息子であるジョンを伴い訪れた泉で見つけたのは、魔獣でも魔物でもインサニアでもなく、まさかのマヒロの嫁とその御一行だという。
「ついでにドラゴンの幼獣が一匹ね」
キャサリンがこともなげに付け足した一言にジョシュアは、今度こそ開いた口が塞がらなかった。
マヒロの嫁というだけでも衝撃が大きいのに、更にドラゴンとはどういうことだろう。まさかカロル村周辺に起こっていた異常の原因がそのドラゴンだとでも言うのだろうか。
キャサリンは、ウォルフが書いたのであろう報告書に目を落としたまま先を続ける。
「報告書によれば、そのドラゴンは絶滅種だと考えられていたSSランクの希少種、ブラー種のニーファフト・ドラゴンの可能性があるそうよ。詳しく調べた結果、ドラゴン自体はマヒロ神父さんの奥様と従魔契約を結んでいるから周囲に危害を加えるようなことはないそうよ。なんでも奥様が森で発見して、茹でてみたところ羽化したんですって」
「茹でたのか? え? ドラゴンの卵を?」
キャサリンの怜悧な美貌が振り返る。銀縁の眼鏡をくいっと押し上げて、ええ、と頷く。
「報告書にはそう書いてあるは。生で食べるのは危険と判断して茹でたそうよ。しかも丁度いい大きさの鍋が無かったから、ウォーターボールを作ってその中に卵を閉じ込めて、加温魔法をかけた上で風魔法で包み込んで泉の中に沈めておいたんですって」
「三つの属性を同時に……? マヒロの嫁だからか?」
「一応、職業は神父の嫁兼修道女らしいけれど……その辺は詳しくは書かれていないわね。それで、ええっと……そう、同行者が他に四人いるそうよ。全員、男性。一人は見習いくんのお兄さん、双子の男の子、貴女の息子と同い年だそうよ。その子たちは、マヒロ神父さんの実の弟だそうよ」
「ああ、聞いたことがある。ジョンと同じくらいの年ごろで双子の弟がいるって。確か、マチとマサキって名前だったかな」
キャサリンが、少しだけ目を瞠り報告書に視線を戻し、捲ったり戻したりして目当ての項目を見つけたようだ。
「ええ、正解だわ、奥様の名前はご存知?」
「姿絵は見せてもらったことはないが、名前なら知ってるぞ。ユキノだ」
「正解。もう一人はご存知かしら……ええっと彼はマヒロ神父さん夫妻に仕える執事だそうよ。獣人族で犬系らしいわ」
「いいや、でも……家には執事がいたってのは聞いたことがある。かなり癖のある執事だが優秀だとは言っていたけどな」
「そうなの? 執事さんは不明、と……それでその五名が泉で発見されたそうよ。今はカロル村に移動して滞在してもらっているけれど……。奥様のお体のことがあるから執事さんと見習い君のお兄さんのカイトさんが移動するにしても最低三日は村で体を慣らしたいって言ってるわ」
「それがいいだろうな。マヒロもよく心配していたし……だが、彼女たちが本物だという証はあるのか? マヒロがいれば一瞬で解決するがあいつは今現在、ここにいないし、イチロもいないしな」
「問題はそれなんだよ」
頭を抱えていたウィルフレッドが顔を上げる。心なしか一昨日会った時よりも老け込んでいる気がする。数日前に兄のジークフリートが無事に帰還したとはいえ、奥様はまだうちにいるし、領主様は会いにも来ないので悩みも多いのだろう。
「ウォルフの判断でカロル村にとどまってもらってはいるが、もし本物だとすれば下手な扱いをすれば俺の胃が破裂しかねん」
「今既に破裂しそうじゃない」
アンナが乾いた笑いを零す。
「何でこう面倒事が同時に起こるんだっ! あと二週間来訪が早いか一か月くらい遅ければ何の問題もなくマヒロ神父殿と再会できたろうに……」
「まあそうなんだが、そうは言っても起こっちまったもんはしょうがないだろ? それよりどうするんだ? 偽物か本物か判断できない今、アマーリア様がいる屋敷に迎え入れる訳には、そもそも町に入れるのか? ……あ、その前にミアとサヴィラが」
口に出せば出すほどあれこれ問題点が湧き上がって来る。
偽物だったとして、ドラゴンを連れている怪しい集団を町に入れるなんて考えたくもない。幼獣であるというならジョシュアとレイ、ウォルフやアンナ、ウィルフレッドといった精鋭で挑めばSSランクのドラゴンにも勝てるかもしれないが、あのマヒロの嫁とイチロの兄という時点で魔法や武術の腕前がとんでもない数値を叩きだして居そうなので、ナルキーサスもマヒロもイチロも居ない今、圧倒的にこちらが不利なのだ。それに偽物がマヒロの命であるミアとサヴィラを狙っていたとしたら、下手に会わせたらどうなってしまうのだろう。
「というか俺の息子は無事なのか?」
「双子くんと親友になったそうよ。シラに似て人懐こい子よねぇ。はい、お手紙」
キャサリンが封筒を三通、差し出した。それを受け取りひっくり返せば、見慣れた息子の文字が「僕の大好きな家族へ」と宛名を綴っていた。もう一通は義母からプリシラへ宛てたもの、もう一通は息子がミアに宛てたものだったのでこの二通はアイテムボックスにいれておく。息子からの手紙を封を切って中身を取り出すとこんなことがあったよと楽しそうに踊る文字が近況を綴っている。
「ランが試した限りだと、隠蔽を疑ったけど姿かたちに隠蔽解除を掛けても弾かれることもないし、かといって解除されるわけでもないから姿形は本物らしいわ。ステータスは「司祭様にマヒロさんに確認してもらってから他所の人に見せなさいと言われているのですけれど、見ますか?」と聞かれて泣いて固辞したって」
「俺も自分可愛さにマヒロの本物のステータスを見るのを固辞したことがあるからなんも言えないな」
「それにカイトさんは、マヒロさん同様神父様で、あのロザリオと同じものを持っているそうよ。でも、ジョンくんしかこのユキノさんの顔を知らないから判断材料がないのよね。他にユキノさんの見目について知っているのは?」
「あー。リックとエディ以外の男だとサヴィラとか孤児院の子どもたちなら知ってると思う。女性に対してはナルキーサス様以外は誰でも見せて貰えたみたいだから、シラも知ってるし、ティナとかローサ、ソニアも知ってると思うぞ。ああ、それとイチロの兄だったら俺も姿絵を見たことがあるが……もしかしたらティナが姿絵の在り処を知ってるかもな。マヒロがイチロに頼まれて描いたんだ。とはいえ、ユキノについて一番詳しいのはやっぱりミアとサヴィラなんだがな。俺の記憶している限りだと、種族については何も言っていなかったが……」
「本物だと判断したとして勝手に会わせていいものかしら? 一応、ウォルフの配慮でまだミアとサヴィラの存在については奥様には伝えていないようだけれど」
「……というか、嫁さんはともかく弟たちまで? 親は? ジョンと同じって言えばまだ八歳かそこらだろ?」
ウィルフレッドが不思議そうに首を傾げた。アンナとキャサリンが、そういえばそうね。と同じように首を傾げる。
「あー…マヒロは親とあんまり上手くいってないらしいから、それと関係があるのかもな」
答えながらジョンの手紙を封筒に戻す。マチとマサキは、マヒロによく似ているらしい。というか真尋に似ているということはかなり顔の良い子どもたちなのだろうな、とどうでもいい感想を抱いた。ジョシュアが思っているより思考が現実から逃げようとしている。
「ご両親と? じゃあ、生きてない訳じゃないのか?」
「生きてるぞ。親も置いて来たって言ってたからな。愛していない訳じゃないんだろうが、あいつの中での優先順位はミアとサヴィラ、嫁さん達に比べたら低いとは思うぞ。下手をすると俺の息子より低いかも知れない……とくに父親の方と上手くいってなかったらしい」
「何だか意外ねぇ。神父さん、確かに冷たい面もあるけど親馬鹿で子煩悩なパパの印象が強いから」
アンナが言った。
「愛情深い男なのは嘘じゃないさ。それで話を戻すが……どうするんだ?」
「どうしようか」
ウィルフレッドが煙草に火を点けながら椅子に沈みこむ。ぎしぎしと椅子が音を立てたが大丈夫だろうか。
「…………孤児院に滞在してもらう?」
アンナが徐に言った。
「孤児院に?」
「ええ。あそこも神父さんがあれこれしたからこの町でもあのお屋敷に次いで防衛的な意味ではレベルが高いのよ。神父様もアマーリア様のことがある以上、あたしたちでは真偽がはっきりしない人たちを屋敷に入れなかったとしても怒りはしないと思うの。あの人は家族愛は強いけれど、盲目的なお馬鹿さんじゃないもの。他の宿屋よりは絶対安全よ。お目付け役としてソニアやサンドロがいれば心強いしね。ジョシュアの奥さんはそれでなくとも負担をかけっぱなしだから、分散した方がいいと思うのよ」
「良い案だとは思うが、親切な俺からの助言としては、男共は全員宿屋を別に移した方がいい。トマス先生はじいさんだし、愛妻家だし、そもそも治癒術師だから許してもらえると思うが……その線で行くとウォルフとか、マッド、ジェームズは平気だな。愛妻家で浮気の心配がないから。それ以外の男は止めた方がいい。マヒロはなミアの彼氏と奥さんのことに関しては、その辺の水たまりより心が浅くブレッドの額より狭くなるんだ」
ウィルフレッドは心当たりがあり過ぎるのだろう。遠い目をして、ふっと儚く笑った。レオンハルトがミアを憎からず思っていることに対してマヒロ本人に釘を刺された、いや、打ち付けられたらしい。
「……仕方ない、隣の山猫亭に移ってもらおう。そうと決まれば、アンナ、ソニアとサンドロに事情を説明しておいてくれ」
「りょーかい。キャシー、手配をお願いできるかしら?」
「もちろんよ、アンナ。ところで、団長さん、レベリオ子爵はどうしたんです? 姿が見えない様だけど」
そういえばいつも影のように傍に控えているレベリオの姿がない。ジョシュアが来たときにはいなかったので、仕事でどこかの部署にでも行っているのかとも思ったが、こんな大事な話にウィルフレッドが彼を同席させないというのは考えにくい。
「今日は遅出にしたんだ」
「あら、風邪でもお召しになられたの?」
「……あー……思った以上にナルキーサスが自分の痕跡を消してしまっていることを日々、自覚した結果、昨夜、私の家で飲んだくれて潰れてな。私の家の客間に居る」
紫煙を吐きだしながらウィルフレッドが苦笑を零す。
「アルトゥロが「義姉上の仕事は何もかも完璧に引き継ぎ書が制作されてましたぁ」って半泣きで数日前にここへ来てな。レベリオが慌てて家に帰ったら部屋には何もなくなっていて、魔導院の彼女の部屋もすっからかんで、命と同じだけ大事にしていた彼女の骨と石膏像コレクションも跡形もなくなくなっていたらしい。魔導院の部下に聞けば、三週間ほど前にナルキーサスがマヒロに頼んで大容量のアイテムボックスを特別に作ってもらって、これでいつでも一緒だと言っていたと」
「……うわぁ……計画的犯行じゃないの」
アンナが頬を引き攣らせ、ナルキーサスの友人であるキャサリンは、やれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
レベリオはどうやらマヒロの手紙を貰ったあの日からまだ打開策が見つけられないでいるらしい。打開策を見つけようにも本人ははるか遠い地に旅立ってしまっているから余計に彼の中で色んなものが拗れているのだろう。
ウィルフレッドに話を聞いてやって欲しいとは言われていたが、何分、護衛対象が対象なだけにジョシュア自身の自由が大分制限されてしまっていて、レベリオが多忙なことも相まって話をするどころか顔を合わせることすらなかったのだ。
「エルフ族は愛情深い種族なんです。人族のように番う相手を変えることはありません。余程の理由がない限り、離縁とは無縁の種族です」
「でも、レベリオとアルトゥロは四分の一しか血を引いていないし、ナルキーサスもハーフエルフだろう?」
キャサリンの言葉にウィルフレッドが首を傾げる。
「長命故に共に生きる相手を厳しく吟味するのが私たちです。エルフの血が色濃く出ている彼らもそれは同じですよ。レベリオ子爵もアルトゥロ院長も養子に老いは見られませんし、エルフ族ほどではないにしろ長命でしょう。キースは言わずもがなですが」
キャサリンは表情一つ変えず淡々と告げる。
「厳しく吟味はしますが、それでも出会ってしまえば呆気無く恋に落ちてしまうのです。本能が好きだと告げるのです。この感覚は一部の獣人族にも見られますし、私たちと近い種族である妖精族にも見られる傾向です。キースはエルフ族と妖精族の間に生まれた子。変人ですが、愛情深く誇り高いエルフ族の血を色濃く受け継いでいます。そのキースが離縁したいと言うんですから、余程のことですよ。レベリオ子爵は潔く離縁してあげるのが一番です」
「私はそうは思わないぞ」
ウィルフレッドがやけにきっぱりと言い切った。群青の瞳が真っ直ぐにキャサリンを見ている。
「……キースは、多分、本当はレベリオから離れたくないんだ。でも、どうしてもそれを言えない理由があって、レベリオから別れを告げて欲しいんだ」
吐き出された紫煙が書類の山に当たって、ほろほろと砕けるように消えていく。
キャサリンがその言葉に銀縁眼鏡の向こうの瞳を僅かに細めた。
「……レベリオが、子爵なんて爵位を持っていなければ、もしかしたらこんなことにはならなかったかもしれないけどな」
紫煙の中に隠すように小さな声で囁いてウィルフレッドは悲しそうに目を伏せた。
もしかしたら子どもの問題だろうか、となんとなくジョシュアは気付いた。二人の間には子どもはいない。エルフ族は長命故に授かりにくいとはいうが夫婦になって約二十年は経っている筈だ。ジョシュアとプリシラは子宝に恵まれ、既に三人目が産まれんとしているがプリシラの母はプリシラしか子供を授かることが出来なかったからか、結婚当時はとてもとても心配してくれていた。村の後継ぎとなる男児を産めなかったことで詳しくは知らないが色々とあったらしい。ジョンが産まれた時、誰より喜んでいたのは義父だったが、誰より安堵していたのは義母だった。
カロル村という長閑な村でも苦労があるのだ。子爵という貴族の名を冠する家の中で、後継を産めないというのはどれほどの心労だろうか。ウィルフレッドもあのサヴィラでさえも後継というものに纏わる争いや陰謀に巻き込まれている。ナルキーサスの立場はいか程のものだっただろう。
「団長、よろしいですか」
不意にドアの向こうから訪いの声が聞こえて、ウィルフレッドが顔を上げた。
「ああ、入れ」
「失礼いたします」
ガチャリとドアが開いて、第二小隊のガストンが入って来る。ジョシュアたちに気付くと一礼する。
「ガストンには、たまたま廊下であったからレベリオの様子を見に行って貰っていたんだ」
そう告げるウィルフレッドのデスクに近付いていき、懐から二通の手紙を取り出して彼に差し出した。ジョシュアは後ろを窺うが開けっ放しのドアからレベリオが入って来そうな様子はない。二日酔いが酷いのだろうか。
「……は?」
ガタンと椅子を倒して立ち上がったウィルフレッドの気の抜けたような声に視線を彼に戻し、目を瞬かせる。キャサリンとアンナも、あらま、と言いたげに目を瞬かせていた。
手紙を読んだウィルフレッドが今にも死にそうな顔色になって、頬を引き攣らせている。
ガストンが困ったように視線を泳がせながら報告をする。
「ルシアン三級騎士を走らせたところ、東門より早朝、火急の要件にて出立するレベリオ殿に開門を許可したと返事がありました。レベリオ殿は町を既に出たようです」
ジョシュアは立ち上がり、ウィルフレッドの手元を覗き込み、目を丸くする。
ウィルフレッドが読んでいたのは「除籍届」、いわゆる騎士を辞める時に提出するやつだ。きっちりとレベリオのサインと家紋の印が捺してある正式なものだった。キャサリンがいつの間にかもう一通の手紙を開いて勝手に目を通している。
「レベリオ子爵、キースを追いかけるって言ってるわね。やっぱり愛してるんですって」
「あらん、素敵ねぇ! 愛の旅立ちね!!」
アンナがパンッと両手を合わせる。長い睫毛がバシバシと音を立てそうなくらい瞬きをして、目を輝かせうっとりしている。
「うそ、だろ……うそだといってくれ、神よ…………!」
「ウィ、ウィル!!」
「団長!!」
へらっと笑ったウィルフレッドがそのまま倒れそうになって、ジョシュアは慌てて彼を受け止め椅子に座らせる。
「あらあら、アルトゥロちゃんを呼ばないと」
「こんなことになるだろうと思いまして、先んじて呼び出しておきました」
凛々しい声に振り返れば、カロリーナが部屋に入って来る。その腕には、息切れしているアルトゥロをお姫様抱っこしている。多分、階段に耐えられなかった貧弱なアルトゥロをカロリーナが面倒くさくなって抱えて連れて来たのだろう。アルトゥロは恥ずかしそうに両手で顔を覆って「おろしてくださぃ」と泣いている。
「ははっ、書類、事務官、会議、ははっ、ははははっ、胃が、胃が! はははっ!」
壊れたように笑いだしたウィルフレッド、愛って素敵ねとうっとりするギルマス夫婦、呆れ顔のガストンとカロリーナ、半泣きのアルトゥロを横目にジョシュアは窓の外に顔を向けた。
広がる空に愛する妻の瞳の色を思い浮かべて、それに連なるように空色を受け継いだ我が子たちの顔が思い浮かび、心の底からの願いが湧き出て来る。
「……帰りたいなぁ」
それが叶わないことは、ジョシュアの腕をがっしりと掴んで離さないウィルフレッドの手が親切にも教えてくれていた。
カロル村のジョンの家、つまり村長宅に案内するとぎっくり腰の村長が離れをユキノたちに貸してくれた。
ウォルフたちは村長の家の客間を借りていて、昨夜は報告書を出してさっさと寝てしまった。一応、見張りは立てておいたが特に何事もなかったとリュコスとルーから報告され、入れ替わりで彼らが仮眠を取り、ランを残してウォルフとカマラは泉の調査へ行った。
ジョンは久々に会う村の友人たちにマチとマサキを紹介して、ウォルフたちが調査から戻る頃には彼らは子ども同士で村の広場を駆けまわるようにして遊んでいて、それにカイトとタマが混じっていた。ユキノはそれを傍で見守っていて、彼女の背後には影のように常に執事のミツルが控えていて、なにくれとなく気を利かせる姿は、執事の鑑だった。
ギルドに出した報告書の返事が来るまでは、ウォルフたちは待機の身だ。
彼女らをこの村に留めおくのか、町へ連れて行くのか、上の判断待ちだ。とりあえず今日は泉の調査で問題なしと判断したので、その報告書を作って送る。やはり魔獣たちがカロル村周辺に異常発生したのは、突然、タマ――ドラゴンが現れたからだった。他にも色々と調査したが、タマ以外に強力な魔獣の痕跡はなく、タマが村に来ると毎晩悩まされていた畑を荒らす魔獣や魔物が一切姿を見せなくなり、あれだけ静かだった森の中はいつも通りの音と気配を取り戻していた。
そして夜、村に一つだけある食堂にでも出かけるかと話していた矢先、マチとマサキがカイトとともにやって来て、ウォルフたちを夕食に招待してくれた。どうしようかと迷ったが、ジョンが既に行く気満々だったので水を差すのも悪いと思い、誘いに乗った。村長夫妻も招待されていて、ユキノが腕を振るったという料理がテーブルに所狭しと並べられていた。
「パンだけはパン屋さんでカイトくんに買って来てもらったんですよ」
そう言っていたが、それ以外は全て手作りだという品々はどれもこれも頬が落ちるほど美味しくて、尻尾が左右にぶんぶんするのを止められなかった。
「このグラタンめっちゃ美味い!」
「ミルクスープも最高よ。マヒロ神父さんが味にうるさくなるわけだわ。こんなに美味しいものを作ってくれる奥さんがいたらああなるわ」
「あら、マヒロさんたら……ふふっ、仕方のない人ね」
カマラの言葉にユキノは幸せそうに微笑む。
「真尋さんって大抵のことは全て完璧にこなす人だから、家事が出来ないなんて本当は嘘なんじゃないかって昔、疑ったことがあるんです」
「どうしてだ?」
「私、本当に体が弱くて、したくても出来ない事の方が多かったんです。その中で、家事は唯一私が胸を張ってあの人にしてあげられることだったんです。私たちの国では、男女平等という思想があって、女ばかりが家事をして家に籠るのはよくない、女も外に出て男性と同様に働ける社会をって……でも、私にはどうやっても無理でしたし、愛する夫の世話を焼けるのが私の一番の幸せだったんです。だから、それを取り上げないでいてくれているんじゃないかって思っていたんですよ」
「でも、お兄ちゃん、本当に何にもできないよ?」
「うん。前にね、洗濯室泡だらけにして僕のお母さんとかリックくんとか、イチロくんにとっても怒られてたよ」
マチとジョンの言葉にユキノはくすくすと笑い、仕方のない人ね、とまた同じ言葉を繰り返した。
「試しに一週間だけ、ご自分のことはご自分でと言ってみたら、翌朝には音を上げたものだから本当なのねって確信したんです。靴下が見つけられなくて部屋で途方に暮れてるあの人は面白かったですけど、たった一晩で嵐でも直撃したのかしらって具合に部屋が散らかっていたのは困りました」
ユキノの言葉は、どれもこれも優しくて、愛情がたっぷりと詰め込まれている。
ウォルフはもうほとんど、この人は本物なんだろうな、と思っている。
世間一般で言う悪い奴というのは、職業柄荒事に巻き込まれることもあるので、何度も目にしたこともあるし、関わったこともある。そいつらはどんなに人の好さそうな笑みを浮かべていたとしても目の奥に淀みがある。それに獣人族であるウォルフだからこそ分かる匂いからも、隠し切れない異臭がふとした時にするのだ。
魔力の質というのは本人の精神も加味される。狼系や犬系の獣人族は特にこの魔力の匂いをかぎ分けることが出来る。ギフトスキルの一種で嗅覚が強化されているからだ。
イチロの魔力は爽やかな森の香りがするし、マヒロの魔力は静かな夜の香りがする。ティナは甘い花の香り、愛するカマラは甘い砂糖菓子の匂い、元気なジョンは日向の匂いがする。極悪人は腐った卵とか死んで発酵した魚みたいな匂いがするのだ。善も悪も等しくある赤ん坊の魔力は無臭だったりもするが大人で無臭というのはありえない。
ユキノの魔力は優しくて穏やかな石鹸の香りがする。
それはなんだか泣きたくなるくらいに優しくて、縋りたくなるほど穏やかだ。時折、香りが強まるが、それはいつもマヒロの話をしている時で、彼女の深く真っ直ぐな愛情が如実に伝わって来る。
これが嘘で、偽りだったとしたらウォルフは人間不信になりそうだった。
それから和やかに食事は進み、ランとルーが後片付けを買って出て、村長夫妻も母屋に戻った。ミツルが治癒魔法を施しながら村長のぎっくり腰のマッサージをしてあげるらしい。ウォルフとカマラは見張り番のため、先にシャワーを済ませる。ユキノも弟たちを寝かせてきますと告げて、眠い目をこすり始めた双子とジョンを連れて既に寝室の方へと下がっている。タマは大抵、ユキノの傍で寝ているそうだが日中は子どもらと遊んでいる。寝室に下がった彼女に着いて行った小さなドラゴンは随分と人懐こいようだ。
離れの寝室はユキノとタマと子供らが使っていて、もう一室はカイト、ミツルはリビングに泉の傍で使っていたあのテントの中からベッドを持ち込んで使っているそうだ。マヒロ同様、アイテムボックスを持っているのだろう。
カマラは風呂が長いので、ウォルフはなんとなく庭へ出る。
町の賑やかな夜とは全然違うし、野宿をする平原や森とも少し違う静けさが辺りを包み込んでいる。
大きな木の下にガーデンチェアが置かれていて、ウォルフはそこに腰掛けた。ここなら客間の窓から外を見ればすぐに居場所が分かるだろう。
ジョンの祖母が手入れをしている花壇は色々な花が咲いている。秋の花なのだろうが、生憎と依頼で採取する薬草以外の植物は分からないので名前は知らないが綺麗で控えめな花々が咲いている。夜だからか蕾を閉じているものもいた。
「Hi、ウォルフくん」
足音が聞こえていたので驚くことなく振り返れば、ワインを一本とグラスを二つ持ったカイトがこちらにやって来た。
「一杯どうかな?」
「どうしたんだ、それ」
もう一脚の椅子を顎でしゃくり返せば、カイトは「Thanks」と耳慣れないが、時折、イチロが口にするのと同じ言葉を告げてそこへ腰を落ち着けた。慣れた手つきでコルクが開けられ、赤いワインが注がれる。
「昼にね、村を散策している時にもらったんだ。ユキノは飲まないし、みっちゃんも飲まないからね」
「あんたは飲めるのか? イチロは全然だぞ」
ワインは仄かな渋みを感じる辛口だった。甘党なウォルフであるが酒はなんでも大好きだった。
「ん、なかなかのワインだね。俺は少しなら飲めるよ、弟は祖母に似て弱いんだ。その点、マヒロは馬鹿みたいに強いんだけど」
「そうだな、何本明けてもケロっとしてる。飲み過ぎてイチロとかによく怒られてるけど」
相変わらずだね、と青に緑の混じる瞳を細めてカイトが笑った。笑った顔はイチロに少し似ている。
彼の癖一つない金髪が夜風にさらさらと揺れる。髪質も正反対だ。イチロは淡い茶色でふわふわの猫っ毛だ。
「…………俺たちが偽物か本物か区別はついたかい?」
「ぶほっ」
笑ったままそんなことを言うものだから思わずせき込んだ。咄嗟に顔を逸らしてやったことを褒めて欲しい。ウォルフはゴホゴホっと気道に入ってしまったワインを追い出そうとせき込みながらカイト睨み付けた。折角のワインがグラスからも零れてしまっていて、手もびしょびしょだ。
カイトはぱちりと目を瞬かせた後、ははっと声を上げて笑い、ハンカチを取り出してウォルフの手を拭いてくれた。だがずっと笑いっぱなしだ。反省というものが見られない。
「はははっ、Sorry、そんなに驚くとは思っていなかったんだ」
「ごほっ、はぁ……イチロはもっと優しいぞ!」
そーりーがどういう意味かは知らないが、多分、ごめんとかそういう意味なのだろう。でも、全く反省が見られないし、まだ笑っている。
「そりゃあ、僕の弟は世界一可愛いからね。優しすぎて心配になるほどだよ。あの子は、元気にやってのかな?」
「元気さ。まだ教会は改修工事中で、でも来月には開院するからマヒロ神父さんと一緒に大忙しだよ」
「でも今は、ブランレトゥにはいないんだろう?」
新たにグラスにワインが注がれるのを見ながら、ああと頷いて返す。
「東の方で色々と問題が起きて、神父の力が必要とかでマヒロ神父さんと一緒に出掛けてるんだ。あと二週間か三週間は戻らない」
本当は上の人々は神父の不在は隠しておきたいのだろうけれど、普段、町民が会わない領主とか騎士団長とかギルドマスターとかなら兎も角、町の人々と関わりの深い神父の不在を隠すのはまずもって無理だ。だから町の人々は皆、マヒロたちの不在を知っているため、調べればすぐに分かってしまうことだ。
「会えるんだったらいつまでも待つよ」
そう言ってカイトがワイングラスに口を付けた。寂しそうに伏せられた長い睫毛が月光に照らされて影を作る。
「イチロは泣き虫な子どもだったんだよ。俺と一つしか違わないんだけど、子どもの頃から俺は背が高いほうで、あの子は小さいほうだったから本当に幼くて可愛かったんだ。いや、大きくなってからも可愛かったんだけどね、小さいのは相変わらずだし。あの子、背伸びたのかな」
「……この間、マヒロ神父さんの背が伸びてることに地団駄なら踏んでたけどな」
そう返すとまたカイトは耳慣れない言葉で何かを言いながら、ケラケラと笑いだした。酔いが回っているのか早口で何を言っているかはさっぱり分からない。でも多分、よくイチロがティナに言う「ぷりてぃー」とか「きゅーと」とか「らぶりー」とかなんとか聞こえて来るので、俺の弟可愛い的なことだと推測する。
くるりと振り返ったカイトが何かを喋るのだが、何言ってるのかさっぱり分からない。兄も多分、弟同様酒に強くないのだろう。白い頬は赤くなっていて目がとろんとしている酔っ払いのそれだ。ウォルフはやれやれとワインのボトルを遠ざける。彼のグラスはもう空だからこれ以上飲ませなければいい。たった二杯で酔うなんてこっちが驚きだ。
「カイト、飲み過ぎだぜ。あとアーテル語で喋ってくれ」
「OK! Please give me my wine!」
「全然、分かってねえな」
ひょいとウォルフの隠したワインを魔法で勝手に取り上げてカイトはご機嫌にワインを飲む。もう止めるのも面倒になって酔いつぶれてから部屋に送るか、得体は知れないがあの執事を呼ぼうと決めて付き合うことにする。
ケタケタ笑いながらウォルフには分からない、故郷の言葉でべらべら喋るカイトは、「イチロ」しか聞き取れないがとりあえずイチロについて語っているようなので、ウォルフはカマラがそっと差し入れてくれたチーズを齧りながら、彼の気が済むまで付き合ってやるかと耳を傾ける。語り続ける彼の言葉は分からずともカイトがイチロをどれほど家族として愛していて、大切に想っているかは伝わって来る。彼はそれほど優しい顔をしていたのだ。
結果として、寝落ちたところであの執事がやってきてウォルフに礼と謝罪を述べ、カイトを連れて行った。カイトは翌朝、二日酔いで午前中いっぱい、部屋から出て来られなかったとだけ言っておく。
――――――――――――――
ここまで読んで下さって、ありがとうございました!
平成でも、閲覧、感想、お気に入り登録、ありがとうございました。
令和でも、皆様の心に何か小さなものでも一つ残せるような物語を書けるよう、頑張ります!!
海斗くんは自分で言うより酒に弱いです。
そして酔うと延々、一路くんとの想い出を語って来て、限界を超えると寝ます。
次のお話も楽しんで頂ければ幸いです♪
騎士団にギルマス経由で呼び出されたジョシュアは、頭を抱えるウォルフレッドと遠くを見つめるアンナに答えを求めるが、二人は一向にジョシュアを振り返ってくれない。
キャサリンだけが淡々と事情を説明してくれて、兎に角、ウォルフがジョシュアの息子であるジョンを伴い訪れた泉で見つけたのは、魔獣でも魔物でもインサニアでもなく、まさかのマヒロの嫁とその御一行だという。
「ついでにドラゴンの幼獣が一匹ね」
キャサリンがこともなげに付け足した一言にジョシュアは、今度こそ開いた口が塞がらなかった。
マヒロの嫁というだけでも衝撃が大きいのに、更にドラゴンとはどういうことだろう。まさかカロル村周辺に起こっていた異常の原因がそのドラゴンだとでも言うのだろうか。
キャサリンは、ウォルフが書いたのであろう報告書に目を落としたまま先を続ける。
「報告書によれば、そのドラゴンは絶滅種だと考えられていたSSランクの希少種、ブラー種のニーファフト・ドラゴンの可能性があるそうよ。詳しく調べた結果、ドラゴン自体はマヒロ神父さんの奥様と従魔契約を結んでいるから周囲に危害を加えるようなことはないそうよ。なんでも奥様が森で発見して、茹でてみたところ羽化したんですって」
「茹でたのか? え? ドラゴンの卵を?」
キャサリンの怜悧な美貌が振り返る。銀縁の眼鏡をくいっと押し上げて、ええ、と頷く。
「報告書にはそう書いてあるは。生で食べるのは危険と判断して茹でたそうよ。しかも丁度いい大きさの鍋が無かったから、ウォーターボールを作ってその中に卵を閉じ込めて、加温魔法をかけた上で風魔法で包み込んで泉の中に沈めておいたんですって」
「三つの属性を同時に……? マヒロの嫁だからか?」
「一応、職業は神父の嫁兼修道女らしいけれど……その辺は詳しくは書かれていないわね。それで、ええっと……そう、同行者が他に四人いるそうよ。全員、男性。一人は見習いくんのお兄さん、双子の男の子、貴女の息子と同い年だそうよ。その子たちは、マヒロ神父さんの実の弟だそうよ」
「ああ、聞いたことがある。ジョンと同じくらいの年ごろで双子の弟がいるって。確か、マチとマサキって名前だったかな」
キャサリンが、少しだけ目を瞠り報告書に視線を戻し、捲ったり戻したりして目当ての項目を見つけたようだ。
「ええ、正解だわ、奥様の名前はご存知?」
「姿絵は見せてもらったことはないが、名前なら知ってるぞ。ユキノだ」
「正解。もう一人はご存知かしら……ええっと彼はマヒロ神父さん夫妻に仕える執事だそうよ。獣人族で犬系らしいわ」
「いいや、でも……家には執事がいたってのは聞いたことがある。かなり癖のある執事だが優秀だとは言っていたけどな」
「そうなの? 執事さんは不明、と……それでその五名が泉で発見されたそうよ。今はカロル村に移動して滞在してもらっているけれど……。奥様のお体のことがあるから執事さんと見習い君のお兄さんのカイトさんが移動するにしても最低三日は村で体を慣らしたいって言ってるわ」
「それがいいだろうな。マヒロもよく心配していたし……だが、彼女たちが本物だという証はあるのか? マヒロがいれば一瞬で解決するがあいつは今現在、ここにいないし、イチロもいないしな」
「問題はそれなんだよ」
頭を抱えていたウィルフレッドが顔を上げる。心なしか一昨日会った時よりも老け込んでいる気がする。数日前に兄のジークフリートが無事に帰還したとはいえ、奥様はまだうちにいるし、領主様は会いにも来ないので悩みも多いのだろう。
「ウォルフの判断でカロル村にとどまってもらってはいるが、もし本物だとすれば下手な扱いをすれば俺の胃が破裂しかねん」
「今既に破裂しそうじゃない」
アンナが乾いた笑いを零す。
「何でこう面倒事が同時に起こるんだっ! あと二週間来訪が早いか一か月くらい遅ければ何の問題もなくマヒロ神父殿と再会できたろうに……」
「まあそうなんだが、そうは言っても起こっちまったもんはしょうがないだろ? それよりどうするんだ? 偽物か本物か判断できない今、アマーリア様がいる屋敷に迎え入れる訳には、そもそも町に入れるのか? ……あ、その前にミアとサヴィラが」
口に出せば出すほどあれこれ問題点が湧き上がって来る。
偽物だったとして、ドラゴンを連れている怪しい集団を町に入れるなんて考えたくもない。幼獣であるというならジョシュアとレイ、ウォルフやアンナ、ウィルフレッドといった精鋭で挑めばSSランクのドラゴンにも勝てるかもしれないが、あのマヒロの嫁とイチロの兄という時点で魔法や武術の腕前がとんでもない数値を叩きだして居そうなので、ナルキーサスもマヒロもイチロも居ない今、圧倒的にこちらが不利なのだ。それに偽物がマヒロの命であるミアとサヴィラを狙っていたとしたら、下手に会わせたらどうなってしまうのだろう。
「というか俺の息子は無事なのか?」
「双子くんと親友になったそうよ。シラに似て人懐こい子よねぇ。はい、お手紙」
キャサリンが封筒を三通、差し出した。それを受け取りひっくり返せば、見慣れた息子の文字が「僕の大好きな家族へ」と宛名を綴っていた。もう一通は義母からプリシラへ宛てたもの、もう一通は息子がミアに宛てたものだったのでこの二通はアイテムボックスにいれておく。息子からの手紙を封を切って中身を取り出すとこんなことがあったよと楽しそうに踊る文字が近況を綴っている。
「ランが試した限りだと、隠蔽を疑ったけど姿かたちに隠蔽解除を掛けても弾かれることもないし、かといって解除されるわけでもないから姿形は本物らしいわ。ステータスは「司祭様にマヒロさんに確認してもらってから他所の人に見せなさいと言われているのですけれど、見ますか?」と聞かれて泣いて固辞したって」
「俺も自分可愛さにマヒロの本物のステータスを見るのを固辞したことがあるからなんも言えないな」
「それにカイトさんは、マヒロさん同様神父様で、あのロザリオと同じものを持っているそうよ。でも、ジョンくんしかこのユキノさんの顔を知らないから判断材料がないのよね。他にユキノさんの見目について知っているのは?」
「あー。リックとエディ以外の男だとサヴィラとか孤児院の子どもたちなら知ってると思う。女性に対してはナルキーサス様以外は誰でも見せて貰えたみたいだから、シラも知ってるし、ティナとかローサ、ソニアも知ってると思うぞ。ああ、それとイチロの兄だったら俺も姿絵を見たことがあるが……もしかしたらティナが姿絵の在り処を知ってるかもな。マヒロがイチロに頼まれて描いたんだ。とはいえ、ユキノについて一番詳しいのはやっぱりミアとサヴィラなんだがな。俺の記憶している限りだと、種族については何も言っていなかったが……」
「本物だと判断したとして勝手に会わせていいものかしら? 一応、ウォルフの配慮でまだミアとサヴィラの存在については奥様には伝えていないようだけれど」
「……というか、嫁さんはともかく弟たちまで? 親は? ジョンと同じって言えばまだ八歳かそこらだろ?」
ウィルフレッドが不思議そうに首を傾げた。アンナとキャサリンが、そういえばそうね。と同じように首を傾げる。
「あー…マヒロは親とあんまり上手くいってないらしいから、それと関係があるのかもな」
答えながらジョンの手紙を封筒に戻す。マチとマサキは、マヒロによく似ているらしい。というか真尋に似ているということはかなり顔の良い子どもたちなのだろうな、とどうでもいい感想を抱いた。ジョシュアが思っているより思考が現実から逃げようとしている。
「ご両親と? じゃあ、生きてない訳じゃないのか?」
「生きてるぞ。親も置いて来たって言ってたからな。愛していない訳じゃないんだろうが、あいつの中での優先順位はミアとサヴィラ、嫁さん達に比べたら低いとは思うぞ。下手をすると俺の息子より低いかも知れない……とくに父親の方と上手くいってなかったらしい」
「何だか意外ねぇ。神父さん、確かに冷たい面もあるけど親馬鹿で子煩悩なパパの印象が強いから」
アンナが言った。
「愛情深い男なのは嘘じゃないさ。それで話を戻すが……どうするんだ?」
「どうしようか」
ウィルフレッドが煙草に火を点けながら椅子に沈みこむ。ぎしぎしと椅子が音を立てたが大丈夫だろうか。
「…………孤児院に滞在してもらう?」
アンナが徐に言った。
「孤児院に?」
「ええ。あそこも神父さんがあれこれしたからこの町でもあのお屋敷に次いで防衛的な意味ではレベルが高いのよ。神父様もアマーリア様のことがある以上、あたしたちでは真偽がはっきりしない人たちを屋敷に入れなかったとしても怒りはしないと思うの。あの人は家族愛は強いけれど、盲目的なお馬鹿さんじゃないもの。他の宿屋よりは絶対安全よ。お目付け役としてソニアやサンドロがいれば心強いしね。ジョシュアの奥さんはそれでなくとも負担をかけっぱなしだから、分散した方がいいと思うのよ」
「良い案だとは思うが、親切な俺からの助言としては、男共は全員宿屋を別に移した方がいい。トマス先生はじいさんだし、愛妻家だし、そもそも治癒術師だから許してもらえると思うが……その線で行くとウォルフとか、マッド、ジェームズは平気だな。愛妻家で浮気の心配がないから。それ以外の男は止めた方がいい。マヒロはなミアの彼氏と奥さんのことに関しては、その辺の水たまりより心が浅くブレッドの額より狭くなるんだ」
ウィルフレッドは心当たりがあり過ぎるのだろう。遠い目をして、ふっと儚く笑った。レオンハルトがミアを憎からず思っていることに対してマヒロ本人に釘を刺された、いや、打ち付けられたらしい。
「……仕方ない、隣の山猫亭に移ってもらおう。そうと決まれば、アンナ、ソニアとサンドロに事情を説明しておいてくれ」
「りょーかい。キャシー、手配をお願いできるかしら?」
「もちろんよ、アンナ。ところで、団長さん、レベリオ子爵はどうしたんです? 姿が見えない様だけど」
そういえばいつも影のように傍に控えているレベリオの姿がない。ジョシュアが来たときにはいなかったので、仕事でどこかの部署にでも行っているのかとも思ったが、こんな大事な話にウィルフレッドが彼を同席させないというのは考えにくい。
「今日は遅出にしたんだ」
「あら、風邪でもお召しになられたの?」
「……あー……思った以上にナルキーサスが自分の痕跡を消してしまっていることを日々、自覚した結果、昨夜、私の家で飲んだくれて潰れてな。私の家の客間に居る」
紫煙を吐きだしながらウィルフレッドが苦笑を零す。
「アルトゥロが「義姉上の仕事は何もかも完璧に引き継ぎ書が制作されてましたぁ」って半泣きで数日前にここへ来てな。レベリオが慌てて家に帰ったら部屋には何もなくなっていて、魔導院の彼女の部屋もすっからかんで、命と同じだけ大事にしていた彼女の骨と石膏像コレクションも跡形もなくなくなっていたらしい。魔導院の部下に聞けば、三週間ほど前にナルキーサスがマヒロに頼んで大容量のアイテムボックスを特別に作ってもらって、これでいつでも一緒だと言っていたと」
「……うわぁ……計画的犯行じゃないの」
アンナが頬を引き攣らせ、ナルキーサスの友人であるキャサリンは、やれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
レベリオはどうやらマヒロの手紙を貰ったあの日からまだ打開策が見つけられないでいるらしい。打開策を見つけようにも本人ははるか遠い地に旅立ってしまっているから余計に彼の中で色んなものが拗れているのだろう。
ウィルフレッドに話を聞いてやって欲しいとは言われていたが、何分、護衛対象が対象なだけにジョシュア自身の自由が大分制限されてしまっていて、レベリオが多忙なことも相まって話をするどころか顔を合わせることすらなかったのだ。
「エルフ族は愛情深い種族なんです。人族のように番う相手を変えることはありません。余程の理由がない限り、離縁とは無縁の種族です」
「でも、レベリオとアルトゥロは四分の一しか血を引いていないし、ナルキーサスもハーフエルフだろう?」
キャサリンの言葉にウィルフレッドが首を傾げる。
「長命故に共に生きる相手を厳しく吟味するのが私たちです。エルフの血が色濃く出ている彼らもそれは同じですよ。レベリオ子爵もアルトゥロ院長も養子に老いは見られませんし、エルフ族ほどではないにしろ長命でしょう。キースは言わずもがなですが」
キャサリンは表情一つ変えず淡々と告げる。
「厳しく吟味はしますが、それでも出会ってしまえば呆気無く恋に落ちてしまうのです。本能が好きだと告げるのです。この感覚は一部の獣人族にも見られますし、私たちと近い種族である妖精族にも見られる傾向です。キースはエルフ族と妖精族の間に生まれた子。変人ですが、愛情深く誇り高いエルフ族の血を色濃く受け継いでいます。そのキースが離縁したいと言うんですから、余程のことですよ。レベリオ子爵は潔く離縁してあげるのが一番です」
「私はそうは思わないぞ」
ウィルフレッドがやけにきっぱりと言い切った。群青の瞳が真っ直ぐにキャサリンを見ている。
「……キースは、多分、本当はレベリオから離れたくないんだ。でも、どうしてもそれを言えない理由があって、レベリオから別れを告げて欲しいんだ」
吐き出された紫煙が書類の山に当たって、ほろほろと砕けるように消えていく。
キャサリンがその言葉に銀縁眼鏡の向こうの瞳を僅かに細めた。
「……レベリオが、子爵なんて爵位を持っていなければ、もしかしたらこんなことにはならなかったかもしれないけどな」
紫煙の中に隠すように小さな声で囁いてウィルフレッドは悲しそうに目を伏せた。
もしかしたら子どもの問題だろうか、となんとなくジョシュアは気付いた。二人の間には子どもはいない。エルフ族は長命故に授かりにくいとはいうが夫婦になって約二十年は経っている筈だ。ジョシュアとプリシラは子宝に恵まれ、既に三人目が産まれんとしているがプリシラの母はプリシラしか子供を授かることが出来なかったからか、結婚当時はとてもとても心配してくれていた。村の後継ぎとなる男児を産めなかったことで詳しくは知らないが色々とあったらしい。ジョンが産まれた時、誰より喜んでいたのは義父だったが、誰より安堵していたのは義母だった。
カロル村という長閑な村でも苦労があるのだ。子爵という貴族の名を冠する家の中で、後継を産めないというのはどれほどの心労だろうか。ウィルフレッドもあのサヴィラでさえも後継というものに纏わる争いや陰謀に巻き込まれている。ナルキーサスの立場はいか程のものだっただろう。
「団長、よろしいですか」
不意にドアの向こうから訪いの声が聞こえて、ウィルフレッドが顔を上げた。
「ああ、入れ」
「失礼いたします」
ガチャリとドアが開いて、第二小隊のガストンが入って来る。ジョシュアたちに気付くと一礼する。
「ガストンには、たまたま廊下であったからレベリオの様子を見に行って貰っていたんだ」
そう告げるウィルフレッドのデスクに近付いていき、懐から二通の手紙を取り出して彼に差し出した。ジョシュアは後ろを窺うが開けっ放しのドアからレベリオが入って来そうな様子はない。二日酔いが酷いのだろうか。
「……は?」
ガタンと椅子を倒して立ち上がったウィルフレッドの気の抜けたような声に視線を彼に戻し、目を瞬かせる。キャサリンとアンナも、あらま、と言いたげに目を瞬かせていた。
手紙を読んだウィルフレッドが今にも死にそうな顔色になって、頬を引き攣らせている。
ガストンが困ったように視線を泳がせながら報告をする。
「ルシアン三級騎士を走らせたところ、東門より早朝、火急の要件にて出立するレベリオ殿に開門を許可したと返事がありました。レベリオ殿は町を既に出たようです」
ジョシュアは立ち上がり、ウィルフレッドの手元を覗き込み、目を丸くする。
ウィルフレッドが読んでいたのは「除籍届」、いわゆる騎士を辞める時に提出するやつだ。きっちりとレベリオのサインと家紋の印が捺してある正式なものだった。キャサリンがいつの間にかもう一通の手紙を開いて勝手に目を通している。
「レベリオ子爵、キースを追いかけるって言ってるわね。やっぱり愛してるんですって」
「あらん、素敵ねぇ! 愛の旅立ちね!!」
アンナがパンッと両手を合わせる。長い睫毛がバシバシと音を立てそうなくらい瞬きをして、目を輝かせうっとりしている。
「うそ、だろ……うそだといってくれ、神よ…………!」
「ウィ、ウィル!!」
「団長!!」
へらっと笑ったウィルフレッドがそのまま倒れそうになって、ジョシュアは慌てて彼を受け止め椅子に座らせる。
「あらあら、アルトゥロちゃんを呼ばないと」
「こんなことになるだろうと思いまして、先んじて呼び出しておきました」
凛々しい声に振り返れば、カロリーナが部屋に入って来る。その腕には、息切れしているアルトゥロをお姫様抱っこしている。多分、階段に耐えられなかった貧弱なアルトゥロをカロリーナが面倒くさくなって抱えて連れて来たのだろう。アルトゥロは恥ずかしそうに両手で顔を覆って「おろしてくださぃ」と泣いている。
「ははっ、書類、事務官、会議、ははっ、ははははっ、胃が、胃が! はははっ!」
壊れたように笑いだしたウィルフレッド、愛って素敵ねとうっとりするギルマス夫婦、呆れ顔のガストンとカロリーナ、半泣きのアルトゥロを横目にジョシュアは窓の外に顔を向けた。
広がる空に愛する妻の瞳の色を思い浮かべて、それに連なるように空色を受け継いだ我が子たちの顔が思い浮かび、心の底からの願いが湧き出て来る。
「……帰りたいなぁ」
それが叶わないことは、ジョシュアの腕をがっしりと掴んで離さないウィルフレッドの手が親切にも教えてくれていた。
カロル村のジョンの家、つまり村長宅に案内するとぎっくり腰の村長が離れをユキノたちに貸してくれた。
ウォルフたちは村長の家の客間を借りていて、昨夜は報告書を出してさっさと寝てしまった。一応、見張りは立てておいたが特に何事もなかったとリュコスとルーから報告され、入れ替わりで彼らが仮眠を取り、ランを残してウォルフとカマラは泉の調査へ行った。
ジョンは久々に会う村の友人たちにマチとマサキを紹介して、ウォルフたちが調査から戻る頃には彼らは子ども同士で村の広場を駆けまわるようにして遊んでいて、それにカイトとタマが混じっていた。ユキノはそれを傍で見守っていて、彼女の背後には影のように常に執事のミツルが控えていて、なにくれとなく気を利かせる姿は、執事の鑑だった。
ギルドに出した報告書の返事が来るまでは、ウォルフたちは待機の身だ。
彼女らをこの村に留めおくのか、町へ連れて行くのか、上の判断待ちだ。とりあえず今日は泉の調査で問題なしと判断したので、その報告書を作って送る。やはり魔獣たちがカロル村周辺に異常発生したのは、突然、タマ――ドラゴンが現れたからだった。他にも色々と調査したが、タマ以外に強力な魔獣の痕跡はなく、タマが村に来ると毎晩悩まされていた畑を荒らす魔獣や魔物が一切姿を見せなくなり、あれだけ静かだった森の中はいつも通りの音と気配を取り戻していた。
そして夜、村に一つだけある食堂にでも出かけるかと話していた矢先、マチとマサキがカイトとともにやって来て、ウォルフたちを夕食に招待してくれた。どうしようかと迷ったが、ジョンが既に行く気満々だったので水を差すのも悪いと思い、誘いに乗った。村長夫妻も招待されていて、ユキノが腕を振るったという料理がテーブルに所狭しと並べられていた。
「パンだけはパン屋さんでカイトくんに買って来てもらったんですよ」
そう言っていたが、それ以外は全て手作りだという品々はどれもこれも頬が落ちるほど美味しくて、尻尾が左右にぶんぶんするのを止められなかった。
「このグラタンめっちゃ美味い!」
「ミルクスープも最高よ。マヒロ神父さんが味にうるさくなるわけだわ。こんなに美味しいものを作ってくれる奥さんがいたらああなるわ」
「あら、マヒロさんたら……ふふっ、仕方のない人ね」
カマラの言葉にユキノは幸せそうに微笑む。
「真尋さんって大抵のことは全て完璧にこなす人だから、家事が出来ないなんて本当は嘘なんじゃないかって昔、疑ったことがあるんです」
「どうしてだ?」
「私、本当に体が弱くて、したくても出来ない事の方が多かったんです。その中で、家事は唯一私が胸を張ってあの人にしてあげられることだったんです。私たちの国では、男女平等という思想があって、女ばかりが家事をして家に籠るのはよくない、女も外に出て男性と同様に働ける社会をって……でも、私にはどうやっても無理でしたし、愛する夫の世話を焼けるのが私の一番の幸せだったんです。だから、それを取り上げないでいてくれているんじゃないかって思っていたんですよ」
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ユキノの言葉は、どれもこれも優しくて、愛情がたっぷりと詰め込まれている。
ウォルフはもうほとんど、この人は本物なんだろうな、と思っている。
世間一般で言う悪い奴というのは、職業柄荒事に巻き込まれることもあるので、何度も目にしたこともあるし、関わったこともある。そいつらはどんなに人の好さそうな笑みを浮かべていたとしても目の奥に淀みがある。それに獣人族であるウォルフだからこそ分かる匂いからも、隠し切れない異臭がふとした時にするのだ。
魔力の質というのは本人の精神も加味される。狼系や犬系の獣人族は特にこの魔力の匂いをかぎ分けることが出来る。ギフトスキルの一種で嗅覚が強化されているからだ。
イチロの魔力は爽やかな森の香りがするし、マヒロの魔力は静かな夜の香りがする。ティナは甘い花の香り、愛するカマラは甘い砂糖菓子の匂い、元気なジョンは日向の匂いがする。極悪人は腐った卵とか死んで発酵した魚みたいな匂いがするのだ。善も悪も等しくある赤ん坊の魔力は無臭だったりもするが大人で無臭というのはありえない。
ユキノの魔力は優しくて穏やかな石鹸の香りがする。
それはなんだか泣きたくなるくらいに優しくて、縋りたくなるほど穏やかだ。時折、香りが強まるが、それはいつもマヒロの話をしている時で、彼女の深く真っ直ぐな愛情が如実に伝わって来る。
これが嘘で、偽りだったとしたらウォルフは人間不信になりそうだった。
それから和やかに食事は進み、ランとルーが後片付けを買って出て、村長夫妻も母屋に戻った。ミツルが治癒魔法を施しながら村長のぎっくり腰のマッサージをしてあげるらしい。ウォルフとカマラは見張り番のため、先にシャワーを済ませる。ユキノも弟たちを寝かせてきますと告げて、眠い目をこすり始めた双子とジョンを連れて既に寝室の方へと下がっている。タマは大抵、ユキノの傍で寝ているそうだが日中は子どもらと遊んでいる。寝室に下がった彼女に着いて行った小さなドラゴンは随分と人懐こいようだ。
離れの寝室はユキノとタマと子供らが使っていて、もう一室はカイト、ミツルはリビングに泉の傍で使っていたあのテントの中からベッドを持ち込んで使っているそうだ。マヒロ同様、アイテムボックスを持っているのだろう。
カマラは風呂が長いので、ウォルフはなんとなく庭へ出る。
町の賑やかな夜とは全然違うし、野宿をする平原や森とも少し違う静けさが辺りを包み込んでいる。
大きな木の下にガーデンチェアが置かれていて、ウォルフはそこに腰掛けた。ここなら客間の窓から外を見ればすぐに居場所が分かるだろう。
ジョンの祖母が手入れをしている花壇は色々な花が咲いている。秋の花なのだろうが、生憎と依頼で採取する薬草以外の植物は分からないので名前は知らないが綺麗で控えめな花々が咲いている。夜だからか蕾を閉じているものもいた。
「Hi、ウォルフくん」
足音が聞こえていたので驚くことなく振り返れば、ワインを一本とグラスを二つ持ったカイトがこちらにやって来た。
「一杯どうかな?」
「どうしたんだ、それ」
もう一脚の椅子を顎でしゃくり返せば、カイトは「Thanks」と耳慣れないが、時折、イチロが口にするのと同じ言葉を告げてそこへ腰を落ち着けた。慣れた手つきでコルクが開けられ、赤いワインが注がれる。
「昼にね、村を散策している時にもらったんだ。ユキノは飲まないし、みっちゃんも飲まないからね」
「あんたは飲めるのか? イチロは全然だぞ」
ワインは仄かな渋みを感じる辛口だった。甘党なウォルフであるが酒はなんでも大好きだった。
「ん、なかなかのワインだね。俺は少しなら飲めるよ、弟は祖母に似て弱いんだ。その点、マヒロは馬鹿みたいに強いんだけど」
「そうだな、何本明けてもケロっとしてる。飲み過ぎてイチロとかによく怒られてるけど」
相変わらずだね、と青に緑の混じる瞳を細めてカイトが笑った。笑った顔はイチロに少し似ている。
彼の癖一つない金髪が夜風にさらさらと揺れる。髪質も正反対だ。イチロは淡い茶色でふわふわの猫っ毛だ。
「…………俺たちが偽物か本物か区別はついたかい?」
「ぶほっ」
笑ったままそんなことを言うものだから思わずせき込んだ。咄嗟に顔を逸らしてやったことを褒めて欲しい。ウォルフはゴホゴホっと気道に入ってしまったワインを追い出そうとせき込みながらカイト睨み付けた。折角のワインがグラスからも零れてしまっていて、手もびしょびしょだ。
カイトはぱちりと目を瞬かせた後、ははっと声を上げて笑い、ハンカチを取り出してウォルフの手を拭いてくれた。だがずっと笑いっぱなしだ。反省というものが見られない。
「はははっ、Sorry、そんなに驚くとは思っていなかったんだ」
「ごほっ、はぁ……イチロはもっと優しいぞ!」
そーりーがどういう意味かは知らないが、多分、ごめんとかそういう意味なのだろう。でも、全く反省が見られないし、まだ笑っている。
「そりゃあ、僕の弟は世界一可愛いからね。優しすぎて心配になるほどだよ。あの子は、元気にやってのかな?」
「元気さ。まだ教会は改修工事中で、でも来月には開院するからマヒロ神父さんと一緒に大忙しだよ」
「でも今は、ブランレトゥにはいないんだろう?」
新たにグラスにワインが注がれるのを見ながら、ああと頷いて返す。
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本当は上の人々は神父の不在は隠しておきたいのだろうけれど、普段、町民が会わない領主とか騎士団長とかギルドマスターとかなら兎も角、町の人々と関わりの深い神父の不在を隠すのはまずもって無理だ。だから町の人々は皆、マヒロたちの不在を知っているため、調べればすぐに分かってしまうことだ。
「会えるんだったらいつまでも待つよ」
そう言ってカイトがワイングラスに口を付けた。寂しそうに伏せられた長い睫毛が月光に照らされて影を作る。
「イチロは泣き虫な子どもだったんだよ。俺と一つしか違わないんだけど、子どもの頃から俺は背が高いほうで、あの子は小さいほうだったから本当に幼くて可愛かったんだ。いや、大きくなってからも可愛かったんだけどね、小さいのは相変わらずだし。あの子、背伸びたのかな」
「……この間、マヒロ神父さんの背が伸びてることに地団駄なら踏んでたけどな」
そう返すとまたカイトは耳慣れない言葉で何かを言いながら、ケラケラと笑いだした。酔いが回っているのか早口で何を言っているかはさっぱり分からない。でも多分、よくイチロがティナに言う「ぷりてぃー」とか「きゅーと」とか「らぶりー」とかなんとか聞こえて来るので、俺の弟可愛い的なことだと推測する。
くるりと振り返ったカイトが何かを喋るのだが、何言ってるのかさっぱり分からない。兄も多分、弟同様酒に強くないのだろう。白い頬は赤くなっていて目がとろんとしている酔っ払いのそれだ。ウォルフはやれやれとワインのボトルを遠ざける。彼のグラスはもう空だからこれ以上飲ませなければいい。たった二杯で酔うなんてこっちが驚きだ。
「カイト、飲み過ぎだぜ。あとアーテル語で喋ってくれ」
「OK! Please give me my wine!」
「全然、分かってねえな」
ひょいとウォルフの隠したワインを魔法で勝手に取り上げてカイトはご機嫌にワインを飲む。もう止めるのも面倒になって酔いつぶれてから部屋に送るか、得体は知れないがあの執事を呼ぼうと決めて付き合うことにする。
ケタケタ笑いながらウォルフには分からない、故郷の言葉でべらべら喋るカイトは、「イチロ」しか聞き取れないがとりあえずイチロについて語っているようなので、ウォルフはカマラがそっと差し入れてくれたチーズを齧りながら、彼の気が済むまで付き合ってやるかと耳を傾ける。語り続ける彼の言葉は分からずともカイトがイチロをどれほど家族として愛していて、大切に想っているかは伝わって来る。彼はそれほど優しい顔をしていたのだ。
結果として、寝落ちたところであの執事がやってきてウォルフに礼と謝罪を述べ、カイトを連れて行った。カイトは翌朝、二日酔いで午前中いっぱい、部屋から出て来られなかったとだけ言っておく。
――――――――――――――
ここまで読んで下さって、ありがとうございました!
平成でも、閲覧、感想、お気に入り登録、ありがとうございました。
令和でも、皆様の心に何か小さなものでも一つ残せるような物語を書けるよう、頑張ります!!
海斗くんは自分で言うより酒に弱いです。
そして酔うと延々、一路くんとの想い出を語って来て、限界を超えると寝ます。
次のお話も楽しんで頂ければ幸いです♪
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この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
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お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
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注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
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フリーター転生。公爵家に転生したけど継承権が低い件。精霊の加護(チート)を得たので、努力と知識と根性で公爵家当主へと成り上がる
SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
400倍の魔力ってマジ!?魔力が多すぎて範囲攻撃魔法だけとか縛りでしょ
25歳子供部屋在住。彼女なし=年齢のフリーター・バンドマンはある日理不尽にも、バンドリーダでボーカルからクビを宣告され、反論を述べる間もなくガッチャ切りされそんな失意のか、理不尽に言い渡された残業中に急死してしまう。
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ユーサーは一度目の人生の漠然とした目標であった『有名になりたい』他人から好かれ、知られる何者かになりたかった。と言う目標を再認識し、二度目の生を悔いの無いように、全力で生きる事を誓うのであった。
しかし、俺が公爵になるためには父の兄弟である次男、三男の息子。つまり従妹達と争う事になってしまい。
ユーサーは富国強兵を掲げ、先ずは小さな事から始めるのであった。
そんな主人公のゆったり成長期!!
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異世界は流されるままに
椎井瑛弥
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貴族の三男として生まれたレイは、成人を迎えた当日に意識を失い、目が覚めてみると剣と魔法のファンタジーの世界に生まれ変わっていたことに気づきます。ベタです。
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これを書いている人は縦書き派ですので、縦書きで読むことを推奨します。
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