称号は神を土下座させた男。

春志乃

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本編 2

第十一話 憂い願う男

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 ウォルフは、くぁと欠伸を一つ零して、ぐっと伸びをする。膝の間に座るジョンが「眠いの?」と振り返り、大丈夫だという意味を込めてくしゃりと金茶色の髪を撫ぜる。無理しないでね、という優しい言葉に頷いて笑みを返した。
 ウォルフがリーダーを務めるパーティー「狼のしっぽ」は、リーダーのウォルフ、サブリーダーでウォルフの恋人・カマラを中心に簡単な治癒魔法も使える優秀な魔法師のラン、剣士のリュコス、弓使いのルーの五人で構成されている。カマラとランが女性、他は男で全員獣人族の狼系だ。もともと群れるのが本能的に好きで、同じ系統の獣人族だからこそ、考え方や群れの在り方も戦い方も馴染みやすい。簡単に言ってしまえば、気が合うのだ。小さな喧嘩をしたり、あれこれ意見をぶつけ合い、お互いを鼓舞し合いながら成長し、今ではブランレトゥの支部では実力者として頼られることも多くなった。Bランクはウォルフしかいないが、リュクスもランもその実力はあるのに「ランク上がると面倒だから」とそもそも試験を受けようとしない。カマラとルーはランク自体に興味がない。それでもやっぱり先述の通り、狼のしっぽはブランレトゥの実力者だ。大事な任務を直接依頼されることもある。
 今回もそうだった。
 カロル村付近にて魔獣及び魔物の異常行動を感知したため、現地調査せよという命令だ。
 カロル村には何度か行ったことがある。農業と酪農が盛んな、穏やかで自然豊かで人の優しい良い村だ。ブランレトゥの人気者Aランク冒険者ジョシュアが婿入りした村としても有名だ。村の近くにある森で質の良い薬草が採れるので採取依頼や、薬師が直接採取に赴く際の護衛依頼で何度か訪れたこともあるし、レイが遊びに行くのについて行った思い出もある。それにカマラがカロル村のチーズが好きなので、時折、デートがてら買い付けに訪れることもある。
 だが、今回は少々特別な任務だ。昨夜は遅くまで、対策会議に駆り出されて少々寝不足で、そんなウォルフを気遣って案内役のジョンが手綱を握ってくれている。父親にそっくりな少年は中身までよく似ているようだ。

「カロル村も久々だな。チーズをたっぷり買えるといいな」

 隣を馬で駆けるリュクスが零す。

「そうね。でもまずは任務が先よ? ジョンくんをお借りしているんだから」

「わーってるつーの。頼むぜ、ジョン」

「うん、任せておいて!」

 ウォルフの膝の間でジョンが胸を叩く。可愛らしい様子に仲間たちの表情も緩む。
 今回の任務は、カロル村の守護精霊が棲むとされる泉近辺の調査だ。どうやらそこに強力な魔獣が棲みついたらしく、下級ランクの弱い魔獣がカロル村やその周辺に逃げ出し、姿を見せているようだった。ウォルフとルーが泉にジョンと共に向かい、カマラ達は更に周辺の捜索をすることになっている。というのも場所が場所だけに限られた一族だけしか出入りを赦されない結界が張ってあるのだ。二、三百年ほど昔ブランレトゥにいた有名な魔導師に作ってもらったという結界は、村長一族の丁寧な管理と定期的に魔導師や魔術師に見て貰っているおかげで現役だ。
 もし、討伐が必要となれば今回は結界の中と外でそれぞれ二つの選択肢が用意されている。外の場合はウォルフたちの実力で足りればその場で討伐または捕獲依頼へ変更、ランクに見合わない強敵故に討伐不可の場合、応援が到着するまで村全体の護衛依頼に移行する。結界の中の場合もほとんど同じだが結界は通行人数が限られるため討伐不可能であればブランレトゥより魔導師を呼び結界を解いてもらう必要があるため同じく護衛依頼も含まれる。本来であれば村長であるジョンの祖父が同行するのが一番良かったのだろうが、生憎とぎっくり腰ではどうにもならない。その一人娘でありジョンの母でもあるプリシラは現在、つわりの真っただ中でそもそも馬で半日も掛かるところへ連れて行くわけにはいかない。消去法でジョンしかいなかったのだが、まだ八歳の幼い少年を何がいるかも分からない場所へ連れて行くというのはなかなか責任重大だ。
カロル村自体が領都・ブランレトゥから馬で半日という立地であるため、もしものことをあれこれ考えれば魔獣が強敵であればあるほど警戒は厳しくなる。ブランレトゥ自体が水の月の未曽有の災厄から回復したとは言い難い。その上、頼れる最強の神父様は遥か東の地・エルフ族の里で起こっている異変を解決するために留守にしている。

「ねえ、ウォルフくん」

「ん?」

「マヒロお兄ちゃんたち、今頃、どの辺かなぁ?」

「んー、出発してから一週間くらいだったか? だとすりゃ、プレーヌ平原は抜けてんじゃねえかな。多分、最短で目指してんだろ?」

「うん。すぐ帰って来るってミアちゃんに言ってたから……リックくん、大丈夫かなぁ」

「あー、神父さん容赦ねぇからなぁ」

 二人揃って空を見上げる。良く晴れた秋の空は、気持ちがいい程澄み渡っている。頑張れよ、リックと心の中で声援を送る。最近はあの破天荒な主に振り回されて随分と強かになってきた彼だ。きっと何らかの策を講じて自衛していることだろうが、それを上回る感じで破天荒なのがマヒロなので心配だ。

「おじいちゃん、大丈夫かなぁ。僕ね、おじいちゃんの為にティナちゃんに薬草を分けて貰って、おじいちゃん先生にぎっくり腰に効くお薬作ってもらったんだよ」

 おじいちゃん先生とは孤児院に住んでいるトマスという名の治癒術師だ。ウォルフたちは孤児院の方に部屋を取っているので、時折、世話になっている。

「トマスの薬はよく効くから、きっとすぐによくなる。それにこーんなに可愛い孫が用意してくれた薬なんだ。それだけでも効くさ」

 そうかな、とジョンが照れくさそうに笑った。可愛いなぁと目を細めた。
 
「そういえばマヒロお兄ちゃんに会った時ね、盗賊に襲われてすごく怖かったんだよ」

「ジョシュアさんを襲うとはまぁ勇者だな。確か大斧のギグルの一味だったか?」

「うん。僕もお父さんが負けないのは知ってたけど、次から次に盗賊のおじさんたちが出て来てね、お母さんと僕たちを攫って人質にしようとしたみたい。でもそこに通りすがりのマヒロお兄ちゃんとイチロくんが来てくれたんだよ。イチロくんが僕らを助けてくれて、お父さんの方はマヒロお兄ちゃんが助けてくれたの。それでね、初めて顔見た時、僕もお父さんたちも綺麗すぎてびっくりしたんだ。マヒロお兄ちゃんもイチロくんも貴族様みたいに綺麗な顔だから」

「分かる。俺も初めて神父さん見た時、本当に生きてんのか疑ったぜ? イチロなんかあんな可愛い顔して俺のことを見事に蹴り飛ばしたからな」

 ウォルフはからからと笑って頷く。今ではちょっと恥ずかしいがイチロと出会えて仲良くなれた良い思い出だ。

「マヒロお兄ちゃんのが破天荒で無茶苦茶だから目立つけど、イチロくんも凄く強いよね」

「イチロはマヒロさんが光り輝き過ぎてるせいで自分も輝いていることに気付いてないから時々、突拍子もないことするんだよなぁ、無自覚に」

 初対面の時だって、水と地の副属性を同時に操って台を作り上げていることがどれほど凄いことかなど全く気付いておらず、寧ろ、集められた冒険者の間に走った動揺は未知の脅威への恐怖だと勘違いしていた。多分、今も気付いてないだろう。

「そう考えるとエディくんも心配だね」

「……そうだな。護衛騎士ってすごく大変な仕事なんだな」

 今度はジョンと共に青く晴れ渡った空を見上げた。あっちが晴れているのか曇っているのか、はたまた雨が降っているかは知らないがまず間違いなく殺しても死なない神父二人に付き添う護衛騎士の無事を願わずにはいられない。

「僕はね、行よりも帰りの方が過酷だと思うんだ」

「我が子欠乏症とティナ欠乏症が悪化してる頃合いだもんな……」

「……無事に、帰って来てくれるといいね」

「…………おう」

 二人はしみじみと空を見上げながら付き添いの彼らの無事を願うのだった。






「もう!! 馬車の中にいて下さいよ!!」

「体が鈍って仕方ないんだ、さぁ、遊んでやるからかかってこい!!」

「サヴィへ、貴方のお父上は制止する我々の声に耳も傾けてくれず、ゴブリンの群れに突っ込んで行ってしまいました」

「リックさん! 今は日記はしまったほうがいいんじゃ!?」

「ははっ! 盗賊如きが生意気な! 《ウィンド・カンターレ》!」

「キース、援護は頼んだぞ!!」

「ナルキーサス様!? 馬車の中にいてくださいって言ったじゃないですか!! ってジフ様ぁぁああ!?」

 アゼルの悲鳴を聞きながら、真尋は走りながら抜刀し飛び掛かって来るゴブリンたちをばったばったと切り捨てて行く。ナルキーサスの呪文が完成すれば、ゴブリンたちは眩暈を起してたたらを踏んだ。
 ジフ様こと我らが領主ジークフリートもいつの間にか真尋の背後で剣をふるっている。なかなかの腕前だと感心する。森の中から狙ってくる小賢しい個体はリックとイチロとロボ、アゼルが地の魔法と獣人族の特性をフル活用して討ち取っている。馬車の上ではナルキーサスの隣でダールが弓を構えて、援護してくれている。エドワードは旅の命である馬と馬車を守るべく奮闘していて、その馬車の中にいるのは、ティリアとフィリアだけだ。
 真尋と一路、ナルキーサスとジークフリート、ダールも馬車の中にいて下さいと言われたが、リックとエドワードだけでは分が悪いほどなんだかたくさんいるのだ。アゼルは頼りにはなるがまだ五級騎士で経験が浅すぎる。
 そもそも何故、こんな事態になっているのかというと話は三十分ほど前にさかのぼる。



 ブランレトゥを旅立ち、グラウを経由して九人という大所帯で六頭の馬を引き連れ真尋たちは、予定通りの旅程で進んでいた。三日前にはプレー平原と呼ばれる只管に地平線が広がる平原に入る前に近くの町に立ちより、あれこれ買い物も済ませ、平原自体は無事に通り抜けられ、今日は朝から森へ入っていた。このモハルの森は抜けるのに二日かかるという広くて深い森だ。迷路のように道が入り組んでいるのは、この森の中に獣人族たちのそれぞれの里が多々あり、よそ者がみだりに里に迷い込まないようにするためでもあるそうだ。無論、魔物も魔獣もいっぱいだ。故に普通の旅人は森を迂回するのが普通で、金銭に余裕があれば護衛を雇い、腕に自信のあるものくらいしか森の中の道は選ばないそうだ。
 アゼルの村は、この森を抜けた先にあるそうだが森はアゼルたちの村の人々にとっても大事な資源であり、獣人族の里は取引の相手である。アゼルたちの村は酒造が盛んで、森の中の村々と酒と肉、織物、木材などなど色々な物を交換しながら生きているそうだ。アゼルも子どもの頃から父や兄たちと共に酒を売り歩いていたため森の中にも詳しく、御者席で地図を見ながらエドワードに道案内をしてくれていたのだ。そうでなければ、この森を迂回しないとならず大幅に時間を取られることになっていただろう。それに彼は、なにくれとなくジークフリートの世話をしてくれているので、本当に連れて来て良かった。
 真尋自身は、一階にちゃっかり確保していた研究室でナルキーサスと毎日、楽しく魔術学を究めている。リックには「その方が断然平和なので、寧ろ寝食以外では籠っていてください」と言われたが、願ってもないことなのでここぞとばかりにやりたい放題だ。ナルキーサスも嬉々としてあれこれしているが、責任感の強い彼女は朝と夜の仕度だけはきっちりこなしていた。昼はサンドウィッチを作り置きしてくれているので各自で済ませることになっている。

「ここの術式を少し変えてみるか?」

「だとすれば……第三の法則を応用し、風……いや、水属性のカローの紋を使うか」

「だがそれだと風と違って水では分が悪い……ん? 囲まれたな」

 デスクの上に広げられた紙に描かれた術式紋を前にナルキーサスとあれこれ討論していた真尋は、ふっと顔を上げる。真尋が常時展開している探索の網に急に色々なものが湧いて出ている。あまり魔力を使うのも得策ではないので、極々薄く弱く、Cランク以下の魔獣は引っ掛からないような網を広げていたため、気付くのが遅れた。大方、気配を消すのに長けた魔獣か隠蔽がそこそこ使えるやつがいて、それを駆使して近づいて来ていたのだろう。

「魔獣か?」

「人型っぽいな精度が低いから詳細は分からんが……アンデットではないと祈りたいところだな」

 ばたばたと足音が聞こえて、今日はロボの背に跨っていたはずの一路が顔を出す。

「真尋くん、ゴブリンの群れに囲まれたみたい」

「数は……三十から四十といったところか?」

 椅子の背もたれにかけてあった上着に袖を通し、アイテムボックスから取り出した刀を取り出しベルトに差し出口へ向かうがドア枠に寄り掛かった一路は退いてくれない。

「行く手も阻まれちゃってるから交戦は免れない訳だけど、君と僕とキース様と領主様とダールさんと双子ちゃんはここで待機だって」

「却下だな」

「言うと思った」

 呆れたように肩を竦めた一路は真尋を止めることを最初から諦めているようだった。ぽんとそのふわふわの猫っ毛を撫でて真尋は部屋を後にする。私も行くぞ、とすぐに楽しそうなナルキーサスが後にくっついて来て、玄関先で武装したジークフリートとダールと合流し、四人は意気揚々と馬車の外へと飛び出した。
 そして話は冒頭に戻るのである。





 飛んで、跳ねて、撃って、躱して、斬り捨てて、あっという間に片が付く。
 その後は、魔法で地面に穴を開け、討伐の印と素材だけを切り取って死体を入れて焼いて処理する。こんな数がアンデットになったら厄介以外の何物でもない。アンデットになりようもないほど焼け果てたことを確認し、山になっていた土を魔法で戻して埋め立てる。

「Aのゲネラールゴブリンが一頭、B+のゲリエゴブリンが三頭、Bコロネルゴブリンが十頭、あとはCのルクリュゴブリンとDのゴブリンがうじゃうじゃってところですね。ナルキーサス殿が消し飛ばしたり、ロボが食べちゃったのが何匹か居たんで正確な数は分かりませんけど」

「ロボ! 変なものは食べちゃダメって言ったじゃない!」

 エドワードの報告に一路が眦を吊り上げる。ロボは、不味かったとでも言いたげに顔を顰めて項垂れた。

「なんだってこんなところにゴブリン・トレープが出てきたんだ? 前に寄った村ではそんな話は聞かなかったし、すれ違ったキャラバンもそんなことは言っていなかっただろう?」

「一度、近場の冒険者ギルドに調査依頼を掛けましょう。ゲリエだけではなく、ゲネラールゴブリンまで出たとなると……出会ったのが、我々だったからこそ被害がないんですよ。何せアルゲンテウス最強の神父様が二人、森の王者が一頭、最高の魔導師が一人ですからね。平原で会ったキャラバンも護衛は居ましたが、あのレベルでは壊滅だったでしょう。近くの騎士団にも連絡を入れたほうがいいでしょうか。森の中の獣人族たちの里に被害が出ていないとも限りませんね」

 リックがそう言いながら宙に浮かせた報告書に羽ペンを走らせ、事の次第を綴っている。
 血で汚れた騎士服にクリーンを掛け、ついでにリックたちにもかけてやる。血は掃除と洗濯が面倒だというのはプリシラに教えられた。ナルキーサスは既に馬車の中に戻っていて、双子と一緒に夕餉の仕度でもしてくれているだろう。ジークフリートも怪我がないことだけ確認して、さっさと馬車の中に放り込んだ。世話係のアゼルも一緒だ。
 そして、先ほどまで真尋たちは延々とゴブリンの後始末に追われていたのだ。半日も費やしてしまったことが誠に遺憾だ。既に日が暮れ始め、森の中は暗く、真尋はいくつか光の玉を出して灯りを取る。

「神父殿、よろしいですか?」

 ダールがどこか深刻そうな面持ちで前に出て来る。

「どうかしましたか?」

「これを」

 差し出されたのは一本の矢だった。何の変哲もない普通の矢に見える。

「これは私が倒した、B+のゲリエゴブリンが持っていたものです」

ゴブリンは人の道具を使う個体もいる。襲った人間から奪った剣や弓矢なんかを知能の高い上位種のゴブリンは好んで使うのだ。ただ手入れという発想がないので、ボロボロになったら捨ててしまう。

「この矢じり、石を削って作り出すもので……この棒の部分、青や緑の染料がわざとつけられているのが分かりますか」

 確かにダールの言う通り、棒の中ほどに一センチ幅の青い横線が二本、その間に五ミリ幅の緑色の横線がある。

「誰のものかっていう目印、ですか?」

 リックが首を傾げながら言った。ダールが、ええそうです、と頷く。

「この矢は、私たちの里の狩人のものです。私たちエルフ族は狩猟を主な生計の糧の一つとしています。魔法の矢も使わない訳ではないですが、年若い物や魔法が苦手なものもおりますし、魔力とて人族よりは多いとはいえ、有限です。ですので、矢はこうして自分たちで作り、打ち損じなどは出来る限り回収もします。その際、誰のものか分かるようにこうした印をつけるのですが、回収しきれなかった忘れ物をゴブリンが持っていることは珍しくはありません。この印は、狩人のルート兄弟のものです」

「……でも、なんでこれがここに? そのルート兄弟さんは、里を出てこの近辺にお住まいなんですか?」

 一路の問いにダールは首を横に振る。
 エルフ族の里までまだここから一週間もかかるほど離れている。

「ルートも弟のトランクも里にいますよ。ですが……私たちが里を出たのは三週間以上前になります。もしかしたらその間に、里で何か異変が起きているのやも知れません。こうしたゴブリンは、エルフ族の森にも当たり前にいましたが、これほどの規模のトレープが出たという報告はここ数年は受けておりません」

 ダールの顔に影が差す。不安そうに矢を握りしめる姿に真尋は顎を撫でながら、ふむ、と考え込む。
 こういう時にジョシュアやレイがいればなと思ってしまう。真尋は冒険者稼業には疎い。図鑑で知れるようなことは知っているが、実際はよく分からない事の歩が多い。その点、経験を積んでいるベテランの冒険者であればこう言った場合に予測できる事柄を幾つか知っているだろう。
 これらのゴブリンは、別にバーサーカー化などはしていなかった。ゲネラール、ゲリエ、コロネルゴブリンからは、素材と共に核も回収したがインサニアに侵されている様子もなかった。上位種のゴブリンの心臓と肝臓は薬の材料になるとかでナルキーサスが嬉々として持って行ったから中身にも問題はなかったのだろう。

「戦っていて、何か感じたことは?」

「そうですねぇ、アゼルも言ってましたが、何と言うか、ゴブリンたちが疲弊していたというか、今一つ動きがパッとしなかったというか」

「武器もかなりボロボロで、つい最近調達したものではないのかもしれませんね」

 エドワード、続いてリックが言った。リックの視線の先には、ゴブリンたちの武器が山となっている。鉄製品であるため、これらも戦利品として数えられる。武器としての価値はないので資材としてリサイクルされるのだ。
 確かに、と真尋も頷く。
 雑魚とも呼べるゴブリンやルクリュゴブリンと戦っていた時は、手ごたえのなさにこんなものかとも思ったが、コロネル、ゲリエといった上位種にも覇気がなく、最後の最後、勿体ぶるように出て来たゲネラールもまた呆気無いほど簡単に真尋の刃の下に斃れた。
 Aランクの魔獣と言えば、真尋のペットであるキラーベアのテディと同等だ。魔の森で出逢った彼とは拳を交えた仲だが、その気迫、力、存在感は真尋でさえ圧倒されたほどだった。テディは他のキラーベアより少々、強い個体らしいが他に出逢ったキラーベアとて一筋縄ではいかないほど強く、この異世界で初めて戦ったBランクのゲイルウルフでさえ、もっと生気に満ち溢れ、獰猛であった。
 しかし、このゴブリンたちはどうだろう。ゴブリン・トレープ、所謂、ゴブリンの大集団は冒険者ギルドでも手練れの物が集められるほど緊急性を要する案件だ。いつだったかプリシラの実家があるカロル村付近でゴブリンが群れ始めたというだけでも、ジョシュアとレイが派遣され、未然に防ぐよう立ち回っていた。

「弱い魔物や魔獣が群れるのは、捕食者たる存在から身を護り生存確率を上げるためだ。ゴブリンも五、六匹で群れているのが常だが、五十近い数でこれだけの規模のトレープを築いているとなると……これらの生息地域に何かしら今までいなかったはずの何かが出現した、或は、魔獣たちが忌避すべき異変が起きて逃げて来たとも考えられるな」

「インサニアの影響でしょうか?」

「それが分からん。見た所、死の痣に冒されていた様子もないし、バーサーカー化していた訳でもない」

「バーサーカー化していれば、もっと狂暴化するしね、ロボとかすごかったもん」

 一路の言葉にロボが大きな顔を一路に寄せる。一路は、よしよしとあやすようにその顔に頬を寄せ、優しく撫でる。バタバタと大きな尻尾が左右に揺れている。

「何にせよ、この森事態に異常がある線は薄そうだな」

「そうですね、木々たちも落ち着いていますし……もう少し年を重ねた木があればもっと分かるのですが」

 ダールが言った。彼はエルフ族だから樹木言語というギフトスキルがあるのだ。
 徐にダールが近くにある一番太い木の幹に触れた。きっと声を聞いているのだろうと真尋たちは黙ってそれを見守る。

「……すぐ近くにウィスティアリアの古木があるそうです。行って来てもいいですか?」

「俺とリックが同行しよう。エディ、イチロ、ロボ、馬車と皆を頼む」

「りょーかい。気を付けてね」

「ああ。行くぞ、リック」

「はい」

 光の玉をランタンに入れ、先頭を行くダールに渡し、真尋たちはその背に続いてあぜ道をそれ森へと足を踏み入れる。
 襲われた場所はぽっかりと開いた空き地だったが、それ以外は木々が鬱蒼と生い茂り、静かで重たい闇が居座っている。

「ダール殿はこの森は抜けたのですか、それとも迂回を?」

 真尋の投げた問いにダールは危なげなく足を動かしながら答えてくれる。

「我々は迂回を選びました。森の木々は確かに私たちに親しくしてはくれますが、この森に住まう獣人族の人々はきちんとこの森を敬い、愛し、大切にしています。そうなると幾ら言葉が分かっても、手は貸してくれても完全な味方にはなってくれないのです」

「ふむ。そういえば、あの双子を捕まえた時、クイリーンというエルフの女性の手を借りたんです」

「ああ、クフローグとフィグの娘ですな。長いことギルドの受付嬢をしているんでしたか」

「ええ。双子が隠れていた林だったか森は、普段、クイリーンが挨拶をかかさない森だったとかで呆気無く双子を見つけ出せたんですがそれもやはりそういうことなのでしょうか」

「まあ、そうですね。貴方方だって赤の他人よりは親しい者を優先するでしょう? とはいえエルフ族にとっても木々にとっても樹胎生の双子は大切な宝物です。クイリーンが善性だからこそ教えたのでしょう。エルフ族は早々悪事には走りませんが、性根が腐った者に木々は手を貸しませんからね……ああ、ありましたあの木ですね」

 ダールが指差した先には、小さな泉があってその傍に大きな木が植わっていた。藤の木によく似ているが秋から冬へ移り変わる今はちらちらと葉が風に吹く度に儚く落ちている。
 辺りに魔獣の気配がないことを伝えれば、ダールは垂れ差がるカーテンのような枝葉をそっと退け藤に近付いて行く。真尋とリックは少し離れたところで話が終わるのを待つ。
 ふと泉を覗いてみれば、清く澄んでいてとても綺麗だ。光の玉を一つ、小さな泉の中央に沈めてみると存外、深いことが分かった。

「ミアは泣いていないだろうか」

「サヴィがいるんですから、大丈夫ですよ。ジョンくんだっていますしね」

「ああ、帰りたい。絶対、パパ、パパと寂しがっているに違いない」

「私の話聞いてますか?」

 リックの言葉は聞き流し、夜色に染まり始めた空を見上げる。
 もうミアとサヴィラ不足で死にそうだ。今すぐにでも愛しい我が子たちを抱き締めて、その愛しさと可愛さを噛み締めて、一緒にご飯を食べて、一緒に風呂に入って、一緒にベッドで眠りたい。

「もう俺が寂しくて死にそうだ……っ」

 両手で顔を覆って項垂れる。

「まだ目的地にも辿り着いていませんよ」

 やれやれとため息が零される。薄情な護衛騎士だと内心で毒づく。口に出すとまたあの日記を持ち出されるに違いなかった。

「……ナルキーサス殿はお変わりありませんか?」

「多分、な。ただ時々、思いつめたような顔でため息をついている時がある、ジーク殿も同様だ」

「夫婦の仲というのは難しいものですね」

「全くな」

 真尋は泉に沈めたままだった光の玉を呼び寄せ、手元に戻す。それと同時に古木と話を終えたダールが戻って来た。

「どうでしたか?」

「このモハルの森事態には、何ら異常はないそうです。ただこの一、二週間の間に東の地より魔獣や魔物がこの森にやって来て、先住の魔獣たちと少々小競り合いが起きているそうです。先ほどのゴブリンたちも東の地から数日前にやって来たそうですが、ここの最奥にゲネラールゴブリンが数頭いて、それぞれが縄張りを固辞していてこの辺をうろうろしていたそうです」

「他に凶悪な魔獣は?」

「今のところはあのゴブリンが最も厄介であっただろうと……東の地は、エルフ族の森のこと。どうやらそこに何か大きな厄災が現れて、それから逃げてきたのではないか、と」

 ダールの顔から血の気が引いている。最悪の事態があれやこれやと彼の脳裏を駆け巡っているのだろう。体の横で握りしめられている拳が震えていることに気付く。

「ダール殿、最速で里を目指しましょう。それに里にまだ何かあったと決まった訳ではないでしょう? それに里を護る世界樹とてまだ無事なのでしょう?」

「……はい。世界樹に何かあれば、木々たちが黙ってはいないでしょう……そうですね、ここで私が取り乱しても事態は何も変わりません。それならば先を急いだほうが余程、建設的ですね」

 パチンっと一度、自分の頬を両手で打ってダールが顔を上げた。
 真尋は、とんとその肩を叩いて戻ろうと促す。去り際、三人そろって古木に礼を告げてから馬車へと戻る。行きよりずっと早足になりながら、真尋は思考を巡らせる。
 強い者が現れ、弱い者が追い出される。人間だろうが動物だろうが、異世界だろうが地球だろうが歴史が紡がれていく中で、当たり前のように起こって来た事案である。それらの原因は様々だ。自然災害であったり、戦争で在ったり、流行り病であったり、何かしらの環境の変化が引き金となって起こりうる現象だ。
 今回のケースで言えば世界樹が弱っているということが鍵になっているのだろう。それまで世界樹が守るエルフ族の森に近付かなかった何かが、エルフ族の森に降り立ったということだろうか。そして、それはAランクのゲネラールゴブリンよりも強いということなのだろう。そうなると種類は限られてくるはずだ。図鑑としての知識はあるが冒険者稼業に精は出していないので経験から得られる生きた知識はあまりない。馬車に戻ったら一度、全員を集めて意見をもらう必要がある。食料は余分に積んであるから、いざとなれば補給を目的としている寄り道を一つ二つ減らせばいい。
 真尋が願うことはただ二つだ。
 一つはミアとサヴィラのもとに一秒でも早く帰れますように。
 もう一つは、もう二度とインサニアによる哀しい別れが訪れないように、だ。
 人は何れ死ぬ。長い命を持つエルフ族もドワーフ族にも平等に訪れる別れだ。それでも綺麗事だと分かっていても、無理矢理奪われて訪れる別れとその哀切に触れたくはなかった。
 どうかどうか今度こそ間に合いますように、そう願いながら真尋は足に力を入れ森の中を駆け抜けていくのだった。




――――――――――――
ここまで読んで下さってありがとうございます!
いつも閲覧、感想、お気に入り登録、励みになっております><。

次回は雪ちゃんたち登場させたいですが、予定は未定ですのでご了承ください!!

作者近況
猫の後ろ脚によるえげつなきキックによって左手を負傷しました( ˘ω˘ )

次のお話も楽しんで頂ければ幸いです♪
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 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

フリーター転生。公爵家に転生したけど継承権が低い件。精霊の加護(チート)を得たので、努力と知識と根性で公爵家当主へと成り上がる 

SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
400倍の魔力ってマジ!?魔力が多すぎて範囲攻撃魔法だけとか縛りでしょ 25歳子供部屋在住。彼女なし=年齢のフリーター・バンドマンはある日理不尽にも、バンドリーダでボーカルからクビを宣告され、反論を述べる間もなくガッチャ切りされそんな失意のか、理不尽に言い渡された残業中に急死してしまう。  目が覚めると俺は広大な領地を有するノーフォーク公爵家の長男の息子ユーサー・フォン・ハワードに転生していた。 ユーサーは一度目の人生の漠然とした目標であった『有名になりたい』他人から好かれ、知られる何者かになりたかった。と言う目標を再認識し、二度目の生を悔いの無いように、全力で生きる事を誓うのであった。 しかし、俺が公爵になるためには父の兄弟である次男、三男の息子。つまり従妹達と争う事になってしまい。 ユーサーは富国強兵を掲げ、先ずは小さな事から始めるのであった。 そんな主人公のゆったり成長期!!

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