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本編 2

第七話 旅立つ男

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 静かにドアが開いて、一路が顔を出す。琥珀に緑の混じる双眸が「大丈夫?」と尋ねて来るのに頷き返して、彼を部屋に招き入れた。
 真尋は、ミアとサヴィラが深く眠っているのを確認し、そっとベッドから抜け出して縁に腰掛ける。一路が近くにやってきて二人の寝顔を覗き込んだ。

「ミアちゃん、また泣いちゃった?」

「眠る頃に少しな」

 ミアの赤くなった目元に気付いて一路が眉を下げる。
 
「それで、どうしたんだ?」

 一路が部屋に来ることは、ほんの少し前に小鳥が届いたので知っていた。一路はミアの頭をそっと撫でて顔を上げる。

「ああ、やっぱり夜明け前に出立したいみたい。東門を特別に開けるから、それまでに用意して欲しいんだって」

 真尋はサイドテーブルに置いてあった腕時計を手に取る。
 大体、今の季節は六時前には日が昇る。それよりも早くとなると五時ころの出立だろう。時刻はすでに一時を過ぎて、もう碌に時間がないことだけは分かった。既にリックとエドワードは出立の準備に奔走してくれていて、今は騎士団に行っている。エドワードに至っては、今日一日、今回の旅に連れて行く馬の世話を全てしてくれていたのだ。その分、エドワードの持ち物の準備はリックが自分の分と合わせて仕度をしていた。

「ティリアたちには伝えたのか?」

「うん、僕の部屋で寝てるよ。ティナが側にいてくれるから大丈夫だよ。やっぱり元々仲の良い種族だから傍にいると落ち着くらしいよ。元気にはしているけど、やっぱりお母さんのことで不安みたい。二人とも繋いだ手を離さないくらいだし」

「そうか。……あの二人は、サヴィと同い年らしいが、サヴィに比べるとなんだか幼いな」

「僕もそう思ってティナに聞いたら、やっぱり長生きする種族だから、年齢よりは幼いことも多いんだって。エルフ族は背が高い種族だから、背は高いんだけどね。僕と変わんないし」

「成程」

「そういえば真尋くん、仕度は出来たの?」

「ミアとサヴィとリックがしてくれたからな。騎士服も出してある」

 一路が視線を向けた先、シャワールームへと続くドアを隠すように置いてあるパーテーションに騎士の制服が一式がハンガーにつるされて掛けられている。騎士団に執務室を貰ったのとほぼ同時にこの騎士服も貰ったのだ。神父服は色々と厄介なので、騎士服で行く方が無難だろう。

「まあ、君の顔は神父服だろうが騎士服だろうが、目立つんだけどね」

「仕方ないだろう。持って生まれたものだ」

 まあね、と一路はくすくすと笑って肩を竦めた。

「それと、やっぱりエルフ族の里行きは避けられそうにないみたい。さっき、エディさんから僕宛てに小鳥が届いたんだけど、情報の行き違いがあったみたいで、グラウに来て領主様に会ったのは、族長じゃなくてその息子なんだって。族長は、世界樹を護るために向こうに残っているそうだよ。今のところ、死の痣は確認されていないけど、世界樹の落葉は止まらないそうだよ」

「……そうか」

 真尋と一路はかなりの我が儘を言って、屋敷で家族や恋人と過ごしているが騎士団や領主家はかなりの混乱と焦燥を極め、厳戒態勢が敷かれている。世界樹の異変は、この国そのものに何が起こるか分からず、領主家では領主夫人に毒が盛られるという事件まで同時に起きている。その最中、町の防衛の一端を担う真尋や一路が留守にすることで人員不足の騎士団は、防衛策の再構築をせざるを得ない状況だ。

「でも今は、君は旅が始まったらほとんど寝ないだろうから、ミアちゃんとサヴィを抱き締めてしっかり仮眠を取って。僕はどこででも眠れるし」

「分かった。そうさせてもらう」

「また何かあったら報せに来るよ。お休み」

「おやすみ」

 一路はひらりと手を振って、部屋を出て行く。ぱたんとドアが閉められて静かになった部屋で真尋はミアを抱えるようにして再び横になった。ミアは眠っているのに真尋の胸に顔を埋めてシャツを握りしめる。その可愛らしさに目を細め、ミアの向こうで眠る息子に顔を向ける。あどけない寝顔はまだまだ幼くて、頬にかかった髪をそっと払い、布団を掛け直す。
 枕元に置かれたロケットに手を伸ばして開く。微笑む雪乃にキスを落とし指先で、彼女の頬を撫でた。

「俺たちの息子と娘を頼んだぞ」

 大丈夫よ、心配しないで、と彼女はきっと微笑うのだろうと思いながらロケットを閉じて元の位置に戻す。
 腕の中に抱く温もりは、いつも真尋に安心を与えてくれる。ミアの人より少し高めの体温を抱きながら、もう目前に迫る旅に備えて、真尋は目を閉じたのだった。







「エディ、どこだ? エディ?」

 馬小屋を見回し、相棒の姿を探す。彼の愛馬の傍にいるのかと思ったが、そこに揺れるボルドーの髪はない。

「シルフ、君の御主人はどこかな?」

 なんとなくシルフに問いかければ、シルフはぶるるんと息を吐き出し、後方を振り返った。その長い顔が向けられた先を見れば、マヒロの馬の傍にしゃがみ込み馬具の調子を確かめる相棒がいて、シルフにお礼を言ってそちらに足を向ける。
 つい先ほど、騎士団から戻って来て、リックは出立に伴う最終確認を、エドワードは馬たちの確認をしていた。全ての荷物をエントランスに運んだので、後は馬車にそれを積み込む作業が残っている。

「エディ、もうそろそろ馬車の準備は出来るか?」

「ああ、全頭元気だし、問題ない。馬車は、まずはイチロのコハクと俺のシルフ牽く。マヒロさんのハヤテとお前のエーデがペアで、交互に牽かせる」

「馬のことはお前に一任するってマヒロさんたちも言っているから、俺は何も言わないよ」

「他は兎も角、馬のことなら任せておけ。……よっし、リック、コハクを連れて来てくれ。俺はシルフを連れて行くから」
 
 えへんと胸を張ったエドワードに、はいはい、と頷いてリックはハヤテの隣にいたイチロの愛馬に声を掛けて彼の綱を引き、出口へと向かう。外へ出れば、既に馬車が用意されていてエドワードが手際よく仕度していき、二頭の馬を馬車へとつなぐ。
 この馬車は、急きょ、用意された馬車で日除けの布製の屋根がついた座席が前方に四人分あり、その座席の後ろに大人の女性が二人座って少し窮屈だろうという箱型の座席がついている。この中には、ティリアとフィリアの双子が乗り、自分達は座席に座り、御者を代わる代わるこなしつつ、自分の馬にも乗ったりする予定だ。
 エドワードが先に馬車と共に玄関に行き、リックは、もう一度中に戻って愛馬とハヤテを連れて玄関へと向かう。
 この秋にリックの愛馬になったエーデは、黒鹿毛と呼ばれる黒に近いこげ茶の馬だ。ある日突然、牧羊魔物専門店のロークに連れていかれ、店舗では無く、カマルが暮らす母屋の中庭に連れていかれ、カマルが「選りすぐりの三頭です」と紹介してくれたうちの一頭だ。事態を理解するまでに少々時間はかかったが、二級騎士、そして、護衛騎士に昇格したお祝いにとマヒロが用意してくれたのだ。他の二頭もあのカマルのお眼鏡に敵っただけはあってもちろん素晴らしかったか、リックは一目見た時から、この馬がいい、とエーデを選んだ。値段は教えてくれないが、この素晴らしい体つき、忠誠心、毛並みを鑑みるにかなり高価な馬だというのは分かる。相棒が馬の虜になる意味が少し分かってしまうくらいには、エーデは素晴らしい馬だった。そして、エーデの馬具一式は、両親と弟がお祝いにと贈ってくれた品で、これもカマルが一流のものを揃えてくれたのだ。
 玄関へ回ると既にジョシュアとレイがいて、エドワードと共に中から外へと荷物を運び出してくれていた。馬車の傍にはロボとブランカ、ロビンにテディもいる。

「ジョシュアさん、レイさん、おはようございます」

「ああ、おはよう」

「……はよ」

 ジョシュアはいつもの朗らかな笑顔だったが、レイは眠たそうに欠伸を零している。

「夜も明けてない内にすみません」

「なに、農夫の朝は早いからな、大したことないさ。村にいれば日の出前に起き出すのは当たり前だったしな」

「クエストでもねえ限り、冒険者の朝は遅ぇんだけどな」

「とかなんとか言ってるが、俺が起こした訳でもなく起きて来たから、なんだかんだマヒロたちが、心ぱ、いって」

 むすっと顔を顰めたレイがジョシュアの脇を小突いた。ジョシュアが「痛いなぁ」と唇を尖らせ抗議するがレイは、ふんっとそっぽを向いてしまった。レイという人はとても優しい人だと皆が知っているのだが、どうも本人はそれを認めることは出来ないようだ。以前、イチロが彼らの故郷ではレイのような人を「ツンデレ」というのだと教えてくれた。

「おはようございます」

 朗らかな声に顔を上げれば、既に騎士の制服に身を包んだ一路がこちらにやって来る。

「おはようございます、イチロさん」

「おはよ、イチロ。双子とマヒロさんは?」

「ティリアとフィリアはティナと一緒にお弁当の仕度をしてくれてて、マヒロくんは、ミアちゃんがちょっと不安定だからギリギリまで傍にいるって」

 イチロの言葉に何とも良心が痛む。大分大人びたサヴィラでさえ、寂しそうにしているのを隠しきれていないのに、幼いミアから一か月も父親を取り上げてしまうことはとても心苦しい。

「そういや、イチロ、マヒロさんから馬車の鍵、預かってないか? 荷物、貴重品だけは中に入れておきたいんだ」

「預かってるよ。はい」

 一路がポケットから取り出した鍵を受け取り、エドワードが馬車のドアの鍵穴に差し込む。

「そういやクロードさんが、何か、してた、け、ど……?」

 ドアを開けたエドワードがピシリと固まり、彼の後ろにいたジョシュアとレイもぽかんと口を開けたまま固まっている。リックからは丁度、ドアが影になっていて見えず、首を傾げながらエドワードの傍に行き、中を見上げて彼と同じく開いた口が塞がらなくなった。

「あ、快適そうだねぇ」

 イチロだけがのほほんと感想を述べて、中へと上がる。
 ここには大人の女性が二人腰掛けて窮屈な座席がある筈だった。筈だったのに、どういう訳か目の前には、この屋敷ほどとはいかないがそれなりに立派な玄関があり、馬車の大きさを無視しているであろう奥行きがあり、玄関脇には二階へ続く階段まであった。

「うわー、すっごい!」

「馬車の中にお家があるー!」

「すごいですねぇ、ちょっと中を見てもいいですか、イチロさん」

「うん、いいよ。僕もまだ話だけで中は見てないんだよね」

 お弁当を作って来てくれたティナがイチロの手を借り、馬車の中へと入っていき、双子は賑やかに馬車へ飛び込み「二階もあるー!」と叫んで駆けて行った。

「え、ちょっと待って、何で馬車の中に家が有んの? 聞いてないんだけど……」

「わ、私だって聞いてない」

「言ってないからな」

 いきなり現れたマヒロにリックとエドワードは大袈裟に肩を跳ねあがらせて振り返る。
 ちょっと目が赤いミアを片腕に抱っこし、もう片方の手をサヴィラと繋ぐ騎士服姿のマヒロが立っている。隣には、ジョンとリース、プリシラがいて、後ろにはアマーリアたちまでいた。

「少し前にな、紫地区にあった空き家を一軒買ったんだ」

 徐にマヒロが話し始め、リックとエドワードは身構える。だってもう既に土地からして高い上、高級住宅街しかない紫地区という言葉が出てきているのだ。ごくりと生唾を飲み込む。

「いずれもう少し仕事が落ち着いたらサヴィとミアと旅行に行こうと思って」

「父様、ちょっと意味が分からない。何で旅行に行くのに家を買うの? 家あるじゃん、こんな大きいのが」

 彼の優秀な息子が、リックたちの心の声を代弁してくれた。

「だって、馬車での旅は然程快適ではないだろう? だったらテント代わりに家でも持って行った方が楽だし、便利だ」

「パパ、言ってる意味が、ミアもちょっと分かんない」

 白い兎の耳を揺らしながらミアが首を傾げた。リックも分かんない、と全力で同意したくなる。
 そもそも凡人には、家を持ち歩くという発想がないし、そもそも家は一生の買い物であって、そんなぽんぽん買うようなものではない。まだ旅先にある別荘を買ったというのならその意味も分からないでもないが、何故、家を持ち歩こうとするのか。

「クロードと協力してアイテムボックスの拡張魔法を馬車の中に応用して、家を中に入れたんだ。ほら騎士団のテントとかがそうだろう?」

「そりゃあ、確かにそうですが、騎士団で使っているテントなんて寝る部屋とシャワーとトイレがあるだけですし、あれは家を入れているんではなく、拡張魔法で広くした室内に極々簡易的にトイレとシャワーを作っただけで……」

 あのテントもかなり高等な魔術学が用いられてはいるのだが、多分、馬車の中に家をぶち込むという方法は大発見と言えるレベルの話だ。

「……旅は、快適な方がいいだろう?」

 心底、不思議そうにマヒロが首を傾げる。おそらく彼は、リック達が何に困惑しているのかがよく分かっていないのだ。隣にやってきたサヴィラにぽんぽんと慰めるように腕を叩かれた。
 まだ旅は始まっていないのにいきなりこれはあまりに酷いと無言でサヴィラを抱き締めたら、サヴィラはとんとんと背中を撫でてくれた。その優しさに泣きそうだ。

「パパ、あんまり無茶しないってミアと約束したのに……」

「ミア、まだ旅は始まってないんだ。無茶なんかしてないぞ?」

 ミアの言葉に首を傾げる真尋さんを横目に全てを諦めたエドワードとジョシュアとレイが荷物を中に運び入れる。リックもサヴィラに礼を言って、彼を開放して荷物を運び入れるのを手伝う。馬車に括り付けるわけでも、あれこれ仕分けする訳でもなく、家から家に運び入れたようなものなので、それもあっという間に終わってしまった。
 ティナが馬車から降りて、双子は馬車の中ではなく外の座席に座った。マヒロはミアを降ろし、アイテムボックスからカタナを取り出して腰に差し、イチロは弓を装備する。リックとエドワードも最終確認をして、エドワードは御者席にリックは愛馬に跨った。

「ジョシュア、レイ、家のことは頼んだぞ。クレアたちも子どもたちと家のことはよろしく頼む。だがプリシラは無理するなよ。アマーリア様は……まあ、無茶はしないように」

「ああ。任せてくれ」

「分かってるわ。大丈夫」

 声を掛けられた面々が頷いて返す。返事をしようとしたアマーリアの口を塞ぎ、「見張っています、ちゃんと」とリリーが答えた。レオンハルトとシルヴィアはリリーの言葉に頷き、アマーリアの護衛騎士の二人まで頷いていた。確かにこの数日で色々と被害(マヒロは人のことは言えないが)が出ているので仕方がないことだ。

「ジョン、嫁にはやらんがミアのこと、頼んだぞ。男としてお前のことはジョシュアと同じだけ信頼しているからな」

「うん、任せて!」

 マヒロの大人げない言葉にもジョンは素直に頷いて返す。サヴィラのジト目もマヒロは受け流す。イチロが呆れたようにため息を零して、ティナを抱き締める。

「ティナ、行ってくるね。あとはよろしくね」

「はい。イチロさんもお気をつけて」

 イチロはティナの頬にキスをしてもう一度抱き締めると彼女の隣にやってきたブランカとロボに向き直る。

「ブランカ、ロビン、ティナちゃんをよろしくね」

 イチロが頭を撫でながら言った言葉にブランカとロビンは頷き、イチロから離れると旅に出るロボへ挨拶をしに行く。そしてイチロもエドワードの隣に乗り込んだ。リックもジョシュアたちに気を付けろと声を掛けられ返事をするも今にも泣き出しそうなミアにリックは良心が痛む。
 ミアは、それでもマヒロに心配をかけまいと懸命に涙をこらえて、サヴィラと手を繋いでいた。

「サヴィ、ミアのことを頼んだぞ」

 マヒロがサヴィラの頬にキスを落とし、サヴィラも父の頬にキスを返す。その次にミアの前に膝をついて娘を抱き締め、同じように頬にキスを落とす。ミアもぎゅうとマヒロに抱き着いてからキスを返して、ゆっくりと離れ、抱き着かないように我慢しているのか再びサヴィラの手を握りしめる。

「ミア、ママのロケット、大事に守っていてくれ」

「……うん。パパ、気を付けて行って来てね。ミア、ちゃんと待ってるからね」

「ああ、分かった。怪我や病気のないように気を付けて行ってくる」

 マヒロがミアの頭を撫でて立ち上がり、愛馬へと跨る。

「テディ、俺の息子と娘を頼むぞ」

「ぐー」

 ブランカの隣にいたテディが頷いた。マヒロはそれに満足げに頷くと「行こう」と一言告げ、手綱を引き駆け出す。それを追いかけるようにエドワードが手綱を引いて、馬車が動き出し、リックもマヒロと並んで馬を走らせ、ロボが最後についてくる。

「パパ! 行ってらっしゃい! 無茶しちゃだめよ! リックくんとエディくんは人間だからね!」

「父様! ミアのことは任せて! あと双子! 父様が無茶したらリックに言えよ!」

 二人の叫びに誰ともなく吹き出して笑い声が響く。振り返れば、ミアとサヴィラも笑顔で手を振っていて、リックも大きく手を振り返した。

「ミア! サヴィ! 一言二言余計だ! 行ってくる!」

 マヒロも笑いながら手を上げて返し、笑顔に見送られ愛馬たちは東門へと向かって屋敷を後にしたのだった。









「……治癒魔法、いりますか?」

「……いえ、あとでアルトゥロに治してもらいますので、お気遣いなく」

 躊躇いがちに問いかけた一路にレベリオが気まずそうに答えた。
 屋敷を後にした一行は、東門へとやって来た。そこにはウィルフレッドとレベリオ、アルトゥロ、そして、カロリーナと今回の旅に同行する予定の五級騎士のアゼルがいたのだが、どういう訳かレベリオは魔獣とでも戦って来たのか、頬を腫らし、頭に包帯を巻き、松葉杖までついていた。正に満身創痍という言葉そのものだ。

「魔獣とでも戦ったのですか?」

 真尋の問いにレベリオはそっと顔を背けた。

「いえ、少々妻との喧嘩が白熱しまして」

 白熱し過ぎだろうという言葉を飲み込んで、そうですか、と短く返した。
 心なしかウィルフレッドが遠い目をしている。やはり魔法と剣の世界での一流の騎士と一流の魔導師の喧嘩は、とんでもないもののようだ。ナルキーサスに怪我はないのだろうか、と心配するも食堂での喧嘩もレベリオは身を守るだけで、ナルキーサスに反撃はしていなかったのを思い出す。そもそも騎士であるレベリオが女性に手を上げることはありえない。

「でも、足の怪我は治しておいた方がいいですよね? これから忙しい筈ですし」

「ですが、これから大事な旅に出る神父殿の大事な魔力を頂く訳には」

「骨折を治したくらいでは、然程の影響はないですよ」

 真尋の言葉に頷いた一路が御者席から降りて、さっさとレベリオの足を治した。レベリオは丁寧に礼を言って、不要になった松葉杖をアルトゥロに返した。アルトゥロはそれを持っていた鞄にしまう。

「それでキースはどうしたんです?」

「妻は自室に籠城しておりますのでご安心ください」

 多分、ご安心はあまりできないのだろうな、と目を泳がせるレベリオにため息を零す。ナルキーサスは、真尋と一路を除けばこのアルゲンテウス領で最も優れた魔導師で、更に言えばこの王国においても指折りの実力者だ。力では騎士であるレベリオが勝つだろうが、魔法を使われてしまえば勝ち目はないだろう。

「まあいい……それで、道案内役はアゼルか?」

「はい! 俺の村はエルフ族の森のすぐ傍なので!」

「そうか。色々と手を借りることになるだろうから、よろしく頼む」

「はい! 光栄です! 頑張ります!」

 早朝から元気なことだと感心する。
 アゼルは真尋より二つ年上で普段、騎士団本部の門番を担っている五級騎士だ。いつぞやサヴィラとミアが真尋の忘れものを届けてくれ頭と柄の悪い騎士に絡まれた時に助けてくれたのが切っ掛けで、言葉を交わすようになった仲だ。サヴィラが割と懐いていて、真尋よりもサヴィラと交流がある。今回、土地勘のある者を連れて行きたいと言ったところ、アゼルが抜擢されたのだ。双子は、里の外に出たのが初めてであるし、木々たちに隠されるようにしてここまでやって来たので、道案内を頼むには無理があった。

「荷物、貴重品だけ中にいれてもいいですか?」

「大丈夫ですよ、アゼル五級騎士」

 傍らに置いてあった鞄の中から、やや大きめの布袋を取り出したアゼルにリックが首を横に振った。
 リックが馬から降りて馬車のドアを開けた。全員、先ほどと同様、ぽかんと口を開けて固まる。馬車の中に家があるくらいで、こんなにも驚かれるとは思っていなかった。クロードは「私!! こういうの!! 夢でした!!」とはしゃいでいたので気にも留めなかったのがいけなかったのだろうか。

「あとで部屋割を決めるので、荷物はリビングにでも置いておいてください」

「は、はい! す、すげー……、うわっとっ」

 呆然としながら馬車のステップに足を掛けたアゼルが足を滑らせたのか、大きくよろけた。傍にいたリックが慌てて彼の腕を掴んで支える。アゼルが「すみません、ありがとうございます」と恥ずかしそうに鞄を抱え直して、今度は足元をしっかり見ながら中へ入っていく。その小柄な背中を見ながら、真尋はやれやれとため息を零す。

「僕がロボの背中に乗るから、アゼルさんが御者席でもいい?」

「ああ、構わん」

 一路がそう言って近寄って来たロボの背に跨る。

「神父殿、見間違いでなければ馬車の中に家が……」

「説明は商業ギルマスのクロードに頼んで下さい」

 ウィルフレッドの言葉にそう返す。ウィルフレッドとレベリオ、カロリーナは、なんとも言えない顔をして頬を引き攣らせていたが、アルトゥロは「すごい魔法ですね!」とはしゃぎながら中を覗き込んでいる。
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 ウィルフレッドが、ははっと乾いた笑いを零し、顔を上げた。彼の視線の先には、屋敷を出て少ししてから押し黙ったままの双子に向けられた。双子は固く手を握り合ったまま固く口を閉ざしている。その顔には、底知れぬ不安や恐怖がありありと浮かんでいて、流石の真尋も心が痛む。彼らの抱える不安は、あの日、命の灯を儚く燃やすノアの隣でミアが抱えていたものに似ている。永遠に喪ってしまうかもしれないという恐怖は、筆舌に尽くし難いものに違いなかった。

「ティリア、フィリア」

 ウィルフレッドが声を掛けると二人は、少しだけ顔を上げた。

「君たちと一緒に行ってくれるこのマヒロ神父殿とイチロ見習い神父殿は、この町を天災から救ってくれた我が町の英雄だ。大丈夫、君たちの母君である精霊樹も、世界樹も、里も、救ってくれる、守ってくれる」

 双子がちらりと真尋に視線を向けてきたのに気付いて、小さく頷いて返す。そうすれば、ほんの僅かに双子の表情が緩んだ。

「マヒロ神父殿、町のことは私たちに任せてくれ。その代わり、エルフ族の里を頼む」

「その期待に応えられるように全力を尽くします。ですが、」

 真尋はしかと頷くもそこで言葉を切って、薄く笑いながらウィルフレッドを見下ろす。ウィルフレッドの手が彼の胃に伸びた。

「閣下の可愛い甥御が、私の可愛い娘に間違いを働かないように、その一点を特に、と・く・に、よろしくお願いいたします。帰って来た時に、婚約のこの字でも出たら、私が領主になりますからね」

「ぜ、全力を尽くす! クラージュ騎士団の名に懸けて! な!」

 横にいたレベリオとカロリーナが首が取れそうなほど激しく頷いて騎士の礼を取った。真尋は、お願いしますね、と笑みを深めて念を押した。
 一路たちからの視線が突き刺さるが、可愛いミアを思えば痛くも痒くもない。

「では、閣下、行ってまいります」

「あ、ああ……開門!」

 ウィルフレッドの掛け声に大門の隣にある小さな門が開けられ、真尋は愛馬の手綱を握る。ハヤテが歩き出せば、リックが続き、エディの掛け声に馬車が動き出す。最後尾に一路とロボが続く。
 「頼むぞ!」という声に手を振り返し、真尋はハヤテの腹を蹴り、東の空は薄明るくなってもうすぐ朝日が顔を出すだろう平原へと愛馬を走らせ、それに重なるように仲間たちの馬の蹄が大地を蹴る音が静かな朝の世界を揺らす。
 門の近くの野営地では朝一番に町へ入るために人々が朝の仕度をし始めていて、煙の臭いが微かに鼻先を撫でて行く。あと数時間であの大きな門が開き、壁に囲まれた川べりの町・ブランレトゥは賑やかな一日が始まる。

「ミア、サヴィ、行ってくるな」

 一度だけ壁に囲まれた町を振り返り、小さく祈るように囁いた。























「きゃぁっ! ま、まあ! 充さん、ごめんなさい!」

 お尻の下敷きになってしまった園田に謝り、慌てて隣へと降りる。

「いえ! 私は全く持って平気です! 雪乃様こそお怪我は!?」

 園田はばっと起きると雪乃の肩を掴んで怪我がないかと忙しなく目を動かす。雪乃が、大丈夫よと微笑んで返せば、園田はほっとしたように表情を緩めた。二人して安心しかけたが、大事な存在が側にいないことに気付いて慌てて辺りを見回す。
 するとすぐ近くに双子の下敷きになってくれたらしい海斗と海斗に謝る双子を見つけて、ほっと胸を撫で下ろす。彼らもこちらに気付いて、立ち上がりこちらへやって来た。変わりなく歩けているということは、海斗もそして双子も怪我はなかったようだ。雪乃も園田が差し出してくれた手を取り立ち上がる。

「雪ちゃん、大丈夫?」

「怪我してない?」

「ええ、充さんが庇ってくれたから怪我一つないわ」

「流石みーくん!」

「偉いね、みーくん!」

 双子に褒められた園田が照れくさそうに頭を掻いた。雪乃は仲睦まじい光景に笑みを零し、さて、と辺りを見回した。
 森に囲まれた小さな泉はきらきらと水面を太陽の日差しに輝かせている。けれど、人の気配は全くなく、寧ろ道らしきものも見当たらなかった。豊かな自然だけが視界一杯に広がっていて、顔を上げれば爽やかに晴れた青空が広がっている。

「真尋さんの家のお庭に落としてくれるって言っていたような気がしたのだけれど……」

「みっちゃんと雪乃が飛び降りてすぐ、「あ! 座標がずれちゃいました、すみませぇぇえん!」って泣いてたんだよなぁ、ティーンクトゥス様」

 海斗が苦笑交じりに告げた言葉に雪乃は園田と顔を見合わせる。

「確かブランレトゥから離れてないしアルゲンテウス領内なのは確かだって言ってたよ、まあ、地図とかないからどこかさっぱり分かんないけど」

「ですね。それほど高い所から落ちた訳でもありませんから、周囲の確認は出来ませんでしたし……」

 園田も困ったように眉を下げた。双子が不安そうに雪乃の手を握りしめて来るのに気付いて、大丈夫よ、と微笑み返す。
 海斗は暫く何かを考え込んだあと、よし、と呟き顔を上げた。

「しばらくはここで野営しよう。俺とみっちゃんで少しずつ周辺を探って、人里がないか調べる。下手に目標なく旅に出て雪乃が体調崩したら本末転倒だし、俺たちもこの体に慣れる必要があるからね」

「うん、そうしよ!」

「雪ちゃんの具合が悪いとお兄ちゃん心配するし、僕もやだもん!」

 双子が一番に賛成して、園田も賛成を示すように頷いた。
 雪乃は、零れそうになったごめんなさいを飲み込んで、ありがとうとお礼を口にした。
 改めて深呼吸をして、辺りを見回す。何もないけれど、雪乃にとって、いや、ここにいる皆にとって何より大事なものがある世界は、ただそれだけで輝いているように見えた。

「真尋さん、驚くかしらねぇ」

「早くお兄ちゃんに会いたいね」

「お兄ちゃん、元気かなあ」

「きっと一路は今日も可愛いんだろうなあ」

「真尋様は今日も輝いておられるのでしょうねぇ」

 雪乃につられるように空を見上げた彼らもしみじみと呟いて、なんだかそれが可笑しくて雪乃は笑ってしまった。すると彼らもくすくすと可笑しそうに笑う。
 真尋と一路を喪ってから、こんな風に穏やかに笑い合えたのは初めてで、少しだけ泣きそうになった。

「真尋さんと一くんの驚く顔が早く見たいわ、うんと驚かせたあと、たくさん甘やかしてもらいましょうね」

 笑いながら告げた雪乃の言葉に彼らもまた悪戯を思いついた子供みたいな顔で頷いた。

―――――――――
いつも閲覧、感想、お気に入り登録、ありがとうございます!!
忙しくてなかなか更新できずにすみません><。

へへっ、遂にまあ、あれですよ、あれ、ふふ(含み笑い)
ネタバレになっちゃうのであれこれ言えませんが、ティーンクトゥス様は頑張りました!!

また次のお話も楽しんで頂ければ幸いです♪
メリークリスマス( *´艸`)
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