称号は神を土下座させた男。

春志乃

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本編 2

第四話 言葉を飲み込んだ男

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 翌朝、心の中でザラームとエイブをとてもじゃないが良い子には聞かせられない言葉で罵りながら、真尋はソファに座るミアとサヴィラの前に正座していた。
 たった今、一か月以上に渡るエルフ族の里への遠征のおおまかな理由を子どもたちに説明したばかりだ。

「……パパ、いなくなっちゃうの?」

「……一か月以上も……?」

 ミアとサヴィラが呆然と呟く。
 サロンには、真尋親子の他に真尋の背後で律儀に正座して心配顔のリックとオロオロしているプリシラとジョンとリースが居る。ちなみに一路は自室でティナに告げている。

「神父の……仕事でどうしても行かなくてはならなくてな。明後日の朝、グラウに発ち、そこでの話し合いの結果によってはエルフ族の里に、行かなくては……ならない、んだ……」

 ミアの目に涙が溜まっていくのに比例して、真尋の声はしりすぼみになっていく。
 珊瑚色の瞳がうるうると潤んで、胸の前でぎゅうとラビちゃんを抱き締める。サヴィラは、突然のことに困っている様子で更に妹の今にも泣き出しそうな様子にオロオロしている。

「出来得る限り、手早く処理して即行で帰ってくるように努力する」

 ミアは、すんと鼻をすするとごしごしと袖で涙を拭って、へらぁっと下手くそに笑った。真尋のなけなしの良心がズキンズキンと痛む。

「あ、あのね……あの真っ黒いのはとっても怖いしね、きっと、エルフのひとたちも困ってるからね、パパが行ったらみんな喜ぶと思うの。ブランレトゥのみんなが、喜んだみたいに、よかったぁってなると思うの」

「……ミア」

 サヴィラがぽつりと妹を呼んで、苦笑を零すとミアの頭をよしよしと撫でた。

「ノアとかサヴィみたいにあの黒いので苦しんでるひとがいるかもしれないんでしょ?」

「ああ……まだ族長と話しをしていないので詳しいことは分からないが、その可能性は十分にある。この広い世界で今のところ、インサニアを浄化することが出来るのは、俺と一路だけだ。本当は……本当は、ミアもサヴィラも連れていきたい」

 真尋は二人の頬に手を伸ばす。ひんやりした手とあたたかい手が真尋の手に重ねられる。

「……だが、お前たちも知っての通り、エルフ族の里を襲うものがもしもインサニアだったとしたら時間との勝負だ。浄化が遅れれば遅れただけ治療は難しいものになる。だから旅は、只管に先を急ぐものになり、ミアやサヴィには耐えられないものになるだろう」

 珊瑚と紫紺の四つの瞳が、じっとこちらを見つめて、真尋の言葉をちゃんと受け入れようとしているのが見て分かる。
 正直なところ、サヴィラだけならおそらく連れて行ける。サヴィラは体力も魔力も十分にあるし、自分の身を最低限自分で守れるくらいの技量があるが、ミアはそうではない。ミアの体力も魔力も六歳児相応のものだ。

「だから、ここでテディと一緒に留守番をしていてほしい。パパは必ずミアとサヴィラのところに帰って来るから」

 こくりと二人は頷いた。ミアがソファから降りて抱き着いて来るのを受け止めて、目一杯、ぎゅうと抱き締めてやわらかな砂色の髪にキスを落とす。

「リック、父様を頼んだよ」

 サヴィラが真尋の後ろで正座していたリックに声を掛けた。リックは、ああ、と真っ直ぐにサヴィラを見つめて頷いた。リックの答えに満足げに頷いたサヴィラはソファから降りると真尋の傍にしゃがみ込んだ。紫紺の瞳がじっと真尋を見つめる。

「父様、俺が留守の間はミアのことをテディと一緒にちゃんと守るよ。だから安心してエルフ族の里を助けに行って」

「……サヴィ」

「俺は父様の自慢の息子なんでしょ? だったら信じて任せてよ」

 ふっとサヴィラが悪戯に笑った。真尋はつられるように微笑んで、サヴィラの淡い金色の髪をくしゃくしゃと撫でた。

「そうだな、流石は俺の自慢の息子だ。ミアのことも、家のことも頼んだぞ」

「うん。任せといて」

 サヴィラは胸を張って頷いた。ほんの少し、その紫紺の瞳が寂しさに揺れているのに気付いたが、口には出さなかった。自慢の息子は真尋の支えになることを望んでいるのだから、それに応えてやるのが父親の仕事だ。

「真尋お兄ちゃん、僕もお手伝いするから、大丈夫だよ!」

 ジョンがリースと共にこちらにやって来て言った。

「ぼ、ぼくも、いるの! おにーちゃん、なるから、ぼくも」

 リースがたどたどしい口調で一生懸命、拳を握りしめる。真尋は、思わず微笑んでしまう。

「そうか、ジョンもリースいるんだから、ますます安心だな」

 サヴィラの髪を撫でていた手を動かして、ジョンとリースの父親譲りの金茶色の髪を撫でた。
 顔を上げて、見守ってくれていたプリシラに顔を向ける。プリシラは、空色の瞳を柔らかに細めて、大丈夫よ、と唇だけで告げて頷いた。そんな彼女に真尋も頷き返し、ミアを抱き上げて立ち上がる。そうすればサヴィラとリックも一緒に立ち上がった。

「今日と明日は、仕事は一切しないと決めたからミアやサヴィラがしたいことをして一緒に過ごそう」

 そう声を掛けるとミアが、鼻を啜りながら顔を上げた。珊瑚色の瞳が潤んで、頬が濡れている。紅くなってしまった目じりにキスを落として笑い掛ければ、ミアは手で涙を拭うとにこっと笑った。その笑顔に愛おしさがこみあげて来る。

「あのね、パパに絵本よんでもらいたいの」

「そうか、なら図書室に行こう」

 ふっと笑ってミアを片腕で抱えなおす。ミアもラビちゃんが落ちないように大事そうに抱えなおした。

「なら父様、午後は剣術の稽古か魔法の稽古がいいよ」

 サヴィラがもう片方の真尋の手を取って言った。

「ああ、いいぞ」

 真尋が頷くとサヴィラは嬉しそうに笑って、リックを振り返り「リックもだよ」と彼に言った。リックは、はいはい、と笑いながら頷く。

「ジョンくんもリースもパパと一緒に絵本よも?」

 見送る体制に入っていたジョンをミアが誘う。

「いいの? 親子水入らずがいいんじゃない?」

「ううん。みんな一緒の方が楽しいもん。ね、パパ」

 うちの娘の優しさはもはや国宝では?と思いながら真尋は、ああ、と頷く。
 ジョンとリースは嬉しそうに顔を輝かせるとプリシラに「いってきます!」と手を振った。

「ふふっ、行ってらっしゃい。真尋さん、私はアマーリアさんに掃除を教える約束をしているから、彼女の部屋にいるわね」

「分かった。だが無理はするなよ?」

「大丈夫よ。クレアさんも一緒だもの。ジョン、リース、良い子にするのよ」

 プリシラはひらひらと手を振って笑った。ジョンとリースも手を振り返す。すると「レオンを誘いに行って来る!」とジョンが行ってリースと共に駆けて行く。するとミアが、おろして、と急かすのでそっと降ろすと「待って、ジョンくん。ヴィーちゃんも!」とその背中を追いかけて行き、するりと手が離れたかと思えば、サヴィラが「転ぶぞ」と言いながら慌てて追いかけて行き、少し遅れたリースをひょいと抱き上げて駆けて行く。
 賑やかにエントランスの方にある階段を登っていく背を追いながら真尋とリックは歩いて行く。

「頼りになる子どもたちですね」

 リックが微笑まし気に目を細めて言った。その言葉にふっと笑って頷く。

「俺の自慢の息子と娘で、ジョシュとシラの自慢の息子たちだからな。……だから、もっと我が儘を言って欲しいというのは俺の我が儘なんだろうな」

 ぱちりと深緑の瞳が瞬く。

「行っちゃいやだと泣いて欲しかったと言ったら、サヴィラに怒られるだろうな」

「……でしょうね。でも、自分の哀しみや寂しさより苦しんでいる誰かを想える優しさは、マヒロさんによく似ていると思いますよ」

 予想外の言葉に今度は、真尋が目を瞬かせる番だった。リックは、くすくすと可笑しそうに笑うだけで、それ以上は何も言わなかった。








 秋の草原は、いつもよりずっと空が広く遠く感じる。
 吹き抜ける風は冷たく乾いていて、夏のあの湿って熱を孕んだ風とは正反対だ。その風に白いハタキみたいな花穂を先端に付けた背の高い草がそこかしこで大きな塊になって揺れている。
 その根元には数か所に子どもの頭くらいの穴があって、時折、額に十五センチからに十センチの角を持つジャックラビットが顔を出す。角を抜いた体長は、雌は三十、雄は四十センチ前後で割と大き目のウサギだ。ジャックラビットは魔獣だが、角を持たない魔物のリェーヴルラビットと群れを成して住んでいる。平原には天敵であるウルフ種やゴブリン種が多いので、草食の魔獣や魔物は大抵、群れを成している。
 レイは、欠伸を噛み殺しながら囮のDランクパーティーの連中の火や風の矢が何度も狙いを外してジャックラビットを狩り損ねるのを眺めていた。隣ではジョシュアがこらえきれなかった欠伸を零し、ウォルフは耳を忙しなくぴくぴくさせながら様子を窺っている。その向こうでクイリーンはのんびりと読書を楽しんでいる。
 四人はブラレトゥの西に広がる平原のジャックラビットとリェーヴルラビットの住処があるエリアに居る。少し離れた別に草陰には、ウォルフのパーティーの他のメンバーが隠れているが、それ以外にはクエストでジャックラビットを捕まえに来たまだひよっこの冒険者たちがちらほら居る。
 
「クイリーン、本当にここに来んのかよ」

「ええ、森はそう言ってたわよ。まあ、双子ちゃんの気が変わらなければだけどね」

 隠蔽をレイが掛けているので、そこらのレベルの人間には姿は見えない訳だが、そうは言ってもクイリーンは寛ぎ過ぎだと思う。木の枠組みと麻布で作られた背もたれつきの長椅子に優雅に腰掛け、本を読んでいる。彼女の頭上には彼女が魔法で生やした大きな葉っぱが日除けの役割を担っている。

「あー、俺たちもあんなんだったなぁ。最初の頃は全然捕まえられなかったんスよねぇ」

 ウォルフが懐かしそうに目を細めて言った。その視線の先を辿れば、また避けられた火の矢が地面に僅かな焦げ目を残して消えていくところだった。
 ジャックラビットを始めとしたラビット系は非常に耳が良い。あの長い耳が周囲の音を敏感に察知し、気配が消しきれていないとああして呆気無く逃げられるのだ。今日、ジャックラビットを狩りに来ているのは、DのパーティーとEランクのなりたてほやほや冒険者なのでまだまだ捕まえられそうにはない。

「ラビット見てて思い出したけど、ミアちゃん大丈夫かしらねえ。神父さん、もしかしたら一か月以上も留守にすることになるんでしょう?」

 クイリーンが本から顔を上げる。

「みてぇだな。エルフ族の里で何が起こってるかは知らねえが、神父殿に助けを求めに来たって族長が言ってたらしいからな」

「……母さんたち、大丈夫かしら」

 クイリーンが心配そうにつぶやいた。

「何にも連絡はねえのか?」

「ここ五十年、会ってないし手紙も十年前に来たきりよ。神父さんに手紙でも預けようかしら」

 長命な彼女たちは、そもそもレイたちとは時間の感覚が違うのだ。五十年前なんてレイどころかジョシュアやソニアだって産まれていない。

「でも、そうなると神父さんたち尚更忙しくなりそうっスね。この間も休日返上で働いていたって」

 ウォルフの言葉にジョシュアが苦笑を零す。

「ああ、来月は教会が本格に始動するし、来月の祭りの警備に関する仕事もな。冒険者ギルドにもその内、通達があると思うぞ」

「まあそれは仕方ないッスよねぇ。大分落ち着いたとはいえ騎士不足には変わりがないし、この間の入団試験で入った奴らだって育つのには時間がかかりますしね」

「ああ。ウィルも頭を抱えっぱなしだよ。それにほら、来年にはレオンハルト様が七歳になって護衛騎士を選ばなきゃならないだろう? 本当はエディとリックをレオン様につけようと思ってウィルは入団当初から目を付けてたんだと。んだがマヒロとイチロに付けちゃったからな、今は護衛騎士に相応しい騎士を探している真っ最中だ」

 マジかよ、とレイとウォルフは思わず顔を見合わせてしまう。クイリーンも、あら、と目を瞬かせる。
 昨夜、ジョンにじゃれついていたレオンハルトは、領主の息子、つまり次期アルゲンテウス辺境伯だ。その護衛騎士ということは、アルゲンテウス家の私設騎士団であるクラージュ騎士団でもっとも栄誉ある騎士になるということである。

「領主様のインサニアを退けた神父様を領地に繋ぎとめておきたいという意向もあったが、何よりリックがそれを強く望んだらしい。エディは「相棒が行くなら俺も」ってついて来たみたいがだがな」

「あー、あいつ頭は良いけど阿呆だからな」

「ははっ、まあそう言ってやるな。騎士にとって相棒は半身みたいなもんらしいからな。それに多分、エディも今回の騒動を通して色々と思う所があったんだろうさ」

 そういうもんスかー、と暢気に答えるウォルフとそういうもんだ、と笑いながら答えるジョシュアを横目にレイは煙草を取り出す。
 マヒロの後ろにいつも大人しく控えている騎士を思い浮かべる。大人に対しては滅多に心を開かないあのサヴィラにも兄のように慕われているし、ミアやジョンたちもよく懐いている。真面目で誠実で気の利く青年は、レイの身近な女たちの間でも評判が良いし、レイの耳にすら町の女たちが騒ぐ声が聞こえるほどだ。

「ウィルが言うには、元々は護衛騎士じゃなくて期間限定で補佐役兼予行演習の一環でリックとエディをマヒロたちに付けておくつもりだったらしい。どうやっても事件の後処理に神父二人の協力は必要不可決だったし、監視の意味も含めてってことだったらしいんだが、リックがな……ウィルのとこに除籍願をこっそり持って来たらしいんだよ」

「は?」

 本日何度目かの、は?である。煙草に火を点けようとした手が止まる。
 リックという青年騎士は、レイが知る中で騎士という職業に誰よりも誇りを持っている青年だ。マヒロの口添えがあったとしてもあの貧民街の連中が騎士であるリックを受け入れたのは、何より、彼の人柄が影響しているからだ。レイが知る中で、リックほど真面目で誠実な騎士は居ない。いっそ生き辛そうなほどに真っ直ぐだ。

「リックの中には、騎士はこうあるべきっていう確たる理想像があるんだよ。強く真っ直ぐで清廉であれ、みたいな。だが、リックは貧民街でインサニアに襲われた時に、自分の弱さが原因でその理想像に背いてしまった自分が何より赦せなかったんだ。それにそのことが切っ掛けでリックの暗闇への恐怖はますます強くなって、情けないばかりの理想からほど遠い自分をどうやっても赦せなかったんだろうな。きっと……マヒロがいなかったらリックは正気を保つことは出来ず、その内、魔力暴走の悪化で死んでいたかもしれない」

「そんなに酷かったんスか?」

 ウォルフが気遣わし気にジョシュアに問う。ジョシュアは、ちらりとレイを見た後、ああ、と頷いた。

「俺がマヒロの年齢だったとしたら、あんな目ぇした人間を背負って帰って来るような真似は出来なかっただろうなぁ。近づくことすら躊躇うような目をした人間をマヒロは、何の躊躇いも無く抱き締めて、子どもをあやすみたいに背負って連れ帰って来ちまったんだからなぁ」

 ジョシュアはしみじみと言った。

「リックにしてみれば、マヒロこそが神様だったんだろうさ。それで除籍後は、神父様の下で神に仕えたいって言い出したんだと。ウィル曰く、騎士って生物は、自分で主を見つけちまうともう駄目らしい。リックはもうその時すでに騎士としての剣も誇りも何もかもを無意識の内にマヒロに捧げちまってたんだ。だからもうその時点でレオンハルト様の護衛騎士には出来なかったんだな。別の人間に剣を捧げている騎士なんて、護衛役としては使い物にはならねえから」

「あ、それはなんとなく分かるかもッス。俺もイチロ神父さんを尊敬して止まないし、そもそも逆らおうという発想がなくなるんス。俺たちは一度、ボスと認めたら絶対服従なんスよ。狼の群れは基本的に一組の番が率いるんで、俺たちにとってはイチロ神父さんとその番であるティナが絶対的なリーダーでありボスなんス。あとイチロ神父さんのブラッシングの技術は腹を見せざるを得ない腕前っス」

 へぇ、とジョシュアとクイリーンが感心している。ウォルフは何故か胸を張って自慢げだ。確かにこいつは、イチロがいなければレイの言うことを聞くが、イチロがいたら絶対に一回、「こいつの言うことを聞いても良いか?」と言わんばかりにイチロを振り返る。イチロが「レイさんのいうことをちゃんと聞くんですよ」と言うと漸く素直に命令に従うようになる。こいつらの群れのリーダーは間違いなくイチロだ。
 だが、リックのそれはもっと深く強く重いもののようにもレイには思えた。
 マヒロは時折、酷く冷たい目をする時がある。それはサヴィラやミアの前で微笑んでいる彼とは全く別人なのではないか、双子の兄弟でもいるんじゃないかと錯覚するほど冷たいもので、その時の彼は酷くつまらなそうに世界を見ている。
 レイよりもずっと長い時間をマヒロと共有する護衛騎士がそれを知らないということはないだろう。だとすれば、それでもリックはあいつの傍を選んだのだ。あの冷たい目を見ても逃げ出す理由にならない何かがリックを惹き付けているのだ。それはなんとなく分からないでもないのだが認めてしまうのは癪なので分からないままでいい。

「俺たち冒険者には、関係のねえ話だよ、忠誠なんてものはテメェの実力に捧げるもんだろ?」

「そーいうもんスかねぇ。俺たちには良く分かんない話っス。狼系俺たちは忠誠ってより、力への服従っスからね」

「俺の愛と忠誠はプリシラに捧げちゃったからなぁ」

 ジョシュアの顔がでれっと締まりをなくす。

「惚気はティナと見習い君で胸いっぱいよ」

 クイリーンが嫌そうに顔を顰めた。そういえば、あの童顔神父は隙あらば、ティナとイチャイチャしている。それこそ家でも職場でもだ。だがそれはジョシュアも一緒だ。プリシラが受付嬢だった時代から、この男は常にイチャイチャデレデレしている。

「へへっ、俺とカマラだって負けてない……っス?」

 ウォルフの言葉が途切れる。大きな三角耳がぴくりと反応し、急に真顔になったウォルフが立ち上がった。向こうを見れば、カマラたちも立ち上がり辺りを警戒するように耳をぴんと立てて、いつもはぶんぶんうるさい尻尾が、低い位置でゆっくりと左右に揺れる。

「来るっス」

 ウォルフが呟いたのと同時にEランク冒険者の放った火の矢がジャックラビットの頭を射抜いた。やったぁ、と冒険者が声を上げて駆け寄ろうとした時、風の刃が彼の足元を抉り、射止めた獲物が宙に舞い上がった。

「見つけた!!」

 レイは、そう叫んで隠蔽を解除し、一気に飛び出した。ローブに身を隠した双子が小さな薮から飛び出してきたがこちらに気付いて逃げようとするがそこらの冒険者と一緒にされては困る。

「《ファイア・ウォール》!」

 双子の行く手を阻むように巨大な炎の壁が立ちはだかる。

「うわっ!」

「馬鹿! 焼け死ぬわよ! 《ウォーター・ボール》!」

 えいっという少女の掛け声と共に水の玉が投げられるが、所詮は子どもの魔法である。壁に触れることもできずに、ジュッと音を立てて一瞬で蒸発する。うそっと叫ぶ声がした。

「カマラ!」

「オッケー!」

 ウォルフの掛け声にカマラたちが飛び出し双子を取り囲む。

「くそっ!」

「まだ捕まってられないんだから! 《アイス・アロー》!」

「《ウィンド・アロー》!」

 少年と少女がこちらに矢を放ってくるが、ジョシュアがただ風を吹かして一掃してしまう。その隙にウォルフとカマラが飛び掛かる。きゃーきゃー言って逃げようとするが、ウルフに目を付けられたらあんな子どもではまず逃げられない。あいつらは兎に角しつこいのだ。今回、ウォルフたちが手こずったのは誰の入れ知恵なのか、双子が水を撒いて自分たちの匂いを消したからだ。その上、森や林に入れば、木々が双子に協力し彼らの気配をさっぱりと消してしまっていた。故に追跡が困難を極めていたのだ。
 だが、同族で双子よりもずっとここいらの木々と仲がの良いクイリーンが手を貸してくれたため、本日、漸く見つけ出すことが出来た。こんなことならもっと早くにクイリーンに協力を頼めばよかったと気が抜けてしまう。

「こうやってみるとやっぱりサヴィラは優秀だよなぁ」

 始まった追いかけっこを眺めながらジョシュアがしみじみと言った。

「だな。サヴィラのアローなら、間違いなくシールド系で防御しないとこっちまで届くだろうしな」

 手を振って炎の壁を消す。跡形もなく消え去ったそれは、焦げ跡一つ残さない。レイは、風と火の属性持ちだが、断然、火属性魔法の方が得意なのだ。副属性の炎も自在に操れる。

「そりゃあ神父さんが手塩にかけている子だもの」

 本と椅子をしまったクイリーンがこちらにやって来た。ジョシュアが、まあな、と笑うのを横目にレイは呆然と尻餅をついたままのEランク冒険者に声を掛ける。

「おい、ボケっとしてねぇでさっさと獲物を回収しろ」

 レイはポカンとしているEランクの新人冒険者に声を掛ける。はっと我に返った少年は、レイに頭を下げると慌ててジャックラビットを回収する。解体する時は、ギルドでやれよ、と声を掛けると緊張した様子で「はい」と返事が返って来た。
 EやDと言った低いランクの連中は、ギルド内にある解体室で獲物を解体する。こんなところで解体すれば、血の臭いにつられて獰猛な肉食系魔獣が姿を現すからだ。新人では間違いなく獲物を横取りされてしまうだろう。解体室ならそんな心配はないし、解体の仕方も係のやつがちゃんと教えてくれる。

「あら、あっと言う間に捕まっちゃったのねぇ」

 くすくすとクイリーンが笑う先を辿れば、ウォルフとカマラの腕の中に双子がそれぞれ捕まっていた。少年はウォルフの脇に抱えられ、少女はカマラの肩に担がれるようにしてこちらにやって来た。

「放せ! この馬鹿犬!」

「放しなさいよ!」

 キーキーをやかましい声にウォルフとカマラが耳を伏せて、眉間に皺を寄せる。じたばたと暴れるが、ウォルフとカマラから逃げられる訳もない。
 ローブのフードが外れて、二人は素顔を露わにしている。話には聞いていたが、そっくりな双子は長い銀髪を少年の方は高い位置で一つに結び、少女の方は高い位置で二つに縛っている。エルフ族らしい尖った耳が髪の隙間から覗いている。幼いながらも整った顔立ちをしているが、何だか埃と泥で薄汚れている。というか全体的に草臥れている。

「まあまあ、そう騒ぐな。俺たちはお前たちを殺そうとしてる訳でも、どっかに売り渡そうとしてる訳でもない」

 ジョシュアが穏やかな声で少々物騒な声かけをする。

「俺たちは、ブランレトゥの冒険者ギルドに所属する冒険者だ。俺はAランクのジョシュア。んでこっちはお前たちと同族のクイリーン」

「はぁい、あんたたちが産まれるよりずっと前に里を出ちゃったから面識はないけど、私はエルフ族のクイリーンよ、よろしくね。父はクフローグ、母はフィグよ。大きなサイプレスの樹に住んでいるはずだけど」

 クイリーンがひらひらと手を振りながら、ふふっと笑った。

「クフおじさんとフィグおばさんの?」

 少年の方がぱっと顔を輝かせた。どうやらクイリーンの両親を知っているようである。

「そうよ」

「ってことは、ブランレトゥで冒険者ギルドの受付嬢をしてる? フィグおばさんが言ってたわ」

 少女が首を傾げる。クイリーンがギルドカードを取り出して二人に見せた。すると二人の埃と泥で汚れた顔がぱぁっと輝いた。ウォルフとカマラが降ろすと二人はクイリーンに飛びつくような勢いで詰め寄る。

「な、なら、あの人を知っているでしょう?」

「あの人?」

「天災を退けた美しい神父様!」

 双子が同時に叫んだ。
 クイリーンが瞠目し、レイは思わずジョシュアと顔を見合わせた。ウォルフたちも驚き顔だ。
 しかし薄汚れた双子の顔に浮かぶのは、色濃い不安を感じさせる鬼気迫るものだった。









「神父さま、ありがとうですわ!」

 昼ご飯のあと、庭での魔法の稽古を終えて子どもたちとサロンで過ごしていた真尋は、ふとシルヴィアに作ったウサギの存在を思い出して、少女にプレゼントした。シルヴィアは、母親譲りの青い瞳をきらきらと輝かせると嬉しそうにウサギを抱き締めた。

「良かったね、ヴィーちゃん。これで一緒にお人形ごっこできるね!」

「ええ! ねぇみてみて、ミアちゃんのと同じだけど、おめめの色がちょっとちがうわ」

「あ、ほんどだ!」

 ミアも一緒になって喜んでいて、とても微笑ましい。
 ソファに座る真尋の足元、ふかふかの絨毯の上で二人は早速、ウサギの名前を考え始めた。ミアとシルヴィアは年齢こそ一つ違うが体格も同じくらいだし、性格的にも気が合うようでたった一晩で随分と仲良しになったようだった。昨夜、帰って来た真尋がベッドで寝ようとしたらベッドの中にミアとサヴィラ、時々、泊まりにくるジョンとリースは兎も角、レオンハルトとシルヴィアもいたのは驚いた。困り顔のサヴィラ以外は、皆、仲良く健やかに眠っていてとても可愛らしかった。帰って来た時、寝室の前に何故かロボがいたのは、これが理由かと納得もした。

「ミア、パパはちょっとサヴィに教えたい魔法の本があるから少し図書室に行って来る。すぐに戻って来るから、ここで待っててくれるか?」

「うん。あ、パパ、帰りにミアのお部屋からラビちゃんのお着替えの箱持ってきてくれる?」

 上目遣いで、お願いと小首をかしげるミアの可愛さに頬を緩めながら、ああ、と頷き娘の頭を撫でて立ち上がる。一方、急に言われたサヴィラは、驚き顔で首を傾げながら立ち上がった。おいで、とサヴィラに声を掛けて歩き出す。

「リック、頼むぞ」

「はい」

 入り口に立っていたリックに声を掛けて真尋は、サヴィラと共にサロンを後にする。

「あ、お兄ちゃん」

「探検は終わったのか」

 丁度、屋敷の中の探検ツアーに行っていたジョンが弟とレオンハルトとアイリスと共にやって来た。今朝、早くに屋敷にやってきたアイリスは、癖のある黒髪に薄紫色の瞳の清楚系のすらりとした美人だった。ただ胸がなかったので、一路の愛犬のロビンが挨拶代わりに飛びつくもいつもティナやクイリーンにしているように胸に顔を埋めようとしたらなかったので、ぶんぶんと左右に激しく揺れていたしっぽの動きが止まってしゅんとするという失礼を働き、食堂は静まり返った。ロビンは、ティナとブランカと一路に当然のように怒られた。

「まだだよ、これから僕んちのほう見に行くの!」

 どうやらこれから使用人たちが使っていた棟を見に行くようだ。

「神父、この屋敷は広くて自由で楽しいな!」

 レオンハルトがキラキラと顔を輝かせて言った。年相応の笑顔に真尋は、蜂蜜色の小さな頭を撫でる。

「それは良かった。ですが、外は庭師たちが作業をしていて危ないので子どもだけで出ないで下さいね」

「ああ、分かっているぞ!」

「そういえば、お母上は?」

 午前中、初めて自分で洗濯をしてはしゃいでいたアマーリアは、昼食後、どこかへ行った。
 すると何故かレオンハルトの目が急に死んだ。アイリスがそっと視線を逸らす。

「神父……お母様が割ったお皿は、きちんとお父様が弁償するからな。お母様は、ちょっとだけそそっかしいところがあって、お母様はもうお皿には近づけないようにする」

「……アマーリア様にお怪我は?」

「怪我はなかったのですが、お皿は、その……十枚ほど。……ですので、アマーリア様はお部屋にてあとで神父様に提出するための反省文をリリーに書かされております」

 アイリスがそっと視線を逸らして言った。
 そういえば、リリーはアマーリアの乳姉妹だったなと思い出した。

「もともとこの屋敷にあったもので、別に思い入れのある皿ではないから怪我だけ気を付けてくれればそれで構わん。まあ、奥様の気がそれで済むなら反省文は受け取ろう。一応、神父だから懺悔は聞いてやらんとな」

 冗談交じりに言えば、アイリスとレオンハルトはあからさまにほっとした顔になった。多分、二人の様子からアマーリアは普段から色々とやらかしているのだろうなと想像がついた。そもそも真尋のところに家出してきた時点であれなのだが。

「じゃあね、お兄ちゃん、サヴィくん!」

「行って来るぞ、神父、サヴィ!」

 言うが早いかジョンとレオンハルトは仲良く駆け出していく。「お待ちください!」と慌ててアイリスが真尋に会釈をして追いかけていく。

「危ないことはほどほどにな」

「ジョン、あんまり走るなよ!」

 小さな背に声を掛ければ「分かったー!」と返事はあったが足は止まらないし速度も落ちないので、どの辺が分かったかはよく分からなかった。だが元気でよろしい、と真尋は笑ってサヴィラを促し歩き出す。

「父様、なんの本? どんな魔法なの?」

 隣を歩くサヴィラがこちらを見上げて首を傾げる。好奇心に輝く紫紺の瞳に笑みを返す。

「着いてからのお楽しみだ」













 図書室は、無数に並ぶ本が音を吸い込んでいつ来ても静かだ。本の劣化を防ぐために閉め切られた分厚いカーテンのおかげで薄暗いのも静寂を際立たせている。
 息子は、どの本のことかとワクワクしているのが伝わって来る。
 生家での暮らしは、サヴィラにとって幸せとは言い難いものだったのだろうが、父親がつけた家庭教師たちだけは素晴らしい働きをしてくれたようだった。おかげでサヴィラは学ぶことが好きだ。真尋に好かれようと学んでいる訳でも、大人の顔色を窺っている訳でもない。様々なことを学ぶことによって自分の世界を広がっていく喜びをサヴィラはちゃんと知っているのだ。

「サヴィ、今からお前にだけ秘密の部屋の開け方を教えてやろう」

 図書室の奥に誂えられた本棚の前で足を止めて、真尋は息子に言った。

「秘密の部屋?」

 サヴィラがきょとんとして首を傾げる。

「ああ。この間、偶然、見つけたんだ」

 ぽんと息子の頭を撫でてから、よく見ておけよ、と声をかけて本棚に向き直る。
 大分前にサヴィラが一路とミアとジョンとリックとエドワードと共に片づけをしてくれたので、真尋が足元に置いておいた本は綺麗に本棚に戻されていた。真尋としては、分類して分けていたつもりなのだが、一路には鼻で笑われ真尋の考えは誰にも理解されることはなかった。そして掃除中は庭に追い出された。ミアですら引き留めてくれず、テディと寂しく庭を散策した。
 真尋は人差し指で背表紙を辿るようにして、目当ての本を探す。
様々な素材の表紙を纏った本たちが何万冊と図書室の本棚にずらりと並び、その身に刻まれた知識を人に与える時が訪れるのを静かに待っている。
 図書室は、それぞれの分野ごとに分かれている。歴史、魔術学、治癒術、呪文学、地理、随筆、童話、小説などなど多岐に渡り、小説などはさらに細かく分かれている。今、目の前にある本棚には哲学に関するものが並んでいる。
 
「これだ」

「……『秘密の守り』?」

 サヴィラがタイトルを読み上げた声が細く響く。
 真尋が探していたのは厚さ五センチほどの分厚い紅い革表紙の本だ。その本を抜きとって表紙を捲る。

「鍵だ!」

 覗き込んだサヴィラの顔がぱっと無邪気に輝いた。大人びたサヴィラが年相応より少し幼くなるのが実に可愛い。
 この本は、おそらくこの鍵の為だけに作られたのだ。紙は鍵の形にくりぬかれているが中の物語はきちんと読めるようになっている。真尋がこれを見つけたのは偶然だった。守護魔法に関するものかと思って手に取ったら鍵が入っていたのだ。ちなみに中身は、鍵と秘密にまつわる幾つかの物語を集めた短編集だった。
 サヴィラに本を差し出せば息子は興奮を落ち着かせるようにゆっくりと鍵を取り出した。

「すごく綺麗な鍵だ……」

 真鍮製の鍵は、長い年月を経て艶やかにくすんだ色をしている。鍵の頭は透かし彫り王冠の形をしていて、ダイヤやルビー、サファイアにエメラルドといった宝石がちりばめられている。鍵穴に差し込む先端部分は、複雑な形をしていた。

「ねえ、父様、これが秘密の部屋の鍵? 部屋はどこにあるの?」

 紫紺の瞳を宝石のようにキラキラと輝かせて真尋の袖を引っ張る息子の可愛さに胸をときめかせながら本を元の場所に戻す。そして、その棚の丁度、サヴィラの顔の高さ辺り、棚の一番左端に入っていた青い本を指差す。

「これが鍵穴だ」

 首を傾げたサヴィラがその本を取り出そうとするが、本はぴくりとも動かない。

「……これ、くっついてる?」

「ああ、背表紙が開くんだ」

 そう教えるとサヴィラが背表紙を横から見たり上から見たり、下から見たりしながら指先でカリカリと掻く。すると『守りの秘密』というタイトルの辺りがカチャリと冷たい金属音を立てて開いた。そこに鍵穴を見つけるとサヴィラが興奮した様子で真尋を見上げる。

「父様、これ?」

「ああ。鍵を差してごらん」
 
 ふっと笑って促せば、サヴィラは手に持っていた真鍮製の鍵を鍵穴に差し込んだ。ガチャリ、と音がして鍵が開くと同時にギシギシと歯車が回り鎖がチャリチャリと立てる音が静かな図書室に響き渡る。ギシギシ、ガチャガチャと歯車や鎖が動くような音が十数秒ほどして、鍵穴が鍵ごと中に引っ込み、丸いドアノブがゆっくりと出て来た。

「すごい! 父様、なんかすごい!」

 サヴィラが真尋とドアノブを交互に見ながら真尋の袖を引っ張る。
 年齢よりも少し幼い子供みたいにはしゃぐサヴィラに真尋もつられて笑みをこぼす。

「そのドアノブを回して、引っ張ってみろ。普通にドアをあけるようにな」

 サヴィラが、うん、と頷いて、そっとドアノブに手を掛けて回し、それを引っ張ればすーっと音も無く本棚が襖のように横へ開いた。この隠し部屋は、本棚自体が扉になっているのだ。
 本棚の扉が開くと足元には下へと続く階段があるが灯りのない階段は真っ暗だ。ひゅーっと風が吸い込まれて行く音がして湿った冷たい空気を頬に感じる。サヴィラがじっと暗闇を見つめている。

「サヴィ、正面の燭台にファイアボールを」

「あ、う、うん」

 はっと我に返ったサヴィラが真正面の壁のくぼみに置かれていた蝋燭が三本ほど立てられた燭台に呪文を唱えて火を入れる。真尋はその燭台を手に取り、サヴィラに中に入るように促す。サヴィラがおそるおそる中に入って来て真尋の隣にくっつくようにして立った。

「そこに鍵があるだろう?」

 中から見て、入り口の脇に先ほど本の中に吸い込まれた鍵が頭を出している。

「もう一度、鍵を掛けて、今度は鍵を抜くんだ」

 真尋が促すとサヴィラが、ゆっくりと鍵に手を伸ばして握りしめて捻った。するとガチャリと音がしてまたギシギシ、ガチャガチャいいながら重そうな扉が閉まる。サヴィラが手に残った鍵から真尋へと視線を映す。真っ暗の中、燭台の灯りだけなので少し不安そうだ。

「父様、鍵」

「今日は俺が預かっていよう」

 息子の手から鍵を受け取り、アイテムボックスにしまう。
 そして、おいで、と声を掛けて階段へと足を掛けて、サヴィラが転ばないように手を引きながら階段を降りて行く。二人分の革靴の音が、コツコツと石造りの階段に響く。目が回るような螺旋の階段を三階分を降り、更にもう一回降りると両開きの黒檀のドアが現れる。

「ここでもう一度、鍵を使う」

 アイテムボックスから先ほどの鍵を取り出して、ドアノブの下にある鍵穴に差し込んで開錠する。ドアノブを掴んで開けば、二十畳ほどの部屋が姿を現す。石の壁に板張りの床、色あせた二人掛けのソファが一つ置かれているだけで快適とは言い難い。地下なので窓もないため、空気が淀んでいる。真尋はサヴィラの手を引き、中へと入る。サヴィラに待っているように告げて壁の燭台に火を点けて行く。そうすれば、暗い部屋は幾分から明るくなった。
 最後の燭台に火を点けて息子を振り返る。

「父様……そのドアの向こうにはなにがあるの?」

 サヴィラが真尋の背後を指差して言った。
 正面のドアから見て、左の奥にもう一枚だけドアがある。くすんだ金のドアノブがついた何の変哲もないドアだ。

「多分、前の持ち主はここから夜逃げしたんだろうな」

 コンコンとドアをノックしながら言えば、サヴィラがぱちりと目を瞬かせた。

「このドアはな、地上へ繋がっている。裏の馬小屋の丁度、俺の愛馬のハヤテの下だ。馬小屋を建てる前に見つけられたら良かったんだが、まあ仕方がない。俺が出かけて居る時は、ハヤテはいないだろうしな」

「どういうこと?」

 真尋は、ふっと小さく笑ってサヴィラの下に行き、息子の前に膝をついて燭台を傍らに置き目線を合わせる。紫紺の瞳が真尋の表情から真剣さを読み取って、息子の表情が引き締まる。

「この屋敷は、確かに安全だ。俺も自信をもって城館や騎士団より安全だと言える。だが――この世に絶対はない」

 サヴィラが少しの間を置いて真尋の言葉を首肯する。
 息子の細い腕に両手を伸ばして添える。

「もし、万が一、何者かが侵入した時、きっとジョシュアやレイ、警備の騎士たちは応戦するだろう。その時、サヴィラ、お前は女子供を連れてここへ逃げ込むんだ」

「俺だって戦える」

 サヴィラは逃げるのは嫌だと言わんばかりに眉を寄せた。真尋は、いいや、と首を横に降る。

「サヴィ、戦うことは誰にだって出来るんだ。ミアにだって、ジョンにだって、リースにだって、勝ち負けは兎も角も戦おうと思えば誰だって出来る。だが、護るとなるとそうはいかない。サヴィ、お前の魔法や剣術の腕前や実力は間違いない。俺の息子なんだから当たり前だが、お前の才能は本物だ。だからこの家の中で戦いになった時、真っ先に命を奪われてしまうだろう弱い存在を護って欲しいんだ」

 縦長の瞳孔がきゅうっと細くなり、緊張にも驚きにも似た感情がその瞳を揺らがせる。しかし、逃げ出すことなく真尋を見つめている意志の強さに嬉しくもなった。

「図書室の鍵の本にも、この部屋の正面のドアも、馬小屋へと抜けるドアもハヤテの下の藁で隠された隠し扉も俺の魔力でもって隠蔽魔法をかけて隠してある。あの本やドアを見つけることが出来るのは、この国において俺と俺が許可を出しているお前とレイとジョシュアだけだ」

「リックもイチロも知らないの? 団長さんも?」

「ああ。この部屋は切り札だ。最低限の人間にしか教えない。それに一路とリックは俺と共に旅に出てしまうからな。まあ帰って来たら二人とエディには教えるつもりだがな。……もし、ここへ逃げ込んだらこの小鳥を馬小屋から騎士団と冒険者ギルドへ飛ばして、ここへ戻って助けを待て。ウィルフレッドとアンナ宛てに何が有っても届くようになっている。二人が応援を連れて来たら、ジョシュアかレイのどちらかが馬小屋の方からここに来てくれる」

 アイテムボックスから取り出した、紙の小鳥をサヴィラの手を取り乗せ、もう一つ、アイテムボックスからネックレスを一つ取り出してサヴィラの首に掛けた。銀の細いチェーンのネックレスのトップには、滴型の魔石がぶら下がっている。

「これ、父様の魔力だよね?」

 サヴィラがすぐに気が付いて魔石を指で摘まみ上げた。
 二センチほどの細めの滴型に加工した魔石の中では、真尋の銀にも青にも見える不思議な色の魔力が輝いている。

「ああ。と言ってもこれは、光の魔石ではなくて俺の……まあ色々なあれがあれしてるあれで俺が少々あれして作った……いわゆる、アイテムボックスだ」

「…………」

 何故か息子が胡乱な目をして口を閉ざす。
 一度、視線を外してゴホンと咳払いをしてから、もう一度、愛息子に向き直る。

「サヴィ、今、どういう感情で父を見てるんだ?」

「……だってさぁ、魔術学は父様の脳みそならなんとかなるってことで無理矢理納得するとしても何よりアイテムボックスは闇属性の副属性の空間魔法が必要なんだよ? つまり、何をどうしてどうやってもアイテムボックスを作るには闇属性が必要でしょ。それかリックとかジョシュアさんが持ってるやつみたいに魔獣から特別な毛皮を採取して専門の職人に頼むかだよ……父様のこれ明らかに前者でしょ。父様、全属性持ちなの?」

「だからこれはあれだ、ほら言っただろう? これは色々なあれを少々あれしたやつだと」

「あれだけじゃ説明になってないよ。まあ父様だからってことで深く聞かないけど……これどれくらいの収納量なの?」

 はぁとため息を零しながらサヴィラが魔石に視線を落とす。

「俺のより小さいぞ、十メートル四方で作ったからな」

「……父様、ジョシュアさんとかレイさんの三メートル四方で金貨二枚だよ?」

「大きいほうが便利だと思って……」

「限度があるでしょ。俺が実家で教えられた王家の宝と呼ばれるアイテムボックスがもっと大きな俺の両手くらいの宝石箱で十メートル四方だよ? 秘宝を超えちゃってるよ? 俺の首元に王家の秘宝だよ? 入って来られるかも分からない賊よりこっちのが危ないでしょ。もっと自分が規格外だって自覚しないと駄目だよ?」

 ほんの数分前まで家族を息子に預け旅立つ父を演じられていた筈なのに、どうして今、その息子に諭されているのだろうか。そういえば、ティーンクトゥスがくれた彼手製の指輪型のアイテムボックスは普通とは違うので取り扱いに気を付けてと言っていたな、と思い出す。だが、この指輪型のアイテムボックスを色々解析したり研究したりした結果、作れそうだから作ってみたものだったのだがまさか王家の宝がその程度のレベルだとは考えても見なかった。

「……まあ、アイテムボックスだって俺が言わなきゃ見た目じゃ分からないし、父様がくれたお守りだってもし聞かれたら言っておくよ。この小鳥を入れておけばいいんでしょ? どうやって使えばいいの?」

「サヴィは良い子だな」

 先に折れてくれた息子の頭を撫でる。サヴィラは照れくさそうに首を竦めて「早く教えてよ」とぶっきらぼうに言った。可愛いって言ったら怒るんだろうなと考えながら、魔石を握るように言う。

「少しお前の魔力を流せば、持ち主がサヴィラになって、お前以外の人間は使用できなくなる」

「……こう?」

 ゆっくりと握りしめて魔力を流し込むとサヴィラが手を開く。彼の手のひらの上の魔石は真尋の魔力の中にサヴィラの紫紺色の魔力が僅かに混じっているのが見えた。

「よし、成功だ。試しにその小鳥をしまってみろ」

 反対側の手にあった小鳥にサヴィラが意識を向ければ、小鳥はすっと手の中で消えた。あとは、リストの出し方を教えて、リストに小鳥があることを確認して、リストの使い方と閉じ方を教えれば説明は終わりだ。

「サヴィ、最後にもう一つだけお前に渡すものがある」

 魔石を嬉しそうに見ていたサヴィラが真尋に顔を戻して、首を傾げる。
 真尋は自分のアイテムボックスから一振りの刀を取り出す。サヴィラが息を飲む音が聞こえた。

「ジルコンの一番弟子に作ってもらった刀だ。まずは抜けるかどうか試してみろ」

 鞘を掴んでほら、と差し出すとサヴィラが恐る恐るそれを両手で受け取る。抜刀の仕方を教え、鯉口を切らせる。カチャリと鉄の鳴る音がしてゆっくりと美しい銀色の刃が顔を出す。
 サヴィラのそれは、ジルコン作の真尋のものと見た目のデザインは同じだ。だが長さは違う。刃は五十センチと小ぶりで小柄なサヴィラでも扱いやすく、また狭い場所でも使えるように配慮したものだ。サヴィラはいつも真尋が削って作った木刀で鍛錬をしていたので、真剣は持っていなかった。本差しではなく脇差に分類されるサイズだ。

「……これ、父様のカタナと同じ形をしてる」

「ああ。父様の故郷の武器だからな。父様のよりは小さいし短いが、切れ味はそこいらの剣を軽く凌ぐ。人を殺すことなど容易いだろう」

 びくりと刀を持つ手が震えた。紫紺の瞳に僅かな怯えが走る。真尋はサヴィラの手から刀を受け取り、鞘に戻す。

「いいか、サヴィ。剣や刀というものは、命を容易く奪うものだ。決して使い方を間違えてはならない。本当の本当にどうしようもなくなった時だけこの刀は使いなさい。それ以外は魔法かいつもの木刀で対処して、出来る限りこれを抜かないように頭を使うんだ」

 刀を床に置き、サヴィラの頬に手を伸ばす。小さな鱗が少し浮く頬はひんやりとしている。

「屋敷にはジョシュアもレイもカロリーナ殿を始めとする騎士たちもいる。ブランカにロビン、それにテディもいるんだからサヴィラがこの部屋に来ることも、この刀を抜くこともないだろうと俺は信じている。今の俺に出来る限りの護りの策をこの屋敷には講じているからな。だが、心の奥の奥の一番奥に一つだけ覚悟をしていて欲しい。本当は……こんなものをお前に渡したくはないし、この部屋もただの秘密の部屋の一つとして教えるつもりだったんだ」

 サヴィラの手が真尋の手に重ねられる。
 我が子に命を守るために命を容易く奪うような刃を授けるという事実に、再びここが安全な「日本」ではないということをひしひしと感じる。これから口にしようとしている言葉だって、余程、特殊な環境でもない限りあの国で親が子に言うことはないだろう言葉だ。

「……アマーリア様は、命を狙われている」

 丸く見開かれた紫紺の瞳が大きく揺れた。

「で、も、家出だって……」

 呆然と呟かれた言葉に頷く。

「ああ。それは本当だ。アマーリア様は、このことを知らない。彼女は本当に領主様と夫婦喧嘩をして俺のところに修道女にしてくれと家出して来たんだ。だが本当の理由は、アマーリア様とそして、レオンハルト様を護るためなんだ。どこの、誰が、どんな目的でアマーリア様を狙っているのかは分からない。分からない以上、騎士団もここを、アマーリア様たちを護ることしか出来ないんだ」

「……こんな、こと、言ったら怒られるかも知れないけど、」

 添えられた手に少しずつ力が籠もる。

「もしもの時、俺はアマーリア様より、レオンより、ヴィーより……最後はミアを優先するよ。俺にとってミアは、特別なんだ。一番最初に手を差し伸べてくれたのはダビド爺さんだったけど、多分、俺を最初に救ってくれたのはミアなんだ。ミアと……オルガだった。二人がいなかったら俺は、爺さんの優しさに救われることもなかった。だから俺はオルガに頼まれた分もオルガの最期の願いの分もノアの分も絶対にミアを護るって、そう、決めてるんだ」

 力の込め過ぎで真尋の手を握るサヴィラの手が微かに震えている。
 けれど、その紫紺の瞳は先ほどまでとは違い鋼のように固い意思が秘められていた。揺らぐことのない真っ直ぐな強さがそこにある。真尋は両手で包み込んだサヴィラの頬を引き寄せて額にキスをする。

「怒るわけないだろう」

 ふっと笑えば、サヴィラの強張った表情が少しだけ緩む。

「アマーリア様たちを護るのは、結局、騎士たちの仕事だ。いざという時もアイリスとダフネのどちらかは離れないだろう。だからお前は、お前の護りたいものを護ってくれ。無論、お前の命もな。ミアも俺にとって何より大事な娘だが、それはサヴィ……お前も同じだ。サヴィラは俺にとって何より大事な息子なんだ」

「……俺にとってもミアと父様は、何より大事な家族だよ。ネネたちと同じくらいに大事だよ」

 サヴィラが目を細めて小さく笑う。彼の紫紺の瞳を揺らす不安をどうやったら取り除いてやれるかと頭を悩ませる。
 こんな時、雪乃がいてくれれば、子どもたちの心持もまた違っただろうかと考えて馬鹿馬鹿しいと頭を振った。
 真尋はサヴィラを引き寄せて、こつんと額をくっつける。

「……サヴィ、俺は絶対はないと言ったが、一つだけ絶対なことがある」

「……なに?」

「俺がお前とミアのところに必ず帰って来るということだ」

 サヴィラは、少しの間、呆けたような顔をした後、ふっと笑った。今にも泣き出しそうな、けれど、心の底から安心したような笑顔だった。その笑顔が愛おしく思えてそっとサヴィラを抱き寄せる。真尋の肩にサヴィラが顔を埋めて、背中に手が回される。

「サヴィ、すぐに帰って来るから、ミアを頼むぞ。テディもいるし、ジョシュアたちもいるから大人に頼ることも忘れるなよ」

「うん。父様もリックにあんまり無茶振りしたら駄目だよ」

 笑いを含んだような柔らかな声が揶揄するように言った。

「それは無理だな。俺の旅の目標は前回同様に「一刻も早い俺の帰宅」だからな」

 肩に埋められたサヴィラの顔がふるふると揺れる。背中も揺れているから多分、笑っているんだろうと気付いてつられてくすくすと笑う。
 顔を上げたサヴィラが目じりに溜まった涙を細い指で拭いながら口を開く。

「帰って来たら、リックとエディを労わる準備をしておくからね」

「そこは俺を労うべきだろう?」

「えー、だって父様に加えて、今回は絶対にイチロがティナに会いたいがために「僕も一秒でも早くお家帰りたいから」とか笑顔で押し通すに決まってるもん。可哀想なのはリックとエディだよ」

 我が息子ながら本当にしっかりしているし、周りをきちんと見ている。
 サヴィラは真尋の腕から抜け出すと自らの手で刀を拾い上げた。抱き締めるように両手でしっかりと握りしめて目を閉じた後、ゆっくりと顔を上げたサヴィラの顔には迷いも怯えもなかった。真っ直ぐな強い意思だけがそこにあった。

「これ、大事にするよ。ありがとう、父様」

「ああ」

 真尋が頷くとサヴィラは、ふっと笑って刀をアイテムボックスにしまった。
 そして、真尋の手を取り立ち上がるように促される。息子の手を握り返して、もう片方の手に燭台を持ち立ち上がる。

「ね、もう上に戻ろう。ミアが待ちくたびれちゃう」

「ああ、そうだな。ミアの部屋から頼まれたラビちゃんの服も持って行かないとならんし」

 くしゃりと髪を撫でれば、今度はサヴィラに手を引かれるようにして真尋は部屋を後にする。扉を閉める前に部屋の中の燭台の炎を全て消せば、部屋は暗闇の中に消える。そっと扉を閉めて鍵を掛けた。
 
「父様が帰って来たら、ここ秘密基地にしても良い?」

 予想外の言葉に真尋は、目を瞬かせる。

「……どうせだったら、もっと日当りの良い隠し部屋にしたらどうだ?」

「え? まだ隠し部屋あるの?」

「ああ。隠し通路も隠し部屋も幾つかな」

「なら、帰って来たら教えてくれる?」

「もちろん。多分、俺が知らない部屋もあるだろうから一緒に探そう」

「やった。なら、はい! 約束!」

 当たり前のように差し出された小指に真尋は、躊躇うことなく自分の小指を絡ませる。指切りの歌を口ずさむ声が暗い地下に明るく響く。

「ねえ、父様。約束したんだから……ちゃんと、帰ってきてね」

 小指が離れて歌が止み、ほんの少しだけ隠し切れなかったサヴィラの弱さが彼の声に混じった。真尋は、それに気付かなかったふりをしてサヴィラの手を取り、歩き出す。

「もちろん、リックとエディは犠牲になるかもしれんがすぐに帰って来るとも」

「ふふっ、ほどほどにね、ほどほどに」

「……善処する」

 真尋の返しにサヴィラは、ますます可笑しそうに笑う。
 握りしめられる手が痛いほどの力が込められていることに応えるようにその手を握り返し、真尋は暗い隠し通路を後にするのだった。
 




――――――――――――
ここまで読んで下さって、ありがとうございました!
いつも閲覧、感想、お気に入り登録、元気を頂いております♪

ふと、この世界が日本よりもずっと物騒な世界だということを思い出しながら書きました。
そして、漸く双子ちゃんが登場しました。次回はもっとちゃんと登場して、ある人と喧嘩します(笑)

次のお話も楽しんで頂ければ幸いです!

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