鮫嶋くんの甘い水槽

蜂賀三月

文字の大きさ
上 下
28 / 37

俺にとっての、本当のベル

しおりを挟む
 なんでこんなことになったんだ。
 ウサギの牧草を準備しながら、ふぅっとため息を吐いてしまう。

 クラスのやつらと話すことができてきたのは素直に嬉しい。だけど、文化祭の演劇で王子……?
 時間が経った今でもまるで本当のことのように思えない。

 戸惑っている俺に気づいたのか、愛奈もベル役に立候補してくれた。マジで、愛奈にはいつも気を使わせてばかりだ。愛奈だって、演劇で目立つ役をするようなキャラとは思えない。俺のために、だいぶ無理をさせているのだろう。

 そう考えると、胸がチクリと痛む。愛奈の気持ちは嬉しい。だけど、愛奈に迷惑もかけたくない。

 ――っと。ウサギの世話をしているんだから集中しないと。
 牧草をムシャムシャ食べるウサギたちを見つめる。そういえばこいつらも、逃げなくなったよなぁ。

 愛奈と話しつつ、ウサギを観察していると見たことのない男子が声をかけてきた。
 愛奈はそいつのことを知っているみたいで、どうやら先輩らしい。
 玲央先輩と呼ばれたそいつは妙に愛奈に慣れ慣れしくて、胸のなかが焦げるような感覚になる。

 遠くからしばらく見ていたが、どうやら先輩は愛奈を誘っているらしい。それにしても、距離が近すぎる。横目で見ていたが、先輩が愛奈の体に触れたのを見ると、カッと頭に血が昇った。気づいたときには、ふたりの間に入ってしまっていた。

 「――すみません、愛奈が困ってるんでやめてもらっていいですか?」

 嘘つき。愛奈が困ってるんじゃない。俺が困るんだ。でも、そんなことを言うわけにもいかなくて……。愛奈を言い訳にしてふたりの間に入ったことに、罪悪感がどんどんと出てきてしまう。

「鮫嶋くん、助けてくれてありがとう」

 愛奈はお礼を言ってくれるけど、違う。愛奈のためなんかじゃない。
 俺が自分の身勝手な気持ちで、勝手に先輩に怒っていたんだ。
 
「……別に。先輩と仲良いなら、文化祭一緒に回ってもいいんじゃね?」

 また愛奈に迷惑をかけてしまうかもしれない。愛奈を俺が縛り付けたらだめだ。そんなことを続けていたら、いつかきっと嫌われてしまう。

 だいたい、あんなイケメンの先輩……俺に勝ち目なんてあるはずねーじゃん。
 

     ***


 昨日、先輩とのことがあってから愛奈とぎこちなくなったままだ。
 たったちょっとの時間のことなのに、どうやって話したらいいのかわからない。
 まともに他人と話してこなかったことを、今になって後悔している。

 朝、またあの先輩が愛奈に話しかけていた。心なしか、愛奈も先輩には心を開いているような気がする。勇気を出して、謝ってみたものの……。馬場さんが言っていたけど……本当にキス、してたんだろうか。ぐるぐると愛奈と先輩の顔が頭に浮かぶ。ムシャクシャしてきて、下唇を噛みしめた。情けない。こんな感情のまま、気づいたらロングホームルームの時間になっていた。

 ……俺が勝手に、ただ、愛奈に憧れているだけ。

 一緒に住んでいるだけで、ちょっと仲良くなった気になってた。

 玲央とかいう先輩は、話に聞くと人気のある男子らしいし。そんな人に好意を向けられているなら、俺が愛奈を縛り付けるようなこと、しちゃだめだよな。

 「――おーい、投票していないのは誰だ」

 先生の声ではっと我に返る。愛奈のことが本当に好きなら、俺のすることは……。

 母さんたちからも俺のことを頼まれていたことだろう。俺が不器用だから、俺が学校でうまくいくようにって。そんな面倒な役柄から、愛奈を解放してやることが俺にできることなんじゃないか?

 頭の中がぐちゃぐちゃになってくる。好きだから一緒にいたいのに、俺がいることが愛奈の負担になるんじゃないか。それなら、もう――

 俺は、黒板の前に立つと、黒板に白い線を書く。

 ベル役の投票を、兎沢に入れた。


 こうしたら、愛奈は俺に気を使うことなく、先輩と文化祭を回れる。せっかくいい男と出逢えたのに、俺なんかの世話してたら可哀想、だもんな。

 そう思ったものの、心にはぽっかりとした穴が空いたような気持ちになる。兎沢の声に気づき振り向くと、視界の奥で愛奈が教室から飛び出していったのが見えた。

「愛奈っ――?」

 思わず手を伸ばしてしまった俺の前を、兎沢が遮った。

「愛奈ちゃん、体調悪かったみたいだよ……? 草間さんにでも任せて、私たちは劇の打ち合わせをした方がいいんじゃない?」

「そ、そう……か」

 兎沢は微笑んではいるが、なんとなく圧を感じる。

 教室はしばらく静まり返った。先生が雰囲気を変えようとしたのか、手をパンッと鳴らした。

「草間、悪いけど白魚のこと、見てきてくれるか? 選ばれなかったことで、ショックを受けているのかもしれないから」

「はい、わかりました」

 草間は駆け足で教室を出ていく。先生が文化祭の準備をするように指示を出すと、すぐにそのまた教室は騒がしくなった。

 兎沢は俺の耳元で囁く。

「ね? 草間さんがいるから大丈夫だよ。女の子のことは女の子が解決しないと。それよりも、私に投票してくれてありがとう」

 俺の返事を待たずに、兎沢は続ける。

「昨日、絵本を参考にして台本も作ってきたの。教室じゃ騒がしいから……視聴覚室にでも行って練習しようよ。最高の劇に、しようね」

 俺は兎沢に言われるがままに、教室を出て視聴覚室へ向かった。


 視聴覚室の鍵は開いていた。厚手のカーテンだからだろうか。この部屋は、他の教室より暗い。

「良かった。ほかのクラスは使ってないみたいだね」

 そう言うと、兎沢は教室の半分にだけ電気を点けた。

「少し薄暗い方が、本番の劇っぽくていいよね」

「……そうか」

 兎沢に返事をしながら、頭には愛奈の顔がよぎる。

「とりあえずの台本だけど、練習してみようよ」

 束になったコピー用紙を受け取ると、兎沢はにっこりと微笑んだ。

「ずいぶん嬉しそうだな」

「嬉しいよ? 好きな人と一緒に劇の主役になれるなんて、最高の気分」

「は?」

「桃は、鮫嶋くんのこと好きだよ」

「ああ、サンキュ」

 友達に好きと言われる経験すらなかった俺としては、何気ないこんな言葉もこそばゆい。愛奈だって、兎沢だって、まっすぐに相手に好意を伝えられるのは本当にすごいことだと思う。

 ……たとえ、それが本心じゃなくても。

 受け取った台本をめくる。ずっと昔に読んだような気がするけど、いったいどんな話だったか……。
 ペラペラと流し読みするなかで、いくつかの文章が目に入ってくる。

 『野獣はみにくく、世にもおそろしい姿をしていました』
 『そのため、ずっと城に引きこもっていたのです』
 
 乾いた笑いがでる。そりゃ、俺にぴったりの役だ。顔も心も、なにもかもドロドロだ。
 身の程知らずな恋をして、どんどん自分が嫌いになっていく。
 醜くて、怖くて、なにもしなくても恐れられる。自分なんか、大嫌いで。

 『そんな恐ろしい化物にでも、ベルはやさしく語りかけました』

 ベルは「美しい人」という意味があるらしい。姿も、心も。そう考えたら、愛奈にぴったりの役だった。愛奈、今はどうしてるだろう。草間がちゃんと見つけてくれたのかな。

「――じまくん! 鮫嶋くん!」

 ふっと意識が視聴覚室に戻る。いけない、劇の練習をしてたのに。

「わりい、ちょっとぼーっとしてた」

 兎沢はまっすぐに俺を見ると、うなだれてため息を吐いた。

「あのさ、こんなに心あらずな人初めてなんだけど」

「悪い、集中するから」

 兎沢は俺が持っていた台本を取り上げて、視聴覚室のカーテンを勢いよく開けた。
 太陽の光が急に入って来て、俺は目を細める。

「そんなに愛奈ちゃんのことが気になるなら、早く行ってきなさいよ!」

「――別に俺は気にしてなんか」

「鮫嶋くん、他人の心だけじゃなくて自分の心にも鈍感なわけ!? いいから愛奈ちゃんを探しにいきなさいってば!」

 そう言うと、兎沢は俺の背中を勢いよく叩いた。

「いたっ! でも、俺が行っても……」

「いいから、もう行って! 愛奈ちゃん、鮫嶋くんを待ってるはずだから」

 愛奈の顔が浮かぶ。色々な雑念が振り払われると、そこにあった気持ちはシンプルなものだった。俺は、やっぱり、愛奈のそばにいたい。

「愛奈ちゃんのこと好きなんでしょ? ここまであたしに言わせないでよ」

「――兎沢、悪い! ありがとう!」

「早く行け! 鈍感男っ!」

 俺は視聴覚室を出て勢いよく走りだした。
 愛奈は教室を出ていったとき、泣いていたような気がする。劇でベル役に選ばれなかったから? いや、そんなことで泣くような子じゃない。俺が兎沢を選んだから? 友達として傷つけた? 不安にさせた? ああ、もう何もわからない。だけど、愛奈が泣いているのは嫌だ! やっぱり、俺は愛奈が好きだから!!
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

兎沢桃の曖昧な脚本【鮫嶋くんの甘い水槽・サイドストーリー】

蜂賀三月
児童書・童話
本作品はアルファポリスきずな文庫から発売中の『鮫嶋くんの甘い水槽』のサイドストーリーです。 本編には『鮫嶋くんの甘い水槽』の第4章以降の内容が含まれているため、書籍版を読んだうえでお楽しみいただけますと幸いです。 *なごや守山図書館文芸マルシェというイベントに出店した際に配布した特典SSとなります。 *担当編集様に許可をいただき、アルファポリス内にて公開しております。

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

忠犬ハジッコ

SoftCareer
児童書・童話
もうすぐ天寿を全うするはずだった老犬ハジッコでしたが、飼い主である高校生・澄子の魂が、偶然出会った付喪神(つくもがみ)の「夜桜」に抜き去られてしまいます。 「夜桜」と戦い力尽きたハジッコの魂は、犬の転生神によって、抜け殻になってしまった澄子の身体に転生し、奪われた澄子の魂を取り戻すべく、仲間達の力を借りながら奮闘努力する……というお話です。 ※今まで、オトナ向けの小説ばかり書いておりましたが、  今回は中学生位を読者対象と想定してチャレンジしてみました。  お楽しみいただければうれしいです。

荒川ハツコイ物語~宇宙から来た少女と過ごした小学生最後の夏休み~

釈 余白(しやく)
児童書・童話
 今より少し前の時代には、子供らが荒川土手に集まって遊ぶのは当たり前だったらしい。野球をしたり凧揚げをしたり釣りをしたり、時には決闘したり下級生の自転車練習に付き合ったりと様々だ。  そんな話を親から聞かされながら育ったせいなのか、僕らの遊び場はもっぱら荒川土手だった。もちろん小学生最後となる六年生の夏休みもいつもと変わらず、いつものように幼馴染で集まってありきたりの遊びに精を出す毎日である。  そして今日は鯉釣りの予定だ。今まで一度も釣り上げたことのない鯉を小学生のうちに釣り上げるのが僕、田口暦(たぐち こよみ)の目標だった。  今日こそはと強い意気込みで釣りを始めた僕だったが、初めての鯉と出会う前に自分を宇宙人だと言う女子、ミクに出会い一目で恋に落ちてしまった。だが夏休みが終わるころには自分の星へ帰ってしまうと言う。  かくして小学生最後の夏休みは、彼女が帰る前に何でもいいから忘れられないくらいの思い出を作り、特別なものにするという目的が最優先となったのだった。  はたして初めての鯉と初めての恋の両方を成就させることができるのだろうか。

生贄姫の末路 【完結】

松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。 それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。 水の豊かな国には双子のお姫様がいます。 ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。 もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。 王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

魔法使いアルル

かのん
児童書・童話
 今年で10歳になるアルルは、月夜の晩、自分の誕生日に納屋の中でこっそりとパンを食べながら歌を歌っていた。  これまで自分以外に誰にも祝われる事のなかった日。  だが、偉大な大魔法使いに出会うことでアルルの世界は色を変えていく。  孤独な少女アルルが、魔法使いになって奮闘する物語。  ありがたいことに書籍化が進行中です!ありがとうございます。

児童絵本館のオオカミ

火隆丸
児童書・童話
閉鎖した児童絵本館に放置されたオオカミの着ぐるみが語る、数々の思い出。ボロボロの着ぐるみの中には、たくさんの人の想いが詰まっています。着ぐるみと人との間に生まれた、切なくも美しい物語です。

左左左右右左左  ~いらないモノ、売ります~

菱沼あゆ
児童書・童話
 菜乃たちの通う中学校にはあるウワサがあった。 『しとしとと雨が降る十三日の金曜日。  旧校舎の地下にヒミツの購買部があらわれる』  大富豪で負けた菜乃は、ひとりで旧校舎の地下に下りるはめになるが――。

処理中です...