鮫嶋くんの甘い水槽

蜂賀三月

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マーメイドワールド

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 電車ではこれから向かうマーメイドワールドの話をしていると、あっという間に目的の駅まで着いていた。
 15分ほど歩くと、大きな人魚のオブジェが見えてくる。
 歩いたし、少し汗ばんでいたので早く中に入りたい。
 鮫嶋くんは別の意味で早く入りたそうだったけど……。
 話しているとわかったけれど、鮫嶋くんは魚だけじゃなくって、海の生物はほとんど好きみたい。

 服の胸元をパタパタさせながら、入場ゲートをくぐる。
 すると、いきなり別世界に来たような気持ちになる。

 暗い室内を神秘的に照らす青い光。
 水の流れる音、泡の音……ほかにもお客さんはいるのに、とても静かだ。

 少し歩くと、クラゲ水槽が出迎えてくれた。
 さまざまな形、色々な大きさのクラゲが美しく浮いている。

「わあ……すごい……」

 思わず声が出てしまっていた。
 
「ここ、来るの初めて?」

「うん。近いんだけど、だからこそなかなか来なかったみたいな」

「なんだそれ」

 鮫嶋くんは小さく笑う。クラゲ水槽のなかの光の色が青から紫に変化して、鮫嶋くんの顔を照らす。
 ……やっぱり、かっこいいよなぁ。なんでだろ、前までそんなこと、思ってなかったはずなのに。
 ごくんと自分が喉を鳴らした音で我に返る。鮫嶋くんの顔を見ていたこと、気づかれてないよね。

「ねぇ、鮫嶋くんはどのクラゲが好き?」

「あえていうならハナガサクラゲだな」

 鮫嶋くんが指さした先には、紫の触手を持つ派手なクラゲが浮いていた。

「エイリアンみたいでかっこいい!」

「愛奈、やっぱりよくわかってるなー」

「趣味合うね」

 なんだかこそばゆくなってくる。何百……何千というクラゲのダンスを見ていると、あっという間に時間がなくなりそうだった。

「そういえば、さっき暑そうにしてたよな。飲み物買ってくるけど、なにがいい?」

「え、一緒にいくよ?」

「初めてきたんだし、ゆっくり見たいだろ。そこにベンチもあるから」

「……ありがとう。じゃあ紅茶でお願いします」

「オーケー」

 鮫嶋くんの言葉に甘えて、私はクラゲ水槽がよく見えるベンチに座る。お金は……あとで返さないと。でも、鮫嶋くんのことだから『いらねーよ』と言いそうな気もする。

 ふわふわと浮かぶクラゲに自分の気持ちを重ねながら、足を休めていた。

 5分ほどすると、私が座っていたベンチに腰掛ける感触があった。

「あ、早かったね! 込んでなかった?」

 そう言って隣を見ると、知らない男の人がこちらを見つめていた。

「ねえ、ひとりで来てるの?」

 大学生くらいだろうか……男の人。髪の毛は茶髪で、大きなピアスをしている。
 私の足元から顔をじろじろと往復するように見てくる。
 その視線がなんだか怖くて、言葉が出てこない。

「聞こえてる? ひとりで来てるの?」

「……ひとりじゃ……ありません」

 どうにか絞り出した声に、その男の人は「あっそ」と返事をした。

「まぁ誰と来てようと構わないけど。キミかわいいね。暇なら一緒に回らない?」

「いや……一緒に来てる人がいるんで……」

 私の話が聞こえていないのか、その男の人は体を少しずつ近づけてきた。

「ボクさー、彼女と来てたんだけどケンカしちゃってさ。キミ、相手してよ」

「――無理です!」

「ねぇ、いいでしょ。おいしいものおごってあげるからさー」

 男の人の手が私の太ももに伸びてくる。
 やだっ。怖い。怖いのに、体が動かせない……。
 助けて……鮫嶋くん……!

 ぎゅっと目を閉じて身構えた瞬間、パチンとなにかを弾く音がした。

「愛奈になにしてんだよ!」

 その聞き慣れた声が聞こえると、やっと息を吐くことができた。
 不安と緊張で、呼吸をすることさえ忘れていたみたい。

 なにかを弾いた音の正体は、鮫嶋くんが男の人の腕をはたいた音だったらしい。

「な……なんだよ。ちょっと話してただけだって。彼氏がいるなんて思わなかったんだ。悪かったよ」

「二度とその面見せんな」

 鮫嶋くんが殺気立った目でその男を睨むと、男は早口で謝りながらどこかに消えていった。

「愛奈、ごめん。ひとりにさせるんじゃなかった」
 
「鮫嶋くんにまた助けられちゃったね。ありがとう」
 
 まさかナンパされるなんて、想像できないもん。
 
「もっと気をつけとくべきだった。本当にごめん」

「鮫嶋くんのせいじゃないよ。声かけられるなんて予想できないよ」

「どう詫びたらいいか……」

 鮫嶋くんは悪くないのに……。私はベンチの横に置かれた紅茶を手に取る。

「じゃあ、これでチャラってことで」

「愛奈は本当にやさしいな。水族館、怖くなってないか?」

「もちろん! せっかく来たんだから楽しまなきゃ損でしょ!」

 私は元気よく立ち上がり、歩き出そうとした。すると右手を握られてしまう。
 突然の出来事に、思考回路がフリーズする。

「危ないからさ、今日はもう手……繋いでろ」

 ――う、わぁっ……。
 鮫嶋くんの細い指から、ぬくもりを感じる。
 どうしよう、私手汗大丈夫かな。
 鮫嶋くんの顔、見られない。でも、なにか返事しないと。

「は、はい……」

 どうにか絞り出した声は、鮫嶋くんに届いたかどうかはわからない。

 これもこれで、別の意味で心臓に悪いです。
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