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#4 Tunrning Point

ep.33 情報収集の裏技

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 頼りは月明かりだけだった。
 雲はまばらに散らばっているが、満月も近いこともあって、窓から差し込む月光をアテにして帳簿をめくることができた。
 夜中の駅事務所に大胆にも忍び込んだ。
 これまでの人生、ここまでのことをしたことがない。
 見つかれば当然のことながら罪になるだろう。
 本気で憲兵に問い詰められるだろう。
 それでも、見つからない自信があった。
 一番得意な方法とキャプテンは口にしたが、一番得意な方法というよりは、自分の知っている世界での立ち回りが自然に情報を集められると考えた。だから、このように夜中に忍び込むという馬鹿な真似を行っている。

 ――この方が緊張感も増す。

 馬鹿みたい理由をつけて、自分自身を追い込んだ。とはいえ、神経を過敏にすることは怠らない。
 物音や足音ひとつを気にしながら、帳簿をめくった。
 夜だからといって、荷役の仕事がないわけではない。仕分け作業や積み込みなど、仕事はある。
 そのため、事務所に荷役の作業員がやってこない、とは言い切れない。荷物の数字が合わなければ、資料とにらめっこするだろう。だが、夜番にそんな几帳面の奴はいないとあてこんで、侵入している。それは間違いなかった。輸送管理官という全体の管理者がいなくなって、かなり雑、とまではいかないが、事務処理は簡素化されていた。 
 簡素化されていい面はもちろんあるだろう。しかし、細かい情報がまったくわからなくなっていた。
 荷物を運んでしまえば、あとはどうでもいいという姿勢そのものであった。

 ――変わっていく姿は悲しいな。

 何処の誰かが口にしていたセリフを反芻しながら、感慨深く書類を眺めていると、お目当ての資料を見つけた。車両の出発の時刻や積み込まれた荷物の概要くらいはわかるようになっていたのが救いだ。
 必要な情報をシャツの裏側にメモをとる。
 早朝便か。
 この便を逃すと、また真夜中に、あるいは便が昼間なら真っ昼間に忍び込むことになる。このような真似は出来れば今回限りにしたい。しかも、昼間なんて冗談じゃないと結論はすぐに出る。資料を閉じる。棚の、元々あったところに返す。
 ペンも返そうかと机の上に置いた後、まあいいかと懐にひっかけた。第一の目的を達成し、次の目的地まで廊下を慎重に見回しながら、忍び足。
 廊下の明かりは点いていない。暗闇に目が慣れると人の気配はわかるものだ。
 やがて、ぼんやりと照明のある部屋が目に入った。廊下にも少し明かりが漏れている。誰かいるのかとのぞき込むわけにもいかず、仕方なしに堂々と歩いて通り過ぎることにする。なによりも挙動不審が一番疑われるとかつてシエロが言っていた気がする。ここは特務のノウハウを信じることにした。

「おい、なにしてる」

 照明のある部屋から男の声が聞こえた。

「……便所です」
「そうか、それなら早くすませろ。時間は限られてるんだぞ」
「急ぎます!」

 荷役のつもりで堂々と答えれば、向こうもそれ以上は詮索してこないようだ。
 急ぐ素振りを見せようと、カートは小走りに廊下を抜けていった。
 不審に思われた節も無いようで、ほっとしたのも束の間、やがて仕分け所の脇を通りがかる。
 仕分け所では作業中だ。カートの経験上、人の活発な出入りはないはずだった。それこそ便所で出て行く人がいるかいないか程度である。本来なら、休憩中に済ませておけばよいのだが、作業中に便所に駆け込む人間がいないわけではない。そんな間抜けな輩に見つかりたくはなかった。
 仕分け所と廊下とを仕切る壁には頭の位置に窓がある。仕分け所で淡々と進む作業の様子を窺うことができるが、逆に向こうからも、こちらの様子を確認できる。窓は頭の高さなので、腰を落とし、中腰のまま、帽子を押さえて早足で廊下を抜けていく。
 目指すは積み込みが終わった車両が並んでいる車両区。
 車両区には貨物を積み終わった車両から、空っぽの車両までが並んでいる。
 仕分けられた荷物の積み込みをして、貨物車両が一段落する。機関車部分である先頭車両と貨物車両が連結して出発となるわけだ。
 車両区への通用口である木製の玄関扉はだいぶ痛んでいた。取っ手を回すまではいいが、扉を引くと、軋む音が響く。ギギギと耳障りのよくない音が真っ暗な廊下に反響する。少しだけ開け、扉の向こうにも人気が無いことを確認する。夜風が鋭いだけであった。
 覚悟を決めて、取っ手を引っ張る。木材の軋む音が大きくなるにつれて、心臓の鼓動も強くなる。人ひとり分の隙間をつくり、そこから体を通す。体全部が外に出て、ようやく一息。
 月明かりが美しい夜であった。
 目の前のむき出しの地面には、いたるところでレールが引かれ、ポイント切替器の向こうで車両が並んでいる。機関車に連結前の貨物車両がレールの上に物を言わずに佇んでいた。
 車庫には照明はないものの、月明かりのあるせいで高いところからなら動いている人くらいは確認できるだろうと自身の経験に照らし合わせた。
 カートは注意深く、辺りを見渡した。
 背の高い建物と言えば、全体を見渡せる見張り塔だが、今にも朽ちそうな安っぽい木造建築の屋根付き物見櫓で、下からはハシゴで登るような粗末なつくりである。土台の骨組みはむき出しの鉄棒だけの代物。
 近代的な照明設備もない。
 人の気配はおろか、暗闇と静寂が支配していた。
 対照的に、仕分け所のガラス窓から、煌々とした明かりが暗闇の車両区の地面を窓枠の形に照らす。
 窓に人影が映らないことで、窓際に誰もいないことを確認し、よし、とカートは頷いた。
 車両の傍まで一気に走る。
 辿り着いてしまえば、こっちのものだった。
 車両には死角が山ほどある。
 隠れるにはもってこいだ。
 ただ、死角は多いが、死角であればあるほど、逆に明かりが入ってこないために手元の様子がわからない。わずかな月明かりを頼りにすると、広い場所に出て行かざるをえない。その分、発見されやすくなる。なかなか難しいものだ。
 頭を下げ、腰を屈めたまま、車両間を移動する。
 目的の車両を探すために、車両の側面部分のあるところをまさぐった。そこには運ぶ品物に沿って、車両タグとでもいえばいいのか、車体に彫り物がしてある。帝国陸運時代から受け継がれている伝統である。例え時代は変わっても簡単にはノウハウは変わらない。車両番号などが書かれているプレートに必ず彫り物がされてる。
 一般貨物と郵便、家畜などの動物、燃料、武器、人……たいていは一般貨物と呼ばれるモノだ。食料や繊維類が多いだろう。
 いくつかの車両を点検するだけで、すぐに目的の車両を見つけた。

 郵便車両だ。

 車両に侵入するのは容易い。先ほど事務所で道具を拝借してきた。
 マスターキーは存在しないが、鍵を紛失しても開錠できるようにと輸送管理官は訓練を受けている。道具さえあれば、朝飯前だ。鍵の歯を組み合わせられる道具を使い、さっさと開錠させる。
 鍵さえ開けば扉は素直に道を譲る。
 ステップを上り、颯爽と郵便車に乗り込む。
 郵便車は旅客車を改造したつくりになっている。郵便物自体がそれこそ封書というちいさな書類のため、仕分けの都合で棚だらけなのが特徴だ。
 棚は各地方毎の行き先順に色分けされているが、一般的な封書に用はないと見向きもしない。
 別枠となっている飾り棚から手探りで小箱を取り出す。特別扱いされている郵便である。貴族やそれなりの身分の者がやりとりする専用のものだ。
 小箱をまるごと持ち出した。車両の中では棚が窓をふさいで明かりが入ってこないため、暗くて読むことができない。
 車両の外、月天の下、車輪にもたれながら、小箱の手紙を一つずつ差出人を確認する。
 上流階級様はご丁寧に封書の裏に名前をしっかり書くのかと思いながら、ウィリアムの名前のある封書を見つける。
 少しためらいながらも、封を破る。
 宛名は聞いたこともない。名前からして男のようであった。敬称を見る限り、どこぞの伯爵宛のだが、地方貴族の名前などカートは知らない。特に興味もなく、宛名を飛ばし、一番下のサインを見ると、ウィリアムの名があった。
 次に文面。
 時候の挨拶から始まり、手紙の趣旨へ移る。
 招待状であった。
 婚約記念祝賀会だという。
 財団の次期総帥とレコンキスタ・メンバーズの代表。
 名前が書いてある。
 財団の次期総帥というのは、新聞で名前を見かけたくらいしかないが、覚えていた。確か、ろくでもないおぼっちゃん、という印象のゴシップ記事だった。
 そして、レコンキスタ・メンバーズの代表と言えば見知った名前のようで、実は聞いたことがなかったフルネーム。
 新世紀財団はレコンキスタ・メンバーズを財政面で支えている、いわば黒幕である。
 手紙には裏と表の組織が一つとなり、強固な繋がりとして、世界に羽ばたくだろうと結ばれている。
 自然に舌打ちをしていた。
 財団とメンバーズといえば、元々は裏と表の組織である。財団がメンバーズを設立した。公称としては、自然発生的に集まった義勇軍というカタチだが、そんなわけがない。私兵にロイヤルブルーをあてがって、大義を唱えただけなのは、そこら中にいる酔いつぶれた荷役のおっさんでも知ってる。
 ただ、これで財団と旧帝室とが姻族関係で結ばれれば、メリーはもうお客様ではない。完全に一族である。
 子供でも出来てしまえば、それこそ旧帝室の血筋を取り込み、ロイヤルブルーであれば、なおさら箔がつく。
 絵に描いたような政略結婚だった。
 成り上がりの商売人、いわば成金である財団よりは圧倒的にロイヤルブルーにはカリスマがある。それを取り込む。
 望む、望まないに関わらず、メリーは花嫁になり、子供をつくることになる。そして、子供もまたロイヤルブルーを期待されるだろう。
 組織の都合で、子供も延々と青い髪と青い瞳でなければならないという。実際にはロイヤルブルーは希少種であるがゆえに、他民族と血を分け合うと高い確率でロイヤルブルーの子は産まれない。だからこそ、ロイヤルブルーは貴重であり、選ばれた民だという説もある。
 それでも、過度に期待される。
 カートの人生ではないが、自分の子供まで支配されるというのはいい気分がしないと唾を吐き捨てた。
 帝室というのは血筋を子々孫々まで管理することによってロイヤルブルーを守り、確固たるカリスマを築いてきたのだろう。
 大変な血筋である。
 そして、その血筋を利用しようとする輩に人生を管理される。

 ――いつだ? 場所は?

 すべて書いてあった。
 逆に呆気にとられてしまった。
 このような情報がこんなにも簡単に手に入るとは。
 鉄道がすべて自分のものという過信が財団やメンバーズにあるのだろう。
 手紙の入っていた小箱を投げ捨てた。

 ――現場をわかっていない。

 独り言で皮肉りながら、レールを枕に大の字になって月を見上げた。雲に覆われ、半分以上隠れていた。急に天候が悪化していると勘が告げるが、そんなことはどうでもよかった。

「俺はなにをしに来たんだ……」

 郵便車両に忍び込んで、重要な手紙を見つけてしまった。
 いや、そもそも、なにを調べにきたのだろう。
 自問自答する。
 ウィリアムの手紙を見つければ、尻尾をつかめるとでも思ったか。
 彼がなにを企んでいるのか少しはわかるだろうという、安易な期待。

 ――これが俺の、出来ること、なのか……キャプテン。

 トランスポーターだけが持っている知識と技術を発揮させたかっただけかもしれない、結局は自己満足かと吐き捨てた。

 ――姑息だな。俺は。

 知らなければ、知らないなりに世の中は勝手に進んでいただろう。
 ただ、知ってしまったからには、放っておけないという感覚が芽生える。
 メリーに対する愛着か。それとも、仕事が失敗したことへの執着か。
 整理はつかない。両方かもしれない。
 少なくとも、ミストに連絡するべきと反射的に考えてしまった。
 しかし、連絡する確たる方法などない。
 彼女は神出鬼没だ。
 ミスト自身がカートへ興味を持ってくれない限り、会うことは難しい。人伝では時間が掛かりすぎる。
 ふうとため息をつく。

 ――俺は助けたいのか。

 助けたい? 果たしてメリーは困っているのだろうか。ひょっとすると今の生活が気に入っているかもしれない。帝国再建に燃えているかもしれない。
 そういえば、最近、メリーの声を聞いた。
 ラジオから飛び出してきた声はなにを訴えたかったか。
 猛烈に帝国再建に身を乗り出していたか?
 あのスピーチ。
 無理をしているなと感じたのを思い出した。
 どうしてそう感じたのだろう。
 直感的に、そう、感じたとしか言いようがなかった。

 ――俺なんかがそう思うのなら、リュミエールはどうなる。あいつはなにをしてるんだ。

 そういえば、シエロは金髪の男を追っていると言っていた。金髪の男というのはリュミエールのことであろう。
 そうなると、リュミエールが単独で動いているということか?
 事情はよくわからない。もし、メリーの傍に彼がいないのであれば、この婚約話、リュミエールは知らないのかもしれない。
 彼がメリーの傍にいたとしても、反対したか、と考えると、どうだろう。
 明らかな反対はしないだろう。メリーの意志を守ろうとする。自分の意見を反映させることはない。しかし、メリーが本気で願えば、絶対に盾として志願する存在だ。そういう男だとカートは決めつけていた。
 推測は続く。だが、肝心なのは、結論。
 リュミエールはメリーを守るための騎士であり続けるだろう。それは間違いないはず。カート自身はどうだろう……? と振り返る。

「俺は……トランスポーターだ……荷物には責任を持たなければならない……」

 こんな簡単に盗みが働けるような積み荷の管理ではいけないのだ。
 結論は単純であった。
 ただ、その結論から導かれる行動をするとなると、体が重いと感じる。
 いつだってトランスポーターであるべきなら、今、なにをすべきか。

 ――わかったよ。俺は、トランスポーターの精神でありたいんだな。

 空からぽつぽつと水滴が落ちてきた。
 月は完全に雲に隠れてしまっている。夜の天気はわからない。
 滴る雫が顔を濡らした。
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