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第四章
爆弾
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薬局内がしんとしている。皆が調剤室にある電子カルテのモニターに視線を向けている。
そのモニターの前には薬局長と喜屋がいた。そして、喜屋の後ろに匠がいた。
調剤過誤発生。
その話を聞いた途端、薬局長はまたかと血相を変え匠を睨んだ。だが、喜屋は薬局長をモニター前に呼んだ。
「三階のこの患者の処方箋に見覚えは?」
薬局長が眼鏡をかけなおしてモニターを見て……何かに気が付いたように目を見開いた。
「え?だが、今朝、三階の看護師から!」
「いつもの薬と違いますって連絡があったんですよね?」
「そうです!」
薬局長がモニターと喜屋を幾度も見る。広い額に汗が浮かぶ。
『いつもの薬とちがいます』
匠がぞっとする。人間はそういわれると間違っているのは自分だと思ってしまう生き物だ。ましてや、薬局内にいる薬剤師とは違い看護師は患者との距離が近い。
その看護師に薬がいつものと違うと言われたらきっと匠も一瞬、ヒヤッとする。
「カルテの確認をしましたか」
喜屋はしごく当たり前のことを薬局長に聞いた。当たり前のことだが……。なぜか、薬局長は即座に返事ができなかった。
「じ……事務の子が、まだ来てなくて……」
は?薬局内の空気が変わる。事務の女性達の表情も強張る。何を言い出した?
「まだ来てなくて?」
「パソコンが立ち上がっていなかったから……」
確認せずに薬を変更したのか。
なぜ、調剤過誤が起きたかやっと匠も理解した。
発端は患者の担当医の喜屋が薬を変更したところからだ。
電子カルテのモニターにはざっと処方される薬品名が並んでいる。だが、そこに一つの薬品名のミリ数だけが赤い文字で表示されていた。
赤い文字は前回と違うという調剤過誤を防ぐための目印だ。
「患者の経過がよかったんで、今日から薬のミリ数を減らすつもりだったんです。これを打ち込んだ後、すぐに内藤先生から『ミリ数変更ですか』と疑義照会もありました」
喜屋の指が備考欄の疑義照会済を指さす。
それなら記憶もある。それを打ち込んだのは匠だ。
ミリ数変更。変更の疑義照会。新しい薬の処方。それでつつがなくすむ話だったはずなのに。
「三階の看護師にも話を聞きましたが、看護師はただ本当にいつもの薬と違ったので確認のために薬局に連絡を入れただけだと言ってます。だから、薬局に話を聞きにきましたが……」
「内藤先生が!」
いきなり名前を呼ばれた。驚いて顔を上げると真っ赤になった薬局長が匠を睨みつけている。
「内藤先生が?」
喜屋が自分の背にいる匠にかわり静かに聞いた。
「内藤先生は、今朝のことに関係しますか?彼はここで疑義照会をしている。自分に確認してちゃんと正しい薬を処方したはずです」
「だから、今朝!もっと私にわかるように言ってくれれば!」
そうなんだろうか。匠が今朝の事を思い出す。すごい剣幕の薬局長に匠は確かに途中で諦めた。もし、あの時食い下がっていれば……。
「だってー、薬局長すっごい怒っていたじゃないですかー」
いきなり舌足らずな声がし、皆がそちらを振り返った。
事務の女性達の間に交じっていた薬局長お気に入りの女の子が、くりくりと指にやわらかくパーマがかかった髪を巻いたりほどいたりしている。
「は?」
間抜けな声を出したのは薬局長だ。
「内藤せんせー、処方箋をー確認させてくれーって、ちゃんと言ってたのにぃ」
「なっ?!なにをっ!」
自分のかわいがっている女の子から暴露され薬局長が赤くなったり青くなったりしている。だが、匠はちょっと驚いた。なんの話もしたことがないこの子がなぜ自分を庇うようなことを言うのだろうか。
ちら、と女の子の目が喜屋を見て伏せた。
「言ったのに?」
喜屋が視線に気が付いたのか、苦笑いを浮かべて女の子を見る。薬局長は口を開けたり閉じたりしているが言葉がでない。
女の子は指に巻いていた髪をぱっと解いた。そして、手で髪を背中に払ってにこっと笑った。
だが、つけまつげに縁どられた目が笑っていない。これは怒っている。
いつもふわふわにこにこしている女の子が怒るとは薬局長も思わなかったに違いない。
「今朝、私早番だったし。パソコンいっぱいあって、いちいちログインしないといけなくて大変だし」
なるほど。薬局長さっきパソコンが立ち上がっていなかったからだとも言ったな。
「大丈夫、大丈夫。自分がちゃんとするから、いいよって」
「きっ……」
事務の女性たちの冷たい目が薬局長に集まる。薬局長のお気に入りの女の子は一度言葉を切り、綺麗にネイルを塗った手を口元に当てた。
なんか怖い。知らぬ間に匠は一歩喜屋に寄った。喜屋もじっと女の子を見ているが、なぜか口元には笑いが浮いている。
綺麗なピンク色の唇がネイルの向こうで動いた。
「ぜんんぜんダメじゃん」
女の子が爆弾を落とし、薬局中が凍り付いた。
◇
居酒屋のカウンターで注射薬剤室の室長がカウンターに突っ伏して肩を震わせて笑ってた。
「ひーっ、ひっ……」
声を殺して笑おうとしているからだろうが、こらえきれずにもれる笑い声がどこか不気味だ。椅子一つ飛ばして座っている喜屋はただ苦笑いを浮かべているだけだが、匠は喜屋越しに室長を見てさすがにぶすくれた。
「いなかったから笑えるんすよ?あの後、俺たち仕事だったんすから」
「ばーか。いなかったから笑ってんだろ」
『ダメじゃん』とばっさり切り捨てた女の子はあの後さっさと早番だったんでと帰ってしまった。匠としては明日から来ないんじゃなかろうかと思ったが、室長は絶対に来る!となぜか言い切った。
「きちんと自分が早番で仕事も遅かったと認めたろ?それに薬局にいる奴は皆、その子が新入りだとも知っている」
笑いすぎたとビールのあおりタンとジョッキをカウンターに戻し、室長は自分よりも一回り体の大きい喜屋越しに匠を見た。
「あのバカはまるっと事務に責任をおっかぶせようとしたんだ。それをその子は自分がしたことだと矢面に立った。さ、誰が味方に付く?」
「……事務の子達ですか?」
喜屋がくくと笑った。
「自分の利を取ったんだな。簡単に人のせいにする人間に贔屓されるより、自分が所属する環境が居心地がよくなればいい。頭いいよ。あの子」
うーん。あの状況でそれだけのことを考えてあの爆弾を落としたのならすごいとしか匠には言えない。そういえば自分も庇ってもらったか。
「さて。喜屋、これ」
ビールを飲みほした室長が立ち上がりながら喜屋の手元に千円札をすっと置いた。喜屋が顔をしかめていいですよと返そうとする。
「約束だったろ」
室長がアルコールが入っているとは思えない静かな声で喜屋に言い、喜屋もはいはいとそれを手元に戻した。
「内藤」
「はい」
室長が椅子の背もたれにかけていた上着を着ながら匠の後ろに立つ。思った以上に真面目な顔の室長に匠も体ごと振り返った。
「今日のことはお前には関係なかった。だが、頭のどこかでもっと自分がって思ったろ?」
言い当てられ匠が目を伏せる。今朝、薬局長の剣幕に負けずにカルテなり処方箋を見ておけば……。
「はい」
「自分の仕事に責任を持て」
「……」
「人間はどうやったって間違えることがある。それはもう仕方がない。間違えないようにしたって間違えるのが人間だからだ。だが、それをしないためにいろいろシステムがあるし、気を付けてもいるだろう?」
電子カルテの赤い文字。ダブルチェック。そして、匠は自分がポカが多いと自覚している。だから時間がかかってしまうが集めた薬の見直しもする。
「お前はもう少し自信を持っていい。いきなり自信を持てと言われてもどうしていいかわからなければ、胸だけでも張るようにしろ。胸を張れば背中も伸びる。背中が伸びれば見えるもんもかわってくる」
「……はい」
室長の言葉がぽつんぽつんと匠に落ちてくる。人嫌いだとばかり思っていたし、いつもけちょんけちょんに言われたり、されたりしてたから匠のことなど何も興味がないと思っていた。
「……ありがとうございます」
「ん」
少し喋りすぎたかと室長が顔をしかめ、そのまま何も言わずにレジに向かった。なんとなくその姿を見送る。
「かっこいいよな」
「……んあ?」
喜屋がカウンター越しに新しいビールをもらいながらくくっと笑う。室長が店を出て行ったのを見送り匠もカウンターに向き直った。
「室長、待ち合わせ?」
偶然かと思っていた。室長は先にカウンターにいてもう飲んでいたからだ。
「誰かさんが、俺との約束けろっと忘れて、残業始めてたからね」
匠がぐっとなる。喜屋に『この話は今夜にでも』と言われていたが、そのあとのごたごたできれいさっぱり頭から吹っ飛んでた。
「え、じゃあ、帰っちゃった?」
だが、後からきた喜屋は室長の隣に座らず、椅子を一つ置いて座った。待ち合わせにしてはなんか変だ。
「あの人、一人呑みが基本だから」
喜屋が何かを思い出したように笑う。
「座るなって前言われた。邪魔だって」
「振られましたもんね」
はい!と匠の前に焼き鳥を置きながら店の店員が笑って言った。
「振られた?」
邪魔だとは言いそうだが、振られたとはなんだろうか。
「かっこいいじゃん」
喜屋が酒にしようかなとメニューを見ながら別に不思議な事でもないという口調で話す。
「女性が一人カウンターなんてさ」
「……女性?」
確かに室長は女性だが……。ん?
「バイトが決まった時にここ見つけて、入ったらかっこいい女性がいるんだもん。ラッキーと思って声掛けたら、すっげえ迷惑な顔して、座るな邪魔だって言われてさ」
「え……ちょっ、と待って。え?」
「それでも頑張って声掛けたら、だんっ!てカウンターぶったたかれてさ『既婚者だ!』って一喝された」
「き、既婚者っ?!室長、既婚者なのかっ?!」
思わず大声が出た。全く想像もしていなかった。指輪もしていないし、男言葉だし、言ってしまえば仕事に生きるタイプなんだろうと勝手に思ってた!
「俺さ、その前にも派手に振られててさ……なんかもうあーれーって感じだったんんだよ」
ぎょっとする。いや、居酒屋で隣に座っていいかぐらいならなんとなくわかるが、どうも喜屋の言っていることはそうじゃない気がする。
「ちょっと待て」
「何」
匠は落ち着こうとぬるくなったビールをぐっと飲んだ。喜屋は今度は何を食べようかなとフードメニューを眺めている。
喜屋は匠と一緒に病院を一歩出たときに、きちんと結んでいたネクタイを外し鞄にしまった。一番上まで止めていたボタンも二つはずし、綺麗に整えられた髪もぐしゃっとかき混ぜてわざとみだした。
医者から急に学生っぽくなった喜屋に歳いくつでしたっけと聞いて、同じ年だと言われびっくりした。
本当に俺に興味なかったんだな。
どこかあきれたように言われ、興味がなかったというより存在するエリアが違うと思ってたとはさすがに言えなかった。だが、喜屋は喜屋で思うことがあったらしい。
『俺の声が聞こえてないのかと思うことがあった』
仕事の話ならできる。だが、なにか……もっとプライベートなことを話したり聞こうとすると、匠は聞こえてないのか喜屋から離れて行ってしまう。
『なんか、虫よけでもたかれているかと思った』
ははっと笑ってもらえたが、匠としては冷や汗ものだ。全く気が付いてなかった。
ビールで喉を潤して、改めて喜屋の方を向く。
「室長をナンパしたのか?」
「あの時はまさか同じ病院だとは思ってなかったんだけどね」
「室長……50近くだと思うんだが」
「な!」
今の『な!』は同意の『な』か?え、ちょっと待て。
「え?ええと、年上がお好き?」
匠の質問に喜屋が別に?と首を傾げ店員に食べ物と飲み物を注文する。匠にも何か食べる?と聞いてくれるが、匠は今、それどころじゃない。なぜか心臓がばくばくしている。
「俺、たぶん年齢とか気にしないんだと思う」
「……はぁ」
なるほど、自分がいいと思った女性に突撃するタイプか?だが、もったいない。喜屋なら自分から行かなくても女性達が放っておかないだろうに。
なんとなく理解した匠に喜屋がちらっと視線をやった。匠がビールを口に入れたのを確認して。
「あと、性別も気にしない」
「ごふううっ?!」
とんでもない爆弾に匠は見事にビールを吹き出しカウンターをびしょ濡れにさせた。
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「え?だが、今朝、三階の看護師から!」
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「そうです!」
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「じ……事務の子が、まだ来てなくて……」
は?薬局内の空気が変わる。事務の女性達の表情も強張る。何を言い出した?
「まだ来てなくて?」
「パソコンが立ち上がっていなかったから……」
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「患者の経過がよかったんで、今日から薬のミリ数を減らすつもりだったんです。これを打ち込んだ後、すぐに内藤先生から『ミリ数変更ですか』と疑義照会もありました」
喜屋の指が備考欄の疑義照会済を指さす。
それなら記憶もある。それを打ち込んだのは匠だ。
ミリ数変更。変更の疑義照会。新しい薬の処方。それでつつがなくすむ話だったはずなのに。
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「内藤先生が!」
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「内藤先生が?」
喜屋が自分の背にいる匠にかわり静かに聞いた。
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「だから、今朝!もっと私にわかるように言ってくれれば!」
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「は?」
間抜けな声を出したのは薬局長だ。
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「なっ?!なにをっ!」
自分のかわいがっている女の子から暴露され薬局長が赤くなったり青くなったりしている。だが、匠はちょっと驚いた。なんの話もしたことがないこの子がなぜ自分を庇うようなことを言うのだろうか。
ちら、と女の子の目が喜屋を見て伏せた。
「言ったのに?」
喜屋が視線に気が付いたのか、苦笑いを浮かべて女の子を見る。薬局長は口を開けたり閉じたりしているが言葉がでない。
女の子は指に巻いていた髪をぱっと解いた。そして、手で髪を背中に払ってにこっと笑った。
だが、つけまつげに縁どられた目が笑っていない。これは怒っている。
いつもふわふわにこにこしている女の子が怒るとは薬局長も思わなかったに違いない。
「今朝、私早番だったし。パソコンいっぱいあって、いちいちログインしないといけなくて大変だし」
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「ひーっ、ひっ……」
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「いなかったから笑えるんすよ?あの後、俺たち仕事だったんすから」
「ばーか。いなかったから笑ってんだろ」
『ダメじゃん』とばっさり切り捨てた女の子はあの後さっさと早番だったんでと帰ってしまった。匠としては明日から来ないんじゃなかろうかと思ったが、室長は絶対に来る!となぜか言い切った。
「きちんと自分が早番で仕事も遅かったと認めたろ?それに薬局にいる奴は皆、その子が新入りだとも知っている」
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「あのバカはまるっと事務に責任をおっかぶせようとしたんだ。それをその子は自分がしたことだと矢面に立った。さ、誰が味方に付く?」
「……事務の子達ですか?」
喜屋がくくと笑った。
「自分の利を取ったんだな。簡単に人のせいにする人間に贔屓されるより、自分が所属する環境が居心地がよくなればいい。頭いいよ。あの子」
うーん。あの状況でそれだけのことを考えてあの爆弾を落としたのならすごいとしか匠には言えない。そういえば自分も庇ってもらったか。
「さて。喜屋、これ」
ビールを飲みほした室長が立ち上がりながら喜屋の手元に千円札をすっと置いた。喜屋が顔をしかめていいですよと返そうとする。
「約束だったろ」
室長がアルコールが入っているとは思えない静かな声で喜屋に言い、喜屋もはいはいとそれを手元に戻した。
「内藤」
「はい」
室長が椅子の背もたれにかけていた上着を着ながら匠の後ろに立つ。思った以上に真面目な顔の室長に匠も体ごと振り返った。
「今日のことはお前には関係なかった。だが、頭のどこかでもっと自分がって思ったろ?」
言い当てられ匠が目を伏せる。今朝、薬局長の剣幕に負けずにカルテなり処方箋を見ておけば……。
「はい」
「自分の仕事に責任を持て」
「……」
「人間はどうやったって間違えることがある。それはもう仕方がない。間違えないようにしたって間違えるのが人間だからだ。だが、それをしないためにいろいろシステムがあるし、気を付けてもいるだろう?」
電子カルテの赤い文字。ダブルチェック。そして、匠は自分がポカが多いと自覚している。だから時間がかかってしまうが集めた薬の見直しもする。
「お前はもう少し自信を持っていい。いきなり自信を持てと言われてもどうしていいかわからなければ、胸だけでも張るようにしろ。胸を張れば背中も伸びる。背中が伸びれば見えるもんもかわってくる」
「……はい」
室長の言葉がぽつんぽつんと匠に落ちてくる。人嫌いだとばかり思っていたし、いつもけちょんけちょんに言われたり、されたりしてたから匠のことなど何も興味がないと思っていた。
「……ありがとうございます」
「ん」
少し喋りすぎたかと室長が顔をしかめ、そのまま何も言わずにレジに向かった。なんとなくその姿を見送る。
「かっこいいよな」
「……んあ?」
喜屋がカウンター越しに新しいビールをもらいながらくくっと笑う。室長が店を出て行ったのを見送り匠もカウンターに向き直った。
「室長、待ち合わせ?」
偶然かと思っていた。室長は先にカウンターにいてもう飲んでいたからだ。
「誰かさんが、俺との約束けろっと忘れて、残業始めてたからね」
匠がぐっとなる。喜屋に『この話は今夜にでも』と言われていたが、そのあとのごたごたできれいさっぱり頭から吹っ飛んでた。
「え、じゃあ、帰っちゃった?」
だが、後からきた喜屋は室長の隣に座らず、椅子を一つ置いて座った。待ち合わせにしてはなんか変だ。
「あの人、一人呑みが基本だから」
喜屋が何かを思い出したように笑う。
「座るなって前言われた。邪魔だって」
「振られましたもんね」
はい!と匠の前に焼き鳥を置きながら店の店員が笑って言った。
「振られた?」
邪魔だとは言いそうだが、振られたとはなんだろうか。
「かっこいいじゃん」
喜屋が酒にしようかなとメニューを見ながら別に不思議な事でもないという口調で話す。
「女性が一人カウンターなんてさ」
「……女性?」
確かに室長は女性だが……。ん?
「バイトが決まった時にここ見つけて、入ったらかっこいい女性がいるんだもん。ラッキーと思って声掛けたら、すっげえ迷惑な顔して、座るな邪魔だって言われてさ」
「え……ちょっ、と待って。え?」
「それでも頑張って声掛けたら、だんっ!てカウンターぶったたかれてさ『既婚者だ!』って一喝された」
「き、既婚者っ?!室長、既婚者なのかっ?!」
思わず大声が出た。全く想像もしていなかった。指輪もしていないし、男言葉だし、言ってしまえば仕事に生きるタイプなんだろうと勝手に思ってた!
「俺さ、その前にも派手に振られててさ……なんかもうあーれーって感じだったんんだよ」
ぎょっとする。いや、居酒屋で隣に座っていいかぐらいならなんとなくわかるが、どうも喜屋の言っていることはそうじゃない気がする。
「ちょっと待て」
「何」
匠は落ち着こうとぬるくなったビールをぐっと飲んだ。喜屋は今度は何を食べようかなとフードメニューを眺めている。
喜屋は匠と一緒に病院を一歩出たときに、きちんと結んでいたネクタイを外し鞄にしまった。一番上まで止めていたボタンも二つはずし、綺麗に整えられた髪もぐしゃっとかき混ぜてわざとみだした。
医者から急に学生っぽくなった喜屋に歳いくつでしたっけと聞いて、同じ年だと言われびっくりした。
本当に俺に興味なかったんだな。
どこかあきれたように言われ、興味がなかったというより存在するエリアが違うと思ってたとはさすがに言えなかった。だが、喜屋は喜屋で思うことがあったらしい。
『俺の声が聞こえてないのかと思うことがあった』
仕事の話ならできる。だが、なにか……もっとプライベートなことを話したり聞こうとすると、匠は聞こえてないのか喜屋から離れて行ってしまう。
『なんか、虫よけでもたかれているかと思った』
ははっと笑ってもらえたが、匠としては冷や汗ものだ。全く気が付いてなかった。
ビールで喉を潤して、改めて喜屋の方を向く。
「室長をナンパしたのか?」
「あの時はまさか同じ病院だとは思ってなかったんだけどね」
「室長……50近くだと思うんだが」
「な!」
今の『な!』は同意の『な』か?え、ちょっと待て。
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「俺、たぶん年齢とか気にしないんだと思う」
「……はぁ」
なるほど、自分がいいと思った女性に突撃するタイプか?だが、もったいない。喜屋なら自分から行かなくても女性達が放っておかないだろうに。
なんとなく理解した匠に喜屋がちらっと視線をやった。匠がビールを口に入れたのを確認して。
「あと、性別も気にしない」
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