起きてください魔王様！〜過保護な宰相の日々〜

宰相様は見せたくない

　トントン

「入れ」

　宰相はそこにいつもの兵士兼世話係の牛男《うしお》ではなく牛女《うしめ》の姿をみて眉間に皺を寄せる。

「牛男はどうした？」

　牛男？　しばらくキョトンとしてから牛女がアッと思い至ったように答えた。

「ギルガメシュ兄は昨夜から体調を崩したので、かわりに妹の私が来ました」
「……ギルガメシュ」

　ずいぶんと大層な名前を持っていたのだな。

「では、失礼します」
　
　牛女はそういうとタオルと湯の張った桶を乗せたお盆を宰相に手渡すと、ペコリと一礼して部屋に一歩足を踏み入れた

「まっ！　待て！」
　
　牛女が立ち止まる。兄のギルガメシュからは魔王様の体をぬぐうのは宰相の仕事になったと聞かされていたが、なにか違ったのだろうか？

「？」
「もう下がってよい」
「でも部屋の掃除が」
「今日は掃除はいい」
「えっでも……」
「ここは女魔禁制だ」
「えっ？」

　ギルガメシュからはそんな話聞いていなかった。

「初代牛男には言っておいたのだが、どうやらギル……牛男にはそのことをちゃんと引き継いでいなかったようだな」
「ギルガメシュです。そうなのですか、それは失礼しました。どうしましょう。別の魔族を呼びましょうか？」
「いやいい」

　宰相が首を横に振る。

「とりあえず牛男が治るまでは全て私がやるから明日からは牛女も来なくて大丈夫だ」
「……エリザベスです」
「……？」
「私の名前です宰相様」

　妹も顔に似合わず大層な名である。まぁ顔と言っても宰相には牛魔族の区別など雄か雌かしかわからないのだが。
　なので初代牛男が孫だと連れてきた二代目牛男（ギルガメシュ）も見た目だけでは区別はつかない、ただギルガメシュは若者特有の毛並みの艶やかさから初代より若い雄牛なのだろうというぐらいしかわからなかった。

「そうか、エリザベス。では兄上殿によくなってから来るように伝えてくれ。中途半端にきてはだめだぞ」

　なんの病気かわからないが、まだちゃんと覚醒していない無防備な魔王様にちかづかせるわけにはいかないと宰相は考えた。

「ありがとうございます。兄に伝えときます」

　それを部下を気遣う上司とでもとったのだろうか、一オクターブ高くなった声音で礼を述べる。

　牛女（エリザベス）が部屋を出てから宰相は魔王の体を丁寧に拭いた。

　魔王が眠りについた時、同族にしか興味がなく、絶対手を出さないであろう牛魔族を魔王様の世話係に任命した。
　そうはいっても、眠りについたばかりの魔王様は雄としての魅力は存分に備えてはいたが、なにせ相当なご年齢。そこまで警戒はしていなかったのも事実、初代牛男が二代目に変わった時も、だからすっかり警戒を忘れていた。
　しかし──

「あっ……さい、しょう……？」

　体を刺激され少し目が覚めたのだろうか、トロンとした目でそこに宰相の姿を見つけると、甘えた声でそう呟いた。
　寝ぼけているのか、子供の頃の夢でも見ていたのか警戒の全くない無防備な姿。

「お目覚めですか。魔王様？」

　宰相の呼びかけに、再び目を閉じる。

「うぅん、まだ少し眠い……」

　そのままスーと寝息を立てる。

　元の筋肉量がすごかったので、かろうじてまだその腹筋は綺麗に割れ宰相よりかは頑丈そうな体をしていたが、それでも眠りにつく前の戦歴を刻み年相応の渋みを醸し出す屈強な体はもうそこにはない。
　若者の傷一つないが引き締まった体。まさに魔族の結婚適齢期と言える肉体年齢まで若返ったみずみずしい肉体がそこにはあった。

　これは同族しか恋愛対象としない牛魔族だから耐えられるものであって、こんな無防備な若く美しい魔族を道に転がして置いたら、どこに連れていかれるか考えるまでもない。
　これからは誰一人としてこの部屋に女魔族を入れないようにしなくては、いや女だけが危ないとは限らない。これは完全に封鎖しなくては。
　宰相は魔王の眠る寝室に強力な結界を張った。

「起きてください魔王様」

　そんな無防備では危険ですよ。