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看板娘

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 烏の濡れ羽色のように美しい髪を前で高くふっくらと上げ、後頭部で二つの輪にまとめ桃のような形で結い上げた年のころは17歳前後だろうか、パッチリとした大きな黒曜石のような瞳はキラキラと輝き、いつも笑みをたたえているその顔はすごい美人というわけではないが、見ているだけで元気がもらえる。

「はい、お蕎麦一杯おまちどうさま」

 娘のよく通る声が蕎麦屋の店内に響く。

「琴葉ちゃん、こっちにも一杯」
「あいよ」
「琴葉ちゃん、今日も可愛いね」
「ありがとう。お冷はサービスね」
「おいおい、もともとタダだろ」
「私の愛情入りお冷ですよ」

 琴葉と呼ばれる娘はニコリと微笑みながらそう言った。

「そりゃ、確かにお金を払ってでももらわないとな」

 店の中に賑やかな笑い声があがる。
 蕎麦も美味しいが、看板娘の初根琴葉《はつねことは》が目当てで足しげく通う客も絶えないという江戸で噂の蕎麦屋は、今日も大繁盛である。

 そしてこの男はそのどちらが目的なのか、常連客の犬飼真《いぬかいまこと》が暖簾をくぐって入って来た。

 黒紋付の羽織に黄色っぽい地の格子柄を着流し、まだ二十歳前半だろうか、がたいのよい風体に小難しそうに眉間に皺を寄せているので、なんだか近寄りがたい雰囲気をだしている。

「琴葉さん、もりを一枚いただこう」

 テーブルの上に江戸の治安を守る同心だけが持つのを許されている十手を、ポンと無造作に置く。

「昨晩も遅くまでお仕事ですか、犬飼さま」

 もり蕎麦を十手の横に置くと、クリクリとした愛嬌のある大きな瞳を細め、心配ですと言わんばかりに眉間の皺にツンと琴葉が指をあてる。

「怖い顔になってますよ」

 とたん、先ほどまで人を寄せ付けないほど鋭く光っていた眼光は、見る見る戸惑う乙女のように揺らぎ、その顔もゆでだこのように赤く染まる。

「あぁ、昨晩も、ちょっとネズミを追っていてな……」

 どうにか威厳を保とうと低い声で答えるが、その姿は国の番犬どころか子犬のようだ。
 琴葉はそんな犬飼を可笑しそうに目を細めながら眺めながら、ニコニコと話を聞く。

「旦那、だめですぜ。いくら初根さんとは言え、ねずみ小僧のことは秘密事項です」
 
 そこに後から入って来た犬飼の部下の岡っ引きが、慌てて犬飼の耳元で注意する。

「あぁ、すまない。そうだった」
「大丈夫ですよ、もうその話題は瓦版になってますから」

 耳打ちしたにも関わらず、全部聞こえていますとばかりに、琴葉がほほ笑みながらそう言ったので、岡っ引きも犬飼も面目なさそうに頬を掻く。

「私も余計な口を挟んですみません」

 琴葉は二人にペコリと頭を下げると、次の客のところに去っていく。

「初根さん、今日も可愛いなぁ」
「そうだな」

 思わずつられて答えてしまい、慌てて犬飼はゴホンと咳ばらいをして誤魔化した。
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