1 / 11
看板娘
しおりを挟む
烏の濡れ羽色のように美しい髪を前で高くふっくらと上げ、後頭部で二つの輪にまとめ桃のような形で結い上げた年のころは17歳前後だろうか、パッチリとした大きな黒曜石のような瞳はキラキラと輝き、いつも笑みをたたえているその顔はすごい美人というわけではないが、見ているだけで元気がもらえる。
「はい、お蕎麦一杯おまちどうさま」
娘のよく通る声が蕎麦屋の店内に響く。
「琴葉ちゃん、こっちにも一杯」
「あいよ」
「琴葉ちゃん、今日も可愛いね」
「ありがとう。お冷はサービスね」
「おいおい、もともとタダだろ」
「私の愛情入りお冷ですよ」
琴葉と呼ばれる娘はニコリと微笑みながらそう言った。
「そりゃ、確かにお金を払ってでももらわないとな」
店の中に賑やかな笑い声があがる。
蕎麦も美味しいが、看板娘の初根琴葉《はつねことは》が目当てで足しげく通う客も絶えないという江戸で噂の蕎麦屋は、今日も大繁盛である。
そしてこの男はそのどちらが目的なのか、常連客の犬飼真《いぬかいまこと》が暖簾をくぐって入って来た。
黒紋付の羽織に黄色っぽい地の格子柄を着流し、まだ二十歳前半だろうか、がたいのよい風体に小難しそうに眉間に皺を寄せているので、なんだか近寄りがたい雰囲気をだしている。
「琴葉さん、もりを一枚いただこう」
テーブルの上に江戸の治安を守る同心だけが持つのを許されている十手を、ポンと無造作に置く。
「昨晩も遅くまでお仕事ですか、犬飼さま」
もり蕎麦を十手の横に置くと、クリクリとした愛嬌のある大きな瞳を細め、心配ですと言わんばかりに眉間の皺にツンと琴葉が指をあてる。
「怖い顔になってますよ」
とたん、先ほどまで人を寄せ付けないほど鋭く光っていた眼光は、見る見る戸惑う乙女のように揺らぎ、その顔もゆでだこのように赤く染まる。
「あぁ、昨晩も、ちょっとネズミを追っていてな……」
どうにか威厳を保とうと低い声で答えるが、その姿は国の番犬どころか子犬のようだ。
琴葉はそんな犬飼を可笑しそうに目を細めながら眺めながら、ニコニコと話を聞く。
「旦那、だめですぜ。いくら初根さんとは言え、ねずみ小僧のことは秘密事項です」
そこに後から入って来た犬飼の部下の岡っ引きが、慌てて犬飼の耳元で注意する。
「あぁ、すまない。そうだった」
「大丈夫ですよ、もうその話題は瓦版になってますから」
耳打ちしたにも関わらず、全部聞こえていますとばかりに、琴葉がほほ笑みながらそう言ったので、岡っ引きも犬飼も面目なさそうに頬を掻く。
「私も余計な口を挟んですみません」
琴葉は二人にペコリと頭を下げると、次の客のところに去っていく。
「初根さん、今日も可愛いなぁ」
「そうだな」
思わずつられて答えてしまい、慌てて犬飼はゴホンと咳ばらいをして誤魔化した。
「はい、お蕎麦一杯おまちどうさま」
娘のよく通る声が蕎麦屋の店内に響く。
「琴葉ちゃん、こっちにも一杯」
「あいよ」
「琴葉ちゃん、今日も可愛いね」
「ありがとう。お冷はサービスね」
「おいおい、もともとタダだろ」
「私の愛情入りお冷ですよ」
琴葉と呼ばれる娘はニコリと微笑みながらそう言った。
「そりゃ、確かにお金を払ってでももらわないとな」
店の中に賑やかな笑い声があがる。
蕎麦も美味しいが、看板娘の初根琴葉《はつねことは》が目当てで足しげく通う客も絶えないという江戸で噂の蕎麦屋は、今日も大繁盛である。
そしてこの男はそのどちらが目的なのか、常連客の犬飼真《いぬかいまこと》が暖簾をくぐって入って来た。
黒紋付の羽織に黄色っぽい地の格子柄を着流し、まだ二十歳前半だろうか、がたいのよい風体に小難しそうに眉間に皺を寄せているので、なんだか近寄りがたい雰囲気をだしている。
「琴葉さん、もりを一枚いただこう」
テーブルの上に江戸の治安を守る同心だけが持つのを許されている十手を、ポンと無造作に置く。
「昨晩も遅くまでお仕事ですか、犬飼さま」
もり蕎麦を十手の横に置くと、クリクリとした愛嬌のある大きな瞳を細め、心配ですと言わんばかりに眉間の皺にツンと琴葉が指をあてる。
「怖い顔になってますよ」
とたん、先ほどまで人を寄せ付けないほど鋭く光っていた眼光は、見る見る戸惑う乙女のように揺らぎ、その顔もゆでだこのように赤く染まる。
「あぁ、昨晩も、ちょっとネズミを追っていてな……」
どうにか威厳を保とうと低い声で答えるが、その姿は国の番犬どころか子犬のようだ。
琴葉はそんな犬飼を可笑しそうに目を細めながら眺めながら、ニコニコと話を聞く。
「旦那、だめですぜ。いくら初根さんとは言え、ねずみ小僧のことは秘密事項です」
そこに後から入って来た犬飼の部下の岡っ引きが、慌てて犬飼の耳元で注意する。
「あぁ、すまない。そうだった」
「大丈夫ですよ、もうその話題は瓦版になってますから」
耳打ちしたにも関わらず、全部聞こえていますとばかりに、琴葉がほほ笑みながらそう言ったので、岡っ引きも犬飼も面目なさそうに頬を掻く。
「私も余計な口を挟んですみません」
琴葉は二人にペコリと頭を下げると、次の客のところに去っていく。
「初根さん、今日も可愛いなぁ」
「そうだな」
思わずつられて答えてしまい、慌てて犬飼はゴホンと咳ばらいをして誤魔化した。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
猪口礼湯秘話
古地行生
歴史・時代
小説投稿サイトのノベルアップ+で開かれた短編コンテスト「“恐怖のチョコレート”三題噺短編コンテスト」に着想を得て書いた短編小説です。
こちらでの表示に合わせる修正を施すと共に本文をごくわずかに変更しております。
この作品は小説家になろうとカクヨムにも掲載しております。
ある同心の物語
ナナミン
歴史・時代
これはある2人の同心の物語である、
南町奉行所見習い同心小林文之進と西原順之助はお互いに切磋琢磨していた、吟味与力を父に持つ文之進は周囲から期待をされていたが順之助は失敗ばかりで怒鳴られる毎日だ、
順之助は無能ではないのだが事あるごとに手柄を文之進に横取りされていたのだ、
そんな順之助はある目的があったそれは父親を殺された盗賊を捕らえ父の無念を晴らすのが目的であった、例の如く文之進に横取りされてしまう、
この事件で文之進は吟味方同心に出世し順之助は同心を辞めるかの瀬戸際まで追い詰められる、
非番のある日ある2人の侍が道に困っている所を順之助と岡っ引の伝蔵が護衛した事からその後の順之助の運命を変える事になる、
これはある2人の同心の天国と地獄の物語である、
Battle of Black Gate 〜上野戦争、その激戦〜
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
慶応四年。上野の山に立てこもる彰義隊に対し、新政府の司令官・大村益次郎は、ついに宣戦布告した。降りしきる雨の中、新政府軍は午前七時より攻撃開始。そして――その最も激しい戦闘が予想される上野の山――寛永寺の正門、黒門口の攻撃を任されたのは、薩摩藩兵であり、率いるは西郷吉之助(西郷隆盛)、中村半次郎(桐野利秋)である。
後世、己の像が立つことになる山王台からの砲撃をかいくぐり、西郷は、そして半次郎は――薩摩はどう攻めるのか。
そして――戦いの中、黒門へ斬り込む半次郎は、幕末の狼の生き残りと対峙する。
【登場人物】
中村半次郎:薩摩藩兵の将校、のちの桐野利秋
西郷吉之助:薩摩藩兵の指揮官、のちの西郷隆盛
篠原国幹:薩摩藩兵の将校、半次郎の副将
川路利良:薩摩藩兵の将校、半次郎の副官、のちの大警視(警視総監)
海江田信義:東海道先鋒総督参謀
大村益次郎:軍務官監判事、江戸府判事
江藤新平:軍監、佐賀藩兵を率いる
原田左之助:壬生浪(新撰組)の十番組隊長、槍の名手
忍者同心 服部文蔵
大澤伝兵衛
歴史・時代
八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。
服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。
忍者同心の誕生である。
だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。
それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……
仇討ちの娘
サクラ近衛将監
歴史・時代
父の仇を追う姉弟と従者、しかしながらその行く手には暗雲が広がる。藩の闇が仇討ちを様々に妨害するが、仇討の成否や如何に?娘をヒロインとして思わぬ人物が手助けをしてくれることになる。
毎週木曜日22時の投稿を目指します。
狼同心
霜月りつ
歴史・時代
昼間はねぼけた猫のように役に立たない同心・朧蒼十朗。
先輩の世話焼き同心・遠藤兵衛と一緒に遊び人殺害の謎を追う。
そこには互いに素直になれない医者の親子の事情が。
その途中で怪我をさせられた先輩同心。
怒りが夜の朧蒼十朗の姿を変える―――金色の目の狼に。
江戸の闇を駆ける人ならざる同心は人情を喰らうのか。
短気だが気のいい先輩同心と、のんびり後輩同心のバディもの。
銀の帳(とばり)
麦倉樟美
歴史・時代
江戸の町。
北町奉行所の同心見習い・有賀(あるが)雅耶(まさや)は、偶然、正体不明の浪人と町娘を助ける。
娘はかつて別れた恋人だった。
その頃、市中では辻斬り事件が頻発しており…。
若い男女の心の綾、武家社会における身分違いの友情などを描く。
本格時代小説とは異なる、時代劇風小説です。
大昔の同人誌作品を大幅リメイクし、個人HPに掲載。今回それをさらにリメイクしています。
時代考証を頑張った部分、及ばなかった部分(…大半)、あえて完全に変えた部分があります。
家名や地名は架空のものを使用。
大昔は図書館に通って調べたりもしましたが、今は昔、今回のリメイクに関してはインターネット上の情報に頼りました。ただ、あまり深追いはしていません。
かつてのテレビ時代劇スペシャル(2時間枠)を楽しむような感覚で見ていただければ幸いです。
過去完結作品ですが、現在ラストを書き直し中(2024.6.16)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる