10 / 10
第10話 願うものは
しおりを挟む
白く小さな花が咲き乱れている城の中庭を、人々がせわしなく行き来している。
光神際から数日、国はいつもの単調で平和な時を刻んでいる。
そして次の満月に延びた婚礼式のための準備で慌ただしく多忙な日々を送っていた。
「ラシェル、おい無視すんじゃないラシェル!」
中庭を横切ろうと歩いていたラシェルを呼びとめる声が響いた。
「リーン様」
ゆっくりと振り返ると、そのまま頭を垂れて挨拶をする。
「なんでしょうか?」
忙しいから手短にお願いします。とラシェルからの無言の圧力を感じる。
「後で俺の部屋に来い」
なぜかぶっきらぼうにリーンはそう言った。
「じゃあ、今から」
「いや、後でいい」
「大した用事でもないから」とぼそりと漏らす。
「遅くなりますよ」
「別にかまわない。だから必ず来いよ」
そう言い捨てると、サッと踵を返しその場を立ち去る。
「王子、ラシェルです」
扉を叩く。名前の途中で入れという許可が下りる。
「忙しいのに悪いな」
「そんな、リーン様の用事より優先させるべきものなどありません」
そう答えたラシェルに、「その通りだな」と言ってリーンが嬉しそうに笑う。そんなリーンにラシェルがため息を漏らす。
「で、なんですか?」
少し冷たい口調で切り出す。
「……その、あれだ」
「あれとは?」
もごもごとリーンが口ごもる。リーンが口ごもるなんて初めてのことじゃないだろうか。いつも考えるより先に言葉にしてしまうのに。
「リーン様?」
不思議なものを見るようにラシェルが眉間をしかめる。
「すまなかった」
思いもかけない謝罪。
突然のことにラシェルが唖然とする。
そんな彼におかまいなしに、リーンはまるで途中でじゃまされるのを恐れるように話し出す。
「こないだは悪かった。祭りの最中に倒れたことにつけ込んでわがまま言って。そのあげく、城を抜け出して落馬して怪我するわ記憶なくすわ。お前に心配かけまくったうえ。俺のせいでお前は一週間も牢屋につながれて。俺もすぐに王に弁解しに行くつもりだったんだが、部屋から出してもらえなくて、会いにもいけず」
そこまで一気にまくし立てる。
「本当にすまなかった」
と、深々と再び頭を下げた。
「リーン様やめてください!仮にも王子が世話係に頭を下げるなんて」
ラシェルの声はほとんど悲鳴に近かった。
「やめない。お前が許してくれるまで」
「許します。許しますから!」
「本当か?」
「本当です。だいたい私はリーン様を恨んでなんかいません」
リーンの我儘は今に始まったことではないし、とは口に出さなかった。
「それより早くお顔をおあげ下さい」
「ラシェル……」
そう言って近づいてきたラシェルの顔をリーンが素早く両手で挟むようにつかまえる。
「何を……してるんですか?リーン様」
ラシェルの黒曜石のような瞳に映っている自分自身をリーンはしげしげと覗き込む。そして満足したように手を離す。
「リーン様、今のはいったい……」
「ようやく目を合わせてくれた」
「いや、今のは無理やり合わせたんでしょうが」
呆れて言い返す。
どうやらリーンはあれ以来ラシェルが前のようにリーンの目を見て話さないことを気にしているらしい。
(そんな理由ではないのだが)とラシェルは心の中で自嘲する。
「お前、なんかやつれたな……」
いいかけてハッとする。
「まさか、牢でひどいことをされたのか!」
握りこぶしを作りながら、キッと王の寝室のある窓の外を睨み付ける。
「違います!」
今から殴り込みにでもいきそうな迫力に、ラシェルが慌てて首を振った。
「王は何もしてません、逆に牢とはいえないような小綺麗な部屋で謹慎だけですんで軽すぎて怖いぐらいですよ」
王子を止められず外泊させたうえ、怪我までさせたのだ。それも血を流すことを禁じられている光神祭の日に。
「本当か?」
「本当です」
まだなにか言いたげなリーンにラシェルが続ける。
「最近リーン様を避けていたのは……、リーン様に申し訳なく思っていたからです」
「お前が申し訳なく思う必要がどこにある?」
外泊したことも落馬したことも自分のせいなのに。とリーンが口を尖らす。
「本当に申し訳なく思うなら。俺を避けるな。今まで通り傍にいろ」
そして命令だと言わんばかりにそんなことを口にする。それを聞いてラシェルが苦笑する。
「はい、リーン様が望むのであれば」
その言葉を聞いてようやく安心したのか破顔する、まるで太陽のような笑顔に、ラシェルはまぶしいものでも見るように目を細める。
──変わらない……否、変わらせない。
──確かに変わってしまったあの瞬間から。
──総てを知ることで総てを失ったあの日。
──先の見えない絶望を……それでも今を繋ぎとめられるなら。
記憶を書き換えることはあまりにも簡単だった。やり方は血が教えてくれた。
月の光の降り注ぐ中、まるで見られるのを恐れるようにリーンの瞼を片手で覆う。
──リーン様、本当に謝まらなくてはならないのは。
──リーンの幸せを願い、成長を見守っているだけなどもうできないかもしれない。
──気付いてしまった感情に。
──知ってしまった本性に。
痛みを訴える心をごまかすように、自分の唇を強く噛みきる。
──それでも……傍にいたいと願うのは。
まるで紅を引いたように血に濡れた唇を、そっと愛する人の唇に重ねる。
それだけでよかった。
「ラシェル、どうしたんだ。気分でも悪いのか」
初めて触れた唇の感覚を思い出し、無意識にラシェルは自分の指を唇にはわせていた。
急に押し黙ってうつ向いてしまったラシェルを心配そうにリーンが見詰めている。
「…………」
視線が痛い。
失いたくない。
心配げに首を傾けて無防備に自分に近づいてくるリーン。白いほっそりとした首筋は、わざともう一人の自分を誘い出す罠のように思えるのはなぜか?
目を閉じる。苦しげに。
リーンの声がどこか遠くで聞こえる。
見ないで欲しい。そんなふうに。
相反する感情がせめぎあう。
「リーン様」
頭の奥で声が聞こえる。
それは抗いがたい甘美な誘惑。
──目覚めよ
光神際から数日、国はいつもの単調で平和な時を刻んでいる。
そして次の満月に延びた婚礼式のための準備で慌ただしく多忙な日々を送っていた。
「ラシェル、おい無視すんじゃないラシェル!」
中庭を横切ろうと歩いていたラシェルを呼びとめる声が響いた。
「リーン様」
ゆっくりと振り返ると、そのまま頭を垂れて挨拶をする。
「なんでしょうか?」
忙しいから手短にお願いします。とラシェルからの無言の圧力を感じる。
「後で俺の部屋に来い」
なぜかぶっきらぼうにリーンはそう言った。
「じゃあ、今から」
「いや、後でいい」
「大した用事でもないから」とぼそりと漏らす。
「遅くなりますよ」
「別にかまわない。だから必ず来いよ」
そう言い捨てると、サッと踵を返しその場を立ち去る。
「王子、ラシェルです」
扉を叩く。名前の途中で入れという許可が下りる。
「忙しいのに悪いな」
「そんな、リーン様の用事より優先させるべきものなどありません」
そう答えたラシェルに、「その通りだな」と言ってリーンが嬉しそうに笑う。そんなリーンにラシェルがため息を漏らす。
「で、なんですか?」
少し冷たい口調で切り出す。
「……その、あれだ」
「あれとは?」
もごもごとリーンが口ごもる。リーンが口ごもるなんて初めてのことじゃないだろうか。いつも考えるより先に言葉にしてしまうのに。
「リーン様?」
不思議なものを見るようにラシェルが眉間をしかめる。
「すまなかった」
思いもかけない謝罪。
突然のことにラシェルが唖然とする。
そんな彼におかまいなしに、リーンはまるで途中でじゃまされるのを恐れるように話し出す。
「こないだは悪かった。祭りの最中に倒れたことにつけ込んでわがまま言って。そのあげく、城を抜け出して落馬して怪我するわ記憶なくすわ。お前に心配かけまくったうえ。俺のせいでお前は一週間も牢屋につながれて。俺もすぐに王に弁解しに行くつもりだったんだが、部屋から出してもらえなくて、会いにもいけず」
そこまで一気にまくし立てる。
「本当にすまなかった」
と、深々と再び頭を下げた。
「リーン様やめてください!仮にも王子が世話係に頭を下げるなんて」
ラシェルの声はほとんど悲鳴に近かった。
「やめない。お前が許してくれるまで」
「許します。許しますから!」
「本当か?」
「本当です。だいたい私はリーン様を恨んでなんかいません」
リーンの我儘は今に始まったことではないし、とは口に出さなかった。
「それより早くお顔をおあげ下さい」
「ラシェル……」
そう言って近づいてきたラシェルの顔をリーンが素早く両手で挟むようにつかまえる。
「何を……してるんですか?リーン様」
ラシェルの黒曜石のような瞳に映っている自分自身をリーンはしげしげと覗き込む。そして満足したように手を離す。
「リーン様、今のはいったい……」
「ようやく目を合わせてくれた」
「いや、今のは無理やり合わせたんでしょうが」
呆れて言い返す。
どうやらリーンはあれ以来ラシェルが前のようにリーンの目を見て話さないことを気にしているらしい。
(そんな理由ではないのだが)とラシェルは心の中で自嘲する。
「お前、なんかやつれたな……」
いいかけてハッとする。
「まさか、牢でひどいことをされたのか!」
握りこぶしを作りながら、キッと王の寝室のある窓の外を睨み付ける。
「違います!」
今から殴り込みにでもいきそうな迫力に、ラシェルが慌てて首を振った。
「王は何もしてません、逆に牢とはいえないような小綺麗な部屋で謹慎だけですんで軽すぎて怖いぐらいですよ」
王子を止められず外泊させたうえ、怪我までさせたのだ。それも血を流すことを禁じられている光神祭の日に。
「本当か?」
「本当です」
まだなにか言いたげなリーンにラシェルが続ける。
「最近リーン様を避けていたのは……、リーン様に申し訳なく思っていたからです」
「お前が申し訳なく思う必要がどこにある?」
外泊したことも落馬したことも自分のせいなのに。とリーンが口を尖らす。
「本当に申し訳なく思うなら。俺を避けるな。今まで通り傍にいろ」
そして命令だと言わんばかりにそんなことを口にする。それを聞いてラシェルが苦笑する。
「はい、リーン様が望むのであれば」
その言葉を聞いてようやく安心したのか破顔する、まるで太陽のような笑顔に、ラシェルはまぶしいものでも見るように目を細める。
──変わらない……否、変わらせない。
──確かに変わってしまったあの瞬間から。
──総てを知ることで総てを失ったあの日。
──先の見えない絶望を……それでも今を繋ぎとめられるなら。
記憶を書き換えることはあまりにも簡単だった。やり方は血が教えてくれた。
月の光の降り注ぐ中、まるで見られるのを恐れるようにリーンの瞼を片手で覆う。
──リーン様、本当に謝まらなくてはならないのは。
──リーンの幸せを願い、成長を見守っているだけなどもうできないかもしれない。
──気付いてしまった感情に。
──知ってしまった本性に。
痛みを訴える心をごまかすように、自分の唇を強く噛みきる。
──それでも……傍にいたいと願うのは。
まるで紅を引いたように血に濡れた唇を、そっと愛する人の唇に重ねる。
それだけでよかった。
「ラシェル、どうしたんだ。気分でも悪いのか」
初めて触れた唇の感覚を思い出し、無意識にラシェルは自分の指を唇にはわせていた。
急に押し黙ってうつ向いてしまったラシェルを心配そうにリーンが見詰めている。
「…………」
視線が痛い。
失いたくない。
心配げに首を傾けて無防備に自分に近づいてくるリーン。白いほっそりとした首筋は、わざともう一人の自分を誘い出す罠のように思えるのはなぜか?
目を閉じる。苦しげに。
リーンの声がどこか遠くで聞こえる。
見ないで欲しい。そんなふうに。
相反する感情がせめぎあう。
「リーン様」
頭の奥で声が聞こえる。
それは抗いがたい甘美な誘惑。
──目覚めよ
0
お気に入りに追加
16
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
林檎を並べても、
ロウバイ
BL
―――彼は思い出さない。
二人で過ごした日々を忘れてしまった攻めと、そんな彼の行く先を見守る受けです。
ソウが目を覚ますと、そこは消毒の香りが充満した病室だった。自分の記憶を辿ろうとして、はたり。その手がかりとなる記憶がまったくないことに気付く。そんな時、林檎を片手にカーテンを引いてとある人物が入ってきた。
彼―――トキと名乗るその黒髪の男は、ソウが事故で記憶喪失になったことと、自身がソウの親友であると告げるが…。
春風のように君を包もう ~氷のアルファと健気なオメガ 二人の間に春風が吹いた~
大波小波
BL
竜造寺 貴士(りゅうぞうじ たかし)は、名家の嫡男であるアルファ男性だ。
優秀な彼は、竜造寺グループのブライダルジュエリーを扱う企業を任されている。
申し分のないルックスと、品の良い立ち居振る舞いは彼を紳士に見せている。
しかし、冷静を過ぎた観察眼と、感情を表に出さない冷めた心に、社交界では『氷の貴公子』と呼ばれていた。
そんな貴士は、ある日父に見合いの席に座らされる。
相手は、九曜貴金属の子息・九曜 悠希(くよう ゆうき)だ。
しかしこの悠希、聞けば兄の代わりにここに来たと言う。
元々の見合い相手である兄は、貴士を恐れて恋人と駆け落ちしたのだ。
プライドを傷つけられた貴士だったが、その弟・悠希はこの縁談に乗り気だ。
傾きかけた御家を救うために、貴士との見合いを決意したためだった。
無邪気で無鉄砲な悠希を試す気もあり、貴士は彼を屋敷へ連れ帰る……。
ふしだらオメガ王子の嫁入り
金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか?
お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。
俺にとってはあなたが運命でした
ハル
BL
第2次性が浸透し、αを引き付ける発情期があるΩへの差別が医療の発達により緩和され始めた社会
βの少し人付き合いが苦手で友人がいないだけの平凡な大学生、浅野瑞穂
彼は一人暮らしをしていたが、コンビニ生活を母に知られ実家に戻される。
その隣に引っ越してきたαΩ夫夫、嵯峨彰彦と菜桜、αの子供、理人と香菜と出会い、彼らと交流を深める。
それと同時に、彼ら家族が頼りにする彰彦の幼馴染で同僚である遠月晴哉とも親睦を深め、やがて2人は惹かれ合う。
華麗に素敵な俺様最高!
モカ
BL
俺は天才だ。
これは驕りでも、自惚れでもなく、紛れも無い事実だ。決してナルシストなどではない!
そんな俺に、成し遂げられないことなど、ないと思っていた。
……けれど、
「好きだよ、史彦」
何で、よりよってあんたがそんなこと言うんだ…!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる